2日後、光がアメリカに帰ってきた。俺も完全に休みに入ったため、周防に申し出て光を空港まで迎えに行き、二人でマンションに戻ってきた。心配なのか、周防はSPを乗せた車でマンションの前まで着いてきたけど…光の父親のこともあるし、過去にいろいろあったことを考えれば、今はやりすぎなくらい光を心配するのが正しいと思った。
いつもなら、俺がオフに入るのと合わせて光も休暇を取り、二人で旅行にでも行ってのんびりするのを心待ちにしているのだけど…尚ちゃんのこともあって、今はとてもそんな風には振舞えなかった。光は忘れると言ってはくれたけど、さすがにまだ心に引っかかっているのが見ていてわかる。ああもう…俺はなんて馬鹿な事をしでかしちまったんだ…!
だけどまだ、自分でも信じがたい。きっと二人で酔っ払って眠って、たまたま服を脱ぎ散らかしてしまっただけだ…、…と思いたい。

「シャワー浴びてくる。」
「ああ…うん。」

光は飛行機ではあまり眠れないタイプだから、多分シャワーを浴びた後は仮眠を取るだろう。
そう思って、俺は光が眠る前に時々飲むハーブティーを煮出そうと思いついた。なんか、ご機嫌取りをしているみたいで余計に光の気に障りそうだけど…何もせずうろうろしている気にもなれない。
20分ほどして光がバスルームから出てきた音を聞き、俺はハーブティーを持って寝室に向かった。

「光。」

はい、とティーカップを差し出すと、光は俺の心境を察したように口元だけ微笑んで、ティーカップを受け取った。

「ありがとう。」

光は歩み寄ろうとしてくれてる。最低なことをしたのに…。俺は唇を噛んで、胸の苦しさを堪えた。

「少し寝る。」
「うん…」

空になったティーカップを光の手から抜き取って、横になる光に布団をかけるのを手伝った。光には何でもしてあげたい。光がそれで笑ってくれたら、それ以上の喜びはない。
光の傍にずっといたい。何があっても。

「…おやすみ」
「おやすみ…。」

遮光カーテンを少し閉め、部屋を薄暗くして俺は寝室を出た。
元に戻れるかわからないけど…元に戻るためには、きっと、長い長い時間が必要だろうと思った。


***


光が帰ってきて2週間。俺たちはマンションでのんびり過ごしていた。昼間は俺はジムへ行く以外はマンションで過ごし、光も週に4回スポーツジムと、展覧会や食事に招待されたとき以外は、マンションで過ごしていた。

「健康的なんだか不健康なんだかわかんない生活だなあ〜」

光臣からやっと事情を聞いたらしい牧瀬が、光に電話をかけてきて一通り謝ったり光臣について怒ったり俺たちの心配をした後で、今の俺たちの生活についてそう感想を述べた。

「旅行でも行ってくればあ?」
「…特に今、行きたいところもないし」
「えーじゃ、そのなんとか王国は?」
「アンクレー王国ね。あそこは今、観光客は入国できないはず。」
「え?そうなの?」
「閉鎖的な国だからね。国からの入国許可証が必要なんだって。」
「でも光は呼ばれてるわけでしょ?」
「だから…行ったらややこしいことになるでしょ。王室になんか入るつもりないのに」
「ないの?」
「何言ってるの。ないよ。」
「えー、光が王女様なんてイメージぴったりなのに…」
「司。怒るよ?」
「もう怒ってるぅ…」

二人のテレビ通話の会話を聞きながら、俺はジムに行く準備をしていた。心配だから俺が留守の間は周防かSPに来てもらうことにしていて、もうすぐ周防が来るはずだった。
その矢先に、インターフォンが鳴った。

「周防君かな…。」

光が振り返り、俺がモニターに近づく。俺も周防だと思っていた。だけど、そこに映っていたのは…物々しいスーツの男3人を従えた、ただものではない雰囲気を漂わせている、かなり高級そうなスーツを着た年配の男だった。俺はもちろんそれが誰かを知っていた。

「…光。」

顔を引きつらせて振り向いた俺を見て、光の顔にも緊張が走った。

「お前の…お祖父さん…」
「え?」

まさか、と息を飲んだ顔で光がやってきて、モニターを見た。大丈夫?と牧瀬の声がタブレットから響く。光は踵を返してタブレットの前に戻った。

「司、光臣いる?」
「い、いるよ。ちょっと待ってね。」

そうしている間にもう一度インターフォンが鳴った。

「まだ待って、出ないで。」
「お、おう…」

光に従って、俺は光の傍のソファに座った。

「どうした?」

タブレットから光臣の声がした。

「光臣、今うちに…おじい様が来た」
「……。それは困ったな」

流石光臣、動揺が全く声に現れていない。

「どうしたらいい?」
「……居留守を使っても意味はない。対応するしかないだろうな。」
「そうだよね……」
「俺のことを持ちかけてくるかもしれないが、光は無関係を主張してくれ。何も知らないと言えばいい」
「わかった。」
「おそらく和解を持ちかけてくると思う。だが、王室のことは正面切っては言わないだろう。」
「……。」
「おじい様の狙いは、光と和解をしたあとでアンクレー王国の条件を飲み、王室とのつながりを得ることで俺の買収を阻止すること以外に考えられない。」
「……。」
「何も偽ることはない。今の生活を続けていくとだけ言えばいい。君は何も間違ったことはしていないのだから」
「…うん…」

わかった、と頷いて、光は意を決した顔で通話を終了させた。3度目のインターフォンが鳴った。
光は玄関に歩いていき、開錠ボタンを押して、玄関のドアを開けた。

「なんだ、いたのか。諦めて帰るところだったぞ。」
「……。」

俺も光の後を追って玄関に行くと、光の祖父がニコニコ笑って両手を広げ、再会を喜ぶような仕草をした。

「一也君も、久しぶりだな。」
「…ご無沙汰してます。」

また、何もなかったような顔で…。あんな風に光を勘当したくせに、なんて図太い神経だ。
光の祖父はSPらしき三人のスーツの男を玄関に残し、部屋に上がった。ちょうどそこへ、困惑気味の表情の周防がエレベーターを降りたところで立ち止まり、この状況を観察していることに気が付いた。

「周防君も、ちょっと待ってて。」

光が声をかけると、周防ははい、と頷いて、廊下の隅に立った。ちょっと眉を上げて周防を見た祖父に、光は「仕事のマネージャーです」と言った。

「さて…。」

ソファに深々と座った祖父は、光を見つめる。

「久しぶりだな。元気にしていたようで安心したよ。」
「……。」

光は眉根を寄せて目を伏せた。これまで色々大変なことがあったのだ。そんな一言で片づけるという事は、この祖父が光のことをまるで気にかけていなかったのを告白したのと同じことだった。

「何の御用ですか…。」
「あぁ。…お前たちのことを心配していた。あんな風に、追い出してしまっただろう。本当は結婚も祝福したかった。だけど…家の事情がな。わかるだろう?まぁ、今となっては優秀な光臣のおかげで、何も問題はない。素晴らしい婚約者もいることだしな。玉城家は安泰だ。もっと光臣の力を信じてやるべきだったと…思っている。」
「……。」

白々しい。俺たちが何も知らないと思っているのだろうか?
光臣に下克上されそうで焦っていることや、牧瀬と光臣の婚約を反対したことを…。

「それで…。」
「……。」
「うちに戻ってこないか?光。」
「…どういうことですか?」
「家族が離れているのは良くない。お前のおばあ様も、叔母様も、心配しているよ。」
「……。」
「あの日本の屋敷でまた、家族みんなで暮らすのも悪くないと思わないか?もちろんお前は、ここでの仕事があるだろうが…年に数週間だけでも。そうだ、こんな狭いマンションより、アメリカ南部の私の別荘に越してきてもいいぞ。あの、ブドウ畑と5つの離れがある、お前が気に入っていた農園だ。」
「……。」
「お前の叔母様も今はそこで暮らしてるらしいぞ。光子とお前は、仲が良かったし…あそこなら私も年に数回立ち寄るんだ。今よりも会いやすくなるし、光子と会うのも久しぶりなんじゃないか?」
「……。叔母さまは…月に一度は、必ず会いに来てくれてます。どんなに忙しくても」

それまで黙っていた光が、堪えきれないようにそう呟いた。祖父は驚いたように目を丸くした。

「…そうだったか。やっぱり仲が良いんだな、ははは。」
「私が…倒れた時も、…お腹の子を、失くしたときも…。叔母様は日本まで駆けつけて、傍に居てくれた。私の二人目のお母さんです。数少ない…本当の家族です。」
「お腹の子?」

ちらり、と祖父が光の身体を見、俺を見、部屋の中を見渡した。

「子供ができていたのか?」
「……。…事故で…生まれる前に、亡くなりました」

光の声が震えて、唇を噛む彼女の横顔を見て、肩を抱き寄せた。光の手が俺の背中に回り、シャツに縋りつくように掴まった。

「…そうだったのか。それで…」
「……。」
「大丈夫なのか?」
「…え?」
「まだ子供を産める体なんだろうな?」

光が絶句した。俺もだ。怒りで血の気が引いて、目の前がぐるぐる回った。
何だ、このジジイ…今、光になんて言った?

「……もう二度と産めません。」
「え、光…」

光が何を思ったか、そうぼろぼろと涙をこぼしながら言うと、祖父は長く細いため息とともにソファに背を持たれた。まるで当てが外れたとでも言うように。

「…そうか。わかった。」

祖父は立ち上がり、杖を掴んで帽子をかぶる。

「今日は帰ることにするよ。色々話せてよかった。」

俺と光に一瞥を送り、もう用は済んだとばかりに出て行く祖父。俺はこぶしを握り締めて立ち上がり、その後を追おうとして――光に腕を引き留められた。光はうつ向いて嗚咽を零しながら、頭を横に振った。
俺は光の隣に座り、その体を抱きしめることしかできなかった。どうして…また、光が傷つかなくちゃならないんだ。

「光…、どうしてあんな嘘…。」

あんな、自分で自分を傷つけるような嘘を。俺の胸で泣き崩れる光は、嗚咽を零しながら言った。

「…おじい様の…本当の気持ちを…、…知りたかった…」

本当に光を心配して尋ねてきたのか…、…王室とのつながりの道具としてしか見ていなかったのか。そしてその答えは…

「…もう…二度と、私に会いになんて来ないね…。」

俺は目の前が歪んで、自分の目から涙がこぼれていることに気が付いた。

「光…。」

こんなに身も心も澄んで美しい、優しい、素晴らしい女の子が…。どうして…こんなに傷つけられて…。

「俺はずっと、お前の傍に居る」
「……っ」

強く抱きしめると、光は俺に縋りつくように、両腕で抱きしめ返した。



***



「…そうか。」

俺は今日はジムに行くのをやめて、部屋の前に控えていた周防に少しだけ光を任せて、光臣に電話をかけるため部屋を出た。光の祖父が来ていた間のことを全て話すと、さすがの光臣も沈痛な声で相槌を打った。

「わかった。教えてくれてありがとう。」
「いや…。」

ありがとう、だなんて。まさか光臣に礼を言われるとは思わず、俺はちょっと面食らった。

「だがこれで、おじい様は光から興味を失っただろう。アンクレー国王への当ても外れたと思っているだろうし、近いうちにグループの主導権は予定通り俺に移る。」
「ふうん…」
「光の父親が少し心配ではあるが…勘当されてからは職も金もほとんどないらしいし、国外まで君たちを追いかけていくことはできないだろうから、そっちにいる分には心配ないんじゃないか?」
「…そっか。」
「ところで、一度アンクレー王国に行ってみたらどうだろう。」
「…えっ?」

突然そんなことを言い出す光臣に、相変わらずマイペースな奴だな、と苦笑が浮かんだ。

「なんで?」
「どんな国か、一度実際に見てみるのもいいだろう?観光客をまだ少なからず受け入れていた時期に行った友人は、地上の楽園とまで言ってたぞ。」
「それお前が気になるだけじゃね?」
「それもある。」
「おい。」
「お前は今休みだし、光も休暇を取ってるんだろ?問題ないじゃないか。」
「でも…光は王室と関わるつもりがないから、ややこしくなるから行きたくないって」
「別に、訪問したからと言って提案に応じるわけではない。光の実の母親のこともわかるだろうし、いい機会だと思うが。」
「……。」

それは…確かに。光は実の母親のことは、いい思い出として胸に残ってるみたいだし…。

「お前から光に話してみてくれ。」
「はあ…」
「じゃあな。」

光臣はそれだけ言って電話を切った。俺は頭を掻き、どうしたものかと天井を見上げた。

 


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