「で、何があったんだよ?」

玉城さんをソファに横たわらせ、毛布を掛ける牧瀬に問う。
雨はすっかり本降りになって、牧瀬が寒がるので、俺はエアコンの電源を入れた。

「なんか……。」

口を開いたかと思うと、牧瀬は考え込むように黙る。お湯が沸いた音がして、俺は一度離席して、お茶を淹れて部屋に戻った。

「あ、すみません。いただきます」

牧瀬は礼儀正しくお茶を受け取ると、熱そうにテーブルの上に置き、姿勢を正して座りなおす。

「…今日、蒼井颯斗に会ったんですけど…」
「……。」
「……。」
「…だから、なんだよ?」

そこまで言い渋られると余計に気になる。牧瀬は眉をしかめて俯き、言った。

「…なんか…嫌な感じがしたんです」
「嫌な感じって?」
「少し話しただけなんですけど、なんていうか…目が笑ってない、というか」
「…何を話したんだ?」
「それが…」

牧瀬はひととおりの会話を説明した。俺は疑問を抱く。

「…玉城さんってそんなに蒼井と仲良かったか?」
「そう!そこなんですよ。」
「あと、その傷の話…意味不明なんだけど」
「そうなんですよね…」

牧瀬は一口お茶を飲んで玉城さんを振り返る。

「私たちにも内緒にしてるんだとしたら…なんで蒼井颯斗に話したのかな…」

少し寂しそうに呟く牧瀬。こいつの玉城さんへの溺愛具合は尋常じゃないからな。

「その傷の話、御幸なら何か知ってんじゃねーの?」

目を丸くした牧瀬がはっと口を開けて手を叩いた。

「確かに!」
「電話してみるわ」

さっそくスマホの電源を入れ、御幸を呼び出す。そう待たずに呼び出し音は途切れた。

『はい』
「御幸?」
『なんかあったの?』

焦ったように訊く御幸。心配していたんだろう。話が早くて助かるぜ。

「いや、ちょっと聞きてーんだけど」
『何?』
「玉城さんの傷のことって、お前何か知ってる?」

静寂が耳に響く。…なんだ?

『…なんでお前が傷のこと知ってんの?』
「いや、知らねーから聞いてるんだけど」
『見たのか?』
「見てねーよ。なんなんだよ、その傷って」
『見てないならなんで知ってんだよ。』
「…聞いたからだよ」
『誰から?』
「…牧瀬から」

また暫くの沈黙が降りる。牧瀬も緊張した面持ちで見守っている。

『…言えない。傷の話、誰にもするなよ。』
「いや、ちょっと待て…」
『監督に呼ばれてるから切る。明後日帰るから』

通話を切られ、俺はスマホをテーブルの上に伏せる。

「…御幸さんはなんて?」
「さあ…なんかキレられたんだけど」
「え?」

目を瞬く牧瀬の後ろで、玉城さんがぼんやりと目を覚ましたことに気付いて沈黙する。俺の様子から牧瀬も気づき、玉城さんを振り向いた。
玉城さんは仰向けのまま何度か瞬きして、突然慌てたように起き上がった。顔は真っ青で、身をすくめて辺りを見渡す。そして牧瀬と俺に気付いて、はっと息を吐き、安堵したように顔を歪めた。

「光、大丈夫?」
「司…」

覗き込んだ牧瀬に抱き着き、肩を震わせる玉城さん。牧瀬はあやすようにその背中を撫で、ちらりと俺を振り返る。俺は台所に言って水を汲んできて、牧瀬に手渡した。

「光、ほら、水。飲める?」

牧瀬に促され、玉城さんは顔を上げた。頬には涙が光っていて、震えながら水を一口飲む。そして突然頭を押さえ、俯いた。

「頭痛いの?」
「…少し…」

玉城さんは深呼吸し、牧瀬はその手からコップを抜き取ってテーブルに置く。玉城さんは膝を抱えて座ると、だるそうに俯いた。

「ねえ、大丈夫?そんなに飲んだの?」

玉城さんは牧瀬の問いに首を小さく振った。

「お酒は…飲んでない…」
「え?でも…すごい具合悪そうだけど…」
「あの人に…何か…飲まされた…と思う…」

俺は牧瀬と顔を見合わせる。

「あの人って……」

牧瀬が言うと、玉城さんは少し顔を上げた。

「……蒼井…颯斗……」



***


「ヤベー奴じゃねーか!!」

牧瀬の話とさっきの打ち上げでの出来事を統合し、俺は思わず声を上げた。

「ちょっと、大声出さないでくださいよ。」

牧瀬が玉城さんを気遣うように言う。やべえ。素直に謝ってトーンを下げた。

「…つまり睡眠薬かなんかを飲み物に混ぜて、連れて帰ろうとしたんだろ?犯罪じゃねーか」
「でも…証拠がないんですよね」
「……。」

玉城さんは黙り込んで腕をさすっている。まだ具合が悪いのだろうか。

「光。」

その腕に、牧瀬は気遣うようにそっと触れた。

「蒼井が言ってた傷って…何のことなの?」

俺は口をつぐんで玉城さんの様子を窺う。玉城さんは唇を噛んで、息を飲み込んで、はぁ、と息苦しそうに息を吐いた。

「……体に傷があるの」

小さなかすれた声で、どこも見ていないような目で、玉城さんは言う。

「それを…あいつに見られたの」

牧瀬も俺もしばらく黙っていた。何を言うべきか迷っていた。

「…その傷」

俺が迷っているうちに、牧瀬が口を開いた。

「私にも見せて。」

玉城さんの瞳が揺れた。迷ったような、困ったような、不安定な表情で、唇を引き結んだ。それから、服の裾に手をかけた。俺は動揺して牧瀬を見る。牧瀬はあっちを向いてろ、とでも言うように目を見開いて俺を見た。
慌てて後ろを向く。小さな、服の擦れる音がして、腹の底がざわつく。俺は天井を見つめ、気を紛らわせる。ごくり、とつばを飲み込んだ時、牧瀬がもういいですよと言った。
牧瀬は神妙な顔をしていた。…そんなにひどい傷なのか?俺はふたりを交互に見て様子を窺う事しかできない。

「その傷…どうしたの?」
「……。」

言いたくない。玉城さんの顔はそう物語っていた。暫く黙り込んでいると、また牧瀬が口を開いた。

「御幸さんは知ってるの?」
「…全部知ってる。」

ズキン、と胸が痛くなった。御幸は…全部知ってる。玉城さんの、誰にも見せたくない弱みを。それほど信頼し合っていて、強く繋がっている。俺の知らない二人の姿が…ある。

「それなら…ちょっと、安心したけど…」

牧瀬は少し口をつぐんでから、また続ける。

「…その傷、いつの?」

とにかく少しでも何か知りたいんだろう。尋ねる牧瀬に、玉城さんは小さな声で躊躇いがちに答える。

「…中学生の時」
「事故か何か?」

少し迷った後、こくり、と小さく頷く玉城さん。

「御幸さんはいつから知ってたの?」
「…高校生の…時」

…そんなに前から知ってたのか?そんな素振り、全然…なかったのに。

「蒼井は…その傷のこと、どこまで知ってるの?」
「…見られただけ。原因までは知らない。勝手に…私が自分でやったって、思ってるみたいだけど」
「じゃあ、光が話したわけじゃないんだね?」

玉城さんは嫌そうに顔を顰めた。

「言うわけない。…あんな奴に」

どうも玉城さんはもともと蒼井を毛嫌いしているらしい。こうなるまでに何か、嫌なことがあったのか?

「蒼井に何か言われたの?」

牧瀬が問うと、玉城さんは泣きそうな顔になって、口元を抑えた。

「光。言ってくれなきゃ、私たち光のこと守れないよ。」

牧瀬は頼むように言う。玉城さんは涙をこらえるようにじっと手元を見つめ、口を開いた。

「…一也さんと別れて、自分を選べって。そうしないと、傷のこと…バラす気みたい。」
「な、なんで…」

牧瀬は一瞬動揺したが、すぐに思い返したように顔を上げた。

「…そんな傷くらい、なんでもないよ!バラしたきゃバラせばいいじゃん。光はそんなくらいじゃ…」
「いやだよ!!」

突然の大声に俺は思わず身を竦ませる。玉城さんが声を荒げるところなんて、初めて見た。

「絶対いや……誰にも知られたくない」

うずくまって涙声を震わせる玉城さん。そんなに言いたくない秘密って何なんだ。……だけど、御幸は知ってるんだろ?

「…光、ごめん。」

牧瀬は玉城さんの肩を撫で、謝った。

「でも…どうしよう」
「あいつとは、また会うのか?」
「…明日も明後日も、映画関連の取材や撮影で会います。…そうだよね、光。」
「牧瀬は一緒じゃねーの?」
「私は映画とは無関係ですから…明日は舞台があるし、明後日は試験だし…」
「試験?」
「はい、大学の」

そういやこいつ大学生だっけ。なんかすっかり忘れてたな。

「倉持さんは予定どうなんですか?」
「え、俺?どっちもオフだけど…部外者だから何もできねぇだろ」
「どっちもオフ!?ちょうどいいじゃないですか!二日間一緒にいてあげてくださいよ。」
「は?…いや、無理だろ。追い出されるっつーの」
「大丈夫ですよ、友達だって言えば。控室に一緒に行って、撮影中は見学してればいいじゃないですか。」
「はぁ…?ま、マジ?」

バシン、と背中に牧瀬の平手が打ち付けられる。
なんだよと念を込めて牧瀬を睨むと、それを上回る凄みで睨み返され、蹲ったままの玉城さんを指される。俺から言えということらしい。

「…倉持さん。」

突然玉城さんが顔を上げて口を開き、言いかけていた俺は驚き慌てて取り繕う。

「えっ、あ、何?」
「ご迷惑だとは、わかってるんですけど…お願いします。明日だけでも、付き添ってくれませんか。」
「いや、全然暇だし、いいけど…」

玉城さんは暗い顔で息を吐いた。

「…すみません。ありがとうございます…。」

 


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