302
プリンを食べ終えると、光は着替えると言って、御幸と寝室に入った。今日は牧瀬たちが来るらしい。
しばらくすると御幸だけがリビングに戻ってきて、その目尻は赤かった。
さっき…突然コイツが泣きだしたときはビビった。光が笑い出したら急に…こいつ、今まで見たことねーような顔して、笑いながら泣き出して…。……。
「倉持…」
帰れ、とか、もう光と会うな、とか、そう言われるのが普通だと思ったけど…
「…ありがとう」
御幸は泣いた痕を隠しきれない顔でそう呟いた。
「…何が?プリン?」
「……。…目が見えなくなってから…初めて見た。光が笑ってんの…」
「……。」
…そういうことか。
「……ありがとう…。」
「……別に……お前の為じゃねーし」
そう呟くと、御幸はそうだな、と笑って、鼻を啜った。
その時、インターフォンが鳴った。
「あ…、光臣かも」
御幸があわてて目を擦るのを見て、俺はため息をついた。
「俺出るから、顔洗って来いよ。」
「…サンキュ」
御幸が奥に引っ込んだのを尻目に、俺は玄関に向かった。ドアを開けると、御幸が言った通り、光臣と牧瀬が立っていた。牧瀬は俺を見るとあきらかに目を丸くして大げさに驚いた。
「えーーーっ!倉持さんがいる!!!」
「うるせぇなぁ…廊下中に響いてんぞ」
「え〜〜っなんで?なんで??」
「いいから入れよ、近所迷惑」
ふたりをリビングに通すと、ふたりとも慣れた様子で勧められずとも図々しくソファに座った。
「光と御幸さんは???」
「支度中だよ。」
「あっ!!これフォルテのプリンじゃないですか!?3人で食べてましたね!?ずるい!!」
「本当せわしねえなお前…」
「っていうかケーキ倉持さんの分ないじゃん!どうしよ?」
「別にいいんじゃないか?」
「別にいいけど、お前が言うな。」
俺もソファに座って、御幸達が来るのを3人で待っていると、しばらくして光を支えながら御幸が戻ってきた。
「あっ光!おはよ〜」
「おはよ…。」
…確かに前の光より元気ないな。牧瀬に支えられ、光がソファに座ると、テーブルにケーキが並んだ。御幸が淹れた紅茶を飲みながら、久々にこのメンバーで集まったな、とぼんやり考えて、懐かしい気分になった。
***
牧瀬たちが帰ると、御幸は光を気遣うように言った。
「光、大丈夫か?」
「…うん」
「もう休む?」
うん…、と沈んだ顔で頷く光を、御幸が支える。
「いやいや、ちょっと待てよ。」
思わず制止すると、光も御幸もぽかんとして立ち止まった。
「何?」
「いや、なんか病人みてぇな扱いだからよ。別に体調が悪いわけじゃないんだろ?」
「……。」
「ずっとベッドで寝てばかりじゃ暇だろ、なぁ光。」
御幸はぽかんと…本当に目からうろこが落ちたような顔をして、光を見た。光は迷うような顔で御幸に掴まっている。
「でも…」
そう呟いて諦めたような顔をした光を、俺は見逃さなかった。
「何?」
「……。」
「なんだよ?」
「……起きてても…一人じゃ、何も…できないし」
光の言葉を聞いて、御幸の顔が悲痛に歪んだ。
「何言ってんだよ。俺も御幸もいるだろ。」
そうはっきりと言い返すと、光は口を噤んだ。
「俺も御幸も、お前の為なら喜んで何でもするって…知ってるだろ。」
「……。」
「どこでも連れてってやるし、何でもしてやるよ。なぁ御幸?」
「あ…、あぁ…。」
戸惑いながら御幸が頷くと、光はまだ煮え切らない表情で俯いた。
「じゃあ…光。ツーリングでも行こうぜ」
「え…」
「俺今日、バイクで来てんだよ。借りモンだけど。なぁ御幸、いいか?」
御幸は目を瞬いて、光の表情を見つめて、決意したように唇を引き結んだ。
「…行って来いよ、光。」
「えっ…?」
どうして?というように御幸の方を見上げる光。俺と二人で出かけることを御幸が勧めるなんて、俺も驚いた。
「しばらく出かけてないじゃん。たまには行って来いよ。」
「でも…」
「俺はご飯作って待ってるから。」
光の髪を撫で、背中に腕を回す御幸。
「上着持ってくるよ。」
「……。」
動揺して立ち尽くす光にそう言って、御幸は俺を一瞥し、寝室に踵を返した。
***
光をバイクの後ろに乗せ、俺はエンジンを吹かした。
「ちゃんと掴まれって。」
「……。」
不服そうに、でも俺の腰に回した腕に力を籠める光。
「よ〜し、そのまま掴まってろよ…。行くぞ。」
「……。」
返事はない。きっと今背中で、むっつり膨れてんだろうなぁ…。
そう考えて、俺はちょっと口元が緩んだ。
ツーリングに出発し、俺は自然公園の方を目指した。知っている場所はそのくらいしかなくて、そういえば近くに大きな湖があったな、と思い出した。
…だけど…光、今何も見えねぇんだよな…。
「…光、海に連れてってやるよ。」
「…海?」
訝しげな声が返って来る。そりゃそうだ。この辺りに海はない。アメリカは広くて、ここからだと何時間も車を飛ばしてようやく海がある街に着くくらいだ。
「……。」
行けるわけないでしょ、と光の無言の圧力を感じる。だけど同時に、光があの日のことを思いだしていることも俺はわかっていた。
「いいから、期待して乗ってろよ。俺だけの近道があるからよ。」
「……。」
すり、と背中に光の頬が擦れたように感じた。
***
自然公園の湖の傍にバイクを止め、着いたぞ、と光に声をかける。森の中にあって、あたりに人はいない。
「待ってろ、下ろしてやる。」
俺は先にバイクを降り、光が降りるのを手伝った。ふらついた光は咄嗟に俺に掴まり、すぐに体を離した。
「掴まってろよ。誘導するから」
「……。」
まだ不機嫌なのな。別にいいけど。こんな風に不満を曝け出してくれるなんて、嬉しくすらあるんだけど。
「足元悪ぃから、気をつけろよ。」
「……。」
光は砂利道を恐る恐る進み始めたが、石に躓いた拍子に俺に支えられると、不安を顔に滲ませた。
「や…、もういい、怖い」
「大丈夫だよ。絶対転ばせない。」
「……。」
「しょうがねーなぁ、掴まってろ。」
「え…、」
光の腕を自分の首に回させて、俺はひょいと光を抱き上げた。
「な…、何して…!お、おろして!」
「いーからいーから。周り誰もいねぇから気にすんな。」
「……。」
不満気にしながらも口を噤んだすきに、光を湖の縁まで運び、声をかけながら慎重に下した。
「光、しゃがんで。」
「……?」
俺の言葉に従う光の手を取って、指先をそっと湖面に触れさせた。
「ほら。海。わかるか?」
「……。」
ちゃぷちゃぷ、冷たい水を確かめるように手を動かし、光はやがて、涙をにじませた。
「…どうして…」
「え?」
「なんでいつも…こんなことするの…?」
「…ん?何がだよ。」
「…いつも…かっこいいことする…」
「……。」
…かっこいい?光が俺のこと、かっこいいって言った?
「ヒャハハ。なんだよいきなり。照れるぜ…」
「……。」
「惚れちゃう?なんつって…」
「…嫌い。」
「……あ…、そう。」
「……。」
じわり、と滲んだ涙が、光の頬に落ちて、ぽたぽたと湖面に落ちていく。
「……嫌いに、ならせて…。」
俺は言葉を失ってその意味をしばらく考えた。光の泣き顔。絞り出したような声。言葉の意味…。
ごくり、と喉が鳴る。
「…俺さ…」
「……。」
「…正直…結構、期待してたよ。お前から連絡が来ること…。」
「……。」
「でも、いつまで経っても来ねーし…ニュースであんな…病気のこと聞いて…」
「……。」
「御幸がいるのも、わかってるけど…でも…、…ほっとけなかった…。確かめたかった。自分で…光が今、どうしてるのか…。」
「……。」
「…光、俺に…ちょっとでも、連絡しようと思った?」
光はしばらく沈黙して、口を開いた。
「…あのメモは…あの後すぐ、捨てた」
「……。」
うわー…亮さんの言う通り…やっぱ期待なんてするもんじゃ……
「持ってたら……電話、しちゃいそうで……」
「……。」
「……こわくて…」
その泣き顔を見た瞬間、その声を聞いた瞬間…俺はたまらず光を抱きしめた。
「う…っ」
光は俺の腕の中で泣き続けた。やがて、手が俺の背中に回って、抱きしめ返してきた。
俺はしばらく光を抱きしめ、宥めるように背中を叩いた。
***
「あ…おかえり。」
マンションに帰ると、エプロン姿の御幸と、光のマネージャーの周防がいた。周防は俺たちを見て少し驚いたように目を丸くし、ぺこり、と会釈した。
「光さん、周防です。来週の仕事のことですが…」
「あ…、うん。」
光は周防に声をかけられると気が付いて、周防の誘導でソファに座った。
「ファッションショーの出場は中止…CMの撮影も中止です。次の仕事は来月の雑誌の撮影ですね…」
「…わかった。ごめんなさい。」
申し訳なさそうに頷く光に、周防は戸惑ったように、謝る必要はありません、と呟く。
「光…仕事休んでんのか。」
「当たり前だろ。ランウェイも歩けないし…カメラの方見るのも難しいんだから」
俺がぼそりと呟くと、御幸がこっそりと耳打ちした。そうか、そういうもんなのか…
だけど、光…責任感つええから、こういうの堪えるだろうな。事情が事情だけに、仕方ないとは思うけど…。
でも…
「…もったいねーなぁ」
「…え?」
聴こえたらしく、光が振り向いた。
「あ、いや…、だって、あと1年で引退なのによ…」
光も、モデルの仕事は好きだし…御幸んちに遊びに行った時、よく楽しそうに仕事の話をしているし、毎日ストイックに体型維持や食事に気を遣っているのも知っている。
「…しょうがないだろ。」
御幸がそれ以上言うな、というように俺を睨んできた。
「わ、わかってるけど…ほら、ファンも光を見る機会減って残念だろうなーと…」
「……。」
「せっかく光みたいな…」
…綺麗で…途方もなく魅力的な…
「…光みたいな子が、もうすぐ引退するってだけでも…もったいねーしさぁ…」
「でも、だからって、ハイヒール履いてランウェイなんて歩けねーだろ」
「立ってるだけじゃダメなのか?」
「…立って何をするんだよ。」
「え…、えーと……歌うとか」
ただの思い付きだったけど、俺ははっとした。
「…そうだよ歌!光歌上手いじゃん。歌ってるときは動かなくていいんだし。歌手活動引退したときもめちゃくちゃ話題になったしさ、ライブとかあったら絶対皆来るだろ。」
「…お前そんな簡単に言うけどさ…」
「…いえ、いいかもしれません」
「え?」
周防がぽつりと呟いて、御幸が振り向いた。
「ボイストレーニングの必要はありますが、伝手があります。…どうですか?光さん」
「……。」
動揺に揺れる光の瞳。
「やってくれよ、光。」
「……。」
「お前が家にこもってるなんてもったいねーよ。俺も協力するから。」
「……。」
その言葉に後押しされたのかどうかわからないけど…
「…じゃあ…、…話…つけておいて。」
「承知しました。」
光がそう言うと、周防も御幸もどこか嬉しそうに晴れやかな顔をした。
しばらくすると御幸だけがリビングに戻ってきて、その目尻は赤かった。
さっき…突然コイツが泣きだしたときはビビった。光が笑い出したら急に…こいつ、今まで見たことねーような顔して、笑いながら泣き出して…。……。
「倉持…」
帰れ、とか、もう光と会うな、とか、そう言われるのが普通だと思ったけど…
「…ありがとう」
御幸は泣いた痕を隠しきれない顔でそう呟いた。
「…何が?プリン?」
「……。…目が見えなくなってから…初めて見た。光が笑ってんの…」
「……。」
…そういうことか。
「……ありがとう…。」
「……別に……お前の為じゃねーし」
そう呟くと、御幸はそうだな、と笑って、鼻を啜った。
その時、インターフォンが鳴った。
「あ…、光臣かも」
御幸があわてて目を擦るのを見て、俺はため息をついた。
「俺出るから、顔洗って来いよ。」
「…サンキュ」
御幸が奥に引っ込んだのを尻目に、俺は玄関に向かった。ドアを開けると、御幸が言った通り、光臣と牧瀬が立っていた。牧瀬は俺を見るとあきらかに目を丸くして大げさに驚いた。
「えーーーっ!倉持さんがいる!!!」
「うるせぇなぁ…廊下中に響いてんぞ」
「え〜〜っなんで?なんで??」
「いいから入れよ、近所迷惑」
ふたりをリビングに通すと、ふたりとも慣れた様子で勧められずとも図々しくソファに座った。
「光と御幸さんは???」
「支度中だよ。」
「あっ!!これフォルテのプリンじゃないですか!?3人で食べてましたね!?ずるい!!」
「本当せわしねえなお前…」
「っていうかケーキ倉持さんの分ないじゃん!どうしよ?」
「別にいいんじゃないか?」
「別にいいけど、お前が言うな。」
俺もソファに座って、御幸達が来るのを3人で待っていると、しばらくして光を支えながら御幸が戻ってきた。
「あっ光!おはよ〜」
「おはよ…。」
…確かに前の光より元気ないな。牧瀬に支えられ、光がソファに座ると、テーブルにケーキが並んだ。御幸が淹れた紅茶を飲みながら、久々にこのメンバーで集まったな、とぼんやり考えて、懐かしい気分になった。
***
牧瀬たちが帰ると、御幸は光を気遣うように言った。
「光、大丈夫か?」
「…うん」
「もう休む?」
うん…、と沈んだ顔で頷く光を、御幸が支える。
「いやいや、ちょっと待てよ。」
思わず制止すると、光も御幸もぽかんとして立ち止まった。
「何?」
「いや、なんか病人みてぇな扱いだからよ。別に体調が悪いわけじゃないんだろ?」
「……。」
「ずっとベッドで寝てばかりじゃ暇だろ、なぁ光。」
御幸はぽかんと…本当に目からうろこが落ちたような顔をして、光を見た。光は迷うような顔で御幸に掴まっている。
「でも…」
そう呟いて諦めたような顔をした光を、俺は見逃さなかった。
「何?」
「……。」
「なんだよ?」
「……起きてても…一人じゃ、何も…できないし」
光の言葉を聞いて、御幸の顔が悲痛に歪んだ。
「何言ってんだよ。俺も御幸もいるだろ。」
そうはっきりと言い返すと、光は口を噤んだ。
「俺も御幸も、お前の為なら喜んで何でもするって…知ってるだろ。」
「……。」
「どこでも連れてってやるし、何でもしてやるよ。なぁ御幸?」
「あ…、あぁ…。」
戸惑いながら御幸が頷くと、光はまだ煮え切らない表情で俯いた。
「じゃあ…光。ツーリングでも行こうぜ」
「え…」
「俺今日、バイクで来てんだよ。借りモンだけど。なぁ御幸、いいか?」
御幸は目を瞬いて、光の表情を見つめて、決意したように唇を引き結んだ。
「…行って来いよ、光。」
「えっ…?」
どうして?というように御幸の方を見上げる光。俺と二人で出かけることを御幸が勧めるなんて、俺も驚いた。
「しばらく出かけてないじゃん。たまには行って来いよ。」
「でも…」
「俺はご飯作って待ってるから。」
光の髪を撫で、背中に腕を回す御幸。
「上着持ってくるよ。」
「……。」
動揺して立ち尽くす光にそう言って、御幸は俺を一瞥し、寝室に踵を返した。
***
光をバイクの後ろに乗せ、俺はエンジンを吹かした。
「ちゃんと掴まれって。」
「……。」
不服そうに、でも俺の腰に回した腕に力を籠める光。
「よ〜し、そのまま掴まってろよ…。行くぞ。」
「……。」
返事はない。きっと今背中で、むっつり膨れてんだろうなぁ…。
そう考えて、俺はちょっと口元が緩んだ。
ツーリングに出発し、俺は自然公園の方を目指した。知っている場所はそのくらいしかなくて、そういえば近くに大きな湖があったな、と思い出した。
…だけど…光、今何も見えねぇんだよな…。
「…光、海に連れてってやるよ。」
「…海?」
訝しげな声が返って来る。そりゃそうだ。この辺りに海はない。アメリカは広くて、ここからだと何時間も車を飛ばしてようやく海がある街に着くくらいだ。
「……。」
行けるわけないでしょ、と光の無言の圧力を感じる。だけど同時に、光があの日のことを思いだしていることも俺はわかっていた。
「いいから、期待して乗ってろよ。俺だけの近道があるからよ。」
「……。」
すり、と背中に光の頬が擦れたように感じた。
***
自然公園の湖の傍にバイクを止め、着いたぞ、と光に声をかける。森の中にあって、あたりに人はいない。
「待ってろ、下ろしてやる。」
俺は先にバイクを降り、光が降りるのを手伝った。ふらついた光は咄嗟に俺に掴まり、すぐに体を離した。
「掴まってろよ。誘導するから」
「……。」
まだ不機嫌なのな。別にいいけど。こんな風に不満を曝け出してくれるなんて、嬉しくすらあるんだけど。
「足元悪ぃから、気をつけろよ。」
「……。」
光は砂利道を恐る恐る進み始めたが、石に躓いた拍子に俺に支えられると、不安を顔に滲ませた。
「や…、もういい、怖い」
「大丈夫だよ。絶対転ばせない。」
「……。」
「しょうがねーなぁ、掴まってろ。」
「え…、」
光の腕を自分の首に回させて、俺はひょいと光を抱き上げた。
「な…、何して…!お、おろして!」
「いーからいーから。周り誰もいねぇから気にすんな。」
「……。」
不満気にしながらも口を噤んだすきに、光を湖の縁まで運び、声をかけながら慎重に下した。
「光、しゃがんで。」
「……?」
俺の言葉に従う光の手を取って、指先をそっと湖面に触れさせた。
「ほら。海。わかるか?」
「……。」
ちゃぷちゃぷ、冷たい水を確かめるように手を動かし、光はやがて、涙をにじませた。
「…どうして…」
「え?」
「なんでいつも…こんなことするの…?」
「…ん?何がだよ。」
「…いつも…かっこいいことする…」
「……。」
…かっこいい?光が俺のこと、かっこいいって言った?
「ヒャハハ。なんだよいきなり。照れるぜ…」
「……。」
「惚れちゃう?なんつって…」
「…嫌い。」
「……あ…、そう。」
「……。」
じわり、と滲んだ涙が、光の頬に落ちて、ぽたぽたと湖面に落ちていく。
「……嫌いに、ならせて…。」
俺は言葉を失ってその意味をしばらく考えた。光の泣き顔。絞り出したような声。言葉の意味…。
ごくり、と喉が鳴る。
「…俺さ…」
「……。」
「…正直…結構、期待してたよ。お前から連絡が来ること…。」
「……。」
「でも、いつまで経っても来ねーし…ニュースであんな…病気のこと聞いて…」
「……。」
「御幸がいるのも、わかってるけど…でも…、…ほっとけなかった…。確かめたかった。自分で…光が今、どうしてるのか…。」
「……。」
「…光、俺に…ちょっとでも、連絡しようと思った?」
光はしばらく沈黙して、口を開いた。
「…あのメモは…あの後すぐ、捨てた」
「……。」
うわー…亮さんの言う通り…やっぱ期待なんてするもんじゃ……
「持ってたら……電話、しちゃいそうで……」
「……。」
「……こわくて…」
その泣き顔を見た瞬間、その声を聞いた瞬間…俺はたまらず光を抱きしめた。
「う…っ」
光は俺の腕の中で泣き続けた。やがて、手が俺の背中に回って、抱きしめ返してきた。
俺はしばらく光を抱きしめ、宥めるように背中を叩いた。
***
「あ…おかえり。」
マンションに帰ると、エプロン姿の御幸と、光のマネージャーの周防がいた。周防は俺たちを見て少し驚いたように目を丸くし、ぺこり、と会釈した。
「光さん、周防です。来週の仕事のことですが…」
「あ…、うん。」
光は周防に声をかけられると気が付いて、周防の誘導でソファに座った。
「ファッションショーの出場は中止…CMの撮影も中止です。次の仕事は来月の雑誌の撮影ですね…」
「…わかった。ごめんなさい。」
申し訳なさそうに頷く光に、周防は戸惑ったように、謝る必要はありません、と呟く。
「光…仕事休んでんのか。」
「当たり前だろ。ランウェイも歩けないし…カメラの方見るのも難しいんだから」
俺がぼそりと呟くと、御幸がこっそりと耳打ちした。そうか、そういうもんなのか…
だけど、光…責任感つええから、こういうの堪えるだろうな。事情が事情だけに、仕方ないとは思うけど…。
でも…
「…もったいねーなぁ」
「…え?」
聴こえたらしく、光が振り向いた。
「あ、いや…、だって、あと1年で引退なのによ…」
光も、モデルの仕事は好きだし…御幸んちに遊びに行った時、よく楽しそうに仕事の話をしているし、毎日ストイックに体型維持や食事に気を遣っているのも知っている。
「…しょうがないだろ。」
御幸がそれ以上言うな、というように俺を睨んできた。
「わ、わかってるけど…ほら、ファンも光を見る機会減って残念だろうなーと…」
「……。」
「せっかく光みたいな…」
…綺麗で…途方もなく魅力的な…
「…光みたいな子が、もうすぐ引退するってだけでも…もったいねーしさぁ…」
「でも、だからって、ハイヒール履いてランウェイなんて歩けねーだろ」
「立ってるだけじゃダメなのか?」
「…立って何をするんだよ。」
「え…、えーと……歌うとか」
ただの思い付きだったけど、俺ははっとした。
「…そうだよ歌!光歌上手いじゃん。歌ってるときは動かなくていいんだし。歌手活動引退したときもめちゃくちゃ話題になったしさ、ライブとかあったら絶対皆来るだろ。」
「…お前そんな簡単に言うけどさ…」
「…いえ、いいかもしれません」
「え?」
周防がぽつりと呟いて、御幸が振り向いた。
「ボイストレーニングの必要はありますが、伝手があります。…どうですか?光さん」
「……。」
動揺に揺れる光の瞳。
「やってくれよ、光。」
「……。」
「お前が家にこもってるなんてもったいねーよ。俺も協力するから。」
「……。」
その言葉に後押しされたのかどうかわからないけど…
「…じゃあ…、…話…つけておいて。」
「承知しました。」
光がそう言うと、周防も御幸もどこか嬉しそうに晴れやかな顔をした。