337
パンパンパン、と空に空砲が響き渡る。
今日は体育祭。秋めいて爽やかなスポーツ日和。だけどぶっちゃけ俺は、あまりやる気が出ない。
秋大控えてるし、さっさと負けて教室でスコアブック読んでたほうが有意義だし…
「倉持ー今日は頼むぞー!」
「うちのクラスの得点源!!」
「ヒャハハ!おう!任せとけ!」
…倉持はこの通り元気いっぱいやる気満々だけど。
「倉持、あんま張り切りすぎて怪我とかしないようにしろよ」
「あ?どんくせーお前と一緒にすんな」
「……。」
ま、確かにこいつはスポーツ全般得意な野生児だけど…
「オイ、テメー今バカにした目で俺を見なかったか?」
「気のせいじゃない?」
「待って光ー!後ろ捲れてる!」
くるり、と同時に振り向く俺と倉持。捲れてる、というワードに弱い男子高生の性…。
振り向いた先には背中のゼッケンを牧瀬に直してもらっている玉城がいた。なんだ、捲れてるってそれか。なんて若干残念に思っていると、玉城が俺に気づいて目が合った。体育着姿で髪をまとめていて、青い鉢巻をした玉城。今日も可愛い…けど、すぐにフンとそっぽを向かれた。今日も冷たい。
「コラ!なんだその態度は〜!」
俺の声で牧瀬も俺に気づいて、あっと目を丸くし、こんにちはーと明るい挨拶をくれる。こっちはいつも礼儀正しい。
「お前らこれから出番?何出んの?」
「そうですよ〜。急遽短距離走の子が一人出れなくなっちゃって、光が代わりに出ることになって〜。」
「……。」
めちゃくちゃ不服そうな顔をしている玉城に、牧瀬はニコニコ楽しそうにかわい〜などと言って頬をつついたりしている。
「何で玉城はそんな不機嫌なの?」
「…走るの嫌いなんです」
「なんで?お前運動神経良いじゃん」
以前バスケをしているのを見たけど、軽い身のこなしで反射神経が良く、スポーツ全般何でもできそうだった。
「別に…」
「ほらぁ光っておっぱいおっきいから〜走ると痛いんですよ!巨乳も大変ですよねー」
「ちょっ何言って…!」
「あ…そ、そう…」
相変わらず突然爆弾発言を透過する牧瀬に、俺も倉持も顔をひきつらせて必死に平静を装う。落ち着け…今はちらりとも玉城の胸を見るな俺…!
「も…もう行こ!司!」
「あ〜待ってよ〜。あっ、失礼しまーす」
「……。」
「……。」
グラウンドに走っていく二人を見送り、俺と倉持は顔を見合わせた。
「…まぁ…でけぇよな」
ぼそり、と倉持が呟いた。
「え〜何何、倉持ってば玉城のことそんな目で…」
「いや皆言ってるだろ!つーかお前もそう思ってんだろいい子ぶってんじゃねーぞ!」
「そんなことない。」
「嘘つけ」
「おい!玉城さん走るらしいぞ」
「マジ!?何番?」
「トップバッターだって!」
見に行こうぜ、と駆け出していく男子が数名…いや数十名。気が付けばグラウンドの縁ぎりぎりまで生徒が詰めかけ、教師が注意を促す事態に陥った。おいおいマジかよ…芸能人かっつーの…
『いちについて!』
体育教師の声が響き、旗が挙げられる。玉城は真ん中のレーンで、クラウチングスタートの姿勢を取った。
『ようい…』
旗が下げられ、腰を上げる走者たち。数名の男子がニヤニヤと顔を見合わせているのを見て、俺は胸の奥の気分が悪くなった。
――パン!!
空砲が鳴り、走者が一斉にスタートした。玉城は……。…速い。周りをグングン追い抜いていく。走る姿も綺麗で、思わず見とれてしまう。あんなに嫌そうな顔してたくせに、走っている顔は真剣そのもの。なんだかんだいいつつ、やるときはとことん真剣で、まっすぐで…負けず嫌いだからな。そういうところが…いいんだよな。
だけど…
「なぁ…」
「やっぱ…だよなw」
…男共の視線が…。玉城が走るたびに揺れる二つの膨らみに注がれていることが、もう、叫びだしたくなるほどにムカついた。一人一人殴って回りたいくらい。くそっ、ムカムカする。
そうしている間に玉城はあっという間に一着でゴールし、笑顔で牧瀬とハイタッチをしていた。
その笑顔にまた見惚れていると、ふと目が合った。
「……。」
数秒間見つめ合い、え、ナニコレ、何で見つめ合ってんの、なんてドキドキし始めた矢先――プン、と玉城は思い切りそっぽを向いた。それはもうあてつけのように。
ったく…やっぱ俺って嫌われてんのかねー…。
『次は借り物競争です。出場者の皆さんは第1ゲートに集まってください。』
…と、次は俺の出番だ。第1ゲートに向かうと、早速レーンに並ばされた。
スタート地点に立ち、クラウチングスタートの姿勢を取る。
『いちについてー。ようい…』
見世物としての役割が大きいネタ競技だからだろうか、先ほどよりも幾分ゆるいスタートの号令を聞きながら、俺は腰を上げる。
――パン!
空砲が響き、走者が一斉にスタートした。
「コルァ御幸ィ!!たらたら走ってんじゃねぇ!!」
「全力で走らんかい!!」
外野がうるせー。こんなの真面目にやる奴いねーだろ…とため息交じりに借り物の指定が書かれた紙を拾い上げる。
楽なのだと良いな〜、えーと何何…
『好きな異性』
……。
……クソ…マジか…。よりによって一番のハズレを引くとは…。しかも、なんで玉城が思い浮かぶんだよ!ありえない。絶対キレられる。倉持達にからかわれるのも目に浮かぶし、そもそも絶対ついて来てくれない。
つかそんな見世物みたいなことしてたまるか。適当に当たり障りのない相手…誰がいるかな…。
うーん、と周りを見渡すと、傍で見ていた倉持達がまた野次をとばしてくる。
「御幸なに突っ立ってんだよ!」
「借り物は何や!言うてみぃ!」
「外野は黙ってろって……あ。」
ふと、実行委員のテントの所に玉城の姿を見つけた。…いやいや、だから玉城だけは絶対無理。だったら隣の牧瀬の方が誘いやすい。絶対冗談として流してくれそうだし…。
そんなことを考えていると、その二人の傍に礼ちゃんの姿を見つけた。…これだ!
「おーい!」
俺が大手を振って礼ちゃんに向かって行くと、倉持達がざわついた。玉城に向かって行ったと思ったのだろう。
俺の声に気付いて振り向いた玉城と牧瀬もぽかんとして、玉城はすぐに俺を睨んだ。
「礼ちゃ〜ん、一緒に来て!」
「え?私?」
だけど俺が礼ちゃんに声を掛けると、玉城は一瞬目を点にして、拍子抜けしたように目を瞬いた。
「お題は何だったの?」
「いーからいーから、お願いしますよ」
礼ちゃんと一緒にゴールすると、俺は3着だった。まあまあの結果だろう。
1位から順番に並ばされ、俺は実行委員に紙を手渡した。
『それでは3着は御幸一也君!お題は…“好きな異性”でした〜!』
おおお!?とどよめく野次馬たち。はっはっは〜、と頭を掻いて、爆笑する倉持達に手を振った。
「御幸君、今日のメニュー、期待しなさいね。」
「や…やだな〜怖いこと言わないでよ礼ちゃん…」
礼ちゃんに不穏な言葉を残されたものの、無事に出番を終えてテントに戻ると、じろりと俺を睨む玉城の視線に掴まった。
「…何?」
へらりと笑うと、玉城はフンとそっぽを向く。
「別に。」
「なんだよ、今日はまた一段と機嫌悪ィな〜」
「あはは。先輩が高島先生連れてったから拗ねてるんですよ〜。」
「違う!!」
けらけら笑い出した牧瀬に怒って声を上げる玉城。牧瀬の言葉はどこまで信用していいのか…。それがホントだったら…嬉しいけど…
「御幸先輩を見るとなんかイライラするの!それだけ!」
「そりゃすいませんね…」
…ありえねーな。うん。
「御幸先輩って高島先生のこと好きなんですか〜?」
「…牧瀬やめて、俺今日の部活で死ぬかもしれない」
背後で礼ちゃんがフフフと笑みをこぼす。
「でも好きな異性なら光のこと誘えばよかったのに〜。」
「……。」
ぎくり、と顔が熱くなる。ほんっと…なんで牧瀬はこう、急に爆弾を投下してくるんだよ…!
「いやいや…んなことしたらそれこそ殺されるでしょ」
「え?ってことは…実は誘いたかったんですかぁ!?」
「えっ…い、いや…」
な…何口ごもってんだ俺!適当に笑って流せよ!なんかマジみたいじゃねーか!
ばちっ、と玉城と目が合う。…顔が熱くなってきた。なんか、玉城の顔も赤く…
「い…いや、つーか…」
…下手に否定したら玉城の怒りを買いそうだから、ここは慎重に、穏便に…
「ま…まー一瞬考えたけど、玉城のことだから怒るかと思ってさ…なぁ玉城?」
「……。」
玉城は足元を見、頬を赤くして、ぽそりと呟いた。
「……別に…。」
……え!?ど、どういう意味…!?
「御幸くーん!」
そのとき突然俺を呼ぶ声がして、俺の腕が何者かに掴まれた。驚いて振り向くと、それはおぼろげに見覚えのある顔の、3年の女子だった。多分…チア部の、よく練習見に来てキャーキャー言ってる…
「ね!借り物競争一緒に来て!」
「え!?な、何なんスか?お題は…」
「タイプの人!」
「……えっ」
「ほら早く!ビリになっちゃう!」
俺は腕を引っ張られながら玉城を振り返る。
「いやでも…」
そう口ごもった俺を、玉城はキッと睨んだ。
「早く行けば!」
「いやちょっ…」
「あ〜待って光〜」
踵を返して行ってしまう玉城、追いかけて行く牧瀬。そうして3年女子に連れて行かれる俺を、礼ちゃんは「あらあら」と笑いながら見送った。
はやくはやく!と腕を引かれて一緒にゴールテープを切ると、実行委員に取り囲まれた。
『はい!2着!お題は〜…“タイプの人”だそうです〜!おめでとうございます!』
御幸じゃんアレ、ともりあがる声がするほうをみると、倉持達が集まって野次馬をしていて。じゃあ、と女子に声を掛け、逃げるように倉持達の所へ駆けこむと、倉持のキックで出迎えられた。
「モッテモテだなぁ御幸ちゃん…!?」
「来るなイケメン!死ね!」
「…やめろって」
他学年からも注目を浴びて恥ずかしくて、倉持達に紛れようとしたのに追い払われる始末。
そのとき、どすん、と背中に柔らかいものがぶつかった。振り向くと、なぜか俺を睨んでいる玉城。そっちからぶつかってきたくせに…つーか、わざとだよな今の?
「なんだよ?」
「別に。」
ぶつかっておいて別にとはなんだ、と思った時、玉城は立ち去りながら大きな声であてつけのように呟いた。
「バカ。」
「…はい?おいコラ、何なんだよ!」
俺を無視して歩いていく玉城に、俺は呆れ気味に倉持達を振り返った。
「意味わかんねー。なぁ?」
「……。」
「……。」
「……。」
すると倉持達は白けた目で俺を睨んでいた。
「ほんと馬鹿だなアイツ…」
「馬鹿眼鏡」
「死ね」
「は!?なんだよお前らまで!」
「玉城さん!!玉城光さんどこですかー!?」
突然、誰かが叫んで、周りの人間が全員玉城に注目した。
「え…?な、なに…」
玉城は立ち止まり、周りの視線におびえる。ここにいるよー、と数人が声に応えて手をあげる。すると人混みをかき分けて、3年の男が息を切らして走ってきた。
「すいません!一緒に来て下さい!」
「え?何で…」
「これ!」
男は紙切れを玉城の前に広げた。
「借り物競争!俺…『好きな人』なんです!」
男の顔も、玉城の顔も赤くなった。周りの野次馬がどよめき、盛り上がる。
「お願いします!」
「…で…でも…」
玉城は困った顔で、なぜか…俺を見た。目が合って、目を瞬く。気のせいかと思ったけど、玉城はしばらく俺を見ていた。けど、俺が言えることなんて何もないし…行くななんて、言えるわけないし…
「好きな人…玉城さんしかいないんで!来てくれないと俺、ゴールできないんすよ!」
「……。」
男が言って、玉城の目が俺から外れ、男を見た。
「行きましょう!」
「……。」
玉城が小さく頷く。じわり、と胸の奥が何かに侵食される。
行ってほしくない…なんて…
「…あーあ〜…」
「…なんだよ」
倉持たちがニヤニヤしながら俺を見て、俺は顔を背けた。
玉城は男と一緒にゴールをし、恥ずかしそうに赤い顔で俯いて、すぐにグラウンドから出て行った。俺はむしゃくしゃして、その後を追った。
玉城は牧瀬の元へ行き、二人は校舎の脇のベンチに向かって行く。俺もグラウンドを抜け、少し駆け足で、そこへ向かった。
「あの先輩、テニス部の人だよ〜。イケメンだし結構女子に人気あるんだよ。」
「知らないし…もー恥ずかしい…」
「あはは。おつかれ…」
あ、と牧瀬が俺に気付き、にやー、と笑う。なんだその笑みは。
「ひ・か・り。」
「ん?……。」
つんつん、と牧瀬が玉城のわき腹をつつくと、顔を覆って俯いていた玉城が俺を見上げて、顔を赤くした。
「…何か用ですか?」
「愛想の欠片もねー奴だな…」
「ちょっ…司どこ行くの!」
立ち上がった牧瀬の服の裾を、玉城が咄嗟に掴んだ。
「えー、私邪魔かなーと思って」
「やだ!行かないで!」
「え、えへへ…光がそう言うなら…」
「牧瀬にやけすぎ」
「御幸先輩はどっか行ってください。」
「先輩に向かって何だその態度は〜」
「さっきの3年生の所にでも行けばいいじゃないですか?」
「いや知らない人だし」
「仲良さそうでしたけど?」
「何怒ってんの?」
「怒ってないし。知らない人と借り物競争出るんだって思っただけです。」
「お前だってさっき3年の奴と出たじゃん」
「私は本当に知らない人だもん!」
「俺だって知らない人だよ。」
「あっそ!モテるんですね!真壁先輩もいるのに!」
「なんで真壁が出てくるんだよ?つーかモテるのはお前の方だろ!あんな公開告白みたいなことされて」
「何で私が悪いみたいに言うの!?あんなの恥ずかしいし嫌に決まってるでしょ!」
「嫌だったとか言って、一緒に行っただろ」
「行きたくて行ったわけじゃ…!」
「……あのさー」
牧瀬がちょっと楽し気に笑いながら、口を挟んだ。
「二人とも何に怒ってるの?」
「…え?」
「……。」
そう言われてみれば…考えてみると、俺も玉城も…ただのヤキモチ…
「素直に言っちゃえばいいのに。他の人の好きな人として一緒に出てほしくなかった、って〜。」
「ち…違うから!!そんなんじゃないから!」
「……。」
「あははは、二人とも顔赤い〜」
「司が変なこと言うから!!」
「ごめんごめん〜」
『次は200メートルリレーです。出場者の皆さんはゲート前に集まってください。』
「あ、私行かなきゃ!」
放送を聞いて立ち上がる牧瀬、えっ、と固まる玉城。
「ごめーんちょっと行ってくるね〜!」
「あ、つ、司…」
さすがに出番が来て走っていく牧瀬を引き留めることもできず、残された玉城は気まずそうに俺を見た。その心細そうな顔が何だかおかしくて、俺はよっこらしょ、とおどけて玉城の隣に座った。
「な…なんで隣座るの。」
「えー、暇だし」
「……。」
不服そうに口を尖らせながらもベンチの背もたれに寄りかかりなおす玉城に、俺は胸の奥に嬉しさを感じる。
「お前さー…」
「……。」
「…どうすんの、さっきの3年。」
お互い目も合わせず、俺は平静を装って尋ねた。
「何がですか。」
「告られたじゃん?付き合うの?」
「付き合わない。」
「…ふーん」
…って…俺、小心すぎ…。しかもちょっとほっとしちゃってるし…
「…あ、雨」
「え?」
不意に玉城が空を見上げて呟いて、まさかと思ってつられて空を見上げると、眼鏡のレンズにぼたっと大粒の雫が落ちてきた。
「あ、マジだ…」
そう呟いている間に、雨は突然激しくなり、グラウンドから悲鳴が上がり、生徒たちが一斉に屋根を求めて走り出した。
「うわ、ヤベェ!」
俺と玉城も立ち上がり、頭を覆いながら近くの体育用具庫の屋根の下に駆け込んだ。
「うわー、すげぇ降り出したな、通り雨だろうけど…」
「……。」
あっというまにバケツをひっくり返したような土砂降りになり、空も黒い雲に覆われて辺りは薄暗い。
『大雨の為、競技を中止します。生徒の皆さんは、屋根の下へ避難してください。競技の再開については、追って放送でお知らせします。』
放送委員の淡々とした声が響き、グラウンドのテントの中で数人の教師たちと実行委員たちが話し合っているのが見える。
俺は隣の玉城を見て、…ぎょっとした。俺も玉城もずぶ濡れで、ジャージは肌に張り付いていて。そんで玉城は、そのTシャツから、うっすらとピンク色のブラジャーが透けていて…それだけじゃなく、なかなかボリュームのある谷間の形が、それはもうはっきりと…
「…?」
やべ…!
玉城が俺を見上げて、俺は咄嗟に目が合う前に視線を逸らした。顔が熱い。み…見てたのバレたか!?殴られるかな…
だけどそんな心配とは裏腹に、玉城は静かなままで、ちらりと様子を窺うと、玉城は胸元を腕で隠すようにして俯いて、そしてその顔は赤かった。
き…きまずい…!とにかくあんま見ないようにして…気付いてないフリ…あ、そうだ。
俺は腰に巻いていたジャージの長袖を解いた。その時、ばしゃばしゃばしゃ、と足音が近づいてきた。
「うわっ!御幸がいる!!…けどしょーがない!ここで雨宿りするか!!」
「は?」
屋根の下に駆け込んできたのは沢村だった。俺は咄嗟に背中に玉城を隠した。
「あれ!?玉城もいる!」
「あーもーお前うるさい。」
「ちょ、何で隠すんすか!」
「お前が覗くからだよ。」
「いかがわしい言い方するな!!玉城、大丈夫か!?御幸先輩にいじめられたのか!?」
「いじめてねーよ。いいからお前別んとこ行け!」
「な!?この雨の中逃げ込んできた後輩を追い出す気ですか!?」
「そんな濡れたままじゃ風邪引くだろ。教室戻って体拭いて着替えとけ。」
「い…一理ある!何せ俺は欠かせない大事な主力ですからね!エースとしてこれから期待されてる男ですからね!」
「あーそうそう。それそれ。」
「じゃ!体が資本なんで!俺一人の身体じゃありませんので!失礼します!」
「早く行け。」
沢村が校舎に向かって走っていき、俺は安堵して、ジャージを玉城の肩に無造作に掛けた。
「寒いなら着てれば?」
「……。」
玉城は黙ったまま、だけど向こうを向いてもそもそとジャージのそでを通し、ファスナーを首元まで閉めた。
玉城が俺のジャージを着るとブカブカで、袖や裾なんか長すぎて、だけど胸の膨らみに張るシルエットだけは胸囲の余裕がなくて、女の子って全然違う…なんて考えてしまう。
こんな風に女の子として意識してモヤモヤするのは、玉城だけなんだよな…
「……。」
「……。」
無言のまま、雨の音に包まれて時間が過ぎていく。
変だけど、なんだか落ち着く…。玉城と並んで、ただ土砂降りの雨を眺めているだけなのに。何も話さなくても、隣に玉城がいるだけで、居心地が良いって言うか…
いつも会うたびに睨まれるのに、可笑しな話だけど。
不意に、玉城が動いて、何かと思ったら用具庫の中に入り、畳まれたマットの上に座ったのだった。玉城は俺の視線に気づくと、少し横にずれて、座ったら?と言わんばかりに俺を見た。…男とこんな暗い倉庫にふたりっきりになる危険とか少しも考えねーのかこいつは…
少し呆れながら、外で一人で立ちっぱなしもきついので、俺も中に入り、よっこらしょ、と隣に座った。
倉庫内は暗く、ドアが開いた場所が四角く景色を切り取ったようにくっきりと浮かび上がっていた。俺はまるでスクリーンに映された映像を見るように外を眺めながら、雨が止むのを待っていることも忘れたように、ただぼーっと過ごした。もうしばらくこのままでもいいや、なんて思いながら…
――ゴロゴロゴロ…
うわ、雷まで鳴り始めた…、遠くに低い轟音が響いたのを聞いてそう思った時、隣の玉城がピクリと動いた。
だけどたまたま音に驚いたんだろうと思い、それほど気にしないでいると、今度はピカッと外が光り、すぐ近くに轟音が落ちた。
「きゃ…!」
俺ですら少し驚くほどの音が鳴り響いたが、隣の玉城は息を飲んだような悲鳴を小さく上げ、身を竦ませたのが分かった。思わず見ると、玉城は口元を押さえていて、恥ずかしそうに俺を見た。
「何、怖いの?」
「…違います!驚いただけ…」
からかうような言い方になってしまったことをにわかに後悔した。玉城相手だとつい…
「……。」
だけど俯いた玉城は、いつものような憎まれ口も叩かず、身を縮こませたまま黙り込んでいた。
「…おい?大丈夫かよ?」
「へ…平気…」
ただならぬ様子にさすがに少し心配になって、だけど玉城はそう言ってそっぽを向いたとき。
またすぐ近くで雷が鳴り響いた。
「いやっ…!!」
玉城は悲鳴を上げて、膝を抱えて震え始めた。
「も…もうやだぁ…」
その涙声を聞いて、俺は焦った。まさか泣くほど雷が苦手なんて…初めて知った。
それに玉城が泣くなんて、どうしたらいいかわからなくて…
「お…大袈裟だな、ここにいりゃ大丈夫だって…」
「…別に恐くない!」
「いやそれは無理があるだろ…泣いてるじゃん」
「泣いてない!」
ぐすっ、と鼻を啜る玉城。やっぱ泣いてるじゃん…
「…すぐ止むよ。」
「…わかってます!」
「……。」
「……。」
玉城は強がっているけど、その体と声はかすかにふるえていた。時々鼻を啜る音がして、ピカッ、とまた外が光った時、玉城は膝の上でうつぶせたまま、膝を抱えている手をぎゅっと握りしめて、びくりと震えて身構えた。
…どうしたらいいかわからないまま、俺は思い切って、その丸まった小さな背中に腕を回した。ぎこちなく抱いた華奢な肩は、雷の唸り声が響くと俺の腕の中で少し震えた。
「…大丈夫です!」
「わかってるよ」
玉城が俺の手を退けるように腕を払ったけど、構わず背中をさすってやると、玉城は何も言わないまま、だけど先ほどまでより震えは収まっている気がした。玉城はそれ以上強がることもなく、黙って俯せていた。
それから十数分後、だんだんと雨脚が弱まり、いつの間にか雷もやんでいた。放送委員の放送が入り、いくつかの競技を縮小して行うことが知らされ、タイムスケジュールが淡々とした声で読み上げられていく。
玉城がゆっくりと顔を上げた。そして仏頂面のまま、ぐいー、と俺の腕を押しのけた。
「何まだ怒ってんだよ。」
「別に怒ってないです。」
「ふーん…お前いつも俺に対してだけ冷たいよな〜。」
「……。」
「傷つくぜ〜」
はーやれやれ、と立ち上がり、伸びをした。そろそろ外に出ても大丈夫そうだ。
と、思っていると、つん、とシャツが引っ張られた。
「ん?」
振り向くと、玉城が立っていて、ちらちら俺を見ながら口ごもる。
「何?」
「……あの…」
言い辛そうに、だけどだんだん顔を赤くする玉城。
そんな顔で言いごもられたら、なんか…変な雰囲気になってしまうというか、期待してしまうというか…
「
今日は体育祭。秋めいて爽やかなスポーツ日和。だけどぶっちゃけ俺は、あまりやる気が出ない。
秋大控えてるし、さっさと負けて教室でスコアブック読んでたほうが有意義だし…
「倉持ー今日は頼むぞー!」
「うちのクラスの得点源!!」
「ヒャハハ!おう!任せとけ!」
…倉持はこの通り元気いっぱいやる気満々だけど。
「倉持、あんま張り切りすぎて怪我とかしないようにしろよ」
「あ?どんくせーお前と一緒にすんな」
「……。」
ま、確かにこいつはスポーツ全般得意な野生児だけど…
「オイ、テメー今バカにした目で俺を見なかったか?」
「気のせいじゃない?」
「待って光ー!後ろ捲れてる!」
くるり、と同時に振り向く俺と倉持。捲れてる、というワードに弱い男子高生の性…。
振り向いた先には背中のゼッケンを牧瀬に直してもらっている玉城がいた。なんだ、捲れてるってそれか。なんて若干残念に思っていると、玉城が俺に気づいて目が合った。体育着姿で髪をまとめていて、青い鉢巻をした玉城。今日も可愛い…けど、すぐにフンとそっぽを向かれた。今日も冷たい。
「コラ!なんだその態度は〜!」
俺の声で牧瀬も俺に気づいて、あっと目を丸くし、こんにちはーと明るい挨拶をくれる。こっちはいつも礼儀正しい。
「お前らこれから出番?何出んの?」
「そうですよ〜。急遽短距離走の子が一人出れなくなっちゃって、光が代わりに出ることになって〜。」
「……。」
めちゃくちゃ不服そうな顔をしている玉城に、牧瀬はニコニコ楽しそうにかわい〜などと言って頬をつついたりしている。
「何で玉城はそんな不機嫌なの?」
「…走るの嫌いなんです」
「なんで?お前運動神経良いじゃん」
以前バスケをしているのを見たけど、軽い身のこなしで反射神経が良く、スポーツ全般何でもできそうだった。
「別に…」
「ほらぁ光っておっぱいおっきいから〜走ると痛いんですよ!巨乳も大変ですよねー」
「ちょっ何言って…!」
「あ…そ、そう…」
相変わらず突然爆弾発言を透過する牧瀬に、俺も倉持も顔をひきつらせて必死に平静を装う。落ち着け…今はちらりとも玉城の胸を見るな俺…!
「も…もう行こ!司!」
「あ〜待ってよ〜。あっ、失礼しまーす」
「……。」
「……。」
グラウンドに走っていく二人を見送り、俺と倉持は顔を見合わせた。
「…まぁ…でけぇよな」
ぼそり、と倉持が呟いた。
「え〜何何、倉持ってば玉城のことそんな目で…」
「いや皆言ってるだろ!つーかお前もそう思ってんだろいい子ぶってんじゃねーぞ!」
「そんなことない。」
「嘘つけ」
「おい!玉城さん走るらしいぞ」
「マジ!?何番?」
「トップバッターだって!」
見に行こうぜ、と駆け出していく男子が数名…いや数十名。気が付けばグラウンドの縁ぎりぎりまで生徒が詰めかけ、教師が注意を促す事態に陥った。おいおいマジかよ…芸能人かっつーの…
『いちについて!』
体育教師の声が響き、旗が挙げられる。玉城は真ん中のレーンで、クラウチングスタートの姿勢を取った。
『ようい…』
旗が下げられ、腰を上げる走者たち。数名の男子がニヤニヤと顔を見合わせているのを見て、俺は胸の奥の気分が悪くなった。
――パン!!
空砲が鳴り、走者が一斉にスタートした。玉城は……。…速い。周りをグングン追い抜いていく。走る姿も綺麗で、思わず見とれてしまう。あんなに嫌そうな顔してたくせに、走っている顔は真剣そのもの。なんだかんだいいつつ、やるときはとことん真剣で、まっすぐで…負けず嫌いだからな。そういうところが…いいんだよな。
だけど…
「なぁ…」
「やっぱ…だよなw」
…男共の視線が…。玉城が走るたびに揺れる二つの膨らみに注がれていることが、もう、叫びだしたくなるほどにムカついた。一人一人殴って回りたいくらい。くそっ、ムカムカする。
そうしている間に玉城はあっという間に一着でゴールし、笑顔で牧瀬とハイタッチをしていた。
その笑顔にまた見惚れていると、ふと目が合った。
「……。」
数秒間見つめ合い、え、ナニコレ、何で見つめ合ってんの、なんてドキドキし始めた矢先――プン、と玉城は思い切りそっぽを向いた。それはもうあてつけのように。
ったく…やっぱ俺って嫌われてんのかねー…。
『次は借り物競争です。出場者の皆さんは第1ゲートに集まってください。』
…と、次は俺の出番だ。第1ゲートに向かうと、早速レーンに並ばされた。
スタート地点に立ち、クラウチングスタートの姿勢を取る。
『いちについてー。ようい…』
見世物としての役割が大きいネタ競技だからだろうか、先ほどよりも幾分ゆるいスタートの号令を聞きながら、俺は腰を上げる。
――パン!
空砲が響き、走者が一斉にスタートした。
「コルァ御幸ィ!!たらたら走ってんじゃねぇ!!」
「全力で走らんかい!!」
外野がうるせー。こんなの真面目にやる奴いねーだろ…とため息交じりに借り物の指定が書かれた紙を拾い上げる。
楽なのだと良いな〜、えーと何何…
『好きな異性』
……。
……クソ…マジか…。よりによって一番のハズレを引くとは…。しかも、なんで玉城が思い浮かぶんだよ!ありえない。絶対キレられる。倉持達にからかわれるのも目に浮かぶし、そもそも絶対ついて来てくれない。
つかそんな見世物みたいなことしてたまるか。適当に当たり障りのない相手…誰がいるかな…。
うーん、と周りを見渡すと、傍で見ていた倉持達がまた野次をとばしてくる。
「御幸なに突っ立ってんだよ!」
「借り物は何や!言うてみぃ!」
「外野は黙ってろって……あ。」
ふと、実行委員のテントの所に玉城の姿を見つけた。…いやいや、だから玉城だけは絶対無理。だったら隣の牧瀬の方が誘いやすい。絶対冗談として流してくれそうだし…。
そんなことを考えていると、その二人の傍に礼ちゃんの姿を見つけた。…これだ!
「おーい!」
俺が大手を振って礼ちゃんに向かって行くと、倉持達がざわついた。玉城に向かって行ったと思ったのだろう。
俺の声に気付いて振り向いた玉城と牧瀬もぽかんとして、玉城はすぐに俺を睨んだ。
「礼ちゃ〜ん、一緒に来て!」
「え?私?」
だけど俺が礼ちゃんに声を掛けると、玉城は一瞬目を点にして、拍子抜けしたように目を瞬いた。
「お題は何だったの?」
「いーからいーから、お願いしますよ」
礼ちゃんと一緒にゴールすると、俺は3着だった。まあまあの結果だろう。
1位から順番に並ばされ、俺は実行委員に紙を手渡した。
『それでは3着は御幸一也君!お題は…“好きな異性”でした〜!』
おおお!?とどよめく野次馬たち。はっはっは〜、と頭を掻いて、爆笑する倉持達に手を振った。
「御幸君、今日のメニュー、期待しなさいね。」
「や…やだな〜怖いこと言わないでよ礼ちゃん…」
礼ちゃんに不穏な言葉を残されたものの、無事に出番を終えてテントに戻ると、じろりと俺を睨む玉城の視線に掴まった。
「…何?」
へらりと笑うと、玉城はフンとそっぽを向く。
「別に。」
「なんだよ、今日はまた一段と機嫌悪ィな〜」
「あはは。先輩が高島先生連れてったから拗ねてるんですよ〜。」
「違う!!」
けらけら笑い出した牧瀬に怒って声を上げる玉城。牧瀬の言葉はどこまで信用していいのか…。それがホントだったら…嬉しいけど…
「御幸先輩を見るとなんかイライラするの!それだけ!」
「そりゃすいませんね…」
…ありえねーな。うん。
「御幸先輩って高島先生のこと好きなんですか〜?」
「…牧瀬やめて、俺今日の部活で死ぬかもしれない」
背後で礼ちゃんがフフフと笑みをこぼす。
「でも好きな異性なら光のこと誘えばよかったのに〜。」
「……。」
ぎくり、と顔が熱くなる。ほんっと…なんで牧瀬はこう、急に爆弾を投下してくるんだよ…!
「いやいや…んなことしたらそれこそ殺されるでしょ」
「え?ってことは…実は誘いたかったんですかぁ!?」
「えっ…い、いや…」
な…何口ごもってんだ俺!適当に笑って流せよ!なんかマジみたいじゃねーか!
ばちっ、と玉城と目が合う。…顔が熱くなってきた。なんか、玉城の顔も赤く…
「い…いや、つーか…」
…下手に否定したら玉城の怒りを買いそうだから、ここは慎重に、穏便に…
「ま…まー一瞬考えたけど、玉城のことだから怒るかと思ってさ…なぁ玉城?」
「……。」
玉城は足元を見、頬を赤くして、ぽそりと呟いた。
「……別に…。」
……え!?ど、どういう意味…!?
「御幸くーん!」
そのとき突然俺を呼ぶ声がして、俺の腕が何者かに掴まれた。驚いて振り向くと、それはおぼろげに見覚えのある顔の、3年の女子だった。多分…チア部の、よく練習見に来てキャーキャー言ってる…
「ね!借り物競争一緒に来て!」
「え!?な、何なんスか?お題は…」
「タイプの人!」
「……えっ」
「ほら早く!ビリになっちゃう!」
俺は腕を引っ張られながら玉城を振り返る。
「いやでも…」
そう口ごもった俺を、玉城はキッと睨んだ。
「早く行けば!」
「いやちょっ…」
「あ〜待って光〜」
踵を返して行ってしまう玉城、追いかけて行く牧瀬。そうして3年女子に連れて行かれる俺を、礼ちゃんは「あらあら」と笑いながら見送った。
はやくはやく!と腕を引かれて一緒にゴールテープを切ると、実行委員に取り囲まれた。
『はい!2着!お題は〜…“タイプの人”だそうです〜!おめでとうございます!』
御幸じゃんアレ、ともりあがる声がするほうをみると、倉持達が集まって野次馬をしていて。じゃあ、と女子に声を掛け、逃げるように倉持達の所へ駆けこむと、倉持のキックで出迎えられた。
「モッテモテだなぁ御幸ちゃん…!?」
「来るなイケメン!死ね!」
「…やめろって」
他学年からも注目を浴びて恥ずかしくて、倉持達に紛れようとしたのに追い払われる始末。
そのとき、どすん、と背中に柔らかいものがぶつかった。振り向くと、なぜか俺を睨んでいる玉城。そっちからぶつかってきたくせに…つーか、わざとだよな今の?
「なんだよ?」
「別に。」
ぶつかっておいて別にとはなんだ、と思った時、玉城は立ち去りながら大きな声であてつけのように呟いた。
「バカ。」
「…はい?おいコラ、何なんだよ!」
俺を無視して歩いていく玉城に、俺は呆れ気味に倉持達を振り返った。
「意味わかんねー。なぁ?」
「……。」
「……。」
「……。」
すると倉持達は白けた目で俺を睨んでいた。
「ほんと馬鹿だなアイツ…」
「馬鹿眼鏡」
「死ね」
「は!?なんだよお前らまで!」
「玉城さん!!玉城光さんどこですかー!?」
突然、誰かが叫んで、周りの人間が全員玉城に注目した。
「え…?な、なに…」
玉城は立ち止まり、周りの視線におびえる。ここにいるよー、と数人が声に応えて手をあげる。すると人混みをかき分けて、3年の男が息を切らして走ってきた。
「すいません!一緒に来て下さい!」
「え?何で…」
「これ!」
男は紙切れを玉城の前に広げた。
「借り物競争!俺…『好きな人』なんです!」
男の顔も、玉城の顔も赤くなった。周りの野次馬がどよめき、盛り上がる。
「お願いします!」
「…で…でも…」
玉城は困った顔で、なぜか…俺を見た。目が合って、目を瞬く。気のせいかと思ったけど、玉城はしばらく俺を見ていた。けど、俺が言えることなんて何もないし…行くななんて、言えるわけないし…
「好きな人…玉城さんしかいないんで!来てくれないと俺、ゴールできないんすよ!」
「……。」
男が言って、玉城の目が俺から外れ、男を見た。
「行きましょう!」
「……。」
玉城が小さく頷く。じわり、と胸の奥が何かに侵食される。
行ってほしくない…なんて…
「…あーあ〜…」
「…なんだよ」
倉持たちがニヤニヤしながら俺を見て、俺は顔を背けた。
玉城は男と一緒にゴールをし、恥ずかしそうに赤い顔で俯いて、すぐにグラウンドから出て行った。俺はむしゃくしゃして、その後を追った。
玉城は牧瀬の元へ行き、二人は校舎の脇のベンチに向かって行く。俺もグラウンドを抜け、少し駆け足で、そこへ向かった。
「あの先輩、テニス部の人だよ〜。イケメンだし結構女子に人気あるんだよ。」
「知らないし…もー恥ずかしい…」
「あはは。おつかれ…」
あ、と牧瀬が俺に気付き、にやー、と笑う。なんだその笑みは。
「ひ・か・り。」
「ん?……。」
つんつん、と牧瀬が玉城のわき腹をつつくと、顔を覆って俯いていた玉城が俺を見上げて、顔を赤くした。
「…何か用ですか?」
「愛想の欠片もねー奴だな…」
「ちょっ…司どこ行くの!」
立ち上がった牧瀬の服の裾を、玉城が咄嗟に掴んだ。
「えー、私邪魔かなーと思って」
「やだ!行かないで!」
「え、えへへ…光がそう言うなら…」
「牧瀬にやけすぎ」
「御幸先輩はどっか行ってください。」
「先輩に向かって何だその態度は〜」
「さっきの3年生の所にでも行けばいいじゃないですか?」
「いや知らない人だし」
「仲良さそうでしたけど?」
「何怒ってんの?」
「怒ってないし。知らない人と借り物競争出るんだって思っただけです。」
「お前だってさっき3年の奴と出たじゃん」
「私は本当に知らない人だもん!」
「俺だって知らない人だよ。」
「あっそ!モテるんですね!真壁先輩もいるのに!」
「なんで真壁が出てくるんだよ?つーかモテるのはお前の方だろ!あんな公開告白みたいなことされて」
「何で私が悪いみたいに言うの!?あんなの恥ずかしいし嫌に決まってるでしょ!」
「嫌だったとか言って、一緒に行っただろ」
「行きたくて行ったわけじゃ…!」
「……あのさー」
牧瀬がちょっと楽し気に笑いながら、口を挟んだ。
「二人とも何に怒ってるの?」
「…え?」
「……。」
そう言われてみれば…考えてみると、俺も玉城も…ただのヤキモチ…
「素直に言っちゃえばいいのに。他の人の好きな人として一緒に出てほしくなかった、って〜。」
「ち…違うから!!そんなんじゃないから!」
「……。」
「あははは、二人とも顔赤い〜」
「司が変なこと言うから!!」
「ごめんごめん〜」
『次は200メートルリレーです。出場者の皆さんはゲート前に集まってください。』
「あ、私行かなきゃ!」
放送を聞いて立ち上がる牧瀬、えっ、と固まる玉城。
「ごめーんちょっと行ってくるね〜!」
「あ、つ、司…」
さすがに出番が来て走っていく牧瀬を引き留めることもできず、残された玉城は気まずそうに俺を見た。その心細そうな顔が何だかおかしくて、俺はよっこらしょ、とおどけて玉城の隣に座った。
「な…なんで隣座るの。」
「えー、暇だし」
「……。」
不服そうに口を尖らせながらもベンチの背もたれに寄りかかりなおす玉城に、俺は胸の奥に嬉しさを感じる。
「お前さー…」
「……。」
「…どうすんの、さっきの3年。」
お互い目も合わせず、俺は平静を装って尋ねた。
「何がですか。」
「告られたじゃん?付き合うの?」
「付き合わない。」
「…ふーん」
…って…俺、小心すぎ…。しかもちょっとほっとしちゃってるし…
「…あ、雨」
「え?」
不意に玉城が空を見上げて呟いて、まさかと思ってつられて空を見上げると、眼鏡のレンズにぼたっと大粒の雫が落ちてきた。
「あ、マジだ…」
そう呟いている間に、雨は突然激しくなり、グラウンドから悲鳴が上がり、生徒たちが一斉に屋根を求めて走り出した。
「うわ、ヤベェ!」
俺と玉城も立ち上がり、頭を覆いながら近くの体育用具庫の屋根の下に駆け込んだ。
「うわー、すげぇ降り出したな、通り雨だろうけど…」
「……。」
あっというまにバケツをひっくり返したような土砂降りになり、空も黒い雲に覆われて辺りは薄暗い。
『大雨の為、競技を中止します。生徒の皆さんは、屋根の下へ避難してください。競技の再開については、追って放送でお知らせします。』
放送委員の淡々とした声が響き、グラウンドのテントの中で数人の教師たちと実行委員たちが話し合っているのが見える。
俺は隣の玉城を見て、…ぎょっとした。俺も玉城もずぶ濡れで、ジャージは肌に張り付いていて。そんで玉城は、そのTシャツから、うっすらとピンク色のブラジャーが透けていて…それだけじゃなく、なかなかボリュームのある谷間の形が、それはもうはっきりと…
「…?」
やべ…!
玉城が俺を見上げて、俺は咄嗟に目が合う前に視線を逸らした。顔が熱い。み…見てたのバレたか!?殴られるかな…
だけどそんな心配とは裏腹に、玉城は静かなままで、ちらりと様子を窺うと、玉城は胸元を腕で隠すようにして俯いて、そしてその顔は赤かった。
き…きまずい…!とにかくあんま見ないようにして…気付いてないフリ…あ、そうだ。
俺は腰に巻いていたジャージの長袖を解いた。その時、ばしゃばしゃばしゃ、と足音が近づいてきた。
「うわっ!御幸がいる!!…けどしょーがない!ここで雨宿りするか!!」
「は?」
屋根の下に駆け込んできたのは沢村だった。俺は咄嗟に背中に玉城を隠した。
「あれ!?玉城もいる!」
「あーもーお前うるさい。」
「ちょ、何で隠すんすか!」
「お前が覗くからだよ。」
「いかがわしい言い方するな!!玉城、大丈夫か!?御幸先輩にいじめられたのか!?」
「いじめてねーよ。いいからお前別んとこ行け!」
「な!?この雨の中逃げ込んできた後輩を追い出す気ですか!?」
「そんな濡れたままじゃ風邪引くだろ。教室戻って体拭いて着替えとけ。」
「い…一理ある!何せ俺は欠かせない大事な主力ですからね!エースとしてこれから期待されてる男ですからね!」
「あーそうそう。それそれ。」
「じゃ!体が資本なんで!俺一人の身体じゃありませんので!失礼します!」
「早く行け。」
沢村が校舎に向かって走っていき、俺は安堵して、ジャージを玉城の肩に無造作に掛けた。
「寒いなら着てれば?」
「……。」
玉城は黙ったまま、だけど向こうを向いてもそもそとジャージのそでを通し、ファスナーを首元まで閉めた。
玉城が俺のジャージを着るとブカブカで、袖や裾なんか長すぎて、だけど胸の膨らみに張るシルエットだけは胸囲の余裕がなくて、女の子って全然違う…なんて考えてしまう。
こんな風に女の子として意識してモヤモヤするのは、玉城だけなんだよな…
「……。」
「……。」
無言のまま、雨の音に包まれて時間が過ぎていく。
変だけど、なんだか落ち着く…。玉城と並んで、ただ土砂降りの雨を眺めているだけなのに。何も話さなくても、隣に玉城がいるだけで、居心地が良いって言うか…
いつも会うたびに睨まれるのに、可笑しな話だけど。
不意に、玉城が動いて、何かと思ったら用具庫の中に入り、畳まれたマットの上に座ったのだった。玉城は俺の視線に気づくと、少し横にずれて、座ったら?と言わんばかりに俺を見た。…男とこんな暗い倉庫にふたりっきりになる危険とか少しも考えねーのかこいつは…
少し呆れながら、外で一人で立ちっぱなしもきついので、俺も中に入り、よっこらしょ、と隣に座った。
倉庫内は暗く、ドアが開いた場所が四角く景色を切り取ったようにくっきりと浮かび上がっていた。俺はまるでスクリーンに映された映像を見るように外を眺めながら、雨が止むのを待っていることも忘れたように、ただぼーっと過ごした。もうしばらくこのままでもいいや、なんて思いながら…
――ゴロゴロゴロ…
うわ、雷まで鳴り始めた…、遠くに低い轟音が響いたのを聞いてそう思った時、隣の玉城がピクリと動いた。
だけどたまたま音に驚いたんだろうと思い、それほど気にしないでいると、今度はピカッと外が光り、すぐ近くに轟音が落ちた。
「きゃ…!」
俺ですら少し驚くほどの音が鳴り響いたが、隣の玉城は息を飲んだような悲鳴を小さく上げ、身を竦ませたのが分かった。思わず見ると、玉城は口元を押さえていて、恥ずかしそうに俺を見た。
「何、怖いの?」
「…違います!驚いただけ…」
からかうような言い方になってしまったことをにわかに後悔した。玉城相手だとつい…
「……。」
だけど俯いた玉城は、いつものような憎まれ口も叩かず、身を縮こませたまま黙り込んでいた。
「…おい?大丈夫かよ?」
「へ…平気…」
ただならぬ様子にさすがに少し心配になって、だけど玉城はそう言ってそっぽを向いたとき。
またすぐ近くで雷が鳴り響いた。
「いやっ…!!」
玉城は悲鳴を上げて、膝を抱えて震え始めた。
「も…もうやだぁ…」
その涙声を聞いて、俺は焦った。まさか泣くほど雷が苦手なんて…初めて知った。
それに玉城が泣くなんて、どうしたらいいかわからなくて…
「お…大袈裟だな、ここにいりゃ大丈夫だって…」
「…別に恐くない!」
「いやそれは無理があるだろ…泣いてるじゃん」
「泣いてない!」
ぐすっ、と鼻を啜る玉城。やっぱ泣いてるじゃん…
「…すぐ止むよ。」
「…わかってます!」
「……。」
「……。」
玉城は強がっているけど、その体と声はかすかにふるえていた。時々鼻を啜る音がして、ピカッ、とまた外が光った時、玉城は膝の上でうつぶせたまま、膝を抱えている手をぎゅっと握りしめて、びくりと震えて身構えた。
…どうしたらいいかわからないまま、俺は思い切って、その丸まった小さな背中に腕を回した。ぎこちなく抱いた華奢な肩は、雷の唸り声が響くと俺の腕の中で少し震えた。
「…大丈夫です!」
「わかってるよ」
玉城が俺の手を退けるように腕を払ったけど、構わず背中をさすってやると、玉城は何も言わないまま、だけど先ほどまでより震えは収まっている気がした。玉城はそれ以上強がることもなく、黙って俯せていた。
それから十数分後、だんだんと雨脚が弱まり、いつの間にか雷もやんでいた。放送委員の放送が入り、いくつかの競技を縮小して行うことが知らされ、タイムスケジュールが淡々とした声で読み上げられていく。
玉城がゆっくりと顔を上げた。そして仏頂面のまま、ぐいー、と俺の腕を押しのけた。
「何まだ怒ってんだよ。」
「別に怒ってないです。」
「ふーん…お前いつも俺に対してだけ冷たいよな〜。」
「……。」
「傷つくぜ〜」
はーやれやれ、と立ち上がり、伸びをした。そろそろ外に出ても大丈夫そうだ。
と、思っていると、つん、とシャツが引っ張られた。
「ん?」
振り向くと、玉城が立っていて、ちらちら俺を見ながら口ごもる。
「何?」
「……あの…」
言い辛そうに、だけどだんだん顔を赤くする玉城。
そんな顔で言いごもられたら、なんか…変な雰囲気になってしまうというか、期待してしまうというか…
「