097
『御幸一也・玉城光 正式婚約発表』
コンビニの前でネットニュースの記事を眺め、コーラを喉に流し込む。写真にはスーツ姿の御幸と、淡いブルーのワンピース姿で、左手の指輪をカメラに向けてほほ笑む玉城さん。
両家へのあいさつも済ませたこと、式は来年おこなうこと、始球式でのプロポーズはサプライズでも何でもなく、御幸はあの日玉城さんが来ることを直前に知ったこと、2度の破局を乗り越えて、お互いに初恋の――最愛の相手とゴールインすること。記事にはそんな内容が書かれていた。書き添えられた文章によると、ネットでは、二人を祝福する声、羨む声、玉城さんのウエディングドレス姿を待ち望む声で溢れているらしい。
写真の中で…御幸の隣で微笑む玉城さんは、悲しくなるほどに綺麗で。…目の奥が熱くなった。
そのとき、眺めていた液晶画面が着信画面に切り替わり、俺は我に返る。…牧瀬か。
通話ボタンを押し、スマホを耳に当てる。
「はい倉持」
『おはようございます!牧瀬です』
「おー、何?」
『お借りしてたDVD、今から返しに行ってもいいですか?』
「あぁ、今出てんだけど…」
言いかけて、まぁ近所だしすぐ帰ればいいか、と思い直す。
「…いやなんでもない。大丈夫」
『外出中ならまた別の日でも…』
「いーよ、近所だし。もう帰るとこだし」
『わかりました、スイマセン。じゃあまた!』
「へいへい」
通話を切り、歩き出す。
今日はすっきりと晴れていて、なんだか気分も清々しかった。
***
マンションにつき、外階段を上がって、簡素な鉄扉に鍵を差し込む。ガチャリと軽い音を聞いて、鍵を引き抜き、ドアを開けた。少し冷たい空気の中に足を踏み入れる。薄暗い部屋。一人暮らしなんだから当たり前だ。
慣れた部屋のはずなのに――少し寂しく感じた。それを振り払うように、後ろ手にドアを引っ張る。
しかし軽いはずのドアに、ぐい、と変な抵抗を感じ、振り返る。その瞬間俺は、壁に押し付けられていた。
「……は?…っ」
何が何だか理解する前に、部屋に押し入ってきたその人物に――唇を押し付けられた。驚きで真っ白になる頭と――眼前にある顔を認識したとたんに蘇る嫌な記憶。
「…っおいやめろ!!」
細い体を押しのけると、その女――森田桃は、挑発するような笑みを浮かべて俺を見上げた。
「お前、なんで俺の家知ってんだよ…きもちわりい」
「…ひど。野球関係者に何人か知り合いがいるんですよ。」
「…なんで来た」
「なんでって…」
ふっ、とっ森田は嫌な笑みをこぼした。
「失恋した倉持さんを、慰めてあげようと思って。」
「…はぁ?」
「気に入らないんですよね…玉城光って。せっかく御幸さんと終わったと思ったのに…結婚とか。私たちのこと、見下してるんですよ。だから…私たちでくっついて、あいつら見返してやりましょう?」
「お前…やっぱ頭おかしいわ」
体を押しのけ、森田を見下ろす。
「こっちはお前の顔なんて見たくもねーんだよ。さっさと消えろ」
追い出そうと伸ばした手。森田はそれを掴み、自身の胸へ押し付ける。
「…あれ、もしかして」
俺の顔をじっと観察して、嘲笑を漏らす。
「童貞卒業したんですか?前はもっとオドオドして、可愛かったのに…」
「関係ねーだろ」
手を振り払い、玄関のドアの方へにじり寄る。
「つーか…お前じゃ勃たねぇんだよ」
森田の顔に初めて怒りが滲んだ。
胸ぐらをつかまれ、ドアに叩き付けられる。ゴツン、と鈍い音が玄関に響く。
「…じゃあ試してみる?」
森田は震える声で言い、俺の目の前で脱ぎ始めた。
その時――玄関のドアが開く。一瞬バランスを失って踏みとどまった俺の背中で、声がした。
「…倉持さん?」
牧瀬だ。安堵して振り返る。すると――きょとんと眼を丸くして立っている牧瀬の隣に、玉城さんの姿があった。
「えっ…森田?」
牧瀬が玄関の森田の姿を見つけ、声を上げる。やべえ…いや、俺は何も悪くない。けど、森田の格好を見て、こいつらに……玉城さんに、誤解されたくない。
「こいつがいきなり…」
言いかける俺の唇を、森田が無理やりキスで塞ぐ。
「ん……ぐ」
唇を引き結んで無理やり顔を背け、体を押し返す。しかし森田は満足そうに俺を見て、玉城を見た。
「この人、あんたのキープ君なんでしょ?」
森田は得意げに言った。
「私がもらったから。」
玉城さんはゆっくりと進み出て――森田の前に立ち、その顔をじっと見つめて――手を振り上げた。
パチン、と軽い音が通路に響く。呆然とする森田、何も言わず森田を見下ろす玉城さん、立ち尽くす俺と牧瀬。
「…お前!!」
森田が玉城さんに襲い掛かった。
「おいっ、やめろ!!」
咄嗟に止めに入ろうとする、俺の腕を…玉城さんは払った。
「え?」
森田が振り上げたこぶしを受け流し、懐にもぐりこみ、滑らかな動作で見事に関節を押さえ、壁に押し付け両腕を拘束する玉城さん。…鮮やか過ぎて呆然と見入ってしまった。
「す…すげえ…」
「光…高校の時のストーカー事件以来、徹底的に護身術習ってたから…」
思わずつぶやいた俺の隣で、同じように呟く牧瀬。ま…マジか。
「司、撮って。」
「えっ…?」
「早く。」
「は、はい」
はい、って…。いや、思わず従ってしまうのもわかるけど…。
牧瀬は服が乱れ拘束されている森田の姿を数枚撮った。
「と…撮ったよ。」
牧瀬が言うと、玉城さんは森田を解放する。介抱されるなり、森田は玉城さんを凄い形相で睨んだ。
「…このブス!!何すんだよ!!…っ訴えるから!!詐欺師!!ビッチ!!ヤリマン!!ブス!ブス!ブス!!!」
怒涛の罵倒を、玉城さんは涼しい顔で聞き続ける。
「お前なんてすぐ捨てられるに決まってる!!クソ女!!お前のせいで怪我した!!絶対訴えるから!!さっさと捨てられろ、ブス!!!」
…すげーしょうもねえ。
玉城さんは興味もなさそうに爪をいじり始めていたが、森田の言葉が途切れると、ちらりと目を上げた。
「終わりました?」
「……っ!!!」
だめだ、この勝負、結果が見えすぎてる。
森田もそれをついに認めたのか、震える小さな声で言った。
「……消して」
「え?何ですか?」
「…さっきの…写真!消して!」
「嫌です。」
「…消してよぉ!!!」
ぐちゃぐちゃに泣き出して玉城さんに縋りつく森田。玉城さんは簡単にそれを振り払うと、森田のバッグを拾い上げて、はだけたままの胸元に押し付けた。
「もう関わってこなければ、誰にも見せませんよ。」
「でもっ…」
「もう帰っていいですよ。」
森田は口ごもり、俺たちを見て…逃げるように去っていった。
「…倉持さん。」
「え…、あ、おう」
まだ呆然としている俺を、玉城さんは見上げる。
「すみませんでした…私のせいで、迷惑ばかりかけて」
「いや、俺は…」
「森田ももう…関わってこないと思いますけど、もし何かあったら連絡してください。」
「え?」
「奥の手を使うので。」
玉城さんはそう言って、牧瀬のスマホを指す。俺は思わず笑った。
「…ありがとな。」
色々な意味を込めてそう言うと、玉城さんは優しく、綺麗な微笑みを浮かべた。
コンビニの前でネットニュースの記事を眺め、コーラを喉に流し込む。写真にはスーツ姿の御幸と、淡いブルーのワンピース姿で、左手の指輪をカメラに向けてほほ笑む玉城さん。
両家へのあいさつも済ませたこと、式は来年おこなうこと、始球式でのプロポーズはサプライズでも何でもなく、御幸はあの日玉城さんが来ることを直前に知ったこと、2度の破局を乗り越えて、お互いに初恋の――最愛の相手とゴールインすること。記事にはそんな内容が書かれていた。書き添えられた文章によると、ネットでは、二人を祝福する声、羨む声、玉城さんのウエディングドレス姿を待ち望む声で溢れているらしい。
写真の中で…御幸の隣で微笑む玉城さんは、悲しくなるほどに綺麗で。…目の奥が熱くなった。
そのとき、眺めていた液晶画面が着信画面に切り替わり、俺は我に返る。…牧瀬か。
通話ボタンを押し、スマホを耳に当てる。
「はい倉持」
『おはようございます!牧瀬です』
「おー、何?」
『お借りしてたDVD、今から返しに行ってもいいですか?』
「あぁ、今出てんだけど…」
言いかけて、まぁ近所だしすぐ帰ればいいか、と思い直す。
「…いやなんでもない。大丈夫」
『外出中ならまた別の日でも…』
「いーよ、近所だし。もう帰るとこだし」
『わかりました、スイマセン。じゃあまた!』
「へいへい」
通話を切り、歩き出す。
今日はすっきりと晴れていて、なんだか気分も清々しかった。
***
マンションにつき、外階段を上がって、簡素な鉄扉に鍵を差し込む。ガチャリと軽い音を聞いて、鍵を引き抜き、ドアを開けた。少し冷たい空気の中に足を踏み入れる。薄暗い部屋。一人暮らしなんだから当たり前だ。
慣れた部屋のはずなのに――少し寂しく感じた。それを振り払うように、後ろ手にドアを引っ張る。
しかし軽いはずのドアに、ぐい、と変な抵抗を感じ、振り返る。その瞬間俺は、壁に押し付けられていた。
「……は?…っ」
何が何だか理解する前に、部屋に押し入ってきたその人物に――唇を押し付けられた。驚きで真っ白になる頭と――眼前にある顔を認識したとたんに蘇る嫌な記憶。
「…っおいやめろ!!」
細い体を押しのけると、その女――森田桃は、挑発するような笑みを浮かべて俺を見上げた。
「お前、なんで俺の家知ってんだよ…きもちわりい」
「…ひど。野球関係者に何人か知り合いがいるんですよ。」
「…なんで来た」
「なんでって…」
ふっ、とっ森田は嫌な笑みをこぼした。
「失恋した倉持さんを、慰めてあげようと思って。」
「…はぁ?」
「気に入らないんですよね…玉城光って。せっかく御幸さんと終わったと思ったのに…結婚とか。私たちのこと、見下してるんですよ。だから…私たちでくっついて、あいつら見返してやりましょう?」
「お前…やっぱ頭おかしいわ」
体を押しのけ、森田を見下ろす。
「こっちはお前の顔なんて見たくもねーんだよ。さっさと消えろ」
追い出そうと伸ばした手。森田はそれを掴み、自身の胸へ押し付ける。
「…あれ、もしかして」
俺の顔をじっと観察して、嘲笑を漏らす。
「童貞卒業したんですか?前はもっとオドオドして、可愛かったのに…」
「関係ねーだろ」
手を振り払い、玄関のドアの方へにじり寄る。
「つーか…お前じゃ勃たねぇんだよ」
森田の顔に初めて怒りが滲んだ。
胸ぐらをつかまれ、ドアに叩き付けられる。ゴツン、と鈍い音が玄関に響く。
「…じゃあ試してみる?」
森田は震える声で言い、俺の目の前で脱ぎ始めた。
その時――玄関のドアが開く。一瞬バランスを失って踏みとどまった俺の背中で、声がした。
「…倉持さん?」
牧瀬だ。安堵して振り返る。すると――きょとんと眼を丸くして立っている牧瀬の隣に、玉城さんの姿があった。
「えっ…森田?」
牧瀬が玄関の森田の姿を見つけ、声を上げる。やべえ…いや、俺は何も悪くない。けど、森田の格好を見て、こいつらに……玉城さんに、誤解されたくない。
「こいつがいきなり…」
言いかける俺の唇を、森田が無理やりキスで塞ぐ。
「ん……ぐ」
唇を引き結んで無理やり顔を背け、体を押し返す。しかし森田は満足そうに俺を見て、玉城を見た。
「この人、あんたのキープ君なんでしょ?」
森田は得意げに言った。
「私がもらったから。」
玉城さんはゆっくりと進み出て――森田の前に立ち、その顔をじっと見つめて――手を振り上げた。
パチン、と軽い音が通路に響く。呆然とする森田、何も言わず森田を見下ろす玉城さん、立ち尽くす俺と牧瀬。
「…お前!!」
森田が玉城さんに襲い掛かった。
「おいっ、やめろ!!」
咄嗟に止めに入ろうとする、俺の腕を…玉城さんは払った。
「え?」
森田が振り上げたこぶしを受け流し、懐にもぐりこみ、滑らかな動作で見事に関節を押さえ、壁に押し付け両腕を拘束する玉城さん。…鮮やか過ぎて呆然と見入ってしまった。
「す…すげえ…」
「光…高校の時のストーカー事件以来、徹底的に護身術習ってたから…」
思わずつぶやいた俺の隣で、同じように呟く牧瀬。ま…マジか。
「司、撮って。」
「えっ…?」
「早く。」
「は、はい」
はい、って…。いや、思わず従ってしまうのもわかるけど…。
牧瀬は服が乱れ拘束されている森田の姿を数枚撮った。
「と…撮ったよ。」
牧瀬が言うと、玉城さんは森田を解放する。介抱されるなり、森田は玉城さんを凄い形相で睨んだ。
「…このブス!!何すんだよ!!…っ訴えるから!!詐欺師!!ビッチ!!ヤリマン!!ブス!ブス!ブス!!!」
怒涛の罵倒を、玉城さんは涼しい顔で聞き続ける。
「お前なんてすぐ捨てられるに決まってる!!クソ女!!お前のせいで怪我した!!絶対訴えるから!!さっさと捨てられろ、ブス!!!」
…すげーしょうもねえ。
玉城さんは興味もなさそうに爪をいじり始めていたが、森田の言葉が途切れると、ちらりと目を上げた。
「終わりました?」
「……っ!!!」
だめだ、この勝負、結果が見えすぎてる。
森田もそれをついに認めたのか、震える小さな声で言った。
「……消して」
「え?何ですか?」
「…さっきの…写真!消して!」
「嫌です。」
「…消してよぉ!!!」
ぐちゃぐちゃに泣き出して玉城さんに縋りつく森田。玉城さんは簡単にそれを振り払うと、森田のバッグを拾い上げて、はだけたままの胸元に押し付けた。
「もう関わってこなければ、誰にも見せませんよ。」
「でもっ…」
「もう帰っていいですよ。」
森田は口ごもり、俺たちを見て…逃げるように去っていった。
「…倉持さん。」
「え…、あ、おう」
まだ呆然としている俺を、玉城さんは見上げる。
「すみませんでした…私のせいで、迷惑ばかりかけて」
「いや、俺は…」
「森田ももう…関わってこないと思いますけど、もし何かあったら連絡してください。」
「え?」
「奥の手を使うので。」
玉城さんはそう言って、牧瀬のスマホを指す。俺は思わず笑った。
「…ありがとな。」
色々な意味を込めてそう言うと、玉城さんは優しく、綺麗な微笑みを浮かべた。