095
「御幸一也ももう終わりだろ。」
「天才キャッチャーとか言われてたけど、あっけなかったな。…ま、来年の契約更新は絶望的だな。」
ニヤニヤとお喋りをしていた男たちが、俺を見つけて気まずそうに口を閉ざす。
…あぁ、うるせーな。鬱陶しい。
好調でも不調でも、纏わりつく他人の勝手な評価。お前らに俺の何がわかるっつーんだ。
防具を持って、ロッカールームを出る。
「御幸さん。」
廊下にいた球場スタッフが俺を待っていたように手をあげて呼びとめた。
「今日の始球式なんですが…」
「ああ、はい。」
事務連絡か。立ち止り、キャッチャーマスクを弄りながら話を聞く。
「玉城光さんがいらっしゃいますので、よろしくお願いします。」
「……。…えっ?」
「ですから、玉城光さんが…」
「ああ…そう、ですか。」
球場スタッフは何か聞きたそうな目で俺を見た。俺は目を逸らす。
なんで…光が。俺がいるってわかってて引き受けたのか?…いや、倉持がいるからか?
「先発の沢村選手と、1番バッターの倉持選手には先ほどお伝えしたんですが、まずこちらから玉城さんにご登場いただいて…」
「…はい。」
どこか信じられない気持ちでスタッフの声を聞いた。光…どんな顔で俺を見るんだろう。俺は…どんな顔で会えばいいんだ。
「では、そういうことでよろしくお願いします。」
「はい。」
スタッフから離れ、ベンチへ向かう。足元がふわふわして、目の前が眩んだ。光…。光に会える。
だけど…俺はもう、彼女に触れることはできない。
「……。」
階段の前に、通路を塞ぐようにして、沢村が立っていた。
「…肩あたためとけよ。」
そう声をかけて、沢村を避けて通り抜けようとすると、沢村は身を起こして俺の前に立ちはだかった。
「引退するんですか。」
「…何だよ、藪から棒に…」
「しないでください。」
2段上にいる沢村を見上げる。こいつを見上げるのなんて…新鮮だ。
「俺はアンタを追いかけてここまで来たんだ。このまま消えるなんて…絶対に許さねーからな」
「……。」
「アンタはいつもそうだ…人には正面からぶつかってこいとか言うくせに、自分の事になるとはぐらかして…本当の事を言わない。それじゃ何もわかんねーっすよ…」
「…何が言いたいんだよ。沢村」
「周りに好き勝手言われてんのに…見返そうともしない。俺の知ってる御幸一也はそんな男じゃねーよ!!」
「…何熱くなってんだよ。不調は誰にでもある。別に…引退するとも言ってねーだろ。」
無理やり横を通り抜けようとした俺に、沢村は呟いた。
「……そんなに玉城が大事ですか。」
俺の足は思わず止まる。
「そんなに大事なら…さっさと手に入れて来いよ。」
「…お前、何言って…」
「アンタも玉城も…お互いに気を引くみてーにわざと自分を傷つけて…見てらんねーんだよ。」
「……。」
「球も見えなくなっちまったなら…早く光を取り戻せ。もっとちゃんと…俺の球を受けてくれよ。」
沢村はそう言って、俺をじっと睨むと、ベンチに上がって行った。
「…キザなこと言いやがって」
ため息交じりにキャッチャ―マスクを被る。薄暗いベンチを抜け、グラウンドに出ると…俺は眩しくて目を細めた。
選手たちが配置につき、俺もキャッチャーボックスに立ち、グローブをはめる。マウンドには沢村が、手持無沙汰にボールを握って立っている。
…気が重いような、だけど…待ち焦がれていたような、じれったい気持ちで胸焼けする。
コツン、と硬い音がして、俺は顔を上げた。バットで足元をつつきながら、倉持がバッターボックスに立ったのだった。目が合うと、倉持はしばらく俺を見て、ため息を吐きながらバットを肩に置いた。
「何しけた面してんだよ。」
俺は何も言葉が思い浮かばずに倉持を眺めた。
「これから、世界一好きな子に会えるっつーのによ」
思わず目を瞬いた。言った後で恥ずかしくなったのか、倉持は不機嫌そうになんだよ、と俺を睨む。
「…お前ら、付き合って…」
「ねーよ。…フラれたんだよ。言っただろ」
「……。」
「だけど…俺はやれることは全部やった。だから…もういいんだよ。」
「……。」
「あの子は…ずっとお前のことを…お前のことだけを好きだったんだ。俺が何をしたところで…玉城さん、最後まで、手だけは繋いでくれなかった。」
「…え?」
「…おかしいだろ。キスも、それ以上のこともしてんのによ。余程…消したくない思い出が…お前との思い出があるんだなって思った」
「……。」
「…なあ、玉城さんも、同じだったよ。」
「…?」
「お前のこと…一目惚れだったんだってよ。」
言葉を失う俺に、倉持は背を向ける。
「しゃがめよ。始まるぞ。」
スタジアムが湧き、割れんばかりの拍手が溢れかえる。
「ヒャハハ、相変わらずスゲー人気」
バットを弄ぶ倉持が呟く。スタッフに誘導され、カメラマンと共に、少し髪が伸びた光がグラウンドに入場する。白いポロシャツに青いスカート。その衣装が制服のように見えて、一瞬、高校時代の光の姿と重なった。
初めて出会った時のこと…渡り廊下からひとり歩いて来た光。あの時から、俺はずっと――
光はマウンドに立ち、審判からボールを受け取ると、沢村と目を合わせた。久しぶりの再会なのか、お互い笑顔で何か言い合って、マウンドに立つ光に沢村は何か助言する。
「玉城、思いっきりいけ!」
沢村の声がここまで響いてきた。光は笑顔で頷き――俺を見た。
「…なあ」
バットを構えた倉持が何か言いかけて、俺はその背中を見上げる。
「やっぱ…めちゃくちゃ綺麗だな」
ボールを構える光。真剣に俺を見る。ミットを構えると――少し微笑んだ気がした。
「…そうだな」
心臓が早まる。光が振りかぶり、ボールを放つ――。
白いボールは地面すれすれまで落ちて、倉持のバットの下をくぐり、地に着く直前、俺のミットに収まった。
「ヒャハッ、ノーバン。」
嬉しそうに倉持が言う。光は沢村とハイタッチし、スタッフに誘導され、こちらに歩いてくる。
立ち上がる俺の横で、倉持が先に歩き出した。倉持がハイタッチを求めるように手を出し、光はそれに笑顔で応える。そして倉持に背中を押され――光は俺の前に来た。
俺の前に立ち、俺を見上げる。俺はキャッチャーマスクを外す。本当に――あの、初めて会った夏のような光景。
「…来てくれて、ありがとう。」
そう言うと、光は少し微笑んだ。
「…あの日。校舎裏に来てくれて…ありがとう。」
俺は少し言葉を直す。すると光は、はっとしたように口を噤んで俺を見上げた。その瞳を見つめたまま、目を逸らさないように…俺は、そこに膝をついて光を見上げた。
「…ずっと好きでした。初めて会った時から…一目惚れでした。」
「……。」
「俺が生涯で愛するのは、玉城光さんだけです。」
俺を見つめる空色の瞳にきらきらと涙が揺れる。
「あなたがいれば、俺はなんでもできます。」
「……。」
「だから…今日、俺がホームランを打って…チームが優勝したら」
「……。」
「俺と…結婚してください。」
光の目が瞬いて、涙が零れ落ちた。
俺は意を決して、握手を求めるように手を差し出す。
「……はい。」
光は――ゆっくりと、その手を握り返した。小さな手――この手を握るたび、俺はこいつを守らなきゃって…守りたいって…思った。だけど今、この手のぬくもりに…俺が救われている。
俺は立ち上がり、手の力を少し緩めて、指を絡ませ、つなぎ直した。戸惑う光の顔を見ながら、ぎゅっとその手を握りしめると、光の小さな手もそれに応えるように俺の手を握り返した。
ワッとスタジアムが湧き、俺は我に返る。気が付くと、すぐ隣でカメラが構えられていた。わ…忘れてた。
「テメェ言ってくれるじゃねーか。チームの優勝?ホームラン?対戦相手の俺の前でよくんなこと言ってくれたなぁオイ」
倉持にどつかれ、俺は光の手を離す。光ははにかみながら涙をぬぐい、俺を振り返りつつ退場する。
「あんなもん見せられちゃあ手加減するわけにはいかねーな〜。せっかくの一也クンの一世一代の決意だもんなぁ〜」
「う…うるせーよ」
「おしおしおーーし!!御幸先輩と玉城の幸せの為!!我ら一丸となって勝利を捧げましょ〜〜!!!」
「沢村黙れって!!」
目を刺すような日差しの中。その眩しさに――俺の視界はやっと晴れた気がした。
「天才キャッチャーとか言われてたけど、あっけなかったな。…ま、来年の契約更新は絶望的だな。」
ニヤニヤとお喋りをしていた男たちが、俺を見つけて気まずそうに口を閉ざす。
…あぁ、うるせーな。鬱陶しい。
好調でも不調でも、纏わりつく他人の勝手な評価。お前らに俺の何がわかるっつーんだ。
防具を持って、ロッカールームを出る。
「御幸さん。」
廊下にいた球場スタッフが俺を待っていたように手をあげて呼びとめた。
「今日の始球式なんですが…」
「ああ、はい。」
事務連絡か。立ち止り、キャッチャーマスクを弄りながら話を聞く。
「玉城光さんがいらっしゃいますので、よろしくお願いします。」
「……。…えっ?」
「ですから、玉城光さんが…」
「ああ…そう、ですか。」
球場スタッフは何か聞きたそうな目で俺を見た。俺は目を逸らす。
なんで…光が。俺がいるってわかってて引き受けたのか?…いや、倉持がいるからか?
「先発の沢村選手と、1番バッターの倉持選手には先ほどお伝えしたんですが、まずこちらから玉城さんにご登場いただいて…」
「…はい。」
どこか信じられない気持ちでスタッフの声を聞いた。光…どんな顔で俺を見るんだろう。俺は…どんな顔で会えばいいんだ。
「では、そういうことでよろしくお願いします。」
「はい。」
スタッフから離れ、ベンチへ向かう。足元がふわふわして、目の前が眩んだ。光…。光に会える。
だけど…俺はもう、彼女に触れることはできない。
「……。」
階段の前に、通路を塞ぐようにして、沢村が立っていた。
「…肩あたためとけよ。」
そう声をかけて、沢村を避けて通り抜けようとすると、沢村は身を起こして俺の前に立ちはだかった。
「引退するんですか。」
「…何だよ、藪から棒に…」
「しないでください。」
2段上にいる沢村を見上げる。こいつを見上げるのなんて…新鮮だ。
「俺はアンタを追いかけてここまで来たんだ。このまま消えるなんて…絶対に許さねーからな」
「……。」
「アンタはいつもそうだ…人には正面からぶつかってこいとか言うくせに、自分の事になるとはぐらかして…本当の事を言わない。それじゃ何もわかんねーっすよ…」
「…何が言いたいんだよ。沢村」
「周りに好き勝手言われてんのに…見返そうともしない。俺の知ってる御幸一也はそんな男じゃねーよ!!」
「…何熱くなってんだよ。不調は誰にでもある。別に…引退するとも言ってねーだろ。」
無理やり横を通り抜けようとした俺に、沢村は呟いた。
「……そんなに玉城が大事ですか。」
俺の足は思わず止まる。
「そんなに大事なら…さっさと手に入れて来いよ。」
「…お前、何言って…」
「アンタも玉城も…お互いに気を引くみてーにわざと自分を傷つけて…見てらんねーんだよ。」
「……。」
「球も見えなくなっちまったなら…早く光を取り戻せ。もっとちゃんと…俺の球を受けてくれよ。」
沢村はそう言って、俺をじっと睨むと、ベンチに上がって行った。
「…キザなこと言いやがって」
ため息交じりにキャッチャ―マスクを被る。薄暗いベンチを抜け、グラウンドに出ると…俺は眩しくて目を細めた。
選手たちが配置につき、俺もキャッチャーボックスに立ち、グローブをはめる。マウンドには沢村が、手持無沙汰にボールを握って立っている。
…気が重いような、だけど…待ち焦がれていたような、じれったい気持ちで胸焼けする。
コツン、と硬い音がして、俺は顔を上げた。バットで足元をつつきながら、倉持がバッターボックスに立ったのだった。目が合うと、倉持はしばらく俺を見て、ため息を吐きながらバットを肩に置いた。
「何しけた面してんだよ。」
俺は何も言葉が思い浮かばずに倉持を眺めた。
「これから、世界一好きな子に会えるっつーのによ」
思わず目を瞬いた。言った後で恥ずかしくなったのか、倉持は不機嫌そうになんだよ、と俺を睨む。
「…お前ら、付き合って…」
「ねーよ。…フラれたんだよ。言っただろ」
「……。」
「だけど…俺はやれることは全部やった。だから…もういいんだよ。」
「……。」
「あの子は…ずっとお前のことを…お前のことだけを好きだったんだ。俺が何をしたところで…玉城さん、最後まで、手だけは繋いでくれなかった。」
「…え?」
「…おかしいだろ。キスも、それ以上のこともしてんのによ。余程…消したくない思い出が…お前との思い出があるんだなって思った」
「……。」
「…なあ、玉城さんも、同じだったよ。」
「…?」
「お前のこと…一目惚れだったんだってよ。」
言葉を失う俺に、倉持は背を向ける。
「しゃがめよ。始まるぞ。」
スタジアムが湧き、割れんばかりの拍手が溢れかえる。
「ヒャハハ、相変わらずスゲー人気」
バットを弄ぶ倉持が呟く。スタッフに誘導され、カメラマンと共に、少し髪が伸びた光がグラウンドに入場する。白いポロシャツに青いスカート。その衣装が制服のように見えて、一瞬、高校時代の光の姿と重なった。
初めて出会った時のこと…渡り廊下からひとり歩いて来た光。あの時から、俺はずっと――
光はマウンドに立ち、審判からボールを受け取ると、沢村と目を合わせた。久しぶりの再会なのか、お互い笑顔で何か言い合って、マウンドに立つ光に沢村は何か助言する。
「玉城、思いっきりいけ!」
沢村の声がここまで響いてきた。光は笑顔で頷き――俺を見た。
「…なあ」
バットを構えた倉持が何か言いかけて、俺はその背中を見上げる。
「やっぱ…めちゃくちゃ綺麗だな」
ボールを構える光。真剣に俺を見る。ミットを構えると――少し微笑んだ気がした。
「…そうだな」
心臓が早まる。光が振りかぶり、ボールを放つ――。
白いボールは地面すれすれまで落ちて、倉持のバットの下をくぐり、地に着く直前、俺のミットに収まった。
「ヒャハッ、ノーバン。」
嬉しそうに倉持が言う。光は沢村とハイタッチし、スタッフに誘導され、こちらに歩いてくる。
立ち上がる俺の横で、倉持が先に歩き出した。倉持がハイタッチを求めるように手を出し、光はそれに笑顔で応える。そして倉持に背中を押され――光は俺の前に来た。
俺の前に立ち、俺を見上げる。俺はキャッチャーマスクを外す。本当に――あの、初めて会った夏のような光景。
「…来てくれて、ありがとう。」
そう言うと、光は少し微笑んだ。
「…あの日。校舎裏に来てくれて…ありがとう。」
俺は少し言葉を直す。すると光は、はっとしたように口を噤んで俺を見上げた。その瞳を見つめたまま、目を逸らさないように…俺は、そこに膝をついて光を見上げた。
「…ずっと好きでした。初めて会った時から…一目惚れでした。」
「……。」
「俺が生涯で愛するのは、玉城光さんだけです。」
俺を見つめる空色の瞳にきらきらと涙が揺れる。
「あなたがいれば、俺はなんでもできます。」
「……。」
「だから…今日、俺がホームランを打って…チームが優勝したら」
「……。」
「俺と…結婚してください。」
光の目が瞬いて、涙が零れ落ちた。
俺は意を決して、握手を求めるように手を差し出す。
「……はい。」
光は――ゆっくりと、その手を握り返した。小さな手――この手を握るたび、俺はこいつを守らなきゃって…守りたいって…思った。だけど今、この手のぬくもりに…俺が救われている。
俺は立ち上がり、手の力を少し緩めて、指を絡ませ、つなぎ直した。戸惑う光の顔を見ながら、ぎゅっとその手を握りしめると、光の小さな手もそれに応えるように俺の手を握り返した。
ワッとスタジアムが湧き、俺は我に返る。気が付くと、すぐ隣でカメラが構えられていた。わ…忘れてた。
「テメェ言ってくれるじゃねーか。チームの優勝?ホームラン?対戦相手の俺の前でよくんなこと言ってくれたなぁオイ」
倉持にどつかれ、俺は光の手を離す。光ははにかみながら涙をぬぐい、俺を振り返りつつ退場する。
「あんなもん見せられちゃあ手加減するわけにはいかねーな〜。せっかくの一也クンの一世一代の決意だもんなぁ〜」
「う…うるせーよ」
「おしおしおーーし!!御幸先輩と玉城の幸せの為!!我ら一丸となって勝利を捧げましょ〜〜!!!」
「沢村黙れって!!」
目を刺すような日差しの中。その眩しさに――俺の視界はやっと晴れた気がした。