最近調子がいい。

「玉城〜」

廊下でロッカーから辞書を取り出している後姿を見つけ、声をかけると、玉城は振り返って微笑んだ。

「御幸先輩。こんにちは」

いや〜、玉城が俺に笑顔を向けてくれるようになって…ホント嬉しい。長い道のりだった…。

「次 英語?」

玉城が手に持っている赤い英和辞典を見て尋ねると、はい、と彼女は頷いた。

「なあ、この間の試合来てくれたんだって?」
「あ…はい、でも少ししか見られなくて」
「ちゃんと俺の活躍見た?」

冗談交じりに言うと、ふふふ、と可笑しそうに口元を抑えて笑う玉城。かわい〜な〜。なんかすげーいい感じじゃね?

「玉城!問2のB…」

教室から問題集を片手に飛び出してきた東条が、俺を見つけてぽかんとした。

「あ…御幸先輩!お疲れ様です」

そう言って、迷うように俺と玉城を交互に見る。戸惑ってる戸惑ってる…。それまで自分が一番玉城と仲が良かったのに、と動揺しているのが手に取るようにわかる。

「問2のB?」

玉城が訊ね返すと、東条は遠慮がちに問題集を差し出した。

「あ…うん、俺今日ここ当たるんだ。これで合ってる?」
「えーと…うん。合ってるよ。」
「よかった!さんきゅ」

東条は問題集を閉じて、また俺を一瞥し、迷うように立ち尽くした。立ち去るかどうか迷っているんだろう。玉城はロッカーの鍵を閉め、一言も言葉を発さない俺と東条を不思議そうに見つめる。

「あの…」
「光〜!!」

玉城が何か言いかけた瞬間、突然誰かが玉城の背後から抱きついた。

「あ〜〜、超いいにおい…」

…卯月だ。抱き着いたまま玉城の髪に顔を埋めて匂いを嗅いでいる…。こいついつもこんななのか…。隣では鷹野が呆れたような目を向けている。

「…変態みたいだからやめて」

玉城もうんざりしたように呟いて、卯月の腕を解こうとした。しかし卯月は抵抗するようにがっちりと玉城に抱き着き、甘えるように背中にぐりぐりと顔を埋める。

「変態でいいも〜ん。あ〜キャンプ楽しみ!!絶対一緒の班になろうね!!絶対だよ!!」
「はいはい…」
「きゃ〜〜やった〜〜!!」

卯月はそう叫んで、突如、玉城の胸を鷲掴みにした。

「光とお風呂に入れる〜〜!」
「ちょっ…!や やめ…」

揉みしだかれる胸…。手の中でその形がはっきりとわかって、俺は咄嗟に目を背けた。背けた先で、真っ赤な顔をした東条と目が合った。

「不純な動機だな〜」

鷹野が呆れたように言う声がした。

「当たり前じゃん!だってこの巨乳を生で…!」

卯月が顔を上げ、はっと固まった。

「えっ…御幸先輩いたんですか!?やだー!!私変態だと思われちゃうじゃん!!」
「事実じゃん…」

漸く解放された玉城が疲れ切った様子で呟いた。

「御幸先輩違いますからね!?私いつもこんなことしてるわけじゃないですから!!」
「いつもしてま〜す」
「ちょっと司 黙って!!」
「嘘はよくないよ〜嘘は」
「引かれちゃうじゃん!」

鷹野と卯月はキャーキャー言いながら教室に入って行った。そ…騒々しい。特に卯月。

「もー…」

玉城はため息を吐いて、おもむろに胸の横あたりに指をあて、ぐいっと下着を押し下げた。大胆…いや、無意識か。

「真〜また光ちゃんにセクハラしてるのー?」
「またってゆーな!仲良しだから良いの〜!」
「卯月ー玉城さんに迷惑かけんなよ」

教室から賑やかな声が聞こえてくる。プールの時も思ったけど、このクラスほんと仲良いな。

「迷惑って何よー!私たち大親友なんだから!私はねー!光が今日履いてるパンツの色だって知って…」
「…真!!」

玉城が怒って教室に飛び込んで行った。間もなくして、ごめんなさーい、と卯月が叫ぶ声が聞こえた。
俺は東条と気まずく苦笑を交わし、教室に戻るのだった。



***



忘れ物に気づいて、昼休みに寮に撮りに行った帰り道。校舎裏側から中庭に入ろうとすると、そこの非常階段に座っている玉城を見つけた。本…いや、参考書を読んでいる。こんなところで勉強なんて…どうしたんだろ?

「たーましーろちゃん♪」
「……。」

からかいながら近づいていくと、玉城は俺をちょっと見上げて呆れたように微笑み、また参考書に目を落とした。

「こんにちは。」
「何してんの?こんなとこで」
「テスト勉強です」
「なんでこんなとこで?」
「教室だと集中できないし、自習室とか図書室は…他の人の邪魔になっちゃうから」
「……?」

一瞬なぜかと考えて、理由を思い当った。そうか、野次馬か…。

「大変だな〜有名人は」
「別にそういうわけじゃ…」

そう呟きながら、玉城は真剣に文章を目で追っている。

「真面目だな〜沢村にも見習ってほしいぜ」

そう言うと、玉城はちょっと困ったように笑った。

「私は…ここには友達に来させてもらったから…しっかりしないと…」

…そうか…。色々抱えてるんだよな、玉城…。

「じゃあよくここ来んの?」
「…お昼休みは時々」

ふーん…じゃ、俺も来ようかな〜…。

「それ…日本史?」
「はい」
「俺が問題出してやろうか」

隣に座って、しつこく…いや辛抱強く話しかけていると、玉城ははにかみながら参考書を閉じた。

「いいです。」
「そ?」
「先輩はどうしてここに?」
「寮に忘れ物してさ」

持っていたノートを掲げて見せると、ふうん、と玉城は頷いた。

「それで…その後どーなの?」
「え?」
「悩んでたじゃん、この間」
「……。」

玉城は不思議そうに俺をまっすぐ見上げた。それから微笑んで、からかうように言った。

「心配してくれてるんですか?」
「……。」

じわじわと顔が熱くなる。こ…こんなふうにからかわれるなんて。俺の方が年上なのに…。

「…て いうか、さっきの時間…先輩達サッカーしてましたよね。」
「え?」
「ふふ…見ちゃった。先輩が思いっきり空振りしてるとこ」
「……。」
「御幸先輩ってもしかして運動音痴?」
「…いーんだよ!野球は上手いから!」
「わー、そんなこと言ってると友達できませんよ。」

けらけら笑い出す玉城は珍しくて、そしてあまりにも可愛くて、つい気を取られた。そして気が付く。あれ…今なんかはぐらかされた?…よな。思いっきり話そらされた。

でも、なんで?

「じゃ、そろそろ教室に戻りますね」

玉城が立ち上がって、俺は名残惜しくなる。昼休みってこんなに短かったっけ…。

「…玉城!」

歩き出しかけた足を止め、玉城が振り返る。

「…学校の裏手のさ…、土手に橋があるじゃん」
「え…?あぁ…あの小さい橋…。」
「その辺、俺の隠れ家。」
「…え?」
「ここはお前の場所だろ。教えてもらったから、お返し」
「……。」
「夜は大体そこで素振りしてる。…それだけ。じゃあな」

それだけ言い捨てて、走って逃げるように玉城に背を向けた。来てくれって言ってるようなもんじゃん。…うわー、はずかしー…。けど、あいつが何かまだ、抱えてることはわかったから…。
また俺を頼ってくれたら…なんて、期待してしまう。


***


夜の食堂。

「ウェイト行こうぜ」
「あぁ」

麻生たちがぞろぞろと立ち上がるのを横目に、俺も麦茶を飲み干して立ち上がる。素振りでも行くか…それからナベにあのことを確認して…。

「なぁちょっとテレビつけて!」
「すぐ!早く!」

突然、2年の部員たちが食堂に駆け込んできてテレビのリモコンに飛びついた。食堂を出て行こうとしていた奴らも何事かと立ち止まり、テレビを見上げる。

「何かあんの?」

何チャンだっけ、TVS?とリモコンを操作している同級生に尋ねると、彼らは興奮気味に言った。

「今テレビに玉城光が映ってるって!」

…は??

「あっ!これだ!」

食堂中の部員がテレビに注目し、リモコンを持っていた奴が音量を上げた。

『――人気女性ファッション誌“カルム”の専属モデルを決めるオーディションが、今年も開催されました。“カルム”はファッション誌業界では最大手で、このオーディションは今回第20回目の開催となり、新人女性モデルの登竜門となっています。』

「あ、これ今日クラスの女子たちが話してた…」

誰かがそう呟いた。画面にはみんな同じ白いワンピースを着た若い女の子たちが、順番にランウェイを歩いて客席に手を振っている姿が映っている。

『このオーディションで今年ミス・グランプリに輝いたのは、現在15歳・現役高校生の玉城光さんです。』

……!!!

白いワンピースにファーのついた赤いマントを羽織り、ティアラを頭にのせてトロフィーを受け取っている玉城が映り、食堂は一瞬静まり返った。

「…マジじゃん!!玉城さんじゃん!」
「カルムって俺知ってる!」
「バカ誰でも知ってるよ!超有名だろ」
「グランプリって優勝!?え、すごくねぇ!?」
「静かにしろ!聴こえねぇよ」

『今回グランプリを受賞して、今どのようなお気持ちですか?』
『とても光栄です。ですがこの結果に慢心せず、ひとつひとつのことに誠実に…私を支えてくれた人たちへの感謝を忘れずに、これから頑張っていきたいです。』

画面には一緒に、準グランプリの常盤マリアというハーフの女の子も映っている。

「すげー…玉城さん、2位の子より全然綺麗じゃん」
「やっぱ美人だよなあの子…」
「うちの学校にいるの奇跡じゃねぇ?」
「俺まだ本物見たことないんだけど。何組だっけ?」
「Aだよ。東条が同じクラスだってよ。」
「マジかよあいつ!明日見に行こ」
「明日は野次馬が詰めかけてそうだな(笑)」

あーあ。まぁ…教室行っても、玉城いないと思うけど…。
そう心の中で呟いて、俺はこっそりと食堂を出た。


***


「みーつけた」

校舎裏の非常階段。
俺の声に気が付いて、玉城は参考書から顔を上げ、微笑んだ。

「見たぜ〜昨日。」
「え?」
「グランプリ。」
「あ…。」

玉城は照れ臭そうにはにかんで、参考書を閉じて横に置いた。

「つーかめちゃ驚いたんですけど。オーディションなんていつの間に…」
「この間の試合の日ですよ。」

いやそうだけど…そういうことじゃなくて…。

「けど…なんで?」
「え?」
「なんか意外だなーと思って。モデルって」
「……。」

玉城はちょっと俺を見つめて、遠くの方に視線を向けた。

「意外なんて…言われたの、御幸先輩だけ」
「え、そう?超意外だと思ったけど。どっちかっつーと玉城ちゃんは…」
「……?」
「…いや、やっぱいいや」
「え?なんですか?」

…結婚して、ものすごーく大切にされて…幸せな奥さんになるのがしっくりくる…とか、思ったけど。言えるわけない。恥ずかしいし…それに、玉城は結婚のことで悩んでるし。不謹慎すぎるだろ。

「まーでもこんだけ美人なら、モデルでもしねぇともったいねーもんな!」
「……。」

玉城はちらりと俺を見て、はにかむように微笑んだ。

「…そうだ。今度の試合さ、土曜なんだけど…良かったら来てよ。」
「土曜日、ですか…」
「うん…」

横に置かれた手が…近い。すぐに触れられる距離。小さくて、細くて、白くて…綺麗な手。俺のマメだらけの硬い手で触れたら、傷つけてしまいそうなほど…。
ちょっと手を動かして、コンクリートの上を手のひらが滑った。そして指を曲げて、小指の先が――柔らかな肌に触れた。その瞬間、小指の先からぶわっと熱が伝わってきて、目の前が白黒する。玉城…手を退けない。いいのかな…触れても…。
つ、と指先が白い肌の上を滑って、俺は緊張で息を止めて、小さな手の上に自分の手を被せた。そしてそのまま柔らかく握った。その手は驚くほど滑らかで、柔らかで、あたたかくて――伝わる熱が顔を熱くした。

「……。」
「……。」

玉城は何も言わない。手を握られたまま、身じろぎもしない。
…どーしよ。このあとどうすればいい?もうどうせ気持ちはバレてるんだし…それに拒否されないってことは、もしかして…両想い?え、ウソ、マジで?
一気に舞い上がりそうになるのを堪えて、必死に言葉を考える。告る…べきなのか?何か今更とんでもないことをしてしまった気がする…。
…好きだ。そう、一言言えばいいんだ。そうだ。よし…。
そう決意した拍子、するり、と手の中から熱が逃げていった。玉城が立ち上がったのだった。さっきまで俺が握っていた手は、気まずそうに握られて胸元に置かれている。あ…俺、やらかした…?

「…土曜日は…行けないかも…」

玉城は振り向かないままそう呟いた。あー…、もう、俺のバカ…

「玉城、ごめ…」
「し、失礼します」

玉城は小走りで、目も合わせず逃げるように去ってしまった。立ち上がりかけて、そのまま脱力して座り、深くため息を吐く。何やってんだ俺…いきなり手ぇ握るなんて。あーもう、サイアク…

ぽとん、と手を置いた場所に、冷たい感触があった。見ると、玉城の参考書…。これ、忘れていくくらい慌てて逃げたのか…。…悪いことしたな…。

参考書を手に、俺は空を見上げて――また深くため息をついた。



***



「東条、あとで部屋に来てくれるか?」

練習場で声をかけると、東条はきょとんと俺を見て、はいと頷いた。
玉城の参考書…こいつに渡してもらおう。多分玉城は俺には会いたくないだろうし…。

「な!!なぜ東条!?キャップ!!俺にも何か言う事あるんじゃないっすかね!!」
「ねーなぁ」
「そんなはずはない!!俺のボールの調子が気になるはず!!」
「ねーよ」
「そんな馬鹿な!!」

うるせーよ、と倉持に蹴り飛ばされる沢村を見て笑いながら練習場を後にする。
東条が俺の部屋を訪ねてきたのは、その30分ほど後だった。

「悪いな、ちょっと待ってて」
「はい…」

不思議そうな顔の東条を入り口で待たせ、よく読みこまれた参考書をバッグから出し、東条の前に戻る。

「これ、玉城に渡しといて」
「え?」

東条は参考書を受け取って、ますます不思議そうにそれを見つめた。高1古典 文法・読解。裏を返して空欄の名前欄を見る。

「忘れ物。」
「あ…そう、なんですか…。…?」

…どうしてこれを俺が、って顔してる。けど、言うつもりはない。

「それだけ。わざわざ呼んで悪いな」
「いえ…。し、失礼します。」

東条は不思議そうな顔をしたまま帰って行った。
いいなああいつは…明日も変わらず玉城と会えるんだから。俺はもう嫌われた…。
椅子に戻ってスコアブックに向かい、やっぱりまた、ため息がこぼれた。

 


ALICE+