089
今日はクリスマスイブ。カップルだらけのイルミネーションの街道を車で静かに通り抜け、俺は一人暗い部屋に帰る。光がかえってくるまであと1週間を切った。ただただ待ち遠しくて、ついついスマホを開く。
光はもうホテルに帰ったかな。いつも撮影が終わってホテルに帰ると、電話かメールをくれる。監督に褒められただとか、気に入ってた衣装をもらっただとか、メイクさんと仲良くなっただとか。遠距離恋愛ってこんな感じなのかな、なんて思いながら、電話を切ったあとやおやすみというメールに既読が付いた後は、いつも寂しくなる。
今日はまだ光からの連絡はない。スマホのマナーモードを解除して、コーヒーを淹れにキッチンへ向かう。すると、ポコン、と間の抜けたメール受信音が響いて、俺はコーヒーミルを持ったままテーブルに駆け寄った。
『ここはどこでしょう?』
光からだ。文章はその一文だけで、画像が添付されている。車窓から写したような、見慣れたイルミネーションに飾られた街道。そう、ついさっき俺も通ってきた、すぐ近所の…。
帰ってきたのか!?驚きのまま返信すると、すぐに既読が付いた。
『予定より早く撮影が終わったので、ちょっと無理をお願いして一足先に帰ってきちゃいました。』
ニヤリと笑う猫のスタンプ付き。俺は思わず頬が緩む。それからふと思い当って、立ち上がった。
やべぇ。今家に何もない。何かクリスマスっぽいモン…ケーキでも買ってくるか。光、甘いもの好きだしな。
そう考えて、メールの返信を保留して、先ほど脱いだばかりのコートを手に取る。すると袖を通すより先に、インターホンが鳴った。誰だ?こんな時間に…光は鍵があるだろうし…。
モニターを表示すると、黒い人影が映し出される。夜の闇と背後の街灯が逆光になっているせいで顔が影になっているのだ。けれど、細身のシルエットで女だという事はわかった。
「どちら様?」
マイクに話しかけると、スピーカーから雑音交じりの小さな声が返ってくる。
『開けてくれませんか?』
「…光?」
『…はい』
鍵はどうしたんだろう。首を傾げながら開錠ボタンを押す。光は、自動ドアが開くとマンションに入って行った。
光が送ってきた写真の道…さっき俺が通った時はすげー渋滞してたけど、随分早く着いたんだな。まぁ…いいか。帰って来たなら、一緒に食事に行ってもいいし…いや、イブ当日じゃあどこも混んでるな。
にわかに浮かれた胸でそんなことを考えていると、玄関のインターホンが鳴った。俺は軽い足取りで玄関へ向かう。
「おかえり。鍵はどうしたんだよ…」
そう言いながらドアを開けて、言葉を失った。
「こんばんは。」
にっこりと笑みを浮かべて、真っ赤なコートを着た森田桃が、そこに立っていた。
「……。」
無言で咄嗟にドアを閉めようとしたが、森田はその隙間に体を滑り込ませてそれを阻止し、俺を上目づかいで見る。
「…帰れ。」
「いいじゃないですか。玉城さん、映画の撮影で留守でしょ?バレませんって。」
「もう帰ってくる。鉢合わせる前に帰ってくれ。」
「嫌です。」
森田はぐいぐいと体を寄せてきて、無理やり玄関に入ると後ろ手にドアを閉めた。ウィーン、ガチャン、とオートロックが施錠する。
「…何で家がわかった?」
「私、事務所の偉いおじさまと仲良しなんですぅ。」
…ふざけやがって。
「ふふふ。怒ってもイケメンですね。超タイプです。」
「お前、何がしたいんだよ。」
「え?御幸さんとお付き合いしたいんですよ。」
「断る。もう用は済んだだろ、帰れ。」
「え〜?イブに女の子ひとりで帰す気ですか?しんじらんない。」
「…光が帰ってくるんだよ!!」
話が通じない苛立ちで声を荒げると、森田はさすがに肩を竦ませた。
「誤解されたくないし悲しませたくない。今すぐ帰れ。」
「…なおさら帰りません」
森田はぽつりとつぶやいて、コートを脱ぎ始める。
「おい…警察呼ぶぞ」
「どうぞ?私も黙ってませんけど。」
「お前…本当にいいかげんにしてくれ」
どうすればいいんだよこんなの。森田はどんどん服を脱いでいく。白いニットを脱ぎ、スカートを脱ぎ、真っ赤な下着だけの姿になると、躊躇いも恥じらいもなく俺に近づいて来る。後ずさりをして、ソファの上に尻餅をつく。森田は容赦なく跨ってくる。
「おい…やめろっつってんだろ」
「この状況で玉城さんが帰ってきたら…ふふ、面白くなると思いません?」
「いいかげんにしろよ!!」
肩を掴んで引きはがす。そのまま殴ってしまいそうになるのを堪え、森田を睨みつける。
その時…ガチャン、と鍵が開く音がして、俺の頭は絶望に支配された。
「一也さん、ただいま……」
笑顔でリビングに入ってきた光の、愛らしい笑顔が一瞬で消えて、丸い大きな瞳が森田を見て、震えるように俺を見た。
「…ちがう、光」
「あははは!ほんとに帰ってきた」
森田の笑い声が部屋に響く。光は一歩後ずさって、まだ俺と森田を凝視している。目の前にあるものを理解できない、そんな青ざめた顔で。
「どーしたの?玉城さん。1ヶ月も離れてたら、他の女の子と寝るくらいフツーのことだよ?」
「……。」
「自分だけが特別だとでも思ってた?…あれ、もしかして泣いてるの?あはは!マジうけるんですけど。」
光に近づいて顔を覗き込み、馬鹿にしたように煽る森田の肩を掴み、光から引きはがす。
「お前、ふざけんな!!いきなり来て…!…光、違うから!こんなヤツと寝てない。俺はお前しか…」
ああ、どうして。心からの言葉なのに、言葉にするとこんなに…陳腐に聞こえるんだ。
光は呆然としたまま目に涙をためて、ゆっくりと後ずさった。
「光…、待て、俺を見て」
肩に触れようと手を伸ばす。しかしその手から逃れるように、光は踵を返して部屋を飛び出して行った。
「光!」
慌てて追いかける。光はエレベーターに駆け込み、俺の目の前で冷たい鉄扉が閉まった。灰色の扉の前で立ち尽くす。どうして…俺が何をしたって言うんだよ。なんでこんなことになるんだ。エレベーターのボタンを連打し、動かない階数ランプを睨み、非常階段に駆け込む。転がるように階段を駆け下りて、息も絶え絶えにロビーまで下り、外に飛び出した。
イルミネーションが冷たく光っている。人々は身を寄せ合い、幸せそうな笑顔で行き交う。
「光…」
頭を抱えた。どうすれば…いいんだよ。
クリスマスの曲が流れてくる。幸せだとか、愛だとか、キスだとか、そんな言葉を並べた歌声。気が狂いそうだ。俺は一人泣きそうになりながらぐるぐる考える。何か…どこか…光が行きそうな場所は…。
…全然わからない。牧瀬はクリスマスは恋人と海外で過ごすと言って今頃はヨーロッパのどこかだし、実家…高校のころ住んでた家は遠いし、祖父母の家は海外らしいし…。…あいつ…行くところなんてないんだ。だって…俺の家が…俺たちの家が、唯一の居場所だったんだから。
あいつは目立つし有名人だから、普段も下手に出歩けないし、よく行く店もない。…事務所か?いや、車がないから無理だな…。電車は…あんな人だらけの場所、光が行ったら大騒ぎになる。
…大騒ぎ?…そうか、それだ!
俺はマンションに駆け戻って、部屋に飛び込んだ。部屋にはまだ下着姿の森田がいて、ソファでくつろいでいた。
俺は森田を一瞥したあと無視し、自分のスマホを操作する。
「ねえ、もうほっときましょうよ。もう無理ですって。いいかげん素直になりましょ?ほんとはしたいでしょ?」
「うるせえよ。触るな」
首に絡みつく腕を振り払い、財布と鍵を持って玄関に向かう。
「帰ってきてまだいたら警察呼ぶ。」
森田にそう言い捨てて、俺は部屋を出た。
エレベーターの中でSNSを眺める。玉城光で検索すると、多くの記事がヒットする。それを登校時間順表示に切り替えると、つい数秒前の記事がずらりと並んだ。
――桜樹通りに玉城光がいた!
――桜樹通り近くの本屋の前で玉城光っぽい人と連れ違ったけど本物?
――桜樹通りに玉城光がいるらしい。なんかの撮影?
――玉城光ほんとにいた!ひとりだった。イブなのに御幸一也と一緒じゃないのかな?
「桜樹通り…。」
エレベーターがロビーにつき、俺は外に飛び出す。道路を駆け抜けて、見慣れた桜樹通りに出る。光の好きなくるみパンがあるパン屋もあるこの通り。もう暗くなって通りの店は閉まっているが、イルミネーションに彩られていて人通りは多い。
人混みをかき分けて光の姿を探す。…見当たらない。クソッ、どこに行ったんだよ、光…。
またSNSを開き、検索結果を更新する。
――銀杏坂で玉城光に会ったー!!でも走ってどこかに行っちゃった。サイン欲しかった〜
――桜樹通りに玉城光がいるって聞いて探しに来たら銀杏坂で見かけた。この近所に住んでるって噂、マジなのかな?
――【速報】銀杏坂に玉城光出現
――玉城光っぽい子が銀杏坂の下の橋をひとりで歩いて行った。なんか泣いてるように見えた…なんかの撮影?カメラとかは近くに無かったっぽいけど。
通りを駆け抜けて銀杏坂も駆け下り、橋に向かう。光が有名人でよかったような、複雑なような…。いや、とにかく今は光を探すんだ。
「あれっ…?」
俺とすれ違った女が、振り返って声を上げた。反射的に振り向くと、その顔はみるみるうちに興奮の色に染まる。
「えっ!!御幸一也だー!!御幸一也がいる!!」
ゲッ…。
「えーっすごいすごい!かっこいい!写真撮ってください!」
「いや、悪いけど…」
「玉城光ちゃんとデート中ですか?さっき目撃情報見て、急いで来たんですけど〜」
「何?芸能人?」
「御幸一也だって!」
「えっサイン欲しい!どこ!?」
ヤバイ、騒ぎになってきた。
「すんません、急いでるんで!」
帽子をかぶってこなかったことを後悔しながら、俯き気味になって駆け出した。野次馬に構っている暇はない。
SNSを見ると、橋での目撃情報以降、新しい情報はない。橋まで来ると、イルミネーションが途切れたせいか、人通りはまばらになった。辺りを見渡し、光の姿を探す。すると、橋の向こう…公園の駐車場脇の錆びたベンチに、一人座り込む人影があった。…光だ。
安堵と緊張を抱えながら、橋を渡って横断歩道の前に立つ。ちょうど信号が青になり、目の前を車が走って行く。…くそ、こんな時に。
「…光!」
こらえきれず、道路の向こう側に向かって声を上げた。光は顔を上げ、俺を見た。…遠いし、暗いけど、街灯の下の光は泣いているように見えた。光は俺を見て戸惑ったように立ち上がる。
「待って!ちょっと…待って。そこにいて。話がしたい。」
「……。」
「とにかく…誤解だから!頼むから…行かないで。」
迷うように立ち尽くす光。俺はもどかしく信号機を睨む。
するとそのとき、光の前に一台のバイクが停まった。黒い服を着た、黒いヘルメットの男。男はヘルメットを外し――俺を見た。
「……倉持?」
倉持は俺を睨むように一瞥し、光にヘルメットをひとつ差し出す。光はそれに手を伸ばす。
「…光、待て!!」
縋るように叫んだ俺の声で、光は決意したように、ヘルメットを被ってバイクに跨った。…倉持の後ろに。しっかりと倉持に掴まり、倉持もまたヘルメットを被ると、俺に視線をやるように一瞬頭を揺らして、バイクは走り去っていく。
『もし何かあった時には…いつでも力になってやりたいとは思ってるよ』
倉持の言葉が今更、痛いほど頭の中で響いた。
光が助けを求める場所――それは今、倉持なんだ。その事実を突きつけられて、俺は――トンネルの中で明かりを見失ったかのように、立ち尽くした。
光はもうホテルに帰ったかな。いつも撮影が終わってホテルに帰ると、電話かメールをくれる。監督に褒められただとか、気に入ってた衣装をもらっただとか、メイクさんと仲良くなっただとか。遠距離恋愛ってこんな感じなのかな、なんて思いながら、電話を切ったあとやおやすみというメールに既読が付いた後は、いつも寂しくなる。
今日はまだ光からの連絡はない。スマホのマナーモードを解除して、コーヒーを淹れにキッチンへ向かう。すると、ポコン、と間の抜けたメール受信音が響いて、俺はコーヒーミルを持ったままテーブルに駆け寄った。
『ここはどこでしょう?』
光からだ。文章はその一文だけで、画像が添付されている。車窓から写したような、見慣れたイルミネーションに飾られた街道。そう、ついさっき俺も通ってきた、すぐ近所の…。
帰ってきたのか!?驚きのまま返信すると、すぐに既読が付いた。
『予定より早く撮影が終わったので、ちょっと無理をお願いして一足先に帰ってきちゃいました。』
ニヤリと笑う猫のスタンプ付き。俺は思わず頬が緩む。それからふと思い当って、立ち上がった。
やべぇ。今家に何もない。何かクリスマスっぽいモン…ケーキでも買ってくるか。光、甘いもの好きだしな。
そう考えて、メールの返信を保留して、先ほど脱いだばかりのコートを手に取る。すると袖を通すより先に、インターホンが鳴った。誰だ?こんな時間に…光は鍵があるだろうし…。
モニターを表示すると、黒い人影が映し出される。夜の闇と背後の街灯が逆光になっているせいで顔が影になっているのだ。けれど、細身のシルエットで女だという事はわかった。
「どちら様?」
マイクに話しかけると、スピーカーから雑音交じりの小さな声が返ってくる。
『開けてくれませんか?』
「…光?」
『…はい』
鍵はどうしたんだろう。首を傾げながら開錠ボタンを押す。光は、自動ドアが開くとマンションに入って行った。
光が送ってきた写真の道…さっき俺が通った時はすげー渋滞してたけど、随分早く着いたんだな。まぁ…いいか。帰って来たなら、一緒に食事に行ってもいいし…いや、イブ当日じゃあどこも混んでるな。
にわかに浮かれた胸でそんなことを考えていると、玄関のインターホンが鳴った。俺は軽い足取りで玄関へ向かう。
「おかえり。鍵はどうしたんだよ…」
そう言いながらドアを開けて、言葉を失った。
「こんばんは。」
にっこりと笑みを浮かべて、真っ赤なコートを着た森田桃が、そこに立っていた。
「……。」
無言で咄嗟にドアを閉めようとしたが、森田はその隙間に体を滑り込ませてそれを阻止し、俺を上目づかいで見る。
「…帰れ。」
「いいじゃないですか。玉城さん、映画の撮影で留守でしょ?バレませんって。」
「もう帰ってくる。鉢合わせる前に帰ってくれ。」
「嫌です。」
森田はぐいぐいと体を寄せてきて、無理やり玄関に入ると後ろ手にドアを閉めた。ウィーン、ガチャン、とオートロックが施錠する。
「…何で家がわかった?」
「私、事務所の偉いおじさまと仲良しなんですぅ。」
…ふざけやがって。
「ふふふ。怒ってもイケメンですね。超タイプです。」
「お前、何がしたいんだよ。」
「え?御幸さんとお付き合いしたいんですよ。」
「断る。もう用は済んだだろ、帰れ。」
「え〜?イブに女の子ひとりで帰す気ですか?しんじらんない。」
「…光が帰ってくるんだよ!!」
話が通じない苛立ちで声を荒げると、森田はさすがに肩を竦ませた。
「誤解されたくないし悲しませたくない。今すぐ帰れ。」
「…なおさら帰りません」
森田はぽつりとつぶやいて、コートを脱ぎ始める。
「おい…警察呼ぶぞ」
「どうぞ?私も黙ってませんけど。」
「お前…本当にいいかげんにしてくれ」
どうすればいいんだよこんなの。森田はどんどん服を脱いでいく。白いニットを脱ぎ、スカートを脱ぎ、真っ赤な下着だけの姿になると、躊躇いも恥じらいもなく俺に近づいて来る。後ずさりをして、ソファの上に尻餅をつく。森田は容赦なく跨ってくる。
「おい…やめろっつってんだろ」
「この状況で玉城さんが帰ってきたら…ふふ、面白くなると思いません?」
「いいかげんにしろよ!!」
肩を掴んで引きはがす。そのまま殴ってしまいそうになるのを堪え、森田を睨みつける。
その時…ガチャン、と鍵が開く音がして、俺の頭は絶望に支配された。
「一也さん、ただいま……」
笑顔でリビングに入ってきた光の、愛らしい笑顔が一瞬で消えて、丸い大きな瞳が森田を見て、震えるように俺を見た。
「…ちがう、光」
「あははは!ほんとに帰ってきた」
森田の笑い声が部屋に響く。光は一歩後ずさって、まだ俺と森田を凝視している。目の前にあるものを理解できない、そんな青ざめた顔で。
「どーしたの?玉城さん。1ヶ月も離れてたら、他の女の子と寝るくらいフツーのことだよ?」
「……。」
「自分だけが特別だとでも思ってた?…あれ、もしかして泣いてるの?あはは!マジうけるんですけど。」
光に近づいて顔を覗き込み、馬鹿にしたように煽る森田の肩を掴み、光から引きはがす。
「お前、ふざけんな!!いきなり来て…!…光、違うから!こんなヤツと寝てない。俺はお前しか…」
ああ、どうして。心からの言葉なのに、言葉にするとこんなに…陳腐に聞こえるんだ。
光は呆然としたまま目に涙をためて、ゆっくりと後ずさった。
「光…、待て、俺を見て」
肩に触れようと手を伸ばす。しかしその手から逃れるように、光は踵を返して部屋を飛び出して行った。
「光!」
慌てて追いかける。光はエレベーターに駆け込み、俺の目の前で冷たい鉄扉が閉まった。灰色の扉の前で立ち尽くす。どうして…俺が何をしたって言うんだよ。なんでこんなことになるんだ。エレベーターのボタンを連打し、動かない階数ランプを睨み、非常階段に駆け込む。転がるように階段を駆け下りて、息も絶え絶えにロビーまで下り、外に飛び出した。
イルミネーションが冷たく光っている。人々は身を寄せ合い、幸せそうな笑顔で行き交う。
「光…」
頭を抱えた。どうすれば…いいんだよ。
クリスマスの曲が流れてくる。幸せだとか、愛だとか、キスだとか、そんな言葉を並べた歌声。気が狂いそうだ。俺は一人泣きそうになりながらぐるぐる考える。何か…どこか…光が行きそうな場所は…。
…全然わからない。牧瀬はクリスマスは恋人と海外で過ごすと言って今頃はヨーロッパのどこかだし、実家…高校のころ住んでた家は遠いし、祖父母の家は海外らしいし…。…あいつ…行くところなんてないんだ。だって…俺の家が…俺たちの家が、唯一の居場所だったんだから。
あいつは目立つし有名人だから、普段も下手に出歩けないし、よく行く店もない。…事務所か?いや、車がないから無理だな…。電車は…あんな人だらけの場所、光が行ったら大騒ぎになる。
…大騒ぎ?…そうか、それだ!
俺はマンションに駆け戻って、部屋に飛び込んだ。部屋にはまだ下着姿の森田がいて、ソファでくつろいでいた。
俺は森田を一瞥したあと無視し、自分のスマホを操作する。
「ねえ、もうほっときましょうよ。もう無理ですって。いいかげん素直になりましょ?ほんとはしたいでしょ?」
「うるせえよ。触るな」
首に絡みつく腕を振り払い、財布と鍵を持って玄関に向かう。
「帰ってきてまだいたら警察呼ぶ。」
森田にそう言い捨てて、俺は部屋を出た。
エレベーターの中でSNSを眺める。玉城光で検索すると、多くの記事がヒットする。それを登校時間順表示に切り替えると、つい数秒前の記事がずらりと並んだ。
――桜樹通りに玉城光がいた!
――桜樹通り近くの本屋の前で玉城光っぽい人と連れ違ったけど本物?
――桜樹通りに玉城光がいるらしい。なんかの撮影?
――玉城光ほんとにいた!ひとりだった。イブなのに御幸一也と一緒じゃないのかな?
「桜樹通り…。」
エレベーターがロビーにつき、俺は外に飛び出す。道路を駆け抜けて、見慣れた桜樹通りに出る。光の好きなくるみパンがあるパン屋もあるこの通り。もう暗くなって通りの店は閉まっているが、イルミネーションに彩られていて人通りは多い。
人混みをかき分けて光の姿を探す。…見当たらない。クソッ、どこに行ったんだよ、光…。
またSNSを開き、検索結果を更新する。
――銀杏坂で玉城光に会ったー!!でも走ってどこかに行っちゃった。サイン欲しかった〜
――桜樹通りに玉城光がいるって聞いて探しに来たら銀杏坂で見かけた。この近所に住んでるって噂、マジなのかな?
――【速報】銀杏坂に玉城光出現
――玉城光っぽい子が銀杏坂の下の橋をひとりで歩いて行った。なんか泣いてるように見えた…なんかの撮影?カメラとかは近くに無かったっぽいけど。
通りを駆け抜けて銀杏坂も駆け下り、橋に向かう。光が有名人でよかったような、複雑なような…。いや、とにかく今は光を探すんだ。
「あれっ…?」
俺とすれ違った女が、振り返って声を上げた。反射的に振り向くと、その顔はみるみるうちに興奮の色に染まる。
「えっ!!御幸一也だー!!御幸一也がいる!!」
ゲッ…。
「えーっすごいすごい!かっこいい!写真撮ってください!」
「いや、悪いけど…」
「玉城光ちゃんとデート中ですか?さっき目撃情報見て、急いで来たんですけど〜」
「何?芸能人?」
「御幸一也だって!」
「えっサイン欲しい!どこ!?」
ヤバイ、騒ぎになってきた。
「すんません、急いでるんで!」
帽子をかぶってこなかったことを後悔しながら、俯き気味になって駆け出した。野次馬に構っている暇はない。
SNSを見ると、橋での目撃情報以降、新しい情報はない。橋まで来ると、イルミネーションが途切れたせいか、人通りはまばらになった。辺りを見渡し、光の姿を探す。すると、橋の向こう…公園の駐車場脇の錆びたベンチに、一人座り込む人影があった。…光だ。
安堵と緊張を抱えながら、橋を渡って横断歩道の前に立つ。ちょうど信号が青になり、目の前を車が走って行く。…くそ、こんな時に。
「…光!」
こらえきれず、道路の向こう側に向かって声を上げた。光は顔を上げ、俺を見た。…遠いし、暗いけど、街灯の下の光は泣いているように見えた。光は俺を見て戸惑ったように立ち上がる。
「待って!ちょっと…待って。そこにいて。話がしたい。」
「……。」
「とにかく…誤解だから!頼むから…行かないで。」
迷うように立ち尽くす光。俺はもどかしく信号機を睨む。
するとそのとき、光の前に一台のバイクが停まった。黒い服を着た、黒いヘルメットの男。男はヘルメットを外し――俺を見た。
「……倉持?」
倉持は俺を睨むように一瞥し、光にヘルメットをひとつ差し出す。光はそれに手を伸ばす。
「…光、待て!!」
縋るように叫んだ俺の声で、光は決意したように、ヘルメットを被ってバイクに跨った。…倉持の後ろに。しっかりと倉持に掴まり、倉持もまたヘルメットを被ると、俺に視線をやるように一瞬頭を揺らして、バイクは走り去っていく。
『もし何かあった時には…いつでも力になってやりたいとは思ってるよ』
倉持の言葉が今更、痛いほど頭の中で響いた。
光が助けを求める場所――それは今、倉持なんだ。その事実を突きつけられて、俺は――トンネルの中で明かりを見失ったかのように、立ち尽くした。