035
夏休みがあっという間に過ぎ、残暑の中に秋めいた涼やかな風を感じ始めた頃。
窓際の席で柔らかな昼下がりの日差しを受けて、光は、じっと携帯電話とにらめっこをしていた。
「また御幸先輩の記事見てるの?」
そう声をかけて前の席の椅子に座ると、近くにいた金丸君――ここは金丸君の席だ――がもの言いたげに私を見た。
「ごめーん、ちょっと貸して。」
片手を上げて軽い調子で言うと、彼はやれやれといった様子で男子たちのグループに戻る。
「すごかったね、先輩。」
「うん…」
お、素直だ。付き合う前なんて、御幸先輩のこととなると意地になって否定してたのに。可愛いなあ。
「もう引退なんでしょ?これからはいっぱい会えるね。」
「うん…」
「先輩、プロ行くんでしょ?すごいよね、別世界の人だなぁ」
「……。」
光が黙り込んだ。そうか、どこか元気がないと思ったら、理由はこれか。寂しいんだな、きっと。
「先輩とは最近どうなの?」
「…今朝会った、けど、忙しいみたい」
「え?引退したのに?」
「なんか…取材とか、記者会見とか、あといろんな手続きで」
「あぁ、なるほど」
一気に有名人だもんなあ。格好いいから、野球に興味ない人たちからも人気で、毎日のようにテレビで見るし。まあでも、テレビと言えば…
「っていうかさ、光もでしょ?忙しいのは」
「私は断ってるよ…」
「一回、何かやってみればいいのに」
夏休み中、たまたまバラエティー番組のドッキリを仕掛けられたのをきっかけに、一気に有名になった光。特にネットでものすごい話題になって、美人過ぎるだとか、本当は番組のやらせなんじゃないかとか、いろいろ言われているけど、一番はドッキリの中で光が見せた一途さが騒がれている。
こんなに可愛いのに一途すぎるだとか、蒼井颯斗でもだめなら彼氏はどれだけイケメンなんだとか、こんなに性格のいい美人がいるわけがないから、やっぱりやらせだろうとか。
番組が放送されてからいろいろなプロダクションから連絡がきたらしく、光は困ったように私に相談してきた。叔母さんや祖父母さんたちは、光がやりたいなら応援したい、と言ってくれたらしいけど。でもまあ光はこうして騒がれるのはあまり好きじゃないし、きっと嫌がるだろうなあ…。
「…やってみようかな。」
…え?
私はぽかんと口を開けて光を見た。
「何?」
その顔を見て、光は不安そうに首をかしげる。
「いや…びっくりして…。…え、本当に!?本当にやるの!?」
「ちょ、ちょっと、騒ぎすぎ。…昨日家にスカウトの人が来て、話聞いたら、ちょっと…やってみようかなって思っただけ」
「え!!すごいじゃんそれ!!どこ!?何のスカウト!?」
「……これ」
光が出した名刺には、一般人の私ですら知っている芸能事務所の名前。言葉を失っていると、光はまた不安そうに私を見た。
「…やっぱり、怪しいかな?」
「いやいやいや!!ここ、超有名なところだって!!最近ドラマに出てるミカとか、モデルのレイナとか、ここの事務所だし!!え、本当にすごいよこれ!やりなよ!!私応援する!」
興奮気味の私に少し圧倒されたように光は目を瞬いて、ふっと微笑んだ。
「…じゃあ、今日電話してみようかな。」
そうつぶやく顔は、本当に綺麗で。私は息をのんだ。
「…今のうちにサイン貰った方がいいかな?」
「…気が早すぎ。」
***
それから1週間もたたないうちに、ある日、光は遅刻をしてきた。といっても学校には伝えてあったらしく、お昼休みになって登校してきた光は、落ち着いた態度で席に着き、コンビニの袋を開いた。取り出したのはくるみパン。…光がコンビニのくるみパン…。
「光、今日どうしたの?」
さっそく駆け寄って遅刻の訳を訊くと、光はマンゴーチャイラテなる怪しい飲み物を開けながら言った。
「ちょっと打ち合わせがあって、遅れた」
「打ち合わせって…例の芸能関係の?」
「うん」
うん、と言ったきりくるみパンをほおばる光。ああもう、相変わらず自分のことはあまり話してくれないんだから。
「打ち合わせってことは、何か話が進んでるの?どうなってるか教えてよ!」
「うーん…」
光はパンを飲み込み、マンゴーチャイラテを一口飲む。…美味しいのかな?
「まず、オーディションを受けたの。結果が出るのが来週。で、今日の打ち合わせは活動の方向性。モデルとか、女優とか、歌手とか…いろいろあるんだね。で、その中だったらモデルがいいかもねって言われて、そうなった。あと、芸名?それは、本名で行きましょうって。」
「……なんかいろいろ話進んでるじゃん!!」
「あと、担当のマネージャーさんもついて…明日は事務所のプロフィール用の写真撮影してくる。」
「へ…へえ…」
なんだか順調そうだ。光も、この間ほど落ち込んでないし、よかった。
「それで、彼女が芸能界デビューすること、彼氏さんはなんて?」
ちょっとちょうだい、とマンゴーチャイラテを一口飲む。……悪くない…かも?
「まだ言ってない。」
「えっ!?」
思わずマンゴーチャイラテを噴き出しそうになりながら声を上げる。
「だって…なかなか会えなくて」
「メールとか電話とか、いろいろあるじゃん!」
「忙しいみたいだから、悪いかなって思って」
「何遠慮してんの!ただでさえ会えてないんでしょ?きっと連絡待ってるよ、先輩」
「でもたぶん来週会えるから、その時でいいかなって思って。ちょうどオーディションの結果も出るし」
「……先輩びっくりするよ、きっと」
びっくり…だけで済めばいいけど。だって芸能界デビューって、ふたりの関係にも影響する、重大なことだと思うし…。御幸先輩はすでに有名人で、光も有名人になるとなれば、有名人カップル。世間からも注目されることになる。わかってんのかなあ、光…。
「ま、こういうことは早めに言っておきなよ?」
「うん。」
そう頷いた光は、どこか嬉しそうにさえ見えて、私はそれ以上注意することを躊躇ってしまったのだった。
窓際の席で柔らかな昼下がりの日差しを受けて、光は、じっと携帯電話とにらめっこをしていた。
「また御幸先輩の記事見てるの?」
そう声をかけて前の席の椅子に座ると、近くにいた金丸君――ここは金丸君の席だ――がもの言いたげに私を見た。
「ごめーん、ちょっと貸して。」
片手を上げて軽い調子で言うと、彼はやれやれといった様子で男子たちのグループに戻る。
「すごかったね、先輩。」
「うん…」
お、素直だ。付き合う前なんて、御幸先輩のこととなると意地になって否定してたのに。可愛いなあ。
「もう引退なんでしょ?これからはいっぱい会えるね。」
「うん…」
「先輩、プロ行くんでしょ?すごいよね、別世界の人だなぁ」
「……。」
光が黙り込んだ。そうか、どこか元気がないと思ったら、理由はこれか。寂しいんだな、きっと。
「先輩とは最近どうなの?」
「…今朝会った、けど、忙しいみたい」
「え?引退したのに?」
「なんか…取材とか、記者会見とか、あといろんな手続きで」
「あぁ、なるほど」
一気に有名人だもんなあ。格好いいから、野球に興味ない人たちからも人気で、毎日のようにテレビで見るし。まあでも、テレビと言えば…
「っていうかさ、光もでしょ?忙しいのは」
「私は断ってるよ…」
「一回、何かやってみればいいのに」
夏休み中、たまたまバラエティー番組のドッキリを仕掛けられたのをきっかけに、一気に有名になった光。特にネットでものすごい話題になって、美人過ぎるだとか、本当は番組のやらせなんじゃないかとか、いろいろ言われているけど、一番はドッキリの中で光が見せた一途さが騒がれている。
こんなに可愛いのに一途すぎるだとか、蒼井颯斗でもだめなら彼氏はどれだけイケメンなんだとか、こんなに性格のいい美人がいるわけがないから、やっぱりやらせだろうとか。
番組が放送されてからいろいろなプロダクションから連絡がきたらしく、光は困ったように私に相談してきた。叔母さんや祖父母さんたちは、光がやりたいなら応援したい、と言ってくれたらしいけど。でもまあ光はこうして騒がれるのはあまり好きじゃないし、きっと嫌がるだろうなあ…。
「…やってみようかな。」
…え?
私はぽかんと口を開けて光を見た。
「何?」
その顔を見て、光は不安そうに首をかしげる。
「いや…びっくりして…。…え、本当に!?本当にやるの!?」
「ちょ、ちょっと、騒ぎすぎ。…昨日家にスカウトの人が来て、話聞いたら、ちょっと…やってみようかなって思っただけ」
「え!!すごいじゃんそれ!!どこ!?何のスカウト!?」
「……これ」
光が出した名刺には、一般人の私ですら知っている芸能事務所の名前。言葉を失っていると、光はまた不安そうに私を見た。
「…やっぱり、怪しいかな?」
「いやいやいや!!ここ、超有名なところだって!!最近ドラマに出てるミカとか、モデルのレイナとか、ここの事務所だし!!え、本当にすごいよこれ!やりなよ!!私応援する!」
興奮気味の私に少し圧倒されたように光は目を瞬いて、ふっと微笑んだ。
「…じゃあ、今日電話してみようかな。」
そうつぶやく顔は、本当に綺麗で。私は息をのんだ。
「…今のうちにサイン貰った方がいいかな?」
「…気が早すぎ。」
***
それから1週間もたたないうちに、ある日、光は遅刻をしてきた。といっても学校には伝えてあったらしく、お昼休みになって登校してきた光は、落ち着いた態度で席に着き、コンビニの袋を開いた。取り出したのはくるみパン。…光がコンビニのくるみパン…。
「光、今日どうしたの?」
さっそく駆け寄って遅刻の訳を訊くと、光はマンゴーチャイラテなる怪しい飲み物を開けながら言った。
「ちょっと打ち合わせがあって、遅れた」
「打ち合わせって…例の芸能関係の?」
「うん」
うん、と言ったきりくるみパンをほおばる光。ああもう、相変わらず自分のことはあまり話してくれないんだから。
「打ち合わせってことは、何か話が進んでるの?どうなってるか教えてよ!」
「うーん…」
光はパンを飲み込み、マンゴーチャイラテを一口飲む。…美味しいのかな?
「まず、オーディションを受けたの。結果が出るのが来週。で、今日の打ち合わせは活動の方向性。モデルとか、女優とか、歌手とか…いろいろあるんだね。で、その中だったらモデルがいいかもねって言われて、そうなった。あと、芸名?それは、本名で行きましょうって。」
「……なんかいろいろ話進んでるじゃん!!」
「あと、担当のマネージャーさんもついて…明日は事務所のプロフィール用の写真撮影してくる。」
「へ…へえ…」
なんだか順調そうだ。光も、この間ほど落ち込んでないし、よかった。
「それで、彼女が芸能界デビューすること、彼氏さんはなんて?」
ちょっとちょうだい、とマンゴーチャイラテを一口飲む。……悪くない…かも?
「まだ言ってない。」
「えっ!?」
思わずマンゴーチャイラテを噴き出しそうになりながら声を上げる。
「だって…なかなか会えなくて」
「メールとか電話とか、いろいろあるじゃん!」
「忙しいみたいだから、悪いかなって思って」
「何遠慮してんの!ただでさえ会えてないんでしょ?きっと連絡待ってるよ、先輩」
「でもたぶん来週会えるから、その時でいいかなって思って。ちょうどオーディションの結果も出るし」
「……先輩びっくりするよ、きっと」
びっくり…だけで済めばいいけど。だって芸能界デビューって、ふたりの関係にも影響する、重大なことだと思うし…。御幸先輩はすでに有名人で、光も有名人になるとなれば、有名人カップル。世間からも注目されることになる。わかってんのかなあ、光…。
「ま、こういうことは早めに言っておきなよ?」
「うん。」
そう頷いた光は、どこか嬉しそうにさえ見えて、私はそれ以上注意することを躊躇ってしまったのだった。