そしてあっという間に夏――。
野球シーズン真っただ中。倉持も忙しいようで頻度は減ったものの、必ず週に一度は連絡をしてくる。だけどそれもあくまで俺に――光に代われとも言わない。俺たちの中で、二人で光を支えていく…という決意があることをお互いに理解していたけど、まだそれを光に伝える気はなかった。
今はただ穏やかに…視力が快方に向かって行くことを喜び、過ごしていてほしかった。


光の寝顔を見つめ、こめかみを撫でると、ゆっくりと瞼が開いた。

「おはよう。」

その目が俺を捉えることはないけど…。光を見つめて言うと、光は微笑んだ。

「おはよう。」

自然に光とバスルームに入り、身支度を手伝っていると、インターフォンが鳴った。

「牧瀬かな。ちょっと待ってて。」

頷いた光を置いてモニターを見に行くと、そこには光の父親が立っていた。…最近見ないと思ったけど…まだこっちにいたのか。それともまた来たのか…。わからないけど、これ以上光の心労を増やしたくないし、今対応するわけにはいかない。
俺は下の警備室に繋いで、牧瀬が来たら男と会わせないよう警備室からマンション内に入れてもらえるように頼んだ。事情を説明してあるからスムーズに了承が帰ってきた。

「司来たの?」

バスルームに戻ると光は髪を梳かしていた。その髪を撫でて櫛を手から抜き取り、髪を梳かしてやりながら答える。

「いや。間違いだった」
「間違い…?」

誤魔化し方が下手だったかな…咄嗟だったから。だけどそのまま、うん、と頷くと、光はふうん、と相槌を打った。
その後簡単な朝食を済ませ、着替えも済ませた頃、牧瀬がやって来た。

「おはようございます!」
「おうおはよ…、下大丈夫だった?」

玄関で小声で尋ねると、牧瀬も警備室で話を聞いたらしく、ああ、と声を上げた。

「私が来たときにはもういませんでしたよ。念のため、警備室から入れてもらいましたけど。」
「そっか…ならよかった。」

牧瀬をリビングに通し、光に抱き着くのを横目に俺は荷物を持った。

「じゃ、ごゆっくり。」
「は〜い行ってらっしゃーい!」
「行ってらっしゃい。」

行ってきます、とマンションを出た。
大変ながらも、穏やかな日常に戻りつつあった。




***



「ただいま。」
「おかえり。」
「おかえりなさーい!」

夕方家に帰ると、光は牧瀬とリビングにいて、紅茶を飲みながら話をしていた。

「順調に回復してるみたいですよ、先生も驚いてました!」
「そうなの?」

今日は牧瀬に病院に付き添ってもらった。嬉しい報告を聞いて光の肩に触れると、光は俺の方に顔を向けてはにかみ、頷いた。

「元の視力に戻るかはわからないけど、また見えるようになる可能性があるらしいです!」
「そっか…。」

嬉しい。笑みをこぼしながら光の肩を撫で、その横顔を見つめた。

「あ、光臣がこっちに向かってるみたい。」

牧瀬はスマホを開いて呟いた。

「光臣が来たら帰りますね。」
「飯食ってかねーの?」
「司、今日誕生日だもんね。」

光が微笑んで牧瀬の方を向く。

「光臣と食事に行くんでしょ?」
「えへへ〜…まぁ…」
「へ〜、誕生日?おめでとさん。」
「どうも〜」
「つーかお前らもちゃんとカップルっぽいことしてんだな。」
「ちょっとぉ、どういう意味ですか〜?」

まあ光臣はそういうの、マメにやりそうだな。

「あれ?電話…。」

光臣からだ、と呟いて、牧瀬は応答した。

「は〜い。…え?あ…そうなの?」

牧瀬は光を見、俺を見て、何かを目で訴えてきた。

「わかった、うん。」

電話を切ると、そのおかしな様子を光も察したように目を瞬いた。

「どうかしたの?」
「え?ううん、ちょっと遅れるって。」
「ふうん…?」

訝しげに頷く光にわからないよう、牧瀬は何かをスマホに打ち込み、俺に見せてきた。

『光臣が下のロビーで光のお父さんに会って、今話してるらしいです。』

え?と目を丸くすると、牧瀬は文章を打ち直した。

『少し話してくるからここで待ってろって。』

すみません、と手でジェスチャーをする牧瀬に首を振る。

「…ちょっと、車に荷物忘れてきたから取ってくる。」
「え?うん」
「あ…は〜い。」

俺は咄嗟にそう言って、頷く光の肩を撫で、牧瀬にアイコンタクトをした。牧瀬は頷いて、光に事態を悟られないよう、明るく話しかけ始めた。




***




マンションを出たところで辺りを見渡すと、見覚えのある車があって、運転席に光臣の姿があった。助手席に乗っているのは間違いなく光の父親だ。近づいて運転席の窓をノックすると、光臣が気付いて、俺は後ろの席の方を指さした。ドアのロックが解除され、俺は後部座席に乗り込んだ。

「なんだ、いるんじゃないか。」

俺を振り返って、義父は呆れたように言った。光臣が今は留守だとかなんとか言ったのかもしれない。

「うちに何か御用ですか。」
「義父に向かって余所余所しいな。光もいるんだろ?会わせてくれ。」
「それはできません。」

留守だとか誤魔化すより、ハッキリ言った方が良いと思い、俺は断言した。

「用件なら俺が窺いますよ。」
「…おいおい、随分じゃないか?なんだよお前達揃って、俺を悪者みたいに…」
「……。」
「……。」

光臣も俺も、無言で義父を睨み返した。

「…光、目が見えなくなったって聞いたぞ。」
「…ええ。」

もうずいぶん前だけど。どこで誰から聞いて知ったのかは知らないが、少しでも父親として心配する気持ちがあるのか…?

「あいつの母親も、死ぬ半年前から同じ症状があってなぁ」
「え?」
「……。」

何を言い出すんだ…と思ったら、光臣は暗い顔で黙り込んでいた。
けど、光の母親は…光を刺したあと、自分で自分を…。全く目が見えない状態で、そんなことを?

「ここからはあっという間だぞ…本当に」
「…は…?」

一瞬、何を言われたのかわからなかった。だけど、振り向いて俺をニヤニヤと見るその顔を凝視しているうちに、俺は怒りで目の前が眩んだ。

「…おい!堪えろ!」

気付けば光臣に拳を掴まれていた。なんだよ、いきなり、と義父は俺を非難がましく睨んだ。

「…貴様は害しか及ぼさない。もうここには来ないでくれ!」

光臣が珍しく声を荒げてそう義父に怒鳴りつけるのを見て、俺はやっと少しずつ冷静さを取り戻した。

「なんだと?俺は光の実の父親なんだぞ!!会う権利があるだろ!!」
「本当に不思議でしょうがない。こんな屑から光のような娘が生まれたなんてな。」
「光臣お前、誰に向かって口を聞いてる!?立場を弁えろ!!」
「お前こそ、何様のつもりだ?娘が偉ければ親も偉いのか?違う。光は自分の努力で今があるんだ。お前は邪魔でしかなかっただろう!!」
「なんだと!!」

義父が光臣に掴みかかって、光臣は容易くその腕を拘束した。敵わないと思ったのか、義父はすぐに手を引っ込めて、不機嫌を露わにして乱暴にドアを開け、去って行った。

「……。」

光臣は襟元を直し、ため息をついた。

「まだ付きまとってくるなんてな…。」
「しつこいぞ、あいつは。」

俺の呟きにそう答え、光臣はネクタイを締め直し始めた。

「…あのさ…」

さっきの話…。光臣は知っている様子だった。当たり前だけど…

「光の母親の話…本当なのか?」
「……。」

光臣はネクタイをしめ、俺を振り向いた。

「ああ。視力を失った。その頃鬱病にもなっていて、心因性だろうと言われたらしいことは知ってる。」
「……。」

心因性…光と同じ…。光は、鬱とかは言われてないし、その様子もないけど…。

「結局そのまま…回復することなく……亡くなった。」
「……。」

沈痛な面持ちで、まるで当時の事を思い出しているかのように、光臣は重い声で言った。

「…光の母親は…。…自分で…って聞いてる」
「……。」
「でも、目が見えなかったんだよな?」

光は今、部屋から出ることもおぼつかない。声をかけても俺がどこにどう立っているかは把握できないし、俺はいつも光の手を自分の肩に掴まらせ、行動を共にしている。
なのに、自分で刃物を持ち出し、人を刺し、自分も刺す、なんて…、…一体どうやって?

「……。…あの頃は…限界だったんだ。あの人も、…光も。」
「……?」
「司が待ってる。行こう」

光臣がそう言って、俺達は車を降りた。

 


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