「あ…やべ」

寮の部屋で見つけた書類を見て頭を掻く。

「親のサインもらうの忘れてた」
「何ですかそれ?」

林が振り返る。

「今度の親善試合の…なんかの承諾書。やべー、提出明後日だわ」
「郵便じゃもう間に合わないですね…」
「明日の午後ちょうどオフだし…直接行ってくる」
「先輩のご実家、近いんですか?」
「まぁ、通えなくもない距離だな」
「そうなんですか」

自分の事のように心配している林をよそに、携帯電話を片手に部屋を出る。人気のない倉庫の裏へ行って、実家の固定電話に電話をかけた。…出ない。電話を切って、携帯電話の方にかけてみる。しばらくコールが続いたが、諦めかけた頃、呼び出し音が途切れた。

『もしもし。一也か?』
「うん。ごめん、忙しい?」
『まぁ少し…』
「まだ仕事してんの?」

街灯の傍の時計を見上げる。時間はもう深夜を回ろうとしている。

『ちょっと今週は立て込んでてな。』
「そうなんだ…」
『何かあったのか?』

少し言い出しづらくなったが、仕方ない。

「…あー…、あのさ。サインもらう書類のこと、忘れてて。郵便じゃもう間に合わねーから、明日一旦帰ろうと思ったんだけど…」
『明日…明日か』
「無理?」
『…いや、5時頃なら少し家に戻れる。またすぐに出なきゃならないけど…それでいいか?』
「うん。ごめん。じゃ、明日そのくらいに帰るから。」
『わかった。気をつけてな』

電話を切りかけて、あ、と低い声がつながり、慌ててまた耳に当てる。

「何?」
『そういえば、新聞でお前の記事見たぞ。』
「え……。」

ギクリとする。まさか…

『彼女ができたんだって?』
「あー…それ…」
『いつ紹介してくれるんだ?』

思わずため息を吐く。この間のことがあったから、最近の取材で思い切って「恋人はいます」と答えたのだった。もう記事になっているとは…。野球のことを記事にしろよ、全く…。

『同じ学校の子か?』
「まぁ…」
『どんな子なんだ?』
「…もう、いいだろその話は…。じゃあ、明日行くから。おやすみ。」

返事を待たずに電話を切る。まいった…。
…それにしても、ずいぶん忙しいんだな。体壊さなきゃいいけど…。

部屋に戻ろうとしたが、携帯の着信音で足を止めた。妙なタイミングだ。誰だろうと画面を見る。そこには、光という名前が表示されていた。

「もしもし、光?」

電話なんて珍しい。しかもこんな時間に。焦り気味に電話に出ると、向こうからは静かな声が返ってきた。

『…早。』

確かに、ワンコールで出たかもしれない…。急に恥ずかしくなって、俺は口ごもる。

「…えっと。どうしたんだよこんな時間に。」
『えぇ?』

…ん?俺、何か忘れてたっけ?

『明日の午後オフだから会おうって言ったの、先輩じゃないですか。忘れてたんですか?』
「あ…」

そうだった…ヤベェ。

『通りで何の連絡もないと思いました。』

あーあ、完全にすねてやがるな…俺のせいだけど。

「ごめん。マジでごめん。実は…」

俺は事情を説明する。電話の向こうの光は静かに聞いている。…やっぱ怒ってるのか?

「…つーわけで、明日は会えない。本当にごめん。」

溜息が聞こえた。うっ…胸が痛い。

『わかりました。じゃあ…』

おやすみなさい、という光の声を遮って、俺は思わず口を開いた。

「い、一緒に来るか?」
『……は?』
「…な、なんつって」

うわあ、もう、馬鹿。突然すぎるだろ。ありえねーって…光も引いて…

『…いいんですか?』

…予想に反して嬉しそうな声が返ってきて、俺は戸惑う。え、まじで…?俺の家に来るの?光が?
…親父に…紹介?

「う…うん」
『……。』
「あ、いや、でも、親父にサインもらいに行くだけだけど…ほんとに」
『……。』

何だこの沈黙……!くそ、変な汗かいてきた。

『……先輩が良いなら…』
「お、俺はもちろん良いけど…」

つか誘ったの俺だし…。

『…じゃあ…行きます』

……まじか!!?

「そ、そっか。じゃあ明日、学校終わったらそっちの教室行くから…」
『…はい。じゃ、おやすみなさい。』

…とんでもないことになった。
いや、でも、いつかは…そう、いつかはあることだろ。って、そんな風に考えんのって重いのか…?
あーわかんねえ。まあいいや、本人が行くって言ってんだから。親父にはぐらかした直後だから、気まずくはあるけど…。
俺は部屋に戻り、さっさと寝ることにした。


***


翌日、午前の授業を終えて2年の教室に向かう。今日は午前放課なのだ。
廊下を進んでいくと、そこにはすでに荷物を持った光が待っていた。

「廊下で待ってたのか?」

寒いし中で待ってればいいのに…、と言いかけたが、光は俺の腕を掴んで急ぐ様子で歩き始めた。

「先輩が来ると騒ぎになるんですよ…早く行きましょう」

なるほど。
俺は腕を掴まれ、昇降口へと急いだ。


光は駅で手土産を買い、2人で電車に乗り込む。

「そんなのいいのに」

と言ったが、

「だめです」

とぴしゃりと言い返された。
電車内は混んでいて、俺たちはドア付近に立つ。傍には高い位置のつり革しかなく、俺が吊り革を持つと、光は俺に掴まってきた。こんなに密着するのは久しぶりで、なんだか緊張する。

電車が揺れて、光が少しよろけた。

咄嗟に背中に手を回し、抱き寄せる。光の右足が、俺の足の間に入り込む。…なんか変な気分になってきた。くそ、早く着かねえかな。
光の背中にまわした手のひらに、柔らかい肌の感触が伝わってくる。コート越しだというのに、男とは全く違う、華奢で柔らかい体だとわかる。邪な考えばかりが浮かんでどうしようもなく、俺はさりげなく手を離す。しかし、そうすると今度は太腿に擦れる足の感触に意識がいってしまう。
俺は昨夜見たスコアブックの内容を必死に思い出していた。やっぱあそこは変化球を挟むべきだな。ワンパターンすぎて相手に読まれてる。それか少し外して…
すると光が何やらもぞもぞと動いた。なんだろうと見ると、手荷物を腕に通し直して両手をあけ、俺にしっかりと抱きついてきたのだった。腹の上あたりに当たる柔らかい二つの膨らみ。うおお、マジか…。俺はたまらず天井を見上げた。

「え…どうしたんですか?」

何してんだ、とでもいいたげな、少し呆れたような光の声がする。

「いや別に」

俺は精一杯強がって平静を装うのだった。

 


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