SNSを眺めている時、その書き込みを目にしたのはほんの偶然だった。
桜樹通りのイルミネーションの中を一人で俯いて歩いている玉城さんを遠くから写した写真と、ファンの興奮した他愛もない文章。生も可愛いだとか、スタイル抜群だとか、そんなコメントで溢れていたけど、その写真に写る玉城さんは――俺には酷く落ち込んでいるように見えた。
大体、今月いっぱいは撮影で遠方にいるはずだし、こんな近所を一人で歩いているわけがない。しかも一人で変装もせず…。
…なにかあったんだろうか。
そんな不安が胸に過ぎり、俺は思い切って電話をかけてみた。…しばらく待っても応答が無く、諦めかけた時、呼び出し音が途切れて外の喧騒が電話越しに聞こえた。

『…はい』

か細い声だった。

「…玉城さん?倉持だけど…」

電話をかけたものの、何を言えばいいかわからなかった。そもそも電話してよかったのかどうかも。

「バイク…」

玄関に置きっぱなしにしていたヘルメットに目が行き、気付けば呟いていた。

「バイク、買ったんだよ。…乗ってみねー?」
『……。』

泣いているような息遣いが聞こえる。

『…乗せてください。』

うるんだ声で、玉城さんはそう言った。

「…今どこ?」

ヘルメットを引っ掴み、鍵と財布をポケットに突っこんで部屋を飛び出した。そして夜の道を、バイクで駆け抜けた。

玉城さんが言った公園が近づいてくると、にわかに緊張した。ベンチに玉城さんの姿を見つけたときは更に。玉城さんは道の向こう側を見つめて立っていた。その前にバイクを停めると、玉城さんは涙で濡れた瞳をこちらに向けた。
玉城さんが見つめていた先を見ると――御幸がいた。驚いたような顔で俺を見ている。その様子を見て、ここまで走って玉城さんを追いかけてきたんだろうと思った。ふたりに何があったのかは俺には分からない。だけど…チャンスかもしれない、と思ったのは否定できない。

「どうする?」

ヘルメットを差出し、玉城さんを見上げる。玉城さんは――ヘルメットを受け取った。

「…光、待て!」

向こう側から御幸の声が響くのを、バイクのエンジン音でかき消した。わりーな御幸、このチャンス…利用させてもらうぜ。隙を見せたお前が悪いんだ。
腰を掴む小さな手と、遠慮がちに触れる背中の熱。

「…もっとしっかり掴まれ。」

後ろに向かってそう声をかけると、手は俺の腰に抱き着き、背中にはぴったりと熱が密着した。

「…いいか?」
「…はい」
「じゃあ、飛ばすぜ!」

スピードを上げると、腰にまわされた腕に力が入った。渋滞の大通りを抜け、裏道を突き抜ける。

「どこ…行くんですか?」

すぐ後ろで声がする。

「そうだなー…」
「……。」
「…海でも行くか!」
「…海?」

訝しげな玉城さんの声。それもそうだろう、こんな真冬に海なんて。

「おう、街の中はどこも人だらけだから…」
「……。」
「誰もいない…誰にも見つからない場所に、連れてってやるよ」

考えた末にそう答えると、玉城さんはまた、ぎゅう、と腕に力を込める。
やっと…俺を頼ってくれた。理由があるにせよ、御幸よりも俺を選んでくれた。ハンドルを握る手に力が籠る。
御幸の彼女…彼氏の友達……ずっとそんな風にしかお互いを見ていなかったけど、今はきっと、お互いだけを見ている。
道はどんどん静かになって、イルミネーションも街灯も減り、暗くなっていく。バイクのエンジン音と冷たい風の音が耳の奥に響き、背中の熱がよりはっきりと分かった。

「玉城さん」

背中にもたれていた頭がわずかに動く。

「右側。見てろよ」
「…?」

玉城さんが右を向いたのがわかった。右手には黒々と生い茂る木々の影が視界を覆っている。しかし少し走ると――一気に視界が開け、青い闇に溶け合う空と水平線、そしてぽっかりと浮かぶ白い月の景色が眼前に広がった。

「あ……はは、ふふっ」

小さな笑い声がして、俺も口元が緩む。
下に続く道を見つけて脇にバイクを停め、ふたりで砂浜に降りる。冬の、しかも夜の海風は刺すように冷たくて、玉城さんは白い息を吐いてはにかんだ。俺もつられて笑いながら、普通の顔をして…たぶん、何も知らない人から見たら恋人同士のように、波の音を聞いて意味も解らず笑った。

「ほんとに海に来るなんて…」

玉城さんは呆れているのか喜んでいるのかわからない笑顔で言う。

「なに?」

からかうように言葉の続きを促すと、玉城さんは白い息とともに笑い声をこぼした。

「海…こんなに近かったんだ、って思って」
「おい、俺だけが知ってる近道だぜ。本当ならもっと遠いんだよ」
「えぇ?本当に?」
「本当だよ。」

御幸にはできないことだぞ、なんて調子よく言いかけて、思いとどまって口を噤む。御幸と比べてどうするんだよ。せっかく…やっと、こんなに自然にふたりだけで居るのに。
玉城さんははにかんで俺を見て、ふと降りた沈黙から逃げるように、海の方を見た。何か聞かれると思ったんだろうな、と思った。…聞かれたくねーってことか。だけど…そうやって我慢して強がって、倒れたこともあるのに…。

「玉城さん。」

呼ぶと、玉城さんは振り返る。微笑みを浮かべて。

「俺、ピンチに駆けつけるヒーローみたいだった?」

玉城さんは一瞬、ぽかんとした。それからくしゃりと顔を歪めて、笑顔になった。目がキラキラ輝いているのは涙だと、頬にその光が落ちて初めて気づいた。玉城さんは涙をぽろぽろ流しながら笑う。目元を手で拭って、恥ずかしそうに横を向いて、息をのんで…黙り込んだ。またそうやって鍵を閉めてしまうのか。残念な気持ちともどかしさ。息を吐いて頭を掻くと――玉城さんは口を開いた。

「…ヒーローです」
「……。」
「倉持さんはいつも…ずっと…ヒーローです」

言い切って、また少し笑う。誤魔化すように。

「…本当かぁ?」
「なんで疑うんですか、本当ですよ!」
「かっこよかった?」
「あはは。はい。」
「じゃあ、惚れた?」

玉城さんははっと口をつぐみ、照れたように笑った。

「おい誤魔化すのはずりーぞ」
「だって…ふふっ、そんな急に…」
「この流れでいけると思ったんだけどなー、無理だったか」
「あはは、なんですかそれ」

笑う彼女を見て安堵する。…よかった、もう泣いてない。

「玉城さんは…」
「…?」
「御幸のこと…いつから好きだったんだ?」
「……。」

玉城さんは考え込む。唐突な質問なのに、大真面目に考える彼女がおかしくて、こっそり笑う。

「いつの間にか……だけど……」
「……。」
「たぶん…一目惚れ…だったのかもしれません」

そう答えた彼女の横顔は…夜の闇を背に月の銀色の光を受けて、とても綺麗だった。

「…一目惚れかー。そりゃ…最強だな。」
「最強…?」
「そーだよ、一目惚れは最強。理屈じゃなくて…本能だ」
「……。」

だから何があっても…どんなに不可能でも…思い焦がれてしまう。

「俺も一目惚れだから、わかるんだよ。」
「…え……」

彼女の顔を見ると、冷たい海風に髪をなぶられて、絵画のように美しい月あかりの中で…俺を見つめていた。

「俺…玉城さんが思ってるより、本気で…好きだ。」
「……。」
「だから俺は…何があっても変わらないし、ずっとお前のヒーローでいる。」
「……。」
「もしも…御幸を失っても、俺がいるから。だから…お前は絶対、独りになんてならないから」
「……。」
「…何があったのか…話してくれよ。」

玉城さんの瞳から、また涙がこぼれはじめた。

「なんで…そんなに……」

言葉に詰まる玉城さん。前にも同じことを訊かれたな、と思う。

「…しょうがねーよ。理屈じゃない…なんとかしてやりたいって…笑っていてほしいって…本能なんだ」

玉城さんは唇を噛んで、涙をぬぐうと、深く息を吐いた。

「…今日家に……帰ったんです」
「うん」
「撮影が…早く終わって……一也さんに、メールもして…」
「うん」
「途中…メールが途切れて。何かあったのかなって…思ったけど…」
「……。」
「…そのまま、帰ったんです。」
「…うん」
「そしたら……リビングに…ソファに、」
「……。」
「一也さんと…一緒に……、…森田桃が…下着姿で……いたんです」
「……。」


思わず息をのむ。御幸、あいつ…なにやってんだよ!家になんか上げて…!…だけど、前に無理やり襲われそうになったことを思うと、御幸も何かトラブルに見舞われたのかもしれないとも思った。だって…あの御幸が浮気なんて馬鹿で屑なこと、さすがにするわけがない。

「…それで、御幸は?」
「…誤解だって。私も…何かの間違いだって…思いました。でも…その光景が…頭から離れなくて。もう…頭が真っ白で…私……、とにかく…一人になりたくて」
「…わかるよ」

宥めるように肩を抱くと、玉城さんは簡単に体を預けてきた。…驚いた。こんなに信頼されているのかと。嬉しくて…だけど、胸が苦しい。だって、それほど彼女は、御幸のことで落ち込んでいるのだから。
密着した体が気恥ずかしくて、気を紛らわせるために細い背中を軽くポンポンと叩く。すると…玉城さんはそっと、俺の背中に手を回した。
…玉城さんと抱き合ってる。…いいのか、こんなことして。いや、別に彼女にそういう気があるわけじゃないことは…わかってる。それだけ俺を信頼してくれてるってことだろ。それに今…俺しか頼る相手がいないんだ。
だけど…俺はいつまで、こんな役回りに徹するつもりだ?このままふたりが復縁したら、もうきっと…チャンスは巡ってこない。こんなことになっても、心の底では信じて想い合ってるような二人だから…。

「…これから」
「…?」
「このあと、どうする。…今夜。」
「あ…。」
「…俺んち来るか?」
「…いいんですか?」
「ああ。でも…今度は俺、沢村の所になんて行かねーぞ」
「…え?」
「それに…一晩好きな女と過ごして…何もしねーほど、俺はお人よしじゃねーけど」
「……。」
「どうする?」

玉城さんは身を離して、俺の胸に手を置いたまま、俺を見上げた。出会ってもう5年以上経つのに、未だに見惚れてしまうほどきれいな顔で――瞳で。

「それって…」
「……。」
「…私を、抱くってことですか?」

ごくり、と鳴ったのは俺の喉だ。そうだよ…俺は、玉城さんを抱きたい。ずっとそう思ってた。あの写真集の中の彼女に、どれだけ胸を焼かれたか。俺はいつも…手が届きそうで届かない、まるでガラスケースの向こう側の世界を見せられているように、もどかしくもがいてた。

「…そうだよ。」

彼女の背中に添えた手に力が篭る。彼女の返答次第で――今夜俺は…この肌に触れる。
玉城さんは唇を引き結んで、目を伏せて…答えを考えているような顔をした。それから顔を上げて、俺を見て――

「…いいですよ。」

そう、呟いた。

 


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