310
今日はついに光のコンサートの日だ。
会場は満席。会場の外にはチケットを取れなかったファンが詰めかけている。
「スポットライトが点いたら、歌い始めてください。」
光は明るさを感じることはできる。スタッフの言葉にうなずくと、あとはリハーサル通りですから、とスタッフも微笑んだ。
「光、席から見てるからな。頑張れよ。」
「うん。」
御幸が光の頭を撫でて言うと、光は嬉しそうに微笑んだ。
「……。」
ここ最近の俺への八つ当たりぶりを思い出し、俺は気安く光に触れるのはやめておいた。御幸は認め始めてくれているとはいえ、肝心の本人が俺を拒絶しているし…。光の本心が知りたい。嫌われているかと思えば、連絡先を持っているのが怖かったと泣かれる。はっきりと…本当の気持ちを光の口から聞きたい。
「光さん、準備お願いします!」
「はい。」
スタッフに呼ばれ、光は周防に掴まって立ち上がった。
「じゃあ、俺らは席に行ってるな。」
「うん。……。」
御幸の言葉にうなずいた後、少し息をのんだ光に、頑張れ、と声をかけるべきか迷っていると――光は踵を返し、準備のために部屋を出て行ってしまった。
「倉持?行こうぜ。」
「…ああ。」
一言も声をかけられなかったことをなんとなく引き摺りつつ席に行くと、既に牧瀬と光臣が座っていた。
「あ!こんばんは。」
「よお。」
「もう来てたのか。」
軽く挨拶を交わし、俺と御幸も席に着く。
「光、大丈夫そうですか?」
「元気だよ。」
牧瀬が御幸に尋ね、御幸は頷いた。
「楽しみだな〜。」
牧瀬が呟き、キラキラした目でステージを見上げ、光臣も見守るように微笑んだ。
やがて照明が落とされ、会場は闇に包まれる。目を凝らしても何も見えない闇。光は1年間、こんな世界で生きてきたのかな…。そしてそれがいつまで続くか、まだわからないんだ。そう考えて、胸の奥まで静まり返った気分だった。
フワッ、と柔らかな青い光が灯り、ステージに立つ白いドレス姿の光を照らした。光の肌も髪も白く輝き、まるで天使が降りて来たようだった。光は俯いていた顔を上げ、真っ直ぐに前を見つめた。
……ざわざわざわ。光が動かず、客席が騒ぎ始めた。光の後ろに並ぶオーケストラの演奏者たちも互いに顔を見合わせている。
「…どうしたんだろう?」
牧瀬が呟いた隣で、御幸がはっとした。
「…もしかして…灯りに気づいてないんじゃ…。」
「…え!?」
光は明暗は感じ取れるはず…。昼と夜の区別もつくし、部屋の電気がついているかどうかも分かる。今光を照らしているライトも、光が感じられる程度には明るいはず…。
どうして…?
光は会場のざわつきに気付いたのか、その顔に不安が滲んだように見えた。灯りに気づいてないなら、騒ぎの原因に見当はついても、確信は持てない…。あのステージ上で、光の目の前は真っ暗で、辺りのざわつきだけを感じでいて…。光の心細さを思ったら、いてもたってもいられなくなった。
「――光!頑張れ!!」
声を張り上げると、隣の御幸達がぎょっとした顔で俺を見た。すると次第に、後ろの方の客席からもわっと歓声が上がり、拍手が起こった。光ちゃん、光、がんばれ、がんばれ…。
光はマイクを持った手を口元に寄せ、歌いだした。
***
「うううぅ〜〜〜〜…」
「大丈夫か?」
「だめえぇぇ……」
コンサートが終わると、感動で号泣する牧瀬を光臣が気遣いつつ、俺達は光の楽屋に向かった。
「牧瀬1曲目から泣いてなかった?」
「悪いですか!!??」
「とんでもございません」
「いやでも、スゴかったよな。」
感動を分かち合いながら楽屋の前に着くと、その前に立っていた周防が俺達に気づいてお辞儀をした。
「あの…、」
それから緊張した面持ちで俺たちに近寄ってきた。周防にしては珍しく焦った様子で、俺達は異変を感じて顔を見合わせた。まさか、光に何か…?明かりに気付かなかったことが蘇り、にわかに嫌な予感がした。
「と…とりあえず、楽屋にお入りください。」
「光に何かあったのか?」
「いいから、とにかく中に…」
光臣が訊ねると、周防は楽屋のドアをノックしながら答える。
「どうぞ。」
中から光の声が返ってきて、周防は失礼します、とドアを開けた。
部屋の中には椅子に座っている光がいて、まだ真っ白なドレス姿のままの光は、俺達を見上げて――確かにはっきりと、青い海のような瞳で見上げて、ぱあっと笑顔を浮かべた。
「一也さん!」
「え……、」
「司も…。光臣も、…倉持さんも。来てくれてありがとう。」
しっかり目が俺達を捉えている…。まさか…。まさか……。
「光…、目が…?」
御幸が震える声で尋ねると、光は目を潤ませて頷いた。
「すごくぼんやりとだけど…ちゃんと見える。」
御幸は息をのみ、光を抱きしめた。ふたりとも…いや、俺達も涙を流し、特に牧瀬なんてその場に崩れ落ちて泣き出して、光は泣きながら、御幸にぎゅうぎゅう抱きしめられながら笑い出した。
「一也さん、もう離して。」
「無理だよ…」
「お願い。顔…見たいから」
御幸の涙でぐちゃぐちゃになった顔を見て光はまた笑って、自分もとめどなく涙を流し続けた。
御幸の手から離れると、光は床に座り込んで泣いている牧瀬に歩み寄った。
「司…。」
「光ぃぃ……よかったぁ…よかったよぉぉ……」
「うん…。」
二人が抱き合うのを見て、俺達はこっそりと涙を拭きながら微笑みを交わした。
「ありがとう…。皆のおかげで、この1年…乗り越えられたと思うから…」
光は涙を拭い、俺達を順番に見上げてそう言うと、立ち上がって俺の前に立った。
「倉持さん…。さっきは…ありがとう。」
「え…」
「倉持さんのおかげで…歌えた。」
うるんだ目で俺を見上げ、そうはにかんだ光を抱きしめたくなりながら、俺はやっとの思いで口元に笑みを浮かべた。
「…スゴかったぜ。感動した」
「……。」
俺の言葉に光は微笑みを浮かべ、また御幸の方へ戻っていく。
笑いながら御幸の涙を手で拭ってやっている光の、幸せそうな顔を見て――俺は踵を返した。
「倉持さん?」
牧瀬が気付き、声をかける。
「俺は外で待ってる。」
「そんなこと言って、煙草吸いたくなったんじゃないですか〜?こんなときに〜…」
「うるせー」
こっそり鼻を啜り、一人で楽屋を出た。皆の楽しげな声を聞きながら、やっぱり光と御幸は二人であの国に行くんだろうと…来年、俺は一人で日本にいるんだろうと考えて、急に涙が冷えたように感じた。
***
「あの看板は?読める?」
「読めない。すごくぼやけてて…結構近づかないと、顔も判別できないもん。裸眼の一也さんより視力弱いと思う。」
「でもさっき、俺らの事すぐ分かったじゃん。」
「それは声とか、雰囲気とかで…。一也さん達じゃなかったらわからなかったよ。」
「そっか〜〜」
帰りの車で、御幸は終始ニコニコにやにや、嬉しそうに光に話しかけていた。光もそんな御幸の横顔を助手席から見つめて、嬉しそうで…。
「よし、着いたぞ〜。」
「ふふふ。」
つい今までの癖で、マンションの駐車場に車を停めるなりそう言った御幸に光が笑うと、御幸も照れ臭そうに苦笑した。
「明日病院で検査してもらおうぜ。」
「うん。」
「あ、そこ段差気をつけろよ…」
御幸が光を支えるようにして部屋に入っていく後を一人ついて行きながら、少しの寂しさを感じる。目が見えるようになって、俺の助けはいらなくなった。それにもう、あと半月もしないうちに、ふたりはアンクレー王国へ行く…。
そろそろ俺も日本に帰らないと。俺がいつまでもいたんじゃ、二人も荷造りできないし…それに、来年の契約書にサインして、今年中に球団に出さないと。
…もう光に会えなくなるのだろうか…。光臣は光の親族だし、牧瀬も光臣の婚約者だから、光に会いに行ける。でも俺は…ただの知り合い。友達。他人だ。
「コーヒー飲む?」
「うん。あ、私やる。」
「いいよ、座ってろよ。」
「やりたいの。」
光はそう笑いながらキッチンへ向かい、御幸も気遣うようについて行く。
「久々のキッチンだ。」
ふふふ、と光が笑って、御幸もつられるように笑った。光は料理が好きだし、この1年、キッチンに立てないことも退屈だったのかもしれない。
「えーと…」
「これ。」
「あ、ありがとう。」
目を凝らして棚に並ぶキャニスターを迷う光に、御幸はコーヒー豆が入ったキャニスターを手渡した。仲良くコーヒーを淹れはじめる二人を見ながら、俺はさりげなく部屋に引っ込んだ。
――コンコン。
5分ほどして、部屋のドアがノックされた。
「はい。」
ベッドに寝ころがっていた俺は返事をして起き上がる。すると、光がマグカップを持って立っていて、リビングの方にいる御幸に何やら目配せをし、俺の顔を見た。
「お邪魔します。」
ちょっと冗談めいた言い方で言って、光は部屋に入ってドアを閉め、俺の傍に来てベッドの淵に腰かけた。
「はい。コーヒー」
「ああ…サンキュ」
マグカップを受け取り、少し口をつけて、サイドボードに置く。
「倉持さん…」
「ん?」
なんだか光は真剣な顔になって、俺は何を言われるのかと少し緊張した。
「今日の…コンサートで」
「…うん」
「私、ライトが点いたのがわからなくて…。」
やっぱり…そうだったのか。でも今は、今まで以上に見えるようになってる…。人間って不思議なモンだな…
「だから…倉持さんのおかげなの。」
「ああ…光頑張れってヤツ?御幸達にびっくりされてよ、ちょっと恥ずかしかったぜ。ヒャハ…」
「そうだけど、そうじゃなくて」
「え?」
「…倉持さんの声が聞こえたら…。…明かりが点いたみたいに、目の前の光景が見えたの」
「……。」
それって…つまり…
「…俺の声を聞いて…見えるようになったってこと?」
「……。」
光は顔を赤くして、こくん、と頷き、上目づかいで俺を見つめる。
「……なんで…。」
俺がそんなに…光にとってデカい存在だったか?
「…嫌われちゃったかと思って」
「…え?は?え、誰…何の話?」
「…倉持さんに、嫌われちゃったと思ったの」
ちょっとムッと口をとがらせて恥ずかしそうに言う光が、スゲー可愛くて…それ以前にびっくりして、俺はしばらく言葉が出てこなかった。
「な…なんで???どのへんが!?」
「…がっかりした…って言ったでしょ」
「……。」
「だから…。」
もじもじ、手を弄び、光はポツリポツリと話す。
「絶対…今日、成功させなきゃって思って…。」
「……。」
「…でも…緊張…したからかな…。ライトが点いたの、全然、気付かなくて…。」
「……。」
「周りがざわざわし始めて…何かあったのかなって…今どうなってるのかなって思ってたら…」
「……。」
「倉持さんの…声がして…。それから、歓声が聞こえて…。そしたら、目の前が…ぼんやり見えてきて…。」
「……。」
「それでライトに気づいて、歌っていいんだってわかったの…。」
…へぇ、と変な声が俺の喉からこぼれた。
えっと、つまり…光は…
「…見直してくれた?」
俺の言葉をこんなに気にして…。
「見直すも何も…がっかりしたってのは、そういう意味じゃなくて」
「……。」
「あー、えっと…でも…うん。…惚れ直した」
「……。」
じわりと赤くなる光の顔。これは…もう、確定だろ…。
「…倉持さん」
「…何?」
青い瞳が…俺を見つめる。
「私と一緒に…来てくれる?」
俺は声が突っかかって、すぐに頷けなかった。
「そ、それって…。」
「……。」
光の澄み切った瞳。俺を見つめる、愛おしげな目。
「……っ」
涙がこぼれてきた。やっと…。やっと光が、本当に俺を…。
「…俺と結婚してくれるのか?」
光の手を握り、尋ねる。光は…。…頷いて、言った。
「…一緒にいてほしい。」
…もうこれ以上の言葉なんてない。
光に抱き着くと、光も俺を抱きしめ返した。
長かった…。本当に…。
…長かった。
「…光。」
少し体を離し、頬を撫でて早速口づけをしようとした。い…いいんだよな!?本当に…これからは、堂々とキスしたりしても…!!
「そーゆーのは俺がいないときにしてくんない?」
「!!!」
いつの間にかドアが開いていて、御幸が引きつった顔で俺たちを見ていた。
それから御幸は近づいて来て、光の手を取り自分の傍へ引き寄せた。
「おい、何すんだよいいところで…」
「言っとくけど。俺が一番目。お前は二番目だから。俺の方が優先順位上なの。そこんとこ覚えとけよな。」
「……。」
じゃ、そういうことで、と御幸は光の肩を抱いて部屋を出て行った。
喜びの絶頂から突き落とされた気分…。…いや…でも……嬉しいな、うん。
……。
…球団に連絡しねーと。
会場は満席。会場の外にはチケットを取れなかったファンが詰めかけている。
「スポットライトが点いたら、歌い始めてください。」
光は明るさを感じることはできる。スタッフの言葉にうなずくと、あとはリハーサル通りですから、とスタッフも微笑んだ。
「光、席から見てるからな。頑張れよ。」
「うん。」
御幸が光の頭を撫でて言うと、光は嬉しそうに微笑んだ。
「……。」
ここ最近の俺への八つ当たりぶりを思い出し、俺は気安く光に触れるのはやめておいた。御幸は認め始めてくれているとはいえ、肝心の本人が俺を拒絶しているし…。光の本心が知りたい。嫌われているかと思えば、連絡先を持っているのが怖かったと泣かれる。はっきりと…本当の気持ちを光の口から聞きたい。
「光さん、準備お願いします!」
「はい。」
スタッフに呼ばれ、光は周防に掴まって立ち上がった。
「じゃあ、俺らは席に行ってるな。」
「うん。……。」
御幸の言葉にうなずいた後、少し息をのんだ光に、頑張れ、と声をかけるべきか迷っていると――光は踵を返し、準備のために部屋を出て行ってしまった。
「倉持?行こうぜ。」
「…ああ。」
一言も声をかけられなかったことをなんとなく引き摺りつつ席に行くと、既に牧瀬と光臣が座っていた。
「あ!こんばんは。」
「よお。」
「もう来てたのか。」
軽く挨拶を交わし、俺と御幸も席に着く。
「光、大丈夫そうですか?」
「元気だよ。」
牧瀬が御幸に尋ね、御幸は頷いた。
「楽しみだな〜。」
牧瀬が呟き、キラキラした目でステージを見上げ、光臣も見守るように微笑んだ。
やがて照明が落とされ、会場は闇に包まれる。目を凝らしても何も見えない闇。光は1年間、こんな世界で生きてきたのかな…。そしてそれがいつまで続くか、まだわからないんだ。そう考えて、胸の奥まで静まり返った気分だった。
フワッ、と柔らかな青い光が灯り、ステージに立つ白いドレス姿の光を照らした。光の肌も髪も白く輝き、まるで天使が降りて来たようだった。光は俯いていた顔を上げ、真っ直ぐに前を見つめた。
……ざわざわざわ。光が動かず、客席が騒ぎ始めた。光の後ろに並ぶオーケストラの演奏者たちも互いに顔を見合わせている。
「…どうしたんだろう?」
牧瀬が呟いた隣で、御幸がはっとした。
「…もしかして…灯りに気づいてないんじゃ…。」
「…え!?」
光は明暗は感じ取れるはず…。昼と夜の区別もつくし、部屋の電気がついているかどうかも分かる。今光を照らしているライトも、光が感じられる程度には明るいはず…。
どうして…?
光は会場のざわつきに気付いたのか、その顔に不安が滲んだように見えた。灯りに気づいてないなら、騒ぎの原因に見当はついても、確信は持てない…。あのステージ上で、光の目の前は真っ暗で、辺りのざわつきだけを感じでいて…。光の心細さを思ったら、いてもたってもいられなくなった。
「――光!頑張れ!!」
声を張り上げると、隣の御幸達がぎょっとした顔で俺を見た。すると次第に、後ろの方の客席からもわっと歓声が上がり、拍手が起こった。光ちゃん、光、がんばれ、がんばれ…。
光はマイクを持った手を口元に寄せ、歌いだした。
***
「うううぅ〜〜〜〜…」
「大丈夫か?」
「だめえぇぇ……」
コンサートが終わると、感動で号泣する牧瀬を光臣が気遣いつつ、俺達は光の楽屋に向かった。
「牧瀬1曲目から泣いてなかった?」
「悪いですか!!??」
「とんでもございません」
「いやでも、スゴかったよな。」
感動を分かち合いながら楽屋の前に着くと、その前に立っていた周防が俺達に気づいてお辞儀をした。
「あの…、」
それから緊張した面持ちで俺たちに近寄ってきた。周防にしては珍しく焦った様子で、俺達は異変を感じて顔を見合わせた。まさか、光に何か…?明かりに気付かなかったことが蘇り、にわかに嫌な予感がした。
「と…とりあえず、楽屋にお入りください。」
「光に何かあったのか?」
「いいから、とにかく中に…」
光臣が訊ねると、周防は楽屋のドアをノックしながら答える。
「どうぞ。」
中から光の声が返ってきて、周防は失礼します、とドアを開けた。
部屋の中には椅子に座っている光がいて、まだ真っ白なドレス姿のままの光は、俺達を見上げて――確かにはっきりと、青い海のような瞳で見上げて、ぱあっと笑顔を浮かべた。
「一也さん!」
「え……、」
「司も…。光臣も、…倉持さんも。来てくれてありがとう。」
しっかり目が俺達を捉えている…。まさか…。まさか……。
「光…、目が…?」
御幸が震える声で尋ねると、光は目を潤ませて頷いた。
「すごくぼんやりとだけど…ちゃんと見える。」
御幸は息をのみ、光を抱きしめた。ふたりとも…いや、俺達も涙を流し、特に牧瀬なんてその場に崩れ落ちて泣き出して、光は泣きながら、御幸にぎゅうぎゅう抱きしめられながら笑い出した。
「一也さん、もう離して。」
「無理だよ…」
「お願い。顔…見たいから」
御幸の涙でぐちゃぐちゃになった顔を見て光はまた笑って、自分もとめどなく涙を流し続けた。
御幸の手から離れると、光は床に座り込んで泣いている牧瀬に歩み寄った。
「司…。」
「光ぃぃ……よかったぁ…よかったよぉぉ……」
「うん…。」
二人が抱き合うのを見て、俺達はこっそりと涙を拭きながら微笑みを交わした。
「ありがとう…。皆のおかげで、この1年…乗り越えられたと思うから…」
光は涙を拭い、俺達を順番に見上げてそう言うと、立ち上がって俺の前に立った。
「倉持さん…。さっきは…ありがとう。」
「え…」
「倉持さんのおかげで…歌えた。」
うるんだ目で俺を見上げ、そうはにかんだ光を抱きしめたくなりながら、俺はやっとの思いで口元に笑みを浮かべた。
「…スゴかったぜ。感動した」
「……。」
俺の言葉に光は微笑みを浮かべ、また御幸の方へ戻っていく。
笑いながら御幸の涙を手で拭ってやっている光の、幸せそうな顔を見て――俺は踵を返した。
「倉持さん?」
牧瀬が気付き、声をかける。
「俺は外で待ってる。」
「そんなこと言って、煙草吸いたくなったんじゃないですか〜?こんなときに〜…」
「うるせー」
こっそり鼻を啜り、一人で楽屋を出た。皆の楽しげな声を聞きながら、やっぱり光と御幸は二人であの国に行くんだろうと…来年、俺は一人で日本にいるんだろうと考えて、急に涙が冷えたように感じた。
***
「あの看板は?読める?」
「読めない。すごくぼやけてて…結構近づかないと、顔も判別できないもん。裸眼の一也さんより視力弱いと思う。」
「でもさっき、俺らの事すぐ分かったじゃん。」
「それは声とか、雰囲気とかで…。一也さん達じゃなかったらわからなかったよ。」
「そっか〜〜」
帰りの車で、御幸は終始ニコニコにやにや、嬉しそうに光に話しかけていた。光もそんな御幸の横顔を助手席から見つめて、嬉しそうで…。
「よし、着いたぞ〜。」
「ふふふ。」
つい今までの癖で、マンションの駐車場に車を停めるなりそう言った御幸に光が笑うと、御幸も照れ臭そうに苦笑した。
「明日病院で検査してもらおうぜ。」
「うん。」
「あ、そこ段差気をつけろよ…」
御幸が光を支えるようにして部屋に入っていく後を一人ついて行きながら、少しの寂しさを感じる。目が見えるようになって、俺の助けはいらなくなった。それにもう、あと半月もしないうちに、ふたりはアンクレー王国へ行く…。
そろそろ俺も日本に帰らないと。俺がいつまでもいたんじゃ、二人も荷造りできないし…それに、来年の契約書にサインして、今年中に球団に出さないと。
…もう光に会えなくなるのだろうか…。光臣は光の親族だし、牧瀬も光臣の婚約者だから、光に会いに行ける。でも俺は…ただの知り合い。友達。他人だ。
「コーヒー飲む?」
「うん。あ、私やる。」
「いいよ、座ってろよ。」
「やりたいの。」
光はそう笑いながらキッチンへ向かい、御幸も気遣うようについて行く。
「久々のキッチンだ。」
ふふふ、と光が笑って、御幸もつられるように笑った。光は料理が好きだし、この1年、キッチンに立てないことも退屈だったのかもしれない。
「えーと…」
「これ。」
「あ、ありがとう。」
目を凝らして棚に並ぶキャニスターを迷う光に、御幸はコーヒー豆が入ったキャニスターを手渡した。仲良くコーヒーを淹れはじめる二人を見ながら、俺はさりげなく部屋に引っ込んだ。
――コンコン。
5分ほどして、部屋のドアがノックされた。
「はい。」
ベッドに寝ころがっていた俺は返事をして起き上がる。すると、光がマグカップを持って立っていて、リビングの方にいる御幸に何やら目配せをし、俺の顔を見た。
「お邪魔します。」
ちょっと冗談めいた言い方で言って、光は部屋に入ってドアを閉め、俺の傍に来てベッドの淵に腰かけた。
「はい。コーヒー」
「ああ…サンキュ」
マグカップを受け取り、少し口をつけて、サイドボードに置く。
「倉持さん…」
「ん?」
なんだか光は真剣な顔になって、俺は何を言われるのかと少し緊張した。
「今日の…コンサートで」
「…うん」
「私、ライトが点いたのがわからなくて…。」
やっぱり…そうだったのか。でも今は、今まで以上に見えるようになってる…。人間って不思議なモンだな…
「だから…倉持さんのおかげなの。」
「ああ…光頑張れってヤツ?御幸達にびっくりされてよ、ちょっと恥ずかしかったぜ。ヒャハ…」
「そうだけど、そうじゃなくて」
「え?」
「…倉持さんの声が聞こえたら…。…明かりが点いたみたいに、目の前の光景が見えたの」
「……。」
それって…つまり…
「…俺の声を聞いて…見えるようになったってこと?」
「……。」
光は顔を赤くして、こくん、と頷き、上目づかいで俺を見つめる。
「……なんで…。」
俺がそんなに…光にとってデカい存在だったか?
「…嫌われちゃったかと思って」
「…え?は?え、誰…何の話?」
「…倉持さんに、嫌われちゃったと思ったの」
ちょっとムッと口をとがらせて恥ずかしそうに言う光が、スゲー可愛くて…それ以前にびっくりして、俺はしばらく言葉が出てこなかった。
「な…なんで???どのへんが!?」
「…がっかりした…って言ったでしょ」
「……。」
「だから…。」
もじもじ、手を弄び、光はポツリポツリと話す。
「絶対…今日、成功させなきゃって思って…。」
「……。」
「…でも…緊張…したからかな…。ライトが点いたの、全然、気付かなくて…。」
「……。」
「周りがざわざわし始めて…何かあったのかなって…今どうなってるのかなって思ってたら…」
「……。」
「倉持さんの…声がして…。それから、歓声が聞こえて…。そしたら、目の前が…ぼんやり見えてきて…。」
「……。」
「それでライトに気づいて、歌っていいんだってわかったの…。」
…へぇ、と変な声が俺の喉からこぼれた。
えっと、つまり…光は…
「…見直してくれた?」
俺の言葉をこんなに気にして…。
「見直すも何も…がっかりしたってのは、そういう意味じゃなくて」
「……。」
「あー、えっと…でも…うん。…惚れ直した」
「……。」
じわりと赤くなる光の顔。これは…もう、確定だろ…。
「…倉持さん」
「…何?」
青い瞳が…俺を見つめる。
「私と一緒に…来てくれる?」
俺は声が突っかかって、すぐに頷けなかった。
「そ、それって…。」
「……。」
光の澄み切った瞳。俺を見つめる、愛おしげな目。
「……っ」
涙がこぼれてきた。やっと…。やっと光が、本当に俺を…。
「…俺と結婚してくれるのか?」
光の手を握り、尋ねる。光は…。…頷いて、言った。
「…一緒にいてほしい。」
…もうこれ以上の言葉なんてない。
光に抱き着くと、光も俺を抱きしめ返した。
長かった…。本当に…。
…長かった。
「…光。」
少し体を離し、頬を撫でて早速口づけをしようとした。い…いいんだよな!?本当に…これからは、堂々とキスしたりしても…!!
「そーゆーのは俺がいないときにしてくんない?」
「!!!」
いつの間にかドアが開いていて、御幸が引きつった顔で俺たちを見ていた。
それから御幸は近づいて来て、光の手を取り自分の傍へ引き寄せた。
「おい、何すんだよいいところで…」
「言っとくけど。俺が一番目。お前は二番目だから。俺の方が優先順位上なの。そこんとこ覚えとけよな。」
「……。」
じゃ、そういうことで、と御幸は光の肩を抱いて部屋を出て行った。
喜びの絶頂から突き落とされた気分…。…いや…でも……嬉しいな、うん。
……。
…球団に連絡しねーと。