301
光の事を知って、牧瀬と光臣もイタリアから飛んできて、今はアメリカのホテルに滞在している。
光の叔母もすぐに駆けつけ、なにかと世話をしに来てくれるおかげで、俺はなんとかやっていけた。
光を心配して、奥村や哲さん達や、日本で世話になっていた人たちもお見舞いや連絡をくれた。
だけど…光は視力を失ったあの日からずっと、笑顔も失ったままだった。
「光ちゃんおはよう!今日はねぇ、美味しいくるみパンとスープ買ってきたわよ〜」
叔母さんが来ると部屋の中に陽が差し込んだように明るくなる。光にカーディガンを羽織らせてリビングに連れて行くと、叔母さんは、あら、と笑顔で光に駆け寄った。
「来て、髪結ってあげる。」
櫛とゴム借りてもいいかしら、と叔母さんに言われ、俺は急いで寝室のドレッサーからそれを取ってきた。
「光ちゃん座って。ま〜綺麗な髪ねぇ…光臣も光舟もだけど、私昔からこの髪、すっごく羨ましかったわ〜」
光はどこともない場所を見つめながら、静かな相槌を打った。
「…はいできた!あら可愛い。じゃ、ご飯にしましょうか。」
掴まって、と叔母さんに支えられ、光は食卓に着いた。
「一也君、あとは大丈夫よ。」
いってらっしゃい、と叔母さんは微笑む。俺は荷物を持ったままうろうろと二人の様子を見守っていたから、つい苦笑して会釈を返した。
「あ…すみません、じゃあ、行ってきます。光、夕方帰るからな。」
「…行ってらっしゃい。」
申し訳なさそうに言う光に胸を痛め、叔母さんも気遣うように微笑んで俺を見送った。
***
夕方帰宅すると、リビングには叔母さんだけがいた。
「帰りました。いつもすみません…」
「おかえりなさい。気にしないで。家族じゃない。」
叔母さんは屈託なく笑う。この笑顔に少し救われた。
「光ちゃんはもう休んでるわ。今日はね、自然公園をちょっと歩いてきたの。ほら、マネージャーの子…」
「周防ですか?」
「あ、そうそう。あの子いい子ねぇ。周防君が車を出してくれて。光ちゃんも久しぶりに外に出て、気分転換になったんじゃないかしら。」
「…ありがとうございます。」
光は俺と二人の時は外に出たがらなくなった。迷惑をかけたくないと思っているんだろうけど…。
…後で周防にもまた、お礼を言おう。
「それじゃあ、また月曜日に来るわね。」
「すみません。ありがとうございます。」
叔母さんはこのあと少し仕事があるらしく、忙しそうに帰って行った。
寝室に入ると、間接照明がついた薄暗い部屋のベッドに、光が横たわっていた。
「…一也さん?」
光はドアの音に気が付いて起き上がって、入り口の方に顔を向ける。
「うん…ただいま。」
「おかえりなさい。」
傍へ行ってベッドに腰掛け、光の髪を撫でると、光はこちらに顔を向けた。
「公園行ったんだって?」
「…うん…」
「お昼もそこで食べたの?」
「ううん…家で」
「そっか。」
他愛のない話でかすかでも光の微笑みを見たいけど、うまくいかない。
「…ごめんね…」
見えなくても、俺がどんな顔をしているかわかっているみたいに、光は辛そうに呟いた。
「何で謝んの?」
「……。」
「俺…迷惑とか思ってないからな。誰も思ってないよ。皆お前の心配してる。お前が大事だから」
「……。」
「皆…お前に笑っててほしいだけだよ。俺も…」
「……。…ごめん…」
何も見ていない青い瞳から、透明の滴がぽろりと零れ落ちた。それを指で拭って光を抱きしめて、宥めるように背中を撫でた。
「疲れただろ、もう寝る?」
こくん、と頷く小さな頭。
「何か必要?」
「ううん…」
「そっか。」
光が横たわるのを手伝い、布団をかけると、俺が立っている方に顔を向けて光は呟く。
「一也さん…」
「ん?」
間接照明に伸ばしていた手を止めて返事をすると、光は呟いた。
「私…。…病院に…」
「戻るなんて言うなよ。」
言葉を遮ると、光は息をのんで黙りこんだ。
「光。大丈夫だって…絶対治るよ。」
「……。」
昔の自分だったら、こんな無責任に根拠もなく治るなんて言わない。だけど、とにかく俺が明るくいなければ…光はますます辛くなる。
「明日、牧瀬たち来るんだろ?また美味いもん持ってくるぞ、きっと」
「……。」
「光の好みを熟知してるからな〜…あの光マニアカップルは」
「……。」
光は口元を引き結んで、無理やり作ったような微笑を浮かべた。今はこれが精いっぱい…かな。
俺は涙ぐんだその目元を指で拭ってやり、ぽん、と布団の上から光の肩を優しくたたいた。
「じゃ、おやすみ。」
「…おやすみ。」
***
土曜日の朝、コーヒーを淹れていたところにインターフォンが鳴って、牧瀬たちがこんなに早くから来たのかとモニターに駆け寄って、俺は息をのんだ。
憮然とした顔で、倉持が立っていた。
「……よお」
久しぶり、と愛想のかけらもない態度で言う倉持を部屋に上げると、倉持はレザージャケットのポケットに無造作に手を突っ込みながらリビングの中ほどまで進んだところで立ち止まり、俺を振り返った。
「…ニュースで…光のこと聞いた。」
「…ああ」
「……。」
倉持は自分の事のように辛そうに眉根を寄せて俯いた。
「光…大丈夫なのか?」
「…目が見えなくなったこと以外に異常はない。血液検査もMRIも異常ナシで…健康そのものだって。」
「そうじゃなくて」
倉持は少し顔を上げて俺を睨んだ。
「落ち込んでるんじゃねぇのか」
そっちの心配ね…。やっぱり、光がこういう時自分を責めてしまうことを、こいつはよくわかってる。
「まあ…元気はないよ、さすがに。いきなり目が見えなくなって…本人も動揺してる」
「…だよな」
「でも仕事はひと段落ついたとこだったし…叔母さんや牧瀬たちが色々手伝ってくれてるから」
「……。」
あとは本人の気持ちの問題だ。だから俺たちは、光が明るく過ごせるよう、いつも明るく接し続けてやることしかできない。それがたまらなく…もどかしい。
「…会えるか?」
「え…」
光に?会って何を話すんだよ…。
会わないようにしてたんじゃないのかよ…。
…だけど…
「…寝室にいる。」
俺が踵を返すと、倉持は黙ってついてきた。
***
ノックをしてドアを開けると、光はベッドで身を起こして休んでいて、ぼうっとイヤホンで音楽か何かを聴いていた。
「光。」
倉持が歩いて行き、その腕に触れると、光は今気が付いたようにイヤホンを外し、倉持の方を見た。
「あ…何?一也さん…?」
「…俺だよ。光。」
「……。」
光の顔がこわばり、かたまった。
「…倉持さん…?」
「うん」
「…な…なんで…?」
あきらかに動揺して、見えない目で部屋の中を見渡す。その焦点の合わない目を彷徨わせる光の姿を見て、倉持も少し言葉を失った。
「……。…お前のこと聞いて…どうしてるかと思って…。」
「……。」
「ごめん。二度と会わないって言ったのに」
光は動揺をにじませたまま、腕に触れている倉持の手をつかんで離した。
「か…帰って…」
「光。」
その手を、倉持は無理やり握った。
「お前を愛してる。力になりたい。」
「お…、」
おい、何言ってるんだよ、と声が出る前に、光の声が響いた。
「私は嫌い!帰ってよ…!」
「嫌だ。」
「帰って!!」
とうとう光が泣きだし、倉持を引きはがそうと近寄ると、倉持が「ちょっと待て」というように俺に手を翳してきた。
「光、こっち見ろ。」
見えないのに何言ってんだ…そう思いながら、声のする方を向く光を見守った。
「キレーな目だなぁ」
「……。」
光の目尻の涙を、倉持は無造作に指で拭った。その動作があまりに自然で…俺は言葉を失って情けなくも立ち尽くした。
「…傍にいたい。」
「……。」
「俺のこと嫌いでもいいから。」
「……。」
「傍にいてもいいか?」
「…イヤ」
「…じゃ、俺がお前のこと嫌になるくらい、我儘言ってくれよ。」
「…バカじゃないの…。」
「おっ、その調子その調子。」
「……。」
「おい、どっち向いてんだよ。俺はこっちだぞ。」
「うるさい。わかってるし…」
「ヒャハハ。調子出てきたじゃねーか。光。何してほしい?なんか欲しいもんある?」
何でもいいぜ、と楽しげに光の顔を覗き込む倉持。俺がいつもしている質問。そしていつも、何もない、と光は首を振る。
「…プリン」
「プリン?」
「…食べたい」
「ヒャハハハ。いいぜプリンな。お前の為に買って来てやろうじゃねーか」
「…自然公園の傍のお店のじゃなきゃヤだから。」
「どこそれ?なんて店?」
「フォルテ…」
「ふーん。わかんなかったら電話するわ。じゃ行ってくる」
え…、と立ち尽くす俺にひょいと手を上げて、倉持は部屋を出て行く。
「いや〜まさか光にパシられる日が来るとはな〜。」
そうからかうように言いながら倉持が部屋を出て行くとき、光はちらりと声がする方を見て、かすかに口元に笑みを浮かべた。
***
「ご所望のモン買ってきたぜぇ〜」
30分ほどで倉持は戻ってきて、俺達はリビングでプリンを並べてテーブルを囲んだ。
「よくわかったね…あのお店…」
光が言った店は俺も光への土産を買うために何度か行ったことがあるが、とても分かりづらいところにあるうえ、何種類ものプリンがある。倉持はその中でも光が一番好きな白いプリンを買ってきた。
「わかんなかったから周防に聞いたんだよ。」
「周防君に…?」
「光に聞くのは何か、悔しいじゃん。」
「何それ…。」
呆れたように、でも可笑しそうに小さく笑う光。光が笑うのなんて久しぶりで、俺はそれだけでひとり泣きそうになった。
「光。はいスプーン…で、こっちがプリン」
「ありがと…」
光の手にスプーンとプリンのカップをもたせてやると、光はおずおずと慣れない手つきでプリンを掬い、口に運んだ。
「あーんしてやろうか?」
「…うるさい。」
倉持がからかうと、光はぷいとそっぽを向く。それで位置がまたよくわからなくなってしまったらしく、プリンを掬ったスプーンを迷いながら口元に運び、食べ損ねて、ぽとりとプリンを落とした。
「あ…ちょっと待ってろ、光。」
「ごめん…」
「大丈夫だよ、テーブルに落ちただけだから」
服が汚れたかと気にする光にそう声をかけ、口元を拭いてやった。倉持はその様子を黙ったまま見ていた。
「光ぃ、謝ることねーよ。コイツ光の世話焼くの大好きな変態ヤローだから」
「…は!?何言ってんのお前…」
「前も光の世話焼いてデレデレしてたじゃん」
「デレデレってお前さぁ…」
突然のことに光はぽかんとしていて、だけど倉持の思惑を考えあぐねるように俯いた。
「まぁ俺もそうだけどな。やっぱりあーんしてやろうか?」
「…いい。」
「遠慮すんなって!またこぼしちまうだろ?」
「おい!つかやるとしてもお前じゃなくて俺だから!」
「あ〜〜ホラな?結局自分がやりてぇだけだろコイツ?」
「……。」
ぽかんとして俺たちのやりとりを聞いていた光は、突然ふっと笑みをこぼして、くすくす笑い始めた。
「ふふふふ…」
「そーはさせねぇぞ御幸ィ、光を一人占めしようなんて…」
振り返って俺の顔を見た倉持が、ぎょっと息をのんで口をつぐんだ。俺は必死に涙をこらえて光を見ていた。光が笑うのを。こんな風に無邪気に笑う光…いつぶりだろう。やっと、やっと笑ってる。光が…。
「……。」
倉持は俺の顔を凝視して、戸惑いながら言葉に迷っていた。
「…はは…。はっはっは…」
俺は誤魔化すように笑いながら、だんだんと本当に笑えて来て、光のスプーンとプリンを手に取った。
「ほら光。あーん」
「えっ…!?い、いいってば…。」
俺が泣いてることに気づいていない光は、恥ずかしそうに顔を赤くしてそっぽを向いた。こんなやりとりもいつ振りだろう。
「前はあーんしてって言ったじゃん。」
「!!う…うるさい…」
「…ハァ!?御幸お前ずりぃぞ!俺にもやらせろ」
「ダメです〜俺の特権です〜」
「誰が決めたんだよ!」
「俺。」
「ふふ…」
事態を察したように倉持が言い返してきて、また少し言い合うと、光は小さく笑った。
それが嬉しくて、俺は心の中でこっそりと、倉持に感謝した。
光の叔母もすぐに駆けつけ、なにかと世話をしに来てくれるおかげで、俺はなんとかやっていけた。
光を心配して、奥村や哲さん達や、日本で世話になっていた人たちもお見舞いや連絡をくれた。
だけど…光は視力を失ったあの日からずっと、笑顔も失ったままだった。
「光ちゃんおはよう!今日はねぇ、美味しいくるみパンとスープ買ってきたわよ〜」
叔母さんが来ると部屋の中に陽が差し込んだように明るくなる。光にカーディガンを羽織らせてリビングに連れて行くと、叔母さんは、あら、と笑顔で光に駆け寄った。
「来て、髪結ってあげる。」
櫛とゴム借りてもいいかしら、と叔母さんに言われ、俺は急いで寝室のドレッサーからそれを取ってきた。
「光ちゃん座って。ま〜綺麗な髪ねぇ…光臣も光舟もだけど、私昔からこの髪、すっごく羨ましかったわ〜」
光はどこともない場所を見つめながら、静かな相槌を打った。
「…はいできた!あら可愛い。じゃ、ご飯にしましょうか。」
掴まって、と叔母さんに支えられ、光は食卓に着いた。
「一也君、あとは大丈夫よ。」
いってらっしゃい、と叔母さんは微笑む。俺は荷物を持ったままうろうろと二人の様子を見守っていたから、つい苦笑して会釈を返した。
「あ…すみません、じゃあ、行ってきます。光、夕方帰るからな。」
「…行ってらっしゃい。」
申し訳なさそうに言う光に胸を痛め、叔母さんも気遣うように微笑んで俺を見送った。
***
夕方帰宅すると、リビングには叔母さんだけがいた。
「帰りました。いつもすみません…」
「おかえりなさい。気にしないで。家族じゃない。」
叔母さんは屈託なく笑う。この笑顔に少し救われた。
「光ちゃんはもう休んでるわ。今日はね、自然公園をちょっと歩いてきたの。ほら、マネージャーの子…」
「周防ですか?」
「あ、そうそう。あの子いい子ねぇ。周防君が車を出してくれて。光ちゃんも久しぶりに外に出て、気分転換になったんじゃないかしら。」
「…ありがとうございます。」
光は俺と二人の時は外に出たがらなくなった。迷惑をかけたくないと思っているんだろうけど…。
…後で周防にもまた、お礼を言おう。
「それじゃあ、また月曜日に来るわね。」
「すみません。ありがとうございます。」
叔母さんはこのあと少し仕事があるらしく、忙しそうに帰って行った。
寝室に入ると、間接照明がついた薄暗い部屋のベッドに、光が横たわっていた。
「…一也さん?」
光はドアの音に気が付いて起き上がって、入り口の方に顔を向ける。
「うん…ただいま。」
「おかえりなさい。」
傍へ行ってベッドに腰掛け、光の髪を撫でると、光はこちらに顔を向けた。
「公園行ったんだって?」
「…うん…」
「お昼もそこで食べたの?」
「ううん…家で」
「そっか。」
他愛のない話でかすかでも光の微笑みを見たいけど、うまくいかない。
「…ごめんね…」
見えなくても、俺がどんな顔をしているかわかっているみたいに、光は辛そうに呟いた。
「何で謝んの?」
「……。」
「俺…迷惑とか思ってないからな。誰も思ってないよ。皆お前の心配してる。お前が大事だから」
「……。」
「皆…お前に笑っててほしいだけだよ。俺も…」
「……。…ごめん…」
何も見ていない青い瞳から、透明の滴がぽろりと零れ落ちた。それを指で拭って光を抱きしめて、宥めるように背中を撫でた。
「疲れただろ、もう寝る?」
こくん、と頷く小さな頭。
「何か必要?」
「ううん…」
「そっか。」
光が横たわるのを手伝い、布団をかけると、俺が立っている方に顔を向けて光は呟く。
「一也さん…」
「ん?」
間接照明に伸ばしていた手を止めて返事をすると、光は呟いた。
「私…。…病院に…」
「戻るなんて言うなよ。」
言葉を遮ると、光は息をのんで黙りこんだ。
「光。大丈夫だって…絶対治るよ。」
「……。」
昔の自分だったら、こんな無責任に根拠もなく治るなんて言わない。だけど、とにかく俺が明るくいなければ…光はますます辛くなる。
「明日、牧瀬たち来るんだろ?また美味いもん持ってくるぞ、きっと」
「……。」
「光の好みを熟知してるからな〜…あの光マニアカップルは」
「……。」
光は口元を引き結んで、無理やり作ったような微笑を浮かべた。今はこれが精いっぱい…かな。
俺は涙ぐんだその目元を指で拭ってやり、ぽん、と布団の上から光の肩を優しくたたいた。
「じゃ、おやすみ。」
「…おやすみ。」
***
土曜日の朝、コーヒーを淹れていたところにインターフォンが鳴って、牧瀬たちがこんなに早くから来たのかとモニターに駆け寄って、俺は息をのんだ。
憮然とした顔で、倉持が立っていた。
「……よお」
久しぶり、と愛想のかけらもない態度で言う倉持を部屋に上げると、倉持はレザージャケットのポケットに無造作に手を突っ込みながらリビングの中ほどまで進んだところで立ち止まり、俺を振り返った。
「…ニュースで…光のこと聞いた。」
「…ああ」
「……。」
倉持は自分の事のように辛そうに眉根を寄せて俯いた。
「光…大丈夫なのか?」
「…目が見えなくなったこと以外に異常はない。血液検査もMRIも異常ナシで…健康そのものだって。」
「そうじゃなくて」
倉持は少し顔を上げて俺を睨んだ。
「落ち込んでるんじゃねぇのか」
そっちの心配ね…。やっぱり、光がこういう時自分を責めてしまうことを、こいつはよくわかってる。
「まあ…元気はないよ、さすがに。いきなり目が見えなくなって…本人も動揺してる」
「…だよな」
「でも仕事はひと段落ついたとこだったし…叔母さんや牧瀬たちが色々手伝ってくれてるから」
「……。」
あとは本人の気持ちの問題だ。だから俺たちは、光が明るく過ごせるよう、いつも明るく接し続けてやることしかできない。それがたまらなく…もどかしい。
「…会えるか?」
「え…」
光に?会って何を話すんだよ…。
会わないようにしてたんじゃないのかよ…。
…だけど…
「…寝室にいる。」
俺が踵を返すと、倉持は黙ってついてきた。
***
ノックをしてドアを開けると、光はベッドで身を起こして休んでいて、ぼうっとイヤホンで音楽か何かを聴いていた。
「光。」
倉持が歩いて行き、その腕に触れると、光は今気が付いたようにイヤホンを外し、倉持の方を見た。
「あ…何?一也さん…?」
「…俺だよ。光。」
「……。」
光の顔がこわばり、かたまった。
「…倉持さん…?」
「うん」
「…な…なんで…?」
あきらかに動揺して、見えない目で部屋の中を見渡す。その焦点の合わない目を彷徨わせる光の姿を見て、倉持も少し言葉を失った。
「……。…お前のこと聞いて…どうしてるかと思って…。」
「……。」
「ごめん。二度と会わないって言ったのに」
光は動揺をにじませたまま、腕に触れている倉持の手をつかんで離した。
「か…帰って…」
「光。」
その手を、倉持は無理やり握った。
「お前を愛してる。力になりたい。」
「お…、」
おい、何言ってるんだよ、と声が出る前に、光の声が響いた。
「私は嫌い!帰ってよ…!」
「嫌だ。」
「帰って!!」
とうとう光が泣きだし、倉持を引きはがそうと近寄ると、倉持が「ちょっと待て」というように俺に手を翳してきた。
「光、こっち見ろ。」
見えないのに何言ってんだ…そう思いながら、声のする方を向く光を見守った。
「キレーな目だなぁ」
「……。」
光の目尻の涙を、倉持は無造作に指で拭った。その動作があまりに自然で…俺は言葉を失って情けなくも立ち尽くした。
「…傍にいたい。」
「……。」
「俺のこと嫌いでもいいから。」
「……。」
「傍にいてもいいか?」
「…イヤ」
「…じゃ、俺がお前のこと嫌になるくらい、我儘言ってくれよ。」
「…バカじゃないの…。」
「おっ、その調子その調子。」
「……。」
「おい、どっち向いてんだよ。俺はこっちだぞ。」
「うるさい。わかってるし…」
「ヒャハハ。調子出てきたじゃねーか。光。何してほしい?なんか欲しいもんある?」
何でもいいぜ、と楽しげに光の顔を覗き込む倉持。俺がいつもしている質問。そしていつも、何もない、と光は首を振る。
「…プリン」
「プリン?」
「…食べたい」
「ヒャハハハ。いいぜプリンな。お前の為に買って来てやろうじゃねーか」
「…自然公園の傍のお店のじゃなきゃヤだから。」
「どこそれ?なんて店?」
「フォルテ…」
「ふーん。わかんなかったら電話するわ。じゃ行ってくる」
え…、と立ち尽くす俺にひょいと手を上げて、倉持は部屋を出て行く。
「いや〜まさか光にパシられる日が来るとはな〜。」
そうからかうように言いながら倉持が部屋を出て行くとき、光はちらりと声がする方を見て、かすかに口元に笑みを浮かべた。
***
「ご所望のモン買ってきたぜぇ〜」
30分ほどで倉持は戻ってきて、俺達はリビングでプリンを並べてテーブルを囲んだ。
「よくわかったね…あのお店…」
光が言った店は俺も光への土産を買うために何度か行ったことがあるが、とても分かりづらいところにあるうえ、何種類ものプリンがある。倉持はその中でも光が一番好きな白いプリンを買ってきた。
「わかんなかったから周防に聞いたんだよ。」
「周防君に…?」
「光に聞くのは何か、悔しいじゃん。」
「何それ…。」
呆れたように、でも可笑しそうに小さく笑う光。光が笑うのなんて久しぶりで、俺はそれだけでひとり泣きそうになった。
「光。はいスプーン…で、こっちがプリン」
「ありがと…」
光の手にスプーンとプリンのカップをもたせてやると、光はおずおずと慣れない手つきでプリンを掬い、口に運んだ。
「あーんしてやろうか?」
「…うるさい。」
倉持がからかうと、光はぷいとそっぽを向く。それで位置がまたよくわからなくなってしまったらしく、プリンを掬ったスプーンを迷いながら口元に運び、食べ損ねて、ぽとりとプリンを落とした。
「あ…ちょっと待ってろ、光。」
「ごめん…」
「大丈夫だよ、テーブルに落ちただけだから」
服が汚れたかと気にする光にそう声をかけ、口元を拭いてやった。倉持はその様子を黙ったまま見ていた。
「光ぃ、謝ることねーよ。コイツ光の世話焼くの大好きな変態ヤローだから」
「…は!?何言ってんのお前…」
「前も光の世話焼いてデレデレしてたじゃん」
「デレデレってお前さぁ…」
突然のことに光はぽかんとしていて、だけど倉持の思惑を考えあぐねるように俯いた。
「まぁ俺もそうだけどな。やっぱりあーんしてやろうか?」
「…いい。」
「遠慮すんなって!またこぼしちまうだろ?」
「おい!つかやるとしてもお前じゃなくて俺だから!」
「あ〜〜ホラな?結局自分がやりてぇだけだろコイツ?」
「……。」
ぽかんとして俺たちのやりとりを聞いていた光は、突然ふっと笑みをこぼして、くすくす笑い始めた。
「ふふふふ…」
「そーはさせねぇぞ御幸ィ、光を一人占めしようなんて…」
振り返って俺の顔を見た倉持が、ぎょっと息をのんで口をつぐんだ。俺は必死に涙をこらえて光を見ていた。光が笑うのを。こんな風に無邪気に笑う光…いつぶりだろう。やっと、やっと笑ってる。光が…。
「……。」
倉持は俺の顔を凝視して、戸惑いながら言葉に迷っていた。
「…はは…。はっはっは…」
俺は誤魔化すように笑いながら、だんだんと本当に笑えて来て、光のスプーンとプリンを手に取った。
「ほら光。あーん」
「えっ…!?い、いいってば…。」
俺が泣いてることに気づいていない光は、恥ずかしそうに顔を赤くしてそっぽを向いた。こんなやりとりもいつ振りだろう。
「前はあーんしてって言ったじゃん。」
「!!う…うるさい…」
「…ハァ!?御幸お前ずりぃぞ!俺にもやらせろ」
「ダメです〜俺の特権です〜」
「誰が決めたんだよ!」
「俺。」
「ふふ…」
事態を察したように倉持が言い返してきて、また少し言い合うと、光は小さく笑った。
それが嬉しくて、俺は心の中でこっそりと、倉持に感謝した。