046
待ち合わせ場所に現れた御幸は、黒いキャップにサングラス、マスクまでして完全防備をしていた。
「逆に目立つだろ、それ」
「しょうがねーだろ…」
ため息をつく御幸と並んで歩きだす。
「まぁ、まだしばらくは騒がれるだろうな。ヒャハハ、いい気味だぜ」
「他人事だと思って…」
その通り、他人事だ。ぐったりしている御幸をからかいながら、裏口のドアを開ける。
「俺、裏口なんて初めて使うわ」
「俺だってこんなことになるまで使ったことねーよ……って、」
御幸の挙動が固まり、なんだなんだと前を見ると、御幸の車を取り囲むようにしてマイクとカメラを持った人だかりが輪を作っていた。げっ…実際目の当たりにするとやべぇな、これ。
「御幸選手!今回の熱愛報道について何か一言お願いします!」
「玉城さんと高校時代から付き合っていたというのは本当ですか!?」
「玉城さんと同棲しているという噂については!?」
弾丸のように詰めかけるマスコミを前に、御幸は観念したようにマスクを外す。
「…報道の通り、玉城光さんとお付き合いさせていただいてます。」
色めき立つマスコミ。飛び散るフラッシュ。
「御幸選手にとって玉城さんはどのような存在ですか!?」
「え…えーっと」
照れたように頭をかき、御幸は穏やかに微笑んだ。
「…光みたいな存在です。」
…そんな甘いセリフを突然吐くとは思っていなかったから、俺は面食らって口をつぐんだ。
「倉持選手!倉持選手は今回のこの報道、どうお思いですか?」
「え、俺…?」
まさかこちらに矛先が向くとは思わず、口元が引きつる。御幸をちらりと見上げると、ごめんのポーズ。くそ、後で覚えてろよ。
「…おめでたいッス。お似合いです、本当に。」
そう言って、俺は乱暴に御幸の背中をどつく。
「おめでとう御幸!!」
「いっ…、おい、痛ェよ」
そのままどさくさにまぎれ、御幸の車に乗り込んで、逃げるように車庫を出る。マスコミを振り切って辺りが静かになると、俺たちはほとんど同時に長く息を吐いた。
「…こりゃ大変だわ」
「…だろ。」
少しだけ同情するぜ。少しだけな。
カーナビのモニターを操作して、テレビを映し出す。ちょうど玉城さんが映って、俺は指を止めた。ファッションショー出場後の、深紅のドレスを纏った、いつもより色っぽいメイクの玉城さんがマイクに囲まれている。
『プロ野球選手である御幸一也さんとの交際は本当ですか?』
『はい。事実です。』
『同棲しているという報道については?』
『それも事実です。』
『蒼井颯斗さんとのうわさについてはいかがですか?』
『蒼井颯斗さんは、お友達の一人です。』
『では、御幸選手は玉城さんにとって、どのような存在ですか?』
ちらり、と運転中の御幸を見る。
『…そうですね…、…幸せ、です。』
御幸はにやけるのを堪えるように唇を噛み、顔を赤くした。
「おい、にやけてんじゃねーよ」
舌打ちをぶつけると、御幸は黙り込んだまま喉を鳴らした。
***
「そういや、今玉城さんと住んでるんだろ。今日家にいんの?」
エレベーターの中で尋ねると、御幸ははっとして携帯を取り出した。
「やべ、今日倉持が来ること言ってない」
「……おい。」
どすの利いた声で睨みつける。ごめんごめん、と軽い調子で言って、御幸は携帯を操作する。
「…電話出ねーな。部屋にいると思うんだけど」
「大丈夫なのかよ?」
そんな会話をしながら部屋の扉の前に来て、御幸は鍵を開けると慎重にドアを開けた。
「ただいまー」
「おじゃましまーす…」
心持ち大きい声で言いながら玄関に入る。マンションにしては広い玄関で、男二人が入っても余裕がある。相変わらずいいとこ住んでんなこいつ。腹立つ。
「わり、ちょっと待ってて。」
「おう」
御幸が一足先に部屋に入っていき、俺はのんびりと玄関内を見渡した。御幸のスニーカーに並んで、女物の黒い靴が置いてある。玉城さんのかな。そうだよな、どう考えても。
御幸と、玉城さんが住んでる部屋…。なんか、生々しいな。来なきゃよかったかな。
「…うわ!なんてカッコしてんだよ。」
…なんだ?部屋の奥から御幸の声が響いてくる。
「シャワー浴びてて…」
「…いいから、とにかく何か着て」
…えっ!?どんなカッコしてんだよ…
「どうかしたんですか?」
「倉持が来てんだよ。」
「えっ?どこに?」
「…玄関にいる。さっきお前に電話したんだけど…」
「シャワー浴びてたから…」
「…ごめん。とにかく何か着てきて。」
パタパタと小さな足音がして、扉が閉まる音の後、御幸が玄関に戻ってきた。
「…だ、大丈夫か?」
引きつる顔で聞くと、御幸は頭をかきながらリビングを振り返る。
「あー、うん。まあ上がって。」
「…おじゃまします」
おそるおそる御幸の後に続き、リビングに入る。すっきりと片付いた部屋には、以前来た時よりも観葉植物が増えていた。花瓶に花まで飾ってある。玉城さんの影響だろうか。
御幸はキッチンでコーヒーを淹れ始める。ソファをすすめられ、遠慮なく座ると、リビングの隣のドアが開いた。
ニットのワンピース姿の玉城さんが、この間よりもあどけない顔をして立っていた。…あ、そうか、化粧をしてないんだ。高校時代を思い出す。相変わらず美人だな…。
「…こんにちは。この間はすみません。」
「あ、いや…。」
ふわりと微笑んだ玉城さんに、俺もあわてて会釈を返す。玉城さんはまたにこりと笑うと、慣れた足取りでキッチンにいる御幸の元へ歩いて行った。そして自然に御幸を手伝って一緒にコーヒーを淹れる彼女の姿を見て、俺はなんだか、胸の奥がざらつくのだった。
「…あ、サンキュ」
「あれも出しますか?」
「そうだな。」
「…あっ、やだ」
「はは。貸してみ」
「ふふ…」
キッチンから漏れ聞こえる幸せそうな声。俺は深呼吸をして、ころころと笑う玉城さんを目で追う。やっぱり、御幸といるときの彼女が一番綺麗だ。これはきっと、俺しか知らないことだけど。
「倉持さん。」
不意に彼女がこちらに微笑んで、驚いて息をのんだ。
「な…何?」
「コーヒーにお砂糖とミルクは…」
「あ…ああ、入れる…」
「わかりました。」
少し御幸への熱が残った微笑を浮かべる玉城さん。
「だから言ったろ、あいつ子供舌なんだよ。」
「…失礼ですよ」
そう言って冷蔵庫に向かう御幸の背中を見つめている時でさえ、彼女は幸せそうに見えて。俺はこっそりとため息をついた。早くこの気持ち、消えてくれねーかな。結構、キツい。
ソファの前のコーヒーテーブルにコーヒーと豆菓子が並ぶ。御幸がソファにやってくるのを背に、玉城さんは寝室のドアに向かった。
「光どこ行くの?」
引き留めるように言う御幸を、玉城さんは振り返ってスマホを見せる。
「ちょっと仕事の電話で…」
すみません、と軽く目礼して、玉城さんは寝室のドアを閉める。
彼女の姿が見えなくなって、俺はやっと緊張から解放された。
「…で、どうなんだよ、同棲の方は?」
のびのびとソファの背に両腕を伸ばした格好で御幸を見る。御幸は自分のカップにコーヒーを注ぎながら少し思案し、呟いた。
「…幸せすぎてコワイ。」
「うっぜ、聞くんじゃなかった」
俺は顔を顰めてスマホを取り出し、適当にSNSを眺める。
「そういや沢村がお前に会いたがってたぜ。結婚のお祝いにみんなで集まろうってさ」
「結婚…って、気が早すぎんだろあいつ…」
「でも、いつかはそのつもりだろ?」
「……そりゃ…まあ…。…まだ本人にはそこまで言ってねーけど」
珍しく気弱になる御幸を見て少しだけ溜飲が下がったような、かえってイラつくような、変な気分になって、俺は鼻を鳴らした。
「ま、夜道は背後に気を付けるこったな」
「はぁ?なんだよそれ…」
「お前は全国の男を敵に回したようなもんだ。承知の上だろ?」
「勘弁してくれ」
…本当は。
お前なら仕方ない、って思ってる奴がほとんどだろうけどな。
今も…高校生だった頃も。俺は…そうだった。今もそうだ。
お前なら仕方ない。負けを認めるのは悔しいけどよ…お前なら、って納得できる自分もいる。
だから、まだもう少しの間は…気持ちを整理できるまでは、許してほしい。まだ、玉城さんを目で追ってしまうのを。お前たちを見て、胸が苦しくなるのを。
絶対に、邪魔は…しないから。
「逆に目立つだろ、それ」
「しょうがねーだろ…」
ため息をつく御幸と並んで歩きだす。
「まぁ、まだしばらくは騒がれるだろうな。ヒャハハ、いい気味だぜ」
「他人事だと思って…」
その通り、他人事だ。ぐったりしている御幸をからかいながら、裏口のドアを開ける。
「俺、裏口なんて初めて使うわ」
「俺だってこんなことになるまで使ったことねーよ……って、」
御幸の挙動が固まり、なんだなんだと前を見ると、御幸の車を取り囲むようにしてマイクとカメラを持った人だかりが輪を作っていた。げっ…実際目の当たりにするとやべぇな、これ。
「御幸選手!今回の熱愛報道について何か一言お願いします!」
「玉城さんと高校時代から付き合っていたというのは本当ですか!?」
「玉城さんと同棲しているという噂については!?」
弾丸のように詰めかけるマスコミを前に、御幸は観念したようにマスクを外す。
「…報道の通り、玉城光さんとお付き合いさせていただいてます。」
色めき立つマスコミ。飛び散るフラッシュ。
「御幸選手にとって玉城さんはどのような存在ですか!?」
「え…えーっと」
照れたように頭をかき、御幸は穏やかに微笑んだ。
「…光みたいな存在です。」
…そんな甘いセリフを突然吐くとは思っていなかったから、俺は面食らって口をつぐんだ。
「倉持選手!倉持選手は今回のこの報道、どうお思いですか?」
「え、俺…?」
まさかこちらに矛先が向くとは思わず、口元が引きつる。御幸をちらりと見上げると、ごめんのポーズ。くそ、後で覚えてろよ。
「…おめでたいッス。お似合いです、本当に。」
そう言って、俺は乱暴に御幸の背中をどつく。
「おめでとう御幸!!」
「いっ…、おい、痛ェよ」
そのままどさくさにまぎれ、御幸の車に乗り込んで、逃げるように車庫を出る。マスコミを振り切って辺りが静かになると、俺たちはほとんど同時に長く息を吐いた。
「…こりゃ大変だわ」
「…だろ。」
少しだけ同情するぜ。少しだけな。
カーナビのモニターを操作して、テレビを映し出す。ちょうど玉城さんが映って、俺は指を止めた。ファッションショー出場後の、深紅のドレスを纏った、いつもより色っぽいメイクの玉城さんがマイクに囲まれている。
『プロ野球選手である御幸一也さんとの交際は本当ですか?』
『はい。事実です。』
『同棲しているという報道については?』
『それも事実です。』
『蒼井颯斗さんとのうわさについてはいかがですか?』
『蒼井颯斗さんは、お友達の一人です。』
『では、御幸選手は玉城さんにとって、どのような存在ですか?』
ちらり、と運転中の御幸を見る。
『…そうですね…、…幸せ、です。』
御幸はにやけるのを堪えるように唇を噛み、顔を赤くした。
「おい、にやけてんじゃねーよ」
舌打ちをぶつけると、御幸は黙り込んだまま喉を鳴らした。
***
「そういや、今玉城さんと住んでるんだろ。今日家にいんの?」
エレベーターの中で尋ねると、御幸ははっとして携帯を取り出した。
「やべ、今日倉持が来ること言ってない」
「……おい。」
どすの利いた声で睨みつける。ごめんごめん、と軽い調子で言って、御幸は携帯を操作する。
「…電話出ねーな。部屋にいると思うんだけど」
「大丈夫なのかよ?」
そんな会話をしながら部屋の扉の前に来て、御幸は鍵を開けると慎重にドアを開けた。
「ただいまー」
「おじゃましまーす…」
心持ち大きい声で言いながら玄関に入る。マンションにしては広い玄関で、男二人が入っても余裕がある。相変わらずいいとこ住んでんなこいつ。腹立つ。
「わり、ちょっと待ってて。」
「おう」
御幸が一足先に部屋に入っていき、俺はのんびりと玄関内を見渡した。御幸のスニーカーに並んで、女物の黒い靴が置いてある。玉城さんのかな。そうだよな、どう考えても。
御幸と、玉城さんが住んでる部屋…。なんか、生々しいな。来なきゃよかったかな。
「…うわ!なんてカッコしてんだよ。」
…なんだ?部屋の奥から御幸の声が響いてくる。
「シャワー浴びてて…」
「…いいから、とにかく何か着て」
…えっ!?どんなカッコしてんだよ…
「どうかしたんですか?」
「倉持が来てんだよ。」
「えっ?どこに?」
「…玄関にいる。さっきお前に電話したんだけど…」
「シャワー浴びてたから…」
「…ごめん。とにかく何か着てきて。」
パタパタと小さな足音がして、扉が閉まる音の後、御幸が玄関に戻ってきた。
「…だ、大丈夫か?」
引きつる顔で聞くと、御幸は頭をかきながらリビングを振り返る。
「あー、うん。まあ上がって。」
「…おじゃまします」
おそるおそる御幸の後に続き、リビングに入る。すっきりと片付いた部屋には、以前来た時よりも観葉植物が増えていた。花瓶に花まで飾ってある。玉城さんの影響だろうか。
御幸はキッチンでコーヒーを淹れ始める。ソファをすすめられ、遠慮なく座ると、リビングの隣のドアが開いた。
ニットのワンピース姿の玉城さんが、この間よりもあどけない顔をして立っていた。…あ、そうか、化粧をしてないんだ。高校時代を思い出す。相変わらず美人だな…。
「…こんにちは。この間はすみません。」
「あ、いや…。」
ふわりと微笑んだ玉城さんに、俺もあわてて会釈を返す。玉城さんはまたにこりと笑うと、慣れた足取りでキッチンにいる御幸の元へ歩いて行った。そして自然に御幸を手伝って一緒にコーヒーを淹れる彼女の姿を見て、俺はなんだか、胸の奥がざらつくのだった。
「…あ、サンキュ」
「あれも出しますか?」
「そうだな。」
「…あっ、やだ」
「はは。貸してみ」
「ふふ…」
キッチンから漏れ聞こえる幸せそうな声。俺は深呼吸をして、ころころと笑う玉城さんを目で追う。やっぱり、御幸といるときの彼女が一番綺麗だ。これはきっと、俺しか知らないことだけど。
「倉持さん。」
不意に彼女がこちらに微笑んで、驚いて息をのんだ。
「な…何?」
「コーヒーにお砂糖とミルクは…」
「あ…ああ、入れる…」
「わかりました。」
少し御幸への熱が残った微笑を浮かべる玉城さん。
「だから言ったろ、あいつ子供舌なんだよ。」
「…失礼ですよ」
そう言って冷蔵庫に向かう御幸の背中を見つめている時でさえ、彼女は幸せそうに見えて。俺はこっそりとため息をついた。早くこの気持ち、消えてくれねーかな。結構、キツい。
ソファの前のコーヒーテーブルにコーヒーと豆菓子が並ぶ。御幸がソファにやってくるのを背に、玉城さんは寝室のドアに向かった。
「光どこ行くの?」
引き留めるように言う御幸を、玉城さんは振り返ってスマホを見せる。
「ちょっと仕事の電話で…」
すみません、と軽く目礼して、玉城さんは寝室のドアを閉める。
彼女の姿が見えなくなって、俺はやっと緊張から解放された。
「…で、どうなんだよ、同棲の方は?」
のびのびとソファの背に両腕を伸ばした格好で御幸を見る。御幸は自分のカップにコーヒーを注ぎながら少し思案し、呟いた。
「…幸せすぎてコワイ。」
「うっぜ、聞くんじゃなかった」
俺は顔を顰めてスマホを取り出し、適当にSNSを眺める。
「そういや沢村がお前に会いたがってたぜ。結婚のお祝いにみんなで集まろうってさ」
「結婚…って、気が早すぎんだろあいつ…」
「でも、いつかはそのつもりだろ?」
「……そりゃ…まあ…。…まだ本人にはそこまで言ってねーけど」
珍しく気弱になる御幸を見て少しだけ溜飲が下がったような、かえってイラつくような、変な気分になって、俺は鼻を鳴らした。
「ま、夜道は背後に気を付けるこったな」
「はぁ?なんだよそれ…」
「お前は全国の男を敵に回したようなもんだ。承知の上だろ?」
「勘弁してくれ」
…本当は。
お前なら仕方ない、って思ってる奴がほとんどだろうけどな。
今も…高校生だった頃も。俺は…そうだった。今もそうだ。
お前なら仕方ない。負けを認めるのは悔しいけどよ…お前なら、って納得できる自分もいる。
だから、まだもう少しの間は…気持ちを整理できるまでは、許してほしい。まだ、玉城さんを目で追ってしまうのを。お前たちを見て、胸が苦しくなるのを。
絶対に、邪魔は…しないから。