歯車の悲鳴を聞いている

少女の話をしよう。

偉大なる航路にある春島の外交貿易によって栄えた港町で生まれた娘である。美に恵まれた両親の血を色濃く継ぎ周囲の子供より群を抜いて綺麗な顔立ちであることを除けば至って平凡な金髪の娘は、時折彫り師の母のアトリエを除くきらいがあった。

娘の目に映る女達はこぞって、ニードルが静かに皮膚を破いていく痛みに顔を歪め咽頭を押しつぶしたような甘い悲鳴を上げては、日を知らぬ美しい雪の肌に蚯蚓のような腫れを作っていた。娘は完成したばかりの赤く腫れ痛々しく女達の肌の上で羽ばたく蝶や蜘蛛に怯えていた記憶があるが、それも束の間。

数年後には慣れが芽生え更にそこに美を見つけ出した時娘はえもいえぬ高揚に腰を屈め自分を抱きしめるように、打ち震えた。後にその高揚感を欲情だと知るも当時の生娘は何も知らず、苦しくなるほど狭い視野の中で我よ我よと津波のように押し寄せる熱い感情を淘汰する術を何一つ持っていなかったのだ。

目の前で繰り広げられる淫靡。幼い頃絵本で見た男女のキスシーンよりもロマンチックに満たされた行為。母の手が火で炙ったニードルを掴み作業用の寝台でうつ伏せに横たえる黒髪の女の、よく手入れされた肌を穿つ。そのまま慎重に下書きの絵を辿り肉を破いて、そして痛みに耐えられなくなった女が真っ赤な唇を硬く噛んだ。白い歯の隙間から漏れる声を娘は堪らなく好み愛した。あぁ、あぁ。

美しい。美とは善よりも圧倒的に悪を引き寄せる。美が悪であるのか悪が美であるのか。しかし憑き物が憑いたかのように熱が篭った目で仕事風景を見つめる16歳の娘に母は決して良い顔をせず、その傾向が度を越し始めた時母は祭壇(単なる仕事場であるが)への一切の立ち入りを禁止した。

鍵が掛けられた扉を前に娘は初めて気が付いた。自分が表に出してはいけない感情を晒していたことに。父が酒豪であることを隠すように、母が人前では大声を上げないように、世の中はそういった負を受け入れないことを娘は充分に理解していた筈であったが主観的に見てしまえばその負の存在にそもそも気付かないことも、初めて知った。

絶望的だった。もっと巧妙に隠していたなら母も仕事場への出入りを今も許してくれていただろうと思えば思うほど名も知らぬ衝動が心臓の奥の奥、誰にも手の届かない深淵で凶暴に暴れまわり娘は慌てて自室へ篭った。

産まれて初めて美しく白い肌に咲く刺青に美を見出した日に燻っていたアブノーマルな気質がいつの間にか収拾のつかないまでに膨れ上がり娘を襲う。禁じられてしまえばそれを上回る欲が首を擡げ、禁忌を冒す背徳を娘の背筋を下から上に駆け巡った。少しでも鎮静をと左の内腿を右手の伸びた爪で乱暴に掻きむしった時、娘は容量を遥かに超越した快楽に目の前が一瞬真っ白になった。

一体何が起きたのか。あれほどまでに凶暴に内側から娘を何度も穿っていた狂気は途端になりを潜め、恐る恐る自分の内腿に視線を這わせた。15時の太陽の光を煌々と浴びた娘の太腿は引っ掻き傷で満たされその中の2、3本の線から純朴な血液が流れている。彼女は息を呑む。

確かに気持ちが良かったのだ。怪我をしたとは思えぬほどに躰が麻痺し四肢が痙攣し視界が弾ける程の大きな快感の波であったのだ。かつて感じた痛みはどこを捜してもない。女はその時すべてを理解した。

刺青が美しいのも痛みに悶える声を愛しむ感情も何もかも偽物で勘違いであることに。消毒のためでなく悪意を持って火にかけられ真っ赤になるほど熱したニードルの切っ先でわたしを彫ってほしかった。刺青なんてどうでもいいからただ痛みを与えるように皮膚を裂いてほしかった。悶える客たちが羨ましかった。悲鳴をあげるほどの快感をわたしも感じたかった。すべて美に託けたエゴイズム。女が最も追及していたものは美しさなどではなくただ狂おしく壊れてしまいそうなほどの快楽であり、苦痛であった。

女は水分を失った唇を潤すように尖らせた舌先で蠱惑的に舐める。考えると今まで躰が痛感を欲する鱗片を見せていたように思い、その瞬間レイラは水道の蛇口を締めるように常人としての責任を考えることを辞めた。