結局夕食ももらって、夜は3人で酒も飲んで、俺は一晩泊めてもらうことになった。
玉城さんが風呂へ入っている間、俺はベランダを借りて煙草に火をつける。しばらくすると御幸もベランダに来て、俺の隣に立った。

「ん」

煙草の箱を差し出すと、御幸は頭を振った。

「いや、俺はいい」

もともと進んで吸う奴じゃなかったけど、誘われれば吸う奴だったから、俺は少し驚いて煙草を仕舞う。

「どうした?」

そう短く聞くと、御幸はどことなく穏やかな表情で答えた。

「光が煙草苦手なんだよ」

え…マジか。俺も辞めようかな…

「ま…もともとそれほど好きでもねーしな。」

御幸はそう笑って、ベランダの手すりに頬杖をつく。

「…倉持。」

その表情が突然真剣になったから、俺は静かに御幸の声に耳を傾けた。

「あの日…俺を呼び出したのは……光に会わせる為だったのか?」
「……。」

俺は長く煙を吐き出す。黒い空に、白い煙が淡く広がって消えていった。

「なんで俺がそんなことしなきゃならねーんだよ。」

そうぶっきらぼうに答えると、御幸は口をつぐんだ。
静かに夜風が漂っていく。さすが高層階、辺りは静かで、ただ控えめな夜景だけが広がっている。

「それでも…ありがとな」

御幸は呟いて、部屋に戻っていった。俺も煙草を消して後を追う。

「気持ち悪ぃ奴だな。違うっつってんだ……ろ……」

「…あ」

御幸が立ち止まったその視線の先に、風呂上りの玉城さんがいた。ネグリジェというんだろうか、淡い水色のワンピース姿で、濡れた髪をタオルで抑えながら俺たちを見る。

「お風呂あきましたよ。」

なんでもない態度でそう微笑んだ玉城さんに、御幸は傍の椅子に掛けられていたカーディガンを引っ掴みながら素早く歩み寄って、丸出しの華奢な肩にかけた。

「え…何ですか?」
「いいから。これ着て早く部屋行って。風邪引く。」

御幸は急かすように玉城さんを寝室に押し込んで、ドアを閉める。振り返った御幸から、俺は何となく目を逸らした。

「…風呂、入って来いよ」
「あ…ああ」

御幸の低い声に逆らえず、俺はそそくさと浴室に向かう。いや、でも、今のは不可抗力だろ…!
脱衣所で服を脱ぎながら、どうしても脳裏にさっきの光景がよぎった。細い腕、白いうなじ、すっきりとした鎖骨、ふっくらと弧を描き、くっきりと影を落とす、胸の谷間…。
以前雑誌で水着のグラビアも見たけど、実物の色気はマジでやばい。
気を紛らわせるように浴室に入る。するとそこは花のようないい香りが充満していて、俺は立ち尽くした。…そういえば、さっきまでここに、玉城さんが入っていたんだ…。…裸で。
…マジかよ。もう、勘弁してくれ。
俺はシャワーを勢いよく出し、頭から思い切り被った。


***


いつも御幸の家に泊まるときと同じように、俺はリビングのソファで寝ることにして、毛布とクッションを借りた。おやすみ、と御幸は短く声をかけ、寝室に引っ込んだ。当然のことなのに、当たり前のように躊躇なく同じ寝室に入っていくふたりを思うと、どうしてもすっきりせずいつまでもモヤモヤして寝付けなかった。
どれくらい時間が経ったのか、俺が相変わらずソファの上で寝返りを打って時間をつぶしていると、それはかすかに耳に届いた。

「……ぁ…っ…」

静まり返っていた部屋に、かすかに――一瞬ならば風の音に紛れて気にもしないような、声。

「ん…、…んん…」

くぐもった、押し殺したようなその声は、聞いたことのある――でも、初めて聞く声で。

「…ぁっ、…ぁ…!」

俺は毛布を押しのけ、逃げるようにベランダへ出る。春の夜風はまだ冷たくて、身震いした。煙草を持ってくればよかった、と思ったけど、部屋にとりに戻る気にもなれず、俺は手持ち無沙汰に星空を見上げる。

あの日…御幸が来なかったら、俺にも少しは、チャンスがあったんだろうか。いや…ありえねえな。
どうして俺は…あの子を好きになっちまったんだろう。それもずっと片思いで、絶対に成就することはあり得ないのに。わかっているのに。
…一途ってんなら、俺の方だろ、なあ。

…風邪をひきそうだ。

街灯もほとんどないこの辺りは、星もよく見える。かすかに白く夜空に消えていく息を眺めて、禁煙でもするか、と思った。



***



翌朝物音で目が覚めると、御幸がキッチンで何かを作っていた。俺が起き上がったところでちょうど振り向いた御幸が俺に気が付く。

「あ、起きた?コーヒー飲む?」
「おー…洗面所借りるぜ」
「どーぞ」

何も知らないようにふるまって、洗面台に向かい合う。御幸が普通にしているのがおかしいと思った。変な感じだ。
顔を洗ってリビングに戻ると、御幸はコーヒーを二つ入れてソファに腰掛けていた。テレビがついていて、天気予報士が今日の予報を伝えている。

「…玉城さんは?」

聞いてもいいものか迷いながら、何も触れないのもおかしいだろうと考え、平静を装って聞く。

「まだ寝てる。」
「ふーん…」

テレビ画面に表示されている時刻を見ると、7時を少し回ったところ。結構余裕があるな。一度家に帰って着替える時間もありそうだ。

「これ飲んだら行くわ」

マグカップを掲げて言うと、御幸はそう、と相槌を打った。

「駅まで送ろうか?」
「いーよ、近いし」

そんなことを話していると、インターフォンが鳴る。朝の訪問客に心当たりがないらしく、御幸は不思議そうな顔をしてモニターに近寄った。

「どちら様?」

マイクに向かって御幸が言うと、機械を介した雑音の混じった声がスピーカーから響いた。

『あ、おはようございます!牧瀬です。光いますか?』

牧瀬?牧瀬司か?
御幸も目を丸くして俺を振り向いた。俺は肩をすくめて見せる。

「…いるよ。今開ける」

御幸は開錠ボタンを押し、ソファに戻ってきた。

「牧瀬、よく来んの?」
「時々」
「ふーん…」

大物カップルの家は遊びに来る奴も大物だな。…って、それは俺もか。一応野球選手だし。
そんなことを考えていると、寝室のドアが開いた。思わず身構えた俺をよそに、カーディガンを羽織った姿の玉城さんはスマホを見ながらリラックスした様子で…いや、無防備な様子でリビングにやってくる。髪は少し乱れ、まだ少し眠たそうな顔で、彼女は俺たちを見た。

「あ…おはようございます。…あの、司が今から来るってメールがあって」
「ああ、今来たよ。もうすぐ上がってくると思う」
「えっ!早いなぁ、もー…」

玉城さんは軽い駆け足で洗面所へ向かった。まもなくして、部屋のインターフォンが先ほどとは違う音を鳴らす。御幸は立ち上がって玄関へ歩いて行った。ドアが開く音と、「おじゃましまーす」という明るい声が響いてくる。

「朝からお邪魔してすみません!これ、ベーグル買ってきたんでよかったら…」

騒がしくしゃべりながらリビングにやって来た牧瀬が、俺を見つけてぴたりと止まる。
高校生時代の面影はあるものの、ずいぶん大人びたという印象。あのころと変わらないはずのショートヘアも、今は落ち着いてあか抜けたように見える。桜色のブラウスにスキニージーンズ姿の牧瀬は、ぽかんと俺を見つめた後、あっと声を上げた。

「えっ!!倉持先輩!?うわー!お久しぶりです!!私のこと覚えてますか!?」
「…相変わらず騒がしいなお前…」

中身は昔のまんまだな。俺は懐かしい気持ちになって少し笑った。

 


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