光也も星も学校の寮に入り、城では俺と光、そして洋一の3人での生活が戻ってきた。
寂しさもありながら昔のような穏やかな日々に胸が温かくなる。光也と星からの便りを楽しみに過ごす日々。

だけど、一つ心配なことがあった。

「光。」

中庭を見下ろせる部屋のベッドに、上体を起こして休んでいる光。その顔色はあまり良くない。

「おはよう。」
「おはよう…」

俺の手に頬を寄せてほほ笑む光の、血色の悪い唇に胸が痛くなる。
使用人が今下げようとしている朝食のプレートを見ても、ほとんど残されていた。
星が学校の寮に入る少し前から、光の体調が悪くなり、寝込むことが多くなった。それでも少し持ち直し、光也と星は心配そうにしながら学校へ行ったのだが。
その見送りの日、光は二人を心配させまいと無理をしたらしく、ここのところはずっとベッドで過ごしていた。

「お…、」

小さな声がし、振り向くと、洋一も光の様子を見にここへやってきたらしかった。俺はベッドから少し離れ、洋一に譲った。
洋一は光に歩み寄って微笑み、頭を撫でた。

「ちゃんと飯食ったか?」
「……。」

光は苦笑して、洋一は神妙そうに、ちらりと俺を見た。俺が頷くと、洋一は辛そうに眉をしかめた。

「…大丈夫だよ。今日は何か、気分がいいの。ふたりとも心配しないでよ。」

光は笑ってそう言って、少しむせた。咄嗟に手を差し出した洋一に、大丈夫、と光はまた微笑む。
俺たちがいると無理をして笑う光を見て、俺と洋一は部屋を後にすることにした。


「……。」

リビングに戻り、洋一は深いため息をついた。泣いているのかと思うほど震えたため息だった。
心配でたまらないのはわかる。辛い気持ちも。だけど、どうしたらいいのかわからない。
医者は、病気とかではないから、静養するしかない、としか言わないし…。

「…光は昔から…体が弱いからな…」
「……。」

俺が呟くと、洋一は少し潤んだ目で俺を見た。

「多分、出産がかなり体に堪えたんだろうって…」

こういうとまるで、光也と星のせいかのように聞こえて、俺は胸の底がムカついた。多分洋一も同じで、追い詰められたように再び項垂れた。

「こんなことになるなら…。……。」
「……。」

洋一が言いかけたが、その続きは飲みこまれた。
…光也も星も、大切な子供たちだ。光と同じくらい。
かけがえのない、光が生きた証。
だけど…それを残して、光がいなくなってしまうなんてことになったら…。
俺は一体、どうしたらいい?

それに…。

「…こんな時に、光の傍を離れなきゃならないなんて…」

洋一が絞り出すように言った。光が体調を崩したこともあり、俺はアメリカへ、洋一は日本へそれぞれ外交の関係で明日から1週間赴かなければならなくなった。

まるで太陽のようだった光が体調を崩してから、城…いや、国中が明かりを失ったようだった。みなどこか沈んだ顔をし、思いつめている。それはこの人物も――

――カチャン!

陶器のカップが音を立て、失礼いたしました、と周防が静かにつぶやき、片づけを速やかに済ませた。

「周防」

名前を呼ぶと、周防は切れ長の端正な黒い目を俺に向ける。

「明日から…光のこと、頼む」
「……。」

周防は自信なさげに俯いた。だけど光を心配してあれこれ気をまわしてくれていることを俺も洋一もよく知っていたから、それを肯定ととらえた。

昔は光に何かあると叔母さんや司がかけつけてきてくれた。でも叔母さんは今事業で忙しく、発展途上国を飛び回っているらしいし、司も家庭があって司臣を置いてくるわけにはいかない。何より二人に心配をかけるからと、光は二人に状況を知らせるのを嫌がった。一応、光臣には状況を知らせてあり、司のことは任せてある。光臣もこちらに来たそうだったが、光の意思を汲んでそれを言うことはなかった。

バタバタバタ、と誰かが階段を駆け上がっていく音が廊下から響き、俺と洋一と周防は同時に顔を上げた。
何やら騒がしい。胸騒ぎがして、俺たちは示し合わせるまでもなくリビングを出て騒がしい方…光が休んでいる部屋へ駆け込んだ。

「何かあったのか?」

飛び込んですぐにそう尋ねると、ベッドの光の傍に立つ医者が青い顔を上げ、どうやら俺たちの前に部屋に駆け込んできたらしい使用人がヒッと息をのんだ。
医者が持つ、光の口元を覆う白い布…そこに滲んだ赤い色。
まさか…血を吐いた?

「光…」

言葉も出ず光に歩み寄ると、光はおびえるような目をうつろに漂わせた。真っ白な顔だった。
俺は胸の底から震えを感じ、目の奥が痛いくらい熱くなって、だけど涙も出ず光を見つめていた。

「光」

その俺を押しのけるようにして洋一が光に駆け寄り、光の乾いた唇に滲んだ赤い血をぬぐった。それから光の頬を縋るように撫でた。だけど光は洋一の目を見ず、ただ空を見ていた。その様子を見て、俺は、まさか、と目の前が真っ暗になっていった。

「…光?」

洋一も光の異変に気付き、光を見つめて声をかけた。

「光、おい、どうしたんだよ…」

一向に目が合わない光に縋りつく洋一。光はおびえた顔で、おそるおそる、つぶやいた。

「目が…。」

その言葉だけで、洋一もすぐに察した様子で、口をぽかんと開けた。

「…よく、見えない…」

嘘だ。
また…光の目が見えなくなったって言うのかよ。
そんな…どうして?

「目の前が、暗くて…」

光の手がどこかを探るように動く。それを、洋一が握りしめ、そのまま光を抱きしめた。

「大丈夫、光、俺はここにいる…一也もここに…」
「……。」
「傍にいるから…」

洋一の肩は震えていた。こいつがなくなんて珍しい、となぜか他人事のように思った矢先、俺の頬に何かが伝った。
いい年して、男が二人、泣いて…情けない。
光がこんなことになって、また、泣いていることしかできないなんて…

「少し眠ったほうがよろしいかと…」

医者が遠慮がちに口をはさんだ。

「咳に吐血に、体力の消耗が激しいです。」
「……。…そうだな、ゆっくり、ちゃんと眠って休め、光…」

倉持は光を放し、涙を乱暴に拭いて、それを悟られぬようにぶっきらぼうな声で言って、光の頭を撫でた。
洋一の手を借りてベッドに横になった光は、疲れ切った顔を天井に向けた。

「…洋一さん…」
「うん」

ぎゅ、と手を握る洋一。光はもう片方の手を伸ばした。

「一也さん…は…?」
「…いるよ…ここに」

俺はすかさずその手を取った。そして、まるで看取るようなこの状況に、叫びそうなほど辛くなった。

「……。」

光はかすかに安どしたような笑みを浮かべ、目を閉じた。ささやかな寝息が聞こえ始めて、それでも俺と洋一はしばらく手を離せずにいた。



「昨夜は咳がひどかったので…気管が炎症を起こして出血したのでしょう。」

光が眠ってから、俺たちは廊下で医者から説明を聞いた。

「少しずつですが体力は回復しています。失明もおそらく一時的なものかと…」
「…よくなってるようには…思えません」

洋一が震える声で言うと、医者は苦い顔をした。

「何とかならないんですか?」
「今は薬で症状を抑えて休んでいただき、体力を回復していただくほかは…」
「俺にできることなら何でもします。血でも…臓器でもなんでも、光が助かるなら何でも取ってください。」
「……。」

俺の言葉に、洋一も同意するように医者を見た。だが医者は渋い顔のまま、しかし、と呟いた。

「移植でどうにかなる問題ではないのです。」
「じゃあ…!…じゃあ、どうすればいいんですか…」

自分の声が自分でも驚くほど震えていた。俺の顔を見た洋一が息をのんだ。

「光を助けてください…」

縋る場所もわからないまま絞り出した声は、薄暗い廊下に虚しく響いた。




***



俺と洋一は、1週間の訪問予定を、先方に無理を言って往復3日で帰る強行スケジュールに変更した。
光はまだ眠っていたから起こすことはやめ、周防によろしくとよく言い聞かせて、俺と洋一はそれぞれ違う小型飛行機で早朝国を発った。

洋一の飛行機が先に離陸し、俺も飛行機に乗り込んだとき、俺の携帯が鳴った。知らない番号だ。

「…はい、もしもし」
「あ、一也さんですかぁ?」

とても聞き覚えのある声。

「…えーと、司?」
「正解でーす!光臣の携帯から番号調べて掛けました!」
「……。」
「あの〜、光に電話したんですけど、出ないんですよ。今一緒にいます?」

洋一さんにもかけたけど出ないんですよ、という司の明るい声を聴き、光臣はまだ司には黙っている判断をしたんだなと考えた。

「ああ…光なら……まだ寝てるんじゃねーかな」
「えー、そっかぁ…」
「何か用なら俺が伝えるよ。どうした?」
「いや〜去年光也君がサマーキャンプに参加したじゃないですかぁ。それで今年司臣も行ったらどうかな〜って考えてるんですけど、どうなのかな〜と思って。」
「あぁ…本人は楽しかったみたいだよ。今年も行きたいって言ってたし。今年は星も一緒に行くかな」
「え〜じゃあ司臣も行きたいって言いそう!そっか〜、ありがとうございました!」

平和な会話…光の状態を知らない司に胸が痛む。知ったらきっと、血相を変えて駆けつけるんだろうな…。

「じゃ、そろそろ離陸するから切るけど」
「え?今飛行機?どこか行くんですか?」
「仕事でアメリカにな。3日で帰るけど」
「え〜忙しい〜!」

あえて急いで帰ることは言わないでおく。

「…あ、だから洋一さんも電話に出なかったんですか?」
「うん、多分ちょうど電源切ってたんじゃねーかな、さっき離陸したから。あいつは日本。」
「へ〜、そうだったんだ〜。わかりました、じゃあお気をつけて!」

ありがとうございました〜、と司は言い、電話が切れた。

「まもなく離陸いたします。」
「ああ…はい。」

乗務員が声をかけに来た。俺は頷いて息を吐き、携帯の電源を切った。
窓からのぞいた城の上は、どんよりとした灰色の雲が覆っていた。

 


ALICE+