蒼井颯斗。…なんか、嫌な感じがする。

私はロビーでスマホの画面を睨みつける。
『すぐ電話ください』という一言だけの、ついさっき、倉持さんに送ったメール。まだ既読マークはつかない。

「司、私ちょっと監督と話してくるね。」
「あ、うん。私ここにいる。」
「わかった。」

光が部屋に入るのを見届けて、私はまたスマホの画面に目をやる。すると直後に、既読のマークが表示された。まもなくして、画面が着信中に切り替わる。

「もしもし、牧瀬です。」
『ああ。どうした?』

倉持さんの声には賑やかな喧騒が混じっている。

「…今忙しいですか?」
『いや、練習終わって帰るとこだけど。』
「よかった!」

思わず声を上げると、倉持さんは驚いたように息をのんだ。

『…なんだよ?』
「これから打ち上げなんですけど、帰り…私と光のこと、迎えに来てくれませんか?」
『…別にいいけど…時間と場所は?』
「ええっと…」

倉持さんに場所と大体の時間を伝えると、二つ返事で了解してくれた。

『俺んちから結構近いわそこ。』
「そうですか、助かりました。なんか嫌な予感がして。」
『…なんかあったのか?』
「いや…」

言ってもいいものか、私は迷う。まだ、なんとなく嫌な感じがする、というだけだし。

「あの…倉持さん。」
『ん?』
「光の…傷の話って、何か聞いてます?」
『玉城さんの傷?』

倉持さんは少し考えるように間を開けた。

『…いや、特に聞いたことねーけど』
「…ですよねぇ…」

私も聞いたことが無い。コンプレックスになるほどの傷なんてあったっけ?光の怪我と言えば、思いつくのは、高校の時嫌がらせされて負った手首の捻挫くらいだけど…あれはもうとっくに完治しているし。

『今玉城さんと一緒にいんの?』
「いえ、光は今…」

言いかけたところで、目の前を蒼井颯斗が通って行った。私に意味深な微笑を向けながら。私は愛想笑いと会釈を返し、声を潜める。

「えっと…監督と話してます。」
『…どした?』

声の調子が変わったせいだろう、倉持さんは神妙に訊ねる。

「いえ、ちょっと…」

私は去っていく蒼井颯斗の背中を横目でにらんだ。

「…嫌な予感がしたので。」



***


打ち上げの会場は、貸し切った創作料理屋だった。私は部屋の隅の席で、反対側の隅に並んで座る光と蒼井颯斗を見る。…なんで光とこんなに席が離れてるのよ!席次まで貼ってあるから、移動もできないし…!

しきりに蒼井に話しかけられながら、光が助けを求めるように私を見る。ああ光…いつでも守るって約束したのに!

「あのふたり、いい雰囲気ですよね。」

不意に私に話しかけてきたのは、光のマネージャーさん。以前から時々、光のことで相談にも乗っている人だった。

「ふたりって…」

マネージャーさんの視線の先を見る。…もう一度見る。…何度見ても、そうだ。光と蒼井のことだった。

「…え、何言ってるんですか?」

冗談だと思ってそう流そうとすると、マネージャーさんは邪気のない笑顔で私を見た。

「あら?牧瀬さんも聞いたでしょ?蒼井さん、光に好意があるって。」
「…聞き…ましたけど…」
「切ない片思いですよね。うまくいけばいいけど…」
「え……本気で言ってます?」

え?と、マネージャーさんはぱちくりと瞬く。どうしちゃったのこの人。前からイケメンには甘いところはあったけど…光のことちゃんと考えてくれてると思ってたのに。

「光には御幸さんがいるじゃないですか。」
「そ、それはそうだけど…蒼井さんも真剣だし…」
「……。」

思わず呆れてマネージャーさんを見ると、彼女は取り繕うように顔を赤くして苦笑いした。

「だって…そんな…牧瀬さんだって協力してあげてるじゃないですか。」
「…協力?何の話ですか?」
「え?だから…蒼井さんに、光とふたりきりにしてほしいって言われて、協力してるんでしょう?」

言葉を失って蒼井と光の方を見る。…光の様子がおかしい。俯いて、口元を押さえている。スマホを開き、倉持さんにメールを入れると、すぐに既読が付く。それを確認しながら、私はコートを引っ掴んで立ちあがった。

「光ちゃんが飲み過ぎちゃったみたいなので、送っていきます。」

殆ど同時に立ちあがった蒼井が言った。肩を抱かれる光に駆け寄って、体を抱き寄せる。

「大丈夫です。私たち、迎えがあるので。」
「…いや、今から迎えを呼ぶより、僕の車で…」
「もう来ますから、ご心配なく。」

蒼井を振り払うようにして店を出る。蒼井は後をついてくる。

「ちょっと待ってよ、君何か勘違いしてない?」
「べつに…」

誤魔化すように愛想笑いをして振り返ると、蒼井の引きつった笑顔がそこにあった。

「光ちゃんと話をさせてよ。」
「…今日は具合も悪そうだし、連れて帰ります。」
「……。」

その表情が一瞬、ぴくりと歪んだのを、私は確かに見た。背筋がぞっと冷えた。見てはいけないものを見てしまったような気がした。蒼井が口を開く。どうしよう。ちょっと、怖い。
そのとき、短いクラクションが響いて、私たちは眩しいライトに照らされた。威圧感のある面構えの、ごっつい車。運転席にいるのは…倉持さんだ。

「む、迎えが来たので。」

蒼井に小さく会釈をし、車の後部座席に光と乗り込む。ドアを閉めて車が動き出すと、私は安堵の息を吐いた。

「…大丈夫か?」

運転席から倉持さんが言う。私は隣でぐったりと蹲る光を見た。

「光!…光!?」

揺さぶっても反応が無い。耳を近づけると、静かな呼吸が聞こえた。

「おい、どうした?」

倉持さんがルームミラーを気にしながら言う。ちょうど赤信号になって車が停車すると、後ろを振り向いて身を乗り出してきた。

「…寝てる」
「……。」

倉持さんは少し脱力した様子でまた前を向く。でも、おかしい。だって…

「…光がこんなになるまで飲むなんて…ありえません。」

もともとお酒もそれほど好きじゃないはずだし、テーブルのグラスも少なかった。

「そもそも、あまりお酒強くないから、信用してる人とじゃないと進んで飲まないのに。」
「……。」
「…なんでちょっとニヤついてるんですか?」
「に、ニヤついてねーよ」

挙動不審な倉持さんは置いといて。とにかく今は、光が心配だ。
不意に、蒼井の歪んだ笑みを思い起こす。…嫌な予感がした。

「…もしかしたら…飲み物に何か、入れられたのかも…」
「…は!?誰がそんなことするんだよ」

数々の小さな疑問が浮かんでは消え、集まって行く。ざわざわと胸の奥が騒いだ。…怖い。蒼井颯斗が…怖い。

「…とにかく、光を休ませないと」
「…じゃあとりあえず、俺んち行くぞ。近いし」
「はい。」

車が進路を変更して左折する。ここからだと私のマンションも光たちのマンションも遠いし、倉持さんにお世話になるしかない。
肌寒さを感じて、急に身震いした。気が付けば、車窓を小粒の雨が濡らしていた。

 


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