032
「よ。」
「……。」
俺がやって来ると、光は参考書を閉じる。日本史難関厳選100講…また難しそうなもん読んでる。
「先輩、明日…応援に行くね。」
…明日は都大会の準決勝。仕事でいけないかもと言ってたけど…
「マジで?来てくれんの?」
「予定空けてもらったの。真と一緒に行くよ。」
「卯月か…。」
「司は部活だって。」
ふうん、と相槌を打って、じんわりと胸の奥が暖かくなるのを感じる。光が来てくれると思うと…くすぐったい。
「司、バレーボール部なんだけどね、今年からレギュラーになったんだって。あと、1年生にすごく上手い子が入ったみたい。今年は都大会いいとこまで行けるかも、って言ってた。」
「へー…じゃそっちも応援行くの?」
「まだ先だけどね。司、練習忙しくなって野球部の試合見に行けないの残念がってたよ。」
「はっはっは!そりゃ光栄。」
「野球部は?新入部員入ったんでしょ?」
新入部員か。もちろん、面白い奴が入ってきた。一番に思い浮かぶのは…
「そりゃもう、おもしれー奴が来たよ。同室の奴なんだけどさ…」
「うん」
「なぜか俺いつも睨まれんの。沢村ともやりあったみたいだし…なかなか骨のありそうな奴だよ!」
「やりあった?」
「目障りだから消えろ、って言われたらしいぜ、沢村の奴。」
ぶくく、と笑いを堪えながら言うと、へえ、と光は目を丸くした。
「それで一也先輩は?」
「え?」
「キャプテンだし、同室だし、何か言ったんでしょ?」
「そりゃもう、先輩としてキャプテンとして、ありがた〜いお説教を…」
「ふふふ。」
光は可笑しそうに笑って、微笑んで俺を見つめた。
「その1年生、一也先輩のお気に入りなんだ。」
「え?」
「すごく楽しそうだもん…」
「はは…そーかも。」
思えば…奥村を面白いと思うのは、あれだけが原因じゃない。
「捕手志望の奴なんだけど、柔らかいキャッチングする奴でさ…気難しいかと思えば、投手によく声かけててのせるのも上手いし。実際の試合でどんなリードするのか見てみたいよ。」
「……。」
「まぁ体力面やら頑固さやら、まだまだ未熟なところも多いけどな〜」
「…ふふふ」
光はちょっと微笑んで、からかうように俺を見つめた。
「一也先輩に目つけられて…その子かわいそう。」
「かわいそうってなんだよ(笑)」
一通り笑ったところで、光の手を握る。光が振り向いて、俺はためらわず唇を奪った。
は…、と甘い吐息を近くに感じる。
昼休みにここで光と会うと、キスをするのが恒例になってきて、以前よりは慣れた様子でキスに応じる光の姿に喜びを覚える。この調子で、そろそろ次の段階に…。
経験が無くあまり積極的でない女の子をその気にさせるには、少しずつ慣らしていくしかないというのを読んだ。キスになれたら軽いボディタッチ、それに慣れたらもう少し際どいボディタッチ、そして彼女の反応を見ながら事に及ぶ…という具合だ。
今日はちょっと…、体に触れてみて、反応を見てみるか…。
舌を絡ませながら、光の肩に手を置いて、そのままゆっくりと撫でおろし、体を近づけながら細い腕を握る。もう片方の手は、細い腰の括れに添えるようにして、少し力を込めで引き寄せるようにした。
光は…
ちょっとぎこちないけど、俺の腕に掴まるように手を添えた。よし、いい感じ…
腰に添えた手を、ゆっくりと体を撫でながら上へずらして…胸と脇腹の間辺りに添える。それから反応を窺いながら、ちょっとずつ手をずらしていって、人差し指と親指の間に柔らかな膨らみがぶつかった。
「……。」
ちょっと唇を離して、またキスをして、光の反応を見る。拒否は…ない。
また少しずつ手をずらして…胸の横に手のひらを這わせた。
やっと…、やっともう一度、胸に触った……。光は無反応…ってことは、いい…んだよな、触っても…。
更に手をずらし、軽く膨らみを掴んだ。あ〜、これ、この感触…。けど前は直だったから、やっぱ結構違うな。まぁこれでも相当、興奮するけど…。
「…は…。」
光の吐息に微かな声が混じった。同時に、ちょっと身を引いて唇が一瞬離れる。
やべ…ダメだった?これって拒否?でも…まだ嫌とは言ってないし…
「……。」
ちょっと唇を舐めてから離し、ぎこちなく、そして名残惜しく胸からも手を離す。光はちょっと息が上がっていて、赤い唇を少し開けたまま俯いた。
嫌だった…かな。
「…先輩…」
「…え?」
やめて、とか言われたらどーしよ…
「やっぱり…したい…の?」
「へ…」
ど…どういう意図の質問?
嫌ならしないって言ったのはうそだったんだ、という非難なのか、それとも…。
「や…、俺…は」
「……。」
「……。」
今更なんて言い訳しても…ここの所いつもキス迫ってたし、今なんて胸揉んだし…バレバレだろ。
「…できれば」
「……。」
あれ…俺めちゃくちゃダサくね?
できればってなんだよ!一番最悪だろ…
「けど、無理にするつもりはないし…」
「……。」
「…嫌だった?…よな?」
「……じゃない」
「え?」
光は顔を真っ赤にして、呟いた。
「嫌…じゃない」
俺も…顔が熱い。
「でも…」
「……?」
「まだ……今は…したくない」
怖いから…か?やっぱり…男と違って女は、そういう行為に抵抗もあるんだろうし…
そっか、と呟こうとした直前。光は言葉をつづけた。
「夏が終わるまでは…私の為に時間を割かないで」
「……。」
「一也先輩は野球の為に、この学校に来たんだから」
光…。
「今は精一杯、野球を楽しんでほしい」
「…うん」
「…だけど、時々は」
「…?」
「…キス…くらいは…してね」
「……。」
あー…ほんと…可愛すぎ…。
「…とりあえず今すぐ…もう一回していい?」
「え…。…う、うん…」
照れ隠しに笑いながら言うと、光は頷いて俺を見上げて――
「…してほしい」
そう赤い唇で呟いて、俺はごくりと喉を鳴らし、その唇を塞いだ――。
***
浮かれていたつもりはない…。
だけど…
市大三高に敗れ、俺たちは帰途に就く。光にカッコ悪ぃとこ見せちまったな…。
もっと俺たちが、点をとれていれば…
階段で成宮とすれ違った。お互い何も言わず、無言で顔を背ける。
情けない――そう言われている気がした。うるせぇよ、と胸の中で呟いた。
「あっ!御幸先輩だよ、ほら!」
その薄暗い階段によくとおる高い声が響く。卯月か、光も一緒だろうな。そう思って顔を上げ、やっぱり、と思った。
光は俺を見つめ、微笑んだ。お疲れ様…、そう言っているみたいに。
「光ちゃん。」
その光を、低い声が呼び止める。
…成宮だ。
「秋大では俺、ダサいとこ見せたけど…」
「……。」
「夏はてっぺんとる。」
それは光に言っているのか…それとも俺への宣戦布告か。
「それまで待ってて。」
「……。」
光は成宮を見つめ、それから俺を見て――決意したようにまた、成宮を見上げた。
「待てません。」
「――え?」
成宮が目を丸くする。
「もう、別の人を待ってるから…」
光のその言葉の意味を――俺が、俺たちが夏を制覇することを待っているという気持ちを――知って、俺は、胸の奥から熱がとめどなくあふれだした。
「……え……、」
成宮はあっけにとられ、しばらく放心してから、ハッとして俺を振り返り、何度も光と見比べる。
「…まさか一也、と…」
「……。」
「…付き合ってるの!?」
光ちゃん!と詰め寄る成宮に、ちょっと顔を赤くする光。俺も顔が熱くなるのを感じて、顔を背けて頬を掻く。
「……!!い…いつから…」
「……。」
「…一也!お前ちゃっかり…!」
「なんだよ…ちゃっかりって」
「俺が狙ってるの知ってたくせに!卑怯だぞ!」
「卑怯って…」
「抜け駆けなんてマネしてるから負けたんじゃないの!?一也のバカ!卑怯者!」
「関係ねーだろ…」
「光ちゃん!絶対振り向かせて見せるから!!一也から奪ってみせるから!!」
「……。」
成宮は自分勝手な宣言をして、鼻息荒くベンチへ入って行った。
「…光。」
俺が呼ぶと、光は振り返る。
「待っててくれる?」
そう尋ねると、光は頬を赤くしてはにかんだ。
「…待ってる。」
***
「御幸せんぱ〜〜い!私も待ってますから〜〜!!」
バスに乗り込む際中。大手を振ってそう叫ぶ卯月を指し、倉持が「なんのこと?」と尋ねてきて、さあ、と首をかしげることしかできなかった。まったく…声がデケェ上に特徴的だから目立つ…。
だけど…その隣で微笑む光に、俺はこっそりと微笑みを返した。
「光!」
――え?
突然響く、聞きなれない光を呼ぶ声。しかも、親し気に…。
光が振り向いて、微笑みを浮かべるその相手は…
「あ…光舟。」
…え!!?
「あまり人ごみに来ない方がいい。光は人目を惹くんだから…」
「大丈夫だよ…」
「え、ちょっと、お前ら…」
思わず近寄って声をかけると、光も奥村もきょとんと…いや、奥村はじろりと俺を見た。
「どういう関係?」
「……。」
「…親戚なんです」
奥村が「関係ないだろ」というような顔で口を噤んだ隣で光が答えた。
「…親戚!?」
はい、と頷いて奥村と顔を見合わせる光。周りの野球部員たちも口を開けたまま奥村を見ている。まさかこの二人が親戚とは…。言われてみれば髪の色とか目の色とか…光の初対面の頃の不愛想さとか…似てるかも…。
「光…この人のこと知ってるの?」
この人、って。
「……うん。」
光は小さく頷く。
「光舟…野球部入ったんだったね。」
「…うん」
不愛想に頷く奥村の肩を抱き込んで、俺はにっこり笑う。
「それだけじゃないぜ、俺とこいつ、同室♪」
「え…。」
「……。」
驚いたように目を丸くする光。不満気に俺を振り払う奥村。
「…そうなんだ…。」
「……。」
「……ふふ…」
「?」
光はなぜか可笑しそうに口元を押さえて顔を背けた。
「え、何?何?」
「ふふ…なんでもない」
面白そうに目を細めて俺と奥村を見つめる光。…光しか知らない何かがありそうだ。
「御幸!置いてくで!」
「光舟ー!行くぞ!」
「あ…じゃあね。」
「御幸せんぱ〜い、奥村くーん、ばいば〜い!」
俺たちが呼ばれたのを機に、光と卯月は手を振って踵を返す。
「…なぜ光と知り合いなんですか」
「さあな〜。光ちゃんに聞いてみ?」
「……。」
「はっはっはっは!」
バスに向かいながら、奥村は疑わしげな目で俺を睨んだ。
***
バタン!と乱暴にドアが開き、続けてドスドスドス、と乱暴な足音が迫ってきて、俺はイヤホンを外して振り向いた。
…恐ろしい形相の奥村がいた。
「もう聞いたみたいだな、あの事。」
「……。」
俺に掴みかかりかねない勢いでやってきて奥村を、木村は息を飲んでみている。
「平気だよ。ちょっと外してくれるか?」
「…あ、はい!失礼します…」
木村は心配そうにしながらも部屋を出て行った。あのこと…部内に広まったらまずいし。木村がいる前で口を開かなかったという事は、奥村もそれは理解しているようだ。
「……。」
「なんだよ?」
仁王立ちのまま俺を睨んでいた奥村は、ようやく口を開く。
「…あなたに光を守れるとは思えない」
「へぇ?」
「俺は認めません。」
認めないって…どこから目線?
「お前光のこと好きなの?」
「…そんな軽々しい気持ちじゃありません」
「…?」
「光は…」
「……。」
奥村はどこか思いつめた顔で言葉を詰まらせ、絞り出すように言った。
「…絶対に幸せにならなきゃいけない人です」
そのあまりに沈痛な物言いに、俺はちょっと怯んだ。こいつの光に対する思い入れの強さ…ただごとじゃないな。単なる親戚ってわけじゃなさそうだ。だけど俺は、ちょっと微笑みを浮かべて頷いた。
「同感だよ。」
そう言うと、奥村は俺を睨んで、部屋を出て行った。
***
「な…なんだこの人混みは!!」
2年の廊下を通りかかると、聞きなれたバカの声が響き渡っていた。少し見渡すとすぐにその声の主も見つかった。
「ま…まさか、俺の活躍を聞きつけて…」
「今日は玉城さんが学校に来てるからね。」
沢村の言葉を遮って、小湊が言った。隣には東条もいる。廊下は野次馬らしき男たちが詰めかけていて、C組の前だけでは収まらずB組の前まで占領してしまっている。
「学校来るといつもこんななのかよ。大変だな有名人は…」
隣りの倉持がぼやいて、人混みの中に足を踏み入れた。ここを通らないと目的地である体育館に行けないのだ。
「あっ!?倉持先輩に御幸先輩まで野次馬かよ!あんまり玉城に迷惑かけないでやってくれませんかね!」
「だ〜〜〜れが野次馬だコラ!!体育館行くんだっつの!!」
倉持に締め上げられる沢村を横目に、俺はちょっと周りを見渡す。C組は次体育らしく、誰も教室にいない。ま…今日来てるなら、俺は昼休みに会えるし。
「洋さんたちも次体育なんですか?」
体育着姿の小湊が尋ねて、そうだと倉持が頷く。
「俺らはバスケ。そっちは?」
「僕らはリレーなんです。」
「ケガ気をつけろよ。」
「洋さんたちも…」
じゃあな、と手をあげて、小湊達はグラウンドへ、俺たちは体育館へ向かった。
指定されたのは大きい方の大体育館A。ここを使うときは大抵真ん中をネットで区切って、他のクラスと分割して使う。今日はそこに2年の女子がいたため、男共はにわかに色めき立った。
「なあ、隣2年女子、マット運動だってよ」
「いいね〜」
なにがいいね〜、だ。これだから男は…
「…えっ、玉城さん来たぜ!」
「マジかよ玉城さんのクラス!?」
…は!!?
つられて振り向くと、そこには確かに鷹野と体育館に入ってくる光の姿…。体育着も似合ってる…髪縛ってるの可愛い…ってそうじゃない!このままじゃ男共の邪な視線に光が晒されることに…!
光がちらりと俺を見て、気が付いたように一瞬ハッとした。しかしすぐに何事もなかったように鷹野とおしゃべりを続ける。俺も踵を返して振り返ると――じっと女子の方を…いや光を見ている倉持に気が付き、閉口した。
「何見つめちゃってんの?」
「べっ…つに…!ぼーっとしてただけだっつの」
倉持は慌てて踵を返し、教師の方へ走っていく。…俺と光のことを倉持が知ったら…怒るだろうなぁ〜倉持。まぁそれはそれで面白い…
「3年男子何してんだ!集合!」
そわそわと落ち着かない男子に、体育教師がついに怒号を上げ、漸く点呼が始まった。
「はいじゃあ二人組で柔軟〜」
緑のネットの向こうでは2年の女子たちがマットの上で柔軟を始める。
「きゃーいた〜い」
「みか硬すぎ〜」
「やだもー優しくしてよー」
「きゃっ もうどこ触ってんの!」
「きゃはは ひーちゃんへんた〜い」
「……。」
「……。」
「……。」
聞きようによっては…いやそのままでも十分にきわどい女子たちのはしゃぎ声。これだけでも男子高校生の集中力を欠くには十分だというのに…
「きゃー光すごい!」
「やわらか〜い!」
真っ直ぐ180度に開脚し、上体をべったりと床につける光に、教師も感心したようにやってきて声をかける。
「玉城さんすごいわね、バレエか何かやってたの?」
光は上体を起こし、教師を見上げた。
「中学で…バレエが必修科目だったので」
へえ?と目を丸くする教師、すごいすごいとはしゃぐ女子たち、ぼーっと見惚れる男共。
しなやかな脚、くびれた腰、柔らかく反った背中に、突き出される胸…お前ら見るな、と叫びたい。
「じゃあこれはできる?」
教師が楽しそうに片足をまっすぐに上げてY字バランスをとる。光は立ち上がると、同じように脚を上げて腕で支え、綺麗に立って見せた。…こっち男いるんだぞ!!ハーフパンツであんなポーズ…太腿見えてるし!今すぐやめさせたい…!
おぉ…、と男たちが息をのむ。どこ見てんだよ…クソ。
「いいわね!そのままI字いける?」
「…はい」
更に持ち上がる脚。すごーい!と女子が歓声を上げ、教師も手を叩いて褒め、光はようやく脚を降ろしてはにかんだ。
「久しぶりだからちょっときついです。」
「ちゃんとできてたわよ!ねぇよかったら体操部入らない?」
「せんせー最初からそれ目的でしょ〜」
あはははは、と溢れる笑い声。女子は楽しそうだなぁ…。
「お前ら女子の方覗いてんじゃねーぞ〜」
こっちは教師がそうからかうように言って、俺たちは皆ぎくりと肩を竦めた。
「体柔らかい女子ってなんか…」
「…エロいよな」
「あ…わかる」
わかる…じゃねぇよ!光は俺の…
「コラ!男子!コートに集合!!」
再び教師の一喝でぞろぞろと集合する男達。ちょっと光を振り返ると、一瞬目が合って、からかうように微笑んだように見えた。
「……。」
俺がやって来ると、光は参考書を閉じる。日本史難関厳選100講…また難しそうなもん読んでる。
「先輩、明日…応援に行くね。」
…明日は都大会の準決勝。仕事でいけないかもと言ってたけど…
「マジで?来てくれんの?」
「予定空けてもらったの。真と一緒に行くよ。」
「卯月か…。」
「司は部活だって。」
ふうん、と相槌を打って、じんわりと胸の奥が暖かくなるのを感じる。光が来てくれると思うと…くすぐったい。
「司、バレーボール部なんだけどね、今年からレギュラーになったんだって。あと、1年生にすごく上手い子が入ったみたい。今年は都大会いいとこまで行けるかも、って言ってた。」
「へー…じゃそっちも応援行くの?」
「まだ先だけどね。司、練習忙しくなって野球部の試合見に行けないの残念がってたよ。」
「はっはっは!そりゃ光栄。」
「野球部は?新入部員入ったんでしょ?」
新入部員か。もちろん、面白い奴が入ってきた。一番に思い浮かぶのは…
「そりゃもう、おもしれー奴が来たよ。同室の奴なんだけどさ…」
「うん」
「なぜか俺いつも睨まれんの。沢村ともやりあったみたいだし…なかなか骨のありそうな奴だよ!」
「やりあった?」
「目障りだから消えろ、って言われたらしいぜ、沢村の奴。」
ぶくく、と笑いを堪えながら言うと、へえ、と光は目を丸くした。
「それで一也先輩は?」
「え?」
「キャプテンだし、同室だし、何か言ったんでしょ?」
「そりゃもう、先輩としてキャプテンとして、ありがた〜いお説教を…」
「ふふふ。」
光は可笑しそうに笑って、微笑んで俺を見つめた。
「その1年生、一也先輩のお気に入りなんだ。」
「え?」
「すごく楽しそうだもん…」
「はは…そーかも。」
思えば…奥村を面白いと思うのは、あれだけが原因じゃない。
「捕手志望の奴なんだけど、柔らかいキャッチングする奴でさ…気難しいかと思えば、投手によく声かけててのせるのも上手いし。実際の試合でどんなリードするのか見てみたいよ。」
「……。」
「まぁ体力面やら頑固さやら、まだまだ未熟なところも多いけどな〜」
「…ふふふ」
光はちょっと微笑んで、からかうように俺を見つめた。
「一也先輩に目つけられて…その子かわいそう。」
「かわいそうってなんだよ(笑)」
一通り笑ったところで、光の手を握る。光が振り向いて、俺はためらわず唇を奪った。
は…、と甘い吐息を近くに感じる。
昼休みにここで光と会うと、キスをするのが恒例になってきて、以前よりは慣れた様子でキスに応じる光の姿に喜びを覚える。この調子で、そろそろ次の段階に…。
経験が無くあまり積極的でない女の子をその気にさせるには、少しずつ慣らしていくしかないというのを読んだ。キスになれたら軽いボディタッチ、それに慣れたらもう少し際どいボディタッチ、そして彼女の反応を見ながら事に及ぶ…という具合だ。
今日はちょっと…、体に触れてみて、反応を見てみるか…。
舌を絡ませながら、光の肩に手を置いて、そのままゆっくりと撫でおろし、体を近づけながら細い腕を握る。もう片方の手は、細い腰の括れに添えるようにして、少し力を込めで引き寄せるようにした。
光は…
ちょっとぎこちないけど、俺の腕に掴まるように手を添えた。よし、いい感じ…
腰に添えた手を、ゆっくりと体を撫でながら上へずらして…胸と脇腹の間辺りに添える。それから反応を窺いながら、ちょっとずつ手をずらしていって、人差し指と親指の間に柔らかな膨らみがぶつかった。
「……。」
ちょっと唇を離して、またキスをして、光の反応を見る。拒否は…ない。
また少しずつ手をずらして…胸の横に手のひらを這わせた。
やっと…、やっともう一度、胸に触った……。光は無反応…ってことは、いい…んだよな、触っても…。
更に手をずらし、軽く膨らみを掴んだ。あ〜、これ、この感触…。けど前は直だったから、やっぱ結構違うな。まぁこれでも相当、興奮するけど…。
「…は…。」
光の吐息に微かな声が混じった。同時に、ちょっと身を引いて唇が一瞬離れる。
やべ…ダメだった?これって拒否?でも…まだ嫌とは言ってないし…
「……。」
ちょっと唇を舐めてから離し、ぎこちなく、そして名残惜しく胸からも手を離す。光はちょっと息が上がっていて、赤い唇を少し開けたまま俯いた。
嫌だった…かな。
「…先輩…」
「…え?」
やめて、とか言われたらどーしよ…
「やっぱり…したい…の?」
「へ…」
ど…どういう意図の質問?
嫌ならしないって言ったのはうそだったんだ、という非難なのか、それとも…。
「や…、俺…は」
「……。」
「……。」
今更なんて言い訳しても…ここの所いつもキス迫ってたし、今なんて胸揉んだし…バレバレだろ。
「…できれば」
「……。」
あれ…俺めちゃくちゃダサくね?
できればってなんだよ!一番最悪だろ…
「けど、無理にするつもりはないし…」
「……。」
「…嫌だった?…よな?」
「……じゃない」
「え?」
光は顔を真っ赤にして、呟いた。
「嫌…じゃない」
俺も…顔が熱い。
「でも…」
「……?」
「まだ……今は…したくない」
怖いから…か?やっぱり…男と違って女は、そういう行為に抵抗もあるんだろうし…
そっか、と呟こうとした直前。光は言葉をつづけた。
「夏が終わるまでは…私の為に時間を割かないで」
「……。」
「一也先輩は野球の為に、この学校に来たんだから」
光…。
「今は精一杯、野球を楽しんでほしい」
「…うん」
「…だけど、時々は」
「…?」
「…キス…くらいは…してね」
「……。」
あー…ほんと…可愛すぎ…。
「…とりあえず今すぐ…もう一回していい?」
「え…。…う、うん…」
照れ隠しに笑いながら言うと、光は頷いて俺を見上げて――
「…してほしい」
そう赤い唇で呟いて、俺はごくりと喉を鳴らし、その唇を塞いだ――。
***
浮かれていたつもりはない…。
だけど…
市大三高に敗れ、俺たちは帰途に就く。光にカッコ悪ぃとこ見せちまったな…。
もっと俺たちが、点をとれていれば…
階段で成宮とすれ違った。お互い何も言わず、無言で顔を背ける。
情けない――そう言われている気がした。うるせぇよ、と胸の中で呟いた。
「あっ!御幸先輩だよ、ほら!」
その薄暗い階段によくとおる高い声が響く。卯月か、光も一緒だろうな。そう思って顔を上げ、やっぱり、と思った。
光は俺を見つめ、微笑んだ。お疲れ様…、そう言っているみたいに。
「光ちゃん。」
その光を、低い声が呼び止める。
…成宮だ。
「秋大では俺、ダサいとこ見せたけど…」
「……。」
「夏はてっぺんとる。」
それは光に言っているのか…それとも俺への宣戦布告か。
「それまで待ってて。」
「……。」
光は成宮を見つめ、それから俺を見て――決意したようにまた、成宮を見上げた。
「待てません。」
「――え?」
成宮が目を丸くする。
「もう、別の人を待ってるから…」
光のその言葉の意味を――俺が、俺たちが夏を制覇することを待っているという気持ちを――知って、俺は、胸の奥から熱がとめどなくあふれだした。
「……え……、」
成宮はあっけにとられ、しばらく放心してから、ハッとして俺を振り返り、何度も光と見比べる。
「…まさか一也、と…」
「……。」
「…付き合ってるの!?」
光ちゃん!と詰め寄る成宮に、ちょっと顔を赤くする光。俺も顔が熱くなるのを感じて、顔を背けて頬を掻く。
「……!!い…いつから…」
「……。」
「…一也!お前ちゃっかり…!」
「なんだよ…ちゃっかりって」
「俺が狙ってるの知ってたくせに!卑怯だぞ!」
「卑怯って…」
「抜け駆けなんてマネしてるから負けたんじゃないの!?一也のバカ!卑怯者!」
「関係ねーだろ…」
「光ちゃん!絶対振り向かせて見せるから!!一也から奪ってみせるから!!」
「……。」
成宮は自分勝手な宣言をして、鼻息荒くベンチへ入って行った。
「…光。」
俺が呼ぶと、光は振り返る。
「待っててくれる?」
そう尋ねると、光は頬を赤くしてはにかんだ。
「…待ってる。」
***
「御幸せんぱ〜〜い!私も待ってますから〜〜!!」
バスに乗り込む際中。大手を振ってそう叫ぶ卯月を指し、倉持が「なんのこと?」と尋ねてきて、さあ、と首をかしげることしかできなかった。まったく…声がデケェ上に特徴的だから目立つ…。
だけど…その隣で微笑む光に、俺はこっそりと微笑みを返した。
「光!」
――え?
突然響く、聞きなれない光を呼ぶ声。しかも、親し気に…。
光が振り向いて、微笑みを浮かべるその相手は…
「あ…光舟。」
…え!!?
「あまり人ごみに来ない方がいい。光は人目を惹くんだから…」
「大丈夫だよ…」
「え、ちょっと、お前ら…」
思わず近寄って声をかけると、光も奥村もきょとんと…いや、奥村はじろりと俺を見た。
「どういう関係?」
「……。」
「…親戚なんです」
奥村が「関係ないだろ」というような顔で口を噤んだ隣で光が答えた。
「…親戚!?」
はい、と頷いて奥村と顔を見合わせる光。周りの野球部員たちも口を開けたまま奥村を見ている。まさかこの二人が親戚とは…。言われてみれば髪の色とか目の色とか…光の初対面の頃の不愛想さとか…似てるかも…。
「光…この人のこと知ってるの?」
この人、って。
「……うん。」
光は小さく頷く。
「光舟…野球部入ったんだったね。」
「…うん」
不愛想に頷く奥村の肩を抱き込んで、俺はにっこり笑う。
「それだけじゃないぜ、俺とこいつ、同室♪」
「え…。」
「……。」
驚いたように目を丸くする光。不満気に俺を振り払う奥村。
「…そうなんだ…。」
「……。」
「……ふふ…」
「?」
光はなぜか可笑しそうに口元を押さえて顔を背けた。
「え、何?何?」
「ふふ…なんでもない」
面白そうに目を細めて俺と奥村を見つめる光。…光しか知らない何かがありそうだ。
「御幸!置いてくで!」
「光舟ー!行くぞ!」
「あ…じゃあね。」
「御幸せんぱ〜い、奥村くーん、ばいば〜い!」
俺たちが呼ばれたのを機に、光と卯月は手を振って踵を返す。
「…なぜ光と知り合いなんですか」
「さあな〜。光ちゃんに聞いてみ?」
「……。」
「はっはっはっは!」
バスに向かいながら、奥村は疑わしげな目で俺を睨んだ。
***
バタン!と乱暴にドアが開き、続けてドスドスドス、と乱暴な足音が迫ってきて、俺はイヤホンを外して振り向いた。
…恐ろしい形相の奥村がいた。
「もう聞いたみたいだな、あの事。」
「……。」
俺に掴みかかりかねない勢いでやってきて奥村を、木村は息を飲んでみている。
「平気だよ。ちょっと外してくれるか?」
「…あ、はい!失礼します…」
木村は心配そうにしながらも部屋を出て行った。あのこと…部内に広まったらまずいし。木村がいる前で口を開かなかったという事は、奥村もそれは理解しているようだ。
「……。」
「なんだよ?」
仁王立ちのまま俺を睨んでいた奥村は、ようやく口を開く。
「…あなたに光を守れるとは思えない」
「へぇ?」
「俺は認めません。」
認めないって…どこから目線?
「お前光のこと好きなの?」
「…そんな軽々しい気持ちじゃありません」
「…?」
「光は…」
「……。」
奥村はどこか思いつめた顔で言葉を詰まらせ、絞り出すように言った。
「…絶対に幸せにならなきゃいけない人です」
そのあまりに沈痛な物言いに、俺はちょっと怯んだ。こいつの光に対する思い入れの強さ…ただごとじゃないな。単なる親戚ってわけじゃなさそうだ。だけど俺は、ちょっと微笑みを浮かべて頷いた。
「同感だよ。」
そう言うと、奥村は俺を睨んで、部屋を出て行った。
***
「な…なんだこの人混みは!!」
2年の廊下を通りかかると、聞きなれたバカの声が響き渡っていた。少し見渡すとすぐにその声の主も見つかった。
「ま…まさか、俺の活躍を聞きつけて…」
「今日は玉城さんが学校に来てるからね。」
沢村の言葉を遮って、小湊が言った。隣には東条もいる。廊下は野次馬らしき男たちが詰めかけていて、C組の前だけでは収まらずB組の前まで占領してしまっている。
「学校来るといつもこんななのかよ。大変だな有名人は…」
隣りの倉持がぼやいて、人混みの中に足を踏み入れた。ここを通らないと目的地である体育館に行けないのだ。
「あっ!?倉持先輩に御幸先輩まで野次馬かよ!あんまり玉城に迷惑かけないでやってくれませんかね!」
「だ〜〜〜れが野次馬だコラ!!体育館行くんだっつの!!」
倉持に締め上げられる沢村を横目に、俺はちょっと周りを見渡す。C組は次体育らしく、誰も教室にいない。ま…今日来てるなら、俺は昼休みに会えるし。
「洋さんたちも次体育なんですか?」
体育着姿の小湊が尋ねて、そうだと倉持が頷く。
「俺らはバスケ。そっちは?」
「僕らはリレーなんです。」
「ケガ気をつけろよ。」
「洋さんたちも…」
じゃあな、と手をあげて、小湊達はグラウンドへ、俺たちは体育館へ向かった。
指定されたのは大きい方の大体育館A。ここを使うときは大抵真ん中をネットで区切って、他のクラスと分割して使う。今日はそこに2年の女子がいたため、男共はにわかに色めき立った。
「なあ、隣2年女子、マット運動だってよ」
「いいね〜」
なにがいいね〜、だ。これだから男は…
「…えっ、玉城さん来たぜ!」
「マジかよ玉城さんのクラス!?」
…は!!?
つられて振り向くと、そこには確かに鷹野と体育館に入ってくる光の姿…。体育着も似合ってる…髪縛ってるの可愛い…ってそうじゃない!このままじゃ男共の邪な視線に光が晒されることに…!
光がちらりと俺を見て、気が付いたように一瞬ハッとした。しかしすぐに何事もなかったように鷹野とおしゃべりを続ける。俺も踵を返して振り返ると――じっと女子の方を…いや光を見ている倉持に気が付き、閉口した。
「何見つめちゃってんの?」
「べっ…つに…!ぼーっとしてただけだっつの」
倉持は慌てて踵を返し、教師の方へ走っていく。…俺と光のことを倉持が知ったら…怒るだろうなぁ〜倉持。まぁそれはそれで面白い…
「3年男子何してんだ!集合!」
そわそわと落ち着かない男子に、体育教師がついに怒号を上げ、漸く点呼が始まった。
「はいじゃあ二人組で柔軟〜」
緑のネットの向こうでは2年の女子たちがマットの上で柔軟を始める。
「きゃーいた〜い」
「みか硬すぎ〜」
「やだもー優しくしてよー」
「きゃっ もうどこ触ってんの!」
「きゃはは ひーちゃんへんた〜い」
「……。」
「……。」
「……。」
聞きようによっては…いやそのままでも十分にきわどい女子たちのはしゃぎ声。これだけでも男子高校生の集中力を欠くには十分だというのに…
「きゃー光すごい!」
「やわらか〜い!」
真っ直ぐ180度に開脚し、上体をべったりと床につける光に、教師も感心したようにやってきて声をかける。
「玉城さんすごいわね、バレエか何かやってたの?」
光は上体を起こし、教師を見上げた。
「中学で…バレエが必修科目だったので」
へえ?と目を丸くする教師、すごいすごいとはしゃぐ女子たち、ぼーっと見惚れる男共。
しなやかな脚、くびれた腰、柔らかく反った背中に、突き出される胸…お前ら見るな、と叫びたい。
「じゃあこれはできる?」
教師が楽しそうに片足をまっすぐに上げてY字バランスをとる。光は立ち上がると、同じように脚を上げて腕で支え、綺麗に立って見せた。…こっち男いるんだぞ!!ハーフパンツであんなポーズ…太腿見えてるし!今すぐやめさせたい…!
おぉ…、と男たちが息をのむ。どこ見てんだよ…クソ。
「いいわね!そのままI字いける?」
「…はい」
更に持ち上がる脚。すごーい!と女子が歓声を上げ、教師も手を叩いて褒め、光はようやく脚を降ろしてはにかんだ。
「久しぶりだからちょっときついです。」
「ちゃんとできてたわよ!ねぇよかったら体操部入らない?」
「せんせー最初からそれ目的でしょ〜」
あはははは、と溢れる笑い声。女子は楽しそうだなぁ…。
「お前ら女子の方覗いてんじゃねーぞ〜」
こっちは教師がそうからかうように言って、俺たちは皆ぎくりと肩を竦めた。
「体柔らかい女子ってなんか…」
「…エロいよな」
「あ…わかる」
わかる…じゃねぇよ!光は俺の…
「コラ!男子!コートに集合!!」
再び教師の一喝でぞろぞろと集合する男達。ちょっと光を振り返ると、一瞬目が合って、からかうように微笑んだように見えた。