007
「花城さん、ちょっと話せる?」
きた。
ここのところほぼ毎日の昼休み恒例の、速水先輩のアプローチ。
廊下のロッカーに辞書をしまっていた光は背後から現れた速水先輩を振り向き、口を開いて言葉に詰まって、ぎこちなく笑顔を作って、速水先輩を窺うように見上げた。
「あ…えっと…今日は職員室に行かなきゃいけなくて…」
「あー…そっか、わかった、ごめんな!」
速水先輩も悪い人じゃない。すぐに了解して頷いて、爽やかに笑顔を返す。
光は気遣うような笑みを浮かべたまま会釈して教員棟の方へ歩き出したので、私は急いで抱えていた教科書をロッカーに押し込んで光を追いかけた。
「一緒に行くよ!」
「あ…でも」
「わかってるよ、“フリ”でしょう?」
私が言うと、光は苦笑いを浮かべて俯いた。
私がちょっと背後を見ると、速水先輩が光の背中を名残惜しそうに見ながら階段を上がっていくところだった。
「毎日大変だねー」
速水先輩はイケメンだしいい人っぽいが、光はあまり気がないようで、こうもほとんど毎日のようにお昼休みに呼び出されるのは流石に同情する。
光はちょっと疲れた様子で曖昧に笑った。
「もうきっぱりとフッちゃえば?」
「一応…誰とも付き合うつもりないとは言ったんだけど」
「そしたら速水先輩、なんて?」
「いつか振り向いてもらえるように頑張る…とかなんとか…」
「すんごいポジティブな人だね」
へへ…、と力なく笑う光。私と違ってあまりはっきり意見を言うのは苦手なようだから心配だ。
「もう私が先輩に、光に近づくな!って言ってあげよっか!?」
「い、いいって、大丈夫」
そんな話をしながら歩いて行って、職員室が見えてきた時。職員室の入り口から中を覗き込む男子生徒の姿が見えた。
「礼ちゃーん、これ返しにきた!」
…光のボタン事件の時の、あの先輩だ。
なんだか、前に見た時と雰囲気が違う。なんだかクールで近づき難い雰囲気だと思ってたけど、今の姿はなんだか、失礼だけど、軽薄なナンパ男のような…。
「高島先生、でしょ。」
姿を現した英語の高島先生に嗜められてもちっとも堪えていないようすでヘラヘラしている。あの先輩、あんなにチャラかったの?光の前では緊張してただけ?
「あ、鷹野さん花城さん、ちょうどよかった。」
と、不意にこっちに気づいた高島先生が私たちを呼んで、先輩も気づいて振り返った。…光を見て明らかに、表情が固まった。
「次の授業でプロジェクターを使うから、悪いんだけどお昼休みの間に、視聴覚室から教室に運んでおいてくれる?私はちょっと他の荷物が多くて。」
「あ…はい。」
「ありがとう。しまってある場所はね…」
私が頷くと高島先生は微笑んで、先輩を見た。
「御幸君、知ってるわよね?案内して教えてあげて。」
「え…」
「ふざけた呼び方をした罰よ。」
「はい…」
先輩の名前は、御幸先輩というらしい。
にっこり、微笑んだ高島先生に、御幸先輩は引き攣った顔で大人しく返事をした。
「じゃ…行くぞ、こっち」
御幸先輩はちょっとやりづらそうに言って、歩き出す。私と光はその後に続き、視聴覚室に入った。
鍵は空いていて、部屋の隅に並んだ戸棚の開戸を開け、機械を取り出す先輩。
「これと…このコード持っていけばいいから。」
「ありがとうございます。」
御幸先輩語り出したのはプロジェクター本体の機械と、それを接続する用のコンセント類が入った紙袋。
私が本体を、光が紙袋を受け取って、御幸先輩が戸棚を閉めるのを見守った。
「ありがとうございました。」
お辞儀をすると、いや、と素っ気なく返す先輩。先ほどの高島先生への態度とはえらい違いだ。
3人で視聴覚室を出て、私は御幸先輩の様子を窺う。なんだか、わざと光を見ないようにしているようなよそよそしさを感じた。
「じゃ…」
何か言おうか迷った時、御幸先輩はそう言い残してさっさと立ち去ろうとする。光のこと、忘れてるはずはないんだけど。なんだかもどかしい。
御幸先輩が踵を返す。と、その時、厳しくて有名な風紀の先生が歩いてくるのが見えた。
先を歩いていた御幸先輩が軽く会釈をした、その瞬間。
「おい、御幸!」
先生が立ち止まり、御幸先輩の腕を掴んで呼び止めた。
「ブレザーのボタン取れてるぞ!ほら違反カード書け!」
「はっ?」
ぽかんとした御幸先輩が、すぐに何かを思い出したように、あ〜…、と苦虫を噛み潰したような顔になった。
私と光は顔を見合わせた。ボタンって、絶対、光の髪が絡まった時に先輩が切り取った、あのボタンのことだ。
「片岡先生にも伝えるからな!今日の放課後反省文書いて提出!」
「は…!?ボタンが取れてただけで…ですか!?しかも放課後って、俺部活…」
「拒否するなら違反カード追加だぞ〜」
あまりにも理不尽だ。それはないんじゃないですか、と、つい口を出しそうになった。
だけどそれよりも前に、隣にいた光がスッと進み出て行った。
「あの…それ、私のせいなんです!」
思わぬ援軍に先生も御幸先輩もギョッとして光を振り返った。
「私の髪が引っかかってしまって…どうしても取れなくて、髪を切ろうとしたら、先輩がボタンの糸を切って取ってくれたんです。」
光がそう説明すると、先生はバツが悪い顔になり、御幸先輩に差し出していた違反の黄色い紙をポケットにしまった。
「…今回は見逃してやるが、明日までにボタンをつけ直す事!」
「…はい」
ズカズカと床を踏み鳴らして先生が去った後、光は改めて御幸先輩を見上げた。
「すみませんでした、私のせいで…」
御幸先輩は慌てて首を振る。
「いや、俺がつけ忘れてただけだから」
私も歩いて行って口を開いた。
「て、いうか、あの先生厳しすぎません!?ボタンなんて取れても気づかないひと、いっぱいいるっつーの!」
私の怒りのぼやきを聞いて、御幸先輩も光も笑い出して顔を見合わせた。
「でも…ありがとな。助かったぜ」
「いえ、そんな…」
二人の間にはなんだかいい雰囲気が流れている。
「つーか…すっかり忘れてたわ。そうだ裁縫道具…。」
御幸先輩はポケットに入れたままだったらしいボタンを取り出して握り締め、ブツブツ唸り始める。
「あ、あの。私がボタンをつけます。今日の放課後までにできますから」
光がそう申し出ると、御幸先輩はぽかんとしたあと少し慌てた。
「いや、そりゃ悪いって」
「そんな事ないです、そもそも、私のせいですし…」
「せいとかじゃねえって」
「じゃあ、お礼ということで」
光の言葉に御幸先輩はしばらく言葉に詰まり、じゃあ…、とブレザーを脱いだ。
その動作でワイシャツのシワが伸び、意外とたくましい筋肉の形が浮いて見えた。何かスポーツしをしているんだろうか。
「悪いけど…頼むわ」
「はい。」
先輩のブレザーを、光は大切そうに畳んで胸に抱く。
「あの…。」
そして先輩を見上げた光の顔は、ほんのりと赤かった。
「クラスとお名前、教えてください。」
御幸先輩の顔も赤く染まる。
「あぁ…2Bの、御幸一也…。」
きた。
ここのところほぼ毎日の昼休み恒例の、速水先輩のアプローチ。
廊下のロッカーに辞書をしまっていた光は背後から現れた速水先輩を振り向き、口を開いて言葉に詰まって、ぎこちなく笑顔を作って、速水先輩を窺うように見上げた。
「あ…えっと…今日は職員室に行かなきゃいけなくて…」
「あー…そっか、わかった、ごめんな!」
速水先輩も悪い人じゃない。すぐに了解して頷いて、爽やかに笑顔を返す。
光は気遣うような笑みを浮かべたまま会釈して教員棟の方へ歩き出したので、私は急いで抱えていた教科書をロッカーに押し込んで光を追いかけた。
「一緒に行くよ!」
「あ…でも」
「わかってるよ、“フリ”でしょう?」
私が言うと、光は苦笑いを浮かべて俯いた。
私がちょっと背後を見ると、速水先輩が光の背中を名残惜しそうに見ながら階段を上がっていくところだった。
「毎日大変だねー」
速水先輩はイケメンだしいい人っぽいが、光はあまり気がないようで、こうもほとんど毎日のようにお昼休みに呼び出されるのは流石に同情する。
光はちょっと疲れた様子で曖昧に笑った。
「もうきっぱりとフッちゃえば?」
「一応…誰とも付き合うつもりないとは言ったんだけど」
「そしたら速水先輩、なんて?」
「いつか振り向いてもらえるように頑張る…とかなんとか…」
「すんごいポジティブな人だね」
へへ…、と力なく笑う光。私と違ってあまりはっきり意見を言うのは苦手なようだから心配だ。
「もう私が先輩に、光に近づくな!って言ってあげよっか!?」
「い、いいって、大丈夫」
そんな話をしながら歩いて行って、職員室が見えてきた時。職員室の入り口から中を覗き込む男子生徒の姿が見えた。
「礼ちゃーん、これ返しにきた!」
…光のボタン事件の時の、あの先輩だ。
なんだか、前に見た時と雰囲気が違う。なんだかクールで近づき難い雰囲気だと思ってたけど、今の姿はなんだか、失礼だけど、軽薄なナンパ男のような…。
「高島先生、でしょ。」
姿を現した英語の高島先生に嗜められてもちっとも堪えていないようすでヘラヘラしている。あの先輩、あんなにチャラかったの?光の前では緊張してただけ?
「あ、鷹野さん花城さん、ちょうどよかった。」
と、不意にこっちに気づいた高島先生が私たちを呼んで、先輩も気づいて振り返った。…光を見て明らかに、表情が固まった。
「次の授業でプロジェクターを使うから、悪いんだけどお昼休みの間に、視聴覚室から教室に運んでおいてくれる?私はちょっと他の荷物が多くて。」
「あ…はい。」
「ありがとう。しまってある場所はね…」
私が頷くと高島先生は微笑んで、先輩を見た。
「御幸君、知ってるわよね?案内して教えてあげて。」
「え…」
「ふざけた呼び方をした罰よ。」
「はい…」
先輩の名前は、御幸先輩というらしい。
にっこり、微笑んだ高島先生に、御幸先輩は引き攣った顔で大人しく返事をした。
「じゃ…行くぞ、こっち」
御幸先輩はちょっとやりづらそうに言って、歩き出す。私と光はその後に続き、視聴覚室に入った。
鍵は空いていて、部屋の隅に並んだ戸棚の開戸を開け、機械を取り出す先輩。
「これと…このコード持っていけばいいから。」
「ありがとうございます。」
御幸先輩語り出したのはプロジェクター本体の機械と、それを接続する用のコンセント類が入った紙袋。
私が本体を、光が紙袋を受け取って、御幸先輩が戸棚を閉めるのを見守った。
「ありがとうございました。」
お辞儀をすると、いや、と素っ気なく返す先輩。先ほどの高島先生への態度とはえらい違いだ。
3人で視聴覚室を出て、私は御幸先輩の様子を窺う。なんだか、わざと光を見ないようにしているようなよそよそしさを感じた。
「じゃ…」
何か言おうか迷った時、御幸先輩はそう言い残してさっさと立ち去ろうとする。光のこと、忘れてるはずはないんだけど。なんだかもどかしい。
御幸先輩が踵を返す。と、その時、厳しくて有名な風紀の先生が歩いてくるのが見えた。
先を歩いていた御幸先輩が軽く会釈をした、その瞬間。
「おい、御幸!」
先生が立ち止まり、御幸先輩の腕を掴んで呼び止めた。
「ブレザーのボタン取れてるぞ!ほら違反カード書け!」
「はっ?」
ぽかんとした御幸先輩が、すぐに何かを思い出したように、あ〜…、と苦虫を噛み潰したような顔になった。
私と光は顔を見合わせた。ボタンって、絶対、光の髪が絡まった時に先輩が切り取った、あのボタンのことだ。
「片岡先生にも伝えるからな!今日の放課後反省文書いて提出!」
「は…!?ボタンが取れてただけで…ですか!?しかも放課後って、俺部活…」
「拒否するなら違反カード追加だぞ〜」
あまりにも理不尽だ。それはないんじゃないですか、と、つい口を出しそうになった。
だけどそれよりも前に、隣にいた光がスッと進み出て行った。
「あの…それ、私のせいなんです!」
思わぬ援軍に先生も御幸先輩もギョッとして光を振り返った。
「私の髪が引っかかってしまって…どうしても取れなくて、髪を切ろうとしたら、先輩がボタンの糸を切って取ってくれたんです。」
光がそう説明すると、先生はバツが悪い顔になり、御幸先輩に差し出していた違反の黄色い紙をポケットにしまった。
「…今回は見逃してやるが、明日までにボタンをつけ直す事!」
「…はい」
ズカズカと床を踏み鳴らして先生が去った後、光は改めて御幸先輩を見上げた。
「すみませんでした、私のせいで…」
御幸先輩は慌てて首を振る。
「いや、俺がつけ忘れてただけだから」
私も歩いて行って口を開いた。
「て、いうか、あの先生厳しすぎません!?ボタンなんて取れても気づかないひと、いっぱいいるっつーの!」
私の怒りのぼやきを聞いて、御幸先輩も光も笑い出して顔を見合わせた。
「でも…ありがとな。助かったぜ」
「いえ、そんな…」
二人の間にはなんだかいい雰囲気が流れている。
「つーか…すっかり忘れてたわ。そうだ裁縫道具…。」
御幸先輩はポケットに入れたままだったらしいボタンを取り出して握り締め、ブツブツ唸り始める。
「あ、あの。私がボタンをつけます。今日の放課後までにできますから」
光がそう申し出ると、御幸先輩はぽかんとしたあと少し慌てた。
「いや、そりゃ悪いって」
「そんな事ないです、そもそも、私のせいですし…」
「せいとかじゃねえって」
「じゃあ、お礼ということで」
光の言葉に御幸先輩はしばらく言葉に詰まり、じゃあ…、とブレザーを脱いだ。
その動作でワイシャツのシワが伸び、意外とたくましい筋肉の形が浮いて見えた。何かスポーツしをしているんだろうか。
「悪いけど…頼むわ」
「はい。」
先輩のブレザーを、光は大切そうに畳んで胸に抱く。
「あの…。」
そして先輩を見上げた光の顔は、ほんのりと赤かった。
「クラスとお名前、教えてください。」
御幸先輩の顔も赤く染まる。
「あぁ…2Bの、御幸一也…。」