005
「早く早く!始まっちゃってるよ!」
「ま…待って〜〜」
スタンドに駆け込むと、一気に歓声に包まれた。今日は準決勝。青道 対 仙泉学園。
「こっちが青道のベンチ側なの?」
「うん、東条が言ってた…あ、ほら、あそこにみんないる」
光が指す方に、確かに応援している野球部員たちが見えた。
「どの辺座る?」
「真ん中あたりでいいんじゃない?」
「あーーーっ!!!」
突如響き渡る大声。反射的に振り返ると、そこにはこっちを見て目を輝かせている成宮さん…と稲実の人たち。
「光ちゃんじゃん!!こんなところで会えるなんて!!運命だよコレ!!」
「いや…青道の応援に来ただけだろ…」
成宮さんの隣にいた大きな先輩がぼそりとぼやく。
「なぁ…あの子芸能人かな?」
「モデル?」
成宮さんの大声でこちらを振り向いた5,6人の高校生らしきグループが光を見て囁き合っている。やっぱ…一瞬で目を引く美人だよねぇ、光って。
「ねぇ光ちゃん!なんで電話出てくれないの!?」
「……。」
「ショートメールも送ったのに!ちゃんと届いてる?」
「届いてますよ。」
「じゃあなんで返事くれないの!?」
「……。」
「なんでソコだけ無視!?」
「鳴!他校の生徒に迷惑かけるな。座っとけ」
大きな先輩に怒鳴られると、成宮さんはぶーと口を尖らせて光の隣に座った。
「ソコじゃなくてこっちにだ!!」
「いいじゃんどこだって!!」
「……。」
フゥ、と鬱陶しそうにこっそりため息を吐く光。…顔に出てるけど…。
試合はすでに4回表。仙泉が1点先取している。
「キャーー御幸先輩!!がんばって〜〜!!」
御幸先輩がバッターボックスに入り、真が叫んだ。傍の高校生グループと稲実の人たち、そして成宮さんまでもがビクリと振り返る。…ちょっと恥ずかしい。
「へ〜一也ってモテるんだ…。」
成宮さんはそう呟くと、光の顔を覗き込んだ。
「もしかして光ちゃんも一也目当てなの!?」
「…違います」
「ホントに?じゃあ誰目当て?」
「ん〜…」
「あっ!もしかしてこの後の試合の俺目当て!?」
「んー」
「やっぱそうなんだ!光ちゃん…俺のピッチング見たら惚れちゃうかもよ?」
「そうですか」
「鳴…アレで会話してるつもりか?」
稲実の人たちがひそひそ言うのを睨みつける成宮さん。
「あっ!」
真が声を上げた。仙泉のピッチャーが放った球は、わかりやすいほど高く投げられて…キャッチャーも立ち上がってそれを捕り、投げ返す。まるでキャッチボールだ。
「アレ何してるの?」
「敬遠だよ!デカい当たりを打ちそうなバッターをあえて歩かせて、大きな失点を防ぐの」
「へぇ〜」
「御幸先輩に打たれると思って勝負を避けたんだよ。」
フン、と不満げに腕を組む真。その後はアウトを取られ、試合は1−0のまま進んだ。
そして5回裏――。
「1点差か…苦戦してるな」
「仙泉は地味だけど堅実な試合をしてくるからな」
「それにあの真木って投手…あれだけの角度があるとうちづれぇだろう」
稲実の人たちの会話が聞こえる。成宮さんはフンと鼻を鳴らした。
「デカイだけじゃん。それより丹波さんもう代えた方がよくない?」
そう言った矢先、丹波先輩の球がまたバットにぶつかる硬い音が響く。
「ほらぁ!今のも危ない危ない…一也もリード大変だな」
成宮さんが呟くと、稲実の大きな先輩は低い声で返した。
「鳴…前も言ったが、お前は丹波のことを甘く見過ぎだ」
その言葉を裏付けるように、丹波さんのボールがミットに納まる気持ちのいい音がした。
「らあああ!!!」
丹波さんの気迫ある雄たけび。青道は勢いを失っていない。成宮さんは口を尖らせて、急に立ち上がった。
「ジュース買ってこ!」
「あ…逃げた!」
そしてそう言ってスタンドを出て行く。大きな先輩は、待てコラ鳴!と怒声を上げた。
***
「すごいねすごいね!!決勝進出だよ!!もう興奮が収まらない〜!!」
「真、落ち着いて…」
「小湊君すごかったね〜!」
「沢村君も!」
「でもやっぱ…青道の選手皆すごかった!!御幸せんぱ〜〜い!!」
「やっぱそれなんだ…」
「あっ!!御幸先輩!!」
真が駆け出し、私と光は後を追う。
「御幸せんぱ〜〜い!!お疲れ様です!!」
ゲッ、と顔を顰めた御幸先輩は、しかし光の姿を見つけて頬を緩める。
「お…おぉ、サンキューな…」
「今日もめちゃくちゃカッコよかったです!!ねっ二人とも!!」
「う、うん。」
「……。」
辛うじて頷く私、無言を貫く光。
「あははマジで!?」
「スゲェーー!!」
ふと、にぎやかな声が聞こえてきて振り向くと、さっきスタンドにいた高校生グループがひとりの青道生を囲んで盛り上がっていた。かなり親し気だ。
「沢村君の友達かな?」
真が呟く。確かに囲まれているのは沢村君で、随分と慕われている様子だった。
「そういえば沢村君って、長野から来てるんだっけ…」
「地元の友達か〜。あっ、あの女の子彼女かな?」
「可愛い子じゃん!沢村君のくせに」
キャハハ、と真が沢村君たちに夢中になって笑い出すと、御幸先輩はこっそり光の傍に移動した。
「玉城。」
いつもみたいにふざけた呼び方じゃなく、短く呼ばれたその声に、光は驚いたように御幸先輩を見上げた。
「これ…」
「え?」
小さな紙を光に手渡し、ちょっと照れたように苦笑する御幸先輩。
「決勝戦前に…玉城の声が聴きたい」
「……!!!」
「……!!!」
私と真は目を丸くして顔を見合わせ、つい興奮で叫び出してしまいそうになるのを押し殺した。み…御幸先輩、なんて情熱的…!!
「…電話番号?」
「手に書いたやつ…消したんだろ、お前。」
紙を開いて見つめた光は、また紙を折りたたみ、御幸先輩に差し出した。
「…いりません」
御幸先輩は息を飲んで、一瞬俯く。
「登録は…してあるから」
「え…」
しかしその光の言葉で、御幸先輩の頬が赤く染まった。紙を受け取り、いつも通りのからかうような笑みを浮かべる御幸先輩。
「…なーんだ!じゃあ電話しろよ!俺ちょ〜待ってたんだけど?」
「だって用ないし」
「お前な…ドライすぎるぞ!」
「…いいな光〜…」
「ふふ…」
御幸先輩ってやっぱり、光のこと好きなんだ〜…。
私はついつい口元を緩めながら、慰めるように真の背中を叩いた。
「おい御幸!!行くぞオラァ!!」
「いて」
「ったく沢村と言いお前と言いどいつもこいつも…!!!」
御幸先輩をどついて引き摺って行く倉持先輩。かと思えば光を振り返り、照れくさそうに笑った。
「こ…こんちは!」
「…こんにちは」
おお…光が返事をした…。倉持先輩は御幸先輩と仲がいい、っていうイメージがあるからかな。
「け、決勝も頑張るんで!!よかったらまた応援来て下さい!」
「……。」
はぁ、と頷いた光に笑みを残し、照れ隠しなのか御幸先輩をまた小突いて連れ立っていく倉持先輩。
「何カッコつけちゃってんの?お前」
「うるせぇ!!テメーに言われたくねー!!」
そうやってふざけ合って走っていく背中を、光は微笑んで見送っていた。
「稲実の試合も見てく?成宮さん出るんでしょ?」
私が尋ねると、光と真は顔を見合わせた。
「私は別に…」
光はさほど興味もなさそうにそう言って、真は苦笑する。
「ほんと光って罪な女〜」
「え?」
「成宮さん、きっとスタンドに光がいると思ってやると思うよ〜」
「なんで?」
「…まあいいや。せっかくだし見て行こうよ!うちのお父さん、成宮選手は今関東一って言われてるほどのサウスポーだって言ってたの!気にならない?」
「まあ…この試合に勝った方と次うちが戦うんだもんね。興味あるかも」
私が頷くと、でしょでしょ!と真が頷いた。
***
「あれ!」
「……。」
スタンドに行くと、試合を見るために残っていたらしい御幸先輩たちに遭遇した。御幸先輩は光に気付くと目を丸くし、バシバシ自分の隣を叩く。
「玉城ちゃんまだいたの?ココ空いてるよココ!」
「……。」
光は完全に無視して、野球部員たちから少し離れたベンチに座る。
「はっはっはっはっ!相変わらずつれねーの!」
「……。」
「ってゆーか…、え?もしかして鳴の応援…?」
「うるせーぞ御幸!ちゃんと試合見ろ!」
「いてて…わかったって」
倉持先輩に頭をぐりぐりされて、渋々前を向く御幸先輩。それでも他の野球部員たちが、ちらちらと光の方を気にしている。
「対戦相手ってどこなの?」
しかし光は涼しい顔で真に尋ねた。
「桜沢高校…都立だよ!」
「桜沢って…有名な進学校だよね。野球部が強いとかは聞いたことないけど…っていうか野球部あったんだ…。」
「でもここまで勝ち進んでるってことは強いんじゃない?」
「まあ…まぐれじゃここまで来れないよね。」
「……。」
光は静かに前を見つめている。試合を見るとき、青道に点が入ると笑ったりはするけど、基本的に黙って試合を見守る光。だけど、あの日…御幸先輩が自分の腕にボールを当てて捕った瞬間だけ、思わず立ち上がって息を飲んでいた。あれって…ホントに御幸先輩が心配だったんだよね。やっぱり光、御幸先輩のこと…。
「あ!始まるよ!」
真が言って、私も前を見た。先攻は稲実。桜沢の投手がマウンドに上がる。
ざわつく球場内。ブラスバンドのヒッティングマーチと声援が響く中、投手が振りかぶり、ボールを放った。
「……。」
「……。」
ミットに納まるボール。バッターは様子を見たらしい。ストライク!という審判の声が響く。
「なんか…あの球遅くない?」
「降谷君のピッチングを見た後だから余計にそう感じるのかもしれないけど、確かに速くはないね。」
「なんで打てないんだろう?遅すぎて逆に難しいとか?」
「それもあるかもしれないけど…変化球なんじゃない?私たちにはよくわからないけど」
「な…なんで…あんな遅い球が打てねーんだ?」
ちょっと下の段にいる沢村君が同じ疑問を口にした。
「クリス先輩…」
「ああ…間違いないな」
御幸先輩が3年生と何やら話し込む。
「あれはナックルボールだな。」
倉持先輩が一段上の席に移ってきて、私たちに説明してくれた。
「ナックルボール?」
「変化球だよ。ボールの回転を抑えることで、不規則に変化しながら落ちる…あの稲実打線が打てねーくらいだから、かなりのものだと思うぜ」
「へぇ〜!」
真が感心したように相槌を打つと、倉持先輩はちょっと嬉しそうにした。
「うお…三者凡退…」
「あの稲実が…」
スタンドから戸惑いの声が上がる。試合前は稲実の勝利を確信していた空気が変わってきた。
1回裏。今度は桜沢の攻撃だ。
「あ!ほらほら光!成宮さん出てきたよ!」
光の腕を掴んでマウンドを指さす真。御幸先輩がちらりと光を見上げる。光は涼しい顔でマウンドを見つめている。何考えてるんだろう…。
「ちょっと御幸。アレいいの?」
「え?」
小湊君のお兄さんが御幸先輩を小突いた。
「御幸の彼女、稲実のヤツにとられそうじゃん」
「は…!?」
「お前がフラれるのは別にいいけど、稲実にとられるのはムカつくからなんとかしろよ。」
「いや…彼女じゃな…」
「ふーん。じゃあ東条に何とかしてもらおうかな。」
「えっ!?」
「お前より可能性ありそうだし」
「……。」
「そういえば東条はもう帰っちゃったのかな…。」
東条君の名前が聞こえたからか、光が思い出したようにスタンドを見渡した。
「レギュラー以外は帰って練習してるぜ。」
「あ…そうなんですか。」
倉持先輩が言うと、光はちょっと残念そうに相槌を打つ。
「やっぱり東条の方が可能性あるな。」
「……。」
「あ…兄貴…。」
「あ!始まる始まる!」
真の声でグラウンドに視線を戻した。成宮さんが堂々とマウンドに立っている。あの人はいつでも自信満々なイメージだ。
成宮さんが振りかぶり…ボールが放たれる。
――ドパァン!!
「……す、すごっ!」
「あんなのバットに当たらないって!」
予想以上に大迫力のピッチング。関東一と言われているだけはある…。
「ねぇ光!成宮さんカッコ良くない!?あっという間に三者連続三振!」
「ん…うん…」
「……。」
…御幸先輩の顔が穏やかじゃなくなってきてる…。
2回表、稲実の攻撃が始まる。
「あ!さっきのでっかい人。」
「あ、ほんとだ」
真と光が呟くと、御幸先輩がこっちを見上げた。
「え?原田さん知ってんの?」
「さっき青道の試合をスタンドで見てた時、稲実の人たちと会ったんです!」
「成宮さんあの人に怒られてたね。」
「え…成宮と試合見てたの?」
「そうでーす!成宮さんってばずっと光の隣に座ってて〜!」
「な…、え…!?」
「御幸うるさい」
ずびし、と小湊君のお兄さんにチョップされて口を噤む御幸先輩。
「さぁ…どうやってあのナックルを攻略する?」
「原田は広角に打ち分ける打ち分ける柔軟さを持ってるからな…」
前列に座っている先輩たちは真剣に試合を見ている。
「ナックルの攻略に焦れば焦るほど桜沢の思うツボ…」
御幸先輩の言葉に、皆気を取り直したように試合に注目した。
「焦りはチームに動揺を生み、ミスを誘発する。」
桜沢の投手が振りかぶった。
「これまで桜沢と戦ってきたチームは…自分たちの実力を出し切れぬまま敗れていったんだろうな…」
こんなに真剣な御幸先輩、初めて見るかも。ちょっと光を見ると、光はじっと御幸先輩を見ていて、それから思い出したようにグラウンドに視線を戻した。
3回表。1アウトランナー3塁…。
「どっちも点とれないねぇ…」
真がそう呟いた頃。
キィン、と気持ちのいい音が響いた。
「あっ…打った!」
桜沢のレフトが後方へ走っていく。
『捕ったぁ〜〜〜!!レフト古木君ファインプレー!』
「ああ!惜しい〜!」
「真…稲実の応援してるの?」
「だって知ってる人いないもん、桜沢は」
まあ…たしかにそっか。
『4回表 稲城実業の攻撃――2番ショート、白河君』
膠着状態のまま4回まで進んだ。皆静かに試合を見守っている。
どちらが先に点を取るのか…その緊張感は次第に満ちていた。
『あ〜〜〜〜!!』
実況の悲鳴とスタンドのどよめき。ミットに納まったと思われた打球が、コロコロとグラウンドを転がっていくのが見えた。
『ト…トンネル!!』
『桜沢に初めてのエラーが!!』
それを皮切りに、続けて桜沢のエラー。タイムを挟み、桜沢の選手はマウンドに集合した。
「これじゃ投手はたまらないよね。打ち取った当たりを立て続けにエラーだもん…」
小湊君が呟くと、同意するように降谷君が俯いた。
「でも…何で急に守備に乱れが?」
沢村君の疑問に私も同意した。今までは堅実に地道に、しっかりと安定した守備だったのに…。
「成宮のピッチングだな。」
御幸先輩と話し込んでいたハーフの3年生が言った。
「え?」
「1点でも点を取られたら試合が決まる…それほどのプレッシャーをマウンドからかけ続けているんだ――…。」
先輩の声は静かだったけど、その重みは伝わってきた。確かに…成宮さんのピッチングはずっと威圧的で、息を止めて見てしまうほど。ミットに投げているのに、まるでこちらに強い力でのしかかって来るみたいに…。
「おそらく桜沢には、成宮から点を取るイメージがまったくないんでしょうね…。」
御幸先輩が言うと、ハーフの先輩はああ、と頷く。
「しゃあ!!」
「思いっきりやってやろうぜ!」
「おお!!」
マウンドから声が響いてくる。それでも――諦めてない。
『ノーアウト一・三塁――打席には稲実の主砲 原田君』
「あっ!盗塁!」
真が声を上げる。桜沢は気にしたそぶりもない。バッターに集中しているようだ。
『盗塁成功、ノーアウト二・三塁』
得点圏の塁が埋まる。とんでもないプレッシャーだろう。しかもバッターは4番…。
ピッチャーが振りかぶった。バッターは動かず、ボールはミットに納まる。
全員が息を飲んで、またピッチャーが振りかぶる――。
「あっ…!」
全員が空を見上げた。打ち上げられた白い小さな点は、軽々と翻って――フェンスを越えた。
***
あの一打をきっかけに、11対0、5回コールドという結果で試合は終わった。
「しゃああ!!」
「ナイスゲーム!!」
「鳴〜〜〜!!」
「稲実最強!!!」
稲実の応援席が盛り上がるのを見つめ、立ち上がる光。
その時――
「俺たちが勝ぁ〜〜〜つ!!絶対に勝ぁ〜〜〜〜つ!!!」
突然、沢村君が大声で叫んだ。
稲実の応援席の人たちや、グラウンドの選手たちまでもが振り返る。だ…大注目。
「沢村ぁああ!!キャンキャン吠えてんじゃねえ!!」
こわもての先輩に叱られて、沢村君は口を噤んだ。
「こちとら去年の記憶がよみがえって…ハラワタ煮えくり返ってんだからよ…」
「す…すいませんスピッツ先…「だぁ〜〜〜〜れがスピッツだオラァ!!!」
「吠えるな…純」
隣の席の友人に嗜められて、こわもての先輩は立ち上がった。
「…フン。勝った方が甲子園…去年の借りを返すには最高の舞台じゃねーか」
おお…かっこいい。
「なんか…決勝楽しみになってきたぁ〜〜!」
「ふふ…そうだね!」
真に同意し頷いて、光を見た。光は静かに前を見ていたけど、ふと私たちに視線を移した。
「…ん?」
「ん、あ、ううん、なんでも」
見つめすぎちゃった。首を傾げた光に首を横に振って、真を振り返る。
「じゃ、帰ろうか!」
「玉城ちゃーん!」
御幸先輩に呼び止められ、光が振り返る。
「待ってるよ♪」
「……。」
電話のジェスチャーを耳にあてて笑う御幸先輩を、光は見つめ返す。
「…さよなら」
「あっ!?おい!マジだぞ!?俺はマジだからな!?」
「御幸、うるさい」
素っ気なくスタンドを出る光に、いいの?と尋ねても、いいの、と返されてしまった。うーん…御幸先輩のこと、嫌ってはないと思うんだけど…どうにも素っ気ないなぁ。ほんとはどう思ってるんだろ。
「あ!ねぇトイレ寄ってもいい?」
「いいよ〜」
真が立ち止まり、私と光も一緒にトイレに入った。
「てかさ〜光、ほんとモテるよね。」
手洗い場で3人並び、真がそう言いだした。
「御幸先輩でしょ、東条君でしょ、成宮さんでしょ…」
「薬師の人も絶対光に気があったよね〜」
「気があるだけならうちの学校の男子みんなそうでしょ」
「……。」
こういう話題になると光は静かになる。…って、いつも物静かだけど。
「光は実際のところどうなの?」
「…何が?」
「だからぁ〜、誰が好きなの?やっぱ東条君?一番仲良いし」
「東条のことは好きだよ。」
「……なんかちがぁう」
そういうことじゃなくて〜!と地団太を踏む真。たしかにもどかしい。
「も〜、魔性の女だね、光は…」
「ましょう?」
「あ〜〜っ!!」
トイレを出たところで廊下に大声が響き、光がビクリと立ち竦む。
「光ちゃん!!えっ、マジで俺のこと応援してくれてたのー!?」
「あ…成宮さん」
私が呟いて、光は疲れたような顔で無言を貫く。
「決勝も来てくれるでしょ!?見ててよ、一也なんかねじ伏せちゃうから!!」
「ほ〜〜?誰をねじ伏せるって?」
「一也!?まだいたのかよ!」
あたりまえだろ、と後ろから現れた御幸先輩が言って、両者にらみ合う。
「え…つか誰?あの子…」
「め…めちゃ可愛くね?」
稲実の人たちがひそひそ言いだすと、成宮さんがギッと睨んだ。
「ちょっと!光ちゃんは俺が先に狙ってんだからね!!」
「べ…別に何も言ってねーだろ」
「彼女でもないくせに…」
「ボウヤだなぁ」
「つーかいい加減帰れよお前ら」
しっし、と御幸先輩が手を振ったけど、成宮さんは光に向き直った。
「俺はもうちょっと残…」
「はいはい、監督呼んでるし帰るぜ〜」
「うわーん光ちゃーん!!なんで稲実来なかったの!!」
「何言ってんだ…」
チームメイトに引き摺られるようにして帰っていく成宮さん。それと入れ替わるようにして、男子トイレから沢村君たちが出てきた。
「あれ!?今の白アタマ?」
沢村君は成宮さんの背中を見て慌てだした。
「ア…アイツらと何しゃべってたんだ!!」
「別に…」
「別にじゃねぇだろ!明後日戦う相手だぞ!!」
「沢村君、先輩にため口…」
真がぽつりとつぶやいた。
「さぁバスに戻るぞ。みんな待ってる…」
御幸先輩がそう言いかけたところでハッとする沢村君。
「ま…まさか…俺の情報を敵に!?」
「なんでだよ!」
ふたりのやりとりに小湊君は苦笑している。いつもこんな感じなのかな。
「じゃ〜ね、玉城ちゃんたち」
御幸先輩は手を振って、3人の後輩を引き連れて帰って行った。うう、と真が呟く。
「今度の決勝は学校同士だけじゃなく、御幸先輩と成宮さんが光を取り合う戦いでもあるんだね…!」
「え…なんで?関係ないでしょ…」
うっとりと呟いた真に、光はいたってドライな目で呟いた。
「ま…待って〜〜」
スタンドに駆け込むと、一気に歓声に包まれた。今日は準決勝。青道 対 仙泉学園。
「こっちが青道のベンチ側なの?」
「うん、東条が言ってた…あ、ほら、あそこにみんないる」
光が指す方に、確かに応援している野球部員たちが見えた。
「どの辺座る?」
「真ん中あたりでいいんじゃない?」
「あーーーっ!!!」
突如響き渡る大声。反射的に振り返ると、そこにはこっちを見て目を輝かせている成宮さん…と稲実の人たち。
「光ちゃんじゃん!!こんなところで会えるなんて!!運命だよコレ!!」
「いや…青道の応援に来ただけだろ…」
成宮さんの隣にいた大きな先輩がぼそりとぼやく。
「なぁ…あの子芸能人かな?」
「モデル?」
成宮さんの大声でこちらを振り向いた5,6人の高校生らしきグループが光を見て囁き合っている。やっぱ…一瞬で目を引く美人だよねぇ、光って。
「ねぇ光ちゃん!なんで電話出てくれないの!?」
「……。」
「ショートメールも送ったのに!ちゃんと届いてる?」
「届いてますよ。」
「じゃあなんで返事くれないの!?」
「……。」
「なんでソコだけ無視!?」
「鳴!他校の生徒に迷惑かけるな。座っとけ」
大きな先輩に怒鳴られると、成宮さんはぶーと口を尖らせて光の隣に座った。
「ソコじゃなくてこっちにだ!!」
「いいじゃんどこだって!!」
「……。」
フゥ、と鬱陶しそうにこっそりため息を吐く光。…顔に出てるけど…。
試合はすでに4回表。仙泉が1点先取している。
「キャーー御幸先輩!!がんばって〜〜!!」
御幸先輩がバッターボックスに入り、真が叫んだ。傍の高校生グループと稲実の人たち、そして成宮さんまでもがビクリと振り返る。…ちょっと恥ずかしい。
「へ〜一也ってモテるんだ…。」
成宮さんはそう呟くと、光の顔を覗き込んだ。
「もしかして光ちゃんも一也目当てなの!?」
「…違います」
「ホントに?じゃあ誰目当て?」
「ん〜…」
「あっ!もしかしてこの後の試合の俺目当て!?」
「んー」
「やっぱそうなんだ!光ちゃん…俺のピッチング見たら惚れちゃうかもよ?」
「そうですか」
「鳴…アレで会話してるつもりか?」
稲実の人たちがひそひそ言うのを睨みつける成宮さん。
「あっ!」
真が声を上げた。仙泉のピッチャーが放った球は、わかりやすいほど高く投げられて…キャッチャーも立ち上がってそれを捕り、投げ返す。まるでキャッチボールだ。
「アレ何してるの?」
「敬遠だよ!デカい当たりを打ちそうなバッターをあえて歩かせて、大きな失点を防ぐの」
「へぇ〜」
「御幸先輩に打たれると思って勝負を避けたんだよ。」
フン、と不満げに腕を組む真。その後はアウトを取られ、試合は1−0のまま進んだ。
そして5回裏――。
「1点差か…苦戦してるな」
「仙泉は地味だけど堅実な試合をしてくるからな」
「それにあの真木って投手…あれだけの角度があるとうちづれぇだろう」
稲実の人たちの会話が聞こえる。成宮さんはフンと鼻を鳴らした。
「デカイだけじゃん。それより丹波さんもう代えた方がよくない?」
そう言った矢先、丹波先輩の球がまたバットにぶつかる硬い音が響く。
「ほらぁ!今のも危ない危ない…一也もリード大変だな」
成宮さんが呟くと、稲実の大きな先輩は低い声で返した。
「鳴…前も言ったが、お前は丹波のことを甘く見過ぎだ」
その言葉を裏付けるように、丹波さんのボールがミットに納まる気持ちのいい音がした。
「らあああ!!!」
丹波さんの気迫ある雄たけび。青道は勢いを失っていない。成宮さんは口を尖らせて、急に立ち上がった。
「ジュース買ってこ!」
「あ…逃げた!」
そしてそう言ってスタンドを出て行く。大きな先輩は、待てコラ鳴!と怒声を上げた。
***
「すごいねすごいね!!決勝進出だよ!!もう興奮が収まらない〜!!」
「真、落ち着いて…」
「小湊君すごかったね〜!」
「沢村君も!」
「でもやっぱ…青道の選手皆すごかった!!御幸せんぱ〜〜い!!」
「やっぱそれなんだ…」
「あっ!!御幸先輩!!」
真が駆け出し、私と光は後を追う。
「御幸せんぱ〜〜い!!お疲れ様です!!」
ゲッ、と顔を顰めた御幸先輩は、しかし光の姿を見つけて頬を緩める。
「お…おぉ、サンキューな…」
「今日もめちゃくちゃカッコよかったです!!ねっ二人とも!!」
「う、うん。」
「……。」
辛うじて頷く私、無言を貫く光。
「あははマジで!?」
「スゲェーー!!」
ふと、にぎやかな声が聞こえてきて振り向くと、さっきスタンドにいた高校生グループがひとりの青道生を囲んで盛り上がっていた。かなり親し気だ。
「沢村君の友達かな?」
真が呟く。確かに囲まれているのは沢村君で、随分と慕われている様子だった。
「そういえば沢村君って、長野から来てるんだっけ…」
「地元の友達か〜。あっ、あの女の子彼女かな?」
「可愛い子じゃん!沢村君のくせに」
キャハハ、と真が沢村君たちに夢中になって笑い出すと、御幸先輩はこっそり光の傍に移動した。
「玉城。」
いつもみたいにふざけた呼び方じゃなく、短く呼ばれたその声に、光は驚いたように御幸先輩を見上げた。
「これ…」
「え?」
小さな紙を光に手渡し、ちょっと照れたように苦笑する御幸先輩。
「決勝戦前に…玉城の声が聴きたい」
「……!!!」
「……!!!」
私と真は目を丸くして顔を見合わせ、つい興奮で叫び出してしまいそうになるのを押し殺した。み…御幸先輩、なんて情熱的…!!
「…電話番号?」
「手に書いたやつ…消したんだろ、お前。」
紙を開いて見つめた光は、また紙を折りたたみ、御幸先輩に差し出した。
「…いりません」
御幸先輩は息を飲んで、一瞬俯く。
「登録は…してあるから」
「え…」
しかしその光の言葉で、御幸先輩の頬が赤く染まった。紙を受け取り、いつも通りのからかうような笑みを浮かべる御幸先輩。
「…なーんだ!じゃあ電話しろよ!俺ちょ〜待ってたんだけど?」
「だって用ないし」
「お前な…ドライすぎるぞ!」
「…いいな光〜…」
「ふふ…」
御幸先輩ってやっぱり、光のこと好きなんだ〜…。
私はついつい口元を緩めながら、慰めるように真の背中を叩いた。
「おい御幸!!行くぞオラァ!!」
「いて」
「ったく沢村と言いお前と言いどいつもこいつも…!!!」
御幸先輩をどついて引き摺って行く倉持先輩。かと思えば光を振り返り、照れくさそうに笑った。
「こ…こんちは!」
「…こんにちは」
おお…光が返事をした…。倉持先輩は御幸先輩と仲がいい、っていうイメージがあるからかな。
「け、決勝も頑張るんで!!よかったらまた応援来て下さい!」
「……。」
はぁ、と頷いた光に笑みを残し、照れ隠しなのか御幸先輩をまた小突いて連れ立っていく倉持先輩。
「何カッコつけちゃってんの?お前」
「うるせぇ!!テメーに言われたくねー!!」
そうやってふざけ合って走っていく背中を、光は微笑んで見送っていた。
「稲実の試合も見てく?成宮さん出るんでしょ?」
私が尋ねると、光と真は顔を見合わせた。
「私は別に…」
光はさほど興味もなさそうにそう言って、真は苦笑する。
「ほんと光って罪な女〜」
「え?」
「成宮さん、きっとスタンドに光がいると思ってやると思うよ〜」
「なんで?」
「…まあいいや。せっかくだし見て行こうよ!うちのお父さん、成宮選手は今関東一って言われてるほどのサウスポーだって言ってたの!気にならない?」
「まあ…この試合に勝った方と次うちが戦うんだもんね。興味あるかも」
私が頷くと、でしょでしょ!と真が頷いた。
***
「あれ!」
「……。」
スタンドに行くと、試合を見るために残っていたらしい御幸先輩たちに遭遇した。御幸先輩は光に気付くと目を丸くし、バシバシ自分の隣を叩く。
「玉城ちゃんまだいたの?ココ空いてるよココ!」
「……。」
光は完全に無視して、野球部員たちから少し離れたベンチに座る。
「はっはっはっはっ!相変わらずつれねーの!」
「……。」
「ってゆーか…、え?もしかして鳴の応援…?」
「うるせーぞ御幸!ちゃんと試合見ろ!」
「いてて…わかったって」
倉持先輩に頭をぐりぐりされて、渋々前を向く御幸先輩。それでも他の野球部員たちが、ちらちらと光の方を気にしている。
「対戦相手ってどこなの?」
しかし光は涼しい顔で真に尋ねた。
「桜沢高校…都立だよ!」
「桜沢って…有名な進学校だよね。野球部が強いとかは聞いたことないけど…っていうか野球部あったんだ…。」
「でもここまで勝ち進んでるってことは強いんじゃない?」
「まあ…まぐれじゃここまで来れないよね。」
「……。」
光は静かに前を見つめている。試合を見るとき、青道に点が入ると笑ったりはするけど、基本的に黙って試合を見守る光。だけど、あの日…御幸先輩が自分の腕にボールを当てて捕った瞬間だけ、思わず立ち上がって息を飲んでいた。あれって…ホントに御幸先輩が心配だったんだよね。やっぱり光、御幸先輩のこと…。
「あ!始まるよ!」
真が言って、私も前を見た。先攻は稲実。桜沢の投手がマウンドに上がる。
ざわつく球場内。ブラスバンドのヒッティングマーチと声援が響く中、投手が振りかぶり、ボールを放った。
「……。」
「……。」
ミットに納まるボール。バッターは様子を見たらしい。ストライク!という審判の声が響く。
「なんか…あの球遅くない?」
「降谷君のピッチングを見た後だから余計にそう感じるのかもしれないけど、確かに速くはないね。」
「なんで打てないんだろう?遅すぎて逆に難しいとか?」
「それもあるかもしれないけど…変化球なんじゃない?私たちにはよくわからないけど」
「な…なんで…あんな遅い球が打てねーんだ?」
ちょっと下の段にいる沢村君が同じ疑問を口にした。
「クリス先輩…」
「ああ…間違いないな」
御幸先輩が3年生と何やら話し込む。
「あれはナックルボールだな。」
倉持先輩が一段上の席に移ってきて、私たちに説明してくれた。
「ナックルボール?」
「変化球だよ。ボールの回転を抑えることで、不規則に変化しながら落ちる…あの稲実打線が打てねーくらいだから、かなりのものだと思うぜ」
「へぇ〜!」
真が感心したように相槌を打つと、倉持先輩はちょっと嬉しそうにした。
「うお…三者凡退…」
「あの稲実が…」
スタンドから戸惑いの声が上がる。試合前は稲実の勝利を確信していた空気が変わってきた。
1回裏。今度は桜沢の攻撃だ。
「あ!ほらほら光!成宮さん出てきたよ!」
光の腕を掴んでマウンドを指さす真。御幸先輩がちらりと光を見上げる。光は涼しい顔でマウンドを見つめている。何考えてるんだろう…。
「ちょっと御幸。アレいいの?」
「え?」
小湊君のお兄さんが御幸先輩を小突いた。
「御幸の彼女、稲実のヤツにとられそうじゃん」
「は…!?」
「お前がフラれるのは別にいいけど、稲実にとられるのはムカつくからなんとかしろよ。」
「いや…彼女じゃな…」
「ふーん。じゃあ東条に何とかしてもらおうかな。」
「えっ!?」
「お前より可能性ありそうだし」
「……。」
「そういえば東条はもう帰っちゃったのかな…。」
東条君の名前が聞こえたからか、光が思い出したようにスタンドを見渡した。
「レギュラー以外は帰って練習してるぜ。」
「あ…そうなんですか。」
倉持先輩が言うと、光はちょっと残念そうに相槌を打つ。
「やっぱり東条の方が可能性あるな。」
「……。」
「あ…兄貴…。」
「あ!始まる始まる!」
真の声でグラウンドに視線を戻した。成宮さんが堂々とマウンドに立っている。あの人はいつでも自信満々なイメージだ。
成宮さんが振りかぶり…ボールが放たれる。
――ドパァン!!
「……す、すごっ!」
「あんなのバットに当たらないって!」
予想以上に大迫力のピッチング。関東一と言われているだけはある…。
「ねぇ光!成宮さんカッコ良くない!?あっという間に三者連続三振!」
「ん…うん…」
「……。」
…御幸先輩の顔が穏やかじゃなくなってきてる…。
2回表、稲実の攻撃が始まる。
「あ!さっきのでっかい人。」
「あ、ほんとだ」
真と光が呟くと、御幸先輩がこっちを見上げた。
「え?原田さん知ってんの?」
「さっき青道の試合をスタンドで見てた時、稲実の人たちと会ったんです!」
「成宮さんあの人に怒られてたね。」
「え…成宮と試合見てたの?」
「そうでーす!成宮さんってばずっと光の隣に座ってて〜!」
「な…、え…!?」
「御幸うるさい」
ずびし、と小湊君のお兄さんにチョップされて口を噤む御幸先輩。
「さぁ…どうやってあのナックルを攻略する?」
「原田は広角に打ち分ける打ち分ける柔軟さを持ってるからな…」
前列に座っている先輩たちは真剣に試合を見ている。
「ナックルの攻略に焦れば焦るほど桜沢の思うツボ…」
御幸先輩の言葉に、皆気を取り直したように試合に注目した。
「焦りはチームに動揺を生み、ミスを誘発する。」
桜沢の投手が振りかぶった。
「これまで桜沢と戦ってきたチームは…自分たちの実力を出し切れぬまま敗れていったんだろうな…」
こんなに真剣な御幸先輩、初めて見るかも。ちょっと光を見ると、光はじっと御幸先輩を見ていて、それから思い出したようにグラウンドに視線を戻した。
3回表。1アウトランナー3塁…。
「どっちも点とれないねぇ…」
真がそう呟いた頃。
キィン、と気持ちのいい音が響いた。
「あっ…打った!」
桜沢のレフトが後方へ走っていく。
『捕ったぁ〜〜〜!!レフト古木君ファインプレー!』
「ああ!惜しい〜!」
「真…稲実の応援してるの?」
「だって知ってる人いないもん、桜沢は」
まあ…たしかにそっか。
『4回表 稲城実業の攻撃――2番ショート、白河君』
膠着状態のまま4回まで進んだ。皆静かに試合を見守っている。
どちらが先に点を取るのか…その緊張感は次第に満ちていた。
『あ〜〜〜〜!!』
実況の悲鳴とスタンドのどよめき。ミットに納まったと思われた打球が、コロコロとグラウンドを転がっていくのが見えた。
『ト…トンネル!!』
『桜沢に初めてのエラーが!!』
それを皮切りに、続けて桜沢のエラー。タイムを挟み、桜沢の選手はマウンドに集合した。
「これじゃ投手はたまらないよね。打ち取った当たりを立て続けにエラーだもん…」
小湊君が呟くと、同意するように降谷君が俯いた。
「でも…何で急に守備に乱れが?」
沢村君の疑問に私も同意した。今までは堅実に地道に、しっかりと安定した守備だったのに…。
「成宮のピッチングだな。」
御幸先輩と話し込んでいたハーフの3年生が言った。
「え?」
「1点でも点を取られたら試合が決まる…それほどのプレッシャーをマウンドからかけ続けているんだ――…。」
先輩の声は静かだったけど、その重みは伝わってきた。確かに…成宮さんのピッチングはずっと威圧的で、息を止めて見てしまうほど。ミットに投げているのに、まるでこちらに強い力でのしかかって来るみたいに…。
「おそらく桜沢には、成宮から点を取るイメージがまったくないんでしょうね…。」
御幸先輩が言うと、ハーフの先輩はああ、と頷く。
「しゃあ!!」
「思いっきりやってやろうぜ!」
「おお!!」
マウンドから声が響いてくる。それでも――諦めてない。
『ノーアウト一・三塁――打席には稲実の主砲 原田君』
「あっ!盗塁!」
真が声を上げる。桜沢は気にしたそぶりもない。バッターに集中しているようだ。
『盗塁成功、ノーアウト二・三塁』
得点圏の塁が埋まる。とんでもないプレッシャーだろう。しかもバッターは4番…。
ピッチャーが振りかぶった。バッターは動かず、ボールはミットに納まる。
全員が息を飲んで、またピッチャーが振りかぶる――。
「あっ…!」
全員が空を見上げた。打ち上げられた白い小さな点は、軽々と翻って――フェンスを越えた。
***
あの一打をきっかけに、11対0、5回コールドという結果で試合は終わった。
「しゃああ!!」
「ナイスゲーム!!」
「鳴〜〜〜!!」
「稲実最強!!!」
稲実の応援席が盛り上がるのを見つめ、立ち上がる光。
その時――
「俺たちが勝ぁ〜〜〜つ!!絶対に勝ぁ〜〜〜〜つ!!!」
突然、沢村君が大声で叫んだ。
稲実の応援席の人たちや、グラウンドの選手たちまでもが振り返る。だ…大注目。
「沢村ぁああ!!キャンキャン吠えてんじゃねえ!!」
こわもての先輩に叱られて、沢村君は口を噤んだ。
「こちとら去年の記憶がよみがえって…ハラワタ煮えくり返ってんだからよ…」
「す…すいませんスピッツ先…「だぁ〜〜〜〜れがスピッツだオラァ!!!」
「吠えるな…純」
隣の席の友人に嗜められて、こわもての先輩は立ち上がった。
「…フン。勝った方が甲子園…去年の借りを返すには最高の舞台じゃねーか」
おお…かっこいい。
「なんか…決勝楽しみになってきたぁ〜〜!」
「ふふ…そうだね!」
真に同意し頷いて、光を見た。光は静かに前を見ていたけど、ふと私たちに視線を移した。
「…ん?」
「ん、あ、ううん、なんでも」
見つめすぎちゃった。首を傾げた光に首を横に振って、真を振り返る。
「じゃ、帰ろうか!」
「玉城ちゃーん!」
御幸先輩に呼び止められ、光が振り返る。
「待ってるよ♪」
「……。」
電話のジェスチャーを耳にあてて笑う御幸先輩を、光は見つめ返す。
「…さよなら」
「あっ!?おい!マジだぞ!?俺はマジだからな!?」
「御幸、うるさい」
素っ気なくスタンドを出る光に、いいの?と尋ねても、いいの、と返されてしまった。うーん…御幸先輩のこと、嫌ってはないと思うんだけど…どうにも素っ気ないなぁ。ほんとはどう思ってるんだろ。
「あ!ねぇトイレ寄ってもいい?」
「いいよ〜」
真が立ち止まり、私と光も一緒にトイレに入った。
「てかさ〜光、ほんとモテるよね。」
手洗い場で3人並び、真がそう言いだした。
「御幸先輩でしょ、東条君でしょ、成宮さんでしょ…」
「薬師の人も絶対光に気があったよね〜」
「気があるだけならうちの学校の男子みんなそうでしょ」
「……。」
こういう話題になると光は静かになる。…って、いつも物静かだけど。
「光は実際のところどうなの?」
「…何が?」
「だからぁ〜、誰が好きなの?やっぱ東条君?一番仲良いし」
「東条のことは好きだよ。」
「……なんかちがぁう」
そういうことじゃなくて〜!と地団太を踏む真。たしかにもどかしい。
「も〜、魔性の女だね、光は…」
「ましょう?」
「あ〜〜っ!!」
トイレを出たところで廊下に大声が響き、光がビクリと立ち竦む。
「光ちゃん!!えっ、マジで俺のこと応援してくれてたのー!?」
「あ…成宮さん」
私が呟いて、光は疲れたような顔で無言を貫く。
「決勝も来てくれるでしょ!?見ててよ、一也なんかねじ伏せちゃうから!!」
「ほ〜〜?誰をねじ伏せるって?」
「一也!?まだいたのかよ!」
あたりまえだろ、と後ろから現れた御幸先輩が言って、両者にらみ合う。
「え…つか誰?あの子…」
「め…めちゃ可愛くね?」
稲実の人たちがひそひそ言いだすと、成宮さんがギッと睨んだ。
「ちょっと!光ちゃんは俺が先に狙ってんだからね!!」
「べ…別に何も言ってねーだろ」
「彼女でもないくせに…」
「ボウヤだなぁ」
「つーかいい加減帰れよお前ら」
しっし、と御幸先輩が手を振ったけど、成宮さんは光に向き直った。
「俺はもうちょっと残…」
「はいはい、監督呼んでるし帰るぜ〜」
「うわーん光ちゃーん!!なんで稲実来なかったの!!」
「何言ってんだ…」
チームメイトに引き摺られるようにして帰っていく成宮さん。それと入れ替わるようにして、男子トイレから沢村君たちが出てきた。
「あれ!?今の白アタマ?」
沢村君は成宮さんの背中を見て慌てだした。
「ア…アイツらと何しゃべってたんだ!!」
「別に…」
「別にじゃねぇだろ!明後日戦う相手だぞ!!」
「沢村君、先輩にため口…」
真がぽつりとつぶやいた。
「さぁバスに戻るぞ。みんな待ってる…」
御幸先輩がそう言いかけたところでハッとする沢村君。
「ま…まさか…俺の情報を敵に!?」
「なんでだよ!」
ふたりのやりとりに小湊君は苦笑している。いつもこんな感じなのかな。
「じゃ〜ね、玉城ちゃんたち」
御幸先輩は手を振って、3人の後輩を引き連れて帰って行った。うう、と真が呟く。
「今度の決勝は学校同士だけじゃなく、御幸先輩と成宮さんが光を取り合う戦いでもあるんだね…!」
「え…なんで?関係ないでしょ…」
うっとりと呟いた真に、光はいたってドライな目で呟いた。