308
「では、失礼します。」
夜、光を送ってきた周防は、光を部屋の中まで案内すると、忙しそうに踵を返した。まだ仕事があるらしい。
周防が帰ると、部屋には俺と光だけになった。御幸はまだ帰っていない。
「手伝おうか…」
「いい」
寝室まで連れて行こうとすると、光はぷいとそっぽを向いて、壁を伝って何とか寝室に入って行った。この間からずっとこの調子だ。そのうち機嫌なおるよ、と御幸は慣れた様子で言うけど…。
光は毛布を持ってリビングに戻ってきて、手探りで棚を探し始めた。
「何探してんの?」
「……。」
「意地はらねーでそのくらい言えって。」
光がムッとしたとき、光の手がぶつかって置物が落ちた。
「あぶね!」
「…!」
光を抱き寄せて、ゴトン、と足元に落ちる木製の置物。事態を理解した光は少し大人しくなった。
「だから言っただろーが。ほしいもんあるなら俺に言えよ。」
「……。…イヤフォン…」
「イヤフォンね」
ほら、と光の手に握らせると、光はそれをつけてソファに座りに行った。
それから静かに音楽を聞き始めたから、俺はコーヒーでも淹れようかとキッチンへ向かう。すると着信音が鳴って、光はハンズフリーで話しはじめた。
「はい、御幸です」
英語…ってことは、仕事関係かな。
「あぁ、光?」
随分馴れ馴れしい態度の男の声が返ってきた。
「?あの…誰?」
「僕だよ、エドだよ。リディアから君の番号を聞いたんだ。用があってね」
「用?」
「今日のリハーサルの事でちょっと話したいんだけど。今からスタジオに戻れないか?」
「ごめんなさい、今日はもう、マネージャーも帰ったし」
「でも大事なことなんだよ。」
「明日行きます。」
「明日は僕の都合が悪い。近いし、今から僕が迎えに行こうか。帰りも送るよ、心配しなくていい。」
「……。」
…なんかモメてんな。英語は大体しか聴き取れねーけど…どこかに呼ばれてる?で、マネージャーがいないから無理っつってんのかな。
「どっか行くなら俺送るけど?」
後ろからそう声をかけると、光は俺の方を向いて、いや、と断りかけて、何かを思いついたように少し考えた。
「…じゃあ、やっぱり、今から行きます。」
「一人で?」
「いえ、友達に送ってもらいます。」
「わかったよ。じゃあ、待ってるから。」
電話を切ると、光は俺の方を向いて言った。
「スタジオまで送ってくれる?」
「あぁいいよ。前行ったとこ?」
「うん」
立ち上がる光の肩に上着をかけ、着るのを手伝って、俺も急いで荷物と上着を引っ掴んだ。
光をバイクにのせ、しっかり掴まるように言い、スタジオへ向かう。そのスタジオは視力を失う前からずっとお世話になっていたところらしく、そこへ着けばスタッフたちが皆助けてくれるし、俺も何度か光の送迎で行ったことがあるけど、毎回安心して任せていた。
だけど今日光をそこへ送って行ったら、すでに施錠されて人気のないスタジオの前に見慣れない一人の男が立っていて、バイクを停めると少し驚いた顔でこちらに歩み寄ってきた。
「友達って男?」
苦笑いして俺を指さし、光に話しかける男。
「夫の友人です。今家に滞在していて、送ってくれたんです。それで、話って何ですか?」
「奥で話そう。」
男は施錠されていたスタジオのドアを開け、光の背中に手を回して中に促そうとした。
「ちょ…、」
「君は外で待っていてくれるかな。仕事の話をするんでね。」
光について行こうとする俺の胸を、とん、と押し返す男。俺はここにいろと言うのか。でも…
「彼も一緒に」
光の手が俺を探すように空にのび、俺はその手を掴んだ。握り返される手。この手を離してはいけない気がした。
「こいつは部外者だろ。」
「私には付き添いが必要なんです。目が…」
「見えないんだろ。知ってるよ。奥で僕と少し話すだけだ。それとも僕が信用できない?」
「……。」
光の表情は悔しげに、悲しげに歪んだ。
「…できません。」
ノー、なんとかかんとか、と呟きながら光が首を横に振ると、男はあきらかに嘲笑気味に息を吐いた。
「僕にそんな事を言っていいの?今度のスポンサーが誰か、わかってるよね?」
「……。」
「今から会場を探し直すのは無理だよ?もう席もほとんど埋まってるんだから。僕の忠告を聞いた方が良い。わかるよね?」
「……。」
「来てくれるね?」
男は光の手を掴んで引っ張った。目が見えない光はバランスを崩し、よろけて壁に手をついた。
「おい!あぶねぇだろーが!!」
見ていられずに光の身体を抱き寄せた。光は暗闇の中でやっとつかむものを見つけたように、俺にしがみついた。
「光は目が見えねえんだぞ!!」
「何を言ってるかわかんねーよ!英語で話せ、英語で!英語がわからないのか!?」
「イングリッシュイングリッシュうるせーよ!何で俺がキレてんのかくれぇわかるだろーがよ!!」
「チッ…全く理解できない。ガキはチャリに乗って帰って寝てな!」
「光!何だよコイツ?なんか俺の事バカにしてねェか!?」
「……。」
光は俺に掴まっている手で服を引っ張り、俯いた。
「もう…いい。帰ろう…。」
「え?」
もういいって…まだ何も話してないけど…。
でもどっちにしろ、この男に光を任せることはできない。それに光もこう言ってんだし…。
「…わかった。じゃ、バイク乗って」
光をバイクに乗せようとすると、男が何か喚きながら追いかけてきた。俺は光を乗せると男に向かって中指を立ててバイクにまたがり、エンジンを蒸かせた。
「ファック…」
バイクが走り出し、男の叫び声が遠ざかる。
「…倉持さん、何かしたの?」
「いや、何も?」
しらばっくれて、ふうん、と俺に抱き着く光のぬくもりに頬が緩んだ。
「光、寄り道していいか?」
このまま帰るのはなんだか惜しくてそう尋ねると、もぞ、と背中で光の頭が動いた。
「やだ。」
「え…」
「…って言ったら、しないの?寄り道。」
「……。」
なんか光…俺に遠慮がなくなってきてる…。いやでも、こーいうのも悪くない…。むしろいい…。
「嘘だよ。いいよ、別に。」
送ってもらったし、と光は言って、また俺の背中に頭をもたれた。
「でも、どこ行くの?」
「ヒミツ。」
「……。なにそれ…。」
ぼそり、と光は呟いた。
***
「着いたぞ〜。」
降ろすから待ってろよ、と声をかけ、俺はバイクを停めると慎重に光を降ろした。
「ここ、どこ?」
「さあな〜どこでしょう?」
「……。」
光はムッとして眉をひそめた。
「そういうの一番嫌。」
「え……。」
「目が見えないからって、バカにして…」
「ちょっと待て!バカになんてしてねーよ!そんなつもりじゃなくて…」
うわ〜、もーミスった…。俺はただ軽い気持ちで言っただけなのに…!御幸の言う通り、確かに難しい…。
「…自然公園だよ!もうクリスマスのイルミネーションがあるから…」
「……。イルミネーションって…。…私見えないし…」
「そ、そうだけど」
時刻は夕暮れ時。群青色の空を背景に、白いコートを着た光は、キラキラしたイルミネーションに包まれて、綺麗で…
「光がそん中にいたら…綺麗だろうなって思って…」
「……。」
光は目を伏せて、唇を噛んだ。
「…やっぱ思った通り」
「…え?」
「お前には綺麗なもんが似合う。お前が一番綺麗だけど」
「…恥ずかしい事言って…」
「ヒャハハ。そーだな。すげえ恥ずかしい」
「倉持さんって…私に幻想を抱きすぎ。私、倉持さんが思うほど…いい子じゃないのに」
「わかってるわかってる。」
「……わかってない。」
光こそわかってない。幻想なんて言葉じゃ片づけられないほど、俺が光に想い焦がれていることに。光といると、どうしても夢見心地になってしまう。歯が浮くセリフも勝手に出てきてしまう。
「光、ベンチがあるから座ろう。」
「……。」
光は答えなかったけど、俺が歩き出すと俺に掴まったままついてきた。
光とベンチに座り、何かデートみたいだな、とこっそり思う。
「寒くねーか?」
「寒い。」
「……。」
…うまくいかない…。
「じゃ…これもどうぞ」
「…えっ?いいよ別に…」
「寒いんだろ?」
「倉持さんに風邪ひかれる方が嫌」
「……。」
上着を貸してやろうとしたらこの仕打ち。光って本当に俺の事好きなのかよ…?
「……。」
光はしばらく黙りこんで、悲しげに口を開いた。
「…ごめん」
「え…」
俺は目を瞬く。
「…何が?」
冷たい態度を取ってる事?
「…コンサート…できないかもしれない」
光が呟いた言葉に、俺は一瞬意味が解らず口をぽかんと開けた。
「え…なんで?だってもうあと…1ヶ月後じゃん」
「……さっきの人…。大きいスポンサーの身内なの」
「……。」
「でも逆らったから…多分会場を使えないようにするかもしれない」
「…え…なんだよそれ!?今更そんな…」
「そういうものなの」
光は悔しそうに膝の上で拳を握った。
「…倉持さんに、歌ってみろって言われて…最後に皆への恩返しのつもりで練習してきて…」
「……。」
「…楽しかった…。目が見えなくなっても、まだできることがあったんだって思って…。」
「……。」
「倉持さんも…わざわざまたアメリカまで手伝いに来てくれて…なのに…。…無駄にして、ごめんなさい」
震える小さな肩を見ていると、堪らず抱きしめたくなった。抱きしめて、安心させてやりたくなった。
「…無駄なんかじゃねーよ、まだ何も、どうにもなってないだろ!」
「……。」
光は首を振った。
「さっき…会場の事、言われた。今から探し直すのは無理だろって…今頃もう、使用中止の連絡をしてるかも」
「…ハァ!?そんな簡単に…1年間準備してきたのに…おかしいだろ!俺が言ってやるよ!」
「無駄だよ…。」
光はちょっと目尻を擦り、鼻を啜った。
「……。」
そんな動作でさえも、こんなに目を惹いて、心を揺さぶられるのに…。
「…関係ねぇよ」
「……?」
「お前に会場を使わせないなんて、すげぇバカだろ。会場が何だよ。お前に…」
「……。」
「…お前に会うために、地球の裏側まで来る奴もいるくらいなのに。会場くらい、どこだって平気だっつの。」
「……。」
光は唇を噛み、少し頬を赤くして、だけど悲しそうに目を伏せた。
「でも…もういい」
「…もういいって?」
結構勇気を振り絞って言ったんだけど…流された…。
「中止になったって、別に…もう、いい」
「……。」
「どうせ…あと2ヶ月で引退だし…。コンサート自体、色んな人に無理言って、迷惑かけて…」
「……。」
「もともと…ちゃんとお仕事ができる状態じゃないし…、とっくに休業してるはずだったし…」
…こんな弱音を吐く光、初めて見た…。今まで何があっても、どんなに辛い目に遭わされても、強くて…凛としてて…ボロボロになっても立ち向かおうとしてたのに。弱い姿を見せるのは御幸だけで…俺はいつも遠巻きに、そんな二人を羨ましく眺めてた。
俺に愚痴を言う光の姿には驚いたけど、なんだか嬉しくて、おかしくて…泣きそうな光を前に不謹慎だけど、口元が緩んだ。
「…何言ってるんだよ。」
光の顔が俺のいる方を向いた。
「迷惑かけたと思うなら、なおさら筋通して恩返しすんのが光だろ!弱気になって無責任に放り出す光なんて…俺は知らねぇぞ。」
「……。」
「お前の歌、すげー楽しみにしてたのによ…そんな風に思ってたなんて、ガッカリした」
光の顔に動揺が滲んだ。
「……ごめんなさい…。」
光は落ち込んだようにそう呟いて、しばらく黙りこんで、それから焦ったように周りを見渡した。
「倉持さん…?」
「……。」
「倉持さ…、」
俺がどこかへ行ってしまったと思ったのか、立ち上がって、見えないのに周りを見渡す光。その手に手を伸ばして掴み、引き留めると、光は振り向いた。
「いるよ、隣に。置いて行くわけないだろ」
「……。」
すとん、と光は気が抜けたようにベンチに座りなおした。
「…お前はスゲーよ。人を感動させて、惹きつけて…。」
「……。」
「なのに…お前自身が自分を諦めちまったら、もったいねーだろ。」
「……。」
「そんな風に諦めて、塞ぎこんでるお前を見てると…こっちまで辛くなるんだよ」
「……。」
「…俺さ。御幸と長い付き合いだけど…あいつが泣いてるとこ、2回しか見たことねーんだ。」
「え…?」
目を瞬いた光の横顔を見て、俺もその日の事を思い出した。
「1度目は…子供を亡くして、お前も危なかったとき」
「……。」
光もその日の事を思い出したように、じわりと目に涙を浮かべた。
「2度目は…。…お前の目が見えなくなって…俺がプリンを買いに行った日あっただろ。」
「……。」
涙を拭い、頷くように俯く光。
「あの日、お前が笑った時。御幸…笑いながら泣いてたんだぜ。」
「え…?」
「お前の目が見えなくなってから、お前が初めて笑ってくれたって。それが嬉しかったって…」
「……。」
「…わかったか?あいつがどんなに、お前の幸せを願ってるか。」
「……。」
「簡単に…自分を諦めるなよ。」
光はじっとうつむいて、黙っている。出しゃばりすぎたかな…。だけど、御幸の事はいつか伝えたかった。
「そろそろ御幸も帰ってくるな…。」
俺は腕時計を見てそう呟き、光の背中に手を添えた。
「寒いし、そろそろ帰ろうぜ。」
「…はい。」
光は晴れない顔のまま、頷いた。
夜、光を送ってきた周防は、光を部屋の中まで案内すると、忙しそうに踵を返した。まだ仕事があるらしい。
周防が帰ると、部屋には俺と光だけになった。御幸はまだ帰っていない。
「手伝おうか…」
「いい」
寝室まで連れて行こうとすると、光はぷいとそっぽを向いて、壁を伝って何とか寝室に入って行った。この間からずっとこの調子だ。そのうち機嫌なおるよ、と御幸は慣れた様子で言うけど…。
光は毛布を持ってリビングに戻ってきて、手探りで棚を探し始めた。
「何探してんの?」
「……。」
「意地はらねーでそのくらい言えって。」
光がムッとしたとき、光の手がぶつかって置物が落ちた。
「あぶね!」
「…!」
光を抱き寄せて、ゴトン、と足元に落ちる木製の置物。事態を理解した光は少し大人しくなった。
「だから言っただろーが。ほしいもんあるなら俺に言えよ。」
「……。…イヤフォン…」
「イヤフォンね」
ほら、と光の手に握らせると、光はそれをつけてソファに座りに行った。
それから静かに音楽を聞き始めたから、俺はコーヒーでも淹れようかとキッチンへ向かう。すると着信音が鳴って、光はハンズフリーで話しはじめた。
「はい、御幸です」
英語…ってことは、仕事関係かな。
「あぁ、光?」
随分馴れ馴れしい態度の男の声が返ってきた。
「?あの…誰?」
「僕だよ、エドだよ。リディアから君の番号を聞いたんだ。用があってね」
「用?」
「今日のリハーサルの事でちょっと話したいんだけど。今からスタジオに戻れないか?」
「ごめんなさい、今日はもう、マネージャーも帰ったし」
「でも大事なことなんだよ。」
「明日行きます。」
「明日は僕の都合が悪い。近いし、今から僕が迎えに行こうか。帰りも送るよ、心配しなくていい。」
「……。」
…なんかモメてんな。英語は大体しか聴き取れねーけど…どこかに呼ばれてる?で、マネージャーがいないから無理っつってんのかな。
「どっか行くなら俺送るけど?」
後ろからそう声をかけると、光は俺の方を向いて、いや、と断りかけて、何かを思いついたように少し考えた。
「…じゃあ、やっぱり、今から行きます。」
「一人で?」
「いえ、友達に送ってもらいます。」
「わかったよ。じゃあ、待ってるから。」
電話を切ると、光は俺の方を向いて言った。
「スタジオまで送ってくれる?」
「あぁいいよ。前行ったとこ?」
「うん」
立ち上がる光の肩に上着をかけ、着るのを手伝って、俺も急いで荷物と上着を引っ掴んだ。
光をバイクにのせ、しっかり掴まるように言い、スタジオへ向かう。そのスタジオは視力を失う前からずっとお世話になっていたところらしく、そこへ着けばスタッフたちが皆助けてくれるし、俺も何度か光の送迎で行ったことがあるけど、毎回安心して任せていた。
だけど今日光をそこへ送って行ったら、すでに施錠されて人気のないスタジオの前に見慣れない一人の男が立っていて、バイクを停めると少し驚いた顔でこちらに歩み寄ってきた。
「友達って男?」
苦笑いして俺を指さし、光に話しかける男。
「夫の友人です。今家に滞在していて、送ってくれたんです。それで、話って何ですか?」
「奥で話そう。」
男は施錠されていたスタジオのドアを開け、光の背中に手を回して中に促そうとした。
「ちょ…、」
「君は外で待っていてくれるかな。仕事の話をするんでね。」
光について行こうとする俺の胸を、とん、と押し返す男。俺はここにいろと言うのか。でも…
「彼も一緒に」
光の手が俺を探すように空にのび、俺はその手を掴んだ。握り返される手。この手を離してはいけない気がした。
「こいつは部外者だろ。」
「私には付き添いが必要なんです。目が…」
「見えないんだろ。知ってるよ。奥で僕と少し話すだけだ。それとも僕が信用できない?」
「……。」
光の表情は悔しげに、悲しげに歪んだ。
「…できません。」
ノー、なんとかかんとか、と呟きながら光が首を横に振ると、男はあきらかに嘲笑気味に息を吐いた。
「僕にそんな事を言っていいの?今度のスポンサーが誰か、わかってるよね?」
「……。」
「今から会場を探し直すのは無理だよ?もう席もほとんど埋まってるんだから。僕の忠告を聞いた方が良い。わかるよね?」
「……。」
「来てくれるね?」
男は光の手を掴んで引っ張った。目が見えない光はバランスを崩し、よろけて壁に手をついた。
「おい!あぶねぇだろーが!!」
見ていられずに光の身体を抱き寄せた。光は暗闇の中でやっとつかむものを見つけたように、俺にしがみついた。
「光は目が見えねえんだぞ!!」
「何を言ってるかわかんねーよ!英語で話せ、英語で!英語がわからないのか!?」
「イングリッシュイングリッシュうるせーよ!何で俺がキレてんのかくれぇわかるだろーがよ!!」
「チッ…全く理解できない。ガキはチャリに乗って帰って寝てな!」
「光!何だよコイツ?なんか俺の事バカにしてねェか!?」
「……。」
光は俺に掴まっている手で服を引っ張り、俯いた。
「もう…いい。帰ろう…。」
「え?」
もういいって…まだ何も話してないけど…。
でもどっちにしろ、この男に光を任せることはできない。それに光もこう言ってんだし…。
「…わかった。じゃ、バイク乗って」
光をバイクに乗せようとすると、男が何か喚きながら追いかけてきた。俺は光を乗せると男に向かって中指を立ててバイクにまたがり、エンジンを蒸かせた。
「ファック…」
バイクが走り出し、男の叫び声が遠ざかる。
「…倉持さん、何かしたの?」
「いや、何も?」
しらばっくれて、ふうん、と俺に抱き着く光のぬくもりに頬が緩んだ。
「光、寄り道していいか?」
このまま帰るのはなんだか惜しくてそう尋ねると、もぞ、と背中で光の頭が動いた。
「やだ。」
「え…」
「…って言ったら、しないの?寄り道。」
「……。」
なんか光…俺に遠慮がなくなってきてる…。いやでも、こーいうのも悪くない…。むしろいい…。
「嘘だよ。いいよ、別に。」
送ってもらったし、と光は言って、また俺の背中に頭をもたれた。
「でも、どこ行くの?」
「ヒミツ。」
「……。なにそれ…。」
ぼそり、と光は呟いた。
***
「着いたぞ〜。」
降ろすから待ってろよ、と声をかけ、俺はバイクを停めると慎重に光を降ろした。
「ここ、どこ?」
「さあな〜どこでしょう?」
「……。」
光はムッとして眉をひそめた。
「そういうの一番嫌。」
「え……。」
「目が見えないからって、バカにして…」
「ちょっと待て!バカになんてしてねーよ!そんなつもりじゃなくて…」
うわ〜、もーミスった…。俺はただ軽い気持ちで言っただけなのに…!御幸の言う通り、確かに難しい…。
「…自然公園だよ!もうクリスマスのイルミネーションがあるから…」
「……。イルミネーションって…。…私見えないし…」
「そ、そうだけど」
時刻は夕暮れ時。群青色の空を背景に、白いコートを着た光は、キラキラしたイルミネーションに包まれて、綺麗で…
「光がそん中にいたら…綺麗だろうなって思って…」
「……。」
光は目を伏せて、唇を噛んだ。
「…やっぱ思った通り」
「…え?」
「お前には綺麗なもんが似合う。お前が一番綺麗だけど」
「…恥ずかしい事言って…」
「ヒャハハ。そーだな。すげえ恥ずかしい」
「倉持さんって…私に幻想を抱きすぎ。私、倉持さんが思うほど…いい子じゃないのに」
「わかってるわかってる。」
「……わかってない。」
光こそわかってない。幻想なんて言葉じゃ片づけられないほど、俺が光に想い焦がれていることに。光といると、どうしても夢見心地になってしまう。歯が浮くセリフも勝手に出てきてしまう。
「光、ベンチがあるから座ろう。」
「……。」
光は答えなかったけど、俺が歩き出すと俺に掴まったままついてきた。
光とベンチに座り、何かデートみたいだな、とこっそり思う。
「寒くねーか?」
「寒い。」
「……。」
…うまくいかない…。
「じゃ…これもどうぞ」
「…えっ?いいよ別に…」
「寒いんだろ?」
「倉持さんに風邪ひかれる方が嫌」
「……。」
上着を貸してやろうとしたらこの仕打ち。光って本当に俺の事好きなのかよ…?
「……。」
光はしばらく黙りこんで、悲しげに口を開いた。
「…ごめん」
「え…」
俺は目を瞬く。
「…何が?」
冷たい態度を取ってる事?
「…コンサート…できないかもしれない」
光が呟いた言葉に、俺は一瞬意味が解らず口をぽかんと開けた。
「え…なんで?だってもうあと…1ヶ月後じゃん」
「……さっきの人…。大きいスポンサーの身内なの」
「……。」
「でも逆らったから…多分会場を使えないようにするかもしれない」
「…え…なんだよそれ!?今更そんな…」
「そういうものなの」
光は悔しそうに膝の上で拳を握った。
「…倉持さんに、歌ってみろって言われて…最後に皆への恩返しのつもりで練習してきて…」
「……。」
「…楽しかった…。目が見えなくなっても、まだできることがあったんだって思って…。」
「……。」
「倉持さんも…わざわざまたアメリカまで手伝いに来てくれて…なのに…。…無駄にして、ごめんなさい」
震える小さな肩を見ていると、堪らず抱きしめたくなった。抱きしめて、安心させてやりたくなった。
「…無駄なんかじゃねーよ、まだ何も、どうにもなってないだろ!」
「……。」
光は首を振った。
「さっき…会場の事、言われた。今から探し直すのは無理だろって…今頃もう、使用中止の連絡をしてるかも」
「…ハァ!?そんな簡単に…1年間準備してきたのに…おかしいだろ!俺が言ってやるよ!」
「無駄だよ…。」
光はちょっと目尻を擦り、鼻を啜った。
「……。」
そんな動作でさえも、こんなに目を惹いて、心を揺さぶられるのに…。
「…関係ねぇよ」
「……?」
「お前に会場を使わせないなんて、すげぇバカだろ。会場が何だよ。お前に…」
「……。」
「…お前に会うために、地球の裏側まで来る奴もいるくらいなのに。会場くらい、どこだって平気だっつの。」
「……。」
光は唇を噛み、少し頬を赤くして、だけど悲しそうに目を伏せた。
「でも…もういい」
「…もういいって?」
結構勇気を振り絞って言ったんだけど…流された…。
「中止になったって、別に…もう、いい」
「……。」
「どうせ…あと2ヶ月で引退だし…。コンサート自体、色んな人に無理言って、迷惑かけて…」
「……。」
「もともと…ちゃんとお仕事ができる状態じゃないし…、とっくに休業してるはずだったし…」
…こんな弱音を吐く光、初めて見た…。今まで何があっても、どんなに辛い目に遭わされても、強くて…凛としてて…ボロボロになっても立ち向かおうとしてたのに。弱い姿を見せるのは御幸だけで…俺はいつも遠巻きに、そんな二人を羨ましく眺めてた。
俺に愚痴を言う光の姿には驚いたけど、なんだか嬉しくて、おかしくて…泣きそうな光を前に不謹慎だけど、口元が緩んだ。
「…何言ってるんだよ。」
光の顔が俺のいる方を向いた。
「迷惑かけたと思うなら、なおさら筋通して恩返しすんのが光だろ!弱気になって無責任に放り出す光なんて…俺は知らねぇぞ。」
「……。」
「お前の歌、すげー楽しみにしてたのによ…そんな風に思ってたなんて、ガッカリした」
光の顔に動揺が滲んだ。
「……ごめんなさい…。」
光は落ち込んだようにそう呟いて、しばらく黙りこんで、それから焦ったように周りを見渡した。
「倉持さん…?」
「……。」
「倉持さ…、」
俺がどこかへ行ってしまったと思ったのか、立ち上がって、見えないのに周りを見渡す光。その手に手を伸ばして掴み、引き留めると、光は振り向いた。
「いるよ、隣に。置いて行くわけないだろ」
「……。」
すとん、と光は気が抜けたようにベンチに座りなおした。
「…お前はスゲーよ。人を感動させて、惹きつけて…。」
「……。」
「なのに…お前自身が自分を諦めちまったら、もったいねーだろ。」
「……。」
「そんな風に諦めて、塞ぎこんでるお前を見てると…こっちまで辛くなるんだよ」
「……。」
「…俺さ。御幸と長い付き合いだけど…あいつが泣いてるとこ、2回しか見たことねーんだ。」
「え…?」
目を瞬いた光の横顔を見て、俺もその日の事を思い出した。
「1度目は…子供を亡くして、お前も危なかったとき」
「……。」
光もその日の事を思い出したように、じわりと目に涙を浮かべた。
「2度目は…。…お前の目が見えなくなって…俺がプリンを買いに行った日あっただろ。」
「……。」
涙を拭い、頷くように俯く光。
「あの日、お前が笑った時。御幸…笑いながら泣いてたんだぜ。」
「え…?」
「お前の目が見えなくなってから、お前が初めて笑ってくれたって。それが嬉しかったって…」
「……。」
「…わかったか?あいつがどんなに、お前の幸せを願ってるか。」
「……。」
「簡単に…自分を諦めるなよ。」
光はじっとうつむいて、黙っている。出しゃばりすぎたかな…。だけど、御幸の事はいつか伝えたかった。
「そろそろ御幸も帰ってくるな…。」
俺は腕時計を見てそう呟き、光の背中に手を添えた。
「寒いし、そろそろ帰ろうぜ。」
「…はい。」
光は晴れない顔のまま、頷いた。