011
『ドーンガード・クライスト女学院』
――中世期の英国に誕生した修道院から発祥した、英国で最も歴史ある女学院のひとつ。その名の通り「ドーンガード(夜明け)」をもたらす「クライスト(救世主)」となるべく、女性がまだ学問を十分に受けられなかった中世において貴族階級における女子の貴重な学問の場としてレートン家により設立された。
当学院は全寮制および教師も全員女性という完全なる女の園。年に一度の公開礼拝の日以外は男子禁制であり、学生も年末年始以外に学院外へ出ることは禁止されている。
女学生たちの制服は時代に従って変容している。一番新しいものは中世の女性貴族の気品を残しながらも現代風にシンプルにアレンジされたワンピース型のもので、胸のリボンタイと頭につけるカチューシャの色で生徒の能力の分類をしている。一般の生徒は黒、成績優良者は青、その中で特に成績の優秀さ・淑女に相応しいふるまい・学年内での選挙を経て選ばれた1名の生徒はホワイト・ブレインと呼ばれ、白と区別されている。白いリボンは全ての学生の憧れであり、これを受け取った生徒は生徒会のリーダーを任命されたり、公開礼拝にてアリアを歌ったり、高等部への進学時に様々な面で優遇される。
また、このリボンの色は学院名「夜明けの救世主」のように、優秀と認められれば認められるほど明るい色となり、白が最上位とされるが、近年では多様化や個々の個性を大切にしようという働きから、特にリーダーシップがある者に赤、特別な偉業をなした者には緑、と2色のリボンが新たに追加された。
「……はー……」
スゲーお嬢様じゃん。すんげーお嬢様じゃん。別世界じゃん。なんだこれ…全寮制の男子禁制女学院?最上位の白いリボン?公開礼拝でアリア?アリアってあのオペラの?
意味わかんねぇ…貴族?貴族なのアイツ?
なんで青道来たの?
「御幸ー、いるか?」
無遠慮なノックの後、部屋のドアが開いた。
「おい、ノックの意味ねえよ」
俺は部屋に入ってくる倉持を振り返って言う。
「何だよ?エロ動画でも見てたのか?ヒャハハ」
「あーうんそうそう。で、何の用?」
「チッ…つまんねぇ奴だな。明日のことなんだけど」
明日はオフだ。文化祭のミスターコンで優勝した俺は、無事クラスにプール無料招待券をプレゼントできた。クラスメイトがいつ行くかは知らないが、俺と倉持はオフが明日しかないため、明日プールに行かざるを得ない。
「お前浮き輪とかボールとかなんか持った?」
「んなもん持ってねーよ。」
「あぁ?役に立たねぇな…」
「つかそんなもん使うの?倉持って案外おこちゃ…」
「あ!?なんつったテメェ」
「まだ言い切ってねぇよ」
倉持は舌打ちをしてどっかと床に座り不貞腐れる。
「つーかなんでお前なんかとプールに…」
そう呟いて、口を噤む。本来の目的を隠すように。俺だって別に倉持とプールに遊びに行くほど仲良しとは思っていないし、行きたくもない。だけど…。ミスコンに優勝した玉城は、東条と一緒にプールに行くだろう。そして東条のオフは俺たちのオフ。つまり明日。ということは、明日、玉城もプールに来る…。
…と、倉持も考えているはずだ。
「チッ。まぁいいわ。じゃまた明日」
「お〜、オヤスミ〜」
倉持は余計なことを言う前にとでも思ったのか、そそくさと部屋を出て行った。
夜は更けていく。
***
夏休みも終わり9月の中旬に入ったプールはかなり空いていた。
倉持と二人、更衣室から室内プールに入ると、こもった塩素のにおいが鼻を突いた。人のまばらな室内には、大型プールの一画にだけ、人が集まっている場所があり、とても盛り上がっている。
「司それ何食べてるの?」
「かき氷のレモン!」
「え〜、いいなぁ、私も買ってくる」
「あ、ちょっと待った光!東条く〜ん!ついてってあげて!」
たった今プールサイドに手をつき、水面から滑らかに上がってくる白い背中、くびれた腰、ハリのある小さなお尻、柔らかそうな太もも…。た、玉城だ…!しかも、黒っぽい花柄の…ビキニ…。
「東条のクラス…全員で来たのか?クラス仲良すぎだろ…」
倉持が呟き、プールサイドには彼らの会話が響いてくる。
「あはは!東条まだTシャツ着てるみたい!」
「そこは突っ込むなよ〜。」
「夏休み中毎日練習だったの?」
「基本的にはね。応援とか練習試合もあったけど…」
プールサイドを歩いてくる玉城と東条。玉城……。お…思ってたより…デカい。谷間が…揺れてる…。
「…あ!!」
俺と目が合った東条の顔がぎくりとした。隣の玉城は眉間を寄せた。
「こ…こんにちは!」
礼儀正しく挨拶する東条。
「なんでいるんですか?」
嫌悪感たっぷりの目で俺を睨む玉城。
「ミスターコン優勝したから!」
「なんでよりによって今日…」
「あのな。東条も俺らも野球部なの。東条のオフは、俺らもオフ。」
「……。」
玉城はムッとして黙り込む。
…谷間ヤベェ。直視できない。
「…でも…関係ないもん…」
玉城が腕を組んで、寄せあげられる胸…。つい、ごくり、と唾を飲みこんだ。
「行こ!東条」
「え、あ、失礼します!」
玉城は東条の腕を引っ張って歩いて行った。その後姿も…背中から腰に掛けてのライン、キュッと締まったお尻、長く絶妙な肉付きの脚…。息をのむほどスタイル抜群…。
「…やべぇ…」
「…あぁ…」
つい倉持と意気投合してしまうほど、玉城は抜群のプロポーションだった。
***
『プール内安全点検のため、プールから上がり10分ほどお待ちください。』
場内アナウンスを聞きながらプールサイドに座る。プールを挟んだ向こう側には、クラスメイト達から少し離れてふたりで並んで座り、楽しそうに喋っている玉城と東条。
「あれ付き合ってんだろ…」
倉持が面白くなさそうに呟き、立ち上がった。
「便所」
そう呟いて、更衣室の方へ歩いて行った。少しすると東条も立ち上がり、どこかへ歩いていく。…玉城がひとりだ。けど…行ったところで無視されて逃げられるよな、どうせ。
そう思っていると、玉城の元に二人組の男が歩いていくのが見えた。玉城は男に声をかけられ、一瞬見上げて、無視するように俯く。…ナンパか?何やってんだよ…早くクラスメイトのとこに逃げればいいのに…。
もどかしく見ていたが、男が玉城の腕を掴んだ瞬間、俺は立ち上がっていた。
「おい!」
大股歩きで近づいていくと、男たちは玉城から少し離れ、ヤベッ、と目配せをする。
「あ…彼氏と来てたんだ〜…」
「ご…ごめんね〜…」
へらへら笑いながら去っていく男たち。玉城はその背中を少し睨んで、膝を抱えてむくれた顔で顎を載せた。
「バカ。」
そう呟いて、は?と俺を見上げる玉城の隣にどかりと座る。
「あーゆー奴に絡まれたらすぐ助け求めろよ。近くに友達もいるんだから」
「……。」
玉城はぐっと押し黙って、また前を向いた。
「…あんなにしつこいと思わなかったんだもん」
「迂闊だなぁ〜」
「……なんなんですか。バカにしに来たんですか?」
「違うよ。謝りに来た。」
「…はぁ?」
思い切り顔を顰めて俺を睨み、ため息を吐く玉城。コロコロ表情が変わって面白い。
「全然謝る態度じゃないし…」
「だって悪いことしたとは思ってねーモン」
「は?もう、意味わかんないんですけど。」
「東条と付き合えば良いじゃんって言ったらお前、怒ったじゃん。けど俺、悪いこと言ったつもりねーし。本当にそう思ったから。」
「……。」
「だからなんでお前が怒ったのか、実は全然わかんないんだよね。でも嫌われちゃったのは嫌だから謝る。」
「……。」
「ごめリンコ♪」
「…謝る気あるんですか?」
フン、とそっぽを向く玉城。そんな横顔でさえ可愛くて胸が苦しくなってしまうのだから仕方がない。
「まぁそう怒るなって!玉城ちゃん♪せっかくの可愛い顔が台無し…でもねーけど、笑った方が可愛いぜ〜」
「…なんなの?」
「え?」
「私のこと避けてましたよね。」
玉城は勢いに任せたようにそう言った。そして言った後で、一瞬後悔したように息を飲んだ。
「…なのになんでまた…」
「ごめん。」
「……。」
「それは確かに俺が悪かった。確かに避けてたよ。」
「…どうしてですか?」
「どうしてかなぁ〜?」
本当の理由を言うのはダサすぎるから、わざと茶化して誤魔化した。玉城は鬱陶しそうに俺を睨んで前を向いた。
「御幸先輩って…自分勝手なんですね」
「わははは!よく言われる!」
「そうでしょうね…」
「……。」
「……。」
沈黙が降りた。そういや…まだ無視もされてなければ逃げられてもない。嫌われてはいるけど…ちゃんと話してくれてるな。珍しい。
「玉城ちゃんって東条のこと好きなの?」
「…それが何か御幸先輩に関係ありますか?」
つれない態度。
「あるんだなぁ〜、これが…」
「なんでですか?」
「気になるから!」
「……。」
呆れたように俺を一瞥し、目を逸らす玉城。ここまで呆れられてるといっそ開き直れる。
「全然関係ない…」
玉城はため息交じりに言った。
「誰が好きだって…」
その呟いた横顔が、なぜかすごく悲しそうに見えた。
「なになに?どういう意味?」
「…別に」
「またそれか〜」
「……。」
「なんか悩み事?」
「だから…御幸先輩には関係ない…」
「じゃあそれ、関係あるヤツになら言えんの?」
玉城は息を飲んで黙り込んだ。
「どっちも無理なら、カンケー無い俺に愚痴っちゃえば?」
「……。」
ちらり、と玉城の目が俺を見る。
「…引きますよ、多分」
「へーっ、めっちゃ気になる!」
「……。」
「別に俺に引かれたって気にならないだろ?教えてよ。」
「……。」
玉城は迷って、俯いて、それから他人事みたいにその言葉を口にした。
「…高校を卒業したら…」
「?」
「…結婚するんです、私」
…は?
「だから…関係ないんです、誰が好きでも」
頭が真っ白になった。
え?結婚?…って、あの結婚?いったい誰と?どうして?いつから決まってた?
「だ…」
「……。」
「誰と?」
「…知らない人」
「はぁ?…冗談だろ?」
「そう思うなら…そう思ってれば」
「ちょ…なんだよそれ。真面目に教えろって!」
「……。」
「東条とか…いつも一緒にいる友達は?知ってんの?」
「…言えるわけないでしょ」
玉城はそういい捨てて、立ち上がった。
「司!真!」
そして逃げるように俺に背を向けて、クラスメイト達の方へ行ってしまう。
安全確認終了のアナウンスが鳴って、また人々が楽しそうにプールに入って行って、その中で笑う玉城の姿は、いつもなら見惚れるほど綺麗なのに…なぜか酷く痛々しく見えた。
***
――高校を卒業したら…結婚するんです、私…
つまり…玉城に振り回されてる場合じゃないと避けたりしてうじうじしてる場合じゃなくて…どんなに彼女を振り向かせようと頑張っても、絶対に手に入らないという事…。
出会った時からずっと、永遠に…。
なんだよそれ…
じゃあどうして出会ったんだ?どうしてこんなに惹かれるんだ?ただこんな気持ちになるためだけに出会ったって言うのか?意味のない出会いだったのか?どうにもならないのか?本当に…?
…って、こんなこと必死で考えてる時点で…俺、相当玉城のこと好きになってたんだな…。
考えないように…避けようとして、余計に考えちまってる。
「御幸」
ファンタを片手に歩いてきた倉持が俺を呼び止めて、はっとした。
「沢村の奴まだ投げてるみたいだぜ」
練習場の方を指して言う倉持にため息交じりに頷いた。
「ああ…後で声かける」
「この雨だから走るのを止めたらこれだよ。ったく…明日は試合だってのに」
だからこそ…収まらねーんだろうけどな…。いや、倉持もそんなことはわかってるか。
「うん いつもより低めだったよね!」
「だよな?どーりで…」
通路の角から盛り上がりながら現れた東条と金丸。ふたりは俺と倉持を見つけるといつものように礼儀正しく挨拶した。
「あ…お疲れ様です!」
「お疲れ様です!」
「おう、お疲れ。」
東条…。玉城のあの話…本当に知らねーのか…?
「東条。」
「はい!」
なんだろう?ときょとんとする東条の顔に、俺は尋ねる。
「お前いつ玉城に告んの?」
「え…え!?なっ…なんですか、急に…!」
完全に不意を突かれて赤くなり、東条は動揺してはにかむ。
「っていうか、告るとか別に、そんなんじゃ…」
「何言ってんだよ…明日も応援来てくれんだろ?」
「いやそれは…!別にそういうのじゃないから…!」
金丸の思わぬ裏切りに東条は慌てて金丸と俺を交互に見た。
「へぇ〜、明日来るんだ?玉城。」
「き、来ますけど…」
「地方予選の1回戦…球場も近くねーのに。お前のために、わざわざ?」
「い、いえ…あの…」
「これで告らねーとかヘタレすぎない?お前」
「な…!ち、違いますよ!」
違くねーだろ…。お前が言えば、もしかしたら玉城だって…せめて、好きな奴と…。
「けどお前…玉城のことは好きなんだろ?」
「……。」
顔を赤くして、目を瞬いて、驚いたように俺を見つめ返す東条。
「それとも…今のポジションで満足してんのか?」
玉城から好意を寄せられ、他の男よりもずっと近くにいる。だけど、核心的な言葉はないまま――。
「御幸お前…どした?」
倉持が気味悪げに言うのを無視して、俺は踵を返した。
「くっつくならさっさとくっつけ。玉城も待ってると思うぞ…」
「え…。」
…これでいい。
玉城…。知らない奴と結婚なんて…どんな事情があるのか知らねぇけど、せめて卒業するまでは――お前の好きな東条と一緒に居ればいいじゃねぇか。そうすれば俺も…前だけを向ける。
***
「おい、玉城さん来てるぞ」
「ああ…東条の応援だろ?」
球場前、にわかにざわつく選手たち。玉城は学校中の有名人だし…東条との仲は野球部中の噂だ。
ちょっと振り向くと、パッと目を引く玉城の姿。黒いふんわりとしたシャツにスキニージーンズ。スタイルの良さが際立ち、決して派手ではないのに人混みの中でも際立って目立つ。驚くほどの整った容姿とスタイル、そして立ち居振る舞いと纏っている雰囲気…。
「…あ〜…やっぱめっちゃ可愛い…」
「付き合ってんだろ?ホントは」
「でも東条は否定すんだよなー」
あっ、とそれまで物憂げだった表情に笑顔を浮かべる玉城。
「東条〜!頑張ってねー!」
「ありがと!」
手を振り合う二人。どこからどう見ても恋人同士。はあ〜ぁ、とわざとらしいため息をチームメイトからぶつけられ、苦笑する東条。
玉城は友達と球場へ入って行く。
雨は降り止む気配もない。
――中世期の英国に誕生した修道院から発祥した、英国で最も歴史ある女学院のひとつ。その名の通り「ドーンガード(夜明け)」をもたらす「クライスト(救世主)」となるべく、女性がまだ学問を十分に受けられなかった中世において貴族階級における女子の貴重な学問の場としてレートン家により設立された。
当学院は全寮制および教師も全員女性という完全なる女の園。年に一度の公開礼拝の日以外は男子禁制であり、学生も年末年始以外に学院外へ出ることは禁止されている。
女学生たちの制服は時代に従って変容している。一番新しいものは中世の女性貴族の気品を残しながらも現代風にシンプルにアレンジされたワンピース型のもので、胸のリボンタイと頭につけるカチューシャの色で生徒の能力の分類をしている。一般の生徒は黒、成績優良者は青、その中で特に成績の優秀さ・淑女に相応しいふるまい・学年内での選挙を経て選ばれた1名の生徒はホワイト・ブレインと呼ばれ、白と区別されている。白いリボンは全ての学生の憧れであり、これを受け取った生徒は生徒会のリーダーを任命されたり、公開礼拝にてアリアを歌ったり、高等部への進学時に様々な面で優遇される。
また、このリボンの色は学院名「夜明けの救世主」のように、優秀と認められれば認められるほど明るい色となり、白が最上位とされるが、近年では多様化や個々の個性を大切にしようという働きから、特にリーダーシップがある者に赤、特別な偉業をなした者には緑、と2色のリボンが新たに追加された。
「……はー……」
スゲーお嬢様じゃん。すんげーお嬢様じゃん。別世界じゃん。なんだこれ…全寮制の男子禁制女学院?最上位の白いリボン?公開礼拝でアリア?アリアってあのオペラの?
意味わかんねぇ…貴族?貴族なのアイツ?
なんで青道来たの?
「御幸ー、いるか?」
無遠慮なノックの後、部屋のドアが開いた。
「おい、ノックの意味ねえよ」
俺は部屋に入ってくる倉持を振り返って言う。
「何だよ?エロ動画でも見てたのか?ヒャハハ」
「あーうんそうそう。で、何の用?」
「チッ…つまんねぇ奴だな。明日のことなんだけど」
明日はオフだ。文化祭のミスターコンで優勝した俺は、無事クラスにプール無料招待券をプレゼントできた。クラスメイトがいつ行くかは知らないが、俺と倉持はオフが明日しかないため、明日プールに行かざるを得ない。
「お前浮き輪とかボールとかなんか持った?」
「んなもん持ってねーよ。」
「あぁ?役に立たねぇな…」
「つかそんなもん使うの?倉持って案外おこちゃ…」
「あ!?なんつったテメェ」
「まだ言い切ってねぇよ」
倉持は舌打ちをしてどっかと床に座り不貞腐れる。
「つーかなんでお前なんかとプールに…」
そう呟いて、口を噤む。本来の目的を隠すように。俺だって別に倉持とプールに遊びに行くほど仲良しとは思っていないし、行きたくもない。だけど…。ミスコンに優勝した玉城は、東条と一緒にプールに行くだろう。そして東条のオフは俺たちのオフ。つまり明日。ということは、明日、玉城もプールに来る…。
…と、倉持も考えているはずだ。
「チッ。まぁいいわ。じゃまた明日」
「お〜、オヤスミ〜」
倉持は余計なことを言う前にとでも思ったのか、そそくさと部屋を出て行った。
夜は更けていく。
***
夏休みも終わり9月の中旬に入ったプールはかなり空いていた。
倉持と二人、更衣室から室内プールに入ると、こもった塩素のにおいが鼻を突いた。人のまばらな室内には、大型プールの一画にだけ、人が集まっている場所があり、とても盛り上がっている。
「司それ何食べてるの?」
「かき氷のレモン!」
「え〜、いいなぁ、私も買ってくる」
「あ、ちょっと待った光!東条く〜ん!ついてってあげて!」
たった今プールサイドに手をつき、水面から滑らかに上がってくる白い背中、くびれた腰、ハリのある小さなお尻、柔らかそうな太もも…。た、玉城だ…!しかも、黒っぽい花柄の…ビキニ…。
「東条のクラス…全員で来たのか?クラス仲良すぎだろ…」
倉持が呟き、プールサイドには彼らの会話が響いてくる。
「あはは!東条まだTシャツ着てるみたい!」
「そこは突っ込むなよ〜。」
「夏休み中毎日練習だったの?」
「基本的にはね。応援とか練習試合もあったけど…」
プールサイドを歩いてくる玉城と東条。玉城……。お…思ってたより…デカい。谷間が…揺れてる…。
「…あ!!」
俺と目が合った東条の顔がぎくりとした。隣の玉城は眉間を寄せた。
「こ…こんにちは!」
礼儀正しく挨拶する東条。
「なんでいるんですか?」
嫌悪感たっぷりの目で俺を睨む玉城。
「ミスターコン優勝したから!」
「なんでよりによって今日…」
「あのな。東条も俺らも野球部なの。東条のオフは、俺らもオフ。」
「……。」
玉城はムッとして黙り込む。
…谷間ヤベェ。直視できない。
「…でも…関係ないもん…」
玉城が腕を組んで、寄せあげられる胸…。つい、ごくり、と唾を飲みこんだ。
「行こ!東条」
「え、あ、失礼します!」
玉城は東条の腕を引っ張って歩いて行った。その後姿も…背中から腰に掛けてのライン、キュッと締まったお尻、長く絶妙な肉付きの脚…。息をのむほどスタイル抜群…。
「…やべぇ…」
「…あぁ…」
つい倉持と意気投合してしまうほど、玉城は抜群のプロポーションだった。
***
『プール内安全点検のため、プールから上がり10分ほどお待ちください。』
場内アナウンスを聞きながらプールサイドに座る。プールを挟んだ向こう側には、クラスメイト達から少し離れてふたりで並んで座り、楽しそうに喋っている玉城と東条。
「あれ付き合ってんだろ…」
倉持が面白くなさそうに呟き、立ち上がった。
「便所」
そう呟いて、更衣室の方へ歩いて行った。少しすると東条も立ち上がり、どこかへ歩いていく。…玉城がひとりだ。けど…行ったところで無視されて逃げられるよな、どうせ。
そう思っていると、玉城の元に二人組の男が歩いていくのが見えた。玉城は男に声をかけられ、一瞬見上げて、無視するように俯く。…ナンパか?何やってんだよ…早くクラスメイトのとこに逃げればいいのに…。
もどかしく見ていたが、男が玉城の腕を掴んだ瞬間、俺は立ち上がっていた。
「おい!」
大股歩きで近づいていくと、男たちは玉城から少し離れ、ヤベッ、と目配せをする。
「あ…彼氏と来てたんだ〜…」
「ご…ごめんね〜…」
へらへら笑いながら去っていく男たち。玉城はその背中を少し睨んで、膝を抱えてむくれた顔で顎を載せた。
「バカ。」
そう呟いて、は?と俺を見上げる玉城の隣にどかりと座る。
「あーゆー奴に絡まれたらすぐ助け求めろよ。近くに友達もいるんだから」
「……。」
玉城はぐっと押し黙って、また前を向いた。
「…あんなにしつこいと思わなかったんだもん」
「迂闊だなぁ〜」
「……なんなんですか。バカにしに来たんですか?」
「違うよ。謝りに来た。」
「…はぁ?」
思い切り顔を顰めて俺を睨み、ため息を吐く玉城。コロコロ表情が変わって面白い。
「全然謝る態度じゃないし…」
「だって悪いことしたとは思ってねーモン」
「は?もう、意味わかんないんですけど。」
「東条と付き合えば良いじゃんって言ったらお前、怒ったじゃん。けど俺、悪いこと言ったつもりねーし。本当にそう思ったから。」
「……。」
「だからなんでお前が怒ったのか、実は全然わかんないんだよね。でも嫌われちゃったのは嫌だから謝る。」
「……。」
「ごめリンコ♪」
「…謝る気あるんですか?」
フン、とそっぽを向く玉城。そんな横顔でさえ可愛くて胸が苦しくなってしまうのだから仕方がない。
「まぁそう怒るなって!玉城ちゃん♪せっかくの可愛い顔が台無し…でもねーけど、笑った方が可愛いぜ〜」
「…なんなの?」
「え?」
「私のこと避けてましたよね。」
玉城は勢いに任せたようにそう言った。そして言った後で、一瞬後悔したように息を飲んだ。
「…なのになんでまた…」
「ごめん。」
「……。」
「それは確かに俺が悪かった。確かに避けてたよ。」
「…どうしてですか?」
「どうしてかなぁ〜?」
本当の理由を言うのはダサすぎるから、わざと茶化して誤魔化した。玉城は鬱陶しそうに俺を睨んで前を向いた。
「御幸先輩って…自分勝手なんですね」
「わははは!よく言われる!」
「そうでしょうね…」
「……。」
「……。」
沈黙が降りた。そういや…まだ無視もされてなければ逃げられてもない。嫌われてはいるけど…ちゃんと話してくれてるな。珍しい。
「玉城ちゃんって東条のこと好きなの?」
「…それが何か御幸先輩に関係ありますか?」
つれない態度。
「あるんだなぁ〜、これが…」
「なんでですか?」
「気になるから!」
「……。」
呆れたように俺を一瞥し、目を逸らす玉城。ここまで呆れられてるといっそ開き直れる。
「全然関係ない…」
玉城はため息交じりに言った。
「誰が好きだって…」
その呟いた横顔が、なぜかすごく悲しそうに見えた。
「なになに?どういう意味?」
「…別に」
「またそれか〜」
「……。」
「なんか悩み事?」
「だから…御幸先輩には関係ない…」
「じゃあそれ、関係あるヤツになら言えんの?」
玉城は息を飲んで黙り込んだ。
「どっちも無理なら、カンケー無い俺に愚痴っちゃえば?」
「……。」
ちらり、と玉城の目が俺を見る。
「…引きますよ、多分」
「へーっ、めっちゃ気になる!」
「……。」
「別に俺に引かれたって気にならないだろ?教えてよ。」
「……。」
玉城は迷って、俯いて、それから他人事みたいにその言葉を口にした。
「…高校を卒業したら…」
「?」
「…結婚するんです、私」
…は?
「だから…関係ないんです、誰が好きでも」
頭が真っ白になった。
え?結婚?…って、あの結婚?いったい誰と?どうして?いつから決まってた?
「だ…」
「……。」
「誰と?」
「…知らない人」
「はぁ?…冗談だろ?」
「そう思うなら…そう思ってれば」
「ちょ…なんだよそれ。真面目に教えろって!」
「……。」
「東条とか…いつも一緒にいる友達は?知ってんの?」
「…言えるわけないでしょ」
玉城はそういい捨てて、立ち上がった。
「司!真!」
そして逃げるように俺に背を向けて、クラスメイト達の方へ行ってしまう。
安全確認終了のアナウンスが鳴って、また人々が楽しそうにプールに入って行って、その中で笑う玉城の姿は、いつもなら見惚れるほど綺麗なのに…なぜか酷く痛々しく見えた。
***
――高校を卒業したら…結婚するんです、私…
つまり…玉城に振り回されてる場合じゃないと避けたりしてうじうじしてる場合じゃなくて…どんなに彼女を振り向かせようと頑張っても、絶対に手に入らないという事…。
出会った時からずっと、永遠に…。
なんだよそれ…
じゃあどうして出会ったんだ?どうしてこんなに惹かれるんだ?ただこんな気持ちになるためだけに出会ったって言うのか?意味のない出会いだったのか?どうにもならないのか?本当に…?
…って、こんなこと必死で考えてる時点で…俺、相当玉城のこと好きになってたんだな…。
考えないように…避けようとして、余計に考えちまってる。
「御幸」
ファンタを片手に歩いてきた倉持が俺を呼び止めて、はっとした。
「沢村の奴まだ投げてるみたいだぜ」
練習場の方を指して言う倉持にため息交じりに頷いた。
「ああ…後で声かける」
「この雨だから走るのを止めたらこれだよ。ったく…明日は試合だってのに」
だからこそ…収まらねーんだろうけどな…。いや、倉持もそんなことはわかってるか。
「うん いつもより低めだったよね!」
「だよな?どーりで…」
通路の角から盛り上がりながら現れた東条と金丸。ふたりは俺と倉持を見つけるといつものように礼儀正しく挨拶した。
「あ…お疲れ様です!」
「お疲れ様です!」
「おう、お疲れ。」
東条…。玉城のあの話…本当に知らねーのか…?
「東条。」
「はい!」
なんだろう?ときょとんとする東条の顔に、俺は尋ねる。
「お前いつ玉城に告んの?」
「え…え!?なっ…なんですか、急に…!」
完全に不意を突かれて赤くなり、東条は動揺してはにかむ。
「っていうか、告るとか別に、そんなんじゃ…」
「何言ってんだよ…明日も応援来てくれんだろ?」
「いやそれは…!別にそういうのじゃないから…!」
金丸の思わぬ裏切りに東条は慌てて金丸と俺を交互に見た。
「へぇ〜、明日来るんだ?玉城。」
「き、来ますけど…」
「地方予選の1回戦…球場も近くねーのに。お前のために、わざわざ?」
「い、いえ…あの…」
「これで告らねーとかヘタレすぎない?お前」
「な…!ち、違いますよ!」
違くねーだろ…。お前が言えば、もしかしたら玉城だって…せめて、好きな奴と…。
「けどお前…玉城のことは好きなんだろ?」
「……。」
顔を赤くして、目を瞬いて、驚いたように俺を見つめ返す東条。
「それとも…今のポジションで満足してんのか?」
玉城から好意を寄せられ、他の男よりもずっと近くにいる。だけど、核心的な言葉はないまま――。
「御幸お前…どした?」
倉持が気味悪げに言うのを無視して、俺は踵を返した。
「くっつくならさっさとくっつけ。玉城も待ってると思うぞ…」
「え…。」
…これでいい。
玉城…。知らない奴と結婚なんて…どんな事情があるのか知らねぇけど、せめて卒業するまでは――お前の好きな東条と一緒に居ればいいじゃねぇか。そうすれば俺も…前だけを向ける。
***
「おい、玉城さん来てるぞ」
「ああ…東条の応援だろ?」
球場前、にわかにざわつく選手たち。玉城は学校中の有名人だし…東条との仲は野球部中の噂だ。
ちょっと振り向くと、パッと目を引く玉城の姿。黒いふんわりとしたシャツにスキニージーンズ。スタイルの良さが際立ち、決して派手ではないのに人混みの中でも際立って目立つ。驚くほどの整った容姿とスタイル、そして立ち居振る舞いと纏っている雰囲気…。
「…あ〜…やっぱめっちゃ可愛い…」
「付き合ってんだろ?ホントは」
「でも東条は否定すんだよなー」
あっ、とそれまで物憂げだった表情に笑顔を浮かべる玉城。
「東条〜!頑張ってねー!」
「ありがと!」
手を振り合う二人。どこからどう見ても恋人同士。はあ〜ぁ、とわざとらしいため息をチームメイトからぶつけられ、苦笑する東条。
玉城は友達と球場へ入って行く。
雨は降り止む気配もない。