051
「え…遠征?」
「そう、明日から1か月。」
御幸の家に寄ったついでに夕食に招かれた俺は、御幸の遠征を知った玉城さんの暗い表情を盗み見る。
「突然でごめんな。なんか困ったことあったら倉持に言えよ。虫が出たとか電球が切れたとか。」
「おい、俺は便利屋じゃねーぞ」
そんな俺たちの冗談を聞いて、ほんの少し笑みは浮かべたものの、やはり玉城さんは元気がない。
「…あの二人喧嘩でもしてるんですかね?」
「んなことねーと思うけど…物飲み込んでから言え」
隣の牧瀬がハンバーグを詰め込んだ口でモゴモゴ言う。しかし玉城さんが暗い原因を牧瀬も知らないとなると、余計に気になった。
「光、どうかした?」
さすがの御幸も気づいた様子で尋ねるが、玉城さんは迷ったように口を開きかけては閉じる。
「飯おかわりもらうぜ〜。牧瀬、手伝って」
「は、はい」
俺が目配せすると、牧瀬も察知したように席を立つ。やっぱこいつ空気読めるわ。
「…なんか元気ない?」
リビングから御幸の声がかすかに響いてくる。俺と牧瀬は静かに耳を澄まし、顔を見合わせた。
「…あの……、……あの」
玉城さんの迷うような、躊躇うような声が途切れ途切れに聞こえる。
「…光?」
「……。」
「どうしたんだよ?」
「……早く帰ってきてください」
縋るような、少し震えた声。泣いてるのかもしれない、と思う声だった。
隣の牧瀬を見ると、神妙な顔をして何かを考えこんでいる。
「…なあ、玉城さんに何があったのか、本当に何も知らねーの?」
玉城さん関係といえばこいつだ。牧瀬が知らないとなると、俺はもうお手上げだ。
「光からは何も聞いてないし…マネージャーさんからも何も聞いてない、けど…」
「けど…?」
「光、今日帰ってきてから元気がないんですよね?」
「?ああ、だと思うけど…」
「……。」
「なんだよ?」
「今日の収録…蒼井颯斗と一緒だったんです」
蒼井颯斗?
「…って、映画で共演した奴だっけ?」
「そうです。業界では、蒼井颯斗は光を狙ってる、って有名ですよ。」
「狙ってるったって…玉城さんには事務所も認めた同棲相手がいるだろ。」
「だからですよ。御幸さんとの熱愛報道が出て、ひとりだけ…損をした人物なんです。蒼井颯斗は。」
「損…?玉城さんのことが好きだったとか?」
「そう単純じゃないですよ。」
いつもはお調子者のくせに、そうつぶやく牧瀬は怖いほど真剣な顔をしていた。
「蒼井颯斗の事務所は、今回の映画になぞらえて、蒼井颯斗と光の熱愛報道を出して、映画を盛り上げる気でいたんです。最近は蒼井颯斗の人気が低迷していて、今回の映画は起死回生の勝負だったんですよ。でも、その前に御幸さんとの熱愛報道が…しかも映画とよく似た、いえ、映画以上の刺激とリアリティのある熱愛報道が出てしまった。当然映画を見た人は、主役の蒼井颯斗に御幸さんの姿を重ねます。しかも主題歌は光が御幸さんに宛てて作ったものだという噂つき。蒼井颯斗は人気復活のチャンスを失ったんですよ。だから光を狙ってるんです。今からでも熱愛報道を覆せば、自分に注目が集まるから。」
「それ…マジなのか?」
牧瀬は唇を噛む。
「マジですよ。でも、今日、具体的に何があったのかまでは…。」
「…だよな…。」
八方ふさがりだ。頭をかく。
「…そろそろ戻ります?」
牧瀬はリビングの方を窺いながら囁く。そうだよな、長く席を外すのも不自然だ。
お前先行けよ、ちょっとやめてくださいよ、と小声で言い合いながらリビングに戻ると、そこには御幸しかいなかった。
「あの…光は?」
牧瀬が訊くと、御幸は苦々しい顔をする。
「あー、ちょっと、…仕事の電話」
それが御幸の咄嗟の嘘だという事は俺も牧瀬もすぐにわかったが、気づかないふりをして食事の席に戻る。そして俺はハンバーグを、牧瀬はスープを、御幸は人参のグラッセを一口無言で食べた。
「…なあ」
初めに口を開いたのは御幸だった。
「光、なんか様子がおかしくないか?」
「…御幸さんも心当たりないんですか?」
牧瀬が言うと、御幸はバツが悪そうに黙る。
「御幸、お前何かしたんじゃねーの?」
「は?してねー…と、思う、けど」
「御幸先輩は原因じゃないですよ。」
やけに自信がありそうに牧瀬が言うので、俺と御幸は牧瀬に注目する。
「もしそうなら、今頃口利いてませんから。」
「なるほどな。」
「……おい」
冗談は置いておいて、俺たちは考え込む。玉城さんはまだ戻ってこない。
「…とにかく、俺は明日からいないし…牧瀬。倉持。…光のこと、よろしくな。」
真剣にそういう御幸に、俺はおう、と頷くことしかできなかった。牧瀬も、はい、とはっきり頷いた。
***
「倉持。」
牧瀬は一足先に帰り、俺も帰ろうとしたとき、御幸はコンビニに行くと言って俺についてきた。何かあるなと思って黙っていると、エレベーターを降りてマンションを出たところで、御幸はようやく口を開いた。
俺は立ち止まって御幸を振り返る。キャップを目深にかぶった御幸は、背中に街灯の光を受けて、ぼんやりとしかその顔は見えない。
「…あいつ、何かあったんだと思う。」
あいつ、というのが玉城さんだという事はすぐにわかった。
「何かあっても…限界まで一人で抱え込む奴だから…お前から色々、声かけてやってくれないか?」
「……。」
こいつ、今、敵に塩を送ってること、わかってんのか?
「…お前なら信用できる。」
御幸は呟く。…そうか。わかってて言ってんだ。こいつはそういう奴だ。
俺の気持ちなんかよりも、玉城さんの方が大切だから。
「…わかったよ」
ため息とともに頭を掻く。
「…悪いな」
ほんとにそう思ってんのかよ。
「光も、お前のことは信頼してるから。」
残酷な言葉だ。
「そーかよ。」
俺は踵を返して駅へと向かう。
「倉持。」
「…まだ何かあるのかよ?」
鬱陶しそうに振り向くと、御幸の表情はわからないほど闇に紛れていた。
「お前、煙草辞めたんだな。」
「…そんなことかよ」
俺はまた御幸に背を向けて歩き出す。
禁煙なんて後ろめたいことではないはずなのに、御幸に言われると、なぜだか悪いことのように思えた。
「そう、明日から1か月。」
御幸の家に寄ったついでに夕食に招かれた俺は、御幸の遠征を知った玉城さんの暗い表情を盗み見る。
「突然でごめんな。なんか困ったことあったら倉持に言えよ。虫が出たとか電球が切れたとか。」
「おい、俺は便利屋じゃねーぞ」
そんな俺たちの冗談を聞いて、ほんの少し笑みは浮かべたものの、やはり玉城さんは元気がない。
「…あの二人喧嘩でもしてるんですかね?」
「んなことねーと思うけど…物飲み込んでから言え」
隣の牧瀬がハンバーグを詰め込んだ口でモゴモゴ言う。しかし玉城さんが暗い原因を牧瀬も知らないとなると、余計に気になった。
「光、どうかした?」
さすがの御幸も気づいた様子で尋ねるが、玉城さんは迷ったように口を開きかけては閉じる。
「飯おかわりもらうぜ〜。牧瀬、手伝って」
「は、はい」
俺が目配せすると、牧瀬も察知したように席を立つ。やっぱこいつ空気読めるわ。
「…なんか元気ない?」
リビングから御幸の声がかすかに響いてくる。俺と牧瀬は静かに耳を澄まし、顔を見合わせた。
「…あの……、……あの」
玉城さんの迷うような、躊躇うような声が途切れ途切れに聞こえる。
「…光?」
「……。」
「どうしたんだよ?」
「……早く帰ってきてください」
縋るような、少し震えた声。泣いてるのかもしれない、と思う声だった。
隣の牧瀬を見ると、神妙な顔をして何かを考えこんでいる。
「…なあ、玉城さんに何があったのか、本当に何も知らねーの?」
玉城さん関係といえばこいつだ。牧瀬が知らないとなると、俺はもうお手上げだ。
「光からは何も聞いてないし…マネージャーさんからも何も聞いてない、けど…」
「けど…?」
「光、今日帰ってきてから元気がないんですよね?」
「?ああ、だと思うけど…」
「……。」
「なんだよ?」
「今日の収録…蒼井颯斗と一緒だったんです」
蒼井颯斗?
「…って、映画で共演した奴だっけ?」
「そうです。業界では、蒼井颯斗は光を狙ってる、って有名ですよ。」
「狙ってるったって…玉城さんには事務所も認めた同棲相手がいるだろ。」
「だからですよ。御幸さんとの熱愛報道が出て、ひとりだけ…損をした人物なんです。蒼井颯斗は。」
「損…?玉城さんのことが好きだったとか?」
「そう単純じゃないですよ。」
いつもはお調子者のくせに、そうつぶやく牧瀬は怖いほど真剣な顔をしていた。
「蒼井颯斗の事務所は、今回の映画になぞらえて、蒼井颯斗と光の熱愛報道を出して、映画を盛り上げる気でいたんです。最近は蒼井颯斗の人気が低迷していて、今回の映画は起死回生の勝負だったんですよ。でも、その前に御幸さんとの熱愛報道が…しかも映画とよく似た、いえ、映画以上の刺激とリアリティのある熱愛報道が出てしまった。当然映画を見た人は、主役の蒼井颯斗に御幸さんの姿を重ねます。しかも主題歌は光が御幸さんに宛てて作ったものだという噂つき。蒼井颯斗は人気復活のチャンスを失ったんですよ。だから光を狙ってるんです。今からでも熱愛報道を覆せば、自分に注目が集まるから。」
「それ…マジなのか?」
牧瀬は唇を噛む。
「マジですよ。でも、今日、具体的に何があったのかまでは…。」
「…だよな…。」
八方ふさがりだ。頭をかく。
「…そろそろ戻ります?」
牧瀬はリビングの方を窺いながら囁く。そうだよな、長く席を外すのも不自然だ。
お前先行けよ、ちょっとやめてくださいよ、と小声で言い合いながらリビングに戻ると、そこには御幸しかいなかった。
「あの…光は?」
牧瀬が訊くと、御幸は苦々しい顔をする。
「あー、ちょっと、…仕事の電話」
それが御幸の咄嗟の嘘だという事は俺も牧瀬もすぐにわかったが、気づかないふりをして食事の席に戻る。そして俺はハンバーグを、牧瀬はスープを、御幸は人参のグラッセを一口無言で食べた。
「…なあ」
初めに口を開いたのは御幸だった。
「光、なんか様子がおかしくないか?」
「…御幸さんも心当たりないんですか?」
牧瀬が言うと、御幸はバツが悪そうに黙る。
「御幸、お前何かしたんじゃねーの?」
「は?してねー…と、思う、けど」
「御幸先輩は原因じゃないですよ。」
やけに自信がありそうに牧瀬が言うので、俺と御幸は牧瀬に注目する。
「もしそうなら、今頃口利いてませんから。」
「なるほどな。」
「……おい」
冗談は置いておいて、俺たちは考え込む。玉城さんはまだ戻ってこない。
「…とにかく、俺は明日からいないし…牧瀬。倉持。…光のこと、よろしくな。」
真剣にそういう御幸に、俺はおう、と頷くことしかできなかった。牧瀬も、はい、とはっきり頷いた。
***
「倉持。」
牧瀬は一足先に帰り、俺も帰ろうとしたとき、御幸はコンビニに行くと言って俺についてきた。何かあるなと思って黙っていると、エレベーターを降りてマンションを出たところで、御幸はようやく口を開いた。
俺は立ち止まって御幸を振り返る。キャップを目深にかぶった御幸は、背中に街灯の光を受けて、ぼんやりとしかその顔は見えない。
「…あいつ、何かあったんだと思う。」
あいつ、というのが玉城さんだという事はすぐにわかった。
「何かあっても…限界まで一人で抱え込む奴だから…お前から色々、声かけてやってくれないか?」
「……。」
こいつ、今、敵に塩を送ってること、わかってんのか?
「…お前なら信用できる。」
御幸は呟く。…そうか。わかってて言ってんだ。こいつはそういう奴だ。
俺の気持ちなんかよりも、玉城さんの方が大切だから。
「…わかったよ」
ため息とともに頭を掻く。
「…悪いな」
ほんとにそう思ってんのかよ。
「光も、お前のことは信頼してるから。」
残酷な言葉だ。
「そーかよ。」
俺は踵を返して駅へと向かう。
「倉持。」
「…まだ何かあるのかよ?」
鬱陶しそうに振り向くと、御幸の表情はわからないほど闇に紛れていた。
「お前、煙草辞めたんだな。」
「…そんなことかよ」
俺はまた御幸に背を向けて歩き出す。
禁煙なんて後ろめたいことではないはずなのに、御幸に言われると、なぜだか悪いことのように思えた。