トン、トン、トン――

階段を下りてくる軽やかな足音がして、何気なく見上げると、玉城の姿があった。一瞬戸惑って、この至近距離で気付かないふりをするのも不自然だよなと思い直し、また顔を上げる。

「よお玉城…」
「……。…わっ」

玉城は思いつめたような顔で階段を下りてきて、そのまま俺にぶつかるまで気付かなかった。ぽかんと俺を見上げる玉城にちょっと顔が熱くなる。な…何か一瞬、めっちゃいい匂いした…

「…す すみません…」

珍しく睨みもせずにそう言うと、玉城はそのまま歩いて行った。…この上って…屋上だよな。けど、鍵がかかってて踊場までしか行けないはず。あいつこんなところで何を…

…すると、また足音がして、今度は男子生徒が階段を下りてきた。悲しそうな、悔しそうな顔をして、ちょっと泣きそうな顔で…。…あれ、こいつ、隣のクラスの奴じゃん…話したことないけど。
男子生徒は俺を一瞥すると、そのまま教室の方へ歩いて行った。

…もしかして…告白?
けど、あの様子じゃフラれたみたいだな。そりゃそうか、玉城は…婚約者がいるんだし…。

……。



***


「C組の大野、1年の玉城光に告ってフラれたらしいぜ」

その日の食堂はそんな噂で盛り上がっていた。

「えぇ大野が!?」
「あいつモテるのにな」
「サッカー部のエースだよな?イケメンの」
「いつも女子がキャーキャー言ってる」

盛り上がっていた空気が、だんだんと沈んでいく。

「あいつでもフラれるとか…」

誰かがそう呟くと、また別の誰かが呟いた。

「いや むしろ…玉城さんは顔で判断したりしねえんだよ!」

「いや…っていうか…やっぱ東条と付き合ってんじゃね?」

ざっ…と東条に注がれる視線。東条は困ったように赤面し、ひきつった顔で首を横に振る。

「ち、違います!ほんとに…」

先輩たちの疑いの眼差しを浴びながら、食べ辛そうに白米を詰め込む東条。

「お前まだ告ってねーの?」

構わず無遠慮に尋ねると、東条は盛大にむせこんだ。隣の金丸が背中を叩いて水を差し出してやっている。

「さっさと告っちまえよ〜何やってんだよ」
「や、む、無理ですよ!」
「なんで?こんだけ周りを騒がせてるくせに」
「た 玉城は…俺のことそんな風に見てないですし…」

大注目を浴びてさらに赤面し、東条は俯いた。

「いやホレてるだろ絶対…」
「試合見に来るといつも東条東条言ってるしな…」

言われてるぞ、と金丸につつかれて、東条は苦笑してはぐらかす。

「いやでもほんと…本人がそう言ってたんで」
「え!?お前のこと好きじゃないって?」
「あんなにベタベタしてんのに?」
「お、俺のことって言うか、えっと…誰とも付き合わないし、そういうの興味ないって…」

食堂が静まり返った。

「…でもそれ東条は別って意味じゃねぇ?」
「どーせそうだよな…」

ひそひそと勝手なことを言う先輩たちに参ったように俯く東条の背中を見て、俺は玉城の事を想った。
興味ないって…そんな風に周りには言ってんのか…。
ほんとは…あんなに悲しそうな顔するくらい、思いつめてるくせに…。


***



七森戦を終え、今週末は鵜久森戦。部内の空気は最悪で、その中心には自分がいて。
どうしたものかと考えながら、頭の片隅で玉城のことを考えていた。
七森戦、見に来なかったな…。土日の試合はほぼ毎回来てたのに。まあ、どうせ東条の応援だけど…。

「あ!御幸先輩!」

そんなふうに昼休みに廊下で悶々としていたら、慌てた様子の卯月と鷹野に呼び止められた。

「光見ませんでした!?」
「見てねーけど…」
「えー!!もー、どこ行ったんだろ…」

心配そうに顔を見合わせる二人。ただ事ではなさそうだ。

「玉城どうかしたの?」
「それが〜、4限目に体調不良で保健室に行ったんですけど〜…」
「様子見に行ったらいなくて、教室にも戻ってこないんです。」
「電話も出ないしメールも来ないし〜…」
「東条君が電話しても出ないんです」

「そ、そう…」

やっぱ東条ってクラス内でもそういう扱いなんだ…。

「授業前には戻ってくるんじゃね?」
「そうかもしれないですけど〜…」
「でもお弁当は教室に置いたままだし…」
「それに今日はちょっと様子がおかしかったんですよね〜」
「おかしかったって?」
「心ここに非ずというか…」
「覇気がないっていうか〜」
「ふーん…」
「…あ!話込んじゃってスイマセン!じゃ、失礼しま〜す」
「失礼します!」

ふたりは慌てた様子でまた走っていった。様子がおかしい…ね。
気にならないわけじゃないけど…どうせ俺が電話したってなぁ…。東条すら連絡つかないのに。
そう思いながら携帯を取出し、玉城の連絡先を開く。結局、電話したのだって、決勝前のあの一度きりだし…どうせ出ないんだから、一応鳴らしてみるか?
発進画面に切り替わり、呼び出し中という文字をぼーっと眺めた。…………。……ほらな、やっぱり出ない……

その時パッ、と画面が切り替わり、通話中という文字が表示され、数字が刻まれていくのを見て一瞬目を疑った。
慌てて耳に当てると、電話の向こうは無音が続いていた。

「………た…玉城?」
『……。』

聞いてる…のか?繋がってるよな?これ。通話中だし…

「もしもし。聞こえてる?」
『……はい』

返事が返ってきて、ドキリと心臓が跳ねた。
東条の電話にも出なかったらしいのに…なんで俺の電話に出たんだろう。

「…今どこ?教室?」
『……。』
「…じゃないよな?さっきお前の友達が俺のとこ来たんだけど…お前のこと探してたぞ。」
『……はい』

はいって…。どういう意味?大丈夫なのか…?

「で…今どこ?」
『……。』
「学校内にはいるんだろ?」
『…今…司たちに、会えない』

声…震えてる…。な、泣いてんのか?

「誰にも言わないから…どこにいるか教えて。」
『……。』

少しの沈黙のあと、小さな声が返ってきた。

『……西校舎の…裏』

…夏休みに会ったあの場所か…。

「わかった。そこにいろよ。」
『……。』

返事はなかったけど、電話を切って携帯をポケットに突っ込み、俺は階段を駆け下りた。渡り廊下から校舎の外に出て走りながら、何で走っているのかおかしな気持ちになった。こういうの、柄じゃないんだけど…。でも…玉城と連絡がついたのが俺だけだなんて思うと、不謹慎ながら喜びが湧き出てきて、俺は校舎裏に急いだ。
校舎の角を曲がって進んでいくと、非常階段の下で座って俯せている女子生徒を見つけた。いた…玉城だ。

「よお…どうしたんだよ?」

隣に座って声をかけても、玉城は人形のように固まって動かなかった。
どうしたものかと頬を掻く。最近慣れないことばかりだ…ナベ達のこともそうだし。人の悩みを聞くとか寄り添うとか…俺には向いてねーんだよ。ナベに言ったことも間違いだとは思っていない。ナベが辞めたいと思っているなら引き留める権利は俺にはないし、今の玉城のことだって…。
つい最近までの俺なら、そんな風に考えてただろう。泣いている玉城を前にして、実際かなり動揺している。だけど、ゾノに言われた言葉…本当に辞めたい奴が相談なんか持ちかけてくるかって…。倉持にも…辞めたい奴がこんなノート取ってくるかって言われて…その言葉にははっとさせられた。だから…今の玉城が俺の電話にだけは出たのだって、何か理由があるはず…。今の俺にはそう思える。

「玉城?」
「……。」

玉城は鼻を啜って、俯いたまま肩を震わせて、震える声で言った。

「……もう…疲れた…。」
「……。」

ず…随分深刻そうだな…。何で俺の電話に出たんだろ…。東条の方が適任のよーな気が…。

「…なんかあったの?」

玉城はようやく、ゆっくりと顔を上げた。唇を噛んで頬を涙で濡らしたその顔は、一瞬時が止まったように思えるほど、おれの目に焼き付いた。玉城の泣き顔がすごく綺麗で…だけど、こっちまで胸が痛くなるほど、悲しみに歪んでいたから。
玉城は頬を手のひらで拭って口を開いた。

「もう覚悟してたけど…」
「…?」
「覚悟…してた……はずなのに」
「……。」
「…昨日、婚約者に…会ったら、…もう、…っ」

こらえきれない様子で涙を零し嗚咽を漏らす玉城。どうしていいかわからず呆然とする俺。ど…どうすればいいんだ?背中擦ったりしていいのか?いや、でもな…。あーもう、泣いてる女子の宥め方なんてわかんねーよ…。

「婚約者って…そもそもなんでそんな話に?」
「…ずっと決まってたんです。子供の頃から…お父さんの会社の人と結婚するって」

それって…政略結婚ってやつ?

「やっぱ玉城って…すげーとこのお嬢様なの?」

聞く話全てが別世界の話だ。俺には縁のない、現実味のないドラマみたいな話。

「……いえ」
「……。」

いや…多分そうだろ…。

「でもイギリスにいた頃の学校…何て言ったっけ。あそこもすげーお嬢様学校なんだろ?」
「……。」
「一人だけ選ばれる白いリボンとかもさ…玉城って何者なの?なーんて…」
「あれは…リボンは…私の実力じゃないですから」
「え?」
「本当は成績上位5名の、明るい青のリボンをもらうはずだったんです…。なのに…」
「…?」
「…友達が…わざと試験でミスをして…私に白いリボンを譲ってくれたんです」
「…なんで?」
「私が、日本にいけるように…」

…???

「よくわかんねーんだけど…詳しく話してくれない?」
「…最優秀学生には…奨学金と就学期間中の生活費が支給されるんです。そうしたら、自分のお金で高校に通えるし、希望すれば留学もできる。3年間自由に過ごせる。それを辞退することは、他の学生たちにも学校にも失礼な行為で、顰蹙を買うことになります。本当なら私は高等部進学せず、家でマナーを学んで、16歳になったら結婚する予定でした。だけど…最優秀学生に選ばれれば、学校の顔を立てるためという名目で進学できる。結婚を先延ばしにできる。日本に留学すれば、婚約者とだって滅多に会わなくていいし…。だから…学年で一番優秀だった友達が…私の為にわざと、試験を落としたんです。」
「……。」
「それまで試験はその子が1位で、私は2位になるはずでした…。それなのにその子は、最後の歌の試験で…わざと咳込んで…」
「……。」
「いままでそんなこと…なかったのに。先生もわかってるはずなのに。皆、私の為に…白いリボンをくれたの」

そんなことがあって、日本に…。

「…良い人たちだな。」

こくん、と頷く玉城。

「でも…結婚が無くなったわけじゃない…。皆がそんなことをしてまで、日本に来させてくれたのに…。私、何やってるんだろうって思って…。」

思ってた以上に重い悩みだな…正直俺にできることはきっとない。事情はまだ分からないこともあるけど、玉城自身、八方ふさがりだからこんなに悩んでるんだろうし…。

「その…結婚って、どうしてもしなきゃいけないのか?」
「…お父さんは、会社を他人に渡したくないんだと思います。だから…」

婿養子を取って会社を継がせる…か。マジでドラマの世界だな。

「でも、玉城にだって選ぶ権利はあるだろ。玉城の人生なんだから…」
「…お父さんが…私の希望なんて聞いてくれるわけ、ないですから」

どんな父親なんだ…。めちゃくちゃ厳しいのか?

「けど…嫌なんだろ?」

異国の地に逃げてくるくらい…。

「でも…どうしようもないじゃないですか」
「本当にそうか?」
「え…?」
「もったいねーよ。玉城せっかく成績優秀だし………美人、だしさ」
「……。」
「卯月たちも…多分東条も、今頃心配してるぞ。お前が悩んでれば、一緒に悩んでくれる人間はたくさんいる。それって人望があるってことだろ。」
「……。」
「だからさ…もったいねーよ、ほんと。父親だろーと…お前の人生くれてやるなんてさ。それって、お前のこと思ってくれてる人たちの気持ちも捨てることになるんだぞ。」
「……。」
「だから…もっと頼ってみろよ。一人で抱え込まないで…。日本に来たときみたいに、皆で協力して、何かできることがあるかも知れねーじゃん。俺だって、何かできることがあるなら…って思うし…」

…だんだん恥ずかしくなってきた…。なんか真面目に語って説教臭くなっちまった。玉城黙り込んだままだし…どうしよ。これでよかったのか?

「…どうでもいいって言われると思った」

玉城が不意にぽつりとつぶやいた。

「…は!?俺はそんな人でなしじゃねーぞ、さすがに!」
「そ、そうじゃなくて…。…笑い飛ばしてくれたら…私もどうでもよくなるかなって…。御幸先輩なら、大したことじゃないって…言ってくれるような気がして」
「…だから俺の電話に出たの?」
「…はい」

じゃあ…期待裏切っちゃってるじゃん、俺。大真面目に説教かましちゃったし…。

「…どうでもいいわけないだろ、お前がこんなに悩んでんのに」
「……。」

玉城はいつのまにか涙が止まった赤い目で俺を不思議そうに見つめた。

「なんでそんな疑わしげな目するんだよ。」
「…そ そういうわけじゃ…」

けど…俺にだけ、こんなこと話してくれるなんて…。
なんか…嬉しい、かも。

「つーか…さ」
「…?はい」
「婚約者って…どんな奴だったの?」
「……。」
「泣くほどヤな奴だったのか〜?」

泣き顔をからかうように言うと、玉城はちょっと憂いを帯びた目で空を見つめて、呟いた。

「絶対に、一生、愛せない人」

「……。」

そう言った玉城の横顔が大人びていて、俺は急に自分がすごくガキみたいに思えた。
自分の結婚のことなんて…もちろん真剣に考えたことなんてまだないけど、好きでもない奴としてもいいなんてさすがに思わない。どうせなら…いや、当然、好きな人と結婚したい。誰だってそうだ。
当たり前のその気持ちを、玉城は押し殺して生きてきたんだ…。

なんとかしてやりたい…。胸の奥にくすぶる焦燥を言葉にすると、それがしっくりときた。だけど、どうやって?それに、こんな風に思う自分にも戸惑う。
俺はまだ高校生で…今玉城のためにできることなんて何もない。

「…ありがとうございます」
「え?」

なにが?
目を丸くする俺に、玉城は微笑んだ。久しぶりに見た…こんな笑顔。

「もうちょっと…頑張ってみます」
「…?」
「日本に送ってくれた…皆の為にも」

立ち上がってどこか清々しく微笑む玉城に、俺も微笑みを浮かべ、頷いた。

 


ALICE+