084
『…お前かよ』
マンションのロビー前のインターホンのスピーカーから、不機嫌そうな御幸の声がした。
「あぁ?んだよそれ。テメェが呼んだんだろうが」
『え?そーだっけ?』
コイツ…。絞め殺してやろうか。
『…まあいーや。今開ける』
その言葉通り、スピーカが切られたあとに、右手にあるロビーの自動ドアが開錠される。慣れた足取りでエレベーターに乗り、御幸の部屋の前まで来ると、俺はまた棟内用のインターホンを押した。…ったく、高級マンションはめんどくせぇ。まぁ、ここまで有名カップルだと住む場所も限られるんだろうが…。
……おせぇな。
俺は手持ち無沙汰になって、暇つぶしのようにインターホンを鳴らす。ガチャッ、とスピーカーから音がもれる。
『ちょっと待ってて。』
焦るような御幸の声の後、またガチャンとスピーカーが切れる。…まだ寝てたのか?早起きが染みついてるあいつが珍しい。それからまた暫くして、ようやくドアが開いた。
「ごめん倉持。」
「え?いや…」
素直な謝罪に拍子抜けしながら、ドアの向こうの御幸と対面する。
…乱れた髪、気だるげな顔、慌てて着たようなヨレたTシャツ、どことなく挙動不審な雰囲気…。
「入れよ。」
「あ……おう」
…いいのか?なんとなく気まずさを感じながら部屋に上がり込む。リビングに通され、ソファに座ると、かすかに耳に届く水音。…後ろで御幸がコーヒーを淹れている音ではない。
「…今日玉城さんは?」
思い切って聞くと、御幸は一瞬迷ったように間を開けて、口を開いた。
「…風呂」
「……そお」
……確信した。
こいつ…さっきまで玉城さんと…。
「はい」
御幸は何でもない風を装ってコーヒーを俺の前に置く。それから一瞬固まって、思い出したように踵を返した。
「…忘れてた。砂糖とミルク」
「あぁ…さんきゅ」
「……。」
「……。」
「……。」
「…御幸、悪いけど…」
「え?…あぁ、スプーンか、忘れてた」
…挙動不審だ。慌てすぎだろう。大丈夫か?あいつ…
「ごめん。はい」
「おー…」
差し出された銀の柄を掴み、受け取る。そしてそれを見て、二人で固まった。
「……あれ、これ、フォークだった」
頭をかいて慌てて俺の手からフォークを取る御幸。
「ヒャハハハ、落ち着けよ。お前さっきから変だぞ」
「……。」
御幸は口ごもってスプーンと取り換え、また俺の所へ持ってくる。いつもなら、自分でやれ、とか言うくせに。
「お前さー」
「ん?」
自分もコーヒーを持って来てソファに座った御幸を眺めながら、何でもないように装って話しかける。
「さっきまで何してたんだよ?」
ぐっ、と御幸はコーヒーを喉に詰まらせた。
「挙動不審。」
俺は追い打ちをかける。
「……けほっ」
御幸は小さくむせて、マグカップをテーブルに置いた。
「…寝てた」
「…ぶふっ」
予想通り過ぎる言い訳に思わず噴き出す。
「お前こんなに嘘下手だったっけ?」
「…いーじゃんもう、ほっとけよ」
鬱陶しそうにはぐらかす御幸。この間の喫茶店と立場が逆転したみたいだ。
「怒るなよ。たまには男子トークしようぜ」
「なんだよ男子トークって…」
「ぶっちゃけどうなの?」
「どうって、何が」
「夜の方だよ」
御幸が固まった。
「あ、お前の場合は朝か?」
「おまっ……光風呂場にいるんだぞ」
「だから今のうちじゃん?話せんの」
「……。」
コーヒーを飲んで沈黙を誤魔化し、俺を睨む御幸。俺はからかう口調を辞め、真面目に御幸と向き合った。
「つーか、結構マジな話なんだけど。お前らって、初めてヤッたの高校んときだろ。なんで…ヤッたの」
「…ヤッたヤッたって何度も言うなよ。別に…付き合ってたんだから普通だろ」
「普通?あの頃のお前らが普通にって…想像できねー」
「想像すんな」
しばらく沈黙が流れる。御幸は…玉城さんは、どうやって近づいて行ったんだろう…お互いに。
「…お前から襲ったの?」
「……。」
御幸は口元を覆うように頬杖をつき、顔を逸らした。
「…色々あったんだよ」
「だからその色々をききてえんだろーが」
「……。」
御幸はまたしばらく黙って、ちらりと俺を見る。
「…なんでそんなこと聞くんだよ」
…なんでだろう。本当は別に、聞きたいわけじゃない。好きな子が初めて抱かれたときの話なんて。でも、こいつらなら…お互いに求めあって、幸せな…ことだったに違いない、と思う。だから…そう、俺は…森田の記憶を忘れたいんだ。
「…なんか…わかんなくなったんだよ」
「なにが?」
「なんでヤるのか」
御幸は変な苦笑いで俺を見た。…あれ、引かれた?
「お前そんな相手いたの?」
「うるせーな…それより話戻せよ。どうなんだよ」
「……。」
御幸はマグカップを置き、また頬杖をついて顔を逸らす。
「そりゃ…俺からした、けど」
「…けど?」
「…あいつ…家が複雑でさ」
複雑?…そんな話は初めて聞く。
「母親がいなくて…父親はほとんど家にいないような奴で…高校のときはほとんど哲さんちに世話になってたっぽい。だけど…あいつが高1の冬に、父親が勝手に縁談まとめてきて…」
「…え?…は?縁談??」
「そう。光も会ったことない、外国人のおっさん。」
「…ハアァ?」
「それで…どうにかできねーかって光とひとまず父親から隠れてた時に…」
「……。」
「…光が、してくれって…言ったんだよ」
「……。」
つまり…初めての相手を、選んだってことか。今こうしているという事は、その縁談とやらはどうにかなったんだろうけど…そんなことがあったとは。あの頃…俺は全然気づかなかった。
「…初めてはお前がいいって?」
最後の気力を振り絞ってからかうように聞くと、御幸は手で口元を隠したまま、顔を赤くした。
「…俺じゃなきゃ、ヤダって」
「……。」
つまり…その頃から玉城さんは、そこまで御幸に惚れてたわけで。
なんだこれ。なんか…モヤモヤしたものが穴という穴から吹き出しそう。
「…今ならお前を呪い殺せそうだぜ」
「やめろよ…」
俺も頬杖をついて、御幸の顔をまじまじと見る。ムカつくほどイケメン。マジでムカつく。
「…どうだった」
「何が?」
「初めてしたときだよ」
また照れるかと思ったら、御幸はどこか思いつめたように陰りを見せた。
「…ほんとは後悔してた」
「後悔?なんで?」
誰もが羨むカップルで、あんな可愛い子から、御幸じゃなきゃヤダなんて、そこまで言われて。何を後悔するというんだ。
「…場所とか…準備とか…いきなりでちゃんとできなかったし……俺も初めてで、よくわからなくて、あいつ、めちゃくちゃ痛そうだったし…」
「……。」
「あいつも後悔したかもって思ってた。…問題が解決してからは、余計に。でも…」
「……。」
「…最近になって、あいつが…初めてしたとき、すごく幸せだったって言ってくれたから…救われたよ」
……結局ノロケかよ。
「…あー、そうかよ。」
「だから倉持も心配しなくても大丈夫だって。」
「…おい待て、いつから俺の話になってんだよ!」
「え?これ、お前の初体験の相談じゃねーの?」
「ちげぇよバカ!クソ眼鏡!!」
語気を強めた時、脱衣所のドアが控えめに開いて、俺も御幸もぴたりと口を噤んだ。注目される中リビングにやって来た玉城さんは…ラフなスウェットのホットパンツとTシャツ姿で髪をまとめていて、風呂上り特有の上気した肌を光らせている。…ヤバイ。相変わらず色気が…しかも、ついさっきまでヤッてた、…んだよな。…御幸と。クソッ、意識しちまう…。
「…倉持さん、こんにちは」
「あ…、おう」
恥ずかしそうにはにかんで、会釈をしながらキッチンへ向かう玉城さん。御幸も立ち上がって、玉城さんの方へ歩いて行く。
「俺淹れるよ。座ってて」
「あ…ありがとう。じゃあお茶菓子出すね」
「あぁ、さんきゅ」
自然に微笑み合って陽だまりの中にいる二人を見て、きっとこの先何年たっても、何十年たっても…二人は一緒に居るんだろうな、と思った。
マンションのロビー前のインターホンのスピーカーから、不機嫌そうな御幸の声がした。
「あぁ?んだよそれ。テメェが呼んだんだろうが」
『え?そーだっけ?』
コイツ…。絞め殺してやろうか。
『…まあいーや。今開ける』
その言葉通り、スピーカが切られたあとに、右手にあるロビーの自動ドアが開錠される。慣れた足取りでエレベーターに乗り、御幸の部屋の前まで来ると、俺はまた棟内用のインターホンを押した。…ったく、高級マンションはめんどくせぇ。まぁ、ここまで有名カップルだと住む場所も限られるんだろうが…。
……おせぇな。
俺は手持ち無沙汰になって、暇つぶしのようにインターホンを鳴らす。ガチャッ、とスピーカーから音がもれる。
『ちょっと待ってて。』
焦るような御幸の声の後、またガチャンとスピーカーが切れる。…まだ寝てたのか?早起きが染みついてるあいつが珍しい。それからまた暫くして、ようやくドアが開いた。
「ごめん倉持。」
「え?いや…」
素直な謝罪に拍子抜けしながら、ドアの向こうの御幸と対面する。
…乱れた髪、気だるげな顔、慌てて着たようなヨレたTシャツ、どことなく挙動不審な雰囲気…。
「入れよ。」
「あ……おう」
…いいのか?なんとなく気まずさを感じながら部屋に上がり込む。リビングに通され、ソファに座ると、かすかに耳に届く水音。…後ろで御幸がコーヒーを淹れている音ではない。
「…今日玉城さんは?」
思い切って聞くと、御幸は一瞬迷ったように間を開けて、口を開いた。
「…風呂」
「……そお」
……確信した。
こいつ…さっきまで玉城さんと…。
「はい」
御幸は何でもない風を装ってコーヒーを俺の前に置く。それから一瞬固まって、思い出したように踵を返した。
「…忘れてた。砂糖とミルク」
「あぁ…さんきゅ」
「……。」
「……。」
「……。」
「…御幸、悪いけど…」
「え?…あぁ、スプーンか、忘れてた」
…挙動不審だ。慌てすぎだろう。大丈夫か?あいつ…
「ごめん。はい」
「おー…」
差し出された銀の柄を掴み、受け取る。そしてそれを見て、二人で固まった。
「……あれ、これ、フォークだった」
頭をかいて慌てて俺の手からフォークを取る御幸。
「ヒャハハハ、落ち着けよ。お前さっきから変だぞ」
「……。」
御幸は口ごもってスプーンと取り換え、また俺の所へ持ってくる。いつもなら、自分でやれ、とか言うくせに。
「お前さー」
「ん?」
自分もコーヒーを持って来てソファに座った御幸を眺めながら、何でもないように装って話しかける。
「さっきまで何してたんだよ?」
ぐっ、と御幸はコーヒーを喉に詰まらせた。
「挙動不審。」
俺は追い打ちをかける。
「……けほっ」
御幸は小さくむせて、マグカップをテーブルに置いた。
「…寝てた」
「…ぶふっ」
予想通り過ぎる言い訳に思わず噴き出す。
「お前こんなに嘘下手だったっけ?」
「…いーじゃんもう、ほっとけよ」
鬱陶しそうにはぐらかす御幸。この間の喫茶店と立場が逆転したみたいだ。
「怒るなよ。たまには男子トークしようぜ」
「なんだよ男子トークって…」
「ぶっちゃけどうなの?」
「どうって、何が」
「夜の方だよ」
御幸が固まった。
「あ、お前の場合は朝か?」
「おまっ……光風呂場にいるんだぞ」
「だから今のうちじゃん?話せんの」
「……。」
コーヒーを飲んで沈黙を誤魔化し、俺を睨む御幸。俺はからかう口調を辞め、真面目に御幸と向き合った。
「つーか、結構マジな話なんだけど。お前らって、初めてヤッたの高校んときだろ。なんで…ヤッたの」
「…ヤッたヤッたって何度も言うなよ。別に…付き合ってたんだから普通だろ」
「普通?あの頃のお前らが普通にって…想像できねー」
「想像すんな」
しばらく沈黙が流れる。御幸は…玉城さんは、どうやって近づいて行ったんだろう…お互いに。
「…お前から襲ったの?」
「……。」
御幸は口元を覆うように頬杖をつき、顔を逸らした。
「…色々あったんだよ」
「だからその色々をききてえんだろーが」
「……。」
御幸はまたしばらく黙って、ちらりと俺を見る。
「…なんでそんなこと聞くんだよ」
…なんでだろう。本当は別に、聞きたいわけじゃない。好きな子が初めて抱かれたときの話なんて。でも、こいつらなら…お互いに求めあって、幸せな…ことだったに違いない、と思う。だから…そう、俺は…森田の記憶を忘れたいんだ。
「…なんか…わかんなくなったんだよ」
「なにが?」
「なんでヤるのか」
御幸は変な苦笑いで俺を見た。…あれ、引かれた?
「お前そんな相手いたの?」
「うるせーな…それより話戻せよ。どうなんだよ」
「……。」
御幸はマグカップを置き、また頬杖をついて顔を逸らす。
「そりゃ…俺からした、けど」
「…けど?」
「…あいつ…家が複雑でさ」
複雑?…そんな話は初めて聞く。
「母親がいなくて…父親はほとんど家にいないような奴で…高校のときはほとんど哲さんちに世話になってたっぽい。だけど…あいつが高1の冬に、父親が勝手に縁談まとめてきて…」
「…え?…は?縁談??」
「そう。光も会ったことない、外国人のおっさん。」
「…ハアァ?」
「それで…どうにかできねーかって光とひとまず父親から隠れてた時に…」
「……。」
「…光が、してくれって…言ったんだよ」
「……。」
つまり…初めての相手を、選んだってことか。今こうしているという事は、その縁談とやらはどうにかなったんだろうけど…そんなことがあったとは。あの頃…俺は全然気づかなかった。
「…初めてはお前がいいって?」
最後の気力を振り絞ってからかうように聞くと、御幸は手で口元を隠したまま、顔を赤くした。
「…俺じゃなきゃ、ヤダって」
「……。」
つまり…その頃から玉城さんは、そこまで御幸に惚れてたわけで。
なんだこれ。なんか…モヤモヤしたものが穴という穴から吹き出しそう。
「…今ならお前を呪い殺せそうだぜ」
「やめろよ…」
俺も頬杖をついて、御幸の顔をまじまじと見る。ムカつくほどイケメン。マジでムカつく。
「…どうだった」
「何が?」
「初めてしたときだよ」
また照れるかと思ったら、御幸はどこか思いつめたように陰りを見せた。
「…ほんとは後悔してた」
「後悔?なんで?」
誰もが羨むカップルで、あんな可愛い子から、御幸じゃなきゃヤダなんて、そこまで言われて。何を後悔するというんだ。
「…場所とか…準備とか…いきなりでちゃんとできなかったし……俺も初めてで、よくわからなくて、あいつ、めちゃくちゃ痛そうだったし…」
「……。」
「あいつも後悔したかもって思ってた。…問題が解決してからは、余計に。でも…」
「……。」
「…最近になって、あいつが…初めてしたとき、すごく幸せだったって言ってくれたから…救われたよ」
……結局ノロケかよ。
「…あー、そうかよ。」
「だから倉持も心配しなくても大丈夫だって。」
「…おい待て、いつから俺の話になってんだよ!」
「え?これ、お前の初体験の相談じゃねーの?」
「ちげぇよバカ!クソ眼鏡!!」
語気を強めた時、脱衣所のドアが控えめに開いて、俺も御幸もぴたりと口を噤んだ。注目される中リビングにやって来た玉城さんは…ラフなスウェットのホットパンツとTシャツ姿で髪をまとめていて、風呂上り特有の上気した肌を光らせている。…ヤバイ。相変わらず色気が…しかも、ついさっきまでヤッてた、…んだよな。…御幸と。クソッ、意識しちまう…。
「…倉持さん、こんにちは」
「あ…、おう」
恥ずかしそうにはにかんで、会釈をしながらキッチンへ向かう玉城さん。御幸も立ち上がって、玉城さんの方へ歩いて行く。
「俺淹れるよ。座ってて」
「あ…ありがとう。じゃあお茶菓子出すね」
「あぁ、さんきゅ」
自然に微笑み合って陽だまりの中にいる二人を見て、きっとこの先何年たっても、何十年たっても…二人は一緒に居るんだろうな、と思った。