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稲実甲子園準優勝の文字が新聞を飾った。
俺はとっくに秋大のことで頭がいっぱいで、今更甲子園の話を誰かとしようとは思えなかった。
やることはたくさんある。やらなければいけないことも。
課題も、目標も。でも、息抜きも必要だ。
頭のどこかでそう言い訳のように考えながら、携帯で玉城光の文字を眺める。
もうすぐ夏休みが終わる。
夏休み終わりの自然公園は家族連れでにぎわっていた。
特に噴水周りには多くの子供たちで溢れ返っていて、近くのベンチは子供たちを見守る親が埋め尽くしている。
「暑い…。」
汗ばんだ白い首筋を手で煽ぐ光を盗み見る。その光景は爽やかで涼しげに見えるけど、実際暑いのだ。
「お、かき氷。」
「たべたーい…」
氷というのぼりを見つけて呟くと、光は暑さに項垂れながら答えた。
店内に入るとクーラーの冷たい風が一気に肌を冷やした。光はレモン、俺はブルーハワイを注文して、出された麦茶を飲んで一息ついた。
光は両手をテーブルの上でパタパタしながら、嬉しそうにはにかんで俺を見る。
「…何?」
「先輩真っ黒になったね。」
そりゃ夏休み中、野球に明け暮れていたし…。
「ほれ、下にもTシャツ。」
シャツの袖口を肩まで捲って日焼けあとの境目を見せてやると、光はきゃっきゃと楽しそうに笑った。
「おまちどうさん。」
無愛想な店主が俺と光の前にかき氷をドンと置いていく。
「あれ?アイス…。」
光は自分の前に置かれたレモン味のかき氷に載ったバニラアイスを見て目を瞬いた。こんなトッピングは頼んでいないからだ。
「お嬢ちゃん別嬪だから、サービスだよ。」
にっこりと、顔中に笑い皺を深く刻んで、店主が親指を立てた。全然無愛想じゃねーや。
ありがとうございます、と笑う光に、店主は上機嫌になって氷を削る作業に戻って行った。
「美人は得だなー。」
からかうように言うと、アイスを頬張った光はスプーンをくわえたままはにかんだ。
「学校始まるなぁ…」
「早く始まってほしい。」
「え?なんで?」
普通は夏休みが終わるのを惜しむもんじゃないのか。
「寮に戻れるもん。」
浮かない顔で呟く光を見て、それは何も飾らない正直な本心なのだろうと思う。
「寮の方が良い?」
「うん。」
「…家嫌なの?」
家のことを聞くと光はいつも言葉を濁すけど、少しでも何か知りたくて、俺は慎重に聞いてみた。
「……。」
…だんまりか〜。難しいな、やっぱ…。
しゃこしゃこしゃこ、と光はかき氷をつつきながら、目はどこか空を見つめている。
「…青道に行きたかったな」
「え?」
「一也先輩がいるから…」
随分好かれたもんだ…。ちょっとびっくり。
「何…カワイーこと言っちゃって」
「……。」
ちら、と青い瞳が俺を見上げ、にま、と悪戯っぽく笑った。
「え、何…あっ」
ひょい、と光のスプーンが、俺の皿から青く染まった氷を少し掬っていって、彼女の口にぱくりと飲み込まれた。
「んふふ。」
「…別にいいけどさ」
可愛い悪戯なんかしちゃって…。つーかこれ…一応間接キ…
「ブルーハワイ初めて食べた。」
「そう…」
…あれ、結局はぐらかされたのか?これ。
「…ねぇ!あの子めちゃくちゃキレイ。」
「ほんとだ〜。モデルとかかな…?」
こそこそ、ひそひそ、近くの席の女子高生たちが光を見て噂し始めた。光はと言うと、かき氷をつつきながら頬杖をついて、店の軒先で揺れている風鈴を眺めている。
その空を映している青い瞳が、ふっとこちらを見て、ドキンと心臓が跳ねた。
「ねえ、この後噴水広場行こうよ。」
「お、おう」
見惚れていたことを悟られぬように、俺は笑みを浮かべて頷いた。
***
噴水広場に行くと、夕方になって来たからか、家族連れは帰ろうとするところだった。
光は無邪気に噴水の傍へ行って、手を伸ばして水に触れた。
「落ちるなよ〜。」
「落ちないよ。」
子ども扱いされて不服そうに頬を膨らませる光。でもすぐにはにかんで笑って、濡れた手を俺の目の前でぱっと開いた。
「…眼鏡ぬれたんだけど」
「ふふふふ。」
「も〜〜」
眼鏡をはずして雫を拭き、またかける。…と、光がじっと俺の顔を見ていた。
「…何?」
「眼鏡外したの、初めて見た。」
「……。」
「イケメンだね。」
にまにま、嬉しそうに楽しそうに、俺を見上げる光。その小さな頭をぽすんと小突いた。
「からかうな。」
「えへへへ。」
嬉しそうに頭を押さえて笑う光。家族のことを聞いたときの、あの沈んだ顔など想像もできないくらい明るくて、無邪気で。光のことを知りたいという思いが日に日に強くなっていく。
「ねぇ。」
「何。」
「もう付き合って3か月経つんだよ。」
「そういやそうだな。」
あまり会えてないから実感ないけど。
「まだ手も繋がないの?」
「……。」
両手を後ろで組んで、またからかうように俺の顔を覗き込む光。
「友達は3か月付き合ってたらもうえっちしてもおかしくないって」
「…そんなこと信じるんじゃありません」
「でも手くらい繋いだっていいじゃん…」
むう、と口を尖らせて拗ねる光。そりゃ俺だって…色々したい…。男子高校生だぞ、したいに決まってる。だけど、光とはいずれ別れなければならない。婚約者がいるから…。皆に内緒で付き合って、光の今にも未来にもなんの責任も持てない俺は、彼女に手を出す資格はないと思う。できることはしてやりたいけど、彼女の家の事情や彼女自身の将来、幸せを考えると、やっぱり、今俺にできるのは彼女が自暴自棄になって道を踏み外さないよう、守ることだけだと思う。
……。
まぁでも手を繋ぐくらい…。…いやいや。少しでも触れるともっと触れたくなっちまう。ちょっとしたじゃれ合いで頭を小突くのだって、酷く緊張するのに。
ピロリロリン、ピロリロリン、と電子音が鳴り響いた。あ…、と光が呟いて、バッグから携帯電話を取り出す。
「……。」
そして緊張した顔で画面を見つめた。
「出ないの?」
そう訊くと、光は意を決したように応答ボタンを押した。
「…もしもし…」
怯えるような声。相手は誰なのだろう。
「…はい…」
「……。」
「……え…。」
光は言葉に詰まり、しばらく沈黙した。
「……はい…」
そう呟いて、静かに電話を切る。
「…どうした?」
「……。」
呆然とした顔で閉じた携帯を見つめたまま、光の目に涙が滲んで、俺は息を飲んだ。
「光。」
「…帰りたくない」
また前と同じことを言う。けど、今日はなんだか様子が違っていた。
「…なんで?」
「…従兄が帰ってくるって…」
「それって…婚約者の?」
光は小さく頷いて、酷く怯えるように唇を噛んだ。
帰りたくない…と言われても…帰らせないわけにはいかない。俺たちはまだ高校生で…将来には何の保証もなくて…。光を守れる覚悟が、俺には何もない。
「…でも…帰らないと。」
「……。」
「途中まで送るから…」
家まで送る、と言いかけて、それはまずいか、と思い直した。
「やだぁ…」
光はとうとう涙をこぼして、ゆるゆると頭を横に振った。そんな状態の光を見るのは初めてで、俺は動揺しながら、必死に何かできることがないか考えていた。
「あいつに会いたくない…。」
「……。」
婚約者のことか…?光が婚約者のことを自分から話すのは初めてだった。
「なんであんな奴と結婚しなきゃならないの…っ」
「……。」
「…やだ…、やだぁ…っ」
「…光、」
零れる涙を拭う細い腕に触れて、いつになく強情に首を横に振る光を前に俺は何もできずに立ち尽くすだけ。そりゃそうだ、じゃあ帰らなくていい、なんて、俺には言えない。
だけど…。
いくら家のことを聞いても、頑として口を噤んでいた光が、こんなに感情をあらわにして泣くなんて。
「……。…暗くなる前に…」
「やだ…」
「…光。」
「…やだ!」
顔を背ける光の、濡れた頬に触れた。驚いたように俺を見上げた光の、縋るような泣き顔を見て、俺はぎこちなく――けど意を決して、一瞬だけの、触れるだけのキスをした。
「……。」
光はぽかんと丸い目で俺を見つめたまま、言葉を失っていた。
「帰ろう。」
手を握って言うと、光は涙を拭って頷いて、素直に手を握り返した。
…いつか俺が救うから…。
俺は当てもなく、胸の中でそう呟いた。
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