020
玉城を…抱きしめてしまった。
決勝のあと、気が緩んでて…玉城の姿を見たら、つい…。
…一晩寝て冷静になったらすげー恥ずかしくなってきた。玉城にどう思われてるかも不安だけど…あの場に誰がいたっけ。倉持とゾノと…いや、どうせもう部内中に広まってるに決まってる。クソッ恥ずかしい!
…つーか…
……めっちゃくちゃ柔らくていいにおいした。手のひらに伝わる肌の感触が、なんともいえずふわふわですべすべで、ふわっと甘い爽やかな香りがして…
それで…
胸の下あたりに当たった、あの感触……
あ〜〜…今日怪我のおかげで学校休みで…良かった…
***
「――御幸!」
翌日。トン、と肩に触れる軽い衝撃。気付けばクラスメイト達が俺の周りに集まっていた。
「試合勝ったんだって?おめでとう!」
「これで甲子園だろ?」
「応援行くからな!」
…そうだ…勝ったんだ。まあその前に、神宮大会があるけど。
「…で!?御幸!」
「マジなのか!?」
「…は?何が?」
なぜか興奮気味に詰め寄ってくるクラスメイトの男達。
「1年の玉城さんと付き合ってるんだろ!?」
「いつからだよ!?」
「…は!?」
ちょっと待て…なんでそんなことに?
「付き合ってねーよ!」
「え!?でも試合後に抱き合ってるの見た奴がいるって」
「…!!!」
アレか…!!やべぇぞ…この噂が玉城の耳に入ったら…嫌われるどころか軽蔑される…!!
「…とにかく付き合ってねーから!言いふらすなよ」
「あ!どこ行くんだよ」
「詳しく教えろよ!」
逃げるように教室を後にして、校舎を出る。目指す場所はいつもの場所だ。
とにかく謝って…それから…ああでもその前に玉城はいるのか?今日は欠席の可能性もあるし…そもそも俺を避けてもうあそこには来ないかも…。
そんな不安を抱きながら校舎の角を曲がって裏に出て、非常階段に裏から近づいていき、正面に回ると――
「……。」
単語帳を手に階段に座っている玉城がいた。安堵すると同時に、ちらりとこちらを見上げる青い瞳にぎくりとする。
「……よお」
「……。」
玉城は返事もせずに単語帳を閉じ、ポケットに仕舞った。
「何か用ですか?」
素っ気ない態度。いや、いつものことだ。
ちょっと頭を掻き、勇気を振り絞って口を開いた。
「…この間は…ごめん」
「何がですか?」
「…だ、抱き着いた…こと」
「……。」
玉城はじっと俺の顔を見上げる。な…なんだ…?
「嫌。」
「……。」
え…。い、嫌って…。
「……ふふ」
そしてそのまま俺の顔を見て少し笑う玉城。
「…何笑ってんの」
「先輩の顔が面白いから。」
「…面白いとか初めて言われたんだけど」
「え〜ほんとですか?」
「そこ疑う?ま〜イケメンってのはよく言われるかな!」
「よく自分で言えますね」
「はっはっは…」
笑いかけて、わき腹に痛みが走って蹲った。
「! 先輩…」
玉城の手が俺の腕に触れる。まだ痛むわき腹を撫でつつ顔を上げ、ちょっと苦笑した。
「いや〜…笑うといてぇわ」
「……。」
さっきまでとは一転、真剣な顔で俺を見つめる玉城に、不謹慎ながら嬉しくなっちゃったりして…。
「…病院行ったんですよね?」
「行った行った。肉離れだってよ」
「……。」
「10日もすれば治るよ、このくらい」
よっこらしょ、とどさくさに紛れて隣に座ると、玉城はそれを目で追って、ズバッと言った。
「無茶なかっこつけはダサいですよ。」
「……。」
だ…ダサい…。
「……ハァ」
「なんですか?」
「…もーちょっと優しくしてくんない?」
「どうして?」
「俺怪我人。毒吐きすぎ。棘ありすぎ。冷たすぎ。」
「優しくしてほしいんですか?」
「ウン!してほしい」
「……。」
ふう、と小さくため息を吐いて、玉城は俺を見上げ、にこり、とほほ笑んだ。
えっ…可愛い…。
俺が見惚れた瞬間、白くてやわらかい手が伸びてきて、ぽんぽん、と俺の頭を優しくたたく。
「よしよし。」
「……いやそれ…馬鹿にしてるだろ」
そう強がりながら、顔がものすごく熱くなって、俺は顔を背けた。
玉城は小さく笑って、一瞬だけ触れた手を離すと、そのまま静かに頬杖をついた。
素っ気ないと思ったら、こんなふうに触れてきたり、からかってきたりして…。勘違いしそうになる。
「…喉渇いた。」
急に玉城がそう呟いて立ち上がった。
「じゃあ…さよなら」
「待てよ。自販機行くなら俺も行く」
「……。」
素っ気なく立ち去ろうとする玉城にくっついていくと、ちょっと口を尖らせながら歩き出す玉城。
構わずついて行って、校舎内の自販機に行くと、ばったりと亮さんたちに出くわした。
「げ…」
「何?げっ、て。」
ニッコニコ上機嫌な亮さんと、俺を睨みつける純さん。
「いえ…別に」
「ふーん?っていうか、仲良いね」
「……。」
ニヤニヤと俺と玉城を見比べて楽しそうな亮さん。一番見られたくない人に会っちまった…。
「もしやあの噂は本当なの?」
「違いますって!」
「…まだ何も言ってないけど?」
「…!!」
俺が弄ばれている間に、玉城は自販機に小銭を入れ、ボタンを押した。
ガコン、と音がして、玉城は屈みこんでペットボトルを取り出す。
「あっ…」
…ん?
玉城は渋い顔をしてファンタグレープを見つめていた。
「レモンティー押したのに…。」
「あぁ…たまにあるよね、ここの自販機。」
「まーファンタならまだマシだな、俺なんてこの間アクエリ買ったらおしるこが出てきやがって…」
「……。」
俺は財布を取出し、お金を自販機に入れて、冷たい紅茶のボタンを押した。押した通りの物が出てきて、俺がそれを拾い上げると、亮さんと純さんが口元に手を当てて、うわー…、と呟いた。
「…なんスか」
「アイスティー飲みたくてファンタが出て来ちゃった子の目の前でその仕打ち…」
「お前性格悪すぎるぞ」
「人聞きの悪い事いわんでください!」
俺は玉城を振り返り、その手からファンタを抜き取った。
「…ほら!」
「え…?」
代わりに紅茶のペットボトルを押し付けて、俺はファンタの蓋をあけ、少し飲む。…甘い。
「うわ〜〜〜、見た?純。」
「見た見た。あいつ猫被りやがって」
「玉城さんにやたら優しくない?俺そういうのどうかと思うなぁ」
「…ちょうどファンタ買おうと思ってただけですし」
「ぷっ…甘いもの苦手なくせに…よく言う」
「お前普段ファンタなんて飲まねーだろーが」
「……。」
こ…この人たち…俺の面子とかなんっも考慮してねぇ…。むしろ貶めて弄り倒す気マンマンじゃねーか。た…玉城の顔が見れない…。
「…あの…」
すると玉城が俺の傍に来て、俯いたまま呟いた。
「…い…いりません」
言うと同時に紅茶のペットボトルを俺に押し付けて、顔もあげないまま走り去ってしまう。
「…え?」
「……。」
「……。」
呆然とする俺、気まずそうに黙り込む亮さんと純さん。
いりませんって…な、何で?俺そんなに嫌われてるの?それとも亮さんたちにからかわれたから…?
「…なんかゴメンな。」
「げ…元気出せよ。」
「……。」
わざとらしく気遣う亮さんたちにさらに落ち込ませられながら、呆然と2つのペットボトルを見つめる。こんなに飲めねーって…。ため息を吐くと、思いの外深かった。
「…どーも嫌われてるんすよね…あいつには。」
「……。」
「……。」
俺がぼやくと、亮さんたちは顔を見合わせた。そして亮さんがニッコリといつもの笑みを浮かべ、俺を見た。
「じゃあ…珍しく落ち込んでるお前に良い事教えてやるよ。」
「え?」
「一昨日の決勝のときにさ…9回表、お前がスライディングでホームインした後…」
「……。」
「周りの奴ら全員盛り上がってるのに、玉城さんだけずっと黙りこんでてさ。」
「……。」
「でもお前が起き上がって、ガッツポーズしたら…ボロボロ泣き出したんだよ。」
「……。」
その言葉をじわじわと理解して、口をついて出た声は…
「…へ?」
何とも間抜けな声だった。
「あの子、お前の怪我の事、知ってたんだって?」
「今思えば試合中、ずっと心配そうだったよな。」
「そうそう。お前の打席の度に真剣な顔してさ…試合って言うより、お前の事見てたよ。」
「ありゃ完全に…」
「惚れてるよね。面白くないけど」
「ホントだぜ」
「……。」
そんなはず…。だって、さっきだってあんなに素っ気なくて…
「えっと…冗談?ですか?」
「そう思うならそれでいいよ。」
「え!?ちょっ…急にぼかすのやめてくださいよ!」
「だってさぁ…せっかく教えてやったのに…」
「いや、だって、そんな…信じらんねーって言うか…。」
「でもホントのことだぜ。」
「…じゃあ、今なんでお茶…突っ返されたんすかね…」
「そんなこと知るわけないだろ。お前が何かまずいことしたんじゃないの?」
「……。」
そ…そうなのか?…そうなのかも…。
でも心当たりなんて…。…あ、もしかして抱き着いたこと?
「まぁ頑張れよ(笑)」
「調子のんじゃねぇぞコラ!!」
微塵も応援なぞしていないような面白がる笑顔で言って、亮さんは踵を返す。純さんは俺に親指を下にして拳を突き出し、舌打ちを残して亮さんと一緒に去って行った。
***
「……。」
「……。」
「……。」
水を打ったように静まり返る食堂。みんな箸を止め、テレビに食い入るように見つめている。
そこに映っているのは、雪景色をバックにココアを飲み、ほっと白い息を吐く玉城。どこかうっとりとした潤む瞳で遠くを見つめ、玉城の声でセリフが流れる。
『…好きになっちゃった。』
『甘さ控えめほろにがココア。平成クレシェンド』
最後にメーカーのロゴが映り、CMが終わると、食堂に喧騒が戻ってくる。
「今の玉城じゃん!!なぜテレビに!!?」
「うるせえよ沢村!!」
「芸能人だもんな。」
「モデルオーディションでグランプリになったって話題になってたじゃん。」
「マジか!?いつのまに!?」
「僕は知ってたよ…」
「な、なんだと降谷!!?」
騒がしい沢村を横目に、内心穏やかでない気持ちを抑える。玉城が急に遠くに行ってしまったようで…もどかしい。
芸能人…か。
「つーかもうCMとか出てるんだな。早いな」
「確かに…でももうオーディション1か月くらい前だっけ?」
「雑誌にはもうちょっと前から載ってるらしいよ。クラスの女子が言ってた」
「うわー、もう完全に芸能人だな」
玉城の噂話を背に、食器を重ねて片付けて、食堂のおばちゃんにごちそうさまと声をかけ、食堂を出る。
そして部屋へ戻って参考書を開き、集中できずにすぐに閉じた。時刻は8時前。もしかしたら、玉城今日も補講で残ってるかも…。
淡い期待を胸にいつもの場所…柵越しに校舎が見える倉庫裏にバットを片手に向かった。…実は毎日来ている。週に2,3回はここで玉城と遭遇できるのだ。
前に土手の場所を教えたけど、結局来てくれたことはねーし…って、俺ちょっとストーカーっぽい?ヤバイかも…
ストレッチをし、軽くバットを振って、時間潰しに携帯を開く。…ここに来て30分くらいか。玉城こねぇなー…今日はいないのかな。それか、俺を避けて別の門から帰ったとか…。
ざり、と砂利を踏む音がした。
それだけで俺の胸に期待が膨らみ、振り返る。
「…いつもここにいますね」
ちょっと呆れたように、玉城が立っていた。
「静かに過ごせる数少ない場所なんだよ。」
「そーですか…お邪魔しました」
「おいちょっと待てって!早すぎ!」
さっさと立ち去ろうとした玉城を何とか呼び止めた。…これで俺が好きだって?ホントかよ…
「…何ですか?」
「玉城ちゃん試合見に来てくれてたんでしょ?」
「…だから?」
「まだおめでとーもお疲れ様ーもいわれてないな〜と思って!」
「……。」
玉城はこちらに向き直り、はっきりとした声で呟いた。
「だって…まだ終わりじゃないんでしょ?」
その言葉に俺は目を丸くした。
「はは…確かに…」
「……。」
「確かにそーだな!はっはっ…!いって!」
わき腹をおさえる俺を、ちょっと呆れた目で見つめる玉城。
「もう休んだらどうですか…けが人なんだから」
「玉城ちゃんがよしよししてくれたら治る気がする〜♪」
「頭も怪我したんですか?」
「はっはっは…つっ!…いてぇから笑わせんなって!」
「……。」
口を噤む玉城。ため息のように、小さく息を吐いた。
「ところでさ…俺のことが心配で泣いちゃったんだって?」
「は…?」
「亮さんから聞いたぜ♪」
「……。」
暗闇の中で玉城がそっぽを向いたのが分かった。否定しないってことは…そーなんだ。なんかまだ信じらんねーけど…
「…玉城。」
「……。」
ここまできたら…言うしかねーだろ。
「もう…俺の気持ちはバレバレかもしれないけど」
「……。」
「俺は玉城が何を考えてるのか…全然わからねーんだ」
「……。」
「けど…なんだかんだ試合に来てくれたり…心配してくれたり…もしそれが、俺の期待通りなら嬉しいんだけど…」
「……。」
「……。」
息を吐いて、また吸って、真っすぐに玉城を見つめた。
「俺と付き合ってください。」
暗闇の中で、玉城は俺を見つめて――少しうつ向いた。
「……。」
しばらく沈黙して、そして――
「…ごめんなさい」
胸にズドンとその言葉がのしかかった時…玉城は足早に去って行った。
なんだ…やっぱ、俺のことが好きなんて…間違いだったんじゃん…。ダセーな、俺…
……。
あー……
…フラれた。
ただでさえケガで気持ちが落ち込んでいたのに…泣きっ面に蜂だ。いや、告った俺の自業自得だけど…。
はあ…。さっさと風呂入って休むか…。明日から…憂鬱だ。
***
「御幸せんぱ〜〜い!」
「呼んでるぜ」
「……。」
倉持が教室のドアを指さし、俺は項垂れる。この声は…卯月…。
「何、何?一年の子?」
「御幸君の知り合い?」
「もしかして告白?」
「結構可愛くね?」
ざわつく教室から廊下へと逃げるように出ると、そこには卯月の他に鷹野がいた。よかった…。
「何?」
「あのお、光から何か連絡来てませんか〜?」
「今週ずっと学校休んでるんですよ、光。」
…また?なんでそれを俺に聞くんだか。
「来てねーけど…っていうか、俺に連絡なんてしないと思うけど。」
「え〜〜!!なんでですか?」
「なんでって…むしろなんで俺に連絡来ると思った?」
俺は嫌われてんだっつーの…。
「え〜、だってぇ…」
「ねぇ?」
「相思相愛、だし〜」
「…は?」
一体何を言い出すんだこいつらは。見当違いにもほどがあるぞ。
「いや…どっちかっつーと俺、嫌われてるから」
「え〜?何言ってるんですかぁ?」
「絶対両想いだよね。」
「私もそう思う〜」
「いやいや…いやいやいや」
「いやいやじゃないですよ〜!」
「私にも真にも、東条君にも連絡がないとなったら…御幸先輩しかいないんです!」
「いや、マジでありえない…俺フラれてるし」
「え…」
「…ええ〜〜!!?」
「ちょ…声デカい…」
卯月を黙らせて、廊下の端に移動した。それでも二人はまだ驚いた顔を見合わせている。
「光に告白したんですか?」
「…まぁ…」
「先輩フラれちゃったの〜〜!!?」
「…声デカイって」
「何かの間違いじゃ?」
「何を間違えるんだよ。」
はっきりフラれたし…ごめんなさいって。
「でも…。」
「ねぇ?」
ふたりはまだ納得がいかない様子で顔を見合わせる。勘弁してくれ…。
「あ!そうだ。じゃあ…」
不意に、鷹野がいいことを思いついたとでも言うように声を上げた。
「先輩、今ケガで部活お休み中なんですよね?」
「…だから?」
「これ、光に届けてもらえませんか?」
鷹野に手渡されたのは、プリント類が入ったクリアファイル。休んでいた間のものだろう。
「なんで俺が…」
「私たち今日は部活で忙しいんですよぉ〜〜」
「…家知らねーし…」
「学校のすぐ近くですよ。土手の橋を渡って南にまっすぐ行って、花屋さんの向かいのマンションです!」
「3階の303号室ですよ〜〜」
「おい…簡単に個人情報を…」
「だって御幸先輩だし…」
「ねぇ?」
ねぇ?じゃねぇよ。
「じゃ、お願いしま〜す!」
「光には一応メール入れておきますから!」
「あ!おい!」
示し合わせていたかのように走って逃げる二人。手元に残されたファイル。参った…。家になんて行ったら…完全にストーカーじゃんか。
あ〜〜…どうしよ…。
***
…来てしまった。
赤い煉瓦のマンションの前で佇む。大通り沿いの立派なマンション。向かい側にはちゃんと花屋もある。
303号室…だっけ。あ、そうだ。ポストに入れておけばいいじゃん。そうだそうだ、そうしよう…
……。
……ポストねーじゃん!どうなってんだよ。
見たところオートロックのマンションだし…管理が厳重なのか?
あ〜〜〜…もう…
インターフォンのナンバーディスプレイの前に立ち、3,0,3、と数字を押して、呼び出しボタンを押した。ピンポーン、とスピーカーから効果音が響き、しばらくすると、横の自動ドアがウィーンと機械音を響かせて開いた。
…モニターで俺を見て、玉城が開けた…んだよな?…何か言えよ!もうわけわからん。
エレベーターに乗り、3階を押して扉が閉まると、急に玉城の部屋を訪ねているんだという実感がわき、緊張し始める。フラれたばっかで、気まずいってのもあるけど…。
エレベーターのドアが開き、広い通路に出た。煌々と電気で照らされた通路の左側に、等間隔で扉が並んでいる。
301…、302…、…303。
ここだ…。
緊張を孕み、インターフォンを押した。数十秒の沈黙。そして、何の前触れもなく、ガチャンと鍵が開いた。
ドアがゆっくりと開く。…薄手のシャツにショートパンツ。ラフにまとめられた髪…。部屋着姿の玉城が、ドアを開けて立っていた。さっきまで眠っていたのだろうか…少し眠たげな目で俺を見上げる。
「……。…これ…、鷹野達から」
一瞬言葉に詰まって、咄嗟に手に持っていたクリアファイルを差し出した。玉城は黙ったままそれを受け取ると、しばらくそれを眺めた。
…可愛い。やっぱ…すげえ可愛い。
こんな適当なカッコされると、なんか…無防備な感じがして…。すごく新鮮で、可愛い…。
「光ちゃん?」
すると玉城の背後から、一人の若い男が現れた。
「誰?」
その男は俺を見つけ、にわかに表情を固める。
…20代半ばくらいだろうか。真面目そうな、涼しげな目元の好青年…玉城とは似ても似つかないから、兄ではないことは一目瞭然だった。
「…徹君はあっち行ってて」
玉城は少し振り返って男にそう言った。徹君、と呼ばれたその男は、俺を気にしながら部屋の奥に戻って行った。
…今のは…誰だ?家族じゃない。だって、玉城とどこも似てない。じゃあ…考えられることは…
…噂の婚約者?
「今の奴って…」
堪らず口を開いた。玉城はファイルから顔を上げ、俺を見る。
「…婚約者?」
玉城は目を瞬いて、言った。
「違います。」
え?
目を丸くする俺に、玉城は続ける。
「マネージャーです。」
「…一緒に住んでんの?」
「そんなわけないでしょ。」
ぴしゃりと言って、玉城はドアに手をかけた。
「じゃ…ありがとうございました。」
「あ…待てよ!」
ドアを掴むと、玉城はちらりと俺を見上げる。
「…学校…来てないんだって?」
「…仕事が忙しくて」
玉城は小声で答える。通路に声が響くのを気にしているらしい。
「お前の友達…心配してたぞ。」
「わかってます…でも忙しくて」
「仕事が優先?」
「…そういうわけじゃ」
「実際…学校来れてないだろ。」
「……。」
「なぁ、どっちが大事なんだよ。仕事と…学校。お前のイギリスの友達が…嘘をついてまで青道に来させてくれたんだろ?」
「……。」
「それなのに…ちゃんと通わなくてどうするんだよ。お前、何のために日本に来たんだよ。」
「……。」
「ちゃんと学校に来いよ。なんでモデルなんかなったのか知らないけど…このままじゃお前、卒業だって…」
「そんなことわかってる…」
玉城は震える声で呟いて、俯いた。
「私だって学校に行きたい…普通に学校に通いたい。」
「じゃあ…」
「でも私には時間がないんです!早く自立しなきゃ…一人で生きていけるようにならなきゃ…」
「…え?」
「友達や試験のことで悩んで、当たり前に学校に通って…誰が好きとか誰と付き合うとか、そんなこと考えてる暇はないんです!」
ぽたぽた、と雫が玉城の足元に落ちた。立ち尽くす俺たちの元に、先ほどの男…徹がやってくる。
「光ちゃん、もう少し休んだ方がいい。明日も早いんだから…」
そう言って、徹は玉城の肩に手を置く。
「君はもう帰ってくれるかな。」
徹に睨まれて、俺は睨み返した。
「…玉城!」
ドアを引っ張られて、閉まりかける隙間から見える玉城に必死で呼びかける。
「何がそんなにつらいんだよ。」
「……。」
「俺に教えてくれよ、どんなことでもいいから…!」
「……。」
「一人で抱え込むな!」
無情にもドアが閉まり、ガチャン、とご丁寧に鍵まで閉められて、廊下は静まり返った。
決勝のあと、気が緩んでて…玉城の姿を見たら、つい…。
…一晩寝て冷静になったらすげー恥ずかしくなってきた。玉城にどう思われてるかも不安だけど…あの場に誰がいたっけ。倉持とゾノと…いや、どうせもう部内中に広まってるに決まってる。クソッ恥ずかしい!
…つーか…
……めっちゃくちゃ柔らくていいにおいした。手のひらに伝わる肌の感触が、なんともいえずふわふわですべすべで、ふわっと甘い爽やかな香りがして…
それで…
胸の下あたりに当たった、あの感触……
あ〜〜…今日怪我のおかげで学校休みで…良かった…
***
「――御幸!」
翌日。トン、と肩に触れる軽い衝撃。気付けばクラスメイト達が俺の周りに集まっていた。
「試合勝ったんだって?おめでとう!」
「これで甲子園だろ?」
「応援行くからな!」
…そうだ…勝ったんだ。まあその前に、神宮大会があるけど。
「…で!?御幸!」
「マジなのか!?」
「…は?何が?」
なぜか興奮気味に詰め寄ってくるクラスメイトの男達。
「1年の玉城さんと付き合ってるんだろ!?」
「いつからだよ!?」
「…は!?」
ちょっと待て…なんでそんなことに?
「付き合ってねーよ!」
「え!?でも試合後に抱き合ってるの見た奴がいるって」
「…!!!」
アレか…!!やべぇぞ…この噂が玉城の耳に入ったら…嫌われるどころか軽蔑される…!!
「…とにかく付き合ってねーから!言いふらすなよ」
「あ!どこ行くんだよ」
「詳しく教えろよ!」
逃げるように教室を後にして、校舎を出る。目指す場所はいつもの場所だ。
とにかく謝って…それから…ああでもその前に玉城はいるのか?今日は欠席の可能性もあるし…そもそも俺を避けてもうあそこには来ないかも…。
そんな不安を抱きながら校舎の角を曲がって裏に出て、非常階段に裏から近づいていき、正面に回ると――
「……。」
単語帳を手に階段に座っている玉城がいた。安堵すると同時に、ちらりとこちらを見上げる青い瞳にぎくりとする。
「……よお」
「……。」
玉城は返事もせずに単語帳を閉じ、ポケットに仕舞った。
「何か用ですか?」
素っ気ない態度。いや、いつものことだ。
ちょっと頭を掻き、勇気を振り絞って口を開いた。
「…この間は…ごめん」
「何がですか?」
「…だ、抱き着いた…こと」
「……。」
玉城はじっと俺の顔を見上げる。な…なんだ…?
「嫌。」
「……。」
え…。い、嫌って…。
「……ふふ」
そしてそのまま俺の顔を見て少し笑う玉城。
「…何笑ってんの」
「先輩の顔が面白いから。」
「…面白いとか初めて言われたんだけど」
「え〜ほんとですか?」
「そこ疑う?ま〜イケメンってのはよく言われるかな!」
「よく自分で言えますね」
「はっはっは…」
笑いかけて、わき腹に痛みが走って蹲った。
「! 先輩…」
玉城の手が俺の腕に触れる。まだ痛むわき腹を撫でつつ顔を上げ、ちょっと苦笑した。
「いや〜…笑うといてぇわ」
「……。」
さっきまでとは一転、真剣な顔で俺を見つめる玉城に、不謹慎ながら嬉しくなっちゃったりして…。
「…病院行ったんですよね?」
「行った行った。肉離れだってよ」
「……。」
「10日もすれば治るよ、このくらい」
よっこらしょ、とどさくさに紛れて隣に座ると、玉城はそれを目で追って、ズバッと言った。
「無茶なかっこつけはダサいですよ。」
「……。」
だ…ダサい…。
「……ハァ」
「なんですか?」
「…もーちょっと優しくしてくんない?」
「どうして?」
「俺怪我人。毒吐きすぎ。棘ありすぎ。冷たすぎ。」
「優しくしてほしいんですか?」
「ウン!してほしい」
「……。」
ふう、と小さくため息を吐いて、玉城は俺を見上げ、にこり、とほほ笑んだ。
えっ…可愛い…。
俺が見惚れた瞬間、白くてやわらかい手が伸びてきて、ぽんぽん、と俺の頭を優しくたたく。
「よしよし。」
「……いやそれ…馬鹿にしてるだろ」
そう強がりながら、顔がものすごく熱くなって、俺は顔を背けた。
玉城は小さく笑って、一瞬だけ触れた手を離すと、そのまま静かに頬杖をついた。
素っ気ないと思ったら、こんなふうに触れてきたり、からかってきたりして…。勘違いしそうになる。
「…喉渇いた。」
急に玉城がそう呟いて立ち上がった。
「じゃあ…さよなら」
「待てよ。自販機行くなら俺も行く」
「……。」
素っ気なく立ち去ろうとする玉城にくっついていくと、ちょっと口を尖らせながら歩き出す玉城。
構わずついて行って、校舎内の自販機に行くと、ばったりと亮さんたちに出くわした。
「げ…」
「何?げっ、て。」
ニッコニコ上機嫌な亮さんと、俺を睨みつける純さん。
「いえ…別に」
「ふーん?っていうか、仲良いね」
「……。」
ニヤニヤと俺と玉城を見比べて楽しそうな亮さん。一番見られたくない人に会っちまった…。
「もしやあの噂は本当なの?」
「違いますって!」
「…まだ何も言ってないけど?」
「…!!」
俺が弄ばれている間に、玉城は自販機に小銭を入れ、ボタンを押した。
ガコン、と音がして、玉城は屈みこんでペットボトルを取り出す。
「あっ…」
…ん?
玉城は渋い顔をしてファンタグレープを見つめていた。
「レモンティー押したのに…。」
「あぁ…たまにあるよね、ここの自販機。」
「まーファンタならまだマシだな、俺なんてこの間アクエリ買ったらおしるこが出てきやがって…」
「……。」
俺は財布を取出し、お金を自販機に入れて、冷たい紅茶のボタンを押した。押した通りの物が出てきて、俺がそれを拾い上げると、亮さんと純さんが口元に手を当てて、うわー…、と呟いた。
「…なんスか」
「アイスティー飲みたくてファンタが出て来ちゃった子の目の前でその仕打ち…」
「お前性格悪すぎるぞ」
「人聞きの悪い事いわんでください!」
俺は玉城を振り返り、その手からファンタを抜き取った。
「…ほら!」
「え…?」
代わりに紅茶のペットボトルを押し付けて、俺はファンタの蓋をあけ、少し飲む。…甘い。
「うわ〜〜〜、見た?純。」
「見た見た。あいつ猫被りやがって」
「玉城さんにやたら優しくない?俺そういうのどうかと思うなぁ」
「…ちょうどファンタ買おうと思ってただけですし」
「ぷっ…甘いもの苦手なくせに…よく言う」
「お前普段ファンタなんて飲まねーだろーが」
「……。」
こ…この人たち…俺の面子とかなんっも考慮してねぇ…。むしろ貶めて弄り倒す気マンマンじゃねーか。た…玉城の顔が見れない…。
「…あの…」
すると玉城が俺の傍に来て、俯いたまま呟いた。
「…い…いりません」
言うと同時に紅茶のペットボトルを俺に押し付けて、顔もあげないまま走り去ってしまう。
「…え?」
「……。」
「……。」
呆然とする俺、気まずそうに黙り込む亮さんと純さん。
いりませんって…な、何で?俺そんなに嫌われてるの?それとも亮さんたちにからかわれたから…?
「…なんかゴメンな。」
「げ…元気出せよ。」
「……。」
わざとらしく気遣う亮さんたちにさらに落ち込ませられながら、呆然と2つのペットボトルを見つめる。こんなに飲めねーって…。ため息を吐くと、思いの外深かった。
「…どーも嫌われてるんすよね…あいつには。」
「……。」
「……。」
俺がぼやくと、亮さんたちは顔を見合わせた。そして亮さんがニッコリといつもの笑みを浮かべ、俺を見た。
「じゃあ…珍しく落ち込んでるお前に良い事教えてやるよ。」
「え?」
「一昨日の決勝のときにさ…9回表、お前がスライディングでホームインした後…」
「……。」
「周りの奴ら全員盛り上がってるのに、玉城さんだけずっと黙りこんでてさ。」
「……。」
「でもお前が起き上がって、ガッツポーズしたら…ボロボロ泣き出したんだよ。」
「……。」
その言葉をじわじわと理解して、口をついて出た声は…
「…へ?」
何とも間抜けな声だった。
「あの子、お前の怪我の事、知ってたんだって?」
「今思えば試合中、ずっと心配そうだったよな。」
「そうそう。お前の打席の度に真剣な顔してさ…試合って言うより、お前の事見てたよ。」
「ありゃ完全に…」
「惚れてるよね。面白くないけど」
「ホントだぜ」
「……。」
そんなはず…。だって、さっきだってあんなに素っ気なくて…
「えっと…冗談?ですか?」
「そう思うならそれでいいよ。」
「え!?ちょっ…急にぼかすのやめてくださいよ!」
「だってさぁ…せっかく教えてやったのに…」
「いや、だって、そんな…信じらんねーって言うか…。」
「でもホントのことだぜ。」
「…じゃあ、今なんでお茶…突っ返されたんすかね…」
「そんなこと知るわけないだろ。お前が何かまずいことしたんじゃないの?」
「……。」
そ…そうなのか?…そうなのかも…。
でも心当たりなんて…。…あ、もしかして抱き着いたこと?
「まぁ頑張れよ(笑)」
「調子のんじゃねぇぞコラ!!」
微塵も応援なぞしていないような面白がる笑顔で言って、亮さんは踵を返す。純さんは俺に親指を下にして拳を突き出し、舌打ちを残して亮さんと一緒に去って行った。
***
「……。」
「……。」
「……。」
水を打ったように静まり返る食堂。みんな箸を止め、テレビに食い入るように見つめている。
そこに映っているのは、雪景色をバックにココアを飲み、ほっと白い息を吐く玉城。どこかうっとりとした潤む瞳で遠くを見つめ、玉城の声でセリフが流れる。
『…好きになっちゃった。』
『甘さ控えめほろにがココア。平成クレシェンド』
最後にメーカーのロゴが映り、CMが終わると、食堂に喧騒が戻ってくる。
「今の玉城じゃん!!なぜテレビに!!?」
「うるせえよ沢村!!」
「芸能人だもんな。」
「モデルオーディションでグランプリになったって話題になってたじゃん。」
「マジか!?いつのまに!?」
「僕は知ってたよ…」
「な、なんだと降谷!!?」
騒がしい沢村を横目に、内心穏やかでない気持ちを抑える。玉城が急に遠くに行ってしまったようで…もどかしい。
芸能人…か。
「つーかもうCMとか出てるんだな。早いな」
「確かに…でももうオーディション1か月くらい前だっけ?」
「雑誌にはもうちょっと前から載ってるらしいよ。クラスの女子が言ってた」
「うわー、もう完全に芸能人だな」
玉城の噂話を背に、食器を重ねて片付けて、食堂のおばちゃんにごちそうさまと声をかけ、食堂を出る。
そして部屋へ戻って参考書を開き、集中できずにすぐに閉じた。時刻は8時前。もしかしたら、玉城今日も補講で残ってるかも…。
淡い期待を胸にいつもの場所…柵越しに校舎が見える倉庫裏にバットを片手に向かった。…実は毎日来ている。週に2,3回はここで玉城と遭遇できるのだ。
前に土手の場所を教えたけど、結局来てくれたことはねーし…って、俺ちょっとストーカーっぽい?ヤバイかも…
ストレッチをし、軽くバットを振って、時間潰しに携帯を開く。…ここに来て30分くらいか。玉城こねぇなー…今日はいないのかな。それか、俺を避けて別の門から帰ったとか…。
ざり、と砂利を踏む音がした。
それだけで俺の胸に期待が膨らみ、振り返る。
「…いつもここにいますね」
ちょっと呆れたように、玉城が立っていた。
「静かに過ごせる数少ない場所なんだよ。」
「そーですか…お邪魔しました」
「おいちょっと待てって!早すぎ!」
さっさと立ち去ろうとした玉城を何とか呼び止めた。…これで俺が好きだって?ホントかよ…
「…何ですか?」
「玉城ちゃん試合見に来てくれてたんでしょ?」
「…だから?」
「まだおめでとーもお疲れ様ーもいわれてないな〜と思って!」
「……。」
玉城はこちらに向き直り、はっきりとした声で呟いた。
「だって…まだ終わりじゃないんでしょ?」
その言葉に俺は目を丸くした。
「はは…確かに…」
「……。」
「確かにそーだな!はっはっ…!いって!」
わき腹をおさえる俺を、ちょっと呆れた目で見つめる玉城。
「もう休んだらどうですか…けが人なんだから」
「玉城ちゃんがよしよししてくれたら治る気がする〜♪」
「頭も怪我したんですか?」
「はっはっは…つっ!…いてぇから笑わせんなって!」
「……。」
口を噤む玉城。ため息のように、小さく息を吐いた。
「ところでさ…俺のことが心配で泣いちゃったんだって?」
「は…?」
「亮さんから聞いたぜ♪」
「……。」
暗闇の中で玉城がそっぽを向いたのが分かった。否定しないってことは…そーなんだ。なんかまだ信じらんねーけど…
「…玉城。」
「……。」
ここまできたら…言うしかねーだろ。
「もう…俺の気持ちはバレバレかもしれないけど」
「……。」
「俺は玉城が何を考えてるのか…全然わからねーんだ」
「……。」
「けど…なんだかんだ試合に来てくれたり…心配してくれたり…もしそれが、俺の期待通りなら嬉しいんだけど…」
「……。」
「……。」
息を吐いて、また吸って、真っすぐに玉城を見つめた。
「俺と付き合ってください。」
暗闇の中で、玉城は俺を見つめて――少しうつ向いた。
「……。」
しばらく沈黙して、そして――
「…ごめんなさい」
胸にズドンとその言葉がのしかかった時…玉城は足早に去って行った。
なんだ…やっぱ、俺のことが好きなんて…間違いだったんじゃん…。ダセーな、俺…
……。
あー……
…フラれた。
ただでさえケガで気持ちが落ち込んでいたのに…泣きっ面に蜂だ。いや、告った俺の自業自得だけど…。
はあ…。さっさと風呂入って休むか…。明日から…憂鬱だ。
***
「御幸せんぱ〜〜い!」
「呼んでるぜ」
「……。」
倉持が教室のドアを指さし、俺は項垂れる。この声は…卯月…。
「何、何?一年の子?」
「御幸君の知り合い?」
「もしかして告白?」
「結構可愛くね?」
ざわつく教室から廊下へと逃げるように出ると、そこには卯月の他に鷹野がいた。よかった…。
「何?」
「あのお、光から何か連絡来てませんか〜?」
「今週ずっと学校休んでるんですよ、光。」
…また?なんでそれを俺に聞くんだか。
「来てねーけど…っていうか、俺に連絡なんてしないと思うけど。」
「え〜〜!!なんでですか?」
「なんでって…むしろなんで俺に連絡来ると思った?」
俺は嫌われてんだっつーの…。
「え〜、だってぇ…」
「ねぇ?」
「相思相愛、だし〜」
「…は?」
一体何を言い出すんだこいつらは。見当違いにもほどがあるぞ。
「いや…どっちかっつーと俺、嫌われてるから」
「え〜?何言ってるんですかぁ?」
「絶対両想いだよね。」
「私もそう思う〜」
「いやいや…いやいやいや」
「いやいやじゃないですよ〜!」
「私にも真にも、東条君にも連絡がないとなったら…御幸先輩しかいないんです!」
「いや、マジでありえない…俺フラれてるし」
「え…」
「…ええ〜〜!!?」
「ちょ…声デカい…」
卯月を黙らせて、廊下の端に移動した。それでも二人はまだ驚いた顔を見合わせている。
「光に告白したんですか?」
「…まぁ…」
「先輩フラれちゃったの〜〜!!?」
「…声デカイって」
「何かの間違いじゃ?」
「何を間違えるんだよ。」
はっきりフラれたし…ごめんなさいって。
「でも…。」
「ねぇ?」
ふたりはまだ納得がいかない様子で顔を見合わせる。勘弁してくれ…。
「あ!そうだ。じゃあ…」
不意に、鷹野がいいことを思いついたとでも言うように声を上げた。
「先輩、今ケガで部活お休み中なんですよね?」
「…だから?」
「これ、光に届けてもらえませんか?」
鷹野に手渡されたのは、プリント類が入ったクリアファイル。休んでいた間のものだろう。
「なんで俺が…」
「私たち今日は部活で忙しいんですよぉ〜〜」
「…家知らねーし…」
「学校のすぐ近くですよ。土手の橋を渡って南にまっすぐ行って、花屋さんの向かいのマンションです!」
「3階の303号室ですよ〜〜」
「おい…簡単に個人情報を…」
「だって御幸先輩だし…」
「ねぇ?」
ねぇ?じゃねぇよ。
「じゃ、お願いしま〜す!」
「光には一応メール入れておきますから!」
「あ!おい!」
示し合わせていたかのように走って逃げる二人。手元に残されたファイル。参った…。家になんて行ったら…完全にストーカーじゃんか。
あ〜〜…どうしよ…。
***
…来てしまった。
赤い煉瓦のマンションの前で佇む。大通り沿いの立派なマンション。向かい側にはちゃんと花屋もある。
303号室…だっけ。あ、そうだ。ポストに入れておけばいいじゃん。そうだそうだ、そうしよう…
……。
……ポストねーじゃん!どうなってんだよ。
見たところオートロックのマンションだし…管理が厳重なのか?
あ〜〜〜…もう…
インターフォンのナンバーディスプレイの前に立ち、3,0,3、と数字を押して、呼び出しボタンを押した。ピンポーン、とスピーカーから効果音が響き、しばらくすると、横の自動ドアがウィーンと機械音を響かせて開いた。
…モニターで俺を見て、玉城が開けた…んだよな?…何か言えよ!もうわけわからん。
エレベーターに乗り、3階を押して扉が閉まると、急に玉城の部屋を訪ねているんだという実感がわき、緊張し始める。フラれたばっかで、気まずいってのもあるけど…。
エレベーターのドアが開き、広い通路に出た。煌々と電気で照らされた通路の左側に、等間隔で扉が並んでいる。
301…、302…、…303。
ここだ…。
緊張を孕み、インターフォンを押した。数十秒の沈黙。そして、何の前触れもなく、ガチャンと鍵が開いた。
ドアがゆっくりと開く。…薄手のシャツにショートパンツ。ラフにまとめられた髪…。部屋着姿の玉城が、ドアを開けて立っていた。さっきまで眠っていたのだろうか…少し眠たげな目で俺を見上げる。
「……。…これ…、鷹野達から」
一瞬言葉に詰まって、咄嗟に手に持っていたクリアファイルを差し出した。玉城は黙ったままそれを受け取ると、しばらくそれを眺めた。
…可愛い。やっぱ…すげえ可愛い。
こんな適当なカッコされると、なんか…無防備な感じがして…。すごく新鮮で、可愛い…。
「光ちゃん?」
すると玉城の背後から、一人の若い男が現れた。
「誰?」
その男は俺を見つけ、にわかに表情を固める。
…20代半ばくらいだろうか。真面目そうな、涼しげな目元の好青年…玉城とは似ても似つかないから、兄ではないことは一目瞭然だった。
「…徹君はあっち行ってて」
玉城は少し振り返って男にそう言った。徹君、と呼ばれたその男は、俺を気にしながら部屋の奥に戻って行った。
…今のは…誰だ?家族じゃない。だって、玉城とどこも似てない。じゃあ…考えられることは…
…噂の婚約者?
「今の奴って…」
堪らず口を開いた。玉城はファイルから顔を上げ、俺を見る。
「…婚約者?」
玉城は目を瞬いて、言った。
「違います。」
え?
目を丸くする俺に、玉城は続ける。
「マネージャーです。」
「…一緒に住んでんの?」
「そんなわけないでしょ。」
ぴしゃりと言って、玉城はドアに手をかけた。
「じゃ…ありがとうございました。」
「あ…待てよ!」
ドアを掴むと、玉城はちらりと俺を見上げる。
「…学校…来てないんだって?」
「…仕事が忙しくて」
玉城は小声で答える。通路に声が響くのを気にしているらしい。
「お前の友達…心配してたぞ。」
「わかってます…でも忙しくて」
「仕事が優先?」
「…そういうわけじゃ」
「実際…学校来れてないだろ。」
「……。」
「なぁ、どっちが大事なんだよ。仕事と…学校。お前のイギリスの友達が…嘘をついてまで青道に来させてくれたんだろ?」
「……。」
「それなのに…ちゃんと通わなくてどうするんだよ。お前、何のために日本に来たんだよ。」
「……。」
「ちゃんと学校に来いよ。なんでモデルなんかなったのか知らないけど…このままじゃお前、卒業だって…」
「そんなことわかってる…」
玉城は震える声で呟いて、俯いた。
「私だって学校に行きたい…普通に学校に通いたい。」
「じゃあ…」
「でも私には時間がないんです!早く自立しなきゃ…一人で生きていけるようにならなきゃ…」
「…え?」
「友達や試験のことで悩んで、当たり前に学校に通って…誰が好きとか誰と付き合うとか、そんなこと考えてる暇はないんです!」
ぽたぽた、と雫が玉城の足元に落ちた。立ち尽くす俺たちの元に、先ほどの男…徹がやってくる。
「光ちゃん、もう少し休んだ方がいい。明日も早いんだから…」
そう言って、徹は玉城の肩に手を置く。
「君はもう帰ってくれるかな。」
徹に睨まれて、俺は睨み返した。
「…玉城!」
ドアを引っ張られて、閉まりかける隙間から見える玉城に必死で呼びかける。
「何がそんなにつらいんだよ。」
「……。」
「俺に教えてくれよ、どんなことでもいいから…!」
「……。」
「一人で抱え込むな!」
無情にもドアが閉まり、ガチャン、とご丁寧に鍵まで閉められて、廊下は静まり返った。