001


「来てくれて…ありがとう。」

俺の前に立ち、赤い顔で俯いて、もじもじと手を組みながら言う女子生徒。
隣のクラスの井川さん…。去年同じクラスで、何となく彼女の気持ちに気付いてはいた。

「いや…。」

俺が井川さんに呼び出された理由はもう、今朝下駄箱に入れられていた手紙を読んだ瞬間から確信しているし、井川さんもそれを分かっているはずだ。それでも井川さんは言葉に迷いながら、絞り出すように言った。

「あの…。」
「……。」
「き…去年から、ずっと、見たりしてたんだけど…。…その、野球部の、試合とか…。」
「あ…、あー…、ありがとう…」
「…そ、それで…、…あの…。」

…頼む、早く言ってくれ。気持ちはわからなくないし、こうして呼び出されるのは初めてではないけど、この瞬間はどうも居たたまれない。
倉持には散々恨み言を言われたけど、それなら代わってくれ…、とすら思う。そんなこと言ったら殴られそうだから言わないけど。

「…ずっと…かっこいいなって、思ってて…。」
「……あ〜…それは…どうも…」

そんなこと言われても反応に困る。頭を掻いてへらりと笑うと、井川さんも恥ずかしそうにはにかんだ。

「そ、それでね。今年…クラス、離れちゃったから…」
「あ〜…うん…そだね…」
「あの…。…もしよかったら、なんだけど…」
「……。」
「……私と……、…つ 付き合って…ください。」

ぺこ、と小さく頭を下げて、井川さんはやっと告白を打ち明けた。
井川さんは…まぁ、結構可愛いし、男から人気もあるし、優しい感じだし、女の子らしくて、良い奴だと思うけど…。

「…ごめん。」

短く言うと、井川さんの俯いている顔に悲しみが滲んだ。

「今は野球に集中したいっつーか…他のこと考えてる余裕なくて。だから、ごめん」

あくまで井川さんのせいではないことを強調し、嘘ではない理由を言い訳のように述べる。胸の片隅にめんどくさいという思いが、追いやっても追いやってもじわじわと滲んでしまって、少しの自己嫌悪を感じる。

「そ…、そうだよね…。私こそごめんね…。」

井川さんは痛々しい笑顔でそう言って、誤魔化すように笑った。

「あ、じゃあ私、部活行くから…」
「あ、うん。じゃあ…」
「じゃあね」

井川さんは小さく手を振って走っていく。踵を返す瞬間、目尻が赤くなっていた。
小さくため息がこぼれ、むしゃくしゃする気持ちを頭を掻いて誤魔化した。俺も部活行こう。
踵を返して寮の方へ向かって歩いて行くと、裏門の前にたむろしている3人の男が目に留まった。誰だろう、在校生でも関係者でもなさそうだし…OBか?でも、それにしちゃあ中を覗き込んでニヤニヤヒソヒソしたりして、感じが悪い…。
まさかとは思うけど、不審者か?などと思い始めた時、校舎の方から歩いてきた女子生徒が裏門に向かって歩いて行く背中が見えた。多分1年生だ。
何となく心配で、目で追いながら前を通り過ぎようとした時、その男たちが女子生徒を見て、来た来たなどと盛り上がっていることに気付いた。

「こんにちは!」

門を出たところで突然声をかけられて、女子生徒は驚いたように立ち止まった。行く手を遮るように女子生徒の周りを囲む男達。
おいおい…なんかやばくねぇか?

「いつもここから帰ってるよね?」
「何年?名前なんて言うの?」

男達の言葉を聞く限り、前からこの女子生徒に目をつけていたっぽいし…嫌な予感しかしない。

「おいこの子怖がってんじゃんやめろよ〜」
「ギャハハお前が言うなって!」
「ごめんね?こいつら頭おかしいから」
「お前もだろ〜!」
「てかカワイイね!名前教えてよ?」
「何か言ってよ」
「無視ですか〜?」
「怖くないよ〜」
「ぎゃははは説得力ねーって!」
「まじまじ!俺ら君と仲良くなりたいだけだから。名前くらい教えてよ」
「なぁ?名前くらい教えてくれたっていーよなぁ?」

大の男3人に囲まれて、女子生徒は怯えたように後ずさる。やばいってこれ。誰か先生呼んで…る余裕なんてないって。周りに誰もいないし…俺が行くしかないじゃん…

「ちょっとちょっと、どこ行くのー?逃げないでよ!」

逃げられると思ったのか、一人の男が女子生徒の腕を掴んだ。おいおいおいそれはシャレにならない!

「…み、みゆき!…ちゃん!」

咄嗟に適当な名前を叫びながら女子生徒に駆け寄って、男の手から細い腕を奪い取った。女子生徒が振り向いて俺を見上げる。怯えて青ざめた表情…それがあまりにも綺麗な子で、俺は一瞬面食らって言葉を失ってしまった。
真っ白な肌に、亜麻色の長い髪。俺を見つめる、怯えた青い大きな瞳。つんとした小さな鼻。赤いぷっくりとした唇。
人形みたい…いや、妖精…人間離れした美人さん…。こ、こんな子うちの学校にいたのか!?

「この子みゆきちゃんって言うの?」

男達が威圧的な笑みを浮かべながら俺に尋ねてきた。人数で勝っているからまだ余裕があるんだろう。

「いや〜すいませんね、失礼します。」

俺はそれには答えずに、女子生徒の腕を引っ張って校舎の方に向かおうとした。

「いやいやちょっと待ってよ。俺らみゆきちゃんに用があるんだけど?」
「ちょっと出しゃばりだよ〜眼鏡君。」

アホか。みゆきは俺だ。…とか考えてちょっと笑いがこみあげて、それが舐められたと感じたのか、男たちは舌打やガンを飛ばし始め、じりじりと俺に迫ってきた。やべ〜、倉持みたいなのが3人…とか思ったらまた笑いが込み上げてきた。

「お前何ニヤニヤしてんの?」
「やる?おいやんの?」
「いいよ、ちょっとあっちいこうか?」

このままじゃボコられるよな〜…。それは避けたい。こんなことで試合出られなくなったら嫌だし…

「いやいやいや大丈夫ッス。」
「いや大丈夫じゃなくてね?俺らみゆきちゃんに用があんだよ」
「いやそれはちょっと。やめましょ?ここ学校っすよ」
「じゃお前がどっか行けばいいんじゃん?いきなり来て何なの?みゆきちゃんの彼氏なの?」

違う…とか言ったらじゃあどっか行けってなりそうだから…

「…そ、そうッス」

へらへら頷きつつ、『みゆきちゃん』をじりじり背後に匿い、少しずつ後ずさった。男たちは距離を詰めてくるが、さすがに校門からこっちに入るのには抵抗があるらしかった。

「はぁ?」

いや嘘だろ、と言いたげな失笑を浮かべて男たちが顔を見合わせた。

「じゃ、俺ら帰るんで…」
「いやちょっと待ってよ。」
「大丈夫です大丈夫です」
「いや大丈夫じゃねーから」

男の手が俺の胸ぐらをつかもうと伸びてきて、危うくそれを避けた。

「ちょ、それはまずいっすよ、やめましょう」
「ぎゃははこいつビビってるよ」
「怖いのに女の子守ってカッコいいねぇ〜!カッコいいカッコいい!」
「無理すんなよ眼鏡君〜」

うわ…クソ腹立つ…硬球ぶつけてやりてぇ…
俺達が逃げられないよう、3人は周りに人がいないことを確かめながらまた広がって俺たちを囲み始めた。

「なぁもうめんどいって。いいから行くべ」
「きゃ…」

俺の背中に隠れていた女子生徒の、俺が掴んでいない方の腕を男が掴む。

「ちょちょちょ、それはダメですって」
「なんでよお前もやってんじゃん?」
「とにかく離しましょ、離してください」
「うぜーってお前」

男の手から女子生徒の腕を離させようとするが、男は掴む力を強めた。女子生徒は痛そうにちょっと顔を顰めた。

「痛いですって、とりあえず離してくれませんか」
「お前が離せば離すよ」
「そういうことじゃないんで、とりあえず本人痛がってるんで」
「何でお前に言われなきゃならんの?」
「…いいから離せって!!」

半ば強引に女子生徒の腕を引っ張って男の手から離し、直後、ひやりとした。やべ、ついイラッとして怒鳴ってしまった。こういう奴らに下手な態度取ったらどんな面倒臭い因縁つけられるか…

「…いって〜〜〜〜〜俺指骨折したかも」
「まじ?」
「やべーじゃん眼鏡君のせいじゃん〜」

…予想通り面倒くせぇことになった〜〜…!!

「いやいや今ので骨折はありえねーっすよ!骨弱すぎ!」
「ああ!?」

後ずさりながら言うと、頭に血が上って校門の境を越えて近づいてくる男達。俺は女子生徒に耳打ちした。

「走るぞ!」
「えっ…」

そのまま彼女の手を引いて校舎に向かって走った。裏口から校舎内に駆け込むと、さすがに中までは追ってこなかった。俺は階段を半分駆けあがったところの踊り場で立ち止まり、追ってきていないことを確認して、息を荒げる女子生徒を振り向いた。

「大丈夫?」

見たところ1年生か…まだ入学式から1週間くらいしか経っていないのに、災難な子だ。
こくこく、と小さく頷いたその子は、唇を噛んで、じわりと涙をにじませた。

「ごめんなさい…大丈夫です」

俺が焦ったのを見て女子生徒はそう声を震わせながら言って、ぽろりと一粒涙を零した。…泣き顔もすげー可愛い…などと不謹慎なことを考えつつ、女子が泣きはじめてどうしたらいいかわからず立ち尽くす。

「…ありがとうございます」

女子生徒は泣き声でそう言って、頬の涙を拭ったけど、そのすぐ後にまた新しく涙が零れ落ちてきて頬を濡らした。

「…ほんとに大丈夫?」
「大丈夫です」

…と言う彼女の目からはとめどなくぽろぽろと涙がこぼれてくる。

「保健室行く?」

黙って首を振る女子生徒。でも、このまま帰すわけにもいかない。さっきの奴らがまだいるかもしれないし、誰か先生に事情を話さなければ。

「いや…保健室行こうぜ。」
「……。」

ちょっと肩を押して促すと、女子生徒は涙を拭いながら素直についてきた。とぼとぼと歩く女子生徒を時々振り返って、そのうち思い切って腕を掴み、保健室まで連れて行った。

「しつれーしまーす」

無遠慮に保健室のドアを開けると、保険医の先生は目を丸くして俺と女子生徒を見た。

「どうしたの?」
「裏門に変な男たちがいて、この子に声かけてたんすよ。」

先生の目が女子生徒に移ると、彼女は止まらない涙を拭いながらこくこくと頷いた。

「で…腕掴んで連れて行こうとするから、止めて連れてきたんですけど…」
「え…!?」

先生は俺の説明を聞いて、口に手を当てて絶句した。

「御幸君ありがとう。えっとあなたは…1年生?名前は?」

みゆき、という名前を聞いてちらりと俺を見上げた女子生徒は、ぽつりと答えた。

「1Aの…玉城…です」
「A組の玉城さんね。」

玉城…かぁ。
ちゃっかり名前を記憶する俺の前で、先生はボードに名前を記入した。

「担任は田中先生ね。話を聞きたいんだけど、大丈夫?話せる?」

こくん、と頷く女子生徒。

「じゃあ、先生呼んでくるから…そこのベッドで休んでて。」

玉城ちゃんは先生に促され、ベッドに腰掛けた。先生はベッドの周りのカーテンを閉めると、俺を振り返った。

「御幸君はもう行っていいわよ。部活でしょう?」
「あ…はい」

最後にもう一度、ありがとうね、と念を押されて、俺は保健室を後にした。
1Aの玉城…ちゃん。…下の名前、なんていうんだろう…。


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