384
ひとっ走りして光たちのところへ戻ってくると、ベッドの上で光と笑っていた一也が俺に気づき、ベッドから降りた。
「じゃ、夕ご飯作ってくるよ」
頷いた光に微笑んで、一也は俺とすれ違いざまに、俺の肩をたたいて部屋を出て行った。
「洋一さん。」
光が俺を呼んでベッドの淵をたたいた。
「いや…汗かいたから」
俺は苦笑して、シャワー浴びてくりゃ良かったなと思いながら、ベッドの隣の椅子に腰かけた。
「体調は大丈夫か?」
「うん。」
一也にも同じようなことを聞かれたのか、光はちょっと苦笑しながらうなずいた。
「もう大丈夫だよ…苦しくないし、熱も出ないし…」
「…よかった」
「……。」
医者の説明でも、もう体内に毒は残っていないから解毒剤の投薬は必要なく、あとは栄養を取って休めば次第に回復すると言っていた。
「洋一さん…」
光はどこか真剣な顔で言った。
「ん?」
「もし…もしもだけど」
「…何?」
俺は光の声を聴きながら、嫌な胸騒ぎを覚えた。
「もし…私に何か、あったら…」
「……。」
「一也さんと、子供たちのこと…。……。」
光は言い切らないうちに目を伏せて、涙をこらえるように目を瞑った。
「…バカなこと言うな…」
「……。」
「体調…いいんだろ?医者も問題ないって…」
「だから、もしもだよ、もしも」
「もしもでも、お前に何かあったらなんて、そんな話…」
したくない。ききたくない。
そう言おうとして、光の悲しげな眼を見て、口をつぐんだ。光だってこんな話、したくてしてるわけがない。きっと意を決して俺に話してきたはずだ。それを俺が頭ごなしにあしらっていいわけがない…。
「……。一也さんは…今すごく不安定でしょ、だから…」
「……。」
「洋一さんは…強いから…。」
…違う。それは違ぇよ、光…。
「確かに…今の一也は弱ってると思う。でも…アイツは本当は、俺よりも強ぇよ…。アイツがあんなふうになるのは…お前のことだけだ、光。」
「……。」
「それに…俺だって…強いわけじゃない。アイツほど不安定にならずに済んでるのは…俺が強いからじゃなくて…」
「……。」
「あいつが…あんなに情けないくらい、ボロボロになってて…それを見てると、思うんだよ」
「……。」
「やっぱり…アイツが一番の…光の…」
「……。」
お互いに黙り込んで、部屋に沈黙が降りた。
「光…」
空色の瞳が俺を見た。澄み渡った青空のような瞳…。宝石みたいに、キラキラした瞳…。
「俺たちを置いて…いくなよ。」
「…いつかは…わからないよ…」
「ダメだ。絶対許さない」
光は大きな瞳を瞬いた。俺は光の小さな手を握った。
「俺たちは一緒に歳を取って…よぼよぼのじーさんばーさんになって、それで…一緒にいくんだ」
「……。」
光は微笑んで、俺の手を握り返した。
***
俺がもう、光が苦しみ続けるくらいなら…と諦めかけたとき、一也だけが光を諦めずに待ち続けた。
俺だって、もし光がいなくなってしまったらと考えると身を引き裂かれる思いだ。そして今回はそれが目の前にまで迫っていた。そして実感した。一也にはやっぱり、光という存在が必要で…光がいなくなったらきっと、一也は…。
子供たちのこともあるし、そのとき、俺が落ち込んでいる余裕はないと思う。
…とにかく、光にはずっと元気で笑っていてほしい。
光を周防に任せて階段を下りていくと、ロビーで一也を見つけた。キッチンに行ったと思ったのだが、どうやら来客で、そこにはイリシア王女と夫の男、2年前に生まれたばかりの王子とお付きの使用人がいた。
光のことがあってからしばらくこの城には人を寄せ付けていなかったので、この子が来たのも久しぶりだ。光が体調を崩す前までは、時々お茶に来たりしていたけど…。
「一緒にお食事はどうかしらと思って来たんです。いいレストランがあるんですよ。たまには外にお食事に行くのもいいかと思って…どうでしょう?」
「申し訳ございませんが、妻は今日体調がよくなくて…」
一也が申し訳なさそうに断るも、イリシア王女は帰るそぶりがなかった。
「あら、そうでしたの…?最近ずっとですわね。心配だわ…少しお会いしてもよろしくて?」
「え…と、すみませんが伏せっていて、身支度も整っていないので」
「あら気にしませんわ、そんなこと!家族ですもの。久しぶりに光さんにお会いしたいわ。姉のような存在なんですから…」
光は今、俺と一也と周防と医者以外の人と会うことを控えている。イリシア王女も家族ではあるが、今は光に気を遣わせたくない。
「すみません。光は今眠ったところなんです」
一也に比べてたどたどしいイタリア語で言いながら階段を下りていくと、「あら洋一様」とイリシア王女が目を丸くして微笑んだ。どことなく光に似ている美貌に少しドキリとする。…光の方がキレ―だけどな!
「また光が元気な時に、こっちから誘わせてください。」
「あら…、そう…?」
ちょっと釈然としない様子でイリシア王女は夫の顔を見上げ、俺と一也に会釈した。
「では今日はお暇しますね。突然訪ねてしまい申し訳ございませんでした。」
イリシア王女はそう言って、夫と子供と使用人を引き連れて帰っていった。
短い間ながらも何だが気疲れして、俺が無意識に一也を見ると一也も俺を振り返った。そしてお互い、ついため息をついた。
「なんか…変わったよな、あの子」
キッチンに向かう一也の後をついていきながら言うと、一也は同意するように相槌を打った。
「昔は大人しいイメージだったけどなー」
「ちょっと強引なトコあるよな」
「あー…」
「ま…王女様ってくらいだし、な」
ちょっとワガママ…というか、空気を読まないというか、遠慮しないというか…。
こっちの都合を考えずに訪ねてくることがままあるのだ。
彼女の言う通り、光を姉のように慕ってるからというのもあるのかもしれないけど。俺も一也も一人っ子だからか、どうしてもイリシア王女が図々しく思えてしまう。光が体調を崩しているから余計に。
「出来たら呼ぶから、光についててやってよ」
周防がついていることはこいつもわかってるだろうに、一也は水を汲んで飲む俺を見て頼むように言った。きっと、本当は自分がずっとそばについててやりたいんだと思う。それこそ言葉通り、片時も離れず。
「…ああ」
俺は頷いてグラスを流しに置き、光の下へ戻ることにした。
***
部屋に戻ると小さな笑い声が聞こえてきて、俺はドアをゆっくり開けながら声に耳を傾けた。
「大丈夫?周防君」
「いえ…その…申し訳ございません」
「どうかしたのか?」
笑っている光と、珍しく慌てた様子の周防。その周防の手元には、紅茶がなみなみと注がれてソーサーからも溢れてしまっているティーカップ。
「…どうした?周防。珍しい」
「ね。珍しいよね」
「考え事を…していて。申し訳ございません」
周防は焦りを少し滲ませて、しかしさすが手際よくティーカップを片付け、新しいカップを用意して紅茶を注ぎ始めた。
「疲れてるんじゃない?私のせいで…ひとりで私たちのこと、してくれてるし。」
「問題ありません。」
周防はきっぱりとそう言い、カップを俺と光の前に置き、茶器の片づけを始める。
俺は紅茶を飲む光の髪を撫で、そばの椅子に座った。
「一也が…心配だから、お前のそばについてろってさ。」
一也をからかうように言うと、光ははにかみ交じりに苦笑した。
「ま…俺も心配だけど…」
「ふたりとも心配性なんだから。もう大丈夫って言ってるでしょ?」
「光の大丈夫は信用できねーからな〜」
「どうしてよ。」
「すぐ無茶するもん、お前。」
光は少し顔を赤くした。思い当たる節がぽつぽつ思い浮かんだ様子だ。
「…ま、心配されてやっててくれよ。俺も一也も、お前が大事で仕方ねーからよ…」
「……。」
光は少し恥ずかしげに微笑んで、また紅茶を一口飲んだ。それを見て、俺も紅茶に少し口をつけた。
「洋一さん。」
「ん?」
「来週、子供たちが帰ってくる前に夕食の材料を買いに行くんだけど、洋一さんも一緒に来てくれる?」
「ああ、いいけど」
俺がうなずくと、光は嬉しそうにはにかんだ。
「久しぶりにみんなでお出かけだね。」
…ああ、一也も来るのか。まあ、別にいいけど…光がこんなにうれしそうだし。
「…王女殿下。検温のお時間です」
「あ、うん。」
その時遠慮がちに、周防が体温計を差し出してきた。光がそれを受け取ると、周防は再び俺たちを邪魔すまいと少し下がった。
光は体温計を使うために、ネグリジェの胸元のボタンを二つほど開ける。そして白い胸が少し顔をのぞかせ、周防がぱっと顔をそむけたことに俺は気が付いた。…へー、こいつもこんな初心な反応するんだ…。
光は体温計を腕の下に挟むと、おとなしく枕に寄り掛かった。
静かにそれを見守りながら、俺は、少し前に一也が「周防が光のことを好きかもしれない」と騒いで心配していたことをふと思い出した。
「じゃ、夕ご飯作ってくるよ」
頷いた光に微笑んで、一也は俺とすれ違いざまに、俺の肩をたたいて部屋を出て行った。
「洋一さん。」
光が俺を呼んでベッドの淵をたたいた。
「いや…汗かいたから」
俺は苦笑して、シャワー浴びてくりゃ良かったなと思いながら、ベッドの隣の椅子に腰かけた。
「体調は大丈夫か?」
「うん。」
一也にも同じようなことを聞かれたのか、光はちょっと苦笑しながらうなずいた。
「もう大丈夫だよ…苦しくないし、熱も出ないし…」
「…よかった」
「……。」
医者の説明でも、もう体内に毒は残っていないから解毒剤の投薬は必要なく、あとは栄養を取って休めば次第に回復すると言っていた。
「洋一さん…」
光はどこか真剣な顔で言った。
「ん?」
「もし…もしもだけど」
「…何?」
俺は光の声を聴きながら、嫌な胸騒ぎを覚えた。
「もし…私に何か、あったら…」
「……。」
「一也さんと、子供たちのこと…。……。」
光は言い切らないうちに目を伏せて、涙をこらえるように目を瞑った。
「…バカなこと言うな…」
「……。」
「体調…いいんだろ?医者も問題ないって…」
「だから、もしもだよ、もしも」
「もしもでも、お前に何かあったらなんて、そんな話…」
したくない。ききたくない。
そう言おうとして、光の悲しげな眼を見て、口をつぐんだ。光だってこんな話、したくてしてるわけがない。きっと意を決して俺に話してきたはずだ。それを俺が頭ごなしにあしらっていいわけがない…。
「……。一也さんは…今すごく不安定でしょ、だから…」
「……。」
「洋一さんは…強いから…。」
…違う。それは違ぇよ、光…。
「確かに…今の一也は弱ってると思う。でも…アイツは本当は、俺よりも強ぇよ…。アイツがあんなふうになるのは…お前のことだけだ、光。」
「……。」
「それに…俺だって…強いわけじゃない。アイツほど不安定にならずに済んでるのは…俺が強いからじゃなくて…」
「……。」
「あいつが…あんなに情けないくらい、ボロボロになってて…それを見てると、思うんだよ」
「……。」
「やっぱり…アイツが一番の…光の…」
「……。」
お互いに黙り込んで、部屋に沈黙が降りた。
「光…」
空色の瞳が俺を見た。澄み渡った青空のような瞳…。宝石みたいに、キラキラした瞳…。
「俺たちを置いて…いくなよ。」
「…いつかは…わからないよ…」
「ダメだ。絶対許さない」
光は大きな瞳を瞬いた。俺は光の小さな手を握った。
「俺たちは一緒に歳を取って…よぼよぼのじーさんばーさんになって、それで…一緒にいくんだ」
「……。」
光は微笑んで、俺の手を握り返した。
***
俺がもう、光が苦しみ続けるくらいなら…と諦めかけたとき、一也だけが光を諦めずに待ち続けた。
俺だって、もし光がいなくなってしまったらと考えると身を引き裂かれる思いだ。そして今回はそれが目の前にまで迫っていた。そして実感した。一也にはやっぱり、光という存在が必要で…光がいなくなったらきっと、一也は…。
子供たちのこともあるし、そのとき、俺が落ち込んでいる余裕はないと思う。
…とにかく、光にはずっと元気で笑っていてほしい。
光を周防に任せて階段を下りていくと、ロビーで一也を見つけた。キッチンに行ったと思ったのだが、どうやら来客で、そこにはイリシア王女と夫の男、2年前に生まれたばかりの王子とお付きの使用人がいた。
光のことがあってからしばらくこの城には人を寄せ付けていなかったので、この子が来たのも久しぶりだ。光が体調を崩す前までは、時々お茶に来たりしていたけど…。
「一緒にお食事はどうかしらと思って来たんです。いいレストランがあるんですよ。たまには外にお食事に行くのもいいかと思って…どうでしょう?」
「申し訳ございませんが、妻は今日体調がよくなくて…」
一也が申し訳なさそうに断るも、イリシア王女は帰るそぶりがなかった。
「あら、そうでしたの…?最近ずっとですわね。心配だわ…少しお会いしてもよろしくて?」
「え…と、すみませんが伏せっていて、身支度も整っていないので」
「あら気にしませんわ、そんなこと!家族ですもの。久しぶりに光さんにお会いしたいわ。姉のような存在なんですから…」
光は今、俺と一也と周防と医者以外の人と会うことを控えている。イリシア王女も家族ではあるが、今は光に気を遣わせたくない。
「すみません。光は今眠ったところなんです」
一也に比べてたどたどしいイタリア語で言いながら階段を下りていくと、「あら洋一様」とイリシア王女が目を丸くして微笑んだ。どことなく光に似ている美貌に少しドキリとする。…光の方がキレ―だけどな!
「また光が元気な時に、こっちから誘わせてください。」
「あら…、そう…?」
ちょっと釈然としない様子でイリシア王女は夫の顔を見上げ、俺と一也に会釈した。
「では今日はお暇しますね。突然訪ねてしまい申し訳ございませんでした。」
イリシア王女はそう言って、夫と子供と使用人を引き連れて帰っていった。
短い間ながらも何だが気疲れして、俺が無意識に一也を見ると一也も俺を振り返った。そしてお互い、ついため息をついた。
「なんか…変わったよな、あの子」
キッチンに向かう一也の後をついていきながら言うと、一也は同意するように相槌を打った。
「昔は大人しいイメージだったけどなー」
「ちょっと強引なトコあるよな」
「あー…」
「ま…王女様ってくらいだし、な」
ちょっとワガママ…というか、空気を読まないというか、遠慮しないというか…。
こっちの都合を考えずに訪ねてくることがままあるのだ。
彼女の言う通り、光を姉のように慕ってるからというのもあるのかもしれないけど。俺も一也も一人っ子だからか、どうしてもイリシア王女が図々しく思えてしまう。光が体調を崩しているから余計に。
「出来たら呼ぶから、光についててやってよ」
周防がついていることはこいつもわかってるだろうに、一也は水を汲んで飲む俺を見て頼むように言った。きっと、本当は自分がずっとそばについててやりたいんだと思う。それこそ言葉通り、片時も離れず。
「…ああ」
俺は頷いてグラスを流しに置き、光の下へ戻ることにした。
***
部屋に戻ると小さな笑い声が聞こえてきて、俺はドアをゆっくり開けながら声に耳を傾けた。
「大丈夫?周防君」
「いえ…その…申し訳ございません」
「どうかしたのか?」
笑っている光と、珍しく慌てた様子の周防。その周防の手元には、紅茶がなみなみと注がれてソーサーからも溢れてしまっているティーカップ。
「…どうした?周防。珍しい」
「ね。珍しいよね」
「考え事を…していて。申し訳ございません」
周防は焦りを少し滲ませて、しかしさすが手際よくティーカップを片付け、新しいカップを用意して紅茶を注ぎ始めた。
「疲れてるんじゃない?私のせいで…ひとりで私たちのこと、してくれてるし。」
「問題ありません。」
周防はきっぱりとそう言い、カップを俺と光の前に置き、茶器の片づけを始める。
俺は紅茶を飲む光の髪を撫で、そばの椅子に座った。
「一也が…心配だから、お前のそばについてろってさ。」
一也をからかうように言うと、光ははにかみ交じりに苦笑した。
「ま…俺も心配だけど…」
「ふたりとも心配性なんだから。もう大丈夫って言ってるでしょ?」
「光の大丈夫は信用できねーからな〜」
「どうしてよ。」
「すぐ無茶するもん、お前。」
光は少し顔を赤くした。思い当たる節がぽつぽつ思い浮かんだ様子だ。
「…ま、心配されてやっててくれよ。俺も一也も、お前が大事で仕方ねーからよ…」
「……。」
光は少し恥ずかしげに微笑んで、また紅茶を一口飲んだ。それを見て、俺も紅茶に少し口をつけた。
「洋一さん。」
「ん?」
「来週、子供たちが帰ってくる前に夕食の材料を買いに行くんだけど、洋一さんも一緒に来てくれる?」
「ああ、いいけど」
俺がうなずくと、光は嬉しそうにはにかんだ。
「久しぶりにみんなでお出かけだね。」
…ああ、一也も来るのか。まあ、別にいいけど…光がこんなにうれしそうだし。
「…王女殿下。検温のお時間です」
「あ、うん。」
その時遠慮がちに、周防が体温計を差し出してきた。光がそれを受け取ると、周防は再び俺たちを邪魔すまいと少し下がった。
光は体温計を使うために、ネグリジェの胸元のボタンを二つほど開ける。そして白い胸が少し顔をのぞかせ、周防がぱっと顔をそむけたことに俺は気が付いた。…へー、こいつもこんな初心な反応するんだ…。
光は体温計を腕の下に挟むと、おとなしく枕に寄り掛かった。
静かにそれを見守りながら、俺は、少し前に一也が「周防が光のことを好きかもしれない」と騒いで心配していたことをふと思い出した。