朝練を終えて朝のHRに滑り込む。いつも通りの朝。
チャイムが鳴り、担任が教室を出ていって、黒板横の時間割を見る。『数学』の文字に気が滅入る。
周りを見渡すと、今更ノートを広げている奴、ふて寝している奴、お喋りに夢中な奴ばかり。こんなとき、信二が同じクラスだったら…と思うけど、あいにく違うクラスだ。
こんな時頼りになるのは、そう、あいつしかいない。
前の席の女子の背中をつつく。少し鬱陶しそうに、持っていたペットボトルのジュースを口元につけたまま、玉城が振り向いた。

「玉城、数学の課題やった?」
「やったけど…」
「まじで!なぁ問2見せて!俺今日当たるんだよ、答え合わせしようぜ!」
「いいけど、じゃあ問1も見せてね?」
「もちろん!…保証はしねーけど。」

2人でノートを見せ合う。幸い、2人とも答えは同じだった。
安堵したところで時計を見ると、1限開始まであと3分ほど。途端に余裕が出てきて、俺はのんびりと授業の準備をする。

「っていうかそれ、裏のコンビニの新商品じゃん。うまい?」

俺は玉城が飲んでいる『トロピカルパイン緑茶』を指して尋ねた。玉城はそれまでちびちび飲んでいた若草色の液体を、もう一度味を確かめるように口に含んだ。

「まずくはないよ。」
「甘い?」
「そんなには。結構さっぱりしてる。」
「へぇー。じゃ、俺も今度買ってみよ。」

玉城と仲良くなったきっかけは、もちろん席が前後という事もあったけど、飲み物の趣味が一番の理由かもしれない。クラスではいつも「変な飲み物ばかり飲んでるチャレンジャー」と言われるけど、想像がつかない味を試すのは楽しいじゃないか。結構美味いことも多いし、まずくてもネタになるし。とにかく、その小さなスリルを味わうのが、俺も玉城も好きなのだ。
まぁ、玉城は見てのとおり美人で、あまり社交的でもなくて、周りの男共がなんとかして近づこうとしている中で、やっとみつけた共通点だから、というのもなくはないのだが…。こればかりはさすがに、信二にも言えない。

「…ねぇ。」
「ん?」

玉城が、思いつめたような顔をして口を開いた。玉城とよく話すようにはなったけど、玉城の方から話を振ってくるのは珍しい。俺は少し嬉しくなって耳を傾ける。

「東条って、野球部だったよね?」
「うん、そーだけど…?」
「2年の…御幸先輩って、知ってる?」

…そうきたかー。正直、がっくりきた。
御幸先輩はイケメンだ。同じ部活という事以外にさほど接点のない俺でも、月に何度かはクラスの女子や他のクラスの女子から御幸先輩について聞かれることがある。もう慣れっこだったが、まさか、玉城も御幸先輩に気があるなんて。…ショックだ。

「…もちろん知ってるけど…え、なに、もしかして好きなの?」

なるべく平静を装って、冗談のように聞き返した。そうでもしないと俺がきょどってしまいそうだったからだ。すると玉城は少しむっとして言った。

「ちがうから!…で、何組かわかる?」
「お、おぉ…確かB組だったと思うけど…」
「……。…Bね、わかった。」

玉城は少し考えるように黙ってから、体を前に向けた。ちょうどチャイムが鳴って、詳しい話は聞けずじまいで、俺は授業に集中もできないまま、もやもやと玉城の背中を眺めているのだった。



***



昼休み。俺が食堂から戻ってくると、ちょうど玉城が弁当を片付けて友達から離れ、席に戻ってきたところだった。玉城はなにやら小さな紙袋を鞄から取り出すと、迷うように時計を見上げたり、ため息を吐いたりしている。
どうかしたのか、と聞こうと思った時、玉城の机に何かが飛んできた。途端にそれまで賑やかだった数名のクラスメイト達が押し黙る。どうやらふざけて取り合うか何かしていたものを、誤って飛ばしてしまったらしい。
玉城は手元に落ちてきたそれを持ち上げてまじまじと眺めている。

「玉城さん、ごめん!おれがふっ飛ばしちゃって…」

クラスメイトの男子の一人が謝りながら駆け寄ってきて、俺も席を立った。

「なんだそれ?」

そう尋ねながら玉城の手元を覗き込むと、そこには精巧なカブトムシを象ったグミがあった。包装されているとはいえ、リアルだ。俺は別に虫が苦手ではないけど、食べるのは躊躇するレベルのリアルさ。きもちわり、と呟くと、クラスメイト達も同意するように野次を飛ばしてきた。

「それ、鈴木が買ってきたんだよ。」
「まだいっぱいあるぞー。東条も食べるか?」
「やだ、きもーい。ほんと男子って、そういうの好きだよね〜。」

「あの…玉城さん?」

玉城があまりにも熱のこもった目でグミを見つめているので、駆けつけた男子がおそるおそる声をかけた。

「それ…あげようか?」
「いいの?」

玉城が予想外にも嬉しそうにそう聞き返してきたからだろう、男子は拍子抜けした様子でうんうんと頷く。すると玉城は嬉しそうに笑顔を浮かべた。玉城の笑顔はレアだ。男子が固まったのがわかった。

「ありがとう!」

玉城はそう言うと、グミを食べる…ではなく、持っていた紙袋を開いた。中から出てきたのは紺色のハンカチ。女子のものにしては地味なハンカチだ。玉城はそのハンカチにグミを挟んで、また紙袋に仕舞うと、それを持って教室を出ていった。

「…玉城さんって、ああいうの好きなんだ…。」
「意外だな……。」

取り残されているクラスメイト達を余所に、俺は玉城の後を追う。
玉城には廊下に出たところですぐに追いついた。

「なぁ、どこ行くの?」

玉城はどこか楽しそうな笑みを浮かべている。

「2B。」

それを聞いて、興味が湧いた俺は彼女についていくことに決めた。
階段を上がって、2年B組の教室を目指す。玉城が教室前の先輩をつかまえて、御幸先輩を呼んでもらう。

「御幸ー、後輩が呼んでるー。」

そう教室の中に向かって言う先輩につられて室内を覗き込むと、窓際の席で倉持先輩と喋っていた御幸先輩と目が合った。玉城は一歩引いて俺の後ろに隠れるようにして立っている。俺を見つけた御幸先輩と倉持先輩は、意外そうな顔になってやってきた。

「東条?どうした?」
「お前が来るのは珍しいな。」

「あ、用があるのは俺じゃなくて…。」

2人がやってくると、俺は横にずれて玉城に視線をやった。突然現れた女子生徒に、御幸先輩は豆鉄砲を喰らったような顔になって、倉持先輩は見るからに動揺して玉城と御幸先輩を交互に見ている。

「……玉城?」

御幸先輩が呟いた。どうやら二人は知り合いのようだった。

「あの…昨日はこれ、すみませんでした。」

玉城はしおらしくそう言って、紙袋を差し出す。…っておい、ちょっと待て、そのハンカチに仕込んだものを俺は知ってるぞ。

「え…?あ…、お、おう…」

女子にモテるとはいえ、御幸先輩も男子高校生。可愛い女子に上目づかいで謝られたりなんかしたら、動揺するのも仕方がない。…罠の事を教えたほうが良いんだろうか。俺も共犯者だと思われたら…最悪だ。
…いやしかし。御幸先輩は男だ。虫を象ったグミくらい、笑って食べておしまいだろう。うん、きっとそうだ。

「それじゃ…失礼します。」

玉城が早々に立ち去ろうとするので、俺も二人に会釈をして玉城を追いかけた。…のだが、玉城は教室の前の階段を降りたところで立ち止まり、壁の角に身を潜めた。

「…何してんの?教室戻らねーの?」
「しっ。隠れて。」

玉城に言われるがまま、わけがわからないまま。俺は玉城の隣に並んで壁に背をつける。ややあって、2Bの方向から、うわっ!と短い悲鳴と甲高い笑い声が響いてきた。…まさか。隣の玉城を見ると、俯いてその肩は震えている。

「…玉城?」
「……ふっ…ふふっ…」

うわあ…笑ってる…。
顔を引きつらせる俺を、玉城はきらきらした目で見上げた。

「やったぁ!仕返し成功!」
「お、おぉ…。」

小さく飛び跳ねてハイタッチを求めてくる姿は、胸が苦しくなるほど可愛い…のだが。一部始終を知っていると、恐ろしくもある。

「ふふふ、あぁ、笑いが止まんない。」
「…そーかぁ…。」

余程楽しかったのだろう。まだにやついている玉城と教室に戻って、俺は席に着く。

「…っていうか…御幸先輩と知り合い?…何があったの?」

思い切ってそう尋ねると、玉城は笑いをこらえながら、うーん、とうなった。

「…ないしょ。」

そう答えた玉城の笑顔が、本当に楽しそうで。少し紅潮した頬と、どこかうっとりと思いを馳せる目に、とんでもなく色気があって…。
そんなふうに不敵に楽しそうにしている玉城に、俺は惹かれたりもしている。だからこそ、予想していなかったライバルの登場…しかもかなり強敵になりそうな予感の御幸先輩に、俺は心の中でこっそりと、宣戦布告をするのだった。

 


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