…海の音が聞こえる…。

「…倉持さん。」

光が、俺を振り返る。冷たい潮風に髪なぶられる髪の向こうで、光は優しく微笑む。きらきらした瞳を細め、バラ色の唇を柔らかく曲げて。…泣きたくなるくらい、綺麗な笑顔で…。

「…いい…のか?本当に…?」

俺は彼女を押し倒し、真っ白な躰に釘付けになりながら尋ねる。光は慈愛に満ちた微笑みを浮かべたまま、小さく頷く。俺を見上げ、俺の頬を撫でて、受け入れるように背中に腕を回して…。

「私…一也さんと、別れます。」

その言葉は俺の頭の中にしつこく響く。夢か現実かわからない響きに、俺の頭は真っ白になる。

「じゃあ、俺と…。」

光の躰から甘い香りが漂ってくる。たまらなく胸が苦しくなる。
光は俺をじっと見上げて、そして――頷く。

「…倉持さんと…付き合う…。」




――はっ、と浮上したように目が覚めた。弾かれたように起き上がり、激しい動悸と息切れを自覚して戸惑う。隣にはまだ寝息を立てて眠っているえみがいる。…俺…なんつー夢見てんだ。…最低だろ…。

「……ん……」

隣のえみが声を零し、俺はギクリと竦んだ。起きたのかと思ったけど、寝言だったようだ。えみは眉根を寄せ、まだ寝息を立てている。時間もまだ早いし、俺も二度寝するかな…。

「…ん……、…うぅ…」
「……えみ?」

しかしえみが苦しげに呻くのを聞いて思いとどまった。ちょっと観察していると、えみは額に汗を浮かべ、苦しそうな顔で手をぎゅっと握りしめ、時々唸っていた。

「う…、…んん……、…う…」
「…えみ。」
「う、うぅ……」
「…えみ!」

肩を揺さぶると、はっと黒目がちの目が開き、えみは怯えたように起き上がった。顔が青ざめていて、えみは肩で息をしながら明け方の薄暗い部屋の中を見渡し、思い出したように俺を振り返った。

「え、あれ…?私…、…えっ、今何時…、」
「まだ5時前だよ、けどうなされてたから…」

寝坊をしたとでも思ったのか慌てだしたえみを宥めると、えみはまた青ざめた。

「え…?お、起こしちゃってごめんなさい…。」
「…いや…別に…。…大丈夫か?」
「大丈夫…です…。」

はあ…、と息をついて、えみはしばらく呆然としていた。悪い夢でも見たんだろうか。……夢。俺のあの夢はなんだったんだろう。まだ光に未練があるとでも言うのか…?

「…まだ寝てろよ。今日昼からだろ?」
「…でも、洋一さんは朝から…」
「なんか適当に済ませるよ。気にすんなって…」
「……。」

えみは俺にすごく気を遣う。食事の準備もそうだし、朝だって俺より先に起きて準備をしようとする。風呂の準備も、部屋の掃除も、消耗品の買い出しも。俺が手を出す間もなく全部先回りして済ませてしまう。だから俺は、なんとなく落ち着かない。まー俺が、掃除とか気が付かないのも悪いんだけど…。けど、言ってくれればそのくらい…。…何て考えても仕方ねーな。
えみがまた横になったのを見届けて、何となく目が覚めてしまった俺はシャワーを浴びようとベッドを出た。
さっとシャワーを浴びて部屋に戻ると、キッチンにはえみが立っていた。

「あ…。や、やっぱり、何か作ろうかと思って…。」
「や、いいって、そんな…」
「で でも…。アスリート、だから…。たくさん栄養摂らないと…。」

ね、とほほ笑んだえみに、俺はぎこちない笑顔で、ごめん、と頭を掻いた。



***



「お前さあ…、付き合い始めの頃、飯とか作ってもらって、申し訳ねぇな〜って思わなかった?」
「申し訳ない?」

電話越しに素っ頓狂な御幸の声が響いた。

「なんで?」
「なんでってなんだよ。」
「ありがたいな〜とは思ったけど、申し訳ないってのはちょっと違うと思うけど?」
「感謝が足りねーんじゃねーの。」
「なんでだよ。つーか光は、料理好きだし…楽しそーに料理作ってんの見るとこっちまで嬉しくなるって言うか〜ふへへへへ」
「のろけんな!キメェ。でも最初の頃は料理できなかったつってたじゃん。それってお前の為に無理してしてくれてたんだろ?最初は。」
「ん〜…最初は…そうだなぁ…失敗したオムライスを恥ずかしそーに出してくれる光、可愛かったなぁ〜」
「テメーののろけ話を聞くために電話したんじゃねーんだよ!真面目に答えろや!」
「だから申し訳ないとかよくわかんねーってば。光が俺に何かしてくれるのは嬉しいし感謝してるけど、それを引け目に感じたら光だって困ると思うし。ようは俺を喜ばせたくてあれこれしてくれてんだろうからさ。…やべっ、そう考えるとすげえ可愛くね?」
「だから!いちいちのろけんな!!」
「じゃー何、お前はそれを申し訳なく思うってこと?」
「……。」

ふーん、と御幸の低い相槌が流れた。

「えみちゃんかわいそ。」
「…気持ちワリィ呼び方すんな。可哀そうってなんでだよ」
「だってお前を喜ばせたくて美味しい料理作ってくれてんのに、お前はイヤ〜な顔しかしねぇんだろ?」
「嫌な顔なんかするかよ!ちゃんと感謝してるし…礼も言ってる」
「礼〜!?いちいち礼言ってんの!?うっわ重っ!!」
「なんなんだよ!!じゃあどうしろってんだよ!」
「別に普通に食って、美味い!でいいんだよ。まーお礼言うのもいいけどさ。どーせお前の事だからあれだろ、申し訳なさそーに言ってんだろ。」
「……。」
「そんなお礼言われて嬉しいかねぇ」
「……。」

なんか…図星な気がしてきた…。えみがどう思ってるかなんて、考えてなかったかもしれない…。

「だいたいお前こそ光に申し訳ねぇとか思ってなかったくせに。」
「え?」
「いつもいつもうちの食卓に入り浸りやがってただろうが!」
「……。」

た、確かに。

「人の嫁の飯たかりに来てたやつが飯作ってもらうのが申し訳ねぇなんてよく言うぜ。」
「う…うるせーな」

けど、確かにどうしてだろうと考えてみれば、それは…光は本当に楽しそうに、幸せそうに料理を作っていたし…それに…光に会いたいという下心もあったから…。

「まあでも、お前みたいに色々悩むのが普通なのかもな。」
「は?」

御幸が急に悟ったような事を言いだした。

「俺はさ、光と再会できただけで浮かれてたし…他の事が目に入らなかったって言うか。光が同じ屋根の下に居るってだけでもう、他の事はどうでもよくなるくらい嬉しくてさ。だからもしかしたら俺が気付いてないだけで、光は色々不満とか戸惑いもあったのかもしれないけど…」
「……。」
「でもまぁ、時間が解決するよ。他人同士が一緒に生活始めるんだから、そりゃ合わないこともあるだろ。」

…そんな当たり前のことくらい、わかってる…と言い返しそうになって、口を噤んだ。そんな当たり前の事をわざわざ訊いたのは俺だ。
電話の向こうでガチャ、と鍵を開ける音がして、ドアでも開けたのかな、と思った直後、可愛らしい声が響いてきた。

「一也さんおかえりなさ…、…あ、ごめん、電話中…?」
「いいよ倉持だから。」
「オイ…聞こえてんだけど。」

軽口をたたきながら、いつかの夜の事を思い出して気まずくなった。…光はどんな顔してんだろ。

「ご飯できてるよ。」
「おっ、今日何?」
「えっとね、チキンソテーとかぼちゃのスープと…、あ、乾燥ハーブもらったから、フォカッチャ作ってみたの。」
「すげえうまそ〜。えっへっへ」
「…電話する気ねーなら切れや」
「おう!じゃ倉持またな。」
「は?テメ…」

ブツン。……。ホントに切りやがった、あのクソメガネ…。
…つーかこの一瞬で圧倒的な幸せオーラをビシビシ感じてすげえ腹立つんだけど…。
俺はため息を吐いて、手持無沙汰にファンタを飲み干し、ゴミ箱に空き缶を放り入れて、渋々帰途に就いた。


***


「ただいま〜……」

「見て見てコレ!!面白いでしょお!?きゃっははははは!」

な、なんだ!?…ってこの声は…牧瀬だな。遊びに来てんのか?

「あ、お、お帰りなさい…。」

俺の声を聞きつけて、えみが慌てた様子で玄関に出迎えにやって来た。

「もしかして牧瀬来てる?」
「あ、はい、今…。」
「おじゃましてま〜〜す!」
「うるせえな相変わらず」

思わずいつもの調子で軽口をたたいてしまい、ちょっと驚いたようなえみの顔を見てしまったと思った。牧瀬はいつも通り、失礼な!と頬を膨らませてふざけているけれど。

「倉持さ〜ん、沢村君が寂しがってましたよ〜?最近遊びに来てくれないって」
「ヒャハハ。じゃあ今度構いに行ってやるか…、…ゴホン。」

しかし牧瀬の前だとどうしてもいつものゆるい調子が出てしまう…。こいつは男友達みてぇなモンだから…。誤魔化すように咳払いをして、俺は奥の部屋で着替えてくることにした。
楽な服に着替えてリビングに行くと、俺の分のお茶が用意されていた。えみが淹れてくれたのだろう。ありがとう、と声をかけ、俺はソファに座った。

「で…何でお前いるの?」
「ひどーい!可愛い後輩がいじめられてないか監視に来たんですよ!」
「なんだそりゃ…」

牧瀬はえみを抱きしめて、からかうように俺を笑った。えみはこまったように縮こまってはにかんでいる。

「それよりさっきえみちゃんとコレ見てたんですけど!」

牧瀬はすぐに切り替えてスマホを操作し始めた。そういえばさっき、すげえ笑い転げてたな。

「何?」
「コレです!高校生の頃の御幸さんと光!」

レアでしょ!?と牧瀬が見せてきたのは、少し画質の荒い動画だった。

「画質悪いな〜」
「しょうがないじゃないですか、ガラケー時代の動画なんですから!」

はいはい、と笑って、牧瀬のスマホを受け取った。
動画は学校内で、廊下に光が立っている。当たり前だけど制服姿で、少し幼い。

『よし行って来〜い!光ぃ!』
『も〜、さいあく…』
『罰ゲーム罰ゲーム♪』

撮影者は声からして牧瀬。牧瀬の手に背中を押され、光は渋々どこかの教室の中を覗き込んだ。呼ぶまでもなく、目当ての人物は光に気が付くとすぐに飛んで来たようだった。廊下に出てきたのは、御幸だった。後から俺もついてくる。あ…、これ、何か覚えが…。
光は御幸を廊下の端に呼び寄せる。御幸は浮かれた顔でそれに応じた。俺は少し離れた所でその様子を窺っている。

『あの、先輩…。』
『…何?』
『…あの…。』
『え〜何何…もしかして告白?なんちゃって(笑)』
『違います。』
『そりゃ残念(笑)』

はっはっは、と笑い飛ばすお調子者の御幸を、光は意を決したように見上げた。

『…お願いがあるんですけど』
『お願い?いいぜ〜ハニーの為なら何でもするぜ(笑)』
『は?』
『ごめんなさい冗談です…でお願いって何?』
『……。…ボタン』
『え?』
『…ボタン、先輩に閉めてほしい…。』

光はブラウスのボタンをふたつほど開けている胸を張って、上目づかいで御幸を見上げた。光の制服の…胸元のボタンを閉めろと言うのだ。あーこれ、覚えてる…。この後御幸は…。

『…えっ…!?』

ぎょっとして息をのんで、一気に顔を赤くして…

『…きゃ…せ、先輩…、』
『え…、あ!うわっ』
『げっ、御幸が鼻血出した!』

一瞬で廊下が騒然となり、牧瀬が笑い出したらしく画面が揺れて、笑い声が響いた。

『やだ…何考えてるんですか…。』
『ち、違うって!!』
『うわ〜〜御幸ちゃんヘンタ〜イ』
『倉持!!!!!』
『きゃははははは!!』
『ちょっ、牧瀬何撮ってんだよ!!』

…今見ると御幸が気の毒すぎる。高校生の男なんて、エロい事で頭ん中いっぱいだってのに。

「うわ〜コレ懐かしいわ〜」
「あ、覚えてました?」
「見て思い出した。」
「そーですか。」

これはまだ二人が付き合う前なんだよ、と牧瀬はえみに補足した。

「あっ!これも面白いですよ。」

牧瀬は二つ目の動画を再生し始めた。学校の近くの土手で、少し前を御幸と光が並んで歩いている。

「ちょっと画質良くなったな」
「この頃はもうスマホでしたんでね。」

ふーん、と相槌を打って、動画に見入る。2人は何かを話している様子もなく、黙々と歩いている。微妙な距離感だ。……と、御幸がそわそわしはじめて、あきらかに落ち着きがなくなってきた。光を意識しまくっているのはわかるが、光の方は変わらず黙々と歩き続けている。
そのとき、御幸がこっそりとポケットから手を出し、おそるおそる、光の手の方に伸ばした。その瞬間、ちょうどそのタイミングで光が何かを指さして話しはじめ、御幸の手は空を切った。牧瀬が笑い出したらしく、揺れる画面の中で、平静を装ってまた手をズボンに突っ込み、光の話に相槌を打つ御幸の姿が見えた。

「お前笑いすぎ。画面揺れて見えねーんだけど」
「しょうがないじゃないですか!これでも堪えたんですよ!」

「すごくお似合い…ですね…。」

気が付くと、えみは頬を赤らめて、羨ましそうに動画に見入っていた。

「この頃から…仲が良かったんですね…。」
「……。」
「……。」
「…いいなぁ…。」
「…言われてますよ倉持さん!」
「は…!?」
「あ…!ち、ちが…そういう意味じゃ…ないです…!」

えみは慌てだしたが、多分、それは本心だろうと苦い気持ちになった。確かに俺たちの間にはどこか遠慮があって、御幸達に比べたら、お互いの事もまだよくわかっていない。えみが御幸夫婦のことをあこがれの対象にしているのはわかっているし、その気持ちもわかるけど…。だからってどうしたらいいか、俺にはわからない。

「お おかわり淹れてきます…。」

えみはそそくさと立ち上がり、キッチンに逃げ込んだ。
牧瀬と二人で取り残されて、気まずく感じるどころかほっとしている自分がいる…。息が詰まるとまで言うつもりはないけど、えみと一緒にいると無意識に気を使ってしまうのは確かだ。結婚相手はドキドキする奴より一緒にいて楽な奴…、とかってよく言うよなぁ〜…。まあ、牧瀬はありえねーけど。

「倉持さん。」
「あ?」
「倉持さんって、エゴサとかします?」
「……。」

御幸とか光のネットニュースはよく見る…つーか、検索しなくてもトップニュースで表示されるから見るけど…。

「しない。」
「え〜なんでですか?気になりません?」
「そういうのに振り回されたくねーんだよ。」
「え〜、意外〜。」
「意外って何だよ。」

また他愛のない話題かと思ったけど、牧瀬は急に少し神妙になって声を低くした。

「えみちゃんは結構そういうの気にしちゃうタイプなんですよ。」
「…はい?」
「だから倉持さんが守ってあげてください。」
「何から?」
「心無い言葉とか!勝手な批評とか!」
「そんなん見なきゃいいだろ。」
「あっヒドイ…。えみちゃんはどーしても気にしちゃう子なんです!倉持さんが一言、誰が何と言おうと愛してるよ、って言ってあげればいいだけなのに。」
「なんだそりゃ…」
「もーバカにして…」

牧瀬が文句を言おうとしたけど、えみが戻ってきたため慌てて口を噤んだ。

「あ、司先輩もおかわりどうですか?」
「ううん、私はそろそろ帰るよ!お邪魔しちゃうから〜」
「じゃ、邪魔だなんて…。」

顔を赤くするえみをかわいがるように抱きしめて、牧瀬は帰って行った。

「あ…。お、お風呂、入りますよね…?」
「あ、いや…、うん…、ごめん…。」
「……。」

えみとふたりきりになって、俺はやっぱりどこか、落ち着かない気分になるのだった。


***


【悲報】倉持洋一と木崎えみが同棲wwwww

001:倉持ついに失恋に終止符

002:木崎えみって誰?

003:>002 モデル

004:3歳差か 結構離れてるな

005:木崎えみってこの子か 可愛いじゃん【画像】

006:倉持にしては美女

007:むしろヤンキーだから面食いだろ倉持は

008:でもさすがに玉城光よりは見劣りするよな

009:玉城光の横に並んで見劣りしない女なんているか?

010:玉城光を諦めた末路は無名モデルかぁ…

011:倉持の成績ならもうちょい上の女狙えるんじゃね?

012:女が野球選手の成績なんて知るかよ

013:正直このモデルも野球選手だから倉持と付き合ってるんだろ

014:野球選手はモデルと結婚しないでほしい 栄養管理とか絶対できない 玉城光は例外だったけど

015:同棲はじめてから倉持の成績落ちたらこの女のせいだろ

016:もともと言うほど成績良いか?

017:>016 足が速いからセーフ

018:木崎えみ地味じゃね?【画像】

019:>018 この画像だと隣の玉城光にしか目が行かないな

020:そう考えるといつも隣にいるのに馴染んでる牧瀬司って何気にスゲエな 見劣りもしないし

021:>020 玉城光は美少女系、牧瀬司はイケメン系だからな 系統が違う

022:>020 むしろレズカップルの噂囁かれて一部に人気が出てるな

023:>022 すげえファンがいたもんだ

024:年下だし気も弱そうだしこんな子に野球選手の妻が務まるのかねぇ

025:倉持は嫁選びミスったな

026:御幸は大当たりだったなぁ

027:御幸は奇跡だろ あんな美女と高校で出会って、しかも料理も美味いし栄養管理完璧だしメジャー行っても支えてくれるし超絶アゲマンだし

028:日本人野球選手の中では断トツでいい嫁もらったよな御幸

029:玉城光の前例があるから木崎えみのハードル上がって可哀そう

030:倉持も玉城光レベルはもう諦めてるだろ

031:妥協して木崎えみとか倉持も贅沢だな

032:まあビジュアルは及第点だな木崎えみ【画像】

033:>032 小顔だしまあまあ可愛いし背も高いな

034:足の速い息子を生んでくれりゃあ文句ないよ

035:いやでもさすがに玉城光に10年近く片想いしてて、ほんとに吹っ切れたのかねぇ…



……なんだこれ。怒りとやるせなさと悲しさで頭の中がぐちゃぐちゃだ。
好き勝手書きやがって…。えみ、これを見たのか?まさか…。
…だからいつも、どんなに仕事で疲れてても、俺の食事を作って…家事も全部一人でやって、文句も言わなくて、俺に気を使ってばかりで。本当に?これのせい?こんな心無い事を言う奴らの為に、認めてもらおうとして?
…俺なんかの為に?

…ガチャ、と部屋のドアが開いた。直後、慌てたような足音で、えみがリビングに飛び込んできた。

「…おかえり。」
「…は、はい…。」

えみは急いで上着と荷物を片付けて、エプロンを掴んだ。

「す、すぐご飯作りますね。遅くなってごめんなさい…、」

その背中を、俺は思い切って、ぎゅっと抱きしめた。

「……っ、え…、よ、洋一さん…?」

小さな体が驚いて震えた。身を硬くするえみを、俺は抱きしめながら…もっとつよく抱きしめた。

「いいよ……」
「…え?」
「いいよ、飯なんて適当で。」
「…で、でも…栄養が…」
「もっと…全部、適当でいいから。気なんて遣うなよ、一緒に暮らしてんのに。」
「……。」
「なんでも完璧にしようとするな。えみに面倒見てもらうために一緒にいるんじゃねーよ、…えみと一緒にいたいから、一緒にいるんだ」
「……。」
「だからさ、もっと…肩の力を抜くって言うか……、」
「……っ」
「…えみ?」

抱きしめているえみの肩が震えて、小さな頭が俯いた。ぐすっ、と鼻を啜る音が聞こえ、俺の胸に突然、むずむずする思いが溢れた。なんていうか、これは…、…そうだ、…愛おしい…っていうか…。

「……うん…。」

えみはやっとの思いで震える声で頷き、くるりとこっちを向いて、俺を抱きしめ返した。ぎゅっと縋るように抱きしめられると、なんか、いつもよりえみが可愛く思えてくる…。

「…えーと…」
「……。」
「…じゃ、今日は出前でも頼むか…」
「……。」

えみが俺の胸でちょっと笑って、こくん、と頷いた。

 


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