309
「何言ってるんだ、今更無理に決まってるだろ!!」
コンサート会場のオーナーの元を訪れると、部屋の中から怒声が響いてきた。
「そこをなんとかして、あの女に会場を貸すのをやめてくれよ!」
「どうしてそんなことしなきゃならん。光はいい宣伝材料になる。今度のコンサートでこの先十数年は遊んで暮らせるぞ。もっとデカいところも彼女なら十分使えるのに、わざわざうちの会場を使ってくれるんだ。目の都合で、家が一番近くていいとかで…ここに会場を経てて運が良かった。」
「目を覚ましてくれよ叔父さん!あの女、どうしようもないぜ!」
「お前まさか、また出演者に手を出そうとしたんじゃないだろうな?」
「えっ…」
「この馬鹿もんが!!御幸光に手を出そうなんてどうかしてる。あんな大女優に!旦那はメジャーリーガーだぞ、お前は全米を敵に回したと言ってもいい。実際相手にされたのか?されなかっただろ?」
「……!!」
男は何かをわめいて、乱暴にドアを開けて部屋を出てきた。俺と鉢合わせ、きつく睨みつけて、逃げるようにビルを出て行った。入れ違いに俺が部屋の入り口に立ち、開けっ放しのドアにノックをすると、窓の外を見ていたオーナーが振り返って苦笑を浮かべた。
「みっともないところを見られてしまったかな。申し訳ありません。」
「お気になさらず。」
俺は呟き、小切手を差し出す。
「約束の前金です。」
「ああ、ありがとうございます。では、失礼して…。」
男は小切手を受け取ると、棚の金庫に厳重に保管した。
「あれは甥なんだが、どうしようもない放蕩者でしてね。周防さんとそう齢も変わらないのに、お恥ずかしい限りです。」
「……。」
返答に困り、小さくお辞儀をして、書類を受け取った。
「御幸光さんにご迷惑をおかけしたようだ。お詫び申し上げます。」
「…あなたの責任ではありません。」
俺はそう答えて、それでは失礼します、と頷き、部屋を後にした。
…光さんに手を出そうとした?…俺には覚えがない…。いつの話だ?
***
「え…大丈夫なの?」
朝光さんを迎えに行き、会場は大丈夫なのかと聞かれて頷いたら、光さんは拍子抜けしたようにそう言った。
「なぜです?」
「…使えなくなると思ったから」
「何かあったんですか?」
「……。」
光さんはばつが悪そうに、先日あったことを俺に話した。帰宅後、オーナーの甥からスタジオに呼び戻され、どこかへ連れて行かれそうになったことを…。倉持洋一が同行していたため、強引に振り切って帰宅したと言う事も。倉持洋一がいてくれて助かった。
「…オーナーはまともな人物です。甥の我儘など聞き入れませんよ。甥がしたこともお見通しでしたから。」
「そうなんだ…。」
「それより、そういうことがあったのなら俺に報告しておいてください。」
「え?」
「次からオーナーの甥が近づかないよう、対策しますから」
「……。」
光さんはしばらく思い悩んで、おずおずと口を開いた。
「…報告した方が良いの?」
「当たり前です。SPに指示も出せますし…」
「…じゃあ…。えっと…。」
「……?」
「実は先週のリハーサルから、チェロ奏者のダンさんにディナーに誘われて困ってるの…」
「……。」
「あと、一昨日演出家のリードさんに、滞在してるホテルに来てほしいって言われて…ちょうど周防君が来て、うやむやになったけど」
「……。」
「今はそのくらいかな。」
信じられない…。できるかぎり光さんと行動を共にして、自分がいられないときはSPをつけるようにもしていたのに、そんなわずかな隙をついて男共が光さんを狙っていただなんて…。
「仕事以外だと……、あ…でもそこまで言う必要ないか。」
「漏らさず報告してください。」
「え…?」
「迂闊でした。これからはもっと注意を払います。」
「……。」
「光さんを一人にはしません。」
光さんは目を瞬いて、自分の頬を両手で包んだ。
「周防君がそんなこと言うのって、なんか…ドキドキしちゃう」
「…そのような言動は控えてください。」
この人の魅力もそうだけど、一番の問題は、その魅力を本人が自覚していないことか…。
今日また一つ光さんの事を理解して、俺は決意を新たにした。
あと2ヶ月…。光さんを絶対に守り抜いてみせる。
***
光さんを車に乗せてマンションへ向かう。
今日のトレーニングは、いつもよりも熱が入っている気がした。いつも真面目にひたむきに仕事をしている彼女だけど、今日は特に…。引退も迫っているし、実質最後の大仕事となるコンサートだから、…だろうか。
「…マンションに到着しました。ドアを開けますので、お待ちください。」
俺はそう声をかけ、車を停車させると、後ろのドアを開けて光さんが降りるのを手伝った。高層階直行の内部エレベーターに乗り、カードキーを翳して御幸夫妻のフロアのボタンを押す。
エレベーターホールに着くと、玄関のドアを開錠し、光さんを玄関に促した。ルームシューズに履き替えるのを手伝い、彼女をリビングまで連れて行くと…
「お。おかえり」
倉持洋一がいた。
「御幸はまだ帰ってないぜ。」
「…そうですか。」
俺にそう言って、倉持洋一は光さんを預かり、コートを脱がせてソファに座らせる。
「お疲れさん。コーヒー飲むか?」
「…いい。」
「え?そう?」
気を許した様子で過ごし始める二人を見て、俺はお辞儀をした。
「では…俺は失礼します。」
「ああ。お疲れ」
「ありがとう。」
部屋を出て駐車場に戻り、車に乗り込む。
そこで気が付いた。…ルームキーを預かったままだった。俺としたことが。
急いでエレベーターに戻り、玄関を開けた。
「光、寒くねーの?温度上げる?」
「…いい」
「まだご機嫌ナナメなのかよ?」
「普通だもん」
「ヒャハハ。そんなむっつりした顔で普通?」
「うるさい。」
「そうやってむくれてるお前見てるとなんか思い出すんだよな…、…あ、そうだ、高校ん時の光の御幸に対する態度とそっくり…」
「ちょっと、それどういう意味!」
…なんとなく声をかけるのを躊躇って、俺はカードキーを玄関のキーケースにそっと仕舞い、部屋を出た。
俺が思っていたよりもずっと、あの二人は親しい間なのかもしれない…。そう思ったけど、不思議と驚きはなかった。
コンサート会場のオーナーの元を訪れると、部屋の中から怒声が響いてきた。
「そこをなんとかして、あの女に会場を貸すのをやめてくれよ!」
「どうしてそんなことしなきゃならん。光はいい宣伝材料になる。今度のコンサートでこの先十数年は遊んで暮らせるぞ。もっとデカいところも彼女なら十分使えるのに、わざわざうちの会場を使ってくれるんだ。目の都合で、家が一番近くていいとかで…ここに会場を経てて運が良かった。」
「目を覚ましてくれよ叔父さん!あの女、どうしようもないぜ!」
「お前まさか、また出演者に手を出そうとしたんじゃないだろうな?」
「えっ…」
「この馬鹿もんが!!御幸光に手を出そうなんてどうかしてる。あんな大女優に!旦那はメジャーリーガーだぞ、お前は全米を敵に回したと言ってもいい。実際相手にされたのか?されなかっただろ?」
「……!!」
男は何かをわめいて、乱暴にドアを開けて部屋を出てきた。俺と鉢合わせ、きつく睨みつけて、逃げるようにビルを出て行った。入れ違いに俺が部屋の入り口に立ち、開けっ放しのドアにノックをすると、窓の外を見ていたオーナーが振り返って苦笑を浮かべた。
「みっともないところを見られてしまったかな。申し訳ありません。」
「お気になさらず。」
俺は呟き、小切手を差し出す。
「約束の前金です。」
「ああ、ありがとうございます。では、失礼して…。」
男は小切手を受け取ると、棚の金庫に厳重に保管した。
「あれは甥なんだが、どうしようもない放蕩者でしてね。周防さんとそう齢も変わらないのに、お恥ずかしい限りです。」
「……。」
返答に困り、小さくお辞儀をして、書類を受け取った。
「御幸光さんにご迷惑をおかけしたようだ。お詫び申し上げます。」
「…あなたの責任ではありません。」
俺はそう答えて、それでは失礼します、と頷き、部屋を後にした。
…光さんに手を出そうとした?…俺には覚えがない…。いつの話だ?
***
「え…大丈夫なの?」
朝光さんを迎えに行き、会場は大丈夫なのかと聞かれて頷いたら、光さんは拍子抜けしたようにそう言った。
「なぜです?」
「…使えなくなると思ったから」
「何かあったんですか?」
「……。」
光さんはばつが悪そうに、先日あったことを俺に話した。帰宅後、オーナーの甥からスタジオに呼び戻され、どこかへ連れて行かれそうになったことを…。倉持洋一が同行していたため、強引に振り切って帰宅したと言う事も。倉持洋一がいてくれて助かった。
「…オーナーはまともな人物です。甥の我儘など聞き入れませんよ。甥がしたこともお見通しでしたから。」
「そうなんだ…。」
「それより、そういうことがあったのなら俺に報告しておいてください。」
「え?」
「次からオーナーの甥が近づかないよう、対策しますから」
「……。」
光さんはしばらく思い悩んで、おずおずと口を開いた。
「…報告した方が良いの?」
「当たり前です。SPに指示も出せますし…」
「…じゃあ…。えっと…。」
「……?」
「実は先週のリハーサルから、チェロ奏者のダンさんにディナーに誘われて困ってるの…」
「……。」
「あと、一昨日演出家のリードさんに、滞在してるホテルに来てほしいって言われて…ちょうど周防君が来て、うやむやになったけど」
「……。」
「今はそのくらいかな。」
信じられない…。できるかぎり光さんと行動を共にして、自分がいられないときはSPをつけるようにもしていたのに、そんなわずかな隙をついて男共が光さんを狙っていただなんて…。
「仕事以外だと……、あ…でもそこまで言う必要ないか。」
「漏らさず報告してください。」
「え…?」
「迂闊でした。これからはもっと注意を払います。」
「……。」
「光さんを一人にはしません。」
光さんは目を瞬いて、自分の頬を両手で包んだ。
「周防君がそんなこと言うのって、なんか…ドキドキしちゃう」
「…そのような言動は控えてください。」
この人の魅力もそうだけど、一番の問題は、その魅力を本人が自覚していないことか…。
今日また一つ光さんの事を理解して、俺は決意を新たにした。
あと2ヶ月…。光さんを絶対に守り抜いてみせる。
***
光さんを車に乗せてマンションへ向かう。
今日のトレーニングは、いつもよりも熱が入っている気がした。いつも真面目にひたむきに仕事をしている彼女だけど、今日は特に…。引退も迫っているし、実質最後の大仕事となるコンサートだから、…だろうか。
「…マンションに到着しました。ドアを開けますので、お待ちください。」
俺はそう声をかけ、車を停車させると、後ろのドアを開けて光さんが降りるのを手伝った。高層階直行の内部エレベーターに乗り、カードキーを翳して御幸夫妻のフロアのボタンを押す。
エレベーターホールに着くと、玄関のドアを開錠し、光さんを玄関に促した。ルームシューズに履き替えるのを手伝い、彼女をリビングまで連れて行くと…
「お。おかえり」
倉持洋一がいた。
「御幸はまだ帰ってないぜ。」
「…そうですか。」
俺にそう言って、倉持洋一は光さんを預かり、コートを脱がせてソファに座らせる。
「お疲れさん。コーヒー飲むか?」
「…いい。」
「え?そう?」
気を許した様子で過ごし始める二人を見て、俺はお辞儀をした。
「では…俺は失礼します。」
「ああ。お疲れ」
「ありがとう。」
部屋を出て駐車場に戻り、車に乗り込む。
そこで気が付いた。…ルームキーを預かったままだった。俺としたことが。
急いでエレベーターに戻り、玄関を開けた。
「光、寒くねーの?温度上げる?」
「…いい」
「まだご機嫌ナナメなのかよ?」
「普通だもん」
「ヒャハハ。そんなむっつりした顔で普通?」
「うるさい。」
「そうやってむくれてるお前見てるとなんか思い出すんだよな…、…あ、そうだ、高校ん時の光の御幸に対する態度とそっくり…」
「ちょっと、それどういう意味!」
…なんとなく声をかけるのを躊躇って、俺はカードキーを玄関のキーケースにそっと仕舞い、部屋を出た。
俺が思っていたよりもずっと、あの二人は親しい間なのかもしれない…。そう思ったけど、不思議と驚きはなかった。