春。

入学式からまだ1週間しか経っていない今日この頃、既にある噂が学校中に広まっていた。

「東条〜!」

ちょいちょい、と教室の入り口から見知った後輩を呼び出す。東条はあきらかに驚いた顔で俺と倉持を見て、急いで駆け寄ってきた。

「御幸先輩…倉持先輩。こ、こんにちは。」
「おう。ちょっとツラかせ」

困惑と動揺を露わにする東条の肩を組み、まるでカツアゲをするヤンキーのように廊下に連れ出す倉持。

「な、何ですか?」
「お前のクラスにさ、玉城さんっているだろ。」
「あ〜…」

その名前を聞くと、東条は事情を察したように苦笑した。

「…はい、いますけど…」
「どこ?どこにいんの?」
「今はいないですよ。」
「え?なんで?」

倉持に肩を組まれながら、東条は非常に言い辛そうに打ち明けた。

「休み時間は…いつもいないんですよ」
「だから、なんでだよ?」
「…えっと。…見に、来られるのが嫌みたいで…」

…つまり、今の俺と倉持のような野次馬を避けるために…。

「……。」

倉持はばつが悪そうに東条を解放した。

「あ〜あ。倉持みたいな野次馬のせいで迷惑して…可哀そうに。」
「あぁ!?テメーも来てるだろうがよ!!」

だって興味あるんだモン。
俺は廊下を見渡した。1年の教室の前に2年や3年の男子がそわそわと集まっている異様な光景。これだけ話題になっているのは、今年入学した玉城光という女子生徒。なんでも、そこらの芸能人なんて目じゃないくらい可愛くて美人なんだとか。そんな噂を耳にしたら、一目見たくなるのが男ってもんだろ。

「はっはっは。まーいないならいいや。俺教室戻る」
「おい待てよ!俺も戻るっつの」

残念、と心の中で呟いて、俺は踵を返した。その時。
廊下の向こうから歩いてきた女子生徒に目を奪われた。すらりとした細身の女子生徒。肌は真っ白で、明るい柔らかそうな髪にぱっちりとした青い瞳。小さな鼻とぷっくりとした赤い唇なんか、もう、お人形のようで。
全員が彼女を見て息をのみ、言葉を失っていた。廊下中の視線を浴びながら、女子生徒はちょっと俯いて足早になった。女子生徒が前を通り過ぎると、男子たちはにやけた顔を見合わせてからかうような歓声を上げる。

「玉城…大丈夫?」
「もうやだ…行こ」

東条が小声で呟くと、女子生徒はぽつりと呟き東条の腕を掴んで、そのまま教室に引っ張って連れ込んでしまった。
今の子が玉城光ちゃん…か。…びっくりした。マジで可愛い。それはもう、天使か妖精かというレベル。

「は…?」

倉持がぽかんと呟く。

「東条あいつ…仲良いのかよ!?」
「はっはっは、そこかよ。」
「たりめーだろ!あいつ、今日の夜シメてやる」
「僻みはよくないぞ」
「あぁ!?」

倉持の蹴りを食らいながら、胸に広がるもやに戸惑う。話したこともねー女子が、男の腕を掴んで親しげにしていたからって、こんなに面白くない気持ちになるなんて…。…これが一目惚れ?いや、まさかな。
少し焦る気持ちを、俺は気のせいだと思うことにした。


***


「……。」
「……。」
「……。」
「……。」

夜の5号室。倉持、亮さん、純さん…ついでに哲さんに囲まれて、委縮したように正座している東条を、気の毒に思う気持ちと面白いような気持ち半々くらいの気分で眺める。傍では金丸がまるで保護者のようにハラハラと事の成り行きを見守っている。

「東条、お前、玉城さんと仲良いの?」

口火を切ったのは亮さんだった。えっ、と東条の顔が引きつった。

「いや…仲良い…っていうか…」
「今日腕組んでいちゃついてただろーが」
「え!?おいマジかよ」
「いやっ!ち、違います!」

その時、ピロン、と軽快な音が鳴る。一瞬の沈黙のあと、倉持が素早く東条の携帯をポケットから抜き取った。脚だけじゃなく手まで素早い奴だ。…ただ手癖が悪いだけか。

「あっ…!」

東条の顔が青ざめる。

「あーッ!!やっぱりコイツ玉城さんとメールしてやがった!」
「どれ見せろ!!」

携帯に群がる倉持達にちゃっかり混じって画面を覗き見ると、メール画面の文章が見えた。

from:玉城 光
Re:re:re:re:無題
ありがとう。
東条が同じクラスでよかった。

ここまではいい。だけど、最後の一文を俺は思わず2度見…いや、3度見した。

私、本当に男の人嫌いだから。

「……。」
「……。」
「……。」

倉持も純さんも亮さんも黙り込み、哲さんに至っては腕を組んで熟考するようなポーズをとった。

「これは…」
「…お前、男として見られてねーぞ。」

「え?」

ぽかんとする東条に携帯を見せる倉持。すると東条はなんとなくわかっていたように苦笑して頬を掻いた。

「ああ…、はい。」
「はいだと!?お前それでいいのかよ!」
「倉持、お前邪魔したいのか応援したいのかどっちだよ。」

亮さんが突っ込むと、倉持ははっとして顔を顰めた。

「けど、男嫌いの子が男として意識してなかった奴と付き合うとか、ありがちだよね。」
「……!!!」

更に亮さんが楽しげに言って、倉持の顔がますます険しくなる。

「だって身近に仲良い男がそいつしかいないわけだし…」
「おい東条!!お前姑息な…!!」
「えっ!?いや俺、そんなつもりじゃ…」
「クッソこれだからイケメンはよー!!」

純さんと倉持が結託して東条を責め始め、金丸は不憫そうに遠巻きに東条の様子を窺っている。

「こんなの俺が返信してやらぁ!」
「えっ…!!や、やめてください!」

東条が抵抗するもむなしく、純さんと倉持がメールを打ち始めてしまった。あーあ、ありゃもうしばらくおもちゃにされるな。他人事のように笑って倉持の手元を覗き込むと、携帯の画面は既に送信済みになっていた。

「なんて送ったの?」
「俺の先輩は優しくてかっこいいぜ!って」
「必死だなぁ」
「つーか東条と口調違うだろ、それじゃ」

うるせーな、と倉持が反論したとき、携帯に早速返信が来た。

「おっ!返事来た!早っ!」

倉持がうきうきと開封する。

『そうなんだ。』

「いや反応薄っ!もうちょいなんかあるだろ」

「あの…その辺にしといたほうが…」

遠慮がちに進言する東条を倉持は睨んだ。

「なんでだよ?お前だけ距離縮めようたってそうはいかねーぞ」
「いや…そうじゃなくて…」

東条が止めるのも聞かず、倉持は更に『好きなタイプは?』と畳みかける。東条の携帯だからって調子に乗ってるな。返事はまたさほどかからずに来た。

『誰?』

ぎくり、と倉持が息をのんだ。

『え?何が?』
『東条じゃないですよね?』

「おい、バレてんぞ。」
「……ヤバ」

「えっ、何ですか?」

慌てる東条に倉持がやっと携帯を返した。そしてメールのやりとりを見て、東条は蒼白する。

「東条、2年の倉持洋一先輩のしわざですって送っていいぞ。」
「バッ…やめろ!!」
「自業自得だろ。」

そのとき、また東条の携帯が鳴った。今度はメールではなく着信音だ。

「玉城さんか!?」

いち早く倉持が察知し、携帯を東条に押し当てる。

「出ろよ。」
「えぇ…?」

不憫にも倉持達に監視されるように囲まれて、東条は通話ボタンを押した。

「も…もしもし?」
『東条?』

女子の声が聞こえる。声も可愛いなおい。

「う、うん。」
『さっきのメール…誰?』

倉持からギラギラに睨まれながら、東条ははぐらかした。

「え、ごめん、ちょっと今…携帯置きっぱなしだったから…」
『……。』

相手はしばらく黙ったあと、静かな声で言った。

『今は一人?』
「う…うん。」

先輩たちに睨まれて頷く東条。

『…さっき、東条の携帯から変なメールが来たの。』
「ど…どんな?」
『気持ち悪いメール。』

気持ち悪いってよ、と倉持をつつくと、無言で手を捻りあげられた。

「そ、そうなんだ…ごめん。」
『誰かに見られるの嫌だし…もう東条にメール送らないから。』
「え…!?」

あーあ。東条可哀そうに。

「お前のせいだぞ。」

亮さんにニヤニヤと小突かれて、倉持はさすがにばつの悪そうな顔で黙り込んだ。

『これからは電話する。』

しかしその声が聞こえた途端、東条の顔には安堵と喜びが、倉持の顔には動揺と憤怒が現れた。

「で…電話?」
『うん…だめ?』
「い、いや、いいよ、全然」
『よかった。じゃ、今日はもう寝るから。おやすみ』
「うん…おやすみ、また明日」

…パタン。携帯を閉じ、顔を赤くする東条。

「東条!!」
「はいっ!!?」

倉持に両肩を掴まれて、東条はびくりと肩を竦ませた。

「……玉城さんに俺を紹介してくれぇ!!」
「必死かよ」


***



とにかく、まだ入学式から1週間そこらだというのに、玉城光ちゃんが東条に対して並々ならぬ信頼を抱いていることはわかった。もしかしたら、もう恋心を抱いている可能性も…。けど、どうしてだ?東条は決して女々しい奴じゃないし、普通に男らしく女受けもいい爽やか系イケメン。なのに、男嫌いの子がああも東条にだけ懐くなんて…何かあったに違いない。

けど…

…まあ、どうでもいいな、うん。なんで俺こんなこと考えてるんだろう。
新入部員の実力やベンチ入りしそうな奴のチェック…とくにピッチャー志望の奴のデータをとって…やることは山ほどあるのに。今年は面白い奴が入って来たし…。

「おっ…。」

隣を歩いていた倉持が声を上げた。なんだろうと前を見ると、渡り廊下の方から東条と玉城光ちゃんが歩いてきているのだった。…もしかしてもう付き合ってんじゃねーの?

「あ…こんにちは!」

東条がこちらに気付いて礼儀正しく挨拶する。玉城ちゃんは俺たちをちらりと一瞥し、黙ったまま通り過ぎようとした。

「おいっ、東条!」

その東条の腕を、倉持が引き留めた。つんのめって足を止めた東条を、玉城ちゃんは振り向いてちょっと離れたところで待つように立ち止まる。

「な…なんですか?」
「なんですかじゃねえ!紹介しろよ!」
「え…。」

小声で恫喝する倉持に困惑しながら、東条は玉城ちゃんを手招きした。

「玉城…、ちょっといい?」
「…なに?」

玉城ちゃんは警戒するように東条の後ろにくっつき、俺たちから視線を逸らす。

「野球部の先輩なんだけど…」
「く…倉持っす!よ、よろしく…」
「……。」

倉持を見つめ、ちらりと俺も見上げる玉城ちゃん。可愛いなおい。

「あ、俺?御幸一也!よろしく玉城ちゃん!」
「……。」

あ…ウザそうに眉を顰めた。

「東条…、」

玉城ちゃんは俺たちには答えず、東条の腕をちょっと引っ張った。

「私…先行ってるね」
「あぁ、ごめんな」

するりと東条の腕から手を離し、歩いて校舎に入って行く玉城ちゃん。

「は…!?なんで今無視されたの俺ら!?」
「お前の顔が怖かったんだろ。」
「ナンパみてーな挨拶してるテメーに言われたくねーわ!」
「す、すみません」

まるで東条は当事者のように頭を下げた。

「玉城…、本当に男嫌いなんですよ。」
「ほ〜…?じゃあなんでお前とは腕組んでいちゃついてんだよ!」
「い、いちゃついてるわけじゃ…。」
「なんで男嫌いなの?」

俺が尋ねると、東条は苦笑を浮かべた。

「うーん…やっぱりあの通り美人だから…、色々嫌な目に遭ってるみたいで…。」
「だからなんでお前は例外なんだよ!」
「いやあ…よくわからないですけど…。」

へらり、と東条はまんざらでもなさそうに頬を緩めた。

「俺は…変な目で見てこないから、らしいです…」
「変な目ぇ…!?」

倉持の眉間に青筋が立った。

「俺らが変な目で見てるっつーのかよ!」
「い、いや、そういうわけじゃ」
「つーか、じゃあお前は何も下心ないわけ?玉城さんと仲良くなれてラッキーとか思ってんだろ?ホントは!!」
「く、苦しいです…」

倉持に胸ぐらをつかまれて顔を引きつらせる東条。

「やめろよ倉持。後輩虐めてたって監督にバレたら…」
「虐めてねーよ!な?東条。」
「…は、はい…」
「はっはっは!ひっでー先輩」

笑い飛ばしながら、また胸に靄が広がる。いくら男嫌いとはいえ、あまりにも取り付く島のない彼女の態度。一瞬目が合った時の胸の高鳴りを今更思い出して、まさかな、と思う。可愛い子は好きだけど…。話したこともないのに、嫌われたくらいでなんでこんなに凹んでんだ、俺。

「東条!お前マジでどうやって仲良くなったんだよ!」
「さ、さあ…?」
「さあ、だと!!?」
「倉持落ち着けよ。なにそんなに熱くなっちゃってんの?」
「……!!」

倉持は自分がムキになっていることにたった今初めて気づいたような顔をして俺を振り返った。そして急に恥ずかしそうに顔を赤くして東条を解放した。

「チッ…東条!玉城さんに俺のこと優しい先輩だっつっとけよ!」
「え…?」
「はっはっはっは!嘘は吐けないよな東条?」
「あぁ!?」
「い、いや!」
「つーか何?倉持、あの子のこと好きなの?」
「え…!!べ…別に…!!」

倉持は赤面して慌てだして、舌打ちを残して逃げるように校舎に戻って行った。

「ま…気にすんなよ、あいつのことは。」
「え…」

困惑しながら立ち尽くしている東条に声をかける。

「アイツあの悪人面でモテねーから嫉妬してんだよ。」
「……。」

顔を引きつらせて苦笑する東条。何と答えるべきか迷っているような顔だ。

「じゃあな。玉城ちゃんによろしく〜」
「…はは…。はい…。」

疲れたような顔で苦笑して頷く東条に手を振って、俺も校舎へと戻った。



***



「おっ」

廊下のちょっと先に見えた玉城ちゃんに気付いて手を挙げた。すると彼女はちょっと俺を見つめて、ふと思い出したように目を逸らした。

「いやいやいや、玉城ちゃん!今目ぇ合ったでしょーが!」
「……。」

心の底から嫌そうに口を引き結んでちらりと俺を見る玉城ちゃん。は〜、なんでこうも嫌われてしまったのか…。

「今日は東条一緒じゃないんだ?」
「……。」

そう話しかけながら歩み寄ると、あからさまに後ずさりする玉城ちゃん。

「ちょ…なんで逃げんの?」
「……。」
「傷つくな〜」
「……。」

…何を言っても無視…。マジで東条はどうやってあんだけ仲良くなったんだ?

「もしかして東条と付き合ってんの?」
「……。」

キッと眉を顰めて俺を睨んだ玉城ちゃん。え…俺なんかまずいこと言った?

「だとしてもあなたには関係ないです。」
「……。」

初めて喋ってくれたと思ったらこれか…。お手上げ。せっかくこんな可愛いのにもったいねー奴。
ふう、と思わず小さなため息を零す。

「俺、玉城ちゃんに何かした?」
「……?」

玉城ちゃんは訝し気に眉を顰めて俺を見上げた。

「初めて話すのにその態度は酷いんじゃねーの?」
「……。」

虚を突かれたようなその表情を見て、やっと反応があったことへの嬉しさもあって、俺はつい、ちょっとからかいたくなってしまう。

「男嫌いなんだって?」
「……。」
「なんで嫌いなの?」

玉城ちゃんは非常に不愉快そうに呟いた。

「…じろじろ見てきたり、休み時間のたびに教室に野次馬に来たり、後着けてきたり、わざとぶつかってきたり、勝手に付き合ってるって噂流したりするからです。」
「……。」

す…すげー正当な理由があった…。

「はあ…そっか。ごめん。」
「…え?」
「事情も知らずに色々言って。そりゃ男嫌いにもなるよな」
「……。」
「けど…俺はそのどれもやってないんだけど?なんで俺のことまで避けるわけ?」
「…チャラそうだから」
「はっはっは!偏見だぞ〜」
「あと…呼び方がむかつく…」
「え、玉城ちゃんってダメ?じゃあ何なら良いわけ?」
「呼ばなくていいです」
「それじゃだめだろ!光ちゃんならいい?」
「なんでそうなるんですか!」

ムキになって言い返してくる玉城を見て嬉しくなった。なんだ、こんなふうに話せるんじゃん。

「はっはっは!冗談だよ、玉城!これでいい?」
「っ……。」

玉城は不意を突かれたように言い詰まって、黙り込んだ。

「よし決定。じゃな、もう無視するなよ!」
「……。」
「コラ!言ったそばから!」

がっくりきながらもそう突っ込むと、玉城がちょっと微笑んで、一気に舞い上がった。笑顔はまた一段と可愛い。
ちょっと仲良くなれたかも…なんて浮かれていたら、その日の練習で顔が緩んでると倉持に蹴飛ばされた。

 


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