287
御幸のマンションで光を待っていると、夕方、マネージャーに送られて光が帰宅してきた。玄関まで見送りに来たマネージャーはそのまま帰って行き、光がひとり、部屋に入ってくる足音が近づいてくる。
「あ…。ただい…」
青い瞳が御幸を見て、隣の俺を見た。
「ま…。」
どうしているの?と目が訴えている。俺はそれに答える代わりに、隣の御幸を見た。
「光…。…話したいことがあるんだけど…。」
「え…?」
何か大事な話なのか、俺がいることと関係があるのか。光はおそらくそんな疑問を抱きながら、御幸に促されてソファに座った。
「……。」
御幸はしばらく辛そうに唇を噛み、しかしやっと、重い口を開いた。
「…今日…、…武藤さんと、会ってきた…。」
「……。」
…どうして?と、物言わぬ光の目が訴えている。御幸もそれに気づいているようだ。
「どうしても、話したいことがあるって言われて…、…倉持に同席してもらった」
「…話したいこと?」
「……。」
見ていて御幸が気の毒になるような、だけど腹も立つような憔悴っぷりで、でも俺は御幸の告白を聞いた後の光が心配でたまらず、目が離せなかった。
「……武藤さん……が」
「……。」
「……妊娠、したかも、しれない」
光は何も言わず、その青い瞳はゆっくりと手元に視線を落とし……そのまま様子を見ていると、違和感に気付いた瞬間、光は涙をボロボロ零し、呼吸を荒げて胸を上下させ、過呼吸に陥って倒れ込んだ。
「光!!」
「っ…!!」
飛び出して行って光を抱きとめ、動揺している御幸を怒鳴りつける。
「何してんだ袋!!何でもいいから!!」
怒鳴りつけると、御幸は思い出したように駆けだして、キッチンのカウンターに置かれた紙袋の中身をひっくり返して放り出しながら紙袋を持って戻ってきた。俺は紙袋で光の口を抑え、声をかけた。
「光!大丈夫だから、ゆっくり息しろ」
「……。」
「そうだ、大丈夫…、大丈夫だから」
涙で濡れた頬を撫でながら光の息が整うのを待って、やがて光の手がもう大丈夫だというように俺の手に重なって、袋を下した。
「…はっ…、…はぁ…。」
光はまだ青い顔で呆然としながら、時々思い出したように涙を拭った。
「……。」
御幸は声をかけられないままでいる。
「…う……。」
やがて光の肩が震えたかと思うと、小さく嗚咽が零れ、光はぎゅっと目を瞑って俯き、とめどなく涙をこぼしながら泣き出した。
「うっ…。うぅ……」
御幸が青い顔で手を伸ばしかけたのを、俺は睨んでけん制し、光の肩を抱いた。光はボロボロに泣きながら、俺に肩を抱かれたまま抵抗しなかった。
「…ど…っ、…どうする…の?」
光はしゃくりをあげながら、涙を流すまま御幸を見上げて尋ねる。
「……。」
御幸は何も言えないまま、御幸自身も泣き出しそうな顔で、頭を抱えるように目元を手で覆った。御幸が乾いた嗚咽を零すのを聞いて、光も耐えられない様子でまた泣きだした。
どうしたものかと…俺も胸が苦しくなりながら、なすすべなく天井を見上げた。そして…そこにある物が目に留まった。
「…おい」
「……。」
「……。」
「…なぁ、おいって」
「……。」
俺の呼びかけに、光と御幸はボロボロの顔で振り返る。
「あれさ…」
俺が指さしたのは、リビングの入り口天井に取り付けられた防犯カメラ。
「本当は何があったのか、あれを見ればわかるんじゃねぇの?」
***
御幸がパソコンで防犯カメラの録画記録再生ソフトを起動し、3人でパソコンの前に並んだ。日付と時刻を設定し、再生ボタンを押す。誰もいない、明るいエレベーターホールと廊下が映し出された。まだ御幸は帰ってきていないようだ。
「……。」
「……。」
御幸も光も緊張した面持ちで画面を見つめている。
少し早送りしていくと、深夜0時に差し掛かった頃、エレベーターのドアが開いた。
「あ…。」
御幸が声を零した。エレベーターから降りてきたのは武藤尚だった。武藤尚は御幸たちの部屋のドアの前まで歩いていき、インターフォンを押したかと思うと、そこの壁に背を持たれた。まるでこれからあてもなく人を待つみたいに。
「御幸がいなかったんだな。」
「……。」
「この日はチームメイトの家で、食事に誘われてて…0時頃に帰った…と思う」
御幸の言葉通り、0時を少し過ぎた頃、またエレベーターのドアが開いて御幸が出てきた。御幸が武藤尚を見つけ、ちょっと足を踏みとどまったのが分かった。
『こんばんは。』
武藤尚は構わず歩み寄っていく。
『えっ…な、何?どしたの?』
『おすそわけ。…あはは、警戒しないでよ。昔みたいに、ちょっと弟の世話を焼きたくなっただけ。』
『……。』
『光さんがいないから、栄養が偏っちゃうかなと思って。野菜の常備食をいくつか。ハイ。』
『いや、でも…』
『…受け取ってよ。じゃないと、なんか変な感じじゃない?』
「……。」
「……。」
「……。」
…なんか…俺まで緊張してきた…。まだそんなやましいとこはねーのに。
御幸は少し迷った末に、遠慮がちに、結局紙袋を受け取った。
『…ありがとう。』
『こちらこそ。…恥ずかしいんだけど、これでこの間のこと、水に流してほしいかなって…。』
『え?』
『一也君と気まずくなるの、嫌だもの。確かにちょっと、あなたにドキドキしたこともあったわ。年頃だったからね。でも、ほら…わかるでしょ?婚約者のこと…思い出して、ちょっと寂しかっただけ。ねっ。』
『そっか…。』
『バーベキューしてきたんでしょう?すごくお酒臭いわよ。』
『はっはっは…勧められちゃって…』
『ふふ、もう…明日大丈夫?』
『なんとか…。』
『二日酔い対策のドリンク作ってあげましょうか?』
『え…、』
『実はこんなこともあろうかと、材料持ってきたの。』
なんだかんだと言われ、これを理由に押し切られ、御幸は武藤尚を部屋に入れてしまった。これが運命の分かれ道だったようだ。光は黙って、じっと映像を見つめている。御幸の顔には不安が滲み始めている。
部屋に入った二人は少し話した後、武藤尚はキッチンで飲み物を作り始め、御幸はシャワーを浴びに行った。面白くないだろうに、光は気丈にも涙で濡れたままの目で睨みつけるように映像を見つめ続けている。
「…今の」
「え?」
光が、ぽつりと呟いた。
「10秒戻して」
「お、おう」
「…ほら」
光の桜貝みたいな爪の先が、映像の中の武藤尚を指さした。
「こっちのコップにだけ、何か入れた」
「え?」
「あ…マジだ」
武藤尚は小さな小瓶から何かの液体を片方のグラスにだけ入れ、かきまぜた。その少し後に御幸がバスルームから出てきて、何かを入れた方のグラスを勧められ、一気に飲み干した。
「……。」
武藤尚への疑惑が高まった。まさか…御幸に何かを盛った?この夜の記憶がないのもそのせい?
それから二人はソファに並んで座り、話し始める。どことなく御幸の表情は締まりがなく、時々眠そうに目を擦る。
『奥さんとよくお酒飲んだりするの?』
『いや、光は酒弱いからあんまり…。時々かな。』
『へ〜、そうなんだ。一也君は?お酒好き?』
『んー…まぁ普通に…付き合い程度かな。』
『そうなの。』
武藤尚にまだ帰る気配はない。他愛もない、どうでもいい話までし始める始末だ。
『奥さんとの出会いはどんな感じだったの?」』
『え〜なんでそんなこと聞くんだよ。』
『気になるじゃない?』
『恥ずいって。』
『いいじゃない、教えてよ。』
『……。…俺が知らない後輩に、呼び出されたときに…』
『あら。やっぱり一也君ってモテモテだったんだ?』
『いやいや…。…で、光も知らない先輩に呼び出されてて』
『へぇ〜〜。』
『お互い呼び出された相手だと勘違いして…俺が声かけて、でなんかおかしいってことになって…』
『ふふふふ。』
『誤解はすぐ解けたけど。で、なんか面白い子だな〜って…』
『しかも可愛いし?』
『やめてってば…』
『うふふふ。』
御幸がほんの少しだけ安堵したように姿勢を正した。
確かに…御幸が武藤尚に気があれば、こんな話はしないだろう。
『ねぇねぇ、じゃあ、告白はどんな感じでしたの?』
『…え〜〜〜もう勘弁してくれよ…』
『いいじゃない。ね、教えて教えて。』
『はは…。えーと…なんか…あの時はちょっと、光と気まずくなってて…』
『どうして?』
『ん〜今思うと…お互い意識しすぎてたって言うか。』
『あら〜…それで?』
『で、なんか避けられるのが嫌…嫌っていうか、もう気まずくなるくらいなら告っちまえと思って』
『一也君らしい。』
『まぁ…、付き合って、って言って…。』
『オッケーだったんだ?』
『う、うん…』
「……。」
「……。」
御幸と光の頬が少し赤くなった。
『からかわないでよ。』
『だって…うふふ。いつも飄々としてる一也君が照れるなんて、レアだもの。』
『……。』
『でもいいなぁー。そんな青春、私もしてみたかったなぁ〜…』
隣に座って話してはいるものの、お互いの体に触れることもないし、一定の距離も保っている。
『…ねえ、これは私の勘なんだけど…』
『ん?』
『気を悪くしないでね。』
『…うん?』
『あの…倉持さんっているじゃない?』
『ああ、倉持?』
『仲良いでしょう?』
『…まー高校からの腐れ縁って感じかな』
『光さんとも、付き合い長いんでしょう?』
『……それが?』
『うん…あのさ、倉持さんって、光さんのこと…?』
『あー…、昔、ちょっとな。でも、もう倉持も彼女と同棲してるし。』
『あら、そうなの?』
『まぁ一時期マジで焦った時あったけど…』
『え?どういうこと?』
『結婚前、倉持が光にマジ惚れしてた時期があって…』
『それで?』
『俺と光がちょっと…モメてた時期だったから、マジで奪われるかと…』
「…テメェ何話してんだよ」
「酔ってたんだよ…」
「……。」
『…光さんも倉持さんが好きだったの?』
『…多分…惹かれる気持ちはあったと思う』
「……。」
「……。」
俺はつい隣の光の横顔を見た。光は視線を手元に落とし、唇を噛んだ。御幸はまっすぐに映像を見つめている。
『けど…絶対失いたくなかった…。』
『……。』
『俺…光を愛してるんだ。…すごく…。』
光が手を握りしめ、顔を上げた。
映像の中の御幸は、もうほとんど目を閉じて、うとうとしていた。
『……。』
その顔を覗き込んで、武藤尚は御幸の身体に手を伸ばした。ポケットから何かを抜き取り、操作して、また御幸の顔を見つめた。
『…愛してる?』
『愛してる…。…ずっと…』
『……。』
武藤尚は一瞬唇を引き結び、だけど畳みかけるように言った。
『…私も愛してる。…私も…』
『……。』
『…愛してる…。』
『……。』
『これからも…こうして会ってくれる?』
もう眠ってしまったかと思われた御幸が、うわ言のように呟いた。
『…あぁ…。』
「……。」
光は息を飲んで、一筋、頬に涙をこぼした。あの電話は誤解だった…。
それからの映像には、武藤尚が御幸の服を脱がし、自らの服も乱してソファに横たわる姿が記録されていた。だけど、武藤尚が言っていた…妊娠するような行為は、その後夜が明けるまで、一切記録されていなかった。
「……っ」
ぽたぽたと涙をこぼし、安堵したように息を吐く光。御幸も脱力したようにソファに座りなおし、まだ少し呆然としている。
「…なんで…あんな嘘…。」
御幸が呟いて、そうだ、と思った。こうなると武藤尚の狙いが気になるし、ここまでするのかと恐ろしくなる。
「ごめんなさい」
光が泣きじゃくりながら御幸に縋りついた。
「一也さんのこと…信じてあげられなかった」
「……。」
「…っ、ごめんなさい…。」
その光の身体を御幸は抱きしめた。今度こそ後ろめたい気持ちなく、心からの愛おしさを込めて。
「いいよ…誤解されるようなことして、ごめん」
「……。」
抱き合って仲直りをする二人に咳ばらいをし、俺は映像を指さした。
「で、どうすんだよ武藤さんは。」
「……。」
「……。」
御幸と光は顔を見合わせた…かと思うと、御幸はやっといつも通りの落ち着いた顔に戻った。
「…俺から話す。この映像のこと」
「一也さん…」
光が不安そうに御幸を見て、肩に触れた。
「大丈夫だよ。」
御幸は微笑んで光の頭を撫で、優しい声で言った。
「倉持も連れていくから。」
「……オイ」
「だって二人で会うわけにはいかねーし、光をそんな危ない目には会わせらんねーだろ。」
「俺は良いのかよ。」
「お前以外に誰がいんの?」
「…クソ野郎」
「……。」
光は御幸を見つめ、また抱きしめた。抱きとめた御幸は宥めるように光の背中を撫でた。
光はしばらく肩を震わせて、御幸の体温を、存在を、安堵感を…確かめるように強く強く抱きしめ、御幸の肩口に顔を埋めていた。
「あ…。ただい…」
青い瞳が御幸を見て、隣の俺を見た。
「ま…。」
どうしているの?と目が訴えている。俺はそれに答える代わりに、隣の御幸を見た。
「光…。…話したいことがあるんだけど…。」
「え…?」
何か大事な話なのか、俺がいることと関係があるのか。光はおそらくそんな疑問を抱きながら、御幸に促されてソファに座った。
「……。」
御幸はしばらく辛そうに唇を噛み、しかしやっと、重い口を開いた。
「…今日…、…武藤さんと、会ってきた…。」
「……。」
…どうして?と、物言わぬ光の目が訴えている。御幸もそれに気づいているようだ。
「どうしても、話したいことがあるって言われて…、…倉持に同席してもらった」
「…話したいこと?」
「……。」
見ていて御幸が気の毒になるような、だけど腹も立つような憔悴っぷりで、でも俺は御幸の告白を聞いた後の光が心配でたまらず、目が離せなかった。
「……武藤さん……が」
「……。」
「……妊娠、したかも、しれない」
光は何も言わず、その青い瞳はゆっくりと手元に視線を落とし……そのまま様子を見ていると、違和感に気付いた瞬間、光は涙をボロボロ零し、呼吸を荒げて胸を上下させ、過呼吸に陥って倒れ込んだ。
「光!!」
「っ…!!」
飛び出して行って光を抱きとめ、動揺している御幸を怒鳴りつける。
「何してんだ袋!!何でもいいから!!」
怒鳴りつけると、御幸は思い出したように駆けだして、キッチンのカウンターに置かれた紙袋の中身をひっくり返して放り出しながら紙袋を持って戻ってきた。俺は紙袋で光の口を抑え、声をかけた。
「光!大丈夫だから、ゆっくり息しろ」
「……。」
「そうだ、大丈夫…、大丈夫だから」
涙で濡れた頬を撫でながら光の息が整うのを待って、やがて光の手がもう大丈夫だというように俺の手に重なって、袋を下した。
「…はっ…、…はぁ…。」
光はまだ青い顔で呆然としながら、時々思い出したように涙を拭った。
「……。」
御幸は声をかけられないままでいる。
「…う……。」
やがて光の肩が震えたかと思うと、小さく嗚咽が零れ、光はぎゅっと目を瞑って俯き、とめどなく涙をこぼしながら泣き出した。
「うっ…。うぅ……」
御幸が青い顔で手を伸ばしかけたのを、俺は睨んでけん制し、光の肩を抱いた。光はボロボロに泣きながら、俺に肩を抱かれたまま抵抗しなかった。
「…ど…っ、…どうする…の?」
光はしゃくりをあげながら、涙を流すまま御幸を見上げて尋ねる。
「……。」
御幸は何も言えないまま、御幸自身も泣き出しそうな顔で、頭を抱えるように目元を手で覆った。御幸が乾いた嗚咽を零すのを聞いて、光も耐えられない様子でまた泣きだした。
どうしたものかと…俺も胸が苦しくなりながら、なすすべなく天井を見上げた。そして…そこにある物が目に留まった。
「…おい」
「……。」
「……。」
「…なぁ、おいって」
「……。」
俺の呼びかけに、光と御幸はボロボロの顔で振り返る。
「あれさ…」
俺が指さしたのは、リビングの入り口天井に取り付けられた防犯カメラ。
「本当は何があったのか、あれを見ればわかるんじゃねぇの?」
***
御幸がパソコンで防犯カメラの録画記録再生ソフトを起動し、3人でパソコンの前に並んだ。日付と時刻を設定し、再生ボタンを押す。誰もいない、明るいエレベーターホールと廊下が映し出された。まだ御幸は帰ってきていないようだ。
「……。」
「……。」
御幸も光も緊張した面持ちで画面を見つめている。
少し早送りしていくと、深夜0時に差し掛かった頃、エレベーターのドアが開いた。
「あ…。」
御幸が声を零した。エレベーターから降りてきたのは武藤尚だった。武藤尚は御幸たちの部屋のドアの前まで歩いていき、インターフォンを押したかと思うと、そこの壁に背を持たれた。まるでこれからあてもなく人を待つみたいに。
「御幸がいなかったんだな。」
「……。」
「この日はチームメイトの家で、食事に誘われてて…0時頃に帰った…と思う」
御幸の言葉通り、0時を少し過ぎた頃、またエレベーターのドアが開いて御幸が出てきた。御幸が武藤尚を見つけ、ちょっと足を踏みとどまったのが分かった。
『こんばんは。』
武藤尚は構わず歩み寄っていく。
『えっ…な、何?どしたの?』
『おすそわけ。…あはは、警戒しないでよ。昔みたいに、ちょっと弟の世話を焼きたくなっただけ。』
『……。』
『光さんがいないから、栄養が偏っちゃうかなと思って。野菜の常備食をいくつか。ハイ。』
『いや、でも…』
『…受け取ってよ。じゃないと、なんか変な感じじゃない?』
「……。」
「……。」
「……。」
…なんか…俺まで緊張してきた…。まだそんなやましいとこはねーのに。
御幸は少し迷った末に、遠慮がちに、結局紙袋を受け取った。
『…ありがとう。』
『こちらこそ。…恥ずかしいんだけど、これでこの間のこと、水に流してほしいかなって…。』
『え?』
『一也君と気まずくなるの、嫌だもの。確かにちょっと、あなたにドキドキしたこともあったわ。年頃だったからね。でも、ほら…わかるでしょ?婚約者のこと…思い出して、ちょっと寂しかっただけ。ねっ。』
『そっか…。』
『バーベキューしてきたんでしょう?すごくお酒臭いわよ。』
『はっはっは…勧められちゃって…』
『ふふ、もう…明日大丈夫?』
『なんとか…。』
『二日酔い対策のドリンク作ってあげましょうか?』
『え…、』
『実はこんなこともあろうかと、材料持ってきたの。』
なんだかんだと言われ、これを理由に押し切られ、御幸は武藤尚を部屋に入れてしまった。これが運命の分かれ道だったようだ。光は黙って、じっと映像を見つめている。御幸の顔には不安が滲み始めている。
部屋に入った二人は少し話した後、武藤尚はキッチンで飲み物を作り始め、御幸はシャワーを浴びに行った。面白くないだろうに、光は気丈にも涙で濡れたままの目で睨みつけるように映像を見つめ続けている。
「…今の」
「え?」
光が、ぽつりと呟いた。
「10秒戻して」
「お、おう」
「…ほら」
光の桜貝みたいな爪の先が、映像の中の武藤尚を指さした。
「こっちのコップにだけ、何か入れた」
「え?」
「あ…マジだ」
武藤尚は小さな小瓶から何かの液体を片方のグラスにだけ入れ、かきまぜた。その少し後に御幸がバスルームから出てきて、何かを入れた方のグラスを勧められ、一気に飲み干した。
「……。」
武藤尚への疑惑が高まった。まさか…御幸に何かを盛った?この夜の記憶がないのもそのせい?
それから二人はソファに並んで座り、話し始める。どことなく御幸の表情は締まりがなく、時々眠そうに目を擦る。
『奥さんとよくお酒飲んだりするの?』
『いや、光は酒弱いからあんまり…。時々かな。』
『へ〜、そうなんだ。一也君は?お酒好き?』
『んー…まぁ普通に…付き合い程度かな。』
『そうなの。』
武藤尚にまだ帰る気配はない。他愛もない、どうでもいい話までし始める始末だ。
『奥さんとの出会いはどんな感じだったの?」』
『え〜なんでそんなこと聞くんだよ。』
『気になるじゃない?』
『恥ずいって。』
『いいじゃない、教えてよ。』
『……。…俺が知らない後輩に、呼び出されたときに…』
『あら。やっぱり一也君ってモテモテだったんだ?』
『いやいや…。…で、光も知らない先輩に呼び出されてて』
『へぇ〜〜。』
『お互い呼び出された相手だと勘違いして…俺が声かけて、でなんかおかしいってことになって…』
『ふふふふ。』
『誤解はすぐ解けたけど。で、なんか面白い子だな〜って…』
『しかも可愛いし?』
『やめてってば…』
『うふふふ。』
御幸がほんの少しだけ安堵したように姿勢を正した。
確かに…御幸が武藤尚に気があれば、こんな話はしないだろう。
『ねぇねぇ、じゃあ、告白はどんな感じでしたの?』
『…え〜〜〜もう勘弁してくれよ…』
『いいじゃない。ね、教えて教えて。』
『はは…。えーと…なんか…あの時はちょっと、光と気まずくなってて…』
『どうして?』
『ん〜今思うと…お互い意識しすぎてたって言うか。』
『あら〜…それで?』
『で、なんか避けられるのが嫌…嫌っていうか、もう気まずくなるくらいなら告っちまえと思って』
『一也君らしい。』
『まぁ…、付き合って、って言って…。』
『オッケーだったんだ?』
『う、うん…』
「……。」
「……。」
御幸と光の頬が少し赤くなった。
『からかわないでよ。』
『だって…うふふ。いつも飄々としてる一也君が照れるなんて、レアだもの。』
『……。』
『でもいいなぁー。そんな青春、私もしてみたかったなぁ〜…』
隣に座って話してはいるものの、お互いの体に触れることもないし、一定の距離も保っている。
『…ねえ、これは私の勘なんだけど…』
『ん?』
『気を悪くしないでね。』
『…うん?』
『あの…倉持さんっているじゃない?』
『ああ、倉持?』
『仲良いでしょう?』
『…まー高校からの腐れ縁って感じかな』
『光さんとも、付き合い長いんでしょう?』
『……それが?』
『うん…あのさ、倉持さんって、光さんのこと…?』
『あー…、昔、ちょっとな。でも、もう倉持も彼女と同棲してるし。』
『あら、そうなの?』
『まぁ一時期マジで焦った時あったけど…』
『え?どういうこと?』
『結婚前、倉持が光にマジ惚れしてた時期があって…』
『それで?』
『俺と光がちょっと…モメてた時期だったから、マジで奪われるかと…』
「…テメェ何話してんだよ」
「酔ってたんだよ…」
「……。」
『…光さんも倉持さんが好きだったの?』
『…多分…惹かれる気持ちはあったと思う』
「……。」
「……。」
俺はつい隣の光の横顔を見た。光は視線を手元に落とし、唇を噛んだ。御幸はまっすぐに映像を見つめている。
『けど…絶対失いたくなかった…。』
『……。』
『俺…光を愛してるんだ。…すごく…。』
光が手を握りしめ、顔を上げた。
映像の中の御幸は、もうほとんど目を閉じて、うとうとしていた。
『……。』
その顔を覗き込んで、武藤尚は御幸の身体に手を伸ばした。ポケットから何かを抜き取り、操作して、また御幸の顔を見つめた。
『…愛してる?』
『愛してる…。…ずっと…』
『……。』
武藤尚は一瞬唇を引き結び、だけど畳みかけるように言った。
『…私も愛してる。…私も…』
『……。』
『…愛してる…。』
『……。』
『これからも…こうして会ってくれる?』
もう眠ってしまったかと思われた御幸が、うわ言のように呟いた。
『…あぁ…。』
「……。」
光は息を飲んで、一筋、頬に涙をこぼした。あの電話は誤解だった…。
それからの映像には、武藤尚が御幸の服を脱がし、自らの服も乱してソファに横たわる姿が記録されていた。だけど、武藤尚が言っていた…妊娠するような行為は、その後夜が明けるまで、一切記録されていなかった。
「……っ」
ぽたぽたと涙をこぼし、安堵したように息を吐く光。御幸も脱力したようにソファに座りなおし、まだ少し呆然としている。
「…なんで…あんな嘘…。」
御幸が呟いて、そうだ、と思った。こうなると武藤尚の狙いが気になるし、ここまでするのかと恐ろしくなる。
「ごめんなさい」
光が泣きじゃくりながら御幸に縋りついた。
「一也さんのこと…信じてあげられなかった」
「……。」
「…っ、ごめんなさい…。」
その光の身体を御幸は抱きしめた。今度こそ後ろめたい気持ちなく、心からの愛おしさを込めて。
「いいよ…誤解されるようなことして、ごめん」
「……。」
抱き合って仲直りをする二人に咳ばらいをし、俺は映像を指さした。
「で、どうすんだよ武藤さんは。」
「……。」
「……。」
御幸と光は顔を見合わせた…かと思うと、御幸はやっといつも通りの落ち着いた顔に戻った。
「…俺から話す。この映像のこと」
「一也さん…」
光が不安そうに御幸を見て、肩に触れた。
「大丈夫だよ。」
御幸は微笑んで光の頭を撫で、優しい声で言った。
「倉持も連れていくから。」
「……オイ」
「だって二人で会うわけにはいかねーし、光をそんな危ない目には会わせらんねーだろ。」
「俺は良いのかよ。」
「お前以外に誰がいんの?」
「…クソ野郎」
「……。」
光は御幸を見つめ、また抱きしめた。抱きとめた御幸は宥めるように光の背中を撫でた。
光はしばらく肩を震わせて、御幸の体温を、存在を、安堵感を…確かめるように強く強く抱きしめ、御幸の肩口に顔を埋めていた。