028
「やっほー」
「……。」
今日も今日とていつもの場所で逢引き…なんちゃって。
光は参考書を閉じ、俺を見上げた。
「一也先輩…」
「んー?」
隣に座って、スコアブックを開こうとしたのをやめて光を見る。
「東条から聞いたんだけど…」
「?」
「この間…野球部の人たちに、見られた時のこと…」
「あぁ」
「私に告白してフラれたって嘘ついてたの?」
真剣な顔…別に大したことじゃないのに。
「あ〜…騒ぎになりそうだったから」
「…何度もそう言ってるって」
「アイツらすぐ騒ぐからな〜。モテないから、ちょっと女子と話してるとすーぐ…。」
「……。」
「お…おいおい、そんなに気にしなくても」
俯く光の手を握った。さりげなくできるのはここまで…これ以上はまだ緊張する。
「俺のこと心配してくれてるんだ?」
「…だって…騒がれたくないって言ったのは…私だし…、…本当は…付き合ってる、のに」
「そーだよ。」
「え…?」
「本当は付き合ってる。だからそれでいい」
「……。」
光は顔を赤くして俺を見上げた。
「惚れなおした?」
「え……。」
光は呆れたようにはにかんだ。何言ってんの、バカ、なんて言われるかな、と思ったけど…
「…うん」
光がそう頷いて、俺は顔が緩み切ったまま赤面した。
「ははは…それなら恥かいたかいがある…。」
「……。」
…ぎゅ、と手に力を籠め、光の横顔を見る。光も気づいたように、俺を振り向く。
「……。」
「……。」
見つめ合って、意思を確認して、ちょっと顔を近づけてみて…。
「……。」
光が目を閉じて、…よし、と決意する。そして唇を、重ねる…。
「……。」
「……。」
唇が…熱い。手の中にある光の手も…触れ合う肩も…。
でも…もう少しだけ、近くに…。
唇を少しだけ開き、光の柔らかな唇を弱く、撫でるように食んでみる。手の中で小さな手がぴくりと震える。
唇を離し、恥ずかしそうに唇を舐めた光に、また顔を近づけると、光はぎこちなく少し顎を上げ、2度目のキスを受けいれた。今度はもう少し強く、唇をくっつけて…引き結ばれた小さな唇を、また少し開いた唇で撫でて、光の反応を窺って――そっと、舌で舐めてみる。
「っ…」
光がかすかに息を飲んだのが分かった。薄く目を開けて様子を見ると、光はまだ目を閉じている。もう一度、唇で光の唇を弱く挟んでみる。すると…その小さな唇が、応えるように、わずかに開いた。
高揚感と緊張で心臓の鼓動に胸を震わせながら、舌でそっと、唇の間を舐めた。
いいのかな…これで…。
そう迷いながら…戸惑いながら。すると小さな唇の隙間を撫でていた自分の舌先を、そっと、熱くて柔らかくて…甘いものがくすぐった。
ぶわっ、と頭に熱が上がって、一瞬目の前が真っ白になった後、それが光の舌だったことを確信する。応えようとしてくれてる…。俺の独りよがりじゃ…ないよな?
もう一度、唇の間に舌を沿って…、開いた唇の間に滑り込ませた。光の口の中…。熱い……。
小さな舌が…俺の舌をぎこちなく撫でて、熱が絡まって…
「…っ」
唇を離し、お互いに真っ赤になった顔で俯いた。
やばい…。ディープキスって…やばい。気持ち良すぎ…。
「…つ 次…体育だから…もう、行くね…。」
「あ…、あぁ」
光はうつ向いたままそう言って、だけど立ち上がる前に俺を見て、意を決したように――身を乗り出して、一瞬迷った後、頬にキスをして…逃げるように去って行った。
…ほっぺ…。ディープキスした後に、あんなに照れて、ほっぺ…。
「…はは」
可愛すぎ…。
っていうか、やばい。
…勃起した。
俺はしばらくそこで、熱が鎮まるのを待った。
***
『セックスが怖いというバージン/セカンドバージンの女性を上手くセックスに誘う方法』
「……。」
いや…馬鹿馬鹿しい。こんなの結局、当人たち次第だろ……
「御幸!このビデオ…」
「うわ!…なんだよ」
またいきなり部屋に入ってくる倉持。ずかずかと無遠慮に入室すると、俺を睨んだ。
「お前最近よく携帯見てんな」
「別に…で、何?」
「はぐらかすな!まさか彼女じゃねーだろうなぁ?」
「うるせぇなぁ…早く用件を言えよ」
「なっ…!まさかマジで…」
「違うって。安心したか?童貞」
「テメェ…いちいち…」
「あの沢村(バカ)にも彼女がいるからって焦るのはわかるけど落ち着けよ。」
「ぶっ殺すぞ」
倉持は指を鳴らすと、持ってきたビデオを掲げて鼻を鳴らした。
「…つかこのビデオ!この間言ってた試合のヤツ!ナベが持ってきてくれたんだよ」
「お〜アレか!」
「今から見るだろ?」
「見る見る」
ゾノたちはもう食堂にいるぞ、という倉持と一緒に食堂へ行き、試合のビデオを見ながらナベの解説を聞き、ミーティングを終えた頃…。
「じゃ…俺はもう休むぜ」
「俺も」
「俺も…」
「……?」
倉持や麻生たちがそわそわと立ち上がって、俺やナベは疑問符を浮かべて顔を見合わせた。
「そわそわしてどーした?お前ら」
「べっ…つにソワソワなんてしてねーけど!?」
「動揺しすぎだよ」
「…!!!」
顔を赤くした麻生を指さし、関が声を上げた。
「明日バレンタインだもんな!な!」
「あ!?…俺は別にそんなこと…!!」
バレンタイン?カレンダーを見て、確かに明日は2月14日だと気づいた。
「……。」
バレンタイン…か。思わず顔が歪んで、こっそりため息をついた。
「…テメーは何嫌そうな顔してんだ!自慢か!?アァ!?」
「だってめんどくせーし…」
「うわこいつ最低!!」
知らない女子からチョコなんて貰ってもさぁ…そもそも甘いもん好きじゃないし。断ったら断ったで、悪評が広まるし。バレンタインはあまりいい思い出はない。
あ…でも今年はもしかしたら…光からもらえるかも…?それは嬉しいな…。
「アイツ去年皆の前で女子にチョコ突っ返して泣かしたんだぜ」
「それ知ってる!人でなしだよな」
「悪魔だよ」
「モテるからって調子に乗ってんだよ。顔は良くても性格は最悪…」
「おいおい、聞こえてるぞ〜」
わざとだろうけど。
俺の悪口で盛り上がる面々を、ナベだけは苦笑してみている。
「でも…去年も御幸、マネージャーと食堂のおばちゃんから以外はチョコ受け取ってないよね。」
「まー…お返しもできねーし」
「本命以外は受け取らない主義?」
「……。」
そう…かも。光のだったらほしい…。
ナベはその答えを見通したように微笑んだ。
「御幸がチョコを貰うとしたらどんな子なのか…それはちょっと興味あるかも。」
「もらえるわけねーよこの性悪が!」
「去年で悪評を広めたもんな」
「死ね!」
「おい…最後ただの暴言…」
***
バレンタイン当日。
朝からそわそわ落ち着かない倉持はちょっと笑える。
「何人の顔見て笑ってんだテメー!」
「いや〜面白いなって」
「あぁ!?殺されて―のか!!」
「まぁまぁ…そんな怖い顔してたらもらえないよ?」
「テメ…覚えとけよ…」
怒号を飲みこむ倉持を笑いながら昇降口に入り、下駄箱を開けて…
げっ、と顔が引きつった。
「…お前まさか…」
固まった俺の後ろから倉持が下駄箱の中を覗き込んでくる。
下駄箱の中に押し込まれた可愛らしい柄の箱や袋…こういうことされると返せないから困るんだけど…。
「ウガァァァこいつ3つも貰いやがった!!」
「はァ!?マジ!?」
「朝一で3つ!?」
「うるせぇな!騒ぐなよ!」
バッグから部活で使うためのシューバッグを引っ張り出し、下駄箱の中の物を全部放り込んで、さっさと靴を履きかえてその場を去った。捨てる…のはさすがにアレだし…どーすっかな…。
頭を掻いて教室に入り、席について、バッグから教科書を出して机に突っ込もうとして…ガコ、と何かに突っかかる。
「……。」
嫌な予感がして、手を突っ込んで中の物を引っ張り出すと…さらに4つの箱。名前やカードは…ない。
「ハァ!?お前また…!!」
あとから教室に来た倉持が駆け付けて、騒ぎ出す前にその箱もシューバッグに放り込んだ。
「……はい倉持」
「いらねぇよ!!舐めてんのか!!」
「御幸くーん」
するとそこへクラスメイトの女子の声…。
「ミカコが話あるって〜」
「……。」
教室の入り口で、顔を赤くする他クラスの女子と、俺に呼びかけるクラスメイトの女子。
「え〜……」
「……。」
「…と…」
「…何してんだよ、さっさと行け!」
倉持に引きずられるように立たされ、背中を押された。うわ〜、もう、マジで勘弁して。
「……何?」
教室からは出ないぞ、という無言の主張を放ちながら彼女の前に立つと、ミカコ、と呼ばれた女子生徒は後ろ手に手を組んだまま俺を見上げた。
「ちょっと、一緒に…来てくれる?」
「…あぁ」
あ〜、やだな…。
教室だけでなく廊下中の注目を浴びて、人気のない廊下の隅に移動する。
「あの…」
「……。」
「これ…。」
ピンク色の小箱を差し出して、女子生徒は言う。
「中に…手紙入ってるから」
「……。」
「一人の時に…読んでください。」
「ごめん、貰えない。」
差し出していた手が、ぴくり、と動いた。
「…じゃあ」
踵を返し、そそくさとその場を去る。俺と入れ違いに、遠くから様子を窺っていた女子たちが、慌てた顔で彼女に駆け寄って行った。
「ミカコ大丈夫!?」
「泣くな〜〜」
え、泣いてんのかよ…。
悪者になった気分で教室に戻り、教室中の白い目に突き刺されながら席に着く。
俺が何をしたっつーんだよ…。
「ひでぇ男だな。」
そこへやってくる倉持。俺はスコアブックを開いたものの集中できないまま、頬杖をつく。
「……。」
「もらってあげればいいだろ、チョコくらい。」
「…甘いもん苦手だし」
贅沢者…、と俺を睨んで、倉持は予鈴が鳴ると席に戻って行った。
HRを終え、4限まで休み時間はトイレに籠りつつなんとかやり過ごし、昼休みになると俺は財布を引っ掴んでそそくさと教室を後にした。購買でパンを買い、いつもの非常階段へ向かう。もしかしたら光が…、なんて淡い期待を抱きながら。
非常階段に来ると、光はまだいなかった。いつも昼飯食べてから来るし…俺は一人階段に座ってパンを食べ始める。
そして、待ちぼうけること40分。
光は来ないまま、予鈴が鳴り響いた。
…え?なんで?
もしかして今日あいつ、休み?
携帯を開いてみてもとくに連絡はない。…今日がバレンタインってこと、忘れてる?もしくは…こういうイベントごとに興味ない?こっちから聞くのも、催促してるみたいだし…。
思いの外落ち込んだ気分で教室に戻り、6限まで授業を終えると、俺は逃げるように部活へ向かった。帰りも下駄箱には新たなチョコが入れられていて、シューバッグに収まりきらず、小脇に抱えて寮までダッシュする羽目に。
部屋に行く前に食堂に駆け込んで、そこで麦茶を作っているマネージャー3人を見つけ、藁にもすがる思いで大量の箱をテーブルに下ろした。
「梅本!助けて!」
「は!?何?」
駆けつけた梅本に大量のチョコを託し、踵を返す。
「ちょっ、なにこれ!?ここに置いてくな!」
「落としもん!なんとかして!ヨロシク!」
「落としもんって…あんたがもらったんじゃないの!?ちょっと!」
あとはすたこら逃げるだけ。ゴメン梅本、と心の中で謝って、やっと解放感に包まれた。
とにかくアレが手元から離れただけでも…あ〜助かった。
急いで練習へ行き、いつも通り夕食を食べに食堂へ。
梅本に睨まれつつ夕食をトレーに乗せてテレビの前へ。また太る!と恨み言を背中にぶつけられた。あのチョコはマネージャーで山分けしたらしい。ありがたい。
「じゃあ私たち帰るからー!」
「皆にチョコあるからね〜!一人1個だよ!」
「お疲れ様でした!」
マネージャーたちが帰って行き、あざーっす!と野太い声の大合唱が響く。
テレビではバレンタインをイメージしたチョコレートのCMが何度も流れていて、もう一日が終わるというのにまだ浮ついた空気が漂っていた。
『それでは次のニュースです。』
女性アナウンサーの楽しげな読み口調に、何気なく顔を上げる。
『本日正午、渋谷で行われた平成クレシェンド主催のバレンタインイベントに、サプライズゲストとして玉城光さんが登場し、話題になっています!』
え…!?光が!?だから今日いなかったのか…。
「え?」
「玉城さん?」
男共が続々と顔を上げ、テレビに注目する。
テレビには、真っ赤なワンピース姿で微笑み、チョコレートのパッケージを掲げる光が映っている。更にインタビューのシーンに切り替わり、光はアナウンサーにマイクを向けられる。
『本日このイベント、玉城さんがデビューして初めて公の場へのご登場ということですが、どのようなお気持ちですか?』
『嬉しいです。チョコレートが大好きなので。』
そうなんですか、とアナウンサーが微笑ましく笑った。
『では、本日バレンタインですが、玉城さんはどなたかチョコレートを贈るお相手はいらっしゃるんでしょうか?』
「……。」
「……。」
「……。」
皆耳済ませやがって…。
『実は、私イギリスに住んでいた影響で、日本の女性から男性へチョコレートを贈る習慣にあまり馴染みがないんです。』
『え!そうだったんですか?ではイギリスのバレンタインは?』
『イギリスでは日本とは逆で、男性から女性に贈るのが主流なんです。でも、学校の友達と“友チョコ”を交換しよう、って約束はしてます。友チョコも日本ならではの文化ですけど、愛だけじゃなく感謝も伝えるという日本の文化は、私はとても好きだなと思います。』
そうですね、素敵ですよね、とほほ笑むアナウンサーに、澄み切った柔らかな笑みで頷く光。
…そう…だったのか〜…。男から…。知らなかった。…光からのチョコはなさそうだな。
あ〜…結構凹んでる…俺。っていうか、俺があげるべきなのか?でも今更…。
悶々としながら食事を終え、ぶらぶらと部屋に戻る途中。
「今日バット振ってる奴多いな。」
「確かに…」
通りかかった2年が、通路の外を見て呟く。
確かに…今日はやけに外で振ってる奴が多いな。オフ中で、練習試合すらまだ先なのに。
「今日バレンタインだからな!な!」
「あ!?俺は別にいつも通りの自主練だけど!?いつもやってるけど!?」
「こいつ今日一個ももらえなくてまだ諦めてないんだな!な!」
「うるせぇテメーはどうなんだ関!!」
…バレンタイン?
「さすがにもう学校誰も残ってねーだろ…」
「信二…」
ぼそりと呟いて室内練習場へ向かう金丸と、しー、と苦笑いでジェスチャーをする東条。
「えぇ!?先輩方まだチョコ諦めてな…」
「沢村ァなんか言ったかコラ!!」
「テメーで千本ノックしてやろうか!!」
あのバカ…、と沢村を横目に金丸が呟いて、東条はやっぱり苦笑する。
「…つーかいいじゃん東条は!貰ったんだからさ」
「や、あれは…!義理だよ、義理」
「義理だっていいだろ!貰えないより!」
「え…信二はもらったの?」
「聞くな!」
東条、誰かからもらったのか…。まぁあいつ、良い奴だし…女子とも仲良いし、モテそうだよな。
「つか実は本命なんじゃね?」
「な…ないない!」
「なんで言い切れるんだよ。」
「だって皆の前だったし、鷹野とか卯月と同じやつだったし」
…ん?
「でも玉城さんが男で渡した奴ってお前だけだろ。」
…え!?ちょっと待て…どういうこと?
「ちょ…信二!」
しー!と人差し指をたて、辺りを気にするように見渡す東条…、と、目が合った。
「……。」
「……。」
青ざめる東条から、そっと目を逸らす。何でお前がもらってんだよ、俺がもらってないのに…、なんていうのは、ダサすぎる…。つーか今日光学校来てたの?来てたなら何で…
つーか、東条にあげたのに、なんで…。
踵を返し、部屋からバットとタオルを取ってきて、門へ向かう。
「あっ!キャップまでわざとらしく素振りに〜〜〜!!チョコもらえなかったんすか!?やっぱり日ごろの行いが…」
「沢村うるせえ!」
寮から離れ、久しぶりに土手の橋の下を目指した。
光にあの場所を教えてからしばらくは、期待しつつよく行ってたけど…秋大勝ち進んで忙しくなってからはあんま行ってなかったな。久々に静かなとこでバット振って、頭空っぽにするか――
暗闇の中、素振りを始めて数十分経った頃…
「一也先輩。」
その声に、俺は驚きと期待を抱き、橋を見上げた。
白いコートを着た光が、そこにいた。
光は橋をこっちに渡って土手の階段を下りてきた。
「ベランダから見えて…来ちゃった。」
「え?」
「ほら、あそこ…マンション。」
光が指差す方に、確かにビルの間から、光が住むマンションが見えた。
「へー…あそこから見えるんだ」
そう呟いて、光に会えたことの嬉しさと…同時にモヤモヤを思い出す。
「それでね」
光は言葉を続けて、赤い紙袋を差し出してきた。
「これ、渡したかったの…」
き…きた…。これって、やっぱり…
「…バレンタインの…。」
そう照れくさそうに言う光の手から、紙袋を受け取る。
…やった…っていうか、よかった…。貰えて…。
「あ…ありがとう」
「学校で渡せないし…私今日、お昼は仕事で帰っちゃったから…」
「そ…そうか」
「渡せて良かった。」
そう微笑む光を前にすると、もう全部どうでもよくなった。だって、確実に俺のは本命チョコ。…だよな?
「…じゃあ…」
光はそう言って踵を返そうとして、一瞬迷ったように止まって、俺をちらりと見た。それからやっぱり諦めたように、ぎこちなく去ろうとして――
俺はその手を引きとめた。…まだ離れたくない。触れたいと思ったから…。
「……。」
光は俯いて、俺の握る手をちょっと握り返す。そのまま向かい合って手を繋いで、俺たちはしばらく黙りこんでいた。光の指先…冷たい。寒いし…もう遅いし、帰らせなきゃ…。だけど…もう少し、何か…。
そのときするりと光の手が抜き取られて、ひやりとした直後、光は俺の腰に手を回し、抱き着いてきた。ぎこちなく遠慮がちな弱弱しい腕が背中に回され、俺は胸の奥がぎゅっと苦しくなる。光の細い肩を抱きしめ返すと、光は腕の力を強めて、しっかりと俺を抱きしめた。
柔らかくて…温かい。それに、甘い…すげーいいにおい…。
っていうか、光が…抱き着いてきた…。可愛い…。
俺のことちゃんと、好き…なんだよな。
…あ、待て。俺汗臭くねーかな。
「…ちょ…っと、光。」
「…?」
細い肩を少し押し返すと、光が俺をきょとんと見上げた。
「俺今汗臭いだろ…」
「…うん、ちょっと」
「…!!」
や、やっぱり…。まだ風呂入ってねーもんな…
「でも…このにおい、安心する」
光はそう呟いて、また俺の胸に顔を埋めた。
か…可愛すぎ…!!!ヤバい理性が!!
「…ふふふ」
「な…何、笑って」
「…心臓が、すごい…ドクドクいってる…。」
俺の胸を撫でる光の柔らかな手…。や…ヤバいって、マジで…!
「ちょ…、そういうのは…まずいかな〜…」
「…?」
あくまでやんわりと体を押し返すと、光はちょっと周りを見渡して、無垢な瞳で俺を見上げた。
「誰もいないよ?」
「……。」
そういう事じゃない…。
「…もう暗いし…帰れよ。マンションの前まで送るから」
「…うん」
光が頷いたから、俺はバットとタオルを拾い上げて一緒に歩き出した。
しかし大通りに出る手前…まだ土手からさほど歩いていない距離で、光は立ち止った。
「ここまででいい。」
「え?でもすぐそこ…」
「大通りは人目があるから…マスコミがいるかもしれないし」
な…なるほど…。
「じゃあ…気を付けて」
「……。」
「……?」
光がなかなか行こうとしないから、俺は首を傾げた。
そんな俺を見上げて、光は言う。
「バレンタインなのに…キスもしないの?」
「……。」
時々…自分が年上だという事実を忘れそうになる…。
こういうことは光の方が上手だな…。
光の肩に手を置いて、俺はそっと、唇を重ねた。
「…じゃあね。」
光は満足そうに微笑んで手を振って、大通りに出て行った。
***
「あ!御幸どこまで行ってたんだよ。ナベがスコアブック探して…」
寮に戻ってくると、ちょうど門を入ったところで倉持達が素振りをしていて、ぎくりとした。
「たぞ…」
「……。」
「…お前それ…」
倉持達の視線が下がり、俺の右手の赤い紙袋を捉える。
「…ええぇぇぇ!!?誰から!?いつ!?」
「今か!?ウッソだろオイ!!」
「何で御幸ばっかり!!」
「うるせぇな…」
紙袋を庇うようにして足早に寮に向かうと、倉持達の声が追いかけてきた。
「お前甘いもんいらねえつってただろうが!!」
「どうせ捨てるなら俺らに寄越せやぁ!」
「…これはダメ」
「…!!?」
まさか彼女か、なんてざわつき始めたけど、放っておく。今日くらい優越感に浸っても良いだろ…。
「……。」
今日も今日とていつもの場所で逢引き…なんちゃって。
光は参考書を閉じ、俺を見上げた。
「一也先輩…」
「んー?」
隣に座って、スコアブックを開こうとしたのをやめて光を見る。
「東条から聞いたんだけど…」
「?」
「この間…野球部の人たちに、見られた時のこと…」
「あぁ」
「私に告白してフラれたって嘘ついてたの?」
真剣な顔…別に大したことじゃないのに。
「あ〜…騒ぎになりそうだったから」
「…何度もそう言ってるって」
「アイツらすぐ騒ぐからな〜。モテないから、ちょっと女子と話してるとすーぐ…。」
「……。」
「お…おいおい、そんなに気にしなくても」
俯く光の手を握った。さりげなくできるのはここまで…これ以上はまだ緊張する。
「俺のこと心配してくれてるんだ?」
「…だって…騒がれたくないって言ったのは…私だし…、…本当は…付き合ってる、のに」
「そーだよ。」
「え…?」
「本当は付き合ってる。だからそれでいい」
「……。」
光は顔を赤くして俺を見上げた。
「惚れなおした?」
「え……。」
光は呆れたようにはにかんだ。何言ってんの、バカ、なんて言われるかな、と思ったけど…
「…うん」
光がそう頷いて、俺は顔が緩み切ったまま赤面した。
「ははは…それなら恥かいたかいがある…。」
「……。」
…ぎゅ、と手に力を籠め、光の横顔を見る。光も気づいたように、俺を振り向く。
「……。」
「……。」
見つめ合って、意思を確認して、ちょっと顔を近づけてみて…。
「……。」
光が目を閉じて、…よし、と決意する。そして唇を、重ねる…。
「……。」
「……。」
唇が…熱い。手の中にある光の手も…触れ合う肩も…。
でも…もう少しだけ、近くに…。
唇を少しだけ開き、光の柔らかな唇を弱く、撫でるように食んでみる。手の中で小さな手がぴくりと震える。
唇を離し、恥ずかしそうに唇を舐めた光に、また顔を近づけると、光はぎこちなく少し顎を上げ、2度目のキスを受けいれた。今度はもう少し強く、唇をくっつけて…引き結ばれた小さな唇を、また少し開いた唇で撫でて、光の反応を窺って――そっと、舌で舐めてみる。
「っ…」
光がかすかに息を飲んだのが分かった。薄く目を開けて様子を見ると、光はまだ目を閉じている。もう一度、唇で光の唇を弱く挟んでみる。すると…その小さな唇が、応えるように、わずかに開いた。
高揚感と緊張で心臓の鼓動に胸を震わせながら、舌でそっと、唇の間を舐めた。
いいのかな…これで…。
そう迷いながら…戸惑いながら。すると小さな唇の隙間を撫でていた自分の舌先を、そっと、熱くて柔らかくて…甘いものがくすぐった。
ぶわっ、と頭に熱が上がって、一瞬目の前が真っ白になった後、それが光の舌だったことを確信する。応えようとしてくれてる…。俺の独りよがりじゃ…ないよな?
もう一度、唇の間に舌を沿って…、開いた唇の間に滑り込ませた。光の口の中…。熱い……。
小さな舌が…俺の舌をぎこちなく撫でて、熱が絡まって…
「…っ」
唇を離し、お互いに真っ赤になった顔で俯いた。
やばい…。ディープキスって…やばい。気持ち良すぎ…。
「…つ 次…体育だから…もう、行くね…。」
「あ…、あぁ」
光はうつ向いたままそう言って、だけど立ち上がる前に俺を見て、意を決したように――身を乗り出して、一瞬迷った後、頬にキスをして…逃げるように去って行った。
…ほっぺ…。ディープキスした後に、あんなに照れて、ほっぺ…。
「…はは」
可愛すぎ…。
っていうか、やばい。
…勃起した。
俺はしばらくそこで、熱が鎮まるのを待った。
***
『セックスが怖いというバージン/セカンドバージンの女性を上手くセックスに誘う方法』
「……。」
いや…馬鹿馬鹿しい。こんなの結局、当人たち次第だろ……
「御幸!このビデオ…」
「うわ!…なんだよ」
またいきなり部屋に入ってくる倉持。ずかずかと無遠慮に入室すると、俺を睨んだ。
「お前最近よく携帯見てんな」
「別に…で、何?」
「はぐらかすな!まさか彼女じゃねーだろうなぁ?」
「うるせぇなぁ…早く用件を言えよ」
「なっ…!まさかマジで…」
「違うって。安心したか?童貞」
「テメェ…いちいち…」
「あの沢村(バカ)にも彼女がいるからって焦るのはわかるけど落ち着けよ。」
「ぶっ殺すぞ」
倉持は指を鳴らすと、持ってきたビデオを掲げて鼻を鳴らした。
「…つかこのビデオ!この間言ってた試合のヤツ!ナベが持ってきてくれたんだよ」
「お〜アレか!」
「今から見るだろ?」
「見る見る」
ゾノたちはもう食堂にいるぞ、という倉持と一緒に食堂へ行き、試合のビデオを見ながらナベの解説を聞き、ミーティングを終えた頃…。
「じゃ…俺はもう休むぜ」
「俺も」
「俺も…」
「……?」
倉持や麻生たちがそわそわと立ち上がって、俺やナベは疑問符を浮かべて顔を見合わせた。
「そわそわしてどーした?お前ら」
「べっ…つにソワソワなんてしてねーけど!?」
「動揺しすぎだよ」
「…!!!」
顔を赤くした麻生を指さし、関が声を上げた。
「明日バレンタインだもんな!な!」
「あ!?…俺は別にそんなこと…!!」
バレンタイン?カレンダーを見て、確かに明日は2月14日だと気づいた。
「……。」
バレンタイン…か。思わず顔が歪んで、こっそりため息をついた。
「…テメーは何嫌そうな顔してんだ!自慢か!?アァ!?」
「だってめんどくせーし…」
「うわこいつ最低!!」
知らない女子からチョコなんて貰ってもさぁ…そもそも甘いもん好きじゃないし。断ったら断ったで、悪評が広まるし。バレンタインはあまりいい思い出はない。
あ…でも今年はもしかしたら…光からもらえるかも…?それは嬉しいな…。
「アイツ去年皆の前で女子にチョコ突っ返して泣かしたんだぜ」
「それ知ってる!人でなしだよな」
「悪魔だよ」
「モテるからって調子に乗ってんだよ。顔は良くても性格は最悪…」
「おいおい、聞こえてるぞ〜」
わざとだろうけど。
俺の悪口で盛り上がる面々を、ナベだけは苦笑してみている。
「でも…去年も御幸、マネージャーと食堂のおばちゃんから以外はチョコ受け取ってないよね。」
「まー…お返しもできねーし」
「本命以外は受け取らない主義?」
「……。」
そう…かも。光のだったらほしい…。
ナベはその答えを見通したように微笑んだ。
「御幸がチョコを貰うとしたらどんな子なのか…それはちょっと興味あるかも。」
「もらえるわけねーよこの性悪が!」
「去年で悪評を広めたもんな」
「死ね!」
「おい…最後ただの暴言…」
***
バレンタイン当日。
朝からそわそわ落ち着かない倉持はちょっと笑える。
「何人の顔見て笑ってんだテメー!」
「いや〜面白いなって」
「あぁ!?殺されて―のか!!」
「まぁまぁ…そんな怖い顔してたらもらえないよ?」
「テメ…覚えとけよ…」
怒号を飲みこむ倉持を笑いながら昇降口に入り、下駄箱を開けて…
げっ、と顔が引きつった。
「…お前まさか…」
固まった俺の後ろから倉持が下駄箱の中を覗き込んでくる。
下駄箱の中に押し込まれた可愛らしい柄の箱や袋…こういうことされると返せないから困るんだけど…。
「ウガァァァこいつ3つも貰いやがった!!」
「はァ!?マジ!?」
「朝一で3つ!?」
「うるせぇな!騒ぐなよ!」
バッグから部活で使うためのシューバッグを引っ張り出し、下駄箱の中の物を全部放り込んで、さっさと靴を履きかえてその場を去った。捨てる…のはさすがにアレだし…どーすっかな…。
頭を掻いて教室に入り、席について、バッグから教科書を出して机に突っ込もうとして…ガコ、と何かに突っかかる。
「……。」
嫌な予感がして、手を突っ込んで中の物を引っ張り出すと…さらに4つの箱。名前やカードは…ない。
「ハァ!?お前また…!!」
あとから教室に来た倉持が駆け付けて、騒ぎ出す前にその箱もシューバッグに放り込んだ。
「……はい倉持」
「いらねぇよ!!舐めてんのか!!」
「御幸くーん」
するとそこへクラスメイトの女子の声…。
「ミカコが話あるって〜」
「……。」
教室の入り口で、顔を赤くする他クラスの女子と、俺に呼びかけるクラスメイトの女子。
「え〜……」
「……。」
「…と…」
「…何してんだよ、さっさと行け!」
倉持に引きずられるように立たされ、背中を押された。うわ〜、もう、マジで勘弁して。
「……何?」
教室からは出ないぞ、という無言の主張を放ちながら彼女の前に立つと、ミカコ、と呼ばれた女子生徒は後ろ手に手を組んだまま俺を見上げた。
「ちょっと、一緒に…来てくれる?」
「…あぁ」
あ〜、やだな…。
教室だけでなく廊下中の注目を浴びて、人気のない廊下の隅に移動する。
「あの…」
「……。」
「これ…。」
ピンク色の小箱を差し出して、女子生徒は言う。
「中に…手紙入ってるから」
「……。」
「一人の時に…読んでください。」
「ごめん、貰えない。」
差し出していた手が、ぴくり、と動いた。
「…じゃあ」
踵を返し、そそくさとその場を去る。俺と入れ違いに、遠くから様子を窺っていた女子たちが、慌てた顔で彼女に駆け寄って行った。
「ミカコ大丈夫!?」
「泣くな〜〜」
え、泣いてんのかよ…。
悪者になった気分で教室に戻り、教室中の白い目に突き刺されながら席に着く。
俺が何をしたっつーんだよ…。
「ひでぇ男だな。」
そこへやってくる倉持。俺はスコアブックを開いたものの集中できないまま、頬杖をつく。
「……。」
「もらってあげればいいだろ、チョコくらい。」
「…甘いもん苦手だし」
贅沢者…、と俺を睨んで、倉持は予鈴が鳴ると席に戻って行った。
HRを終え、4限まで休み時間はトイレに籠りつつなんとかやり過ごし、昼休みになると俺は財布を引っ掴んでそそくさと教室を後にした。購買でパンを買い、いつもの非常階段へ向かう。もしかしたら光が…、なんて淡い期待を抱きながら。
非常階段に来ると、光はまだいなかった。いつも昼飯食べてから来るし…俺は一人階段に座ってパンを食べ始める。
そして、待ちぼうけること40分。
光は来ないまま、予鈴が鳴り響いた。
…え?なんで?
もしかして今日あいつ、休み?
携帯を開いてみてもとくに連絡はない。…今日がバレンタインってこと、忘れてる?もしくは…こういうイベントごとに興味ない?こっちから聞くのも、催促してるみたいだし…。
思いの外落ち込んだ気分で教室に戻り、6限まで授業を終えると、俺は逃げるように部活へ向かった。帰りも下駄箱には新たなチョコが入れられていて、シューバッグに収まりきらず、小脇に抱えて寮までダッシュする羽目に。
部屋に行く前に食堂に駆け込んで、そこで麦茶を作っているマネージャー3人を見つけ、藁にもすがる思いで大量の箱をテーブルに下ろした。
「梅本!助けて!」
「は!?何?」
駆けつけた梅本に大量のチョコを託し、踵を返す。
「ちょっ、なにこれ!?ここに置いてくな!」
「落としもん!なんとかして!ヨロシク!」
「落としもんって…あんたがもらったんじゃないの!?ちょっと!」
あとはすたこら逃げるだけ。ゴメン梅本、と心の中で謝って、やっと解放感に包まれた。
とにかくアレが手元から離れただけでも…あ〜助かった。
急いで練習へ行き、いつも通り夕食を食べに食堂へ。
梅本に睨まれつつ夕食をトレーに乗せてテレビの前へ。また太る!と恨み言を背中にぶつけられた。あのチョコはマネージャーで山分けしたらしい。ありがたい。
「じゃあ私たち帰るからー!」
「皆にチョコあるからね〜!一人1個だよ!」
「お疲れ様でした!」
マネージャーたちが帰って行き、あざーっす!と野太い声の大合唱が響く。
テレビではバレンタインをイメージしたチョコレートのCMが何度も流れていて、もう一日が終わるというのにまだ浮ついた空気が漂っていた。
『それでは次のニュースです。』
女性アナウンサーの楽しげな読み口調に、何気なく顔を上げる。
『本日正午、渋谷で行われた平成クレシェンド主催のバレンタインイベントに、サプライズゲストとして玉城光さんが登場し、話題になっています!』
え…!?光が!?だから今日いなかったのか…。
「え?」
「玉城さん?」
男共が続々と顔を上げ、テレビに注目する。
テレビには、真っ赤なワンピース姿で微笑み、チョコレートのパッケージを掲げる光が映っている。更にインタビューのシーンに切り替わり、光はアナウンサーにマイクを向けられる。
『本日このイベント、玉城さんがデビューして初めて公の場へのご登場ということですが、どのようなお気持ちですか?』
『嬉しいです。チョコレートが大好きなので。』
そうなんですか、とアナウンサーが微笑ましく笑った。
『では、本日バレンタインですが、玉城さんはどなたかチョコレートを贈るお相手はいらっしゃるんでしょうか?』
「……。」
「……。」
「……。」
皆耳済ませやがって…。
『実は、私イギリスに住んでいた影響で、日本の女性から男性へチョコレートを贈る習慣にあまり馴染みがないんです。』
『え!そうだったんですか?ではイギリスのバレンタインは?』
『イギリスでは日本とは逆で、男性から女性に贈るのが主流なんです。でも、学校の友達と“友チョコ”を交換しよう、って約束はしてます。友チョコも日本ならではの文化ですけど、愛だけじゃなく感謝も伝えるという日本の文化は、私はとても好きだなと思います。』
そうですね、素敵ですよね、とほほ笑むアナウンサーに、澄み切った柔らかな笑みで頷く光。
…そう…だったのか〜…。男から…。知らなかった。…光からのチョコはなさそうだな。
あ〜…結構凹んでる…俺。っていうか、俺があげるべきなのか?でも今更…。
悶々としながら食事を終え、ぶらぶらと部屋に戻る途中。
「今日バット振ってる奴多いな。」
「確かに…」
通りかかった2年が、通路の外を見て呟く。
確かに…今日はやけに外で振ってる奴が多いな。オフ中で、練習試合すらまだ先なのに。
「今日バレンタインだからな!な!」
「あ!?俺は別にいつも通りの自主練だけど!?いつもやってるけど!?」
「こいつ今日一個ももらえなくてまだ諦めてないんだな!な!」
「うるせぇテメーはどうなんだ関!!」
…バレンタイン?
「さすがにもう学校誰も残ってねーだろ…」
「信二…」
ぼそりと呟いて室内練習場へ向かう金丸と、しー、と苦笑いでジェスチャーをする東条。
「えぇ!?先輩方まだチョコ諦めてな…」
「沢村ァなんか言ったかコラ!!」
「テメーで千本ノックしてやろうか!!」
あのバカ…、と沢村を横目に金丸が呟いて、東条はやっぱり苦笑する。
「…つーかいいじゃん東条は!貰ったんだからさ」
「や、あれは…!義理だよ、義理」
「義理だっていいだろ!貰えないより!」
「え…信二はもらったの?」
「聞くな!」
東条、誰かからもらったのか…。まぁあいつ、良い奴だし…女子とも仲良いし、モテそうだよな。
「つか実は本命なんじゃね?」
「な…ないない!」
「なんで言い切れるんだよ。」
「だって皆の前だったし、鷹野とか卯月と同じやつだったし」
…ん?
「でも玉城さんが男で渡した奴ってお前だけだろ。」
…え!?ちょっと待て…どういうこと?
「ちょ…信二!」
しー!と人差し指をたて、辺りを気にするように見渡す東条…、と、目が合った。
「……。」
「……。」
青ざめる東条から、そっと目を逸らす。何でお前がもらってんだよ、俺がもらってないのに…、なんていうのは、ダサすぎる…。つーか今日光学校来てたの?来てたなら何で…
つーか、東条にあげたのに、なんで…。
踵を返し、部屋からバットとタオルを取ってきて、門へ向かう。
「あっ!キャップまでわざとらしく素振りに〜〜〜!!チョコもらえなかったんすか!?やっぱり日ごろの行いが…」
「沢村うるせえ!」
寮から離れ、久しぶりに土手の橋の下を目指した。
光にあの場所を教えてからしばらくは、期待しつつよく行ってたけど…秋大勝ち進んで忙しくなってからはあんま行ってなかったな。久々に静かなとこでバット振って、頭空っぽにするか――
暗闇の中、素振りを始めて数十分経った頃…
「一也先輩。」
その声に、俺は驚きと期待を抱き、橋を見上げた。
白いコートを着た光が、そこにいた。
光は橋をこっちに渡って土手の階段を下りてきた。
「ベランダから見えて…来ちゃった。」
「え?」
「ほら、あそこ…マンション。」
光が指差す方に、確かにビルの間から、光が住むマンションが見えた。
「へー…あそこから見えるんだ」
そう呟いて、光に会えたことの嬉しさと…同時にモヤモヤを思い出す。
「それでね」
光は言葉を続けて、赤い紙袋を差し出してきた。
「これ、渡したかったの…」
き…きた…。これって、やっぱり…
「…バレンタインの…。」
そう照れくさそうに言う光の手から、紙袋を受け取る。
…やった…っていうか、よかった…。貰えて…。
「あ…ありがとう」
「学校で渡せないし…私今日、お昼は仕事で帰っちゃったから…」
「そ…そうか」
「渡せて良かった。」
そう微笑む光を前にすると、もう全部どうでもよくなった。だって、確実に俺のは本命チョコ。…だよな?
「…じゃあ…」
光はそう言って踵を返そうとして、一瞬迷ったように止まって、俺をちらりと見た。それからやっぱり諦めたように、ぎこちなく去ろうとして――
俺はその手を引きとめた。…まだ離れたくない。触れたいと思ったから…。
「……。」
光は俯いて、俺の握る手をちょっと握り返す。そのまま向かい合って手を繋いで、俺たちはしばらく黙りこんでいた。光の指先…冷たい。寒いし…もう遅いし、帰らせなきゃ…。だけど…もう少し、何か…。
そのときするりと光の手が抜き取られて、ひやりとした直後、光は俺の腰に手を回し、抱き着いてきた。ぎこちなく遠慮がちな弱弱しい腕が背中に回され、俺は胸の奥がぎゅっと苦しくなる。光の細い肩を抱きしめ返すと、光は腕の力を強めて、しっかりと俺を抱きしめた。
柔らかくて…温かい。それに、甘い…すげーいいにおい…。
っていうか、光が…抱き着いてきた…。可愛い…。
俺のことちゃんと、好き…なんだよな。
…あ、待て。俺汗臭くねーかな。
「…ちょ…っと、光。」
「…?」
細い肩を少し押し返すと、光が俺をきょとんと見上げた。
「俺今汗臭いだろ…」
「…うん、ちょっと」
「…!!」
や、やっぱり…。まだ風呂入ってねーもんな…
「でも…このにおい、安心する」
光はそう呟いて、また俺の胸に顔を埋めた。
か…可愛すぎ…!!!ヤバい理性が!!
「…ふふふ」
「な…何、笑って」
「…心臓が、すごい…ドクドクいってる…。」
俺の胸を撫でる光の柔らかな手…。や…ヤバいって、マジで…!
「ちょ…、そういうのは…まずいかな〜…」
「…?」
あくまでやんわりと体を押し返すと、光はちょっと周りを見渡して、無垢な瞳で俺を見上げた。
「誰もいないよ?」
「……。」
そういう事じゃない…。
「…もう暗いし…帰れよ。マンションの前まで送るから」
「…うん」
光が頷いたから、俺はバットとタオルを拾い上げて一緒に歩き出した。
しかし大通りに出る手前…まだ土手からさほど歩いていない距離で、光は立ち止った。
「ここまででいい。」
「え?でもすぐそこ…」
「大通りは人目があるから…マスコミがいるかもしれないし」
な…なるほど…。
「じゃあ…気を付けて」
「……。」
「……?」
光がなかなか行こうとしないから、俺は首を傾げた。
そんな俺を見上げて、光は言う。
「バレンタインなのに…キスもしないの?」
「……。」
時々…自分が年上だという事実を忘れそうになる…。
こういうことは光の方が上手だな…。
光の肩に手を置いて、俺はそっと、唇を重ねた。
「…じゃあね。」
光は満足そうに微笑んで手を振って、大通りに出て行った。
***
「あ!御幸どこまで行ってたんだよ。ナベがスコアブック探して…」
寮に戻ってくると、ちょうど門を入ったところで倉持達が素振りをしていて、ぎくりとした。
「たぞ…」
「……。」
「…お前それ…」
倉持達の視線が下がり、俺の右手の赤い紙袋を捉える。
「…ええぇぇぇ!!?誰から!?いつ!?」
「今か!?ウッソだろオイ!!」
「何で御幸ばっかり!!」
「うるせぇな…」
紙袋を庇うようにして足早に寮に向かうと、倉持達の声が追いかけてきた。
「お前甘いもんいらねえつってただろうが!!」
「どうせ捨てるなら俺らに寄越せやぁ!」
「…これはダメ」
「…!!?」
まさか彼女か、なんてざわつき始めたけど、放っておく。今日くらい優越感に浸っても良いだろ…。