翌朝、朝食の部屋に光と一緒に向かうと、すでに光臣と牧瀬、倉持が揃っていた。

「おはよ〜。」
「おはよう。」

おはよう、おはよう、と挨拶が上がり、全員が席に着いたところで朝食が運ばれる。

「今日は観光だったな。」

光臣がパンをちぎりながら口を開いた。

「この国自体はとても小さいから、車なら3時間もあれば国内を一周できるみたいだ。」
「へー、そうなんだ…」
「まあ、車のあてはないんだけどな。」
「ないのかよ」
「仕方ないだろう、レンタカーなんて観光事業があるはずもないし、王室の車を借りるわけにもいかない。」

さすが光臣はそういう世界で生きてきたからか、身分の違いやそのための振る舞いに人一倍気を遣っているらしかった。それに対しそんなものとは無縁の世界で生きてきた倉持は、言えば貸してくれるんじゃね?などと失礼極まりないことを言って光臣に呆れた目で睨まれている。

「だが、国土のほとんどは国民の居住区域だから、単なる観光なら徒歩でも十分だ。」
「観光できるところだと何があるの?」
「中世の時代から受け継がれてきた建造物と自然の融合は、それだけで見る価値がある。そして領土の中心部を占める大きな湖。そのほとりにある、この国を開拓した騎士団が本拠地にしていたと言われる聖アンクレーの砦跡、この国唯一の教会である聖エイレシアン大聖堂、南部にある豊かなブドウ畑とそのブドウを酒蔵しているワイナリー、この国の職人が開く様々な店が集まるカロア広場…などがあるな」
「すげえ詳しいじゃんお前」
「執事長に聞いた。」

いつの間にそんな調査を…。やっぱり光臣って抜け目がない。

「広場の店は大体昼前に開くらしいから、ここから一番近い聖アンクレーの砦跡から見に行こう」
「どの辺にあるの?」
「表の湖を南に向かって沿って行くと、徒歩で10分ほどかかるらしい」
「近いな」

倉持がうんうん頷いて、朝食の後はそこへ向かうことになった。



***



朝食を終えて各々準備をし、お城を出ると、外には馬車が停まっていて、傍らには見覚えのある少女が立っていた。
柔らかな金髪に淡い青の透き通るような瞳。雪のように真っ白な肌にバラ色の頬と唇。なんとなく光の面影をのぞかせる可愛らしい少女だ。

『イリシア王女。』

光が驚いて声をかけた。あの子は昨日会った…光の従妹にあたる、この国の王女様だ。

『光さん。皆さん。』

イリシア王女は光に微笑んでから俺たちにも順番に微笑みを向けた。

『おはようございます。昨夜はよく眠れましたでしょうか?』
『はい、とても。とても静かでお部屋も素晴らしく、夢のような心地でした』
『うふふ…夜は静かでいいけれど、この国は楽しいお店や催し物が何もないでしょう?』

「静か」というところを王女が謙遜してそう言うと、光臣が進み出てほほ笑んだ。

『それを超えるすばらしいものがこの国にはあります、殿下。』
『……。』

すると王女は嬉しそうに、そしてちょっと恥ずかしそうにはにかんだ。

「なんか小さい光みたいで可愛いね〜」
「失礼だぞ牧瀬…」
「でも似てるよな、少し…目元とか」

『それで王女殿下…どうされたんですか?』

イタリア語を話せる光と光臣が王女と話し始めた。

『実は、国王陛下が是非光さんとお話をしたいと。…よろしければ、配偶者の方もご一緒に』
「え…」

光と光臣が振り返って俺を見た。

『えっと…もちろん、喜んで。』
『では、馬車へどうぞ。』

王女が馬車に乗り込むと、光が俺のところへやって来た。

「国王陛下が、私と一也さんと話したいって…。一緒に馬車で来てくれって」
「え…。俺、イタリア語あんまわかんねーけど…」
「通訳する。」

光はそう言いながらも不安そうに俺を見上げた。

「来てくれる?」
「もちろん、行くよ。」

断れるわけない。それに…俺は光の夫として呼ばれているんだろうし。

「じゃあ…私達、行ってくるね。」
「うん、こっちのことは気にしないで。」

牧瀬に手を振られ、俺と光は馬車に乗り込んだ。王女と対面する形で座り、馬車の窓から皆を振り返る。
倉持はじっと馬車を見送っていて、やがて、気落ちしたように顔を背けた。



***



昨日のような謁見室ではなく、書斎のような部屋にテーブルとソファが置かれた場所に案内された俺たちは、国王が部屋に入ってくると同時に立ち上がって、国王を笑わせた。

『そんなに畏まらなくていい。ただの曽祖父の家に遊びに来たつもりでいてほしい。』

国王は優しそうな微笑みでそう言って、俺たちに着席を促し、自身もソファに深く腰を下ろした。もうかなり高齢なのに、自分の足で歩き、明るく笑う。国王は光の顔を見て、また嬉しそうにニコニコ頬を膨らませた。

『いやあ、嬉しいね。またエリに会えたような気分だ。』
『…そんなに似ていますか?』
『ああ、似てるとも。とても良く似ている。とても美しい子だった…この国で一番。彼女が大人になり、美しく成長するのを見られなかったのは残念だ…。』
『……。』
『ここの地下室にはアルバムや肖像画や…エリが使っていたものが仕舞ってある。あとで使用人に持って来させよう。』
『…ありがとうございます。』

国王は俺たちにお茶とお菓子を勧めて、自分もクッキーをひとつ取って食べた。

『立派な青年だね。』

不意に、国王が俺に笑みを向けて話しかけてきたので身構えた。えっと…なんて言ったんだ?

『彼は、あまりイタリア語がわからなくて』
『おお、そうか…』

ちらりと目を丸くすると、国王はにっこり笑い、また俺に話しかけた。

「英語の方がいいかね?」
「あ…!すみません、ありがとうございます…。」

さすが…英語もペラペラなのか。

「君たちのことを知った時は驚いたよ。」

国王は身振り手振りが大きく、とても楽しい人で、光も自然と笑顔を浮かべて耳を傾けている。

「エリがこんなに美しい娘を生んでいて、しかも大女優になっていて。夫はメジャーリーガーだっていうじゃないか。こんな小さな国の王には、少し刺激が強すぎたよ。」
「そんな…。」

光がはにかんで俺に目配せをした。

「もう知っているとは思うが、光。君に王室に戻ってほしくて、君のことを探した。見ての通り、今私の血を引く王族は、まだ16歳のエリシアしかいないからね。」
「…はい。」
「だけど君たちのことを調べれば調べるほど、頼みづらくなった。君たちは人生の成功をおさめ、今や世界中から必要とされている。こんな小さな国が、そんな君たちを縛り付けていいのかとね。」
「……。」
「国王として、感情をなくしてみれば、君に王室に戻ってもらい、一刻も早く跡継ぎとなる男児を産んでもらいたい。だけど…曽祖父としての心からの叫びは、そんなことはさせたくないというんだ。」
「……。」
「胸が痛いよ。エリがこの城を出て行った時のことを思いだしてしまう。」
「……。…お母さんは、どうして…出て行ったんですか?」
「昨日のことのように覚えているよ。」

国王はそのことを話し始めた。それまでのおどけた態度とは変わり、本当に沈痛な面持ちで。

「エリには兄がいた。私は男の子を授からなくてね。エリの兄が、私の後を継ぐ予定だった。」
「……。」
「優秀な子だった…二人ともね。どちらも王としての資質を持ち、心優しく賢い子たちだった。だが、エリの兄は病気を患っていたんだ。長くはないと言われた。先月…亡くなったよ。」
「……。」
「エリの兄には王位は継げないと、病のことを知った時に分かった。病を悲しむ間もなく、わたしは次の後継者の心配をしなければならなかった。まだ、アンネと出会っていなくてね。エリは…そんな緊張状態の中、一人責められる立場にいた。」
「……。」
「国王の血を引きながら、王位継承権のない女の子…。まだ14歳という歳で、夫を探さなければならなかった。心無い言葉を浴びせる者もいた。国がなくなってしまうかもしれなかったから、皆不安だったんだ。そしてある時…城に侵入者が現れた。エリを襲おうとした貴族だった。幸い無事に済んだが、私にはもう耐えられなかった。エリも限界だっただろう。イタリアにある知り合いの家で、匿ってもらうことにした。」
「……。」
「それから8年ほどたった頃…エリは突然姿を消した。手紙を残してね。『素晴らしい人と出会った』と。彼と一緒になり、いつか子供を授かると思ったら…もう国に帰るわけにはいかないと。自分と同じ目に会わせたくなかったんだ。その気持ちはとてもよく分かった…。私には、エリを責められない。」
「……。」
「だから探さなかった。その頃には、アンネが来てくれてね。エリの兄の病気も少し持ち直したころだったんだ。」
「……。」
「そうして…エリはこの国を去った。」

部屋に静寂が戻った。俺も光も、言葉もなく、今の話をくりかえし頭の中で考えていた。
光の母親に、そんなことがあったなんて…。光に傷をつけた母親。だけど光は母親のことを決して悪く言わなかった。優しい、いいお母さんだといつも言っていた。あんな傷をつけられて、どうしてそんなことがいえるのか、不思議だったけど…。今の話を聞いたらなんとなくわかった。
昔、光も家の都合で婚約者を決められ…苦しい思いをした。こんなに綺麗な子だから、引く手あまただっただろう。そんな光を奪おうとする奴らの手から、守ろうとしたんじゃないかって…ただの想像だけど、そんな気がした。

「――ゲホッ!ゴホッ!!」
「へ…陛下!」

突然国王がむせ返り、光が駆け寄った。使用人たちも駆けつけ、車椅子を用意させている。

「…す、すまない…少し話しすぎたよ…」
「陛下…」
「もう…見ての通り、老いぼれだからね。すまないが、すこし…ゴホッ、…休ませてもらうよ。」
「は、はい…。」

使用人に車椅子を押されて部屋を出て行く国王を、光は心配そうに見送った。

「元気そうに見えたけど…心配だな。」
「うん…」



***



国王が気を遣ってくれたのか、少しすると俺たちの所に使用人がアルバムや絵や箱をたくさん運んできた。
使用人から話を聞いた光が、アルバムを手に取って俺の隣に座った。

「これ全部、お母さんの物だって…。」
「へぇ…」

アルバムを開くと、幼い少女が写っていた。庭園で花に囲まれて笑っている少女、真剣に本を読んでいる少女、兄弟らしき男の子と遊んでいる少女…。

「光に似てるな。」
「そ、そうかな…。」
「すげー似てる。光の小さい頃みたい」
「……。」
「へ〜、可愛い」
「……。」

ぱたん、と光がアルバムを閉じた。

「何で閉じんの?」
「…なんか恥ずかしくて」
「え〜俺もっと見たい」
「ダメ」
「そういや俺光の小さい頃の写真とか見たことないんだけど」
「…見なくていい」
「なんでさ(笑)」

光は肖像画を見つめたあと、木箱に手を伸ばした。掛けてある布を捲ると、中には雑貨が入っていた。小さなメモ帳、コンパクト、櫛、髪飾り、小さなぬいぐるみ、キーホルダー、おもちゃの指輪、何かの鍵…。
一人の女の子の宝箱。そこには確かにこれを大切にしていた少女の存在があった。

「……。」

光は小さな箱を取り出し、開いた。柔らかな音が流れ始め、中のお姫様と王子様がくるくる踊り始めた。オルゴールだ。そこには小さく折りたたまれた紙が入っていて、光はそれを開いた。

『アルの病気が治りますように』

つたない字のイタリア語で、それは俺にも何とか読み取れた。多分…光の母が、兄のことを書いたんだろう。

「……。」

光はオルゴール箱を閉じ、木箱の中に戻した。それからコンパクトや髪飾りを一つ一つ手に取って、しばらく見つめて――目を潤ませて、俯いた。俺が黙ったままその肩を抱くと、堪えきれない様子で震え、俺の胸に身を寄せてきた。

「ごめん…。……っ…」

突然泣き出してしまったことを謝りながら、止まらない涙に戸惑いながら、光は声を殺して泣き始めた。俺はそんな光が少しでも心地よく泣けるよう、できるだけ優しく、その体を抱きしめた。

 


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