022
東条が置いて行った玉城の参考書。
そういえば、前…中身を見たかどうかって、やたら気にしてたっけ。
35ページに…何が書いてあるんだ?
「先輩。」
不意に木村に呼ばれて、はっと振り向いた。
「自販機行ってきます。何かいりますか?」
財布を片手にドアに手をかけて言う木村に、いや、大丈夫、と首を横に振った。
木村が部屋を出て行って、俺は机に向かい、息を止めて参考書を開く。
…几帳面に書き込まれた、綺麗な参考書。31ページ…3,5…。35ページ…。ここだ…。
そこは短歌の意味解説ページで、右下の小さな空白に、本当に小さな字で、それは書かれていた。
御
幸
一
也
…え…俺の名前?
玉城…俺の名前を落書きって…。…そういうこと…だよな。嫌いな奴の名前なんて…書かないよな。
綺麗な、そして小さな字を指先でなぞった。どんな思いで書いたんだろ…俺の名前。やばい、口元が緩む。
…でも、それならどうして…フラれたんだろう。
「……。」
暫く考えながら、そのページを眺めた。そして俺の名前の隣の短歌を見つける。
玉の緒よ 絶なば絶えね ながらへば
忍ぶることの 弱りもぞする
…懐かしい短歌だ。俺も1年前、習った…
…恋心を隠す歌。
ベタだけど…これを読んで、俺を思い浮かべたのなら…
玉城は俺のことが好きで…でも、それを言えない理由があるという事…。
…婚約者の件、だろうな。フラれた後、自分でも思った。浅はかだった、と。
――私には時間がないんです!早く自立しなきゃ…一人で生きていけるようにならなきゃ…
――友達や試験のことで悩んで、当たり前に学校に通って…誰が好きとか誰と付き合うとか、そんなこと考えてる暇はないんです!
あれって…今思えば、そういうこと…だよな。
じゃあ…玉城は今、そのためにモデルの仕事をして…自立しようとしてるのか?
家を出るために…?
……。
…いやいや…落ち着けよ俺。こんなのただの推測でしかない。
けど…直接話したい。あれから学校でも会えてねーし…こんな落書きを見ちまったら、ほっとくなんてできない。
携帯を取り出し、玉城に電話をかけた。発信ボタンを押した後で、急激に緊張が襲ってくる。
おそるおそる耳に携帯を当て、呼び出し音を聞いた。
――プルルルル…プルルルル…プルル…ブツッ
呼び出し音は突然途切れ、ツー、ツー、と無機質な電子音が響き始める。
…今…わざと切った?よな。
「……。」
もはや意地になって、俺はメールを打った。
『明日会えない?』
送信してから、ちょっと考える。これだけだとスルーされそうだな…。
『東条からお前の参考書を預かってる。』
続けてそう送信すると、5分ほどして、メールが返ってきた。
『東条に渡してください。』
ふ、と小さく笑いを零しながら、カコカコカコ、とボタンを押した。
『やだ。』
さて、どんな反応が返ってくるかな…。
『じゃあいりません。』
……。こ…こいつは…。
メールじゃ埒が明かねぇ。半ばムキになって、俺はまた電話をかけた。数回の呼び出し音の後、根負けしたように呼び出し音が途切れる。
『…なんですか?』
不愛想な声がした。
「なんですかじゃねーよ。参考書明日渡しに行くから、テストの後教室で待ってて。」
『嫌です』
「なんで?」
『…忙しいので』
その言葉はまるで、追及を逃れる言い訳みたいだった。
「じゃあ中見ちゃうけど。いいんだな?」
『…どうせもう見たんでしょ』
「あ、バレた?」
『……。』
無反応。少しは焦るかと思ったのに…
「で…なんで俺の名前書いてあんの?」
『…別に…なんとなく書いただけです』
「へー?てっきり新手のラブレターかと…」
『……。』
黙り込む玉城。頑なだな…
「……あのさ。さすがにわかるよ」
『……。』
「お前…俺のこと好きだろ。」
……沈黙。このまま電話切られそうだな、と覚悟したとき――静かな声が聞こえた。
『…だったら何?』
何がそんなに玉城を頑なにさせているのか…。
それを知るためなら、俺は何度でも言う。
「…玉城が抱えてることが知りたい。力になりたい。俺…」
「御幸ー、明日のテスト範囲って…」
「お前のことが好きだから…」
急に部屋に入ってきた倉持が、硬直して教科書を手から落とした。
「……。」
「……。」
顔が熱くなるのを感じながら、倉持の顔が赤くなっていくのを見つめ…俺たちはお互いに言葉を失ったまま立ち尽くした。耳元で、ブツッ、と短い音がして、ツー、ツー、と音が流れ始めて我に返り、俺は携帯を耳から離す。
「あ…切れた」
「…お…お前…」
倉持がわなわなと震えながら俺を睨む。
「お前、何っ…何告ってんだよ!!」
「いきなり入ってくるなよ…」
「今テスト期間中だぞ!!つーかこんなトコで告ってる方が悪いだろ!!」
「声でけぇって」
しー、と人差し指をたてながら、俺はまた玉城にリダイヤルした。俺が携帯を耳にあてると、倉持は固唾を飲んで口を噤む。
「…あ、玉城?」
「…!!?」
倉持に「信じらんねぇコイツ…」みたいな顔で凝視されながら、俺はなんだか楽しい気分で玉城に言う。
「いきなり電話切るなよ。」
『……。』
「とにかく明日行くからな!待ってろよ」
『…テストの後すぐ仕事だから…無理です』
「なんだよそれ。なら家まで行くぞ。」
『…勝手にすれば』
「何時頃帰る?」
『…8時…以降』
「わかった。じゃーまた明日♪」
『……。』
無言で切れる電話。だけど、だんだんわかってきた…素直じゃないけど、これでも実は俺のことが好き…なんて。可愛すぎ。
「御幸…お前…よくそこまで食い下がれるな…」
ストーカーかよ…、とドン引きしている倉持に、ふふんと笑みを向けた。
「もうフラれたの2回目だし。いちいち動じねーよ」
「2回!?…どんだけしつこいんだお前…」
「いいんだよこれで。玉城ちゃん、俺のこと好きだから。」
「…は…!?…!!?いや…フラれてんだろ!?」
「倉持君にはまだわかんねーかなぁ。はっはっは!」
「あぁ!?テメェ…ぶっ殺すぞ!」
***
ピンポーン…。
2度目のマンション。やはり無言のまま開く自動ドア。
今日はあの男、いるのかな…。少しモヤモヤしながら3階に着き、303号室の前に立つ。インターフォンを鳴らすと、ゴトン、と小さな物音がして、ガチャンと鍵が開いた。
学校から仕事へ行って、まだ帰って来たばかりなのだろうか。制服姿のまま、少し疲れた顔をしている。
「……。」
「よ…。久しぶり。」
玉城はドアを少し開けたまま玄関口に立って、少し視線を下げた。
「…参考書は?」
「はい。」
参考書を差し出すと、それを無言で受け取って、玉城は唇を噛むように舐めた。
「なあ…学校来いよ。」
「…行ってます」
「テスト中だけじゃなくてさ。普段も。忙しいのはわかるけど…」
「……。」
「最近あの場所行ってもお前いないし。つまんねーよ」
「……。」
俯いた玉城の顔が…耳まで真っ赤になった。
やっぱり…俺のこと…。
「なあ…本当のこと言って。」
「……。」
「俺のこと…どう思ってる?」
「……。」
玉城は俺を見ない。
「…なんとも…思ってないです。」
「……。」
「興味ないし…もう、付き纏わないで。」
「……。」
俺は玉城の声が震えたのを聞いた。
「…じゃあ…なんで泣くの?」
「…っ…」
玉城はうつ向いたまま、手で涙を拭うように目元をおさえた。ぽたぽたと雫が落ちて、白いタイルに丸い痕がついた。
「なんで嘘吐くんだよ。」
「……。」
「なあ…話してくれない?全部」
「……。」
「何か理由があるんだろ?」
「……。」
「それ聞かないと…俺、諦めらんねぇよ」
ドアに手をかけ、ゆっくりと空けると、玉城はうつ向いて泣きながら、ドアから手を離した。部屋の中から甘い香りが廊下に流れてきた。
「玉城…」
その細い腕に手を伸ばした時…
「――おい!」
野太い声が廊下に響いた。
振り向くと、スーツ姿の中年の男が、険しい形相で俺を睨みつけ、大股歩きで迫ってきていた。
「誰だお前は!!」
怒鳴りつけられてただ驚く俺の腕を、玉城が引っ張った。
――ガチャン、と鍵を閉める音を、薄暗い玄関の中で聞いて、ようやく玉城の部屋の中に引き込まれたのだと気づく。
「おい!!開けろ!!警察呼ぶぞ!!」
ドアを激しく叩き、怒鳴り声を上げる男。
「だ、誰だよ今の…」
「…お父さんです」
――え?
状況を飲み込めないでいる俺を置いて、玉城は部屋の中へ走って行った。俺も叩かれるドアを振り向きながら、おそるおそる靴を脱ぎ、玉城の後を追う。
「…お邪魔します」
遠慮がちに部屋の入り口に立つ俺をよそに、玉城はテーブルに駆け寄って、携帯を拾い上げた。どこかへ電話をかけるらしい。携帯を耳に当て、神妙な顔つきで俯く。
「――徹君!?」
縋るように、玉城は電話の相手に言った。
「うん…うん、今、お父さんが…」
「…うん…大丈夫…部屋にいる」
「……友達も…」
友達、と言いながら俺を少し見て、また俯く玉城。
「今…ドアを叩いてる…。…うん、わかった…」
涙がにじむ声で、玉城は言った。
「…早く来て…」
そして電話を切ると、その場にへたり込んだ。
「…どういうこと?」
「……。」
玉城は唇を噛みしめて鼻を啜った。ドアを叩く音が止み、つかつかと歩いていく音が遠ざかり、俺は少し玄関の方を振り返る。
「…大丈夫です…警察なんて呼べないから」
「……?」
訝む俺を、玉城はやっと見上げた。
「お父さんに連れ戻されたら…私…」
「……。」
「…結婚させられる」
携帯を握りしめる玉城の手が震えた。
「…なんで?まだ高校生だろ…お前」
「…先月…誕生日だったから…」
「…え?」
「私が、16歳に…なったから…。婚約者が…イギリスから来たんです」
「……。」
「籍だけでも入れるって…」
俺はしばらく言葉を失った。なにをいえばいいかわからなかったのだ。
「…なんで…」
「……。」
玉城はただ首を横に振って、涙をこぼして俯いた。
「…だから…自立しようとしてたのか?」
「……。」
「仕事して…お金を稼いで…父親から逃げるために?」
「……。」
玉城はただ静かに嗚咽を漏らす。否定しないってことは…そういうことか。あのマネージャー…徹って男は、その事情を知ってて…このマンションで玉城をかくまっていたんだ。
「…何で言ってくれなかったんだよ!」
玉城に近寄って、膝をついて肩を掴むと、玉城は涙で濡れた目で驚いたように俺を見た。
「そんなこと…一人で抱えてたのかよ、お前」
「……。」
「俺がなんっ…ども聞いたのに…」
「……え…?」
「この……バカ!!」
玉城は目を丸くして、ぽかん、と口を開けたまま俺を見つめた。
「そういうことは言えよ!聞いてんだから」
「…え…」
「俺じゃなきゃ気付かなかったぞ!このバカ」
「……。」
「ほんっ…と…、…バカ!」
「ば…、バカって…」
玉城の顔が少し緩んで、掴んでいた肩から力が抜けたのがわかった。
「だって…こうするしか…」
「だからって、何でも一人でやろうとすんな!もっと周りを頼れよ。…っていうか、俺を頼れ!」
「……。」
玉城は戸惑った顔で俺を見上げ、困ったようにまた視線を下げた。
「だって…」
「……。」
「…巻き込みたく…なかった…」
ポロ…、と透明のしずくが瞳からこぼれて頬を伝った。その泣き顔が綺麗で、俺は少し目を逸らして気持ちを落ち着けた。…可愛すぎ。
「…甲子園…行くんだから」
「……。」
「私になんか、構わないでください。」
「……。」
「邪魔したくない…」
そんなこと…考えてたのか。全然気づかなかった…俺はむしろ、これでやっと…少しは意識してもらえるかな…なんて…
「邪魔なんて…思わねーよ」
「え…」
「むしろ、お前が見ててくれたら…」
「……。」
「…もっと頑張れる」
「……。」
玉城は静かに涙を流したまま口を噤んだ。俺は堪らず、その細い肩を抱きしめて――玉城は肩を震わせて、遠慮がちに――俺の背中に手を回した。
***
――ガチャン。
玄関の鍵が開く音で、俺たちは顔を上げた。玉城を腕に抱いたまま、俺の服を掴む玉城の手が震えるのを感じる。彼はその細い肩を、しっかりと抱き寄せて玄関を睨んだ。
「光ちゃん!いる?」
そして入ってきた男――徹を見て、玉城が脱力したのが分かった。
徹は部屋にいる俺たちを見て、別の意味で表情を固めた。
「な…何もしてません。」
俺は両手を上げて苦笑する。徹は俺と玉城を見比べ、玉城の手を引いて自分の傍へと引き寄せた。
「…光ちゃん。今マンション内を見回ってもらってる…それと警備も増やしてもらうよう頼んだ。入口の暗証番号も明日から変わるから。」
「…はい」
玉城が頷くと、徹は俺を睨みつけた。
「それで…君は?まさかとは思うけど…光ちゃん。付き合ってるの?」
「一応…」
「いいえ」
「…え!?」
頷きかける俺に反し、きっぱりと首を横に振った玉城。
「おい…さっきの流れでそれはねーだろ…」
「…付き合うなんて言ってないもん」
「はあ〜…?」
「……。」
言い合う俺たちを、徹はしばらく静かに観察していて、ふと俺の顔を見つめてあっと声を上げた。
「君…」
「え?」
「もしかして…御幸一也君?」
「…そーっすけど」
思いがけない質問と、突然敵意が消えた徹の表情に戸惑いながら頷くと、徹はなぜか嬉しそうに玉城を見た。
「なんだ、そうだったのか!光ちゃん、御幸君と付き合ってるなら早く言ってくれればいいのに」
「…付き合ってないもん」
「え?どうして?好きなんでしょ?」
「はっはっは!もっと言ってやってください」
玉城はムッとして俺を睨み、顔を赤くして目を逸らす。
「…巻き込みたくないの」
玉城が呟いて、俺はため息をついた。
「だから…邪魔なんて思わねーって。」
「そういう意味だけじゃない。」
「じゃーなんだよ。」
「…なるほど」
言い合う俺たちを見て、また徹はわかったような顔をして口を開く。
「現役高校生モデルと、甲子園出場を果たす天才高校球児…そうやって話題になって、彼を利用したくない…そういうこと?」
「……。」
唇を引き結んで顔を背ける玉城。確かに、お互いそれなりに名前が知られてるけど…
「なんだ、そんなこと…。」
俺が呟くと、玉城は困惑したように俺を見た。
「そんなことって…こんなことで騒ぎになったら…」
「じゃあお前、話題にもならない奴としか付き合わないつもり?もったいねー」
「……。」
驚いたように言葉を失う玉城と、ちょっと感心したように笑みを浮かべる徹。
「いいじゃん。騒がせてやろうぜ。すげー騒ぎになるよ、きっと」
ケラケラ笑って言うと、玉城はいっそ呆れたように俺を見た。
「な!付き合おうぜ」
「……。」
玉城はまだ迷うように腕を組み、目を背ける。
「…でも…」
「何?まだなんか問題でも?」
「…光ちゃん。もしかして…あの事気にしてる?」
徹が玉城の肩に手を置いて優しく尋ねると、玉城は唇を噛んだ。…あの事?って、なんだ?
「彼に話してみなよ。きっと大丈夫。じゃ、僕はもう帰るから…」
「え…、徹君!」
急に慌てだす玉城に手を振って、徹はさっさと帰ってしまった。な…なんなんだ?
「……。」
玉城はしばらく玄関を見つめて佇んでいた。
「…で…何?あの事って。」
「……。」
ここまできたらとことん付き合ってやる。そんで意地でも玉城と付き合う。
「なんだよ?もったいぶって。」
「……。」
「もしかして実は男でした〜、とか?それはちょっと勘弁かも…なーんて」
「……。」
玉城はこっちを振り向いて、唇を引き結んで、俯いて…はぁ、と息を吐き出した。
そしてゆっくりとソファへ歩いて行って、そこへ座った。
「なぁ、何なんだよ…」
そう言いかけて、玉城の顔が泣きそうに顰められ、目じりが赤くなるのを見て、俺は口を噤んだ。玉城は小さく深呼吸するみたいに吸って、吐いてから、思いつめたような顔で俺を見上げる。
「…先輩…」
「ん?」
「…本当に…私のこと、好き?」
改めてそんなこと聞かれなくたって…
「好きだよ。」
何度だって言う。
「……。」
玉城は目を潤ませる。なんでそんな悲しそうな顔をするのか…俺にはわからなかった。
「……これでも?」
震える声でそう言って、玉城は躊躇いながら、左脚をゆっくりとソファの上に上げた。そして、捲れるスカートの裾を、少しずつ、さらに捲り上げる。白い太腿が際どい所まで曝され、俺はぎょっと息を飲んで顔を背けた。
「ちょっ…、…パンツ見えるぞ〜…」
僅かな理性を振り絞って精一杯茶化したのに、玉城は真剣な声で言った。
「…見てください」
え…!?…パンツを?
なーんて…そんなわけないよな…?
…ちら、と玉城を見ると、玉城はスカートをギリギリまで捲り上げ、左脚の太腿の内側を見せていた。その真っ白な肌に、引きつれたような薄紅色の一本の線。…傷痕?
「…どうしたんだ?それ」
「…12歳の時…お父さんに、つけられた傷です」
「…え…?」
言葉を失う俺を、玉城は覚悟を決めたような目で見上げ、足を下ろした。
「…嫌でしょ?いいんです、わかってたから」
「……。」
「…帰ってくれませんか」
「…待てよ…勝手に決めんな」
俺が呟くと、玉城は口を噤んだ。
俺は玉城の前に歩いて行って、膝をついて、彼女の両手を掴んで…しっかりと目を見つめ返した。
「ちゃんと教えて。」
「……。」
「父親から…いつもこんなことされんのか?」
「……。」
玉城は目を潤ませ、首を横に振る。
「…手をあげられたのは…この傷だけ…」
「何があった?」
「わたし…私、…っ」
「落ち着いて…ゆっくりでいい。ちゃんと聞くから」
玉城は目をぎゅっとつぶり、泣き出した。袖で涙を拭ってやって、それでも止め処なくあふれてくる涙に、俺は立ち上がって隣に座って、彼女を抱きしめた。
「話せる?」
「……っ」
こくん。小さく玉城が頷いて、肩口で声がした。
「…結婚するまで…そういうこと、できないようにって」
「……。」
…マジ?そんな話…現代の日本にある?…あ、イギリスか…いやそれでもねーよ。
俺どうするべき?
「…それで…なんで俺と付き合えねーの?」
「……。」
小さく震える手。
「…引くでしょ、こんなの…」
「引かねーよ。」
即答すると、玉城が少し息を飲んだのが分かった。
「あのな…一応、お前に婚約者がいること知ってる上で、何度も告ってんだぞ。」
「……。」
「生半可な気持ちじゃねーし…それに…」
腕の中の彼女のぬくもりには、今もドキドキする。
「傷があったって、俺は…その」
「……。」
「…お前のこと、そーゆー目で…見てるけど」
「……。」
むくり、と玉城が顔を上げて、俺を見上げた。
「…っていうか、いきなり際どいとこ見せられて、すげー動揺してるんだけど!」
「……。」
「…あ〜思い出したらヤバイ。ちょっと離れて」
立ち上がって窓辺に歩いて行って深呼吸すると、小さく笑い声が聞こえた。
「…何笑ってんの」
ムッとして振りむくと、玉城はまだ涙の痕が残る頬を綻ばせていた。
「……。」
そしてはにかんで、濡れている目じりを手の甲で拭った。
「…じゃあ…」
「……?」
「それで終わり?」
「…え?」
「お前が俺を振った理由。これで全部?」
「……。」
ぽかん、と俺を見上げる玉城に、にやりと笑みを向ける。
「それならもういいよな。」
「え…」
「何も問題なし!付き合ってくれるよな?」
「……。」
玉城はうつ向いて唇を噛み、涙を堪えるように微笑んで、立ち上がって…俺の傍に歩いてきた。そして手を伸ばして、抱き着いてきた。柔らかな体を抱きとめ、背中に手を回す。
「オッケーってこと?」
「……。」
俺の胸に顔を埋めていた玉城は、ちょっと顔を上げて――頷いた。
喜びが湧き上がる胸に、玉城がまた顔を埋める。よっしゃ…。…やった!彼女…俺の彼女。玉城が俺の彼女!
信じらんねぇ〜…なんかまだ気持ちがふわふわする。
「……。」
玉城が顔を上げ、涙を拭いた。その姿を見ていたら――自然とその小さな頭を撫でていた。ぽん、と手を載せると、玉城は少しはにかむ。
「絶対幸せにする。」
「…なにそれ…プロポーズみたい」
可笑しそうに笑う玉城に、今は微笑んだ。
ほんとはそういう気持ちもあるけど…それはまた、改めて伝えたいから――…。
そういえば、前…中身を見たかどうかって、やたら気にしてたっけ。
35ページに…何が書いてあるんだ?
「先輩。」
不意に木村に呼ばれて、はっと振り向いた。
「自販機行ってきます。何かいりますか?」
財布を片手にドアに手をかけて言う木村に、いや、大丈夫、と首を横に振った。
木村が部屋を出て行って、俺は机に向かい、息を止めて参考書を開く。
…几帳面に書き込まれた、綺麗な参考書。31ページ…3,5…。35ページ…。ここだ…。
そこは短歌の意味解説ページで、右下の小さな空白に、本当に小さな字で、それは書かれていた。
御
幸
一
也
…え…俺の名前?
玉城…俺の名前を落書きって…。…そういうこと…だよな。嫌いな奴の名前なんて…書かないよな。
綺麗な、そして小さな字を指先でなぞった。どんな思いで書いたんだろ…俺の名前。やばい、口元が緩む。
…でも、それならどうして…フラれたんだろう。
「……。」
暫く考えながら、そのページを眺めた。そして俺の名前の隣の短歌を見つける。
玉の緒よ 絶なば絶えね ながらへば
忍ぶることの 弱りもぞする
…懐かしい短歌だ。俺も1年前、習った…
…恋心を隠す歌。
ベタだけど…これを読んで、俺を思い浮かべたのなら…
玉城は俺のことが好きで…でも、それを言えない理由があるという事…。
…婚約者の件、だろうな。フラれた後、自分でも思った。浅はかだった、と。
――私には時間がないんです!早く自立しなきゃ…一人で生きていけるようにならなきゃ…
――友達や試験のことで悩んで、当たり前に学校に通って…誰が好きとか誰と付き合うとか、そんなこと考えてる暇はないんです!
あれって…今思えば、そういうこと…だよな。
じゃあ…玉城は今、そのためにモデルの仕事をして…自立しようとしてるのか?
家を出るために…?
……。
…いやいや…落ち着けよ俺。こんなのただの推測でしかない。
けど…直接話したい。あれから学校でも会えてねーし…こんな落書きを見ちまったら、ほっとくなんてできない。
携帯を取り出し、玉城に電話をかけた。発信ボタンを押した後で、急激に緊張が襲ってくる。
おそるおそる耳に携帯を当て、呼び出し音を聞いた。
――プルルルル…プルルルル…プルル…ブツッ
呼び出し音は突然途切れ、ツー、ツー、と無機質な電子音が響き始める。
…今…わざと切った?よな。
「……。」
もはや意地になって、俺はメールを打った。
『明日会えない?』
送信してから、ちょっと考える。これだけだとスルーされそうだな…。
『東条からお前の参考書を預かってる。』
続けてそう送信すると、5分ほどして、メールが返ってきた。
『東条に渡してください。』
ふ、と小さく笑いを零しながら、カコカコカコ、とボタンを押した。
『やだ。』
さて、どんな反応が返ってくるかな…。
『じゃあいりません。』
……。こ…こいつは…。
メールじゃ埒が明かねぇ。半ばムキになって、俺はまた電話をかけた。数回の呼び出し音の後、根負けしたように呼び出し音が途切れる。
『…なんですか?』
不愛想な声がした。
「なんですかじゃねーよ。参考書明日渡しに行くから、テストの後教室で待ってて。」
『嫌です』
「なんで?」
『…忙しいので』
その言葉はまるで、追及を逃れる言い訳みたいだった。
「じゃあ中見ちゃうけど。いいんだな?」
『…どうせもう見たんでしょ』
「あ、バレた?」
『……。』
無反応。少しは焦るかと思ったのに…
「で…なんで俺の名前書いてあんの?」
『…別に…なんとなく書いただけです』
「へー?てっきり新手のラブレターかと…」
『……。』
黙り込む玉城。頑なだな…
「……あのさ。さすがにわかるよ」
『……。』
「お前…俺のこと好きだろ。」
……沈黙。このまま電話切られそうだな、と覚悟したとき――静かな声が聞こえた。
『…だったら何?』
何がそんなに玉城を頑なにさせているのか…。
それを知るためなら、俺は何度でも言う。
「…玉城が抱えてることが知りたい。力になりたい。俺…」
「御幸ー、明日のテスト範囲って…」
「お前のことが好きだから…」
急に部屋に入ってきた倉持が、硬直して教科書を手から落とした。
「……。」
「……。」
顔が熱くなるのを感じながら、倉持の顔が赤くなっていくのを見つめ…俺たちはお互いに言葉を失ったまま立ち尽くした。耳元で、ブツッ、と短い音がして、ツー、ツー、と音が流れ始めて我に返り、俺は携帯を耳から離す。
「あ…切れた」
「…お…お前…」
倉持がわなわなと震えながら俺を睨む。
「お前、何っ…何告ってんだよ!!」
「いきなり入ってくるなよ…」
「今テスト期間中だぞ!!つーかこんなトコで告ってる方が悪いだろ!!」
「声でけぇって」
しー、と人差し指をたてながら、俺はまた玉城にリダイヤルした。俺が携帯を耳にあてると、倉持は固唾を飲んで口を噤む。
「…あ、玉城?」
「…!!?」
倉持に「信じらんねぇコイツ…」みたいな顔で凝視されながら、俺はなんだか楽しい気分で玉城に言う。
「いきなり電話切るなよ。」
『……。』
「とにかく明日行くからな!待ってろよ」
『…テストの後すぐ仕事だから…無理です』
「なんだよそれ。なら家まで行くぞ。」
『…勝手にすれば』
「何時頃帰る?」
『…8時…以降』
「わかった。じゃーまた明日♪」
『……。』
無言で切れる電話。だけど、だんだんわかってきた…素直じゃないけど、これでも実は俺のことが好き…なんて。可愛すぎ。
「御幸…お前…よくそこまで食い下がれるな…」
ストーカーかよ…、とドン引きしている倉持に、ふふんと笑みを向けた。
「もうフラれたの2回目だし。いちいち動じねーよ」
「2回!?…どんだけしつこいんだお前…」
「いいんだよこれで。玉城ちゃん、俺のこと好きだから。」
「…は…!?…!!?いや…フラれてんだろ!?」
「倉持君にはまだわかんねーかなぁ。はっはっは!」
「あぁ!?テメェ…ぶっ殺すぞ!」
***
ピンポーン…。
2度目のマンション。やはり無言のまま開く自動ドア。
今日はあの男、いるのかな…。少しモヤモヤしながら3階に着き、303号室の前に立つ。インターフォンを鳴らすと、ゴトン、と小さな物音がして、ガチャンと鍵が開いた。
学校から仕事へ行って、まだ帰って来たばかりなのだろうか。制服姿のまま、少し疲れた顔をしている。
「……。」
「よ…。久しぶり。」
玉城はドアを少し開けたまま玄関口に立って、少し視線を下げた。
「…参考書は?」
「はい。」
参考書を差し出すと、それを無言で受け取って、玉城は唇を噛むように舐めた。
「なあ…学校来いよ。」
「…行ってます」
「テスト中だけじゃなくてさ。普段も。忙しいのはわかるけど…」
「……。」
「最近あの場所行ってもお前いないし。つまんねーよ」
「……。」
俯いた玉城の顔が…耳まで真っ赤になった。
やっぱり…俺のこと…。
「なあ…本当のこと言って。」
「……。」
「俺のこと…どう思ってる?」
「……。」
玉城は俺を見ない。
「…なんとも…思ってないです。」
「……。」
「興味ないし…もう、付き纏わないで。」
「……。」
俺は玉城の声が震えたのを聞いた。
「…じゃあ…なんで泣くの?」
「…っ…」
玉城はうつ向いたまま、手で涙を拭うように目元をおさえた。ぽたぽたと雫が落ちて、白いタイルに丸い痕がついた。
「なんで嘘吐くんだよ。」
「……。」
「なあ…話してくれない?全部」
「……。」
「何か理由があるんだろ?」
「……。」
「それ聞かないと…俺、諦めらんねぇよ」
ドアに手をかけ、ゆっくりと空けると、玉城はうつ向いて泣きながら、ドアから手を離した。部屋の中から甘い香りが廊下に流れてきた。
「玉城…」
その細い腕に手を伸ばした時…
「――おい!」
野太い声が廊下に響いた。
振り向くと、スーツ姿の中年の男が、険しい形相で俺を睨みつけ、大股歩きで迫ってきていた。
「誰だお前は!!」
怒鳴りつけられてただ驚く俺の腕を、玉城が引っ張った。
――ガチャン、と鍵を閉める音を、薄暗い玄関の中で聞いて、ようやく玉城の部屋の中に引き込まれたのだと気づく。
「おい!!開けろ!!警察呼ぶぞ!!」
ドアを激しく叩き、怒鳴り声を上げる男。
「だ、誰だよ今の…」
「…お父さんです」
――え?
状況を飲み込めないでいる俺を置いて、玉城は部屋の中へ走って行った。俺も叩かれるドアを振り向きながら、おそるおそる靴を脱ぎ、玉城の後を追う。
「…お邪魔します」
遠慮がちに部屋の入り口に立つ俺をよそに、玉城はテーブルに駆け寄って、携帯を拾い上げた。どこかへ電話をかけるらしい。携帯を耳に当て、神妙な顔つきで俯く。
「――徹君!?」
縋るように、玉城は電話の相手に言った。
「うん…うん、今、お父さんが…」
「…うん…大丈夫…部屋にいる」
「……友達も…」
友達、と言いながら俺を少し見て、また俯く玉城。
「今…ドアを叩いてる…。…うん、わかった…」
涙がにじむ声で、玉城は言った。
「…早く来て…」
そして電話を切ると、その場にへたり込んだ。
「…どういうこと?」
「……。」
玉城は唇を噛みしめて鼻を啜った。ドアを叩く音が止み、つかつかと歩いていく音が遠ざかり、俺は少し玄関の方を振り返る。
「…大丈夫です…警察なんて呼べないから」
「……?」
訝む俺を、玉城はやっと見上げた。
「お父さんに連れ戻されたら…私…」
「……。」
「…結婚させられる」
携帯を握りしめる玉城の手が震えた。
「…なんで?まだ高校生だろ…お前」
「…先月…誕生日だったから…」
「…え?」
「私が、16歳に…なったから…。婚約者が…イギリスから来たんです」
「……。」
「籍だけでも入れるって…」
俺はしばらく言葉を失った。なにをいえばいいかわからなかったのだ。
「…なんで…」
「……。」
玉城はただ首を横に振って、涙をこぼして俯いた。
「…だから…自立しようとしてたのか?」
「……。」
「仕事して…お金を稼いで…父親から逃げるために?」
「……。」
玉城はただ静かに嗚咽を漏らす。否定しないってことは…そういうことか。あのマネージャー…徹って男は、その事情を知ってて…このマンションで玉城をかくまっていたんだ。
「…何で言ってくれなかったんだよ!」
玉城に近寄って、膝をついて肩を掴むと、玉城は涙で濡れた目で驚いたように俺を見た。
「そんなこと…一人で抱えてたのかよ、お前」
「……。」
「俺がなんっ…ども聞いたのに…」
「……え…?」
「この……バカ!!」
玉城は目を丸くして、ぽかん、と口を開けたまま俺を見つめた。
「そういうことは言えよ!聞いてんだから」
「…え…」
「俺じゃなきゃ気付かなかったぞ!このバカ」
「……。」
「ほんっ…と…、…バカ!」
「ば…、バカって…」
玉城の顔が少し緩んで、掴んでいた肩から力が抜けたのがわかった。
「だって…こうするしか…」
「だからって、何でも一人でやろうとすんな!もっと周りを頼れよ。…っていうか、俺を頼れ!」
「……。」
玉城は戸惑った顔で俺を見上げ、困ったようにまた視線を下げた。
「だって…」
「……。」
「…巻き込みたく…なかった…」
ポロ…、と透明のしずくが瞳からこぼれて頬を伝った。その泣き顔が綺麗で、俺は少し目を逸らして気持ちを落ち着けた。…可愛すぎ。
「…甲子園…行くんだから」
「……。」
「私になんか、構わないでください。」
「……。」
「邪魔したくない…」
そんなこと…考えてたのか。全然気づかなかった…俺はむしろ、これでやっと…少しは意識してもらえるかな…なんて…
「邪魔なんて…思わねーよ」
「え…」
「むしろ、お前が見ててくれたら…」
「……。」
「…もっと頑張れる」
「……。」
玉城は静かに涙を流したまま口を噤んだ。俺は堪らず、その細い肩を抱きしめて――玉城は肩を震わせて、遠慮がちに――俺の背中に手を回した。
***
――ガチャン。
玄関の鍵が開く音で、俺たちは顔を上げた。玉城を腕に抱いたまま、俺の服を掴む玉城の手が震えるのを感じる。彼はその細い肩を、しっかりと抱き寄せて玄関を睨んだ。
「光ちゃん!いる?」
そして入ってきた男――徹を見て、玉城が脱力したのが分かった。
徹は部屋にいる俺たちを見て、別の意味で表情を固めた。
「な…何もしてません。」
俺は両手を上げて苦笑する。徹は俺と玉城を見比べ、玉城の手を引いて自分の傍へと引き寄せた。
「…光ちゃん。今マンション内を見回ってもらってる…それと警備も増やしてもらうよう頼んだ。入口の暗証番号も明日から変わるから。」
「…はい」
玉城が頷くと、徹は俺を睨みつけた。
「それで…君は?まさかとは思うけど…光ちゃん。付き合ってるの?」
「一応…」
「いいえ」
「…え!?」
頷きかける俺に反し、きっぱりと首を横に振った玉城。
「おい…さっきの流れでそれはねーだろ…」
「…付き合うなんて言ってないもん」
「はあ〜…?」
「……。」
言い合う俺たちを、徹はしばらく静かに観察していて、ふと俺の顔を見つめてあっと声を上げた。
「君…」
「え?」
「もしかして…御幸一也君?」
「…そーっすけど」
思いがけない質問と、突然敵意が消えた徹の表情に戸惑いながら頷くと、徹はなぜか嬉しそうに玉城を見た。
「なんだ、そうだったのか!光ちゃん、御幸君と付き合ってるなら早く言ってくれればいいのに」
「…付き合ってないもん」
「え?どうして?好きなんでしょ?」
「はっはっは!もっと言ってやってください」
玉城はムッとして俺を睨み、顔を赤くして目を逸らす。
「…巻き込みたくないの」
玉城が呟いて、俺はため息をついた。
「だから…邪魔なんて思わねーって。」
「そういう意味だけじゃない。」
「じゃーなんだよ。」
「…なるほど」
言い合う俺たちを見て、また徹はわかったような顔をして口を開く。
「現役高校生モデルと、甲子園出場を果たす天才高校球児…そうやって話題になって、彼を利用したくない…そういうこと?」
「……。」
唇を引き結んで顔を背ける玉城。確かに、お互いそれなりに名前が知られてるけど…
「なんだ、そんなこと…。」
俺が呟くと、玉城は困惑したように俺を見た。
「そんなことって…こんなことで騒ぎになったら…」
「じゃあお前、話題にもならない奴としか付き合わないつもり?もったいねー」
「……。」
驚いたように言葉を失う玉城と、ちょっと感心したように笑みを浮かべる徹。
「いいじゃん。騒がせてやろうぜ。すげー騒ぎになるよ、きっと」
ケラケラ笑って言うと、玉城はいっそ呆れたように俺を見た。
「な!付き合おうぜ」
「……。」
玉城はまだ迷うように腕を組み、目を背ける。
「…でも…」
「何?まだなんか問題でも?」
「…光ちゃん。もしかして…あの事気にしてる?」
徹が玉城の肩に手を置いて優しく尋ねると、玉城は唇を噛んだ。…あの事?って、なんだ?
「彼に話してみなよ。きっと大丈夫。じゃ、僕はもう帰るから…」
「え…、徹君!」
急に慌てだす玉城に手を振って、徹はさっさと帰ってしまった。な…なんなんだ?
「……。」
玉城はしばらく玄関を見つめて佇んでいた。
「…で…何?あの事って。」
「……。」
ここまできたらとことん付き合ってやる。そんで意地でも玉城と付き合う。
「なんだよ?もったいぶって。」
「……。」
「もしかして実は男でした〜、とか?それはちょっと勘弁かも…なーんて」
「……。」
玉城はこっちを振り向いて、唇を引き結んで、俯いて…はぁ、と息を吐き出した。
そしてゆっくりとソファへ歩いて行って、そこへ座った。
「なぁ、何なんだよ…」
そう言いかけて、玉城の顔が泣きそうに顰められ、目じりが赤くなるのを見て、俺は口を噤んだ。玉城は小さく深呼吸するみたいに吸って、吐いてから、思いつめたような顔で俺を見上げる。
「…先輩…」
「ん?」
「…本当に…私のこと、好き?」
改めてそんなこと聞かれなくたって…
「好きだよ。」
何度だって言う。
「……。」
玉城は目を潤ませる。なんでそんな悲しそうな顔をするのか…俺にはわからなかった。
「……これでも?」
震える声でそう言って、玉城は躊躇いながら、左脚をゆっくりとソファの上に上げた。そして、捲れるスカートの裾を、少しずつ、さらに捲り上げる。白い太腿が際どい所まで曝され、俺はぎょっと息を飲んで顔を背けた。
「ちょっ…、…パンツ見えるぞ〜…」
僅かな理性を振り絞って精一杯茶化したのに、玉城は真剣な声で言った。
「…見てください」
え…!?…パンツを?
なーんて…そんなわけないよな…?
…ちら、と玉城を見ると、玉城はスカートをギリギリまで捲り上げ、左脚の太腿の内側を見せていた。その真っ白な肌に、引きつれたような薄紅色の一本の線。…傷痕?
「…どうしたんだ?それ」
「…12歳の時…お父さんに、つけられた傷です」
「…え…?」
言葉を失う俺を、玉城は覚悟を決めたような目で見上げ、足を下ろした。
「…嫌でしょ?いいんです、わかってたから」
「……。」
「…帰ってくれませんか」
「…待てよ…勝手に決めんな」
俺が呟くと、玉城は口を噤んだ。
俺は玉城の前に歩いて行って、膝をついて、彼女の両手を掴んで…しっかりと目を見つめ返した。
「ちゃんと教えて。」
「……。」
「父親から…いつもこんなことされんのか?」
「……。」
玉城は目を潤ませ、首を横に振る。
「…手をあげられたのは…この傷だけ…」
「何があった?」
「わたし…私、…っ」
「落ち着いて…ゆっくりでいい。ちゃんと聞くから」
玉城は目をぎゅっとつぶり、泣き出した。袖で涙を拭ってやって、それでも止め処なくあふれてくる涙に、俺は立ち上がって隣に座って、彼女を抱きしめた。
「話せる?」
「……っ」
こくん。小さく玉城が頷いて、肩口で声がした。
「…結婚するまで…そういうこと、できないようにって」
「……。」
…マジ?そんな話…現代の日本にある?…あ、イギリスか…いやそれでもねーよ。
俺どうするべき?
「…それで…なんで俺と付き合えねーの?」
「……。」
小さく震える手。
「…引くでしょ、こんなの…」
「引かねーよ。」
即答すると、玉城が少し息を飲んだのが分かった。
「あのな…一応、お前に婚約者がいること知ってる上で、何度も告ってんだぞ。」
「……。」
「生半可な気持ちじゃねーし…それに…」
腕の中の彼女のぬくもりには、今もドキドキする。
「傷があったって、俺は…その」
「……。」
「…お前のこと、そーゆー目で…見てるけど」
「……。」
むくり、と玉城が顔を上げて、俺を見上げた。
「…っていうか、いきなり際どいとこ見せられて、すげー動揺してるんだけど!」
「……。」
「…あ〜思い出したらヤバイ。ちょっと離れて」
立ち上がって窓辺に歩いて行って深呼吸すると、小さく笑い声が聞こえた。
「…何笑ってんの」
ムッとして振りむくと、玉城はまだ涙の痕が残る頬を綻ばせていた。
「……。」
そしてはにかんで、濡れている目じりを手の甲で拭った。
「…じゃあ…」
「……?」
「それで終わり?」
「…え?」
「お前が俺を振った理由。これで全部?」
「……。」
ぽかん、と俺を見上げる玉城に、にやりと笑みを向ける。
「それならもういいよな。」
「え…」
「何も問題なし!付き合ってくれるよな?」
「……。」
玉城はうつ向いて唇を噛み、涙を堪えるように微笑んで、立ち上がって…俺の傍に歩いてきた。そして手を伸ばして、抱き着いてきた。柔らかな体を抱きとめ、背中に手を回す。
「オッケーってこと?」
「……。」
俺の胸に顔を埋めていた玉城は、ちょっと顔を上げて――頷いた。
喜びが湧き上がる胸に、玉城がまた顔を埋める。よっしゃ…。…やった!彼女…俺の彼女。玉城が俺の彼女!
信じらんねぇ〜…なんかまだ気持ちがふわふわする。
「……。」
玉城が顔を上げ、涙を拭いた。その姿を見ていたら――自然とその小さな頭を撫でていた。ぽん、と手を載せると、玉城は少しはにかむ。
「絶対幸せにする。」
「…なにそれ…プロポーズみたい」
可笑しそうに笑う玉城に、今は微笑んだ。
ほんとはそういう気持ちもあるけど…それはまた、改めて伝えたいから――…。