「……くん……、一也くん…」
「……ん…?」

名前を呼ばれた気がして重たい瞼を開くと、ひどい頭痛と倦怠感を覚えた。うっすらと開いた眼は眩しさでまたすぐに閉じ、体が揺さぶられるのを感じながらまた無理やり目を開いた。

「一也君…。」

そして目の前で俺の顔を覗き込む尚ちゃんの姿を…ブラウスが肌蹴た格好を見た瞬間、これは夢かと、いや夢であってくれと叫びそうになった。

「……。……えっ!?何だこれ……、え…!?」

俺自身もほとんど服を身に着けておらず、二人して服が脱ぎ散らかされたソファの上に埋もれていた。この状況から察するに、昨夜は……。いやまさか。そんなはずない…のに、何も思い出せない…。尚ちゃんにジュースを作ってもらって、それをふたりで飲んで少しお喋りをして…、それで……。
おかしい…。酒は好きなわけではないけど、日本にいる頃から先輩たちに散々飲まされてきた。昨日のバーベキューで飲んだ量は少なかったと言えるくらいだ。なのに…記憶をなくすほど泥酔してしまうなんて…。こんなこと、今までなかった…。

「一也君、私たち、多分……。」
「……。」

尚ちゃんが気まずそうに打ち明ける。その先は言葉にしなくとも、嫌でもわかった。…嘘だ…信じたくない。

「で、でも私…気にしてないから。」
「…え?」
「私もよく覚えてないの…昨日の夜、私も少し飲んでたから…。覚えてないんだし、なかったことにしましょ。ね?」
「……。」
「光さんがいないときでよかったわ。この話はもうおしまい…。2人の胸にしまっておきましょう。」

尚ちゃんはそう言って、服を直して立ち上がった。

「私、帰るわね。今日…練習でまた、よろしくね。」
「……。」
「本当に気にしないで。」

ひらひらと手を振って、尚ちゃんは逃げるように帰って行く。俺の顔を見るのが気まずいみたいに。そりゃそうだろう…俺だって気まずい。尚ちゃんと…家族みたいな存在だった尚ちゃんと、こんな…。関係を持ってしまうなんて…。それに光にも後ろめたい。とんでもない秘密を作ってしまった…。

俺はとにかくシャワーを浴びてリビングを片付けた。光が時々使うルームフレグランスのスプレーをソファやカーテンにかけて、甘い香りに包まれて顔を顰めた。そしてあらためて、絶望した。…光にどんな顔して会えばいいんだ…。それに、尚ちゃんにも…。

落ち着かずにスマホを手に取って、またぎくりとした。光から5件も電話が入ってる。深夜1時から2時の間に。向こうは昼間だろうけど…光は時差を気にして気を使う方なのに。牧瀬に電話をかけるときはいつも時差を気にしている覚えがある。何か余程の問題が起きたのか…?今、向こうは夕方くらいか…。
意を決してかけ直してみた。するとすぐに、ツー、ツー、という通知音だけが鳴り響いた。
……誰かと電話中か?一度電話を切り、かけ直してこないか数分待ってみる。…こない。
居てもたってもいられなくて、また電話をかけ直した。しかし結果は同じだった。
…嫌な予感が胸をよぎった。……まさか……着信拒否……。

……いやまさか。何で拒否する理由があるんだ。尚ちゃんとの事を知る由もないし……。……ないよな?

胸騒ぎを覚えながらも、他に手立てもなく、出かける準備をしてマンションを出た。
…練習が終わったら、また電話してみるか…。



***


今日は尚ちゃんと顔を合わせずに済んだ…。
正直ほっとした。まあどうせ、近いうちに顔を見るのは避けられないんだけど…。
練習が終わり、マンションに帰ってきて、今日何度目になるかわからない着信の確認をした。しかし光からの電話の履歴はなく、俺は無意味に発着信履歴を開いた。

……あれ?

今日の午前1時頃に…光からの電話の前に、俺から光への発信履歴が残っていた。しかも、数分通話してる…。
…えぇ!?全然覚えてない。つーか、この時間って……尚ちゃんが一緒に居た時間……。

サーッと血の気が引いた。同時に、光に電話がつながらないことやかけなおしても来ないこと、仕事で外泊するときはいつも、毎日電話かメールが入るのに、今日は一度も連絡がないことが頭の中で繋がって、つい眩暈がした。
まさか。うそだろ。俺、光に電話して、何言った…!?
いやでも最悪の想像が頭をよぎる。まさかそんなことはないと信じたいけど……尚ちゃんとの行為の最中に、光に電話なんて外道な真似…してないよな!?まさか、泥酔しててもさすがにそんなことするはずない…!!

倒れそうな気分で光にまた電話をかけた。……待てども待てども出ない。2回、3回…かけても出ない。待て…待て待て待て。嘘だろ、そんな……。
……どうしよう!?

他に誰か、光の様子がわかる奴……。牧瀬…は番号知らないし、光臣……あ、いや、周防!周防だ!あいつならいつ何時かけても出るはず!
俺はすぐに周防の番号に電話をかけた。思った通り、きっかり3回のコールの後、電話がつながった。ずっと光にかけてはツーツー言い続ける通知音を聞かせられていたため、電話がつながっただけで俺はちょっと安堵した。

「周防か!?」
「周防です。」

いつも通りの事務的な声。どうしたのかとか、何の用だとか、そんな質問をわざわざしてこない周防の不愛想さが、今はありがたかった。

「今、光と一緒?」
「いえ。今…朝の5時50分ですので、光さんはまだ眠っているかと思いますが」
「あ…そうか、ごめん…」

そうだった。時差か。

「……。」

周防は用件を聞くでもなく、無言で俺の言葉を待っている。ほんと…ロボットみたいな仕事人間だ。

「……光は……、…昨日の光の様子は?」
「昨日ですか?」

周防の声が少し硬くなった気がした…直後、俺の思考が停止することになった。

「ご主人からの電話を受けた時のことを気にしておられるんですか。」
「……えっ?」

俺からの…電話…。…周防はそのことを知ってるのか…!?

「俺…光に電話した?」
「はい。昨日の朝10時頃ですね。」
「……。」
「やはり、覚えておられないんですね。」
「…え?」

…やはり?

「光さんがショックを受けて電話を落としたため、俺も少し電話を聞きました。」
「……。」
「正直…正気を疑う内容でした。」
「え……ど、どういう…」
「今考えれば、泥酔状態にあったか、昏睡状態にあったか…可能性はありますが」
「……。」
「女性の声で、『私も愛してる』と」
「は…!?」
「そして、『これからもこうして会ってくれるか』と。それに対してあなたは、頷いていました。」
「……。」

周防の事務的な説明は嫌なほどわかりやすかったけど、信じたくない内容だった。尚ちゃんとそんなこと…言ってたのか、俺?しかもそれを光が聞いた…?

「光さんはご主人の電話番号を着信拒否していらっしゃいます。」
「……。」
「仕事に支障をきたさないためだそうです。俺は光さんの意思を尊重します。ですので、伝言等頼まれても対応いたしかねます。」
「……。」
「それでは、申し訳ありませんが打ち合わせの時間ですので、失礼します。」

周防は俺の返事を待たずに電話を切った。
ど……どうしよう……。
……つっても、着信拒否されているのだから、どうしようもない。光臣や倉持に電話をして、事情を話すわけにもいかないし……。
光が日本での仕事を終えて、こっちに帰って来るのを待つしか……。

……。

……最悪だ……。

 


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