翌日の朝、またイリシア王女が馬車で湖の離宮を訪れた。

『ぜひ国の中を案内させていただけないかと思って』

そう可愛らしく笑う少女の言葉に甘え、今日は馬車で移動しながら観光をする事になった。


『王女殿下、国王陛下のご様子は…』
『今日は休まれています。ここ何年かはずっとそうです。ご高齢ですから…それでも光さんがいらっしゃると聞いて、この数日は大変明るくお元気でいらっしゃいました。』
『そう…ですか』
『皆様と食事をご一緒したいと仰られているのですが、食欲があまりなく、皆様にお気を使わせてしまわれることを憂慮しておられていて…。申し訳ございません。』
『いいえ、そんな。私たちの方こそ気を使っていただいて…』

光と王女が話していて、俺と倉持はたいしてイタリア語もわからないのにその様子を窺い、牧瀬と光臣は窓の外から見える景色の話に花を咲かせている。
すると、王女の青い瞳がちらりと俺を見た。

『彼…御幸さんと光さんは、ご結婚されているんですよね。』

「お、お前のこと話してね?」
「シー。」

『はい、夫です。』

「頷いてるぞ。なんて言ったの?」
「夫です、って」
「ふーん…」

『彼は…倉持さんとは、ご結婚を考えられているんですか?』

「今倉持って言った?俺の話?」
「わかんねーなら静かにしてろよ」

『え…っと、いえ…日本では、一夫一妻制なので』

「……。」
「否定されてんぞお前」
「うるせえ。だいたい何の話か分かってんのかよお前」
「なんとなく」

『あら?でも、第二王配候補と窺っていますけれど…。…あ、王室に入られてからお話を進めるのかしら。』
『…それは…。』

光が困ったように言葉に詰まった。きょとんとする王女。するとそこへ、光臣がさりげなく話に加わった。

『イリシア王女殿下。日本にはこんな歌があります。“それとなく 紅き花みな 友にゆづり そむきて泣きて 忘れ草摘む”…』
『それはどういう意味なのでしょう?』

王女はにわかに興味を惹かれたように光臣を見つめた。

『これは叶わぬ恋をうたったものです。紅き花というのは華やかな恋をあらわし、それを友に譲って自分は“忘れ”るために忘れ草を摘む。友と想い人を本当に心から思っているが故の、とても切ない歌です。』
『切ないけれど、素敵な歌ですね…。アンクレーにはそのような歌はございません。王を称えるか、歴史の伝承か、貴族たちの華やかな恋の歌ばかり。』
『日本の魅力とアンクレーの魅力は違う物で、どちらが優れているというものではありませんよ。』
『そうかしら…。』

王女は頬を染めて照れたようにはにかんだ。

『だけど、光臣様の仰られたいことが解る気がいたします。倉持さんは、まさにその歌の主人公なのですね。』
『少なくとも、私から見たら、彼はこの歌を彷彿とさせます。』
『うふふ…』

「ねぇなんか盛り上がってるけど何の話してるの?」
「……大した話じゃない。」

牧瀬が不思議そうに光に尋ねると、光は頭を振ってはぐらかした。



***



「この森は独自の植生環境がそのまま守られていて、ここでしか見られない植物や小動物がたくさん生息しているんですよ。時々、ごく一部の許可を得た研究者の方が、数か月から数年かけて観測研究をするためにこの国にいらっしゃいます。春にはたくさんの花が咲き、とても美しいんですよ。国民はよく、散歩を楽しんでいます。」
「それは羨ましい。イリシア王女陛下もよく散歩をされるんですか?」
「ええ、もう少し暖かくなったら…」

馬車を下り、森に着くと、王女は御者に森の出口の回り込んで待機するよう伝えて馬車を下りた。王女は俺達が英語ならばイタリア語よりはわかるという事を知って英語で話しはじめた。しかしここでも語学が堪能である光臣が主に王女と談笑し、王女は時々頬を赤らめて少女らしく微笑んだ。
その後ろではいまいち英語がわからない倉持に、光と俺と牧瀬で説明をしつつお喋りをしながら、一行は森の小道を進んだ。

「あ…シクラメンが咲いていますね。」

王女が小道の脇に駆け寄って、白い花を覗き込んだ。

「この花は、私の一番好きな花なのです。」
「白いシクラメン…花言葉は『清純』ですね。王女殿下によくお似合いです。」
「そうかしら…。」

王女は頬を赤く染めてはにかみ、俯いた。

「光臣…自覚してるよね?」
「何をだ?」

光がじとりと光臣を睨むと、光臣は悪びれず本当に自覚がないようできょとんと眼を瞬いた。

「嘘でしょ?」
「だから、何の話だ。」
「なるほどね〜…。光臣って根っからそうなんだ」
「わざとやってる時もあるけど、無自覚の時もあるんだよ。」
「無自覚って厄介だな〜。」

光と牧瀬がひそひそ話しはじめると、光臣はにわかに慌てて狼狽えた。

「…はっきり言ってくれ」
「イリシア王女殿下に色目使いすぎ。」
「…は?」
「え〜ほんとに無自覚なの!?」
「8個も下の女の子相手に…」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。そんなことしていないだろ。そもそも殿下に失礼だ」
「だからやめろって言ってるのよ。」
「ど、どの辺がまずかったんだ?」
「短歌と花言葉はやりすぎ。」
「年下の女の子に知識を披露するのって女たらしの男の常とう手段だよね〜」
「え…」
「昔からやってるから染みついちゃってるんでしょ。」
「浮気したら別れるからね。」
「え…!?」

光と牧瀬が光臣を追い抜いて、王女に話しかけて女三人は先を歩きはじめた。取り残された光臣は未だ腑に落ちない顔で俺たちに助けを求めた。

「そ…そんなにおかしかったか?」

「うん。」
「俺もずっと思ってた。」
「……。」

しかしすぐに頷いた俺と倉持に、さすがの光臣も言葉を失って閉口した。



***



『王女殿下!』

イリシア王女の案内で騎士団の要塞跡を見ていた時、庭園の中ほどまで進んだところで遠くから大声で呼び止められた。

『エラテシア王女殿下のご息女の光王女殿下でいらっしゃいますね!?』
「え…」

興奮気味に光に詰め寄ってくる初老の身なりのいい男と、その男の後ろに凛々しく控える息子らしき若い気品のある金髪碧眼の男。

「この国、美男美女が多いって本当なんだね〜。エルフの国みたい。」
「牧瀬空気読めよ…」

他人事のように感心する牧瀬に倉持が呆れた一瞥を送る横で、光はぎこちない愛想笑いを浮かべて首を横に振る。

『私は王女ではありません。』
『ですが、この国に戻られるためにお越し下さったのではないのですか?』
『……。』

困惑気味に固まる光の隣に、イリシア王女が進み出る。

『光さんは、曽祖父であらせられる国王陛下にお会いするためにいらしてくださったのですよ。王室に戻られることはそれは想像もつかないほど大きな決意が必要であることでしょう。一朝一夕で固められるものではありませんわ。』
『イリシア王女殿下!大変失礼いたしました…』

男は恭しくお辞儀をして、改めて光に向き直った。

『では、光様とお呼びしても?』
『…え、ええ、はい…』
『改めて大変失礼いたしました。私は、このサウスレイク地区の管理を賜っているアレイン・ド・リードと申します。リード卿、とお呼びいただけましたら幸いです。』
『リード卿…よろしくお願いいたします。』
『光栄に存じます。そして、こちらが…私の息子のレオルクと申します。』
『レオルク・ド・リードです。光様、どうぞお見知りおきを。』

金髪の優男が進み出て、あっという間もなく光の手を取り甲にキスをした。

『レオルクはちょうど、光様と同じ年ごろでしてな。外国の…特に日本に関心を持ち、大学では東洋文化を専攻しておりました。光様とお話が弾むのではないかと思いまして、ご紹介を…』
『それは…。…そうですか。』

「つばをつけにきたな。」
「え?」

光臣が面白そうにニヤニヤしながら呟いて、倉持が間抜けづらで目を瞬いた。

「早くも第3王配候補が現れたってことだ。」
「…はあ!?」
「光が王室に戻ってくるかもしれないと噂が広まり、年頃で独身の息子がいる貴族があわよくばと思ったんだろう。アンクレー王国の血筋の者は、王室に属している限り何人でも配偶者を娶れるから、これからもっと増えるかもな。」
「は……。」

ぽかん、と口を開けたまま男と光を見る倉持。その隣で、光臣はちらりと眉を上げて俺を見た。

「お前はあまり慌てていないようだが?」
「そりゃそうだろ。光は本当に好きな人とじゃないと結婚しないもん♪」
「なにが『もん♪』だよ。気持ちワリィな」
「信頼の度合いが違うのよ、お前とはな。」
「……。」

倉持は鬱陶しそうに舌打ちをしてぷいと横を向いた。

『もしよろしかったらぜひ、息子に庭園を案内させてください。』
『申し訳ありませんが、今日は…夫と来ているので』
『ああ!これは気付かず申し訳ございません』

光が俺の腕に触れて微笑むと、男は慌てて謝った。

『ではこのご旅行中に僕の為にお時間を頂く事はできませんか?』

息子がそつのない仕草で光に尋ねると、光は微笑みを崩さずに、遠慮するようにお辞儀した。すると息子も察したように残念そうな、だけど熱を含んだ微笑みを浮かべ、光から離れた。
男と息子が帰って行くと、イリシア王女が光に話しかけた。

「リード卿のご子息は、第3王配殿下として申し分のない御方だと思いますよ。」
「いえ…」
「あっ。もちろん、決めるのは光さんですわ。結婚相手も…王室に戻られるかどうかも。」
「……。」

光は気まずい笑みを浮かべるだけにとどめた。

「二人以上の配偶者を持つことに抵抗がおありですか?」

王女の問いに、光は言葉に迷うように唇を舐め、視線を彷徨わせた。この国では王族は何人かの配偶者を持つことが当たり前。王女にとって当然のことであるその価値観を否定するのが憚られる光の気持ちはわかる。きっと、俺にも気を使っているんだろうし…
すると、王女の青い瞳が俺を見た。

「御幸さんは、光さんがもうひとり殿方を夫として迎えることに抵抗がおありなのかしら。」
「え…、えーと…」

そりゃ嫌だよ。日本人なら当たり前の感覚だ。

「ごめんなさい。困らせてしまいましたね。」

すると王女はにっこりとそう微笑んで、次の場所へ向かいましょう、と先を歩きだした。
俺はなんだかばつが悪くて、光の顔を見ないようにした。たぶん、光も同じだろうと思った。



***



あっという間に時間は過ぎて、日本へ帰る日の朝。
俺と光は最後に国王に会って行ってくれ、と王女に言われ、お城の国王の部屋に案内された。

「実はあれからあまり体調がすぐれなくて」

俺達を案内しながらイリシア王女は眉を下げる。

「意識はあるけれど、うわごとを言うばかりで、話ができる状態ではないのです。」

思っていた以上に深刻な容態を聞いて、光の顔が青ざめた。

「だから光さんに会ってほしかったの」

イリシア王女がドアを開け、光を中に促す。
ベッドに横になっている国王は、たった数日前に見たばかりなのに、ひどくやせて見えた。顔色も悪く、目を瞑り、苦しそうに息をしている。
光は王女に促されてベッドの傍に立った。

『……国王陛下…』

光がイタリア語で呟くと、国王はうっすらと目を開けて光を見つめた。

『…ああ……エリ……。』

震える手で光の手を握り、国王は涙を流した。

『エリ……。来て…くれたんだね……。』
「……。」

光はただ黙って国王を見つめ返した。

『エリ…すまない…。…すまない…。』

それから国王は繰り返しひたすらに謝り続けた。
薄暗い部屋の中には、涙と悲しみで重たくなった空気が漂っていた。

 


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