096
「『始球式でプロポーズ!御幸一也完全復活満塁ホームラン 愛の力でチーム優勝』…へぇ〜〜ほんっと男って単純だよね。ついこの間まで引退囁かれてた奴がここまで変わるなんて。」
「おっ、こっちにも載ってるぞ。『まるでリアル“あの夏を君と”!?御幸一也×玉城光 グラウンドの中心で愛を誓う』」
「あ、倉持今の番組に戻して。御幸のヒーローインタビュー流れてた。」
「…亮さん純さん、もう勘弁してください」
俺の部屋で自分の部屋のようにくつろぐ青道時代の仲間たち。曰くお祝いを渡しに来た、らしいが…それ以上に飲み食いしてねーか?この人たち…。なかなか帰らねーし…。
「ねぇ御幸、玉城さんいつ帰ってくるの?同棲再開したんでしょ?」
「やっぱそれ目当てっすか…」
できれば光が帰ってくる前に帰ってほしかった…。
「12時に牧瀬…友達がうちに来るって言ってたんで、そろそろ帰ってきますよ。」
「牧瀬って、牧瀬司?」
「あ…はい、そーっすけど」
「なぁ牧瀬司も来るって。」
「マジかよ!サインもらいてぇな」
「牧瀬か。会うのは久々だな。」
「……。」
まだまだ帰る気はなさそうだな。俺は冷蔵庫を開く。まあ…貰った食いもんと、あとこれでスープ作って、ご飯炊いて…昼飯は何とかなるか。
そのとき、ガチャン、と鍵が開く音がして、部屋の奴らが全員玄関に注目した。にわかに賑やかになるドアの向こう。女たちのはしゃぐ声が響いてくる。
「おじゃましま〜す。あ〜やっぱこのマンション落ち着く。帰ってきた〜って感じ〜〜」
「司の家じゃないんだけど…。」
「でも〜光がいて、部屋も広くてきれいで、おいしいご飯もあって、自分の家より居心地良いんだもん。」
「まったくも〜…、一也さん、ただいま…」
ドアを開きながら部屋に入ってきた光は、一斉に集まる視線に気づいて固まった。
「本物だ!!本物の玉城光!」
「うわめちゃくちゃ綺麗」
「まあまあお嬢さんたち!そんなところに立ってないで座って下せえ!!」
「沢村お前何キャラだよ」
ぽかんと顔を見合わせ笑う光と牧瀬。その足元に、それまでどこかに隠れていた子猫が駆け寄った。
「うわ!!猫!!お前どこから湧いて出たんだ!!玉城が猫召喚した!!」
「うるせーよ人んちで騒ぐな沢村!お前がうるせーから怯えて隠れてたんだろがよ!」
「信二もたいがい声デカいけどね。」
「…光。」
大騒ぎする奴らの横で、こっそりと光を手招きする。ちょこちょこと駆け寄ってきた光の愛らしさに胸をくすぐられながら、そっと顔を近づけて耳打ちする。
「ごめん、こいつら…結婚のお祝い持って来てくれたんだけど長居して…たぶん昼飯食ったら帰ると思うから。俺適当に作るから、牧瀬と何か食いに行って来いよ。」
光は不思議そうに俺を見上げた。
「何か作るなら手伝いますよ。せっかくだしお昼は皆で……ほら、司ももう盛り上がってるし」
見ると、光の言う通り牧瀬は沢村たちの輪に入り、すでに盛り上がっていた。
「…悪い、いきなり大人数…」
「……。」
「…なんで笑ってんの?」
俺を面白そうににやにや見つめる光。それまでばつが悪く真面目に謝っていたのをからかわれた気がして、恥ずかしくなる。
「だってなんか…困ってる一也さんって可愛いんだもん。」
「…は!?」
気のせいじゃなくて本当にからかわれてた…。
「おい新婚共〜!人前でイチャつきやがってこっちこいゴルァ!!」
「純、まだ婚約だよ。」
「あぁ!?ど…どっちでも同じだろ!!ホラ倉持も何か言ってやれ!結婚式で卒業やるか!?卒業!!」
「やりませんよ!」
「…卒業?」
「ほら、昔の映画の…結婚式で花嫁略奪するやつだよ」
「純さんよくそんなの知ってるな」
まったく好き勝手騒ぎやがって…。苦笑しているところに、ふらりと哲さんがやってきて光の前に立つ。
「光。」
哲さんは真剣な表情で光の肩を掴んだ。
「もし御幸に不満があったら、いつでも俺の所に来ていいんだぞ。」
「えっ…」
「て…哲さん、なんてこと言うんすか…」
「いいぞ哲そのまま奪っちまえ!」
「煽るなよ純。またややこしくなるだろ…せっかく倉持が立ち直って来たとこなのにまた廃人が出る。」
「ちょ…亮さん!!」
「…御幸先輩。」
騒ぐ先輩らの横を通り抜け、俺の前に来て睨みつけてきたのは奥村だった。
「俺言いましたよね…光を泣かしたら許さないって…」
「…奥村お前、酔ってる?」
「真面目に聞いてください。よくも光を…」
「おいおい光舟!お前酒弱いんだから飲むなっていっただろ〜!も〜!」
俺を威嚇する奥村を、瀬戸が慌てて回収する。奥村も酒弱いのか。血筋か?
「一也さん、何作ります?」
エプロンを取り、光は俺の服の裾を引っ張った。
「ああ、あいつらが持って来た惣菜がそこにあるから…」
俺も自分のエプロンを取り、ふたりでキッチンに入る。
「冷蔵庫にトマトと卵があったろ。それでスープでも…」
「トマトと卵…」
光は冷蔵庫を開き、中を覗きこんだ。
「一也さん、ちょっと…」
「ん?」
扉の影から俺を手招きする光。何か足りなかったか?隣に並んで冷蔵庫の中を除く。すると横から手が伸びてきて、俺の顎を引いたかと思うと――光が俺にキスをした。一瞬食まれた唇が、今更熱を帯びてくる。
「…おい、見られたら…」
焦った小声をこぼすと、光は口元に人差し指を立てた。
…俺、ますます振り回されてる気がするな。
光は卵のパックを取って、さっさと調理台に向かう。俺もトマトを袋ごと取出し、光の後を追った。
***
騒がしい連中がようやく帰り、部屋は静かになる。
風呂から上がると、リビングにも寝室にも光の姿はなかった。ちらりとベランダを覗くと、ようやく光の姿を見つけた。
俺はこっそり寝室からあるものを取ってきて、ベランダに出る。ドアの音がしても、光は振り向かない。近づいていくと――小さな鼻歌が聞こえてきた。綺麗な旋律。聴いたことの無い曲だ。見ると、光はイヤホンをしていて、それを繋いだスマホをポケットに入れていた。
無防備な背中。俺はそっと肩に触れ、そのまま抱きしめる。光は驚いたように振り向いて、はにかんだ。
「風邪ひくぞ。何聴いてんの?」
光はイヤホンを片方取り、俺の耳元にやる。俺はそれを受け取って、左耳に嵌めた。歌声のない静かなメロディーが流れてくる。
「今度の映画の主題歌です。私が歌うんですよ。」
「へぇー。どんな歌?ちょっと歌ってみて」
「やです。」
「えっ」
「完成してからのお楽しみ。」
そう笑う光の肩口に額をくっつける。光の甘い、柔らかいにおいがする。
「…いつまで抱きしめてるんですか?」
照れたように、でもからかうふうを装って、光は俺の腕をつつく。
「お前が風邪ひかないようにだよ。」
「ひきませんよ…まだ夜もあったかいし」
「風呂上りは油断するとやべーぞ。ほら、指先とかすぐ冷えるんだぞ。」
「あはは、もう…」
光の手を絡め取って、ぎゅっと握りしめ、もみくちゃにする。ふざけて抵抗するその手の――左手の薬指に、俺は手に隠し持っていたものを滑り込ませた。硬い感触に気づいたように、光は左手を翳して見て、息をのむ。
左手の薬指の指輪。夕日を受けて、キラキラ輝く、透き通った薄いブルーのダイヤモンド。
俺を振り返った光の、その瞳と同じ色。
「…婚約指輪。まだ、渡してなかったろ」
「だって……うそ……」
「プロポーズ…冗談だと思った?」
からかうように言うと、光は目に涙を浮かべて首を横に振り、俺に抱き着いてきた。
「…もうどこにも行くなよ」
心からの言葉を絞り出すと、光は頷いて、さらに強く抱きしめてきた。俺はその背中に手を回し、耳元に頬を摺り寄せる。
「次また別れるっつっても、却下するから。」
「…ふふっ」
涙交じりの笑い声がした。
「…ごめんなさい。」
その謝罪は、一方的に別れを切り出したことへのものなのか――倉持に抱かれたことへのものなのか。どっちでもいい。どうせ俺は、光を離せない。
「一也さん…」
ふと、光は身を少し離し、俺をじっと見上げた。
「好き」
独り言のように呟いて、俺の胸に顔を埋める。
「好きです…」
胸に頬ずりする小さな頭を見つめ、俺は顔に熱が集まった。
「…どうしたの、急に」
「…言い足りなくて」
光は、ぎゅう、と強く俺を抱きしめる。
「はぁ…」
物憂げにこぼれるため息。光はまた俺を見上げた。
「…キスして」
「ん」
要望に応え、触れるだけのキスをする。すると光は不服そうに俺を見つめ、頬を膨らませる。
「そうじゃなくて、もっと…」
「ん〜…」
ねだる光に胸の奥をくすぐられながら、俺はついつい悪戯心が膨れて口元を緩ませる。
「光がしてよ。」
「……。」
もの言いたげにじっと俺を見つめ返す光。さすがにしてくれねーかな、とあきらめかけた時。
光は俺の肩につかまって背伸びをし、唇を擦り付けた。おぉ…素直。俺は目を閉じ、ためらいがちな光の柔らかな唇を堪能する。小さな舌が俺の唇を舐め、入り込んでくる。はぁ、と吐息が漏れ、唇を濡らす。唇が重なるたびに、吐息が――声が漏れ聞こえる。舌を絡ませ、夢中になって――キスをした。
「…光、」
キスの合間の息継ぎで、俺は途切れ途切れに言った。
「…ベッド、行こう」
ちゅ、と音を立てて、光は唇を離す。
「一也さん…」
うっとりと俺を見て、そして、
「ごめんなさい…」
……え?
「今日…急にきちゃって」
「あぁ…そう…」
こ…こんなキスしておいて…。拷問かよ…。
「ちょっと寒くなってきましたね。中に入りますか?」
「…そーだな。」
がっくりとしながらも、夜風の冷たさから逃げるようにリビングに戻る。
「コーヒー淹れます?」
「あぁ…、いや、たまには飲まねえ?」
俺はワインボトルを取り出して聞いてみた。昼間先輩らがお祝いと称して置いて行ったものだ。
「いいですよ。」
光が頷いたので、ワイングラスを二つ持ってソファに並んで座る。そういや、光と飲むの初めてかも…。あんま強くないって聞いたけど…まぁワイン1杯くらいなら平気だろ。家だし、俺もいるし。
「はい」
ワイングラスに琥珀色の液体を注ぎ、光に手渡す。光はグラスを受け取ると、俺と乾杯をして、おそるおそると言った様子で少し舐めた。
「…おいしい」
「甘くて飲みやすいな」
…俺には甘すぎるけど。まぁ光は気に入ったようだからいいか。
にこにことワインを飲む光を眺めて幸せな気分に浸る。…もう顔がほんのりと赤くなっている。ほんとに弱いんだな。
「……。」
「……何?」
ふと、光が頬杖をついてぼうっと俺の顔を見上げていることに気付く。俺が尋ねると、光はとろんとした目でうっとりと、呟いた。
「…かっこいい…」
「……え?」
「…かっこいいなぁ…」
光が壊れた……。なんだこれ、光って酔うとこんなふうになるの?可愛すぎるんだけど…
「うふふふふ」
幸せそうに満面の笑みを浮かべて俺を見つめ続ける光。こ…こんな笑顔、素面の時は見たことがない。
「一也さん…」
「な…、何。」
「…エッチしたい。」
「ぶっ!!」
な…何を言い出すんだよ、突然。
「でも…できないや…生理中だもん…」
「そ…、そう」
「はぁ…」
「……。」
「…エッチって、誰としても気持ちいいわけじゃ…ないんですね」
「…えっ?」
「一也さんとするときは、いつも気持ちよかったから…知らなかった……」
ど…どういう意味!?俺、これ…喜ぶところ?
「…しょうがないか……倉持さん、初めてだった、みたいだし…」
あぁ…やっぱり倉持のことか…。ふ、複雑。
「でも……」
「……。」
「初めてを好きな人とできて、嬉しくて泣いちゃう…なんて…」
「……。」
「……私みたい。」
光は目を伏せ、しばらく沈黙し、少し顔を上げたかと思うと、俺を眩しそうに見つめた。
「……一目惚れは本能…」
「…え?」
何のことだ、と聞く前に、光はうつ向く。その華奢な肩に、俺はしばらく迷ってから触れた。
「…光?」
少し揺さぶると、その細い体は簡単に俺の方にもたれてきた。顔を覗き込むと――光は目を閉じ、静かに寝息を立てていた。
こりゃ…人前で酒は飲ませらんねーな。
光を抱き上げ、寝室へ運ぶ。ベッドに横たわらせ、布団をかけてその寝顔を見つめる。そうしたら、光がそこにいる実感があらためてはっきりとして、胸の奥から愛おしさがあふれ出た。膝をつき、髪を撫で、額にキスをする。そうしてからふと、朝の薄暗い病室で佇む倉持の姿が頭をよぎった。
あいつ、本当に――光のことを、愛してたんだな。あいつ…光を抱いて、泣いたのか。
きっと…俺も倉持も、同じくらい光のことを愛してる。今俺の隣に光がいることは…奇跡なのかもしれない。だけど…だから、俺はもう、彼女を離さない。
***
翌朝コーヒーを淹れていると、光が起きてキッチンにやって来た。淹れたてのコーヒーを渡すと、光はそれを受け取り、嬉しそうに口をつける。…昨日のこと、覚えてないっぽいな。
けれどその左手の薬指に、空色のダイヤモンドが輝いているのを見て、俺も頬を緩めた。
「なあ、近いうちにさ」
「?」
「挨拶…行かないとな。親に」
「あ…」
光は少し頬を染めた。
「そうですね…。」
そして結婚するという実感を味わうように、はにかみを堪えたような顔で俺を見た。
「…まあ、俺のとこは大歓迎だろうけど。」
「そう…だといいな」
「大歓迎だし大喜びだよ。…この間の試合の後から、早くつれて来いってうるさいんだから」
「…そうなんですか?」
「そーだよ」
うんざりしたように言うと、光はおもしろそうに笑う。
「問題は光のとこだよなぁ…俺殺されるんじゃね?」
「え?なんでですか…私の実家だって喜んでくれてますよ」
「え、だって光のお父さんって…」
記憶にある限り、あの父親が俺を歓迎するとは思えないのだが…。
「ああ…お父さんとはもう…縁が切れてるんです」
「…え!?」
「私が高校卒業した頃…お父さんに連れ戻されそうになったことがあって。お父さん、実家から追い出された後、相当大変だったみたいで…私を頼って来たんです。事務所が守ってくれたけど…それ以来、実家から完全に絶縁されたみたいです。手続きとかも全部綺麗にしておくから、私はもう、お父さんのことは忘れろって…叔母に言われました。」
「…それで…いいのか?光は」
「お父さんは…物心ついたときから、ほとんど会うこともなかったし…これでいいと思ってます。」
「それなら…いいけど。じゃあ今はもう、心配してることはないんだな?」
「はい。」
光が笑顔で頷いたのを見て、俺も微笑む。
「…ってことは俺、光の実家に挨拶って…」
「父方の祖父母と、叔母になりますね。」
「祖父母って…外国に家があるって言ってなかった?」
「はい、スイスに本家があって…」
「す、スイス!?」
「でも今はちょうど日本にいますよ。」
「え…そうなの?」
「はい。この時期は毎年、日本の別宅で過ごしてるんです。叔母は仕事の都合に合わせて、アメリカと日本の別宅を行き来してるけど…叔母も今は日本にいるはずです。」
「……別宅って…すげーな、いくつあんの?」
「やだ、5つだけですよ。」
「いっ……」
…うすうす感じてはいたけど、こいつ予想以上のとんでもないお嬢様なんじゃ…。
「挨拶、いつにしますか?」
無邪気な、天使のような笑顔で首をかしげる光。俺は苦笑して――覚悟を決めた。
「予定…確認しとくわ」
「おっ、こっちにも載ってるぞ。『まるでリアル“あの夏を君と”!?御幸一也×玉城光 グラウンドの中心で愛を誓う』」
「あ、倉持今の番組に戻して。御幸のヒーローインタビュー流れてた。」
「…亮さん純さん、もう勘弁してください」
俺の部屋で自分の部屋のようにくつろぐ青道時代の仲間たち。曰くお祝いを渡しに来た、らしいが…それ以上に飲み食いしてねーか?この人たち…。なかなか帰らねーし…。
「ねぇ御幸、玉城さんいつ帰ってくるの?同棲再開したんでしょ?」
「やっぱそれ目当てっすか…」
できれば光が帰ってくる前に帰ってほしかった…。
「12時に牧瀬…友達がうちに来るって言ってたんで、そろそろ帰ってきますよ。」
「牧瀬って、牧瀬司?」
「あ…はい、そーっすけど」
「なぁ牧瀬司も来るって。」
「マジかよ!サインもらいてぇな」
「牧瀬か。会うのは久々だな。」
「……。」
まだまだ帰る気はなさそうだな。俺は冷蔵庫を開く。まあ…貰った食いもんと、あとこれでスープ作って、ご飯炊いて…昼飯は何とかなるか。
そのとき、ガチャン、と鍵が開く音がして、部屋の奴らが全員玄関に注目した。にわかに賑やかになるドアの向こう。女たちのはしゃぐ声が響いてくる。
「おじゃましま〜す。あ〜やっぱこのマンション落ち着く。帰ってきた〜って感じ〜〜」
「司の家じゃないんだけど…。」
「でも〜光がいて、部屋も広くてきれいで、おいしいご飯もあって、自分の家より居心地良いんだもん。」
「まったくも〜…、一也さん、ただいま…」
ドアを開きながら部屋に入ってきた光は、一斉に集まる視線に気づいて固まった。
「本物だ!!本物の玉城光!」
「うわめちゃくちゃ綺麗」
「まあまあお嬢さんたち!そんなところに立ってないで座って下せえ!!」
「沢村お前何キャラだよ」
ぽかんと顔を見合わせ笑う光と牧瀬。その足元に、それまでどこかに隠れていた子猫が駆け寄った。
「うわ!!猫!!お前どこから湧いて出たんだ!!玉城が猫召喚した!!」
「うるせーよ人んちで騒ぐな沢村!お前がうるせーから怯えて隠れてたんだろがよ!」
「信二もたいがい声デカいけどね。」
「…光。」
大騒ぎする奴らの横で、こっそりと光を手招きする。ちょこちょこと駆け寄ってきた光の愛らしさに胸をくすぐられながら、そっと顔を近づけて耳打ちする。
「ごめん、こいつら…結婚のお祝い持って来てくれたんだけど長居して…たぶん昼飯食ったら帰ると思うから。俺適当に作るから、牧瀬と何か食いに行って来いよ。」
光は不思議そうに俺を見上げた。
「何か作るなら手伝いますよ。せっかくだしお昼は皆で……ほら、司ももう盛り上がってるし」
見ると、光の言う通り牧瀬は沢村たちの輪に入り、すでに盛り上がっていた。
「…悪い、いきなり大人数…」
「……。」
「…なんで笑ってんの?」
俺を面白そうににやにや見つめる光。それまでばつが悪く真面目に謝っていたのをからかわれた気がして、恥ずかしくなる。
「だってなんか…困ってる一也さんって可愛いんだもん。」
「…は!?」
気のせいじゃなくて本当にからかわれてた…。
「おい新婚共〜!人前でイチャつきやがってこっちこいゴルァ!!」
「純、まだ婚約だよ。」
「あぁ!?ど…どっちでも同じだろ!!ホラ倉持も何か言ってやれ!結婚式で卒業やるか!?卒業!!」
「やりませんよ!」
「…卒業?」
「ほら、昔の映画の…結婚式で花嫁略奪するやつだよ」
「純さんよくそんなの知ってるな」
まったく好き勝手騒ぎやがって…。苦笑しているところに、ふらりと哲さんがやってきて光の前に立つ。
「光。」
哲さんは真剣な表情で光の肩を掴んだ。
「もし御幸に不満があったら、いつでも俺の所に来ていいんだぞ。」
「えっ…」
「て…哲さん、なんてこと言うんすか…」
「いいぞ哲そのまま奪っちまえ!」
「煽るなよ純。またややこしくなるだろ…せっかく倉持が立ち直って来たとこなのにまた廃人が出る。」
「ちょ…亮さん!!」
「…御幸先輩。」
騒ぐ先輩らの横を通り抜け、俺の前に来て睨みつけてきたのは奥村だった。
「俺言いましたよね…光を泣かしたら許さないって…」
「…奥村お前、酔ってる?」
「真面目に聞いてください。よくも光を…」
「おいおい光舟!お前酒弱いんだから飲むなっていっただろ〜!も〜!」
俺を威嚇する奥村を、瀬戸が慌てて回収する。奥村も酒弱いのか。血筋か?
「一也さん、何作ります?」
エプロンを取り、光は俺の服の裾を引っ張った。
「ああ、あいつらが持って来た惣菜がそこにあるから…」
俺も自分のエプロンを取り、ふたりでキッチンに入る。
「冷蔵庫にトマトと卵があったろ。それでスープでも…」
「トマトと卵…」
光は冷蔵庫を開き、中を覗きこんだ。
「一也さん、ちょっと…」
「ん?」
扉の影から俺を手招きする光。何か足りなかったか?隣に並んで冷蔵庫の中を除く。すると横から手が伸びてきて、俺の顎を引いたかと思うと――光が俺にキスをした。一瞬食まれた唇が、今更熱を帯びてくる。
「…おい、見られたら…」
焦った小声をこぼすと、光は口元に人差し指を立てた。
…俺、ますます振り回されてる気がするな。
光は卵のパックを取って、さっさと調理台に向かう。俺もトマトを袋ごと取出し、光の後を追った。
***
騒がしい連中がようやく帰り、部屋は静かになる。
風呂から上がると、リビングにも寝室にも光の姿はなかった。ちらりとベランダを覗くと、ようやく光の姿を見つけた。
俺はこっそり寝室からあるものを取ってきて、ベランダに出る。ドアの音がしても、光は振り向かない。近づいていくと――小さな鼻歌が聞こえてきた。綺麗な旋律。聴いたことの無い曲だ。見ると、光はイヤホンをしていて、それを繋いだスマホをポケットに入れていた。
無防備な背中。俺はそっと肩に触れ、そのまま抱きしめる。光は驚いたように振り向いて、はにかんだ。
「風邪ひくぞ。何聴いてんの?」
光はイヤホンを片方取り、俺の耳元にやる。俺はそれを受け取って、左耳に嵌めた。歌声のない静かなメロディーが流れてくる。
「今度の映画の主題歌です。私が歌うんですよ。」
「へぇー。どんな歌?ちょっと歌ってみて」
「やです。」
「えっ」
「完成してからのお楽しみ。」
そう笑う光の肩口に額をくっつける。光の甘い、柔らかいにおいがする。
「…いつまで抱きしめてるんですか?」
照れたように、でもからかうふうを装って、光は俺の腕をつつく。
「お前が風邪ひかないようにだよ。」
「ひきませんよ…まだ夜もあったかいし」
「風呂上りは油断するとやべーぞ。ほら、指先とかすぐ冷えるんだぞ。」
「あはは、もう…」
光の手を絡め取って、ぎゅっと握りしめ、もみくちゃにする。ふざけて抵抗するその手の――左手の薬指に、俺は手に隠し持っていたものを滑り込ませた。硬い感触に気づいたように、光は左手を翳して見て、息をのむ。
左手の薬指の指輪。夕日を受けて、キラキラ輝く、透き通った薄いブルーのダイヤモンド。
俺を振り返った光の、その瞳と同じ色。
「…婚約指輪。まだ、渡してなかったろ」
「だって……うそ……」
「プロポーズ…冗談だと思った?」
からかうように言うと、光は目に涙を浮かべて首を横に振り、俺に抱き着いてきた。
「…もうどこにも行くなよ」
心からの言葉を絞り出すと、光は頷いて、さらに強く抱きしめてきた。俺はその背中に手を回し、耳元に頬を摺り寄せる。
「次また別れるっつっても、却下するから。」
「…ふふっ」
涙交じりの笑い声がした。
「…ごめんなさい。」
その謝罪は、一方的に別れを切り出したことへのものなのか――倉持に抱かれたことへのものなのか。どっちでもいい。どうせ俺は、光を離せない。
「一也さん…」
ふと、光は身を少し離し、俺をじっと見上げた。
「好き」
独り言のように呟いて、俺の胸に顔を埋める。
「好きです…」
胸に頬ずりする小さな頭を見つめ、俺は顔に熱が集まった。
「…どうしたの、急に」
「…言い足りなくて」
光は、ぎゅう、と強く俺を抱きしめる。
「はぁ…」
物憂げにこぼれるため息。光はまた俺を見上げた。
「…キスして」
「ん」
要望に応え、触れるだけのキスをする。すると光は不服そうに俺を見つめ、頬を膨らませる。
「そうじゃなくて、もっと…」
「ん〜…」
ねだる光に胸の奥をくすぐられながら、俺はついつい悪戯心が膨れて口元を緩ませる。
「光がしてよ。」
「……。」
もの言いたげにじっと俺を見つめ返す光。さすがにしてくれねーかな、とあきらめかけた時。
光は俺の肩につかまって背伸びをし、唇を擦り付けた。おぉ…素直。俺は目を閉じ、ためらいがちな光の柔らかな唇を堪能する。小さな舌が俺の唇を舐め、入り込んでくる。はぁ、と吐息が漏れ、唇を濡らす。唇が重なるたびに、吐息が――声が漏れ聞こえる。舌を絡ませ、夢中になって――キスをした。
「…光、」
キスの合間の息継ぎで、俺は途切れ途切れに言った。
「…ベッド、行こう」
ちゅ、と音を立てて、光は唇を離す。
「一也さん…」
うっとりと俺を見て、そして、
「ごめんなさい…」
……え?
「今日…急にきちゃって」
「あぁ…そう…」
こ…こんなキスしておいて…。拷問かよ…。
「ちょっと寒くなってきましたね。中に入りますか?」
「…そーだな。」
がっくりとしながらも、夜風の冷たさから逃げるようにリビングに戻る。
「コーヒー淹れます?」
「あぁ…、いや、たまには飲まねえ?」
俺はワインボトルを取り出して聞いてみた。昼間先輩らがお祝いと称して置いて行ったものだ。
「いいですよ。」
光が頷いたので、ワイングラスを二つ持ってソファに並んで座る。そういや、光と飲むの初めてかも…。あんま強くないって聞いたけど…まぁワイン1杯くらいなら平気だろ。家だし、俺もいるし。
「はい」
ワイングラスに琥珀色の液体を注ぎ、光に手渡す。光はグラスを受け取ると、俺と乾杯をして、おそるおそると言った様子で少し舐めた。
「…おいしい」
「甘くて飲みやすいな」
…俺には甘すぎるけど。まぁ光は気に入ったようだからいいか。
にこにことワインを飲む光を眺めて幸せな気分に浸る。…もう顔がほんのりと赤くなっている。ほんとに弱いんだな。
「……。」
「……何?」
ふと、光が頬杖をついてぼうっと俺の顔を見上げていることに気付く。俺が尋ねると、光はとろんとした目でうっとりと、呟いた。
「…かっこいい…」
「……え?」
「…かっこいいなぁ…」
光が壊れた……。なんだこれ、光って酔うとこんなふうになるの?可愛すぎるんだけど…
「うふふふふ」
幸せそうに満面の笑みを浮かべて俺を見つめ続ける光。こ…こんな笑顔、素面の時は見たことがない。
「一也さん…」
「な…、何。」
「…エッチしたい。」
「ぶっ!!」
な…何を言い出すんだよ、突然。
「でも…できないや…生理中だもん…」
「そ…、そう」
「はぁ…」
「……。」
「…エッチって、誰としても気持ちいいわけじゃ…ないんですね」
「…えっ?」
「一也さんとするときは、いつも気持ちよかったから…知らなかった……」
ど…どういう意味!?俺、これ…喜ぶところ?
「…しょうがないか……倉持さん、初めてだった、みたいだし…」
あぁ…やっぱり倉持のことか…。ふ、複雑。
「でも……」
「……。」
「初めてを好きな人とできて、嬉しくて泣いちゃう…なんて…」
「……。」
「……私みたい。」
光は目を伏せ、しばらく沈黙し、少し顔を上げたかと思うと、俺を眩しそうに見つめた。
「……一目惚れは本能…」
「…え?」
何のことだ、と聞く前に、光はうつ向く。その華奢な肩に、俺はしばらく迷ってから触れた。
「…光?」
少し揺さぶると、その細い体は簡単に俺の方にもたれてきた。顔を覗き込むと――光は目を閉じ、静かに寝息を立てていた。
こりゃ…人前で酒は飲ませらんねーな。
光を抱き上げ、寝室へ運ぶ。ベッドに横たわらせ、布団をかけてその寝顔を見つめる。そうしたら、光がそこにいる実感があらためてはっきりとして、胸の奥から愛おしさがあふれ出た。膝をつき、髪を撫で、額にキスをする。そうしてからふと、朝の薄暗い病室で佇む倉持の姿が頭をよぎった。
あいつ、本当に――光のことを、愛してたんだな。あいつ…光を抱いて、泣いたのか。
きっと…俺も倉持も、同じくらい光のことを愛してる。今俺の隣に光がいることは…奇跡なのかもしれない。だけど…だから、俺はもう、彼女を離さない。
***
翌朝コーヒーを淹れていると、光が起きてキッチンにやって来た。淹れたてのコーヒーを渡すと、光はそれを受け取り、嬉しそうに口をつける。…昨日のこと、覚えてないっぽいな。
けれどその左手の薬指に、空色のダイヤモンドが輝いているのを見て、俺も頬を緩めた。
「なあ、近いうちにさ」
「?」
「挨拶…行かないとな。親に」
「あ…」
光は少し頬を染めた。
「そうですね…。」
そして結婚するという実感を味わうように、はにかみを堪えたような顔で俺を見た。
「…まあ、俺のとこは大歓迎だろうけど。」
「そう…だといいな」
「大歓迎だし大喜びだよ。…この間の試合の後から、早くつれて来いってうるさいんだから」
「…そうなんですか?」
「そーだよ」
うんざりしたように言うと、光はおもしろそうに笑う。
「問題は光のとこだよなぁ…俺殺されるんじゃね?」
「え?なんでですか…私の実家だって喜んでくれてますよ」
「え、だって光のお父さんって…」
記憶にある限り、あの父親が俺を歓迎するとは思えないのだが…。
「ああ…お父さんとはもう…縁が切れてるんです」
「…え!?」
「私が高校卒業した頃…お父さんに連れ戻されそうになったことがあって。お父さん、実家から追い出された後、相当大変だったみたいで…私を頼って来たんです。事務所が守ってくれたけど…それ以来、実家から完全に絶縁されたみたいです。手続きとかも全部綺麗にしておくから、私はもう、お父さんのことは忘れろって…叔母に言われました。」
「…それで…いいのか?光は」
「お父さんは…物心ついたときから、ほとんど会うこともなかったし…これでいいと思ってます。」
「それなら…いいけど。じゃあ今はもう、心配してることはないんだな?」
「はい。」
光が笑顔で頷いたのを見て、俺も微笑む。
「…ってことは俺、光の実家に挨拶って…」
「父方の祖父母と、叔母になりますね。」
「祖父母って…外国に家があるって言ってなかった?」
「はい、スイスに本家があって…」
「す、スイス!?」
「でも今はちょうど日本にいますよ。」
「え…そうなの?」
「はい。この時期は毎年、日本の別宅で過ごしてるんです。叔母は仕事の都合に合わせて、アメリカと日本の別宅を行き来してるけど…叔母も今は日本にいるはずです。」
「……別宅って…すげーな、いくつあんの?」
「やだ、5つだけですよ。」
「いっ……」
…うすうす感じてはいたけど、こいつ予想以上のとんでもないお嬢様なんじゃ…。
「挨拶、いつにしますか?」
無邪気な、天使のような笑顔で首をかしげる光。俺は苦笑して――覚悟を決めた。
「予定…確認しとくわ」