読み切り短編集

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視界が開けると薄暗い部屋の中だった。使い古されて黒光りしている木のテーブルが部屋の真ん中にどっしりと座っている。その上には乾燥した草花や液体の入った小瓶、へんてこな実験器具のようなものが所狭しに置かれている。妙に生活感のある部屋だった。

「そこへ掛けろ。」

男が私の足元を示した。確かにそこには黒っぽい木の椅子があった。私はおそるおそるそこへ座った。男も椅子を持って来て私の傍に座った。すると、ぼうっ、と足元に火が起こり、驚いて肩を竦めると、すぐ隣の壁に暖炉があることに気づいた。火は、男が暖炉の中で起こしたのだった。私は理解すると胸をなでおろした。

「先程の戦い、見ていたが、おぬしはなかなかやるようだの。」

私の矢を易々と弾いた男に言われると、馬鹿にされている気がしないでもなかったが、私は冷静を保て黙っていた。

「武器は、弓……と、短刀……暗器だな。『鍵の番人』は、てっきり、紋章使いだと思っておったが。」
「……生きるために、一番役立つ技術を磨いただけ。」
「なるほどのう。紋章は役立たないと?」

シメオンは笑っていたが、ものすごい威圧感を備えていた。私は思わず目を逸らしそうになったが、いけない、と自分を奮い立て、まっすぐに彼の目を見つめ返した。

「紋章は、咄嗟に身を守れない。呑気に詠唱なんてしていたら、見つかる。それに紋章は目立つ。痕跡も消しづらい。敵に自分の居場所を教えているようなものだ。」
「ふむ……“紋章を使わぬ者”の言葉だのう。」
「……。」

確かに、私はこの男に出逢ってから一度も、紋章の発動を察知できていない。今の言葉は自分の未熟さを自ら認めているだけだった。顔が熱くなり、炎の灯りから逃げるように顔を背けた。
シメオンは黙ったまま、不敵な笑みを浮かべている。もう失礼する、と言って立ち上がろうと考えた。だが、突然胸に激しい痛みが走り、私は椅子から転げ落ちた。

「っ!?ぐ、うっ」

胸の真ん中から青白い光が溢れだしてくる。私はそれが、自分の血が流れだしているように見えて恐ろしくなった。必死で痛むところをおさえて蹲るが、痛みは治まりもせず誤魔化しもできない。

「少し干渉しただけでこのざまか。」

見上げると、シメオンが私を見下ろしていて、その右手の紋様が青白く光っていた。あの紋章で何かしたんだ。そうわかったときには、まるで全身が床に縛り付けられたかのように身動きが取れなくなっていた。

「し、シメオンさん!」

誰かがそう叫びながら飛び出してきた。その人は私に駆け寄り、肩を抱き上げてシメオンを見上げた。

「も、もういいじゃないですか!やめてあげてください!」
「まったく、わたしが呼ぶまで出てくるなと言っただろう」

呆れたようなシメオンの言葉の後、体を縛りつけていた何かの力が解けた。ぼやける視界の中、知らない青年が、心配そうに私に呼びかけていた――。



――目が覚めると辺りは相変わらず薄暗かった。暗い天井からつるされた曇りガラスの燭台がゆらゆらと揺れている。多分、ここはシメオンの家で、別室に移されたのだろう。そう考えていると、もぞっ、と胸元に動くものを感じた。見ると――見知らぬ青年が私の胸元の服を手をかけた――ところで、視線に気づいたのか、私を振り返って跳び上がった。

「ごっ、ごめん!違うんだ、変なつもりじゃなくて、ただ、あの、」

私は素早く起き上がり、慌てふためく青年の横っ面を引っぱたいた。青年は勢いで椅子から転げ落ち、床にたたきつけられた。それを横目に私は胸元のリボンを直し、ベッドを下りて部屋の中を見渡す。
入り口は一つ。掛け布の向こうを窺い見ると、先ほどの暖炉がある部屋があった。

「シメオンさんは出かけたよ。」

青年が赤く腫れた頬を抑えながら立ち上がった。私は無視して、部屋の中を歩き回る。干からびた木の根が入った瓶や、青い粉末がつつまれた麻布。乳鉢の中で砕かれた白い木の実に、手垢でボロボロの羊皮紙。
そうだ、羊皮紙。私は思い出して、懐に仕舞っておいた羊皮紙を探した。

「あ……そうだ、君が持っていたあの変な紙、シメオンさんが持って行ったよ。」

青年の思いついたような言葉で私はやっと青年を見た。きっと唖然とした顔だった。青年の顔が、やばい、というように歪み、自分が青年を睨みつけていることに気づいた。

「どこへ」
「へっ?」
「あいつ、どこへ行ったの」
「さ、さあ……何も言わずに行っちゃったから」

狼狽える青年を見て、それは事実だとわかった。ならばこれ以上問い詰めても無意味だと、私は靴を履いて部屋を出た。

「ちょ、ちょっと……」

慌ててついてくる青年を放って、暖炉の部屋の中を歩き回り、自分の武器を探す。弓どころか懐に忍ばせていた短刀もなくなっているから、隠されたに違いない。しかし家中を探しても、矢の一本すら見つからなかった。

「私の武器はどこ?」

青年に詰め寄る。おとぎ話の王子様のように穏やかで美しい造形の顔と柔らかな金髪をもつ青年は、その碧眼を彷徨わせた。

「いや……知らない……」

苦しげな声で視線を彷徨わせる先を見ると、本棚があった。私が笑みを浮かべると、青年はさっと顔を青くした。どうやら隠し事は苦手なようだ。
私は本棚に近づいて、周りをよく確かめた。一見何の変哲もない本棚だ。分厚い本がぎっしりと詰まっている。その一冊一冊をよく確かめていくと、ひとつ、薄いブルーの不思議な背表紙を見つけた。それだけが不自然に浮き上がっているようにぼやけてみえるのだ。その本に手を伸ばすと、青年が慌てて飛び出してきた。

「だ、だめだ、それは――!」

この反応を見る限り、これが何かの仕掛けであることは間違いない。私は青年に制止される前に、咄嗟にその背表紙に触れた。するとその振れた指先から、まるで凍りつくように体が固まって、動けなくなった。青年の「ああ……」とあきらめたようなため息が響く。そちらを睨みつけることもできず、私はただただ腹が立った。シメオンの罠にまんまとはまってしまった自分が情けない。なんとかして罠を解かなければ――

「仕方ないなあ……」

青年がゆっくりと近寄ってくる足音が聞こえる。

「拘束を解くけど、もう好き勝手に動かないでよ?……って、返事できないか……」

ぶつぶつと言いながら、青年が私の肩に軽く触れた。その直後、ふっと体が軽くなり、私は自由に動けるようになっていた。青年を見ると、その胸元が金色の光を放っていた。やがてその光もおさまり、私は我に返った。

「今の……」
「やっと僕の話を聞いてくれるね。」

青年は安堵した様子で私に暖炉の前の椅子を勧めた。私が言われた通りにすると、青年は先ほどシメオンが座っていた椅子に腰かけた。

「君は『鍵の番人』なんだろ。僕もそうなんだ。もっとも、君は『開ける』力で、僕は『閉じる』力なんだけどね。」
「……。」
「何が何だかわからないって顔してるね。とにかく、僕らは君の敵じゃない。それだけは信じて。君も、今までずっと狙われてきたんだろ。僕は1年前シメオンさんに助けられて、弟子入りしたんだ。」
「どうして?あんな怪しい人。」
「シメオンさんはすごい人だよ。素晴らしい紋章使いだ。彼がいなければ、僕はこの……鍵の力に囚われてしまっていただろう。」
「囚われる?」

私は自分の胸元に手を当てた。ここに宿る力は、私の知る限り静かなもので、これを狙ってくる者はいても、私からしたら手に余るどころか持っていなくても変わらないものだった。

「こんな力、使いようがないのに?」
「それは、君が使い方を知らないからだよ。」

私がむっとするのを見て、青年ははっと息をのんだ。見た目に反して気の弱い青年だ。

「とにかく、その力を持つ者として、使い方を知らなきゃならない。これは義務なんだ。君も、シメオンさんに弟子にしてもらえるよう頼んだ方がいいよ。僕も一緒にお願いするから……」
「嫌。どうしてあんたの話を信じないといけないの?私は一人で平気。こんな得体の知れない力、一生使うつもりないから」

一生、と言ったところで、青年が目を丸くしたが、私は特に追求しなかった。

「あいつは、すぐにここへ帰ってくるの?」
「シメオンさん?うん、いつも出かけても、夜には帰ってくるよ。」

青年の言葉で窓の外を見ると、まだ太陽は真上にあった。私はあてつけがましいため息を吐いた。

「よかったらお茶でも……あ、」

青年を無視して、私は部屋の中を好き勝手歩き回った。何か意に反さないと癪だったからだ。青年はこの家の住人であるくせに肩身を狭そうにしてお茶を入れ始めた。

「ねえ、自己紹介がまだだったよね。」

青年はお茶とお茶菓子をそろえていそいそと歩み寄ってきた。私は勝手に棚の中の戦術書を読みながら適当な相槌を打った。

「僕は、イルス。よろしく。」

そう言ってイルスはお茶を注いだ湯呑を差し出した。私は湯呑を一瞥すると、イルスを睨みつけた。

「馬鹿なの?飲むと思う?」
「え?のど、乾いてない?」

イルスが悲しそうに言ったので、私は呆れて肩を竦めた。

「馬鹿ね。毒が入ってない証拠がないでしょうと言ってるの。あんたが今ここで毒見をするなら、飲んであげてもいいわ。」
「ど……毒?」

イルスは驚いたが、おそるおそるお茶に口をつけた。ごくり、と喉が一度なり、その後イルスに何の変化もないことを確かめて、私は湯呑を受け取った。

「毒なんかいれないよ。」

ほれ見た事かと言わんばかりに、急に強気な口調でイルスが言った。私はお茶を一口飲んでから彼を振り返る。

「どうかしら。気絶している女の服を脱がそうとする奴なんて、信用できないもの。」

そう言いかえすと、イルスは顔を真っ赤にして硬直した。

「ち、ちがうよ、あれは、君の胸の紋章が、光ったから……。ぼ、僕、自分の対の力を持つ君に……たったひとりの仲間の君に会えたことが嬉しくて。確かめたかったんだ……」

私は返事をしなかった。どうにかしてこの青年を困らせてやりたかったのだ。しかし青年は予想以上にずんと落ち込んで、私の機嫌を窺うようにそわそわと視線を彷徨わせた。こうなってしまうと、なんだか悪いことをしている気がして、ほんの少し罪悪感を覚えた。

「……ねえ、そろそろ君の名前も教えてよ。」

私の機嫌を損ねないよう気を付けているような柔らかい口調で、イルスは尋ねた。

「……シリラ。」

私はため息交じりに答えた。

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