031
「春市、お前も玉城さんと同じクラスなんだって?」
夜の自主練中――洋さんがそう切り出した。
「はい、まぁ…」
「は〜〜羨ましいぜ…あんな子と同級生ってだけでも…毎日あんな美女を拝めるなんてよ」
「仕事が忙しいらしくて休みも多いですよ。」
「それでもだよ!なんか話とかした?」
「いえ、全然…休み時間は女子グループと話してるし、玉城さんは男子は東条君としか話しませんから」
「ハァ〜?マジかよ」
「実際野次馬とか冷やかしも多くて…廊下で男子に絡まれたりするみたいだし…しょうがないですよ。」
だけどさぁ…、と洋さんはまだ不満顔。多分、僕じゃなくて、自分が接点持ちたいんだろうな…玉城さんと。
「もっとガツガツいけよ 春市!お前ならいけるって!あんま男っぽくねぇし」
「どういう意味ですか…」
「いいから仲良くなれ!そんで俺を紹介してくれ!」
「えぇ…」
東条君に断られたのかな…これは…。
「最近試合見に来てくれねーし 会う機会減ってんだよ!」
「忙しいんですよ、きっと」
んなことわかってるよ!とバットを拾い上げる先輩の姿に、どうしたものかと苦笑した。
***
次の日…昼休みに届いた兄貴からのラインにため息をついた。
『玉城光と同じクラスになったんだって?』
『写真送って。』
……洋さんだな…。
兄貴が知ったら絶対無茶なこと言われると思って黙ってたのに…洋さんめ…。
無理だよ、と打とうとしていると、追加でまたメッセージが届いた。
『グローブのお礼はそれでいいよ。』
…兄貴…。相変わらずだなぁ、こういうとこ…。
無理、まで打ったところで手を止め、少し考える。
『無理だと思うけど、期待しないで待ってて。』
そう送信し、僕はスマホをポケットに仕舞った。
「ちょっと皆いいーー?」
教室に入ってきた鷹野さんが、一枚のプリントをひらひらさせながら皆に呼びかけて注目を集めた。
「今度の世界史でグループワークするから、4〜5人でグループ作っておいてほしいんだって!なるべく男女混合で!今昼休み中に決めちゃって!私書くから〜」
「小湊!組もうよ」
東条君がやってきて、僕は頷いた。あと3人…女子も入れなきゃいけないのか。見ると皆、異性に話しかけるのを躊躇うように苦笑いしている。その様子を見て、はい話し合って!と手を叩く鷹野さんの元に、玉城さんが歩いていった。
「私のとこは光と…こっち後3人誰かいな〜い?」
鷹野さんが自然と玉城さんを入れ、手をあげて教室を見渡した。男子が一斉に振り向く。そんな中、玉城さんは笑顔でこっちに手を振った。
「東条〜一緒にやろうよ」
「あ、うん!行こう、小湊」
いいのかな…。なんとなく肩身が狭くなりながら東条君について行き、鷹野さんと玉城さんの元へ行く。
「東条君と小湊君、2人?」
鷹野さんの問いに、うん、と東条君が頷いた。
「皆決まったらこっちに言いに来てね〜!」
鷹野さんが呼びかけると、続々と皆がメンバーを報告にきて、大体のメンバーが決まった頃…
「あれ?何?」
教室の外にいたらしいクラスメイト――熊谷環さんがきょとんとしながらやってきた。
「あ、環。あのね世界史のグループワークの…」
鷹野さんが説明すると、ふうん、とどうでもよさそうに呟いて、熊谷さんは僕たちを見渡す。
「じゃ、私も司たちの所に入れてよ。」
「おっけー、じゃ、これで決まりかな。」
鷹野さんは熊谷さんの名前を書き込むと、プリントを畳んで、提出してくる!と教室を出て行った。
「ねぇ光。」
熊谷さんが不意に玉城さんに話しかける。玉城さんが振り向くと、熊谷さんは何の前置きもなく、唐突に、しかも真顔のまま言った。
「ナプキン持ってる?」
「……。」
「さっき急に来ちゃってさぁ。持ってたら1個ちょうだい。」
僕と東条君がその話の意味を理解してぎょっとしたとき、玉城さんは無言のまま熊谷さんの腕を掴み、無言で引っ張っていった。
「え?何?何?」
「……。」
「あるの?ないの?どっち?」
「…ちょっと黙ってて」
玉城さんはそのまま熊谷さんを連れて教室を出て行った。び…びっくりした。よくわからないけど…女の子って大変だな…、と思うと同時に、動揺と困惑に襲われながら、東条君と苦笑顔を見合わせた。
***
グループワークを通して、今まで話したことのない3人の女子と話す機会が増えたわけだけど…。
そこで改めて知ったこと3つ。
「じゃあ資料集めは私たちでするとして…とりあえずテーマ絞ろうか。」
鷹野さんはやっぱりリーダーシップがあって頼れる姉御肌。だけど自分の意見を押し付けたりは決してしない。みんなの意見を尊重しつつ、言うべきことはしっかり言う、皆に慕われている理由がよくわかる。
「あれ…この資料間違ってない?小湊君、ちょっとそっち見せてくれる?」
「あ、うん。」
「あ…やっぱり。ここ著者名間違ってるから直しておくね。」
玉城さんは資料をまとめたり調べたりするのが上手くて、誰も知らないことを知っていたりする。すごく頭がいい。それに懸念していた噂の男嫌いも、今のところ感じない。僕にも普通に話しかけてくれるし、思っていたより気さくで優しくて、真面目だ。
「っていうか、ずっと気になってたんだけどさ〜…」
そして、熊谷さんは……
「何?」
「光って何カップあんの?」
「!?」
…熊谷さんは、なんというか…思ったことを全部口にするタイプの人だ。
それが下ネタでも、相手の気分を害することでも、まるで空気を読んでいない発言でも。
赤面して顔を引きつらせて俯くしかない僕と東条君をよそに、玉城さんは涼しい顔でちょっと眉を顰め、熊谷さんを睨んだ。
「環、ふざけてないで真面目にやって。」
「え〜隣にこんな巨乳があったら集中できないって。ねぇ東条君?」
「え…。」
熊谷さんは玉城さんの逆隣りに座る東条君に話を振った。東条君…頑張れ…。
「……。」
東条君が困っていると、玉城さんは突然立ち上がって、椅子を持って移動した。…僕と東条君の間に。
「ちょっと詰めてくれる?」
「あ、うん…」
「ありがとう。」
そしてそこに椅子を置いて座ると、涼しい顔でまた資料を広げた。
「じゃ、続きやろう。」
「そ…そうだね」
有無を言わせぬその態度に、鷹野さんですら言葉を挟まず頷いた。
っていうか、玉城さんが隣に来たら、なんか…いいにおいが…。
…って、これじゃ洋さんと一緒じゃん!
「じゃあレイアウトは4分割くらいで…」
「この文章入れるなら棒グラフより円グラフの方がいいんじゃない?」
「あれ、さっきのメモどこやったっけ…」
授業が進み、なんだかんだ鷹野さんと玉城さんに任せきりになってしまいながらもなんとかまとめ終えると、ちょうどチャイムが鳴った。
授業は4限目だったから、鷹野さんと玉城さん、そして熊谷さんはそのまま机をくっつけてお昼ご飯を食べ始める。
「えっ光それだけ?少食だな〜」
「そうなんだよね〜」
「いや司は多すぎだけどね。何その弁当箱?一斗缶?」
「いいのその分動くから!環なんてそれ菓子パンばっかじゃん!太るよ」
女子は賑やかだなぁ、と3人の会話を背中に聞きながら、僕はバッグから財布を取り出す。
「てか光って普段どんなもの食べてるの?」
「なんで?」
「いや何食べたらそんなにおっぱいデカくなるのかなって」
「……。」
「も〜すぐ無視!教えてよ〜やっぱ豆乳?キャベツ?」
「環…。」
男子たち皆聞き耳立ててるな…。って、僕も人のこと言えない…。
「じゃあ彼氏は?いるの?」
「…なんで?」
「やっぱ揉まれてるからデカくなるのかなーと思って。」
「……。」
「また無視!黙秘は肯定とみなすぞ〜いいのか〜?」
「環、もうやめな…」
***
「じゃあこの一覧の本、図書室にあるか見に行こう!手が空いてる人いる?」
鷹野さんが僕たちを見渡して、僕を目に留めた。
「小湊君、いい?」
「うん。」
「私も行くよ。」
玉城さんが顔を上げて申し出た。
「ふたりじゃ持ちきれないでしょ。」
「そうだね、じゃあ行ってくるね!」
いってらっしゃい、と熊谷さんと東条君に見送られ、僕たちは教室を出た。
しかし渡り廊下の手前まで来たところで、あ!と鷹野さんが立ち止まる。
「図書カード教室に忘れちゃった!ちょっと取りに行ってくる、先に行ってて!」
…え!
鷹野さんは風のように踵を返して行ってしまった。…玉城さんと二人。ちょっと気まずい…かも。
「……。」
「……。」
玉城さんは特に何も言わず、また歩き出した。僕もその少し後ろを歩く。
玉城さん…やっぱりキレーだな。スタイルもそうだけど、歩き方とか、ふと髪が風になびいただけでも…特別な雰囲気がある。始業式からもう結構経っているのに、いまだに玉城さんを一目見たくて教室に野次馬が押し掛けてくるのもわかる…。
カシャッ
その音は突然廊下に響いた。
「あ、ブレた」
「なにやってんだよ、早くしねーとバレるだろ」
「もう一回…あ〜あっち向いちゃった」
「こっち向かねぇじゃん」
ヒソヒソと響く声。玉城さんが俯くと、また、カシャッ、と音がした。廊下の角にいる3年生の男子生徒…彼らが携帯のカメラを玉城さんに向けているのだった。
「あ〜、だからお前ヘタクソ。貸せよ」
「バカ静かにしろって…」
「……。」
玉城さんがさらに俯いて、顔を隠すように身を縮こませ、歩く足を速める。
こんな…ひどいこと。人のことを何だと思ってるんだ…。
相手は3年生…だけど、ここで黙ってるなんて…。…できない。
「…あの。」
僕は渡り廊下を右に折れた玉城さんから離れ、そのまままっすぐ前に歩いていき、先輩たちの前に立った。
「…は?」
「何?」
先輩たちはニヤニヤうすら笑いを浮かべながら携帯を隠すように手の中におさめる。僕の上靴を見て、2年だという事を確かめると、その態度は傲慢になった。
「誰?」
「2年だろ?」
「…今撮った写真、消してくれませんか。」
僕が言うと、先輩たちは顔を見合わせた。
「何も撮ってないけど?」
「何言ってんの?」
「……。」
どうすれば…。携帯を奪い取ったりしたら…マズイかな、さすがに。だけど…
ちょっと後ろを振り向くと、玉城さんが立ち止まって驚いたように僕を見ていた。やっぱりここで引き下がれない。
「消してください。」
もう一度先輩たちを見上げて言うと、ちょっと怯んだように息を飲んだ。
「…だから、何も撮ってねーって!」
「春市?」
そこへ響いた聞きなれた声。後ろから現れたのは、洋さんと御幸先輩だった。
「どうした?」
ただ事ではない状況を察したように僕たちを見渡す洋さんと御幸先輩。
「お?玉城ちゃんじゃん」
やっほ〜、と御幸先輩が手を振って、玉城さんはちらりと不安げな目で御幸先輩を見る。それから御幸先輩は急に真面目な顔になって僕を見た。
「なんかあったの?」
僕がさっきの先輩たちを見上げると、ふたりとも、まずいことになった、というような顔をしていた。
「…この人たちが…」
「わ、わかったよ!消せばいいんだろ!」
先輩は携帯を開いて少し操作し、またすぐにポケットに突っ込んだ。
「ほら消したよ、これでいいんだろ!?」
「……。」
まだ信用できない気持ちで先輩たちを見るも、彼らは逃げるように踵を返してしまう。
「待てよ。」
その足を引き留めたのは洋さんだった。
「その携帯見せろよ。」
手を出して詰め寄る洋さんに、先輩たちは青ざめた。
「な…なにもねぇって」
「そーだよ、消したし…」
「じゃあいいじゃねーか。見せろよ」
「……。」
「……。」
「さっさと出せや コラ!」
倉持先輩が怒鳴りつけると、先輩は携帯をポケットから出し、すぐに開いて何か弄ろうとした。そこをすかさず洋さんが奪い取り、暫く操作する。そして――
「…チッ」
舌打ちをして先輩たちを睨み、また携帯を操作してから、そのまま持ち主に向かって放り投げた。
「くだらねーことしてんじゃねぇよ、クソが!!」
「ご…ごめん」
「すいません…」
「俺じゃねぇ 謝んのはあっちだろーが!!」
洋さんが玉城さんを指さした。玉城さんは目を丸くして、びくりと震えた。
「…すいませんでした」
「……すいませんっした」
はい…、と戸惑いながら玉城さんが頷いて、先輩たちはバツの悪い顔で去って行った。
「さすが元ヤン」
「んだとコラ…」
いつものようにケンカを始めるふたり。こんなときまで…。
「小湊君。」
すると綺麗な声が僕を呼んで、振り向くと、玉城さんが僕の傍に歩いてきていた。
「ありがとう。」
宝石みたいなブルーの瞳が僕をまっすぐに見つめて、微笑む。
「う…ううん、当たり前の事をしただけだよ。」
「……。」
玉城さんはそれでも微笑んで僕を見つめた。こんなふうに微笑みを向けられるのは、初めて…。
「お〜〜春市、ずいぶん男らしかったなぁ?」
「洋さん…」
洋さんが僕の肩を抱き込んでからかってくる。その顔にはちょっと悔しさが滲んでいたけど…
「倉持先輩も…ありがとうございました」
「えっ?いや、全然、このくらい…」
玉城さんにお礼を言われると、まんざらでもなさそうに…というか喜びをこらえきれない様子で頬を緩ませた。
「大丈夫か?」
「…はい」
御幸先輩が声をかけると、玉城さんは頷いた。あれ…?なんか、2人の雰囲気、いつもと違うような…。
なんとなく疑問符を浮かべながら見ていると、御幸先輩は僕を振り向いた。
「小湊。ありがとうな」
「はい…、え?」
なぜ御幸先輩がお礼を…?
「何でテメーが礼言ってんだよ。」
「え?そりゃ俺の玉城ちゃんを守ってもらって…」
「何が『俺の』だ!!」
「はっはっはっは!冗談だって」
「当たり前だ バカ!」
「じゃ、玉城ちゃんまったね〜」
「待てコラ!」
走っていく先輩たちを、ちょっと苦笑しながら見送って…ふと、玉城さんが微笑んでいることに気が付いた。なんだかうれしそう…?
「あれ?どうしたの?」
そこへ戻って来た鷹野さんが、まだ廊下にいた僕たちを見て不思議そうに目を丸くした。
***
「は〜ムカつく!」
その日、熊谷さんは不機嫌だった。
「どうしたの?」
鷹野さんが訊ねると、熊谷さんは大きなため息とともに答える。
「昨日彼氏とエッチしてたらさ〜〜」
「あっやっぱ黙って」
「なんでよ〜!」
相変わらず熊谷さんの突拍子もない下ネタは…困る…。
僕や東条君は肩身が狭い。
「聞いてよ〜。今の彼氏とは初めてだったんだけどさ、もうめちゃくちゃヘタクソで!そう言ったらあっちがキレて、今喧嘩中なの!」
「環が悪いじゃん」
「なんで?本当の事じゃん!それに言わないと改善できないでしょ」
不満げに口を尖らせる熊谷さんを、玉城さんがちらりと見た。
「思ったこと全部言うのやめたら?」
「えー?全然半分も言ってないよ私。思ったこと。」
「嘘でしょ?」
玉城さんも結構ズバズバ言うんだなぁ…。
「ホントだって!ヘタクソっていうのも我慢して我慢して、どうしても我慢できなくて言ったんだから。」
「ふーん…」
「これが同級生とかだったらまだ我慢できるよ?でもさぁ4つも年上の20歳なんだよ!ありえないでしょ」
「……。」
「絶対ドーテーだわあいつ。」
「……。」
なんだろう…すごく…ここから立ち去りたい…。
鷹野さんと玉城さんは呆れたような目で熊谷さんを見てるけど…。
「っていうか付き合って2ヶ月もなんもしてこないしさ!キスだってこっちからしたんだよ!思い返すと色々ありえないわ」
「大事にしてくれてたんじゃないのー?」
鷹野さんが資料を捲りながらどうでも良さそうに言う。玉城さんは資料にマーカーを引いて纏める作業に取り掛かっている。
「それこそありえないって。何で付き合ってるのに我慢するわけ?付き合うってことは、こっちはもう諸々オッケーっていう意思表示なんだよ。手ぇ出さないなんて逆に失礼でしょ。」
「…あ そう」
「ね、光もそう思わない?」
腕を掴まれてマーカーがずれた玉城さんは、ちょっとため息を飲みこんで呟いた。
「思わない。」
「え〜〜なんで?」
「知らない。」
「男なんて皆ソレ目的でしょ。絶対一生ヤラないって言われたら付き合わないでしょ、ねぇ東条君、小湊君?」
「え…!?」
「……。」
「こら環!困らせないの。」
鷹野さんが窘めると熊谷さんはちょっと口を尖らせて数秒黙ったけど、まだ懲りない様子で言葉を続けた。
「だって私、元彼とはそれが原因で別れたんだもん。そいつもヘタクソでさ、痛いっつってんのに毎回進歩もなくてさ、ヤリたくないって言ったら2週間で浮気したよ。」
「……。」
「私と付き合うまでドーテーだったくせに。やっぱ少しは経験ある男の方が余裕があっていいかも。あーあ別れよっかなぁ…」
ふう、と物憂げにため息を吐く熊谷さん。鷹野さんと玉城さんはもう相手にせず作業に取り掛かっていて、僕はきっと東条君もここから立ち去りたいと思ってるんだろうな、と思いながら、全く頭に入らない図鑑の文章にひたすら目を滑らせた。
***
「お邪魔します!」
夜、僕の部屋に東条君がやってきて、ゾノ先輩が不思議そうに振り返った。
「ん?東条がくるなんて珍しいな。」
「授業のグループワークで一緒のグループなんですよ。」
僕が答えると、ゾノ先輩はなるほどな、と呟いてバットを肩に担いだ。
「じゃ、俺は練習場行ってるわ!」
「はい!僕も宿題が終わったら行きます。」
「おう、待っとるで」
最上君は他の1年生たちとどこかへ行ってるみたいだし、部屋には僕と東条君だけ。僕たちは資料やノートを広げ、模造紙を囲んだ。
「よし、やろうか!」
「ほとんどやってもらっちゃったから、なんか申し訳ないね。」
「そうだなー。」
野球部は忙しいでしょ、と、鷹野さんや玉城さんや熊谷さんが3人で資料をほとんど纏めてくれたおかげで、あとはほとんど書き写すだけでいいだけになっている。僕たちは早速取り掛かって、20分もしないうちに終わりが見えてきた。
「こっち清書しちゃうね。」
「うん!俺は表を貼るよ。」
着々と作業を進めながら、何気なく雑談が始まった。
「グループワークって…僕たち普段はクラスの人とあまり話すことないから、ちょっと新鮮で楽しかったね。」
「そうだなー、こういうことないと話さないまま終わっちゃったりするし…」
「でも東条君は鷹野さんと玉城さんとは前から仲良かったよね?」
「去年も同じクラスだったから…まぁ…ははは。でも、熊谷と話したのはグループ組んで初めてだったよ。」
「僕は3人とも話したことなかったな…。鷹野さんはイメージ通りすごくしっかり者だよね。玉城さんは、ちょっと、近づき難いイメージだったけど…話してみたら意外と話しやすくて…」
「そうなんだよ。玉城、男嫌いだとかいろいろ言われてるけど…結構普通なんだよ。冷やかしたり野次馬にきたりする男が嫌なのは、玉城じゃなくても当然だと思うし…」
「そうだよね。綺麗だから…目立つから大変だよね。あと、熊谷さんは…なんていうか…」
「ああ…熊谷は…」
「……。」
ははは、えへへ、とぎこちなく苦笑を浮かべて顔を見合わせる。
「ちょっと…下ネタきついよな…」
「うん…僕たちがいないところで話してほしいよね」
「うん、今日は特に気まずかった」
「だよね…」
お互い肩身の狭さを思い出して顔をひきつらせ、しばし作業に戻る。
「…東条君は特に気まずかったでしょ?」
「え?」
「玉城さんいるし…」
「…え!?ちょっと待って、どういう意味?」
「え…だって、好きなんだよね?玉城さんのこと」
「……。」
東条君は顔を赤くして、参ったように口元を覆ってちょっと顔を背けた。
「なんていうか…それ、よく言われるんだけどさ」
「…うん?」
「そりゃ…意識…はしてるけど、でも、付き合うとか絶対ありえないんだよ。」
「どうして?玉城さんも東条君のこと、好きだと思うけど…」
「…違う意味ではね。」
「…?」
「…うーん…まぁ…いいか、小湊なら」
「え?」
東条君は立ち上がって、ドアへ歩いて行って、部屋の外の様子を窺ってから戻ってきた。誰にも聞かれたくないことを話すらしい。僕はちょっと緊張して東条君の言葉を待った。
「これ、誰にも言わないでね?」
「…うん。」
「玉城はさ…」
「……。」
「…御幸先輩と、付き合ってるんだよ。」
「……え!?」
嘘だ、と思うと同時に、先日のことが蘇る。
『小湊。ありがとうな』
『え?そりゃ俺の玉城ちゃんを守ってもらって…』
「……えぇぇ!?」
2度目の驚嘆を上げた僕に、東条君は苦笑いで頷く。
「びっくりはするけど…なんとなく納得もするだろ?」
「…そ……そう…かも」
「俺も知った時は驚いたけど…。」
「…待って、それって…他に誰が知ってるの?」
「鷹野と卯月…だけじゃないかな。」
洋さん…知らないんだろうな…。あんなこと頼むくらいだし…。
…御幸先輩、それすらも楽しんでるのかな。ああ…洋さんが知った時が怖い。
「もう、去年の冬休み前かららしいよ。」
「え、そんなに前から!?全然気づかなかったよ…。」
素直に驚くと、東条君はいつも通りの笑顔で、だよね、と笑った。
***
「仲直りした〜。」
翌日…熊谷さんはご機嫌だった。
「よかったね。」
深く追求せずさらりと流す玉城さん。
「謝ったの?」
意外そうに尋ね返す鷹野さん。
熊谷さんは第2ボタンまであけているブラウスの襟に指をかけて言った。
「男なんて谷間見せれば一発よ。」
「……。」
「……。」
表情を失くして閉口する二人。気まずく空気と化す僕と東条君。
しかし熊谷さんはニコニコと面白そうに僕らの方にやって来た。
「ほーら、見る?」
うわー助けて、と思ったその時…玉城さんが熊谷さんの腕を引っ張った。
「やめなさい。」
「きゃ〜怒られちゃった。あはは」
熊谷さんはやっと席に座って教科書を開いた。た…助かった。
「ま、喧嘩しても大体一発ヤレば仲直りだよ。」
「環あんた…それしか頭にないの〜?」
鷹野さんが呆れたように窘めると、熊谷さんは悪びれず言った。
「えーだって、ヤッてる時ってホント幸せだもん。愛されてるっていうかさ〜、彼氏をすごく近くに感じて。ねっ光もそう思うでしょ?」
「さあ」
「も〜言っちゃいなよ、経験済みでしょ?その美貌でその身体!男がほっとくわけないもん。」
「…はぁ」
「あ、もしかして光の彼氏もヘタクソ男?あれはね〜ほんと、困るよね〜、指摘するのも悪いしさぁ」
「それで喧嘩した人がよく言う…」
…御幸先輩と付き合ってる、って聞いてから…この話聞くの、ちょっときついな…。
東条君はずっとこんな気持ちで熊谷さんの話聞いてたのかな…。
「っていうかさ〜グループワーク始まってからずっと思ってたけど、東条君たち全然喋んないよね!」
「…え?」
突然、熊谷さんが僕たちを見て言った。
「草食男子か〜?モテないよそういうの。」
「どう考えても環のせいでしょうが。」
「え?なんで?私話振ってるじゃん〜。ねぇ?」
僕らを振りかぶる熊谷さんに、玉城さんがぴしゃりという。
「振る話が問題なんだよ。」
「え?どこがぁ!?」
「デリカシーなさすぎ。私も返事したくない。」
「え〜!?なんで?」
「あと声大きすぎ。」
「普通だし〜」
これで熊谷さんは全く悪びれていないのだからすごいと思う…。
「ねぇほら、男子ももっと喋ろうよ!今日でグループワーク終わりなんだよ?」
「結局環は下ネタしか言ってないね…」
「楽しかったでしょ?」
全くもう、とため息を吐く鷹野さんを余所に、熊谷さんはスマホを取り出した。
「せっかくだし写メ撮ろう写メ!ほらみんなで!」
「環はやくプリント書いてよ。」
「その前に写メ〜。はい並んで、記念記念!ねぇ誰か撮って〜!」
熊谷さんは隣のグループの女子を呼びつけ、スマホを手渡した。
「はい チーズ!」
そうして取った5人写メを見て――
「お、いい感じ〜。後で皆に送るね〜」
満足そうにそう言って、やっと席に着いた。
なんだか…すごく周りを振り回す人だなあ…。
***
熊谷さんから送られてきた5人の集合写真を眺めていると、兄貴からラインが届いた。
『なにこれ?』
それから数秒後にもう一通。
『何ちゃっかり一緒に写ってるの?自慢?』
自慢…って。ほんと兄貴は、人をからかうのが好きなんだから…
『玉城さんだけの写真なんて無理だよ。』
そう送り返すと、数秒後、また返信が来た。…今暇なのかな。
『意気地なし。』
……。えーー…。
『これじゃあグローブのお礼にはならないな。』
そんなこと言われても。
『この俺のグローブをもらったんだから』
……?
『全国制覇くらいはしてもらわないとね。』
…兄貴…。
またそういう事を言って…本当に相変わらず…。
ちょっと口元を緩めながら、僕は返信を打った。
『期待して待ってて。』
夜の自主練中――洋さんがそう切り出した。
「はい、まぁ…」
「は〜〜羨ましいぜ…あんな子と同級生ってだけでも…毎日あんな美女を拝めるなんてよ」
「仕事が忙しいらしくて休みも多いですよ。」
「それでもだよ!なんか話とかした?」
「いえ、全然…休み時間は女子グループと話してるし、玉城さんは男子は東条君としか話しませんから」
「ハァ〜?マジかよ」
「実際野次馬とか冷やかしも多くて…廊下で男子に絡まれたりするみたいだし…しょうがないですよ。」
だけどさぁ…、と洋さんはまだ不満顔。多分、僕じゃなくて、自分が接点持ちたいんだろうな…玉城さんと。
「もっとガツガツいけよ 春市!お前ならいけるって!あんま男っぽくねぇし」
「どういう意味ですか…」
「いいから仲良くなれ!そんで俺を紹介してくれ!」
「えぇ…」
東条君に断られたのかな…これは…。
「最近試合見に来てくれねーし 会う機会減ってんだよ!」
「忙しいんですよ、きっと」
んなことわかってるよ!とバットを拾い上げる先輩の姿に、どうしたものかと苦笑した。
***
次の日…昼休みに届いた兄貴からのラインにため息をついた。
『玉城光と同じクラスになったんだって?』
『写真送って。』
……洋さんだな…。
兄貴が知ったら絶対無茶なこと言われると思って黙ってたのに…洋さんめ…。
無理だよ、と打とうとしていると、追加でまたメッセージが届いた。
『グローブのお礼はそれでいいよ。』
…兄貴…。相変わらずだなぁ、こういうとこ…。
無理、まで打ったところで手を止め、少し考える。
『無理だと思うけど、期待しないで待ってて。』
そう送信し、僕はスマホをポケットに仕舞った。
「ちょっと皆いいーー?」
教室に入ってきた鷹野さんが、一枚のプリントをひらひらさせながら皆に呼びかけて注目を集めた。
「今度の世界史でグループワークするから、4〜5人でグループ作っておいてほしいんだって!なるべく男女混合で!今昼休み中に決めちゃって!私書くから〜」
「小湊!組もうよ」
東条君がやってきて、僕は頷いた。あと3人…女子も入れなきゃいけないのか。見ると皆、異性に話しかけるのを躊躇うように苦笑いしている。その様子を見て、はい話し合って!と手を叩く鷹野さんの元に、玉城さんが歩いていった。
「私のとこは光と…こっち後3人誰かいな〜い?」
鷹野さんが自然と玉城さんを入れ、手をあげて教室を見渡した。男子が一斉に振り向く。そんな中、玉城さんは笑顔でこっちに手を振った。
「東条〜一緒にやろうよ」
「あ、うん!行こう、小湊」
いいのかな…。なんとなく肩身が狭くなりながら東条君について行き、鷹野さんと玉城さんの元へ行く。
「東条君と小湊君、2人?」
鷹野さんの問いに、うん、と東条君が頷いた。
「皆決まったらこっちに言いに来てね〜!」
鷹野さんが呼びかけると、続々と皆がメンバーを報告にきて、大体のメンバーが決まった頃…
「あれ?何?」
教室の外にいたらしいクラスメイト――熊谷環さんがきょとんとしながらやってきた。
「あ、環。あのね世界史のグループワークの…」
鷹野さんが説明すると、ふうん、とどうでもよさそうに呟いて、熊谷さんは僕たちを見渡す。
「じゃ、私も司たちの所に入れてよ。」
「おっけー、じゃ、これで決まりかな。」
鷹野さんは熊谷さんの名前を書き込むと、プリントを畳んで、提出してくる!と教室を出て行った。
「ねぇ光。」
熊谷さんが不意に玉城さんに話しかける。玉城さんが振り向くと、熊谷さんは何の前置きもなく、唐突に、しかも真顔のまま言った。
「ナプキン持ってる?」
「……。」
「さっき急に来ちゃってさぁ。持ってたら1個ちょうだい。」
僕と東条君がその話の意味を理解してぎょっとしたとき、玉城さんは無言のまま熊谷さんの腕を掴み、無言で引っ張っていった。
「え?何?何?」
「……。」
「あるの?ないの?どっち?」
「…ちょっと黙ってて」
玉城さんはそのまま熊谷さんを連れて教室を出て行った。び…びっくりした。よくわからないけど…女の子って大変だな…、と思うと同時に、動揺と困惑に襲われながら、東条君と苦笑顔を見合わせた。
***
グループワークを通して、今まで話したことのない3人の女子と話す機会が増えたわけだけど…。
そこで改めて知ったこと3つ。
「じゃあ資料集めは私たちでするとして…とりあえずテーマ絞ろうか。」
鷹野さんはやっぱりリーダーシップがあって頼れる姉御肌。だけど自分の意見を押し付けたりは決してしない。みんなの意見を尊重しつつ、言うべきことはしっかり言う、皆に慕われている理由がよくわかる。
「あれ…この資料間違ってない?小湊君、ちょっとそっち見せてくれる?」
「あ、うん。」
「あ…やっぱり。ここ著者名間違ってるから直しておくね。」
玉城さんは資料をまとめたり調べたりするのが上手くて、誰も知らないことを知っていたりする。すごく頭がいい。それに懸念していた噂の男嫌いも、今のところ感じない。僕にも普通に話しかけてくれるし、思っていたより気さくで優しくて、真面目だ。
「っていうか、ずっと気になってたんだけどさ〜…」
そして、熊谷さんは……
「何?」
「光って何カップあんの?」
「!?」
…熊谷さんは、なんというか…思ったことを全部口にするタイプの人だ。
それが下ネタでも、相手の気分を害することでも、まるで空気を読んでいない発言でも。
赤面して顔を引きつらせて俯くしかない僕と東条君をよそに、玉城さんは涼しい顔でちょっと眉を顰め、熊谷さんを睨んだ。
「環、ふざけてないで真面目にやって。」
「え〜隣にこんな巨乳があったら集中できないって。ねぇ東条君?」
「え…。」
熊谷さんは玉城さんの逆隣りに座る東条君に話を振った。東条君…頑張れ…。
「……。」
東条君が困っていると、玉城さんは突然立ち上がって、椅子を持って移動した。…僕と東条君の間に。
「ちょっと詰めてくれる?」
「あ、うん…」
「ありがとう。」
そしてそこに椅子を置いて座ると、涼しい顔でまた資料を広げた。
「じゃ、続きやろう。」
「そ…そうだね」
有無を言わせぬその態度に、鷹野さんですら言葉を挟まず頷いた。
っていうか、玉城さんが隣に来たら、なんか…いいにおいが…。
…って、これじゃ洋さんと一緒じゃん!
「じゃあレイアウトは4分割くらいで…」
「この文章入れるなら棒グラフより円グラフの方がいいんじゃない?」
「あれ、さっきのメモどこやったっけ…」
授業が進み、なんだかんだ鷹野さんと玉城さんに任せきりになってしまいながらもなんとかまとめ終えると、ちょうどチャイムが鳴った。
授業は4限目だったから、鷹野さんと玉城さん、そして熊谷さんはそのまま机をくっつけてお昼ご飯を食べ始める。
「えっ光それだけ?少食だな〜」
「そうなんだよね〜」
「いや司は多すぎだけどね。何その弁当箱?一斗缶?」
「いいのその分動くから!環なんてそれ菓子パンばっかじゃん!太るよ」
女子は賑やかだなぁ、と3人の会話を背中に聞きながら、僕はバッグから財布を取り出す。
「てか光って普段どんなもの食べてるの?」
「なんで?」
「いや何食べたらそんなにおっぱいデカくなるのかなって」
「……。」
「も〜すぐ無視!教えてよ〜やっぱ豆乳?キャベツ?」
「環…。」
男子たち皆聞き耳立ててるな…。って、僕も人のこと言えない…。
「じゃあ彼氏は?いるの?」
「…なんで?」
「やっぱ揉まれてるからデカくなるのかなーと思って。」
「……。」
「また無視!黙秘は肯定とみなすぞ〜いいのか〜?」
「環、もうやめな…」
***
「じゃあこの一覧の本、図書室にあるか見に行こう!手が空いてる人いる?」
鷹野さんが僕たちを見渡して、僕を目に留めた。
「小湊君、いい?」
「うん。」
「私も行くよ。」
玉城さんが顔を上げて申し出た。
「ふたりじゃ持ちきれないでしょ。」
「そうだね、じゃあ行ってくるね!」
いってらっしゃい、と熊谷さんと東条君に見送られ、僕たちは教室を出た。
しかし渡り廊下の手前まで来たところで、あ!と鷹野さんが立ち止まる。
「図書カード教室に忘れちゃった!ちょっと取りに行ってくる、先に行ってて!」
…え!
鷹野さんは風のように踵を返して行ってしまった。…玉城さんと二人。ちょっと気まずい…かも。
「……。」
「……。」
玉城さんは特に何も言わず、また歩き出した。僕もその少し後ろを歩く。
玉城さん…やっぱりキレーだな。スタイルもそうだけど、歩き方とか、ふと髪が風になびいただけでも…特別な雰囲気がある。始業式からもう結構経っているのに、いまだに玉城さんを一目見たくて教室に野次馬が押し掛けてくるのもわかる…。
カシャッ
その音は突然廊下に響いた。
「あ、ブレた」
「なにやってんだよ、早くしねーとバレるだろ」
「もう一回…あ〜あっち向いちゃった」
「こっち向かねぇじゃん」
ヒソヒソと響く声。玉城さんが俯くと、また、カシャッ、と音がした。廊下の角にいる3年生の男子生徒…彼らが携帯のカメラを玉城さんに向けているのだった。
「あ〜、だからお前ヘタクソ。貸せよ」
「バカ静かにしろって…」
「……。」
玉城さんがさらに俯いて、顔を隠すように身を縮こませ、歩く足を速める。
こんな…ひどいこと。人のことを何だと思ってるんだ…。
相手は3年生…だけど、ここで黙ってるなんて…。…できない。
「…あの。」
僕は渡り廊下を右に折れた玉城さんから離れ、そのまままっすぐ前に歩いていき、先輩たちの前に立った。
「…は?」
「何?」
先輩たちはニヤニヤうすら笑いを浮かべながら携帯を隠すように手の中におさめる。僕の上靴を見て、2年だという事を確かめると、その態度は傲慢になった。
「誰?」
「2年だろ?」
「…今撮った写真、消してくれませんか。」
僕が言うと、先輩たちは顔を見合わせた。
「何も撮ってないけど?」
「何言ってんの?」
「……。」
どうすれば…。携帯を奪い取ったりしたら…マズイかな、さすがに。だけど…
ちょっと後ろを振り向くと、玉城さんが立ち止まって驚いたように僕を見ていた。やっぱりここで引き下がれない。
「消してください。」
もう一度先輩たちを見上げて言うと、ちょっと怯んだように息を飲んだ。
「…だから、何も撮ってねーって!」
「春市?」
そこへ響いた聞きなれた声。後ろから現れたのは、洋さんと御幸先輩だった。
「どうした?」
ただ事ではない状況を察したように僕たちを見渡す洋さんと御幸先輩。
「お?玉城ちゃんじゃん」
やっほ〜、と御幸先輩が手を振って、玉城さんはちらりと不安げな目で御幸先輩を見る。それから御幸先輩は急に真面目な顔になって僕を見た。
「なんかあったの?」
僕がさっきの先輩たちを見上げると、ふたりとも、まずいことになった、というような顔をしていた。
「…この人たちが…」
「わ、わかったよ!消せばいいんだろ!」
先輩は携帯を開いて少し操作し、またすぐにポケットに突っ込んだ。
「ほら消したよ、これでいいんだろ!?」
「……。」
まだ信用できない気持ちで先輩たちを見るも、彼らは逃げるように踵を返してしまう。
「待てよ。」
その足を引き留めたのは洋さんだった。
「その携帯見せろよ。」
手を出して詰め寄る洋さんに、先輩たちは青ざめた。
「な…なにもねぇって」
「そーだよ、消したし…」
「じゃあいいじゃねーか。見せろよ」
「……。」
「……。」
「さっさと出せや コラ!」
倉持先輩が怒鳴りつけると、先輩は携帯をポケットから出し、すぐに開いて何か弄ろうとした。そこをすかさず洋さんが奪い取り、暫く操作する。そして――
「…チッ」
舌打ちをして先輩たちを睨み、また携帯を操作してから、そのまま持ち主に向かって放り投げた。
「くだらねーことしてんじゃねぇよ、クソが!!」
「ご…ごめん」
「すいません…」
「俺じゃねぇ 謝んのはあっちだろーが!!」
洋さんが玉城さんを指さした。玉城さんは目を丸くして、びくりと震えた。
「…すいませんでした」
「……すいませんっした」
はい…、と戸惑いながら玉城さんが頷いて、先輩たちはバツの悪い顔で去って行った。
「さすが元ヤン」
「んだとコラ…」
いつものようにケンカを始めるふたり。こんなときまで…。
「小湊君。」
すると綺麗な声が僕を呼んで、振り向くと、玉城さんが僕の傍に歩いてきていた。
「ありがとう。」
宝石みたいなブルーの瞳が僕をまっすぐに見つめて、微笑む。
「う…ううん、当たり前の事をしただけだよ。」
「……。」
玉城さんはそれでも微笑んで僕を見つめた。こんなふうに微笑みを向けられるのは、初めて…。
「お〜〜春市、ずいぶん男らしかったなぁ?」
「洋さん…」
洋さんが僕の肩を抱き込んでからかってくる。その顔にはちょっと悔しさが滲んでいたけど…
「倉持先輩も…ありがとうございました」
「えっ?いや、全然、このくらい…」
玉城さんにお礼を言われると、まんざらでもなさそうに…というか喜びをこらえきれない様子で頬を緩ませた。
「大丈夫か?」
「…はい」
御幸先輩が声をかけると、玉城さんは頷いた。あれ…?なんか、2人の雰囲気、いつもと違うような…。
なんとなく疑問符を浮かべながら見ていると、御幸先輩は僕を振り向いた。
「小湊。ありがとうな」
「はい…、え?」
なぜ御幸先輩がお礼を…?
「何でテメーが礼言ってんだよ。」
「え?そりゃ俺の玉城ちゃんを守ってもらって…」
「何が『俺の』だ!!」
「はっはっはっは!冗談だって」
「当たり前だ バカ!」
「じゃ、玉城ちゃんまったね〜」
「待てコラ!」
走っていく先輩たちを、ちょっと苦笑しながら見送って…ふと、玉城さんが微笑んでいることに気が付いた。なんだかうれしそう…?
「あれ?どうしたの?」
そこへ戻って来た鷹野さんが、まだ廊下にいた僕たちを見て不思議そうに目を丸くした。
***
「は〜ムカつく!」
その日、熊谷さんは不機嫌だった。
「どうしたの?」
鷹野さんが訊ねると、熊谷さんは大きなため息とともに答える。
「昨日彼氏とエッチしてたらさ〜〜」
「あっやっぱ黙って」
「なんでよ〜!」
相変わらず熊谷さんの突拍子もない下ネタは…困る…。
僕や東条君は肩身が狭い。
「聞いてよ〜。今の彼氏とは初めてだったんだけどさ、もうめちゃくちゃヘタクソで!そう言ったらあっちがキレて、今喧嘩中なの!」
「環が悪いじゃん」
「なんで?本当の事じゃん!それに言わないと改善できないでしょ」
不満げに口を尖らせる熊谷さんを、玉城さんがちらりと見た。
「思ったこと全部言うのやめたら?」
「えー?全然半分も言ってないよ私。思ったこと。」
「嘘でしょ?」
玉城さんも結構ズバズバ言うんだなぁ…。
「ホントだって!ヘタクソっていうのも我慢して我慢して、どうしても我慢できなくて言ったんだから。」
「ふーん…」
「これが同級生とかだったらまだ我慢できるよ?でもさぁ4つも年上の20歳なんだよ!ありえないでしょ」
「……。」
「絶対ドーテーだわあいつ。」
「……。」
なんだろう…すごく…ここから立ち去りたい…。
鷹野さんと玉城さんは呆れたような目で熊谷さんを見てるけど…。
「っていうか付き合って2ヶ月もなんもしてこないしさ!キスだってこっちからしたんだよ!思い返すと色々ありえないわ」
「大事にしてくれてたんじゃないのー?」
鷹野さんが資料を捲りながらどうでも良さそうに言う。玉城さんは資料にマーカーを引いて纏める作業に取り掛かっている。
「それこそありえないって。何で付き合ってるのに我慢するわけ?付き合うってことは、こっちはもう諸々オッケーっていう意思表示なんだよ。手ぇ出さないなんて逆に失礼でしょ。」
「…あ そう」
「ね、光もそう思わない?」
腕を掴まれてマーカーがずれた玉城さんは、ちょっとため息を飲みこんで呟いた。
「思わない。」
「え〜〜なんで?」
「知らない。」
「男なんて皆ソレ目的でしょ。絶対一生ヤラないって言われたら付き合わないでしょ、ねぇ東条君、小湊君?」
「え…!?」
「……。」
「こら環!困らせないの。」
鷹野さんが窘めると熊谷さんはちょっと口を尖らせて数秒黙ったけど、まだ懲りない様子で言葉を続けた。
「だって私、元彼とはそれが原因で別れたんだもん。そいつもヘタクソでさ、痛いっつってんのに毎回進歩もなくてさ、ヤリたくないって言ったら2週間で浮気したよ。」
「……。」
「私と付き合うまでドーテーだったくせに。やっぱ少しは経験ある男の方が余裕があっていいかも。あーあ別れよっかなぁ…」
ふう、と物憂げにため息を吐く熊谷さん。鷹野さんと玉城さんはもう相手にせず作業に取り掛かっていて、僕はきっと東条君もここから立ち去りたいと思ってるんだろうな、と思いながら、全く頭に入らない図鑑の文章にひたすら目を滑らせた。
***
「お邪魔します!」
夜、僕の部屋に東条君がやってきて、ゾノ先輩が不思議そうに振り返った。
「ん?東条がくるなんて珍しいな。」
「授業のグループワークで一緒のグループなんですよ。」
僕が答えると、ゾノ先輩はなるほどな、と呟いてバットを肩に担いだ。
「じゃ、俺は練習場行ってるわ!」
「はい!僕も宿題が終わったら行きます。」
「おう、待っとるで」
最上君は他の1年生たちとどこかへ行ってるみたいだし、部屋には僕と東条君だけ。僕たちは資料やノートを広げ、模造紙を囲んだ。
「よし、やろうか!」
「ほとんどやってもらっちゃったから、なんか申し訳ないね。」
「そうだなー。」
野球部は忙しいでしょ、と、鷹野さんや玉城さんや熊谷さんが3人で資料をほとんど纏めてくれたおかげで、あとはほとんど書き写すだけでいいだけになっている。僕たちは早速取り掛かって、20分もしないうちに終わりが見えてきた。
「こっち清書しちゃうね。」
「うん!俺は表を貼るよ。」
着々と作業を進めながら、何気なく雑談が始まった。
「グループワークって…僕たち普段はクラスの人とあまり話すことないから、ちょっと新鮮で楽しかったね。」
「そうだなー、こういうことないと話さないまま終わっちゃったりするし…」
「でも東条君は鷹野さんと玉城さんとは前から仲良かったよね?」
「去年も同じクラスだったから…まぁ…ははは。でも、熊谷と話したのはグループ組んで初めてだったよ。」
「僕は3人とも話したことなかったな…。鷹野さんはイメージ通りすごくしっかり者だよね。玉城さんは、ちょっと、近づき難いイメージだったけど…話してみたら意外と話しやすくて…」
「そうなんだよ。玉城、男嫌いだとかいろいろ言われてるけど…結構普通なんだよ。冷やかしたり野次馬にきたりする男が嫌なのは、玉城じゃなくても当然だと思うし…」
「そうだよね。綺麗だから…目立つから大変だよね。あと、熊谷さんは…なんていうか…」
「ああ…熊谷は…」
「……。」
ははは、えへへ、とぎこちなく苦笑を浮かべて顔を見合わせる。
「ちょっと…下ネタきついよな…」
「うん…僕たちがいないところで話してほしいよね」
「うん、今日は特に気まずかった」
「だよね…」
お互い肩身の狭さを思い出して顔をひきつらせ、しばし作業に戻る。
「…東条君は特に気まずかったでしょ?」
「え?」
「玉城さんいるし…」
「…え!?ちょっと待って、どういう意味?」
「え…だって、好きなんだよね?玉城さんのこと」
「……。」
東条君は顔を赤くして、参ったように口元を覆ってちょっと顔を背けた。
「なんていうか…それ、よく言われるんだけどさ」
「…うん?」
「そりゃ…意識…はしてるけど、でも、付き合うとか絶対ありえないんだよ。」
「どうして?玉城さんも東条君のこと、好きだと思うけど…」
「…違う意味ではね。」
「…?」
「…うーん…まぁ…いいか、小湊なら」
「え?」
東条君は立ち上がって、ドアへ歩いて行って、部屋の外の様子を窺ってから戻ってきた。誰にも聞かれたくないことを話すらしい。僕はちょっと緊張して東条君の言葉を待った。
「これ、誰にも言わないでね?」
「…うん。」
「玉城はさ…」
「……。」
「…御幸先輩と、付き合ってるんだよ。」
「……え!?」
嘘だ、と思うと同時に、先日のことが蘇る。
『小湊。ありがとうな』
『え?そりゃ俺の玉城ちゃんを守ってもらって…』
「……えぇぇ!?」
2度目の驚嘆を上げた僕に、東条君は苦笑いで頷く。
「びっくりはするけど…なんとなく納得もするだろ?」
「…そ……そう…かも」
「俺も知った時は驚いたけど…。」
「…待って、それって…他に誰が知ってるの?」
「鷹野と卯月…だけじゃないかな。」
洋さん…知らないんだろうな…。あんなこと頼むくらいだし…。
…御幸先輩、それすらも楽しんでるのかな。ああ…洋さんが知った時が怖い。
「もう、去年の冬休み前かららしいよ。」
「え、そんなに前から!?全然気づかなかったよ…。」
素直に驚くと、東条君はいつも通りの笑顔で、だよね、と笑った。
***
「仲直りした〜。」
翌日…熊谷さんはご機嫌だった。
「よかったね。」
深く追求せずさらりと流す玉城さん。
「謝ったの?」
意外そうに尋ね返す鷹野さん。
熊谷さんは第2ボタンまであけているブラウスの襟に指をかけて言った。
「男なんて谷間見せれば一発よ。」
「……。」
「……。」
表情を失くして閉口する二人。気まずく空気と化す僕と東条君。
しかし熊谷さんはニコニコと面白そうに僕らの方にやって来た。
「ほーら、見る?」
うわー助けて、と思ったその時…玉城さんが熊谷さんの腕を引っ張った。
「やめなさい。」
「きゃ〜怒られちゃった。あはは」
熊谷さんはやっと席に座って教科書を開いた。た…助かった。
「ま、喧嘩しても大体一発ヤレば仲直りだよ。」
「環あんた…それしか頭にないの〜?」
鷹野さんが呆れたように窘めると、熊谷さんは悪びれず言った。
「えーだって、ヤッてる時ってホント幸せだもん。愛されてるっていうかさ〜、彼氏をすごく近くに感じて。ねっ光もそう思うでしょ?」
「さあ」
「も〜言っちゃいなよ、経験済みでしょ?その美貌でその身体!男がほっとくわけないもん。」
「…はぁ」
「あ、もしかして光の彼氏もヘタクソ男?あれはね〜ほんと、困るよね〜、指摘するのも悪いしさぁ」
「それで喧嘩した人がよく言う…」
…御幸先輩と付き合ってる、って聞いてから…この話聞くの、ちょっときついな…。
東条君はずっとこんな気持ちで熊谷さんの話聞いてたのかな…。
「っていうかさ〜グループワーク始まってからずっと思ってたけど、東条君たち全然喋んないよね!」
「…え?」
突然、熊谷さんが僕たちを見て言った。
「草食男子か〜?モテないよそういうの。」
「どう考えても環のせいでしょうが。」
「え?なんで?私話振ってるじゃん〜。ねぇ?」
僕らを振りかぶる熊谷さんに、玉城さんがぴしゃりという。
「振る話が問題なんだよ。」
「え?どこがぁ!?」
「デリカシーなさすぎ。私も返事したくない。」
「え〜!?なんで?」
「あと声大きすぎ。」
「普通だし〜」
これで熊谷さんは全く悪びれていないのだからすごいと思う…。
「ねぇほら、男子ももっと喋ろうよ!今日でグループワーク終わりなんだよ?」
「結局環は下ネタしか言ってないね…」
「楽しかったでしょ?」
全くもう、とため息を吐く鷹野さんを余所に、熊谷さんはスマホを取り出した。
「せっかくだし写メ撮ろう写メ!ほらみんなで!」
「環はやくプリント書いてよ。」
「その前に写メ〜。はい並んで、記念記念!ねぇ誰か撮って〜!」
熊谷さんは隣のグループの女子を呼びつけ、スマホを手渡した。
「はい チーズ!」
そうして取った5人写メを見て――
「お、いい感じ〜。後で皆に送るね〜」
満足そうにそう言って、やっと席に着いた。
なんだか…すごく周りを振り回す人だなあ…。
***
熊谷さんから送られてきた5人の集合写真を眺めていると、兄貴からラインが届いた。
『なにこれ?』
それから数秒後にもう一通。
『何ちゃっかり一緒に写ってるの?自慢?』
自慢…って。ほんと兄貴は、人をからかうのが好きなんだから…
『玉城さんだけの写真なんて無理だよ。』
そう送り返すと、数秒後、また返信が来た。…今暇なのかな。
『意気地なし。』
……。えーー…。
『これじゃあグローブのお礼にはならないな。』
そんなこと言われても。
『この俺のグローブをもらったんだから』
……?
『全国制覇くらいはしてもらわないとね。』
…兄貴…。
またそういう事を言って…本当に相変わらず…。
ちょっと口元を緩めながら、僕は返信を打った。
『期待して待ってて。』