「ちょっと光それ…!」

きゃあ、と嬉々とした悲鳴を押し殺す声がして、俺は何気なく玉城たちの方を見た。玉城の席に、鷹野と…B組から遊びに来た卯月が集まっている。2年になってクラスが離れてもこの3人は仲良しのままらしい。

「えぇマジ!?きゃ〜!」
「したの!?」
「テスト期間中にだいた〜ん」

肩口をおさえてはにかむ玉城に、卯月と鷹野が興奮気味に何か尋ねている。
玉城は小さく首を振った。

「ま、まだだよ…。」
「え、だってそれ…!」
「ちが…、あの…。」
「……。」
「……。」
「……さ…最後までは…まだ…」

きゃ〜〜!と卯月だけでなく鷹野まで歓声を上げた。…なんだ?

「じゃあどこまでしたのよ〜〜!?」
「どうだった!?どうだった!?」
「ど、どうって…」

玉城は顔を真っ赤にして俯き、小さな声で呟いた。

「……うん…。」

はああぁぁ、と興奮気味に息を飲んだ卯月と鷹野が顔を見合わせ、また楽しそうな悲鳴を上げる。

「きゃ〜〜もう今度会ったときドキドキちゃうぅ〜〜!」
「でももう、半年くらい…だもんねぇ。」
「あ〜もうそんなになるんだぁ〜!それならちょっと遅いくらいなんじゃない〜?」
「え?そうかな…。」
「普通は3か月くらいでさぁ〜」
「そ、そんなに早いの?」
「それは人それぞれでしょ、焦ってすることでもないし。」

そうだよね…、と鷹野の言葉にうなずいて、玉城は口を噤む。

「でも、み…、…あっちから誘われたんでしょ?」
「……うん」
「てことは、あっちはしたいんじゃないの〜?」
「……かも」
「あんまり焦らさない方がいいかもよぉ〜?」
「真、あんまり脅さないの。」

なんか…気のせいかもしれないけど、この会話って…なんか…。

「最後までしなかったのだって、理由があるんでしょ?」
「……。…私が…嫌がったから…」
「それで我慢してくれてるんだ?優しいじゃん。そういうときはさ、大事にされちゃってればいいんじゃない?」
「……。」

盛り上がる二人を前に玉城はなんだかぼーっとしていて…
俺はなぜだかその背中がとても気になった。



***



「東条!ノートありがとう。」

放課後、俺が貸していたノートを持って玉城がやって来た。うん、と受け取って、彼女自身のノートを抱えたまま踵を返す玉城を呼び止める。

「玉城、それ今から出しに行くの?」
「え?うん。」
「じゃあ一緒に行くよ。」

玉城は一人で廊下を歩くと野次馬や冷やかしに会うことがある。だからいつも鷹野と一緒に行動しているんだけど、今は鷹野が教室にいない。

「…いいの?」
「当たり前だろ。」
「ありがとう!」

玉城がニコニコ微笑むのは嬉しい…。…けど、腕は組まないでほしい…かな。緊張するし…意識する。
…まぁ、嬉しいんだけど…。

隣りの玉城をちらりと見て、――ん?と何かが引っ掛かった。
また隣りを見て――その違和感の正体に気付く。玉城の首筋…白いその肌に、ぽつりと残る赤い痕。小さな痣のような…だけど、そう感じる前に、俺の脳裏には今朝の玉城たちの会話が蘇った。

…キスマーク…。

御幸先輩が…?普通に考えてそうだよな…。もうそんなことを…玉城とあの御幸先輩が…?にわかには想像できない。したくない。だけど…そうか。もう半年…。あれは、二人が付き合っている期間…。もう半年なんだ…。
早いなぁ…。高津も、ふたりがキスをしているところを見たって言ってたし…
やることやってるんだ…意外…。御幸先輩なんて、あんなに嫌われてたはずなのに、…どうして。

「じゃ、ちょっと行ってくるね。」

玉城は俺にそう言って、職員室に入って行った。いつの間にか職員室の前まで来ていたのだ。玉城が離れた腕が冷たい空気に包まれる。

御幸先輩は…どんな風に玉城に触れて…
玉城は、どんな風に…。

……ああ…なんか……いやだな……。



「…東条、おまたせ。」

くい、と腕を引っ張られて、俺は我に返った。

「あ…うん。」
「あ〜やっとこれでノート提出全部終わった。東条のおかげで進級できるよ〜」
「ははは、なんだそれ。」

「あ〜またイチャついてる。」

からかうような声がして振り向くと、隣の放送室から熊谷がニヤニヤしながら出てきたところだった。

「熊谷。」
「環何してたの?放送室で…」
「何ってテスト勉だよ。」
「…ここで?」
「勝手に?」
「人聞き悪いな〜。私放送部員だもん。出入り自由よ。」

へ〜意外、と玉城が呟いて、俺も頷いた。あの熊谷が真面目なイメージの放送部に入っていたとは…。

「それより光、今度のテストは負けないから。」
「え?」

熊谷の言葉に目を丸くしたのは俺だった。

「去年は結局学年1位はずっと光だったけど、今回は私自信あるんだから。」
「熊谷頭良いの?」
「…去年、環はずっと学年2位。」
「え!そうなんだ?」
「東条君驚きすぎ〜。それって失礼だよ。数学だけなら私、光に勝ったことあるんだから。」

それは意外だった…。熊谷って頭良いんだ。玉城が1年間学年1位だったってのにも驚いたけど…。

「…じゃあ去年から競ってたの?テストの順位。」
「まぁね。1年の時の1学期の中間と期末、誰が1位なのかと思ってたら…夏休みの補習で光だったってわかって。」
「環、補習に出てる人全員に順位聞いて回ってたね。」
「だって悔しいじゃん!僅差だったしさ〜」
「数学は環の方が上だったけどね。」
「数学は、って何〜?ムカつく〜」
「今年は一教科も譲らないからね。」
「こっちのセリフ!」

「……。」

「何?東条君。」
「あ、いや」

熊谷がいつもと違い過ぎて動揺した。意外と真面目な面もあるんだ。っていうか、勉強得意だったんだ…。

「ま、今日は東条君とイチャついてなよ。私にとっては好都合〜」
「いや…もう帰るし」
「っていうかやっぱ付き合ってんでしょ?あんたたち」
「付き合ってないってば」

ドライに答える玉城に、俺もうんうんと頷く。

「え〜?その距離感、チューくらいはしてそう。」
「……。」

…顔が熱く…。

「環と一緒にしないでよ。」

行こ東条、と俺の腕を引っ張って、玉城は踵を返す。
ばいば〜い、と熊谷は手を振って、放送室に戻って行った。

玉城と二人、教室に向かって歩く。
だけど隣を歩く玉城の足取りはだんだんと重くなっていって、俺は思い切って訊ねた。

「どうかした?」
「……。」

玉城は立ち止ってうつむいてから、また俺を見上げた。

「ちょっと…相談って言うか…」
「相談?」
「…話聞いてもらっても…いい?」

…玉城が…俺に、相談?
そんなに信頼されてたなんて…嬉しい…けど…

「もちろん、いいけど…」

予想外のことに少し狼狽える俺に、玉城は言った。

「じゃあ…あっちで」

教室へ続く廊下を右に折れ、人気のない特別棟への渡り廊下を渡って、俺たちは屋上への出入り口前の踊り場までやって来た。…相談って何だろう…。
玉城は壁に背をつけて体育座りをし、俺も隣に並んで胡坐をかいた。

「で…どうしたの?」
「…東条ってさ。今、付き合ってる人とかいるの?」

思いがけない質問に一瞬思考が停止する俺。

「え…!?いないいない!いるわけないって」
「…じゃあ…いたことは?」
「……。」

何でそんなこと聞くんだろう…。

「…中学の頃…少しだけ」
「…そうなんだ」
「でも、ほんとすぐ別れちゃったし」
「…どうして?」
「うーん…告白されて付き合い始めたけど…なんか違うって言われちゃって」
「……ひどいね」
「でも、そんなものだろ、中学生の頃なんてさ。」

玉城はしばらく迷うように黙った。

「…じゃあ…」
「ん?」
「…その子と…エッチした?」
「え……。」

え?え??ちょっと待って…頭が追いつかない。

「し…してないしてない!」

慌てて否定しながら、どんどん顔が熱くなっていく。

「するわけないだろ、中学生の時だし…ほんと…1ヶ月も付き合ってないから」

せいぜい手を繋いだくらい…。今思えばあの子も、俺も、そういう恋人っぽいこととか…ドキドキすることとか…ただ異性を意識し始めて、興味があっただけだったのかもしれない、と思う。

「…そっか」

あれ…もしかして玉城の相談って、そういうこと?だとしたら、未経験の俺ってもう、用無し?

「東条…あのさ」
「な…何?」
「ちょっと、抱きしめても良い?」
「……え!?」

な…何を言ってるんだ?玉城…

「な、なんで??」
「試しに…」
「何の試し!?」
「…ごめん、ダメだよね」
「だ、だめっていうか…まずいんじゃない?やっぱ…ほら、玉城は…付き合ってる人がいるわけだし」
「…じゃあ…内緒で」

な…内緒で!?

「いや…えっと…」

熱い顔を俯いて誤魔化しながら、俺は目の前がくらくらして――

「…じゃあ…いいよ」

その言葉を呟いていた。
玉城はこっちを向いて、手を伸ばしてくる。肩口から手が後ろに回って、玉城が身を乗り出してきて…甘い香りが鼻をくすぐり、柔らかくて温かい体が密着する。
なんで…何で俺、玉城に抱きしめられてるんだろ…

「た…玉城?」
「……。」
「えっと…もういい?」
「ちょっと、東条も抱きしめてみて。」
「え…!?」

なんで…!?

「……。」

ごくり、とこっそり生唾を飲んで、玉城の背中に手を回した。そっと壊れ物のように、遠慮しながら背中に触れて、その細くて柔らかな躰に驚く。こんな…抱きしめるとか、無理だって…!

「……。」

玉城の腕が少し緩んだ。

「…ごめん、もういいよ。」

玉城が離れ、また体育座りになる。

「えっ…と…な、なんだったの?」
「……。」

玉城はぽつりとつぶやいた。

「…御幸先輩と…付き合ってるじゃん、私」
「え…?う、うん」
「先輩のこと、好きだけど…」
「……。」
「…時々…怖いの」

え…?

「…何が怖いの?」
「……。」

玉城は足を曲げて抱えこんで、その腕の中に顔を少しうずめた。

「…上手く説明できないんだけど…」
「うん…?」
「…お…男の人…なんだなって思うと…」
「……。」
「……。」

玉城は顔を真っ赤にして俯いて、言葉に詰まった。

「え…っと…」
「……。」
「…つまり?」
「…普段は、優しくて、面白くて、安心…っていうか、そういう感じ…なの」
「…うん」
「野球してるときは…かっこいいって思うし…」
「……。」
「手…繋いだりとかは…全然…」
「……。」
「あの…平気なん…だけど…」

恥ずかしそうにしどろもどろになって話す玉城は、すごく…可愛いけど…俺はなんだか胸の奥が痛い。

「抱きしめられたり…すると…」
「…うん」
「…なんていうか…」
「…ん?」
「急に…先輩が…違う人みたいに思えて……」

それは…たぶん…
下心…みたいなものを感じてしまうから…とか?

「…抱きしめられるのが嫌なの?」
「い、嫌じゃない。…けど…」
「……。」
「ちょっと…不安っていうか…」
「……。」
「でもそれが、先輩だからなのか…それとも私自身が、そういう…ことに慣れてないからなのか…確かめたくて…」
「…だから俺?」
「…ごめん」

いやむしろ役得…なんて。御幸先輩には…いや、信二にも言えないけど…!

「別にいいよ。で…どうだったの?結果は」
「…東条は…怖くなかった」

…いやいや、喜ぶな俺。すごい嬉しいけど…!でも、やっぱ男として見られてないって可能性が高くなった…。

「それは…よかった」
「……。」
「…で…それ、御幸先輩には言ったの?」
「……。」

玉城はすごくすごく迷って、とても小さな声で言った。

「…あの…と、東条にしか言わないからね」
「…うん、何?」
「絶対誰にも言わないでね?」
「うん…」
「…司と真にも言ってないんだからね。」
「わ、わかった、絶対誰にも言わないよ。」

俺が復唱すると、玉城は口元に手を添えて、本当に恥ずかしそうに言った。

「あの…しばらく前に…」
「…うん」
「御幸先輩と…その…」
「…うん」
「……えっち…しようと……したの」

……。

「……へっ?」
「あ、でも!できなかったの!あの…」
「え、ちょ、待って、それ俺が聞いて大丈夫?」
「東条にしか話せないよ…!」

ええぇぇぇ…!?俺ってそんなに信用されてたの?

「…あのね…せ…先輩の…あの…アレが…」
「……。」
「…痛くて…私、無理って言っちゃって…」
「……。」
「それで…それから…怖いから嫌って…言ってて……」
「……。」

気持ちを落ち着けるためにこっそりと深呼吸をして、思わず苦笑した。ちょっと…動揺が激しい…

「…それで…御幸先輩は?」
「…ゆっくりでいいよって…。…でも…やっぱり…したいんだと思う…」
「……。」
「最近ちょっと…時々、触ってくるように…なって…」
「……。」
「ちょっとずつ慣れて、って言われたの…」
「…玉城は…したくないってこと?」
「…まだちょっと、怖い」
「…そ、うなんだ」
「半年も付き合ってるのに…って思うよね?」
「いや…でも…それは人それぞれだし…」
「……。」

玉城は不安そうに呟いた。

「…私…先輩にフラれちゃうかも…」
「…えぇ!?そ…それはないと思うよ」
「だって…男の人って、そういうこと…したいんでしょ?」

そりゃ…大体の男はそうだと思うけど…。

「…だけど、御幸先輩はそんなことで玉城を嫌いになったりしないよ。」
「…そうかな…。」
「そうだよ。それは断言できるよ。」
「……。」
「たぶん…そういうこと、できないことより…玉城に無理させる方が嫌だって、そう思ってるはずだよ。」
「……。」
「だから…いいんじゃないかな、焦らなくても…玉城のペースで」
「……うん…」

玉城は頷いて、俺を見上げた。

「ありがとう…」
「いや…役に立てたかな」
「うん…東条に相談してよかった。」

玉城が立ち上がって、俺は見上げる。

「…行かないの?」

そう玉城に聞かれて、俺は苦笑を浮かべて…

「…うん、ちょっと、…電話してから行く。」

携帯を取り出しながらそう答えて、そう、じゃあね、と不思議そうに踵を返して階段を降りていく玉城を見送った。

……ちょっと…勃った…
静まるまでここに居よう…。

…好きな子からあんな話されるの…キツいって……。




***



「御幸ー、この間の話いいか?」
「ああ、そうだな。ナベも来てくれ。」
「うん。ちょうど僕もまとめてたんだ。」

テーブルに集まってミーティングを始める御幸先輩、倉持先輩、前園先輩、渡辺先輩。御幸先輩はその中心にいて…無造作に頭を掻き、真剣な横顔で、ペンをノートに走らせる。ペンを持つその手…その指先で、玉城に触れた…。あの、冷淡なまでに正論を並べ立てるあの唇で、玉城の首筋に…キスを…。

「…だな。じゃあ監督に話しとく」

ミーティングを終えたらしい御幸先輩たちが席を立ち、食堂を出て行く。
テスト期間中で練習もないし、テスト勉強をするのだろう。

「あ〜明日暗記科目ばっかじゃん。だりぃ」
「御幸、テスト勉お前の部屋でやっていいか?」
「え?なんで?」
「沢村がうるせーんだよ」
「いいけど俺いないよ?」
「は?なんで?」
「出かけるから」

テスト期間中にどこへ…?
倉持先輩やゾノ先輩、渡辺先輩だけでなく、会話を漏れ聞いた2年生もちらりと御幸先輩を見る。

「御幸、お前昨日も門限ギリギリまでどっか行ってたらしいやないか。主将がテスト期間中にフラフラすんのは…」
「テスト勉強してるだけだよ。」
「……。」
「寮だとどーしても誘惑が多くてさ。」

ゾノ先輩たちが口を噤むと、御幸先輩はじゃあな、と食堂を出て行った。

「…なんだあいつ」
「御幸って謎が多いよね。」

ぼそりと不満げに呟いた倉持先輩に、渡辺先輩は宥めるような苦笑を浮かべた。

 


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