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「そしたら倉持がバレて、全部バラしやがってさ。」
『あははは。』
電話の向こうから聞こえる明るい笑い声。彼女にとって俺の野球生活はまるで物語のようで、寮での出来事や部活での出来事を話すと楽しそうに笑った。
お互いに2,3日おきには電話をするようになって、そこではお互いの私生活の話を少しした。俺はもっぱら野球のこと。今日はどこと練習試合をしただとか、今度どこと試合をするんだとか。
光は習い事の話や、学校での出来事。茶道の先生はお道具を置く場所が畳の目一節でもずれていると怒るのだとか、今日の美術の授業は先生が授業があることを忘れていて友達と職員室に呼びに行ったら他の先生たちとお茶をしていて口止めとしてクッキーをもらっただとか、俺にとってはちょっと浮世離れした面白い話だった。
ただ気になる事はあって、光は家族の話をほとんどしなかった。俺から聞かない限りは全くしなかった。聞いてもはぐらかされるか、ひどく沈んで口を噤んでしまう。
わかったのは、実の母親が小さい頃に亡くなっていて、今の母親は継母だということ。そして、両親が再婚してからは日本の別宅に夫婦で住んでいて、ほとんど会っていないということ。それから、問題の婚約者というのは、光の父親の異母兄弟の息子で、従弟なのだという事だ。
ほんの断片的な事しか聞き出せていないのに、それだけでも随分と複雑な家なのだという事だけはわかった。
しがらみは多いのに、家族というつながりの意識はほとんどない。光はついこぼしたようにそう呟いて、口を噤んだことがあった。
『あ、お風呂あいた。じゃあ先輩またね。』
「ああ、またな。」
『おやすみ。』
「おやすみ…」
静かに電話が切れる。光との電話が終わったあとは、満ち足りたような、それでいて少し寂しいような気持ちになる。悪い気分じゃない。
「誰と電話してたんだよ?」
「!!?」
こつん、と背中をバットでつつかれて、俺は飛び上がるほど驚いた。振り向くとバットを振る場所を探していたらしい倉持が、頭のタオルを巻きなおしながらニヤニヤと俺を見た。
「もしかしてあの子?やっぱ続いてたんだろ?」
「……。」
「テメェ嘘ついて隠してやがったな!?まさかもう付き合ってんじゃねーだろうな」
実はそのまさか…なんだけど。俺は携帯をポケットに仕舞い、自分のバットを拾い上げた。
「違うし。親だし。」
「嘘吐けよ。」
「ほんとだし。」
「おいっ!逃げんな!」
そそくさと寮に引き返してきて、ちょっと肝が冷えた。光から内緒と言われているし、そもそもバレたくもない…。絶対大騒ぎになるし。それに、付き合った経緯がちょっと…いや、だいぶ特殊だし。
だけどいつまで隠し通せるのか…。この間映画に行くために日曜日の午後出かけたのだって、かなり怪しまれた。俺自身、普段そんなにまめに出かけるタイプじゃないからなおさらだ。
光からは、今度いつ会えるの、ってせっつかれているけど…さて、どうするか。
***
「一也せんぱーい」
次に光に会えたのは、中間テストが終わった初夏の休日で、テスト後初めてのオフだった。
白いワンピース型の制服は夏用の半袖のデザインになっていて、ますます涼しげだった。
俺たちは電車で移動して、お互いの学校から少し離れた駅の周りで雑貨屋を覗いたり、お茶をしたりして過ごした。
「はいっ!美男美女カップルにはサービス!」
クレープ屋でトッピングにチョコレートを加えてもらった光は嬉しそうにきらきらと笑う。本当に無垢で、無邪気で、純粋で…悩みを抱えているようには見えなくて。だけど光には婚約者がいる。俺たちがこうして付き合えるのも、長くてもあと2年半…光が高校を卒業するまでなんだよな。
現実味ないけど…そーなんだよな。
そのことを思うと、急に胸の奥が冷えた。
光はクレープを食べて幸せそうにはにかんで、口をもぐもぐ動かしながら街道を眺める。その端正な横顔にしばし見惚れて、ふと、青い瞳が見つめる先をたどった。手をつないで歩くカップルの姿がそこにあった。
「……。」
俺は勇気を出して、光の手を絡め取った。ぎこちなく指を絡めて繋ぐと、光は堪えるようにはにかんだ。その恥ずかしそうな、だけど嬉しそうに綻ぶ口元を見て、俺はどうしようもなく胸の奥がくすぐったくなった。
手を繋いでこんなに嬉しそうにしている光が可愛くて仕方なかった。
ませたこと言うけど、結構初心で…可愛い。顔に出るから、案外わかりやすいし。そこも可愛い。全部可愛い。
本当なら光は、多くの男が争奪するレベルの高嶺の花だ。だけど男の影が無いのは女子校でしかも全寮制であることと、多分、婚約者の存在がそれを阻んでいたんだろうと思う。それを考えると俺たちの出会いはかなり数奇なものに思えた。
つーか…
もしかしてキス…とか、それ以上…とか、俺がやろうって言ったらあっさり応じるんじゃないだろうな…。いやまさか…。…まさかな…。
だけど、それにつけこみたくはない。そういうことは、ちゃんと好きになってもらってから――
「先輩。」
「…ん?」
くい、と繋いだ手を引いて、光はこわばった顔で立ち上がった。
「どした?」
「…い、行こ」
こっち、と何かから逃げるように路地裏に入って行く光。すっかり人気が無くなると、ようやく歩みを止めて街道の方を不安げに振り返った。
「知り合いでもいた?」
家族に知られるとまずいとは言っていたが、こんなに蒼白するほど慌てるのは予想外で、俺は少し驚いた。
「……うん」
光はぽそりと頷いて、食べかけのクレープを見つめる。
「誰?友達?」
埒が明かずに尋ねると、光はしばらく迷ってから口を開いた。
「…従弟…」
「いとこ?って…婚約者?」
「ちがう…、弟…、弟の方」
従兄弟は兄弟らしい。婚約者は兄の方ということか。
「そう…、」
「……。」
ばれると相当まずいのか、光はしばらく不安そうにしてその場を動こうとしなかった。
「そいつに見つかるのもまずいんだ?」
ちょっと虚しくなりながら尋ねると、光は沈んだ顔で俯いた。
「…嫌われてる…から」
「ん?」
「…私」
…嫌われてる??
「なんで?」
「…わからない。昔から…嫌われてるの、ずっと」
「……。」
「私の為に黙っててくれるわけない…知ったら、家族にバラすに決まってる」
光はそう言って、俯いたまま泣き出しそうに表情をこわばらせた。
「…大丈夫か?」
そう声をかけると、繋いだままの手がほどけそうになって、俺は握りなおした。手は不安定なままつながった。
「……。」
「…光、」
俯く彼女に呼びかけて、初めて名前を呼んだかもしれない、と思った。思っていたよりもするりとそれは口から出て、そして思っていたよりもずっと、胸の奥が熱くなった。
「そろそろ…」
帰る時間…なんだけど。俺も光も寮の門限がある。
「…帰りたくない」
ぽつり、と光が呟いて、俺はちょっと言葉を失った。
「……。」
空を見上げると、夕暮れの中ちょうど今点灯するピンクのネオン。…HOTEL。…ここ…ホテル街じゃねーか!!
「…ちょ…、ちょっと、とりあえず、あっちの通りに戻ろう。な?」
「?」
不思議そうに俺を見上げる光の手を引いて、人通りの多い街道に戻ってきて、手を離した。
「さて…じゃ、それ食ったら帰ろ。」
「え〜…」
「え〜じゃない。」
「じゃあ…キスして。」
「!!?」
唐突な言葉に俺は一瞬言葉を失って、必死に冷静さを取り戻した。
「…いや意味わかんない。」
「なんで?付き合ってるんだよ?」
「だからなんだよ。」
「……。じゃ 手繋ぎたい…」
「しません。」
ぴしゃりと言うと、光はおもちゃを取り上げられた子供みたいにふにゃりと泣きそうな顔で俺を見上げた。
「…なんで?」
「もう今後そういうことはしない。」
「だから、なんで!?付き合ってくれるって言ったじゃん…助けてくれるんじゃないの?」
「助けるって?」
「…だから、セッ」
「コラ!!」
「聞いたのそっちじゃん。」
「だからってこんなトコで大声でいう奴があるか バカ!!」
ほんと、危なっかしい…!!こんな美少女が街道で抱いてくれなんて言ったら、不審者変質者変態野郎の出血大サービスだっつの!!
「…お前、本当にそれでいいのかよ。」
「何が…?」
「いくら嫌いな奴と…結婚するからって、好きでもない奴相手に自分の大事なモン捨てるのかよ。」
「……。」
「あのな、教えてやるけど…お前が捨てようとしてるもんは、その辺の男らからしたら、喉から手が出るほど欲しいもんなんだぞ。そんな風に捨てるなんてもったいないだろ。自分を大事にしろって言ってんの、俺は。」
「…先輩、何歳?」
「はぁ?…16だけど?」
「説教くさいおじさんみたい。」
「お…、…お前な…」
光はしばらくむくれた顔のまま黙り込んで、もそもそとクレープを食べた。
「…先輩は」
「ん?」
「欲しくないの?」
じっと俺を見つめる、見通すような青い目…。そんなの…、欲しいに決まってる。
「欲しいけど?」
そう答えると、じわ、と光の顔が赤くなった。
「…じゃあ…なんでしないの?」
また俯いてクレープを食べる光。
「惚れさせたいから。」
ぴくり、と光の口が止まった。そしてその横顔は赤く、耳まで赤く染まっていく。
「……。」
光は黙ったままクレープを食べ続けた。俺はなんだか満足げな気持ちで、彼女の隣に立っていた。
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