304
「うい、とうちゃーく。ちょっと待ってろ光、今靴を…」
玄関から声が響いて来て、光と倉持が帰ってきたことに気づいて、料理を中断してそこへ向かうと、倉持は光が靴を脱ぐのを手伝っていた。
「おかえり。」
声をかけると光が振り向いて、俺の顔より少し右を見て、ただいま、と言う。光の手を取り、俺の肩に掴まらせてリビングに連れて行き、倉持もあとから荷物を持ってついてきた。
「今日はスタジオから事務所まで、光ひとりで歩いたんだぜ〜」
「え?」
なぁ?と得意げに光の頭を倉持が撫でると、光ははにかんだ。
「あ、もちろん俺も隣にいたけど。あそこは人通りも少ないし、点字ブロックもあるし、段差も少ないし…チャレンジしてみたんだよ。なっ、光?」
「倉持さんがしてみろってうるさいから。」
「光、3歩歩くごとに倉持さんいる?倉持さんいる?って言いながら…」
「そんなに言ってない!」
俺がぽかんとしていると、倉持が気付いて、ん?と首を傾げた。なんでもない、と首を振って、光の肩を叩く。
「そっか…頑張ったじゃん。」
えへへ、と恥ずかしそうに、でもちょっと嬉しそうに笑う光。
あの杖をついて歩くこと、怖いからとかなり抵抗があって、なかなか家から出ようとしなかったのに…。倉持が来てからどんどん前向きになっている気がする。光の笑顔が増えたのは、嬉しいけど…
「次はパン屋までだな〜。」
「う…」
「なんだよ。よく知ってる道だから大丈夫だって。」
「んん…」
「隣で見ててやるからさ。」
「…わかった。」
「よし、じゃ明日挑戦な。」
倉持とも距離がどんどん縮まってる。惹かれあってるのがわかる。
あの光の笑顔を見たとき…倉持が必要だと思って、倉持を家に呼んだ。光の為にはこれでよかったと思ってる。実際、倉持がいなかったら、光は今みたいに仕事に希望も見いだせず、まだ部屋に籠っていたかもしれない。
だけど…。正直、複雑だ。
「…光、着替えるだろ。手伝うよ。」
「あ…うん。」
ありがとう、と俺に掴まって立つ光。
「じゃ、飯の準備しとくわ」
倉持はキッチンへ行って、料理を取り分けはじめる。
家事の面でも、倉持が来てくれて正直助かっている。俺も忙しいし…いつもいつも、牧瀬や叔母さんを頼るわけにはいかないし。
寝室に光を連れて行き、ブラウスのボタンをはずしていく。いつも考えないように…着替えや風呂の手伝いをする。光はちょっと恥ずかしそうに顔を赤くして背けている。でも、一人ではできないから、身を任せている。
ブラウスを脱がし、スカートも脱がして、下着姿になった光の頭からセーターを被せた。光は袖を探しながらもたもたとそれを着て、俺はその手を取って自分の肩に掴まらせる。
「足上げて。」
片足にズボンを通し、もう片方の足も同じようにしてズボンを履かせる。
「ありがとう…」
やっと最近、必要以上にごめんねと言わなくなった光も、申し訳なさそうにお礼を言う。
「いえいえ。」
俺は茶化すようにそう返すのが精いっぱいで、それで光が口元に笑みを浮かべると安心する。
「…光…」
その柔らかな頬を撫でてそっと上を向かせると、光は何も映っていない瞳を伏せた。
「……。」
無防備な唇に唇を重ねると、光は受け入れるように目を閉じ、俺の背中に手を回してくる。
ちゅ…、と小さく音を立てて唇が離れると、光は俺の胸に抱き着いてきた。そんな風に甘えてくれたのは久しぶりで、俺は胸が熱くなった。
「…一也さんの顔…もう一度見たいな…。」
光のその呟きに、俺はまた泣きそうになって、光の頭にキスをして強く抱きしめた。
***
春になり、倉持は日本に帰って行った。またシーズン開けたら来るわ、と言い残して。
「光〜メイクしてあげる〜」
今日は牧瀬が朝からうちに来ていて、この後ふたりで出かけるらしい。光は本当に前向きになって、牧瀬や叔母さんと二人で外出することも増えてきた。
牧瀬に顔をいじくられながら、大きなブラシにくすぐったそうに顔を顰め、笑いだす光。牧瀬も楽しそうに笑っている。
「あ〜やっぱりコーラル系似合うなぁ光〜!色白だから絶対似合うと思ったんだよねぇ」
「ふうん…」
「今日髪巻いていい?」
「うん」
冷めた相槌を打ちながらも光も嬉しそうだし。こういうことは男の俺にはできないから牧瀬に感謝だ。
「今日は服も私がコーディネートするからね!!」
「任せるよ。」
「光を好きに着せ替えられるとか楽しすぎる…贅沢すぎるよぉ…」
「……。」
「あっ光今引いたでしょ〜?」
「べつに…」
「お前らそんな正反対なのによく仲良くなったよな〜…」
思ったことをつい呟くと、牧瀬が目をキラキラさせて俺を見た。
「よく言われます!!!」
「あ、そう…」
「もー光がうちのクラスに転入してきたとき、私一目惚れしちゃって!!めちゃくちゃ付きまといましたもん!!」
「あー大体想像通りだわ」
「だってこんな可愛い子が来たらそりゃもう大騒ぎですよ〜!男子とかみんな隣のクラスまでソワソワしてましたよ!」
「話盛りすぎ。」
「いや事実だって!!」
光の呟きに牧瀬は声を上げた。そうだよなぁ、俺の学年にまで、1年の玉城光って子が可愛い、って噂広がってきてたし。
「はい完成!次は髪やるよ〜」
「うん。」
ふたりはバスルームに入って行く。俺も何だか晴れやかな気分で朝の支度を進めた。
しばらくバスルームに籠っていた二人だったが、何か牧瀬が騒いでいることに気づいて少し気になりだした時、ばたばたと牧瀬がリビングに飛び出してきた。
「御幸さん!!光が…!」
「え…、何かあったのか?」
そのただならぬ様子に俺もあわててバスルームに入ると、光は洗面台の前に立っていた。
「見ててください。」
牧瀬はそう言って、光の傍に立った。
「光、どう?」
「ううん…」
光が首を横に振ると、牧瀬は洗面台の照明を静かに点けた。
「あ…。つけた?」
光が照明を見上げて呟いた。牧瀬が息をのんで嬉しそうに俺を見た。俺は呆然として、目頭が熱くなって、しばらく言葉を失った。
「光…わかるのか?」
「…ちょっとだけ…明るくなった」
光が振り返って微笑む。ほんの少しだけど、明るさがわかるようになった…?視力が回復してるってことか…!?
「良くなってるってことですよね!?」
牧瀬が満面の笑顔で言い、光を抱きしめてよかったよかった、と繰り返す。俺はなんだか夢のような心地で二人が抱き合うのを見つめた。
よかった…。本当によかった…。
光の目が、治るかもしれない…。
***
『マジ!?』
「マジだよ。」
『……!!!』
無言から煩いほどの喜びが伝わってくる。
光の目のこと…とにかく倉持にも伝えたいと思ってしまった。そして予想通り、倉持はどうしようもないほど喜んでいるようだ。
『スゲェ!!やったな!!マジか〜…!!』
「明日ちょうど検査だし、何かわかるかもな。」
『そうか…。』
はあ…、と喜び交じりのため息が聞こえる。電話越しだけど、倉持が今どんなに嬉しそうな顔をしているか、手に取るように分かった。そして…俺も今、顔中に喜びがあふれている。
『いや〜…よかった…。』
その噛みしめるような声に、俺は心から頷いた。
「そうだな…。」
『……。』
倉持は暫く黙り込んで、やがて、静かに言った。
『…お前のおかげかもな。』
「え?」
『やっぱお前が傍に居ることが…光にとっては…。』
それからまたしばらく沈黙を置いて、倉持は言った。
『…光…お腹の子を、亡くしたときにさ』
「……。」
『今だから言うけど…死んじまうんじゃないかって思った。それくらい傷ついてたし…』
「…うん」
『でも…お前と暫くイタリアで過ごしてさ、戻ってきたとき…笑ってて…。』
「……。」
『あんなとこから光を立ち直らせるなんて…敵わねぇって思った…正直』
「……。」
『俺には多分、どうやっても無理だなーって…』
それは、きっと…
「…それはそれ、別問題だろ」
『え?』
「今回のことは…俺は、お前が…」
『……。』
「…お前が、光の救いになったと思う…」
素直にその思いを打ち明けると、倉持は茶化しも得意げにもせず、沈黙していた。
「俺とお前、できることは違うし…」
『……。』
「きっと…俺たちじゃなきゃ、光を守ってこれなかった」
それを言葉にすると、ああそうだ、と自分でも納得した。
『…そうかもな。』
倉持も、深く息を吐き、呟いた。
玄関から声が響いて来て、光と倉持が帰ってきたことに気づいて、料理を中断してそこへ向かうと、倉持は光が靴を脱ぐのを手伝っていた。
「おかえり。」
声をかけると光が振り向いて、俺の顔より少し右を見て、ただいま、と言う。光の手を取り、俺の肩に掴まらせてリビングに連れて行き、倉持もあとから荷物を持ってついてきた。
「今日はスタジオから事務所まで、光ひとりで歩いたんだぜ〜」
「え?」
なぁ?と得意げに光の頭を倉持が撫でると、光ははにかんだ。
「あ、もちろん俺も隣にいたけど。あそこは人通りも少ないし、点字ブロックもあるし、段差も少ないし…チャレンジしてみたんだよ。なっ、光?」
「倉持さんがしてみろってうるさいから。」
「光、3歩歩くごとに倉持さんいる?倉持さんいる?って言いながら…」
「そんなに言ってない!」
俺がぽかんとしていると、倉持が気付いて、ん?と首を傾げた。なんでもない、と首を振って、光の肩を叩く。
「そっか…頑張ったじゃん。」
えへへ、と恥ずかしそうに、でもちょっと嬉しそうに笑う光。
あの杖をついて歩くこと、怖いからとかなり抵抗があって、なかなか家から出ようとしなかったのに…。倉持が来てからどんどん前向きになっている気がする。光の笑顔が増えたのは、嬉しいけど…
「次はパン屋までだな〜。」
「う…」
「なんだよ。よく知ってる道だから大丈夫だって。」
「んん…」
「隣で見ててやるからさ。」
「…わかった。」
「よし、じゃ明日挑戦な。」
倉持とも距離がどんどん縮まってる。惹かれあってるのがわかる。
あの光の笑顔を見たとき…倉持が必要だと思って、倉持を家に呼んだ。光の為にはこれでよかったと思ってる。実際、倉持がいなかったら、光は今みたいに仕事に希望も見いだせず、まだ部屋に籠っていたかもしれない。
だけど…。正直、複雑だ。
「…光、着替えるだろ。手伝うよ。」
「あ…うん。」
ありがとう、と俺に掴まって立つ光。
「じゃ、飯の準備しとくわ」
倉持はキッチンへ行って、料理を取り分けはじめる。
家事の面でも、倉持が来てくれて正直助かっている。俺も忙しいし…いつもいつも、牧瀬や叔母さんを頼るわけにはいかないし。
寝室に光を連れて行き、ブラウスのボタンをはずしていく。いつも考えないように…着替えや風呂の手伝いをする。光はちょっと恥ずかしそうに顔を赤くして背けている。でも、一人ではできないから、身を任せている。
ブラウスを脱がし、スカートも脱がして、下着姿になった光の頭からセーターを被せた。光は袖を探しながらもたもたとそれを着て、俺はその手を取って自分の肩に掴まらせる。
「足上げて。」
片足にズボンを通し、もう片方の足も同じようにしてズボンを履かせる。
「ありがとう…」
やっと最近、必要以上にごめんねと言わなくなった光も、申し訳なさそうにお礼を言う。
「いえいえ。」
俺は茶化すようにそう返すのが精いっぱいで、それで光が口元に笑みを浮かべると安心する。
「…光…」
その柔らかな頬を撫でてそっと上を向かせると、光は何も映っていない瞳を伏せた。
「……。」
無防備な唇に唇を重ねると、光は受け入れるように目を閉じ、俺の背中に手を回してくる。
ちゅ…、と小さく音を立てて唇が離れると、光は俺の胸に抱き着いてきた。そんな風に甘えてくれたのは久しぶりで、俺は胸が熱くなった。
「…一也さんの顔…もう一度見たいな…。」
光のその呟きに、俺はまた泣きそうになって、光の頭にキスをして強く抱きしめた。
***
春になり、倉持は日本に帰って行った。またシーズン開けたら来るわ、と言い残して。
「光〜メイクしてあげる〜」
今日は牧瀬が朝からうちに来ていて、この後ふたりで出かけるらしい。光は本当に前向きになって、牧瀬や叔母さんと二人で外出することも増えてきた。
牧瀬に顔をいじくられながら、大きなブラシにくすぐったそうに顔を顰め、笑いだす光。牧瀬も楽しそうに笑っている。
「あ〜やっぱりコーラル系似合うなぁ光〜!色白だから絶対似合うと思ったんだよねぇ」
「ふうん…」
「今日髪巻いていい?」
「うん」
冷めた相槌を打ちながらも光も嬉しそうだし。こういうことは男の俺にはできないから牧瀬に感謝だ。
「今日は服も私がコーディネートするからね!!」
「任せるよ。」
「光を好きに着せ替えられるとか楽しすぎる…贅沢すぎるよぉ…」
「……。」
「あっ光今引いたでしょ〜?」
「べつに…」
「お前らそんな正反対なのによく仲良くなったよな〜…」
思ったことをつい呟くと、牧瀬が目をキラキラさせて俺を見た。
「よく言われます!!!」
「あ、そう…」
「もー光がうちのクラスに転入してきたとき、私一目惚れしちゃって!!めちゃくちゃ付きまといましたもん!!」
「あー大体想像通りだわ」
「だってこんな可愛い子が来たらそりゃもう大騒ぎですよ〜!男子とかみんな隣のクラスまでソワソワしてましたよ!」
「話盛りすぎ。」
「いや事実だって!!」
光の呟きに牧瀬は声を上げた。そうだよなぁ、俺の学年にまで、1年の玉城光って子が可愛い、って噂広がってきてたし。
「はい完成!次は髪やるよ〜」
「うん。」
ふたりはバスルームに入って行く。俺も何だか晴れやかな気分で朝の支度を進めた。
しばらくバスルームに籠っていた二人だったが、何か牧瀬が騒いでいることに気づいて少し気になりだした時、ばたばたと牧瀬がリビングに飛び出してきた。
「御幸さん!!光が…!」
「え…、何かあったのか?」
そのただならぬ様子に俺もあわててバスルームに入ると、光は洗面台の前に立っていた。
「見ててください。」
牧瀬はそう言って、光の傍に立った。
「光、どう?」
「ううん…」
光が首を横に振ると、牧瀬は洗面台の照明を静かに点けた。
「あ…。つけた?」
光が照明を見上げて呟いた。牧瀬が息をのんで嬉しそうに俺を見た。俺は呆然として、目頭が熱くなって、しばらく言葉を失った。
「光…わかるのか?」
「…ちょっとだけ…明るくなった」
光が振り返って微笑む。ほんの少しだけど、明るさがわかるようになった…?視力が回復してるってことか…!?
「良くなってるってことですよね!?」
牧瀬が満面の笑顔で言い、光を抱きしめてよかったよかった、と繰り返す。俺はなんだか夢のような心地で二人が抱き合うのを見つめた。
よかった…。本当によかった…。
光の目が、治るかもしれない…。
***
『マジ!?』
「マジだよ。」
『……!!!』
無言から煩いほどの喜びが伝わってくる。
光の目のこと…とにかく倉持にも伝えたいと思ってしまった。そして予想通り、倉持はどうしようもないほど喜んでいるようだ。
『スゲェ!!やったな!!マジか〜…!!』
「明日ちょうど検査だし、何かわかるかもな。」
『そうか…。』
はあ…、と喜び交じりのため息が聞こえる。電話越しだけど、倉持が今どんなに嬉しそうな顔をしているか、手に取るように分かった。そして…俺も今、顔中に喜びがあふれている。
『いや〜…よかった…。』
その噛みしめるような声に、俺は心から頷いた。
「そうだな…。」
『……。』
倉持は暫く黙り込んで、やがて、静かに言った。
『…お前のおかげかもな。』
「え?」
『やっぱお前が傍に居ることが…光にとっては…。』
それからまたしばらく沈黙を置いて、倉持は言った。
『…光…お腹の子を、亡くしたときにさ』
「……。」
『今だから言うけど…死んじまうんじゃないかって思った。それくらい傷ついてたし…』
「…うん」
『でも…お前と暫くイタリアで過ごしてさ、戻ってきたとき…笑ってて…。』
「……。」
『あんなとこから光を立ち直らせるなんて…敵わねぇって思った…正直』
「……。」
『俺には多分、どうやっても無理だなーって…』
それは、きっと…
「…それはそれ、別問題だろ」
『え?』
「今回のことは…俺は、お前が…」
『……。』
「…お前が、光の救いになったと思う…」
素直にその思いを打ち明けると、倉持は茶化しも得意げにもせず、沈黙していた。
「俺とお前、できることは違うし…」
『……。』
「きっと…俺たちじゃなきゃ、光を守ってこれなかった」
それを言葉にすると、ああそうだ、と自分でも納得した。
『…そうかもな。』
倉持も、深く息を吐き、呟いた。