光さんが意識を失って1週間が経った。
彼女は未だに呼吸器につながれ、一也さんの一声でその装置が外されれば、息を引き取ってしまう状況に置かれている。
洋一さんは覚悟を決めたようだ。時々、一也さんを慰め叱咤するように話しかけている。

俺は…何の感情もわかなかった。

無だ。この先、光さんがいなくなると考えたら、まるで真っ暗な世界に取り残されるような気分になった。
今まで俺は人間関係など煩わしくて、簡単に人との連絡を絶ったし、友人と呼べる人もいなかった。光臣だけがしつこくかかわって来たけど、光さんは…俺の方から、かかわりを持ちたいと…
傍にいたいと、初めて思える人だった。

「護。」

光さんの傍についている一也さんのためにお茶を入れていたところ、光さんの専属のメイドがやってきて俺に声をかけた。

「残念ね…王女殿下のこと」
「……。」
「護は日本にいた頃からお知り合いだったんでしょう?」
「…ええ。」
「そのお茶、王配殿下に?」
「はい。」
「じゃあ、私持っていくわよ。ちょうど王女殿下の点滴に薬を投与する時間だから」

確かに、彼女が持つトレーには小さな注射器が並べられていた。

「ああ…いや、私が持っていきます。ご様子も伺いたいので」
「……そうね。わかったわ。」

彼女はぎこちない笑顔を浮かべ、先を歩き始めた。
同時に部屋に入ると、ベッドのそばには相変わらず一也さんがいて、今は洋一さんもそばにいた。

「ああ…」

一也さんは疲れたような顔で俺とメイドを見、ありがとう、と呟いた。
洋一さんは俺が持ってきたお茶を見て一也さんの肩に手を添えた。

「ほら…少し休めよ。夜通しここにいたんだから…お前まで倒れたらどうすんだよ。」
「俺は大丈夫だ」
「お前な…光也も心配するだろ」

王子殿下の名前を出されて、一也さんは渋々ティーカップに手を伸ばした。光さんもよく飲んでいた、疲労回復に効くハーブティー。一也さんはそれを思い出したのか、一口飲むと少し目に涙を浮かべた。

「……。」

ぐすっ、と小さく鼻を啜る音が聞こえ、俺は聞こえていない振りをして、光さんの点滴に薬剤を入れるメイドの手元を眺めた。
栄養剤を2本、そして抗生剤…メイドは少しこちらを振り向き、俺は見すぎたかとそっと視線を外す。だけど次の瞬間その行動に違和感を感じ、再びメイドを見た。すると、メイドは向こう側のポケットから、小さな…小さな注射器を取り出し、それを点滴器に――

――ガタン!!

「…!?周防!?」

気づけば俺は、反射的に飛び出して、メイドを押し倒して押さえつけていた。一瞬あっけにとられたメイドが顔を真っ赤にして抵抗し、俺の顔や胸を強く叩く。

「きゃー!!何なのよ!!離してよ!!」
「おい!周防!!何してるんだよ!?」

俺を止めようと駆け寄る洋一さんと、まだ呆然と状況を見つめている一也さん。
俺は自分でも混乱していて、だけど行動だけはなぜか冷静だった。

「彼女の注射器を!!」
「は!?」
「早く!!」

俺が叫ぶと、メイドはさっと青ざめて、注射器を持っている手を固く握りしめた。洋一さんは何かを察し、その手にくらいついた。力ずくで手を開かせ、注射器を奪い取る。

「一也!!誰か呼べ!!」
「え…」
「早くしろ馬鹿!!」

一也さんがハッと我に返り、近くのベルを鳴らしてから注射器を奪おうとする洋一さんを手伝った。
男二人がかり…押さえつけている俺も含め3人がかりで、メイドは力尽きて注射器を手放した。

「な…何の薬だ?」
「栄養剤…じゃないのか?」

息切れしながら、だけどここまで抵抗するのはただの栄養剤とは思えず、一也さんと洋一さんは顔を見合わせる。

「…調べればわかります」

俺が言うと、メイドは急に起き上がって、つい手を緩めていた俺の手を振り切って窓へ走っていき、あっと息をのむ間もなく――身を投げた。

「は…?」

愕然とした一也さんの手から注射器が零れ落ち、冷たい音を立てて床に落ちた。

「…栄養剤ではなさそうですね」

俺はつぶやき、注射器を拾い上げた。
外からは悲鳴が響いてきた。




***




「FDIOW-9…猛毒ですよ」

注射器の中身の検査結果はその日のうちに出た。説明をしに来た学者は沈痛な面持ちで話し続けた。

「多量に摂取すれば即死です。ただ…ごく少量ずつの摂取ならば血液検査でも感知できない毒です。」
「……。」

一也さんも洋一さんも、怒りや悲しみやいろんな感情が混じって言葉を失っていた。

「症状としては、発熱や呼吸の乱れ、貧血、視力の低下…少しずつ脳をむしばみ、やがて機能を停止させます」
「……どうして……」

あのメイドが…一人でやったことなのか?いや、そうとは思えない。
そんな毒、あんな若い女が一人で手に入れられるわけがない。
そこで俺は、思い出した。光さんたちがこの国へ来たばかりの頃、光さんの部屋に侵入し、部屋を荒らした犯人…。そして、俺と光さんが乗った車に追突し、逃走した犯人…。
もしかして、一連の事件はすべて…。

「光は助かるんですか?」

一也さんの震える声がして、学者と医者が顔を見合わせた。

「解毒剤を投与し、最善を尽くします。」
「……お願いします…。」

肯定も否定もない。だけど、一也さんは深く頭を下げた。




***




「当分、俺と洋一、医者と看護士、あと…周防。この5人以外の部屋の立ち入りは禁止する。」

光さんの食事に少しずつ毒が盛られていたことが分かり、一也さんはそう宣言した。さすがに光さんの専属メイドが毒を盛っていた事実を前に、異を唱える使用人はいなかった。

「それと、このことはまだ外に漏らさないでくれ。犯人が…主犯が逮捕されるまで。本城のイリシア王女殿下にも言うな。」

執事長は、かしこまりました、と恭しく言って下がった。

「それは?」
「解毒剤です。1日1回、動脈への投与をします。」

一也さんはあれから、光さんに投与される薬を一つ一つ医者に尋ねるようになった。さすがに医者のことは疑っていないが、そうしないと安心できないのだろう。
医者もその気持ちがわかるのか、聞かれる前に一也さんに説明をすることもあった。

「周防、俺の食事は全部ここに運んでくれ。今日から俺もこの部屋で過ごす」
「わかりました。」
「それと…ありがとう。」

一也さんは辛そうに眉を寄せて言った。俺は少し俯いて目を伏せ、その場を去った。
光さんがまだ助かるとは限らない…彼女が目覚める前に、自分がしたことを喜ぶ気にはなれなかった。

 


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