あれは…光と付き合い始めて、まだ1か月くらいの頃のことだった。
久々のオフを一緒に過ごす約束をしていて、少し足を延ばして水族館に行こうかと話していて、光はすごくそれを楽しみにしていたのを覚えてる。
そしてその日の朝、出かける準備をしていたところで、携帯に光から着信があったのだ。

「もしもし?」
「…一也先輩…」

ぐすっ、と泣いているような声に驚いて、俺はそっと部屋を出て、人気のない場所に向かいながら光に尋ねた。

「ど…どした?何かあった?」
「ごめんなさい…、今日…行けない…」

ううぅ、と泣いている光の声を聞いて、よほどのことがあったんだろうと思った。

「…そっか、それはいいけど、大丈夫?どうしたの?」

あんなに楽しみにしていたのに、泣きながら電話をかけてくるなんて、ただ事とは思えない。

「……。体調が…悪くて…」

光は口ごもって、小さな声で言った。

「…そっか、お大事に」
「……。」

ぐすぐす、電話の向こうで泣いている気配がする。光は泣き虫だけど、そんなに体調が悪いのかとちょっと心配になった。

「…先輩に会いたかった…。」

だけどそんな可愛い言葉が聞こえてきて、俺は口元が緩んでしまった。

「はは…。今日はゆっくり休めよ、またあした学校でな。」
「…うん。ごめんね…」
「気にするなって。」

電話を切った後も、俺は光のことが気になって、せっかく今日は外出届も出していたことだし、もう着替えてしまったし、と言い訳を考えながら、光のお見舞いに行くことにした。会えなくても、叔母さんに見舞いだけ渡すだけでもいいし…。
コンビニに寄って、風邪じゃないかもしれないけど一応清涼飲料水やゼリーなどお見舞いっぽい物を買って、光の家に向かった。
庭に叔母さんの車が停まっているのを見て、インターフォンを押す。するとすぐに、はーい、とマイクからはきはきとした声が響いた。叔母さんだ。

「あらっ、一也君!待っててーすぐ開けるから!」
「ど、どうも…」

俺が何か言う前に、叔母さんはモニターで見たらしくそう言って、言葉の通り間もなく玄関のドアが開いて叔母さんが出て来た。

「まぁまぁまぁわざわざありがとうね〜!お見舞いに来てくれたの?」
「あ、ハイ、なんか体調悪いとかって…」
「今日デートだったんでしょう〜!?光ちゃん残念がってたから喜ぶわよ〜!会ってくでしょ?」

こ…声がデケェ…!恥ずかしい。
上がって上がって、と叔母さんはグイグイ俺を家へと招き入れる。

「あのでも、具合悪いなら…」
「だーいじょうぶよ!ただの生理痛よ!」
「えっ…、あ、はぁ…」

生理痛…とか男に軽く言うのか…まあこの人だもんな…
動揺している俺をよそに、でもさっき痛み止め飲んだから〜、と言いながら、叔母さんは階段を上がっていく。

「光ちゃん?一也君来てくれたわよ〜」

コンコン、と叔母さんがドアをノックするも、返事はない。

「あの、やっぱ俺…」
「寝てるのかしら?」

叔母さんは遠慮なく部屋のドアを開けた。い…いいのか!?

「あら、寝ちゃったみたい。」
「え…」

ほら、と叔母さんは俺を部屋の中へ促す。お邪魔します、と部屋に足を踏み入れると、確かにベッドでうずくまるように横になっている光がいた。
…寝てる…。寝顔を見るのは初めてだ。…可愛い…。

「生理中って眠くなるのよねー。光ちゃんは重い方みたいだし…」
「……。」

反応に困って、はあ、と返事をすると、叔母さんは大人の余裕のある笑みを俺に向けた。

「光ちゃんとあまりこういう話しない?」
「…、まあ…」

まだ付き合って1か月くらいだしな…。

「大事なことよぉ。恥ずかしいかもしれないけど、ちゃんと知って気遣ってあげてね。」
「……。はい…」
「中入って待ってて、お茶淹れてくるわ。」
「あ、いや、お構いなく…!」

いいからいいから、と叔母さんは俺を残して階段を下りて行ってしまった。
俺はどうしようもなく、とりあえずベッドの傍の椅子に座った。光は目を閉じてかすかな寝息を立てていて、その長いまつげが濡れていることに気づいた。泣いてたもんな…。生理痛って…お腹が痛くなることしかよくわかんねーけど、泣くほど痛いって相当だよな…。
恥ずかしがるようなことじゃなくて…俺も知っておくべき…かもな…。光はこれが、1か月に1回あるんだから…。…あれ、1か月…だっけ?何日だっけ…

「……。」

ふ、と瞼が動き、光が目を覚ました。あ、と思う間もなく、青い瞳が俺を捉える。

「……。…えっ!?え、先輩何で…」
「一応見舞い…に」

慌てて飛び起きた光は顔を赤くして、苦笑する俺から恥ずかしそうに顔を背けた。そして慌てて髪を手櫛で直す光にぽつりと言う。

「可愛いから大丈夫だよ。」
「……。」

光は動きを止め、ちらりと赤い顔で俺を見て、照れたように視線を落とした。

「大丈夫?具合は…」
「だ、大丈…夫」

さっき痛み止め飲んだって言ってたけど…俺が生理痛って聞いたことは黙ってたほうが良いんだろうな…多分。

「えーと…」
「……。」
「…一応これ、見舞い…」
「え…。あ、ありがとうございます…」

光は袋を受け取ると、また黙り込んだ。

「一也君お茶…あ、光ちゃん起きたのね〜。大丈夫?」

と、そこへ叔母さんがお茶とお茶菓子をもってやって来た。光は叔母さんに頷き、叔母さんはテーブルにトレーを載せると光に歩み寄る。

「痛み止め効いてきた?」
「う…うん」

こくん、と俺を気にするように顔を赤くして頷く光。俺は何となく気まずくて、素知らぬ顔で黙り込む。

「じゃあほら、温かいお茶飲んで休んで。一也君もごゆっくり。」
「あ、どうも…。」

叔母さんは気を利かせたように微笑んで部屋を出て行った。ドアを閉め、階段を下りていく足音が遠ざかると、俺はなぜか少しほっとした。
光は布団を抱きしめたまま、ちら、と俺を見上げた。

「先輩…」
「?」
「あの…。…着替える、から、ちょっと待ってて…」
「え…、あ、わ、わかった」

そーか、パジャマだもんな…。淡い青のパジャマ姿、可愛いけど、光は少し恥ずかしそうだ。俺は頷いて、急いで部屋の外に出た。廊下に立って待っていると、数分後、部屋のドアが開いた。

「もう、いいよ。」
「あ、うん」

ドアを開けた光は、紺色のニットのワンピースを着て黒いタイツを履いていた。やっぱ、私服も可愛い。普段の制服姿も好きだけど…、つーか、何着ても可愛いな光は、うん。
テーブルを囲んでクッションに座り、一緒にお茶を飲む。光は俺と目が合う度、頬をピンク色にしてはにかむ。あーもー可愛い。やっぱ今日来てよかった。
それからたわいもないおしゃべりをしながら、時間はあっという間に過ぎて行った。空が赤く焼け始め、そろそろ帰った方がいいかなと思い始めたとき、不意に光が思いつめたように俯いたことに気づいた。よく見ると顔色もよくない。

「光?…どした?」
「……。」

光はうつむいて、お腹の辺りを抑えた。お腹が痛い…のか?

「お腹…痛いの?」
「……痛み止め…切れてきた」

あ…、そういえば飲んでるって…。
てことは…

「……。痛い…」

光はポツリと呟いて、心配になるほど悲しそうな顔になった。これはただの腹痛ではない…その表情を見て俺は直感した。

「痛いぃ…」
「お…おい、大丈夫かよ…?」

背に手を回し、どうしていいかわからないまま撫でると、光はじわりと目に涙を浮かべた。そしてその潤んだ瞳で俺をじっと見つめた。…この目で見つめられたらどんなことでも許してしまいそうだ。例えば、この目で光に見つめられながら、一億円ちょうだい、って言われたら、ポンと渡す男はいくらでもいそうな、そんな感じ…まあありえないし、変な例えだけど。

「せんぱぁい…」

だから光が甘えたような声でそう呟いた時、俺はぎゅんぎゅん胸が締め付けられた。か…可愛い!!こんな甘えた声で俺を…!いや冷静になれ俺、なんか光の様子が変だ。

「ど…どした?の?」
「…う〜〜」

光は悲しそうに、とうとう泣き出した。そして動揺した俺の腰に、ぎゅっと抱き着いてきた。
な…何が起こってる…!?ひ…光が変!!絶対変!!可愛い…けど…どうなってんの!?

「だ…大丈夫?叔母さん…呼ぶ?」
「うんん…」

光はいやいやというように俺の腹の辺りで押し付けるように頭を振る。

「先輩がいいぃ…」
「……。」

これ…現実?
もともと光はべたべた甘えてくるタイプじゃないし、これじゃまるで別人だ。もちろん嫌じゃない、つーか、むしろ役得…とか思っちゃってるけど、いつもと様子が違いすぎて戸惑いが大きい。

「先輩帰らないでよぉ…」
「……。」

いや…無理…、っていうか、普段我儘らしい我儘も言わない光が、こんな無理だと分かってる我儘を言って駄々をこねるなんて、やっぱり様子がおかしい。可愛いけど…
つーか…さっきから胸が…当たってて…やばいんだけど…!でも下に叔母さんいるし…ってそういうことじゃない!

「せんぱい…。」

ぐすぐす悲しそうに切なげに縋りついてくる光にドキドキしながら、ふと考える。これって…甘えたいってこと…だよな。体調悪くて心細くなるのはわかるし…それと同じようなモンかも…?
そう考えて、俺は光の体を抱きしめて、ぽんぽん、と背中を叩いて宥めてみた。

「はいはい…よしよし」

なんちゃって…、と笑って気恥ずかしさをごまかそうとしたとき、光が一層強く抱き着いてきた。

「ず…随分熱烈だな〜…はっはっは…」

光は甘えるように肩口に頬ずりしてきて、ぎゅうう、と俺を抱きしめる…。

「ちょ、も、もういい?」
「…やだ。」

これ以上されるとアッチがやばいんだけど…!身が持たねぇ!!

「ひ…光!」

俺は必死によこしまな思いを振り払って、光の肩を持って引きはがした。

「ごめん、ミーティングあるから、そろそろ帰らねーと…」
「……。」

光がみるみる悲しそうに顔をゆがめ、じわじわ涙をにじませて、俺は胸がズキズキ痛む。なんだこの破壊力抜群の泣き顔は…!捨てられた子猫を見捨てていく気分…何とかしてやりたいって思ってしまう可愛さ…

「明日…会おう、な?」
「…帰っちゃうの…?」
「…あとでメールする」
「電話がいい」
「電話する」

じゃ…、と立ち上がり、涙でぬれた目で俺を追う光の頭を宥めるように撫で、後ろ髪惹かれる思いでお暇した。
…あ〜〜〜危なかったぁ〜〜…!!!



***



次の日…昨日の電話と、今朝のメールによると、光はもう元気になったらしく、今日は学校に来たとのことだった。
昨日帰ってからネットで少し整理について調べたけど…少し調べただけでも、すげー大変そうだなという感想で…。個人差も大きいらしいけど、基本的には腹痛、人によっては頭痛、倦怠感、吐き気、めまい…なんて症状もあるらしい。それから、ホルモンバランスの乱れで情緒不安定になって、イライラしたり、悲しくなったりするらしい。
光がどの症状なのかすべてはわからないけど、昨日の様子を思い出す限り、腹痛と…悲しくなる、のかな?悲しむって言うより、甘えてくる…という感じだった気もするけど…でも泣いてたのは多分、痛みの他に情緒が不安定だったこともあるんだろう…

「あ…。」

約束していた空き教室に来ると、光は先に来ていて、俺を見ると少し恥ずかしそうにした。

「よ。大丈夫?」
「……。うん…」

もじもじ、ちらちら、恥ずかしそうに俺を見る光。もしかして昨日のこと恥ずかしがってる?

「どうしたんだよ?昨日はあんなに熱烈だったのに〜」
「…!う、うるさい!」

あ、やっぱり恥ずかしがってるんだ…。なんだそれ、可愛い。

「はっはっは!昨日は可愛かったのにな〜」
「もうやめてよぉ…!」
「なんで?普段ももっと甘えてくれたら嬉しいけど。」
「……。」

光は赤い顔でちらっと俺を見上げ、唇を噛んでもじもじ俯いた。恥ずかしがり屋さんか。
まあ…光は弱みとか見せるの、苦手だからな…。

「昨日、体調不良って何だったの?」
「……。」

わかってるけどあえて優しく尋ねると、光はぽそぽそ呟いた。

「…生理…痛…」
「…そっか。お腹、痛くなんの?」
「…うん」

そして俺が軽く頷くと、光は拍子抜けしたように…そしてどこか安堵したように今度はちゃんと俺を見つめ、頷いた。

「いつもあんなに痛くなんの?大変だな。」
「…と、時々…」
「そか。毎月…だっけ?」
「うん…大体…」
「へぇ…あとは?お腹痛い他に、どっか痛くなったりするの?」
「……。」

光は不思議そうに俺を見て、えっと、と答えた。

「体が、だるくなって…すごく眠くなる…」
「そっか。大変だなー」
「……。」

やっぱり不思議そうに俺を見る光。なんだろう。でも、どことなく嬉しそうだ。

「で、甘えん坊になるんだ?」
「……!」

そして俺がそうからかうと、光はすぐ顔を赤くして、ぽすんと俺の胸元を叩いた。

 


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