読み切り短編集

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それから10年——。


「もうすぐ卒業だね。」

目の前に座り、ティーカップをソーサーに戻しながら微笑む青年。
彼はここラズリルの領主、フィンガーフート家の嫡男、スノウ・フィンガーフート。

「そうね。」

しとやかに微笑みを返すと、彼は満足そうに笑みを深めた。
私とイルスは数年前、シメオンの下での修行に区切りをつけ、ここラズリルにやってきた。目的は真の紋章のひとつ、「罰の紋章」。この地にただならぬ紋章の気配を感じてやってきたのだった。
しかしここはガイエン公国の領土で海上騎士団がおかれた島。小さな島にしては警備がきつく、旅人として上陸して長居すると怪しまれてしまう。そこで私とイルスは海上騎士団の見習いとして入団試験を受け、今日まで訓練を積んできた。
そして数日後、卒業試験の為の哨戒訓練が行われる。

この潜入作戦には誤算があった。
ひとつは、スノウ。私は彼に気に入られてしまった。
入団から間もなくしてお茶に誘われるようになり、彼の家でのパーティーにも招待された。
今までのらりくらり交わしてきたが、卒業して一人前騎士になることを目前として、最近は彼の真剣度が上がり、イルスが心配している。

そしてもう一つの誤算は…

「カイも一緒に卒業できるよう、父上に頼んだんだ。よかったよ、彼は僕の親友だからね。」
「…そうね」

カイ。
幼いころラズリルで拾われ、フィンガーフート家に引き取られた孤児。
私は彼に…恋をしてしまった。
誰にも言っていない。たぶん、イルスも気づいていない。
カイは誰よりもまじめで、勇気があり、そして優しい。寡黙な性格とは裏腹に、深いターコイズブルーの瞳はいつも何かを見据えているように聡明な光をたたえている。
潜入して気づいたことだが、カイの方がスノウよりもはるかに人の上に立つ資質が備わっている。周りを見ているし、人を思いやれる。判断力も素晴らしいし、臨機応変に対応できる。騎士団長も、スノウよりもカイを評価しているように感じる。
けれどスノウが領主の息子であること、そしてカイがそんな領主の家に引き取られて育ててもらった孤児であることから、スノウよりも上の立場となる艦長やリーダーには任命できない空気だ。

「なあ、卒業して、僕たちが一人前の騎士になったらさ…」
「……。」

スノウが少し身を乗り出した。彼の心臓の音がここまで聞こえてきそうなほどだ。

「……。その…。」
「何?」
「…ひ、ひとつ確認なんだけど。君って、イルスと仲がいいけど…恋人とかじゃ、ないんだよね?」
「違うよ。」
「だ、だよね。そう言ってたよね。」

こほん、とスノウが仕切りなおすように咳払いをし、いよいよ決心したように姿勢を正した。
それを遮るように、私は口を開いた。

「イルスに限らず私…恋人はいらないと思っているから。」
「え?」

スノウは豆鉄砲を食らったような顔をして、少し青ざめた。

「そ、それは…どうして?」
「人を好きになったことがないし…興味もないし。今は自分が一番大事。卒業試験も、まだ合格と決まったわけではないし。恋愛よりも今は、戦術とか、紋章学とか、航海術を学ぶ方が楽しいから。私はまだまだ未熟で、卒業できたからと言って、一人前だなんて胡坐はかけないし。」
「……。」

スノウは茫然と私の言葉を聞いたあと、自嘲気味に笑った。

「そうか……。」
「うん…」

しばらく静寂が流れた。
私は紅茶を飲み干して、財布を取り出した。

「ごめんなさい。この後用があるの。もう行かないと。」
「あ、そっか、いやいいんだ。ここは僕が。いいから、行って。」
「そう?ありがとう。」

私は微笑んで、財布をしまい、スノウを置いて店を出た。
薄暗い店内から一歩外に出ると、そこは南国。太陽が石畳の道を真っ白に照らし、私はまぶしさに目を細めた。

「シリ!」

ずっとそこにいたのか、道の向こうからイルスが駆け寄ってきた。ブロンドの髪が日差しのなかできらきら光っている。

「あいつ、何だったの?大丈夫か?」
「大丈夫。イルス、ずっとここにいたの?」
「いや、さっき通りかかって、見かけて…」
「心配性だね」

歩き出した私の隣を、イルスが並んで歩き始めた。

「なんでついてくるの?」
「なんとなくだよ。どうせ館に戻るんだろ?」
「まあね。」
「じゃあ、いいじゃんか。」
「あまり付きまとわないでよ。ただでさえ変な噂されてるんだから」
「だってシリ、すぐ男に絡まれるじゃないか。」

イルスがそう言った時、すれ違った島の娘たちがイルスを見てきゃあきゃあ声を上げ、話をしたそうに見つめてきた。声をかけてこなかったのは、隣に私がいたからだろう。イルス一人だったら、すぐに囲まれていたに違いない。

「どっちが…。」
「な、なんだよ?」
「ううん別に。」
「それより、あいつのことどうするんだよ。最近すごくしつこいだろ。卒業訓練でも、シリを同じ班に入れさせたり…」
「シリって呼ぶのやめてって言ったでしょ。」
「それは癖で…って、話そらすなよ。」
「だから大丈夫だって言ってるでしょ…、」

気配を感じて振り向くと、イルスも険しい顔をして立ち止まっていた。

「…あいつらかな?」
「さあ…」

私とイルスの持つ紋章を狙って、付け狙う者たちがいる。ここラズリルで過ごしている間も、何度か刺客に狙われては、返り討ちにしていた。騎士団がおかれている島だから、さすがに向こうも目立つ騒ぎは避けているおかげで、今日まで周りには気取られずに過ごせてきたが…。
私はイルスに目配せし、路地裏に入り込んだ。狙い通り、背後についてくる殺気。やはり刺客だ。

「――鍵の番人だな?」

背後から響く声。私たちが振り返ると、黒づくめの男が5人、武器を構えてじりじりと詰め寄ってきていた。

「鍵を渡してもらおう。」

その言葉を合図に襲い掛かってくる刺客たち。イルスが前へ出て迎え撃とうとするが、ひとりで5人を相手するにはさほど時間は稼げない。かと言ってここで普通に戦って大立ち回りをすると騒ぎを聞きつけた人が集まってきてしまう…。私は後方で素早く紋章を詠唱した。

「わが真の理なる…」

その言葉を聞いた途端、刺客だけでなくイルスまでもがぎょっと目を剥いて私を振り返った。

「ま、まさかここで鍵を使う気かッ…!?」
「クソッ、逃げろ…!!」
「待てシリ!!ここでそれをつかったら…!!」

「…なんちゃって。」
「…え!?」

手のひらに収束させた魔力を前方に放つ。これは体に宿した紋章の力を介することなく放つ、自らの魔力の身で発動させる魔法。シメオンに従事して身に着けた力だ。彼も私も自らの持つ魔力の性質が同じ『水』だったおかげで、色々な魔術を教わった。

「うわあああっ!?」

足元から一瞬で凍り付き、氷の彫像のように固まった刺客たちを見て、イルスはもの言いたげに私を振り返った。

「こんなところで力を使うわけないでしょう。それに、詠唱の時間稼ぎが必要だったの。」

鍵の力を使うと考えれば、刺客たちはこちらに突っ込んでくることはないと思った。イルスは不服そうにしながらも、口をつぐんで剣を鞘に収めた。

「とにかく、はやいとこ後始末をしよう。こんな氷の彫像、誰かに見られたら――。」

そう言いかけて、イルスは、凍ってもいないのに固まったように動きを止めた。その視線の先にいる人物を見て…私も固まった。

「あ……。」

私たちを見つめたまま、そして、腰の剣の柄に手を置いたまま、呆然と立ち尽くしている人物。
それは、カイだった。

まずい。

とっさに目配せをする私とイルス。沈黙を破ったのは、カイだった。

「二人のあとを、怪しい奴らがつけていくのが見えて…。でも、助けは必要なかったみたいだけど」

カイはスイッチでも切り替えたように落ち着き、淡々と言った。
聞きたいことはいろいろあるはずだ。私は訓練生の間、一度もこんなに強力な魔法を使ったことはなかった。右手に宿した水の紋章を、ちょっと使える程度の能力を装っていたのだ。それだけじゃない。鍵のことや、刺客のこと…イルスとの会話をどこまで聞いたのか。まだ、緊張は解けていなかった。

「…何も聞かないよ。」

するとカイは、静かに私たちを見つめたまま冷静な態度で言った。

「あ、でも、僕が見たこともまずいのかな?誰にも話すつもりはないんだけど…」

あまりにも物分かりのいいカイに、私もイルスも調子を狂わされてしまった。
どちらにせよ、私たちはカイを武力で黙らせることはできない。だって、彼こそが…罰の紋章の継承者となる人物だから――。

「…いや、そうしてくれると…助かるよ。」

イルスがそう言うのを、私は止めることもできなかった。

「一つだけ言っておくけど…俺もシリも、この島で危ないことをしようとしてるわけじゃないんだ。誰かを危険にさらすつもりもない。ただ…平和に暮らしたいだけなんだ」

イルスの言葉に、カイは穏やかな海のようなほほえみを浮かべた。

「うん。ふたりがいい奴だってことは、僕も知ってるから。」

そう言ってカイは、じゃあ、と踵を返して港の方に歩いて行った。
私とイルスは顔を見合わせ、安堵と脱力感の混じったため息を長く吐いた。

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